2012年01月29日

蒋介石が愛した日本 親日家・蒋介石を敵にした日本軍部の愚

蒋介石が愛した日本 (PHP新書)蒋介石が愛した日本 (PHP新書)
著者:関 榮次
PHP研究所(2011-03-16)
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以前紹介した「チャーチルが愛した日本」に続く、元外交官作家関榮次さんのシリーズ第2弾。日本に留学、陸軍勤務を経験し、辛亥革命に参加するために中国に帰国後もたびたび日本の支持者を訪れ、日本に親愛の情を感じていた親日家の蒋介石像を見事に描いている。

実は大先輩の関さんには大変失礼をしてしまった。この本は出版当初の2011年3月にいただいていたが、あらすじを紹介するのが大変遅れてしまった。

一度読んだものの、蒋介石は大変毀誉褒貶が激しい政治家なので、蒋介石についてもっと本を読まなければ、きちんとしたあらすじは紹介できないと考えて、次のような本も読んだ。

蒋介石と日本 友と敵のはざまで (東アジア叢書)蒋介石と日本 友と敵のはざまで (東アジア叢書)
著者:黄 自進
武田ランダムハウスジャパン(2011-01-20)
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蒋介石 (文春新書 (040))蒋介石 (文春新書 (040))
著者:保阪 正康
文藝春秋(1999-04)
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(蒋介石に言及した部分はないが)台湾研究として:

街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)
著者:司馬 遼太郎
朝日新聞社(1997-05)
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蒋介石秘録〈1〉51nSS9BVXhL__SL500_AA300_悲劇の中国大陸 (1975年)
著者:サンケイ新聞社
サンケイ新聞社出版局(1975)
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「蒋介石秘録」は日中国交回復以降、唯一台北に支局を置くサンケイ新聞社が総力を挙げてまとめた蒋介石の伝記で、全15巻の作品である。


「以徳報怨(いとくほうえん)」演説

蒋介石で最も有名なのは、終戦が決まった1945年8月14日に放送した日本に対しての「以徳報怨(いとくほうえん)」演説だろう。

満州や朝鮮から工場の設備など根こそぎ持ち帰った火事場泥棒のようなソ連のスターリンに対して、蒋介石の態度は実に立派で、関さんが書いているように多くの日本人は道義的にも敗れたことを痛感させられた。

最後のシナ派遣軍総司令官の岡村寧次大将は「この演説を当時ソ連のスターリンが『日露戦争の仇を討った』と声明したのに較べてみれば、まるで較べものにならない高邁寛容な思想といわねばなるまい。この思想、この大方針が、接収において降伏手続きにおいて、戦犯問題において、すべて中国側官民の日本人に対する態度の基礎になったのだと思う」と述べている。

蒋介石がこのような方針を打ち出したことから、日本人の中国からの帰国がスムーズにはかどり、結果として命を救われた日本人が多数いることは間違いない。満州で終戦を迎えた日本軍人が50万人以上もシベリア抑留されたことを考えると、大変な違いである。

蒋介石が日本の恩人の一人であることは間違いない。


蒋介石の経歴

蒋介石は浙江省の寧波の近くの渓口鎮で1887年に生まれた。蒋介石の生家は代々農家で、商才もあって塩の売買も行っていたが、蒋介石が8歳の時に祖父と父を相次いで亡くし、母親の手で育てられた。15歳の時に母がいうままに結婚したが、後日「早婚という悪い慣習に自分は苦しめられた」と書いているように、最初の結婚はうまくいかなかった。1910年に長男蒋経国が誕生し、1921年に母が亡くなると最初の妻と離婚している。

蒋介石は軍人を志し、満人の習慣である弁髪を切り落とし、日本留学をめざして、1906年に半年間日本を訪れたが、中国陸軍の推薦が得られず一旦帰国した。1908年に河北省の保定軍官学校の留学生として日本に留学し、3年間の予備的訓練の後、1910年12月に新潟県の高田野戦砲第19連隊に配属された。

1911年に中国本土で辛亥革命が始まると、孫文の仲間で同郷の先輩・陳基美の求めにより、高田連隊を抜けて帰国した。蒋介石は後日「新潟は第2の故郷のようである」、「日本の伝統精神を慕い、日本の民族性を愛している」と語っている。

1911年に帰国してからは上海を活動のベースとし、日本の頭山満などの支持者を頻繁に訪れ、孫文と行動をともにしていた。訪日の回数は10回を超えている。1916年にメンターの陳基美が暗殺されてからは、孫文のもとで蒋介石の責任は重くなった。

1923年に孫文はソ連と協定を結び、蒋介石は孫文代表団の団長としてソ連を訪問し、帰国後ソ連の軍事顧問を招いて広州に軍官学校を開設し、みずから校長として就任する。後に毛沢東と並ぶ中国共産党の二大指導者の周恩来は1917年から2年間の日本留学の後、フランスにも留学し、帰国後、第1次国共合作のため、軍官学校の副主任として蒋介石を助けている。蒋介石と周恩来は立場を超えて、双方が尊敬しあっていた仲だという。


国民党主席に就任

孫文は1925年に亡くなり、1926年に蒋介石が国民党主席となった。蒋介石は当時、二番目の妻・陳潔如と結婚していたが、浙江省の宋財閥を後ろ盾にする宋三姉妹の政治力・経済力、それと三姉妹の末妹・宋美齢の天性の能力、米国仕込みの教育と教養、美貌に魅せられ、陳潔如に別れを言い渡す。

陳潔如は翌1927年にアメリカに向け旅立ち、その後は蒋介石とは連絡は取りつつも、距離を置き、最後は周恩来の手配で香港に移住して亡くなっている。

1924年からの第1次国共合作で共産党と国民党は各地の軍閥に対して共同戦線を張り、北伐を続けてきた。

1927年3月に北伐軍が南京の各国の領事館を襲い、居留民を殺傷するという「南京事件」が起きたが、日本は幣原喜重郎が仲介して英米の武力行使をひっこめさせて、蒋介石に謝罪・弁償による解決をすすめて事件を解決した。幣原喜重郎は蒋介石による中国統一に期待していたのだ。

蒋介石が1927年4月から共産党を抑圧し、国共合作は瓦解した。しかし国民党内部の勢力争いで、蒋介石は国民革命軍主席を辞して、故郷に帰って下野してしまう。


日本の支持者を訪問

1927年10月に日本に行き、当時有馬温泉に滞在していた宋姉妹の母に宋美齢との結婚の許しを乞い、キリスト教に改宗することを条件に結婚を認められる。

この時には中国からの留学生が蒋介石を東京駅で青天白日旗を振って出迎え、蒋介石は帝国ホテルで「日本国民に告げる書」を発表し、日中両国は兄弟の国として「唇歯輔車」の関係にあり、目先の利益に惑わされて軍閥を利用して革命による中国の発展を妨げることなく、中国の革命運動を支援してくれるよう訴えた。

孫文が父と呼んだ頭山満と旧交を温め、88歳の渋沢栄一にもあって私淑している。関さんは懇談の内容を「竜門雑誌」から引用しており大変興味深い。渋沢栄一は若き指導者の蒋介石に日中の共存共栄を託そうと考え、支援を約束した。

しかしその後、田中義一首相と面談すると、田中首相はあきらかに中国革命軍が北伐後、中国統一を成し遂げることを好まず、蒋介石に対して誠意を見せなかった。蒋介石は中日合作の可能性はないと日記に記している。

日本には多くの支援者がいたにもかかわらず、この1927年の訪日が蒋介石の最後の訪日となった。

蒋介石は1か月半の訪日を終え、1927年11月に帰国してすぐに宋美齢と結婚した。新婚旅行は浙江省の行楽地莫干山(ばくかんざん)だったという。結婚後蒋介石はキリスト教に入信し、以後経験なクリスチャンとして信仰心を深めている。

結婚直後、蒋介石は国民革命軍総司令に再任され、70万人の大軍を擁して北伐にあたった。1928年6月の張作霖爆死事件で軍閥は総崩れとなって北伐は完了した。


日本軍部の暴走

張作霖爆死事件が息子の張学良に与えた影響は大きく、これがのちの西安事件につながる。張学良は自分の誕生日に張作霖が殺されたので、自分は誕生日を祝う気になれないとNHKのインタビュ−で語っている。

この間の1928年5月に日本が居留民保護のために出兵した済南事件が起こり、中国は屈辱的な賠償を払わさせられた。この事件は蒋介石の痛恨事となり、これ以降日本は蒋介石のあきらかな敵となった。

蒋介石は1928年10月に中国を統一した国民党政府主席に就任した。欧米政府は祝電を寄せたにもかかわらず、田中義一内閣の日本は南京総領事が口頭で祝辞を述べたにすぎなかったという。蒋介石はその時の日記に「日本の狭隘(きょうあい)なる嫉忌の心はこの通りだ。私はますます自強自奮しなければ」と書いている。

日本は関東軍が暴走を続け、1931年9月に奉天郊外の柳条湖で満鉄の鉄道を爆破して満州事変を起こし、日本政府の事態不拡大宣言を無視して関東軍は戦火を拡大した。翌1932年3月には清朝最後の皇帝の溥儀を擁立して傀儡政権の満州国を建国し、張学良は東北部からはじき出された。


西安事件

蒋介石は日本軍に対抗するには、まず国内の統一を保って軍備を整えるのが先決という「安内攘外」策を取り、張学良は共産軍の討伐にあたっていたが、蒋介石には共産軍と提携して日本の侵略に対抗すべきだと進言していた。しかし蒋介石が取り上げなかったので、張学良が蒋介石を監禁して、国共合作を承認させるという西安事件が1936年12月に起こった。

西安事件の首謀者である張学良みずからが語るNHKのインタビューは1991年のもので、張学良は西安事件そのものについては、「迷惑が掛る人がいる」として口を閉ざしているが、その他のことについてははっきり語っており、大変興味深い本だ。

張学良の昭和史最後の証言 (角川文庫)張学良の昭和史最後の証言 (角川文庫)
角川書店(1995-05)
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関さんは西安事件で蒋介石が脱出しようとした驪山(りざん)の岩穴や監禁されていた部屋を訪れた写真をこの本で紹介していて興味深い。西安事件はスターリンにも伝えられ、蒋介石を殺すつもりでいた毛沢東に対して「連蒋抗日」策をとるように指示し、毛沢東は怒りのあまり真っ赤になったという。

宋美齢や彼女の兄の宋子文、顧問のオーストラリア人・ドナルドなどが蒋介石解放交渉にあたり、クリスマスの日に蒋介石は解放された。張学良はそれから軍法会議で有罪となったが、蒋介石の特赦で自宅監禁となり、1990年まで自宅軟禁されていた。上記のNHKのインタビューは自宅軟禁が解けた直後のものだ。


日中戦争拡大

1936年2月26日に日本で2.26事件が起こり、日本の内政は混乱し、1937年7月の盧溝橋事件を経て日本は中国の成長を理解できないままに日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく。

1937年3月に林銑十郎内閣の佐藤尚武外務大臣は幣原外交の流れを汲んで、戦争を回避し、中国と平等の立場で国交を調整することを含む平和外交4原則を打ち出したが、林内閣は4か月の短命に終わった。その後の近衛内閣の広田弘毅外務大臣が、満州国黙認を打ち出したので、蒋介石との対立は決定的となった。

1937年7月7日に盧溝橋事件が勃発し、その10日後第2次国共合作が成立し、中国が抗日で統一された。近衛内閣は大規模な武力行使で国民政府を屈服させる方針を決定し、戦火は北京、天津、上海と拡大し、日中間の全面戦争に発展した。12月には南京入城後、大規模な虐殺暴行事件が発生し、全世界の非難を浴びた。

翌1938年1月に近衛首相は「爾後国民政府を対手(あいて)とせず」との声明を出し、中国との外交関係を断絶させた。蒋介石にとってこれは国際的にも前例のない「狂気の沙汰」に思え、近衛も後々後悔したという。

最近日中戦争と太平洋戦争を、”アジア・太平洋戦争”と呼びなおそうという動きが出ている。

一般的には太平洋戦争と呼ばれてきたので、なにかフィリピンとかビルマなどでの死者が多いような印象を受けるが、実は日中戦争で中国・満州で亡くなった兵士の数が最も多い。

以前靖国神社の遊就館を訪問した時に、軍神として祀られている戦死者は、中国戦線で亡くなった人が多いことに驚いた。日中戦争を拡大した当時の指導者・軍部の「狂気の沙汰」の犠牲になって、70万人もの人が戦死しているのだ。


蒋介石の日本国民への呼びかけ

盧溝橋事件から1年後の1938年7月7日に、蒋介石は「日本国民に告ぐるの書」を発表し、「中日両国はもともと兄弟の邦(くに)であって」で始まる文は、日本軍の毒ガス攻撃や人道にもとる残虐行為を非難しながらも、日本の軍部は中国と日本国民の公敵であり、日本国民に対して軍部の侵略政策を変更させ、「平和と秩序を恢復(かいふく)し、中日相互親睦を実現し、東亜永遠の平和を樹立するよう切望する」と呼びかけている。

ちなみに三笠宮殿下は「若杉参謀」という変名で、太平洋戦争中の1943年1月に中国に赴任し、1年後離任するときに「蒋介石が従来日本軍閥云々と宣伝しているのは、無理からぬことだと感じた」と後に語っている。


蒋介石の対日戦略

蒋介石の対日戦略は、1.広大な国土を利用して持久戦、消耗戦に持ち込むこと、2.国際世論を味方につけること、3.外国の支援を獲得し、夷(外国)を以て夷を制することだった。

妻の宋美齢の米国コネクション、蒋介石の抜群の情報収集力がこの戦略の実現を可能にした。前回のあらすじで紹介したゾルゲが入手したドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連を攻撃するという情報も蒋介石は入手して、ルーズベルトに教えていたという。

蒋介石の対日戦略は日独伊三国同盟で、日本が米英と敵対することが明白となって確立し、1941年12月8日の真珠湾攻撃で完成した。

日中戦争中は米国が義勇軍ということでフライング・タイガースなどの軍事援助を行い、蒋介石に大量の武器を供与した。

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出典:Wikipedia

中国滞在経験が10年で中国語に堪能なスティルウェル将軍が派遣され、ルーズベルトはスティルウェルに全中国軍の指揮権を与えるように蒋介石に指示したが、蒋介石は反発し、スティルウェルは召喚された。

談笑する蒋介石・宋美齢夫妻とスティルウェル将軍

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出典:Wikipedia

この辺はバーバラ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」が取り上げている。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
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戦後処理での蒋介石の役割

第2次世界大戦の大勢は決し、蒋介石は1943年11月のカイロ会議に参加する。

カイロ会議ではチャーチルは蒋介石と宋美齢に好感を持ち、「スターリンは人のへそを見て話すが、蒋介石はまっすぐに自分の目を見て話す」と印象を記している。

もともと米英中ソ4か国会議を予定していたが、スターリンの反対でまずカイロで米英中3カ国会議が行われ、その後テヘランで米英ソ3カ国会議が開かれるという変則開催となった。スターリンはその後のヤルタ会談でルーズベルトから対日参戦の代償をしっかり取り付けて、戦後の中国の役割は無視された結果となった。

宋美齢は1943年に訪米し、上下両院で演説し、抗日戦での中国への支援を訴え、米国民の同情を得た。


「以徳報怨」演説と戦後処理

蒋介石は終戦が決まった1945年8月14日にラジオで「抗戦勝利にあたり全国軍民および全世界の人々に告げる演説」として有名な「以徳報怨」を放送した。

中国政府は日本軍将兵を俘虜と呼ばず、「徒手官兵」と呼んで、日本軍105万人、居留民80万人の早期送還を実現した。しかし北支方面では共産軍が武器引き渡しを要求し、共産軍の攻撃により戦後7,000名もの兵士が戦死した。国民党と共産党の争いがもう始まっていたのだ。

蒋介石はA級戦犯リストを48名から12名に削り、近衛文麿も軍部の操り人形として戦犯リストから外した。日本占領軍に中国が派兵しないのでソ連も派兵の機会を失う結果となった。

中国は対日賠償請求も放棄し、日本の経済復興を助けた。フィリピンのキリノ大統領にも働きかけ、対日賠償請求を80億ドルから5億5千万ドルに減額させた。


台湾に退去

アメリカの仲介で、終戦直後から蒋介石と毛沢東は国共共同政府樹立のため会談を重ねたが合意に至らず、トルーマンが中国への余剰武器輸出を禁止する一方、ソ連は満州の日本軍の武器を共産軍に引き渡したため、次第に国民党軍は劣勢となった。

1948年末には中共軍は満州、華北を制圧し、蒋介石は1949年1月に国民政府総統を辞任し、4月に台湾に移った。

台湾では1947年2月28日に規律ある日本の統治に慣れていた本省人(台湾人)の騒擾を国民党軍が武力弾圧し、3万人近い犠牲者を出す惨事となった。これが2.28事件である。

台湾行政長官の陳儀は蒋介石と同郷で日本の陸軍大学まで卒業した知日家だったが、共産側への寝返りを計画して捕えられ、2.28事件の責任も問われて1950年に公開銃殺された。


台湾の孤立化

1950年1月に英国の労働党アトリー政権が自由圏の大国としては最初に中共政府を承認した。その直後の1950年6月に北朝鮮の侵攻で朝鮮戦争が始まった。蒋介石も軍隊の派遣を申し出たが、トルーマンは蒋介石の派兵提案を拒否し、大陸侵攻をあきらめることも約束させられた。

朝鮮戦争については、ディヴィッド・ハルバースタムの「ザ・コールデスト・ウォー」のあらすじを紹介しているので、参照願いたい。スターリンという虎の威を借りたキツネとしての金日成の姿が良く分かる。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上
著者:ディヴィッド・ハルバースタム
文藝春秋(2009-10-14)
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トルーマン政権の後のアイゼンハワー政権は台湾積極支援に転換し、1958年の金門・馬祖島の砲撃戦を軍事援助した。


旧日本軍人の軍事顧問団

蒋介石は1949年に終戦時のシナ派遣軍総司令官だった岡村寧次元大将に協力を求め、富田直亮元陸軍少将を団長とする17名の旧日本軍人の軍事顧問団がひそかに台湾にわたって国府軍の訓練を指導した。

蒋介石の後を継いだ蒋経国は、後任総統に李登輝を起用した。国民党政権下で台湾は経済発展を遂げ、世界でも有数の外貨準備高を誇る国となった。

日本との関係は1972年の田中角栄首相の日中国交回復から正式な外交関係はなくなったが、台湾は世界で最も親日国であり、東日本大震災の時も最も多額の民間義捐金を集め日本の復興を支援している。

蒋介石は1960年代から健康が悪化し、数度の心筋梗塞を経て、1975年87歳で亡くなった。

関さんは最近の周辺国との領土問題における居丈高な中国政府の姿勢を見るとき、西安事件以降、中国との関係調整に失敗し、中国共産党の大陸制覇に結果的に力を貸した日本の軍閥と為政者の愚を思うことしきりだと書いている。

「蒋介石の挫折に加担しなかったら、日中関係ははるかに友好的で円滑なものとなり、あるいは欧州共同体に匹敵するようなものがアジアに実現していたかもしれない」と結んでいる。

歴史にIFはないが、蒋介石という親日的指導者が中国を統一していれば、戦後の世界情勢は全く違ったものになっただろう。

筆者は1983年に湖南省の毛沢東の生家を訪問したことがある。今度は淅江省や台湾の蒋介石ゆかりの場所を訪問してみようと思う。

他の本も読みこんで、このあらすじを書いたが、関さんの表現は中立的であり、偏った点は見られない。一冊で蒋介石と20世紀前半の日中関係をコンパクトにまとめた良書である。


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Posted by yaori at 00:53Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!歴史 | 関榮次

2012年01月23日

国際スパイ・ゾルゲの真実 NHKが制作したドキュメンタリー

先日紹介した映画「スパイ・ゾルゲ」を見たので、それの原作となったNHKがつくったゾルゲに関するドキュメンタリーを読んだ。



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出演:イアン・グレン
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国際スパイ ゾルゲの真実 (角川文庫)
角川書店(1995-05)
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アマゾンだと表紙の写真が紹介されていないので、表紙写真を紹介しておく。

ゾルゲ表紙












この本はもともと1991年に放送されたドキュメンタリー番組の取材を基にしている。

NHKBS2で再放送された時の映像がYouTubeで10編にわたって紹介されている。最初はこんな出だしだ。



YouTubeで視聴したが、全10編、約1時間半もドキュメンタリーを見るのはよほど興味がある人に限られると思うので、最後の10/10の法政大学教授の下斗米伸夫教授の解説を紹介しておく。



20年も前の作品だが、広範囲にわたる取材と資料の深掘りは、さすがNHKと思わせるできばえだ。


ソ連の機密情報公開がきっかけ

このドキュメンタリーが生まれたのは、1991年にソ連が崩壊して旧ソ連時代の機密資料約3,000万点が、1992年3月から公開されたからだ。国家的な重要決定に関する文書は除かれているが、それでも公開された文書の中にはゾルゲが日本から無線で送った電報の原本も含まれており、電報が誰に配布されたのかも記載されている。スターリンもゾルゲの電報を読んでいたことがわかる。

1991−2年の取材なので、ゾルゲを尋問した特高の警部、ドイツ大使館員、ソビエトの赤軍諜報部員、ゾルゲの日本人妻、スターリンの通訳などが存命で、関係者に直接事情を聴けたことが、このドキュメンタリーの質と情報量を圧倒的なものにしている。


ゾルゲの経歴

ゾルゲは1895年生まれ。ドイツ人の父とロシア人の母の間で、石油掘削技師だった父が勤務していた現アザルバイジャンの油田で有名なバクーで生まれた。その後一家はドイツに移住して、ゾルゲもドイツで教育を受ける。

ゾルゲは第1次世界大戦でドイツ陸軍に志願して従軍、3度負傷する。その時の傷で足はずっと不自由だったという。戦争の悲惨さを体験し、世界平和を実現するためにドイツ共産党に入党し、のちにソビエト共産党員となる。

第一次世界大戦の悲惨さは映画「西部戦線異状なし」を見てほしい。



コミンテルン(国際共産党)に勤務し、上司の赤軍第4部ベルジン大将から命を受けて諜報部員となり1930年に上海に行き、作家アグネス・スメドレーの紹介で大阪朝日新聞の上海特派員の尾崎秀実と知り合う。

スメドレーは中国共産党のシンパとして中国共産党の宣伝本を多く書いている。エドガー・スノウの「中国の赤い星」と並んで、彼女の作品はたぶんに宣伝本という要素はあるが、初期の中国共産党の活動がわかる貴重な資料だ。

中国の赤い星 (1964年) (筑摩叢書)中国の赤い星 (1964年) (筑摩叢書)
著者:エドガー・スノウ
筑摩書房(1964)
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偉大なる道 下―朱徳の生涯とその時代 (岩波文庫 青 429-2)偉大なる道 下―朱徳の生涯とその時代 (岩波文庫 青 429-2)
著者:アグネス・スメドレー
岩波書店(1988-05)
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ゾルゲの諜報活動

ゾルゲの情報源だった尾崎秀実は共産主義革命に心酔しており、共産主義革命でアジアを解放するという理想を持っていた。上海勤務後日本に帰国して満鉄調査部や内閣嘱託で近衛文麿のブレーンが集まる「朝飯会」のメンバーになって、日本政府の内部情報をゾルゲに提供した。

他にもアメリカ帰りで、軍人の肖像画を描いて情報を収集していた画家の宮城与徳などがゾルゲの情報ソースだった。

ゾルゲは1933年から日本に住み、ドイツのフランクフルターの寄稿者として働き、駐日ドイツ大使のオイゲン・オットの親しい友人としてドイツ大使館に部屋を持っていたほどだった。

ゾルゲがどうやって情報を収集したかなどの事情はドキュメンタリーに詳しく紹介されており、ゾルゲの「獄中記」にも書かれている。

ゾルゲ事件獄中記 (1975年)
著者:川合 貞吉
新人物往来社(1975)
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バツグンのゾルゲの分析力

この本ではゾルゲの日本発の情勢分析レポートのいくつかを紹介している。

たとえばノモンンハン事件(1939年5〜8月)が起こる前に、日本は中国と戦争をしているので、南方に展開してイギリスと戦争することはあっても、ソ連までも加えた両面戦争はできないと分析し、しかし関東軍が独立性を高めているので、大規模な軍事衝突の可能性はいつでもあると正確な分析をソ連に提供している。

ゾルゲが日本の国力の限界を正確に把握していることには驚く。


ドイツのソ連攻撃も事前察知

独ソ不可侵条約をヒットラーが結んだ9日後の1939年9月1日に、ポーランドに攻め込み第2次世界大戦がはじまった。

スターリンはじめソ連首脳はヒットラーが両面作戦の愚を犯さないとタカをくくっていたが、ゾルゲはドイツの「バルバロッサ作戦」をつかんで、1940年末からモスクワに注意を喚起していた。しかし、その情報を信じないソ連首脳部にゾルゲのトップスクープは無視された。

このあたりの理由はこの本では紹介されていないが、ゾルゲ事件を詳しく取り上げた元GHQ戦史室長のゴードン・プランゲ博士の三部作の一つ「ゾルゲ・東京を狙え」によると、無線係が手を抜いてゾルゲの原稿を勝手に割愛していたので、モスクワにドイツ軍の集結状況などの情報が正確に伝わっていなかったことを紹介している。

ゾルゲ・東京を狙え〈上〉ゾルゲ・東京を狙え〈上〉
著者:ゴードン・W. プランゲ
原書房(2005-04)
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この本ではドイツのフライブルクの連邦軍事資料館に保存されている1940年12月18日付け「バルバロッサ作戦」の命令書現物を紹介している。さすがNHKと思わせる広範な取材と、フットワークの軽さである。

ドイツがソ連に攻め込む1941年6月22日の前にも、5月ころからゾルゲはドイツが対ソビエト攻撃に130個師団を準備しているという情報をタイに赴任途中の友人のドイツ駐在武官から入手して、さかんにモスクワに無線で連絡するが、ゾルゲの報告を信じないモスクワではゾルゲの忠告は無視された。

ゾルゲはドイツ人の血を引いていたので、スターリンはゾルゲを二重スパイではないかという疑惑を持っていたことも理由の一つとして挙げられている。


スターリンは日本の対ソ参戦を懸念

その後ゾルゲの情報が正確であったことを知ったモスクワは、今度は独ソ戦開戦により今度は日本がソ連を攻撃しないかどうかが最大の関心事となった。

関東軍は1941年7月に85万人を動員する大規模な演習(関特演)を行ったが、当時ソ連は独ソ戦に兵力の大半を注入し、極東の軍備は手薄だった。

この点に関するゾルゲの「問題外」という報告がモスクワを安心させ、ソ連は20個師団を西に移動して独ソ戦に投入することができ、独ソ戦に勝利することができた。


ゾルゲ逮捕

ゾルゲ一味逮捕のきっかけは、日本共産党の伊藤律が逮捕され、アメリカ共産党員だった北林ともの名前を自白、そのルートからやはりアメリカ共産党員だった宮城与徳が逮捕された。

宮城与徳は取調室の窓から飛び降り自殺を図ったが失敗し、それから宮城はスパイ活動の一切を自白し、ゾルゲ・尾崎の一味が芋づる式に逮捕されたのだ。


ゾルゲの予言

ゾルゲは死刑判決を受けるとは思っておらず、取調官に「いま戦争に勝った、勝ったといっているけど、英米は強い。いずれ日本は困難な状況になる。そうなると日本は講和しなければならないが、講和条約を橋渡しするのはソ連以外にない。だからその時は俺は日本のために働く」と言っていたという。

これはまさに「夢顔さんによろしく」で紹介した近衛文隆が、ゾルゲが処刑されたことを知らずに、てっきりソ連に生還したと思ってゾルゲにシベリア抑留からの解放を期待していたストーリーとつながる。

夢顔さんによろしく (上) 最後の貴公子・近衛文隆の生涯 (夢顔さんによろしく) (集英社文庫)夢顔さんによろしく (上) 最後の貴公子・近衛文隆の生涯 (夢顔さんによろしく) (集英社文庫)
著者:西木 正明
集英社(2009-12-16)
販売元:Amazon.co.jp
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日本政府はソ連にゾルゲを送還することを提案したが、スターリンは無視した。ゾルゲと尾崎は1943年に死刑判決を受け、1944年に死刑が執行されている。

スターリン死後10年たち、フルシチョフ時代にゾルゲは国家英雄として復活した。フルシチョフがフランスでつくられたゾルゲを主人公とした娯楽映画を見て、これこそ祖国の英雄であるとゾルゲに対する再調査を命じたからだという。

NHKの上記のYouTubeの10/10のビデオでは、モスクワの赤軍博物館にゾルゲの功績がたたえられていることが紹介されている。

モスクワにはゾルゲ通りもあるそうで、そこにはコートを着て壁を突き抜けて出てきたようなゾルゲ像が飾られている。

ゾルゲ像





出典:本書256ページ


さすがNHKと思わせる、よくまとまった一見の価値があるドキュメンタリーである。参考になった上に、大変面白かった。

YouTubeの映像をパソコンで見るのは疲れるので、筆者はパソコンをテレビにHDMIケーブルでつなぎ、テレビで見た。まずはYouTubeの映像を見て、興味がわけば、図書館で借りるか、アマゾンで中古品を買って読んでみることをおすすめする。


1990−1995年ころNHKでは第2次世界大戦について多くのドキュメンタリー番組を制作しており、本にもなっている。このシリーズの「張学良の昭和史最後の証言」も大変参考になったので、いずれ紹介する。

張学良の昭和史最後の証言 (角川文庫)張学良の昭和史最後の証言 (角川文庫)
角川書店(1995-05)
販売元:Amazon.co.jp
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Posted by yaori at 13:04Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!歴史 | ノンフィクション

2012年01月20日

Yahoo!創業者 Jerry Yang Yahoo!退社 Yahoo!創業時の様子

Yahoo!の創業者Jerry YangがYahoo!から退社した。

最近は"Chief Yahoo!"というタイトルだったJerryだが、Yahoo!をめぐる買収の話が高まるにつけ、現経営陣との意見の調整がつかなかったようだ。

Yahoo!創業時の様子を、筆者の友人の米国のアナリスト・ベンチャー投資家のSteve Harmonが自身のウェブサイトで公開しているので、紹介しておく。

Yahoo!創業時の様子を伝えるSteveのサイト:

SteveHarmon







初期のYahoo!の画面:

First Yahoo!







出典:いずれもsteveharmon.com

ビル・ゲイツは慈善活動に専念。今度伝記を紹介するスティーブ・ジョッブスは亡くなり、現役でバリバリはアマゾンのジェフ・ベソスくらいか。

一つの時代が終わったという感じだ。


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Posted by yaori at 12:59Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!インターネット | ビジネス

2012年01月13日

MI4 ゴースト・プロトコル 文句なく楽しめる娯楽大作 

正月休みに MI4ゴースト・プロトコルを見た。昔の007シリーズのように、アクションシーンの連続で、最高に楽しめる娯楽大作だ。



MI(ミッション・インポッシブル)は昔「スパイ大作戦」というタイトルでテレビ放映された人気ドラマのリメークというか、発展版だ。なつかしい映像がYouTubeに収録されている。



MI4の中には昔のMIの定番の変装シーンもあるが、全編にわたって強烈なアクションシーンの連続で、まさに息をつく暇もないという感じだ。

若干勢いは落ちたが、一時のドバイ経済の発展を反映して、今回はドバイの世界で最も高いホテルで130階のサーバー室に潜入するというアクションシーンをトム・クルーズが演じている。

そのメイキング映像も予告編として公開されている。



またBRICS経済の伸びを反映して、今回はボリウッドとの共演ということで、インドでのロケや、インドの有名俳優も出演しているのも特徴の一つだ。

このブログで紹介した「スラムドッグ★ミリオネア」にクセのある司会者役で出演していたボリウッドの大スター アニール・カプールがインドの富豪役で登場している。



映画のあらすじは、いつも通り詳しくは紹介しない。文句なく楽しめる映画で、時間を忘れてしまうとだけ言っておく。

一見の価値がある娯楽大作である。


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Posted by yaori at 07:54Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!趣味・生活に役立つ情報 | 映画

2012年01月08日

采配 監督・落合博満が初めて明かした采配の秘密

+++今回のあらすじは長いです+++

采配采配
著者:落合博満
ダイヤモンド社(2011-11-17)
販売元:Amazon.co.jp
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落合博満前中日監督が2011年の日本シリーズ中に出版した本。この本は監督・落合博満が書いた最初の本で、現在アマゾンで売り上げランキング20位前後と、ベストセラーになっている。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。

落合は参考になる本を何冊も出しているので、このブログでも紹介しているが、中日の監督に就任してからは本は一切出していない。レポーターが書いた「落合戦記」という本はあるが、これは落合が書いた本ではない。

落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」
著者:横尾 弘一
ダイヤモンド社(2004-11)
販売元:Amazon.co.jp
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「落合戦記」は絶版になっており、中古本がプレミアム付きで売られている。このブログで紹介した「超野球学1・2」も、いずれも中古本がプレミアムがついている。
落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2003-05)
販売元:Amazon.co.jp
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落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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落合は監督退任表明後、いくつものテレビ番組の取材に応じているので、YouTubeに次の対談など、いくつかアップされている。それぞれ面白いので、時間があればチェックしてみてほしい。




勝つための66の言葉

この本では落合が勝つための66の言葉として、次の6章にわけて述べている。

1章 「自分で育つ人」になる
2章 勝つということ
3章 どうやって才能を育て、伸ばすのか
4章 本物のリーダーとは
5章 常勝チームの作り方
6章 次世代リーダーの見つけ方、育て方

アマゾンの「なか見!”検索」に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。それぞれの章に10前後の言葉があり、大体の感じがわかると思う。


「オレ流」はない

落合の采配はマスコミに「オレ流」とレッテルを貼られているが、この本で「オレ流はない。すべては堂々たる模倣である。」と語っている。

自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術であり、模倣は一流選手になるための第一歩だ。ピアニストも画家も同じ。大事なのは誰が最初に行ったかではなく、誰がその方法で成功を収めたかだ。

「オレ流」として、いままで議論を読んできた落合采配の「謎」をこの本で自ら解説していて、大変面白い。そのいくつかを紹介しておこう。


補強なしに現有戦力で優勝する

落合采配の最初の謎は中日の監督に就任した時に、「誰一人クビにしない。目立つ補強もせず、現有戦力を10〜15%アップさせて優勝する」と宣言したことだ。巨人などのカネにまかせて他球団のエースや4番打者ばかり集めてくるチームには、イヤミに聞こえる発言だろう。

これを落合が実行した理由は、最初に部下に方法論を示し、「やればできるんだ」という自信をつけさせるためだという。

「あの人の言う通りにやれば、できる確率は高くなる」と、上司の方法論を受け入れるようになれば、組織の歯車は目指す方向にしっかりと回っていく。そして有言実行で就任一年目でリーグ優勝した。

しかし、2004年のシーズンが終わった後、18人の選手がドラゴンズのユニフォームを脱いだ。積極的な補強をしなければ、2005年は戦えないと判断したからだ。

ドラゴンズのユニフォームを脱ぐ選手には、ドラゴンズでは競争に負けたが、ほかの球団では通用する実力をつけさせたいと落合は語る。事実、2005年戦力外通告を受けた鉄平は楽天に行って、パリーグの首位打者になった。ドラゴンズの厳しい練習が間違っていなかった証拠だと落合は語る。


2月1日紅白戦の謎

「2月1日に紅白戦をやる。春のキャンプでは初めから1軍も2軍もない。キャンプの間に見させてもらう」、「全員一からポジションを争ってもらいます」というのは、敵を欺くにはまず味方を欺けという戦法だ。

2001年に発刊した「コーチング」の中で、落合はコーチングの基本を「教えない。ただ見ているだけでいい」と定義した。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
販売元:Amazon.co.jp
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実際に監督になって、「見ているだけのコーチング」が基本となることは確認できたが、それと同時に「最低限、教えておかなければならないこと」があることに気づいたという。それは、「自分を大成させてくれるのは自分しかいない」ということであり、選手の自覚を促す方法が2月1日の紅白戦だった。

プロ野球選手の契約では12月1日から1月31日までの2か月はポスト・シーズンと呼ばれ、球団に拘束されない期間だ。監督やコーチが練習させたくとも、できない。

「2月1日の紅白戦」という監督のメッセージを受け止め、選手は考える。「自分自身で自分の野球を考える」習慣を植え付け、それができる選手がレギュラーの座を手にするのだ。

落合が2月1日紅白戦と宣言したことで、メディアや評論家がキャンプを訪れ、高齢でめったに現場に足を運ぶことはないと言われていた川上哲治さんをはじめ、広岡達郎さん、関根潤三さんなどの監督経験者も2時間以上続くノック練習を楽しそうに見ていたという。落合も1999年から5年間の評論家時代は12球団のキャンプ地すべてに足を運んだ。「プロだからこそ見なければわからない」のだと。

なかにはキャンプを見もしないで「初日から紅白戦なんて意味がない」と批判する評論家もいた。2004年、中日がリーグ優勝したことで、足を運んだ評論家の多くは「厳しい練習が実を結んだ」と評価し、足を運ばなかった評論家はだまっているしかなかったという


6勤・1休の厳しい練習

他の球団は4勤・1休が多いだろうが、中日のキャンプは6勤・1休だ。それだけで中日のキャンプの厳しさがわかる。しかし、6勤・1休は昔はどの球団でも同じだったという。「オレ流」ではないのだと。

落合は「休みたければユニフォームを脱げばいい。誰にも文句を言われずにゆっくり休めるぞ」と言う。「一年でも長くユニフォームを着ていたいのなら、休むということは考えちゃいけないよ。」というのが本音のメッセージだ。

不安だから練習する。練習するから成長する。「心技体」ではなく、体をつくる練習が先に来る「体技心」だと。これが成長のサイクルだ。

春季キャンプでは、全体練習を終えた後、落合自身がサブ・グラウンドでノックして守備練習する。守備練習は強制ではなく、ノックを受けたいと思った選手がコーチに申告し、落合がノッカーに指名される。1,2時間は当たり前、どちらがギブアップするかまで続けられる。

「これ以上続けたら体が壊れてしまうと感じたら、グラブを外してグラウンドに置く」ということだけがルールだ。

落合の中日監督時代に生え抜きからレギュラーになったのは森野将彦ただ一人だ。その森野は「終わる時間は自分で決めなさい」と言うと、いつも最後までグラウンドにいたという。

ノックでも、落合がもう限界なのではないかと思ったが、グラブを外さないので、続けたら、突然バタッと倒れて救急車を呼びそうになったことがあるという。グラブを外したくとも手が腫れ上がって外れなかったのだと。

そうまでにして自分の限界まで追い込んでポジションを奪い取った。だから「自分から練習に打ち込んでいる間は、オーバーワークだと感じても絶対にストップをかけるな」というのが落合のルールだ。

コーチにも「どんなに遅くなっても、選手より先に帰るなよ。最後まで選手を見てやれよ」と言っていたという。選手の指導については次の2点を徹底してきた。

1.絶対に押し付けてはならない
2.鉄拳制裁の禁止

厳しい競争は自然にチームを活性化させる。だから選手たちが自己成長できるような環境を整え、そのプロセスをしっかり見ていることが指導者の役割なのだ。


3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手に

落合が監督に就任した2004年のシーズンでは、沢村賞投手ながら、ヤクルトから移籍して肩を痛め、3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手として登板させた。落合は投手起用については森繁和コーチに全面的に任せており、これが落合が先発投手を決めた唯一のケースだという。

川崎ほどの実績のある投手が故障で宝の持ち腐れとなっていたので、本人の復帰を後押しするつもりで、開幕投手に指名し、具体的目標を与えたのだ。

川崎は2回で5失点してマウンドを降りたが、ドラゴンズ打線はコツコツ反撃して、最後は8対6で広島に勝った。

復帰を目指して川崎が必死で努力する姿をチーム全員が見て、川崎に勝たせようと全員が動くことでチームとはどういうものなのかを実感させた。大きなリスクを覚悟した落合の監督として最初の采配は成功だったのではないかと。

川崎はこの年もう一試合先発登板したが、ワンアウトも取れず4失点で降板し、その年に現役を引退した。しかし新監督がチームとしてのまとまりをつくる方法としては、落合のいうように成功だったと言えると思う。


2007年日本シリーズ第5戦の「山井の幻の完全試合」

落合の采配で最も議論を読んだのが、2007年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、8回まで完全試合を続けていた山井を9回に岩瀬に交代させた采配だ。



落合は自分の采配を正しかったか、間違っていたかという物差しで考えたことはないという。「あの時点で最善といえる判断をしたか」が唯一の尺度だ。

落合・中日の日本シリーズの成績は2004年対西武3勝4敗、2006年対日本ハム1勝4敗だった、2007年はリーグ優勝できなかったが、クライマックスシリーズで勝ち上がり、またもや日本ハムとの日本シリーズとなった。

なんとしても勝ちたい中日は3勝1敗で名古屋で第5戦を迎えた。山井は完全試合を続けていたが、4回から右手のマメが破れ血が噴き出していた。8回で1:0でリードしていて、9回の守りをどうするか考えているときに、森繁和コーチが「山井がもう投げられないと言っています」と言いに来た。

落合は即座に「岩瀬で行こう」と決断した。岩瀬はプレッシャーのかかるなかで、3者凡退に打ち取り、ドラゴンズは53年ぶりに日本一になった。

落合も山井の完全試合を見たかったが、その時点でのリードは1点しかなく、監督としてはどうしても53年ぶりにドラゴンズを優勝させたかった。この采配は53年ぶりの優勝という重い扉を開くための最善の策だったという。

ドラゴンズが日本一になったという事実だけが残る。その瞬間に最善と思える決断をするしかない。それがブレてはいけないのだと。


「勝利の方程式」よりも「勝負の方程式」

この本で落合は、「負けない努力が勝ちにつながる」と語っている。これが落合野球の真髄だと思う。落合は投手力を中心とした守りの安定感で勝利を目指す戦いを続けてきた。監督が投手出身か打者出身かは関係ない。これが勝つための選択なのだと。

試合は「1点を守り抜くか、相手をゼロにすれば負けない」。そしてチームスポーツでは「仕事をした」と言えるのは、チームが勝った時だけである。たとえ10点失っても勝った投手は仕事をしている。0対1で完投負けした投手は、厳しいようだが、仕事をしていないのだ。

勝利をひきよせるための手順=「勝負の方程式」はあるが、こうすれば絶対に勝てるという「勝利の方程式」はない。

落合は現役時代に「勝負の方程式」という本を書いている。

勝負の方程式勝負の方程式
著者:落合 博満
小学館(1994-06)
販売元:Amazon.co.jp
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「こうすれば相手は嫌がる」、「こんな取り組みをして失敗した」という様に勝負を少しでも優位に戦うための原則論をまとめたものだという。

ドラゴンズでは勝ち試合は8回に浅尾、9回に岩瀬を送って白星をつかむケースが多いので「勝利の方程式」と呼ばれている。

岩瀬の代わりに浅尾をストッパーに起用すると、「岩瀬に何かあったのか」とか「ストッパーを岩瀬から浅尾に代えるのか」と騒ぎ立てられるが、落合はあくまで勝利に近づくための最善策としかとらえておらず、岩瀬や浅尾に対する信頼感とは別次元の問題だという。

この本で落合は「岩瀬を出せば勝てる」と思ったことは一度もないと語る。勝負には何があるかわからない。だから岩瀬が打たれて負けた試合の落合のコメントは、「岩瀬で負けたら仕方がない。岩瀬だって打たれることはある」というものだ。

これに対して「勝利の方程式」を信じている監督は「まさか、あの場面で岩瀬が打たれるとは…」と言うだろう。

落合は日本一を目指して戦うなら「まさか」で黒星を喫したくない。勝負に絶対はないが、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見えるのだと。


なぜ落合は2009年WBCの監督就任要請を断ったか

落合は2009年WBC監督就任要請を断り、原辰徳監督が監督に就任するとドラゴンズの選手が全員代表入りを辞退したことが大きな批判を浴びた。

落合は中日ドラゴンズと契約しており、その契約には「チームを優勝させるために全力を尽くす」という条項がある。3月はペナントレース前のオープン戦の時期で、そんな時期に「契約している仕事」を勝手に放りだすわけにはいかないのだ。

現役監督に全日本の監督を任せたいのであれば、日本野球機構とオーナー会が決めて、中日のオーナーから落合が命令を受ければ、断る理由はない。筋を通せばよいのだ。しかし日本の社会には「国のため」とかいう大義名分があると、契約をあいまいにして物事を決めようとする悪い部分があるという。

ましてや出場を辞退した選手に理由を明かさせるのは大問題だ。選手は球団と契約している個人事業主であり、選手のコンディションは「企業秘密」なのだ。

プロ野球は契約社会でありながら、肝心な場面で契約が二の次に考えられることに落合は違和感を覚えるという。「自分はどこと契約しているのか」、「自分の仕事はなんなのか」を優先しなければならない。

この本で明かしているが、岩瀬は2004年と2008年のオリンピックに自ら参加した。しかし、北京オリンピックでメダルを逃して帰国すると脅迫電話やヤジに悩まされ、「もう国際大会は勘弁してください」と言ってきたという。監督として「日の丸を背負えるのだから行って来い」とは口が裂けても言えないのだと。

大変参考になる本だが、詳しく紹介しているとあらすじが長くなりすぎるので、要点を、1.落合流強いチームの作り方、2.落合の企業秘密、3.落合の指導法に整理して簡単に紹介しておく。


1.落合流強いチームの作り方

★任せるところは1ミリも残さず任せきる/人脈や派閥のような感覚でコーチを起用しない
落合が先発投手を自分で決めたのは、上記の川崎憲次郎の開幕投手だけだった。それ以外はすべて森繁和コーチが決めた。森コーチの采配にすべての責任を負うのが監督の仕事だという。

現役時代に仕えた監督を見てきて「なんでも自分でやらなければならない監督ほど失敗する」と感じていたという。だから投手に関することは森コーチに任せられると思うと、全面的に任せ、落合自身は先発投手が誰になるのかも直前まで知らなかったという。

森コーチは駒澤大学のエースとして活躍し、社会人の住友金属経由、西武に入団。黄金時代の西武でプレーして、現役引退後もすぐにコーチとなり、西武、日本ハム、横浜で投手コーチを務め、一年たりともユニフォームを脱いだ年がなかった。現場が必要としている人材なのだ。

そうはいっても落合と森コーチの接点は、アマチュア時代の世界選手権でチームメートになったくらいで、決して親しい仲間だったわけではない。

野球の世界に限らず、一般社会でも気心しれたヤツだけを自分の周りに置きたがる人がいる。落合は名前は出していないが、典型的な例が北京オリンピックの星野ジャパンの星野・山本浩二・田淵幸一トリオだろう。

落合は仕事は一枚の絵を描くようなものだと言う。自分の持っている色だけではなく、自分とは違う色を持っている人を使う勇気が絵の完成度を高めてくれると語る。


★「いつもと違う」にどれだけ気づけるか
さすが落合と思わせるのがこのポイントだ。2010年4月の名古屋ドームの試合で落合は試合が始まってすぐ主審が体調を崩していることに気づいた。タイムをかけて、主審に声をかけたが、大丈夫というので続けると、次の回で立っていられなくなり、予備審判と交代した。

「監督、よくそんなところまで見ていましたね」と言われたという。

落合はいつもダグアウトの同じ場所に腰掛け。試合の流れを追いながら、視野に飛び込んでくる様々な光景について次のようなことをあれこれ考えている。

「試合の流れが、この間の対戦に似ている。こういう守り方で逃げ切れるかな」

「向こうのベンチの雰囲気が暗い。首脳陣が何か余計なことを言ったんじゃないか」

「三塁手が足をかばいながら動いている。あれはどこか痛めているな」…。

監督の仕事は勝利に結びつく采配をすることで、その際に大事なのはグラウンドの中にある情報をどれだけ感じ取れるかどうかだ。

固定概念を取り除き、普段と違うんじゃないかと感じることができれば、頭がその理由を探ろうと動き出す。落合の長年の勝負師としてのカンが生きている発言である。


★なぜ2009年、2010年と荒木・井端のポジションを変えたのか

落合は12球団で最も安定していた荒木・井端の二遊間コンビを入れ替えた。レギュラークラスの選手から「慣れによる停滞」を取り除かなければならないという考えを二人に話して、「挑戦したい」という意思を確認してうえで、コンバートに踏み切ったのだと。

ドラゴンズの2−3年後を考えると、井端の後釜に据えられる選手が見当たらない。井端の後釜に荒木を据えて2,3年後も安泰にしておきたいという事情があったのだという。

荒木・井端自身もマンネリがあったことを認めている。落合らしい「よく見ている」一例だと思う。


★できる・できない両方がわかるリーダーになれ
落合の真骨頂がこれだ。「毎シーズンAクラスのチームを作ることができた要因は何ですか」と問われたら、落合は「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」とはっきり答えるという。

監督には「名選手、名監督ならず」で、できない選手の気持ちがわからない人がいる。その一方で、現役時代は実績を残せなかったが、早くして指導者になり、コツコツと経験を重ねて、2軍監督やコーチを経験して「できない選手」の気持ちがよく理解できるので、若い選手を育て上げる手腕にたけている人もいる。しかしこのタイプの監督は「できる人の思い」が理解できず、スター選手と無用な衝突を起こしたり、ベテランから若手に切り替えるタイミングを間違うことがある。

落合自身プロに入ったのは「もうけもの」と考え、プロになればすぐクビになっても「元プロ野球選手」になれるので、残った契約金で飲食店でもやろうと考えていたという。「できない人の気持ち」は若いころの自分の気持ちそのものだと。

落合のようにプロに入った時はあまり期待されていなかったが、あとで超一流選手になったという経歴のある監督は、川上哲治さん、野村克也さんがいる。

しかし二人とも野球から一歩も離れず、ずっと真剣に取り組んできたという点で落合とは大きな差があると思う。鉄拳制裁になじめず、秋田工業高校では野球部の入部退部を繰り返し、東洋大学野球部ではケガもあって退部し、大学も中退して、故郷に帰ってプロボウラーを目指していたというキャリアの監督は落合くらいだろう。

川上さん、野村さんの二人とも名監督だが、落合くらい選手の気持ちがわかる監督もいないだろうと思う。


★連戦連勝を目指すより、どこにチャンスを残して負けるか
長嶋監督はファンを愛する人で、試合を見てくれるファンがいるかぎり毎試合勝とうとした。落合は今日は負けても、翌日に戦う力、勝てるチャンスを残すべきではないかという考えだ。

「1敗は1敗でしかない」と割り切ることも大切だ。

いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をする。負けが続いた時でも、その理由を分析し、次の勝ちにつなげられるような負け方を模索する。

組織を預かる者の真価は、0対10の大敗を喫した次の戦いに問われるのだと。


「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」
この本、いや落合野球で一番の問題はここだと思う。

「最大のファンサービスは、あくまで試合に勝つことなのだという信念が揺らいでしまったら、チームを指揮する資格はない。」と落合は語る。

そこで、「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」という言葉が来る。

たしかに球場に来るファンはひいきチームが勝つことが最大の喜びだ。しかし球場まで行くことはめったにないが、ひいきチームはあるという人が圧倒的多数だろう。

野村さんはこのブログで紹介した「あぁ、監督」という本で、落合のサービス精神の欠如について、次のように語っている。

「どうも落合は勘違いしているのではないか。彼はグラウンドで結果を出せばいいと考えているようだが、それだけではプロ野球の監督として失格なのだ。いくら強くても、実際にファンが球場に足を運んでくれなければ、商売は成り立たないのである。

誰のおかげで自分が存在できるのか。ファンあってのプロ野球ということをいま一度考えてもらいたいのである。」

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)あぁ、監督 ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川グループパブリッシング(2009-02-10)
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球場に行ったこともないが、ひいきチームはあるという、いわばサイレントマジョリティのファン、そしてひいきではないが興味はあるので、一度はプレーを見てみたいというファン、そういった人を球場に来てもらえるだけの魅力と話題性を提供するのが本当の一流監督ではないのか?

別に落合がコメディアンになる必要はない。ただ玄人好みでなく、素人好みの路線がプロ野球には必要とされていると思う。その典型が今度横浜の監督に就任する中畑清監督だと思う。

中畑監督はこの本で落合が排しているお友達内閣を組織しつつある様に思える。たぶん横浜は今季もダメだろう。

しかしスポンサーのDNAは別に強い横浜が欲しいわけではない。社名のDNAが広く知れ渡るような話題性のある広告塔が欲しいのだ。最下位でも注目度が上がればそれでよいのだ。

だから今のところ力の衰えが目立つラミちゃん以外は目立った補強をしていない。筆者は、もう付き合えないので、今年限り郷土の球団の横浜ファンから「引退」するが、DNAのやり方はこれはこれでアリだと思う。

筆者は正直、落合が日本で再度監督をやるかどうかはわからないと思っている。野球がオリンピック・スポーツとして復活したら、中国が落合を監督にリクルートする可能性は高いのではないかと思う。

幅広いファンとの折り合い、そしてマスコミの使い方、これが次に落合が日本で監督をやる際には落合が飛躍するための課題となるだろう。


2.落合の企業秘密

落合が45歳まで現役でプレーできた理由で最も大きかったのは、対戦相手が落合という選手の考え方を分析できなかったからだ。野球はメンタルなスポーツという典型例である。

落合の打撃の特徴は、「外角のボールをライトスタンドに放り込んでしまう」ことだと言われてきたが、実は落合自身はその記憶はない。

実際には内角寄りのボールを力負けせずに、押し込むようにライトスタンドに運ぶ技術を持っていたのだが、元プロのスコアラーには内角のボールをライトスタンドまで運べるはずがないとして、コースを真ん中よりに記録してしまう。そんなプロの盲点の積み重ねが「外角球をライトスタンドに放り込む男」という評価なのである。

実際外角のボールに3三振することもあったのに、ライトへのホームランが多いということだけで、「落合は外角に強い」と誤解されてきたから45歳までプレーできたのだと。

これは落合の「企業秘密」だったから、引退するまで決して口外しなかった。これがプロの戦術なのだ。監督となれば、対外的なことだけではなく、自軍のコーチや選手にも読まれてはいけない部分もある。

監督は何をやろうとしているのかをコーチに読まれると、監督にすり寄って、選手を見ないコーチが生まれる。コーチの見るべき方向は監督の顔色ではなく、選手なのだ。


落合は今季中日のユニフォームを脱いだが、プロ野球の監督は引き継ぎは一切しない。しかし、引き継ぎはしないが、次の監督が困らないチームにしておく、それが監督としてやらなければならない仕事なのだと。

最後に落合は「仕事で目立つ成果を上げようとすることと、人生を幸せにいきていこうとすることは、全く別物と考えているのだと語る。一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないかと。

一杯の白飯と穏やかな時間。その中で生きていこうとしているのが、落合博満の「人生の采配」なのだと結んでいる。

大変参考になる本だったので、あらすじも長くなりすぎた。「若手諸君、成長したけりゃ結婚しよう」などの落合の指導法については、つづきを読むに載せたので、興味があれば見ていただきたい。

冒頭で紹介したとおり、筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。一読の価値はあると思う。


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Posted by yaori at 00:42Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!スポーツ | 落合博満

2012年01月01日

野球人 落合博満が現役引退後すぐに書いた本

野球人野球人
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(1998-12)
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近々あらすじを紹介する落合の最新刊「采配」を読むにあたり、落合の書いた他の本も読んでみた。この本は1998年12月の発刊。落合が現役を引退したのが1998年10月だから、現役を引退してすぐに書いた本だ。

落合が長嶋巨人軍終身名誉監督に憧れて野球を始めたことは有名だ。この本では長嶋さんに対する敬意と感謝の念、王貞治さんへの尊敬が感じられる。


落合の現役時代

落合は昭和28年12月・秋田県生まれ。筆者と同学年で、同じ学年には梨田がいる。秋田工業高校を卒業後、東洋大学に入学したが、下級生を鉄拳制裁する野球部の体質に嫌気がさして野球部を退部。大学も中退して、秋田に帰ってボウリングのプロボーラーを目指していたが、社会人野球の東芝府中にさそわれて入社する。

東芝府中はあまり強いチームではなかったが、それでも都市対抗野球3回出場、アマ全日本代表で活躍し、1979年ロッテにドラフト第3位で指名される。

プロに入って1年目、2年目はたいした活躍ができなかったが、3年目にパリーグの首位打者となり、それ以降首位打者争いの常連となり、1982年、1985−6年と3度、三冠王を獲得する。

1987年にロッテが稲尾監督を解任し、嫌気がさしていたところ、星野監督が落合をどうしても欲しいと言いだし、1対4のトレードで中日に移籍。中日で7年間プレーした後、長嶋監督が周囲の反対を押し切って落合を獲得、3年間巨人の4番としてプレーする。巨人の最初の年こそ3割を割ったが、そのあとの2年間は打率は3割を超えていた。

長嶋監督からは、「数字的な成績はいいに越したことはないが、あまり気にしていない。それよりも、巨人の選手たちに戦う姿勢を植え付けてくれ」と言われたという。

この言葉ではじめて「自分の成績はどうでもよい。チームの勝利が第一です」という言葉がはじめて本心から言えるようになったのだと。

落合が巨人に移籍してきた1994年は落合自身はケガに悩まされたシーズンだったが、優勝を決める試合でホームランを打って、渡辺恒雄オーナーは「あのホームランは一本で何億円という価値があった。やはり落合君を獲得したことは正解だった」とコメントしていたという。

西武から清原が移籍してきて、落合か清原かで長嶋監督が悩む顔を見たくないとして、自ら日本ハムに移籍した。2年間プレーして1998年のシーズン限りで引退した。

この本の末尾に落合の現役時代の記録が載っている。

落合記録






出典:本書260ページ

日本ハムを引退したのは、落合の起用法について首脳陣と野球観の違いに苦しんだためだと語る。そして選手としてユニフォームを脱ぐことになるが、いずれまたユニフォームを着ることがあると思うので、「野球人 落合」は引退しないと宣言している。


落合十番勝負

この本では「落合十番勝負」ということで、転機となった勝負を紹介している。そのいくつかを紹介しておく。

十番勝負その1.一流の道は、小さなチャンスから始まる

落合がロッテに入団して1年目に、アッパースイングを酷評され、ロッテの山内監督から指導を受けた。ところが落合は「自分の思い通りにやって打てなかったらクビで結構ですから、俺のことは放っておいてください」とタンカを切って、山内監督の指導を断ってしまった。

そもそもプロ野球に入った時の目標は3年間はユニフォームを着ることだったので、フォームを変えてゼロからやり直す時間はないという切迫感からの言葉だったのだろう。

2軍でくすぶっている落合の転機となったのは、2年目のキャンプで先輩の手首の使い方を真似たことと、イースタンリーグの試合で、2軍で調整していた佐藤道郎投手のキレのある球をホームランにしたことだったという。

筆者も記憶にあるが、落合は「神主打法」といわれた体の前にバットを構える独特のフォームで、右にでも左にでも打ち分けられる、やわらかい手首の使いかたが印象的だった。

落合の現役時代のことを知っている人も少なくなってきているので、YouTubeの落合の現役時代のホームラン映像を紹介しておく。



一流投手と対戦したいという気持ちがモチベーションとなり、それ以来5試合連続ホームラン、一軍に昇格してすぐに鈴木啓示から代打ホームランを打って一軍に定着した。

落合の原点はこの佐藤道郎さんからのホームランなのだと。


10番勝負その2.タイトルや格は選手を育てる。

落合は1981年の3年目のシーズンは一軍スタートで、セカンドのポジションを狙って必死に練習し、試合でも4打席で1フォアボール、3打数1安打を目安に、安打を積み重ね、石毛、島田との競争に勝って首位打者のタイトルを獲得した。

阪急の山田久志からは一本もヒットを打てていなかったが、ロッテが前半戦に優勝し、オールスターに選ばれ、パリーグの4番として起用された勢いもあって、後半戦は山田久志から連続してヒットを打ち、首位打者に躍り出た。

山田久志のシンカーを下からすくうように打つのをやめて、上からたたくよう打ったら打てるようになったという。

ちなみにこの年の落合の年俸は540万円。ラーメンライスばかり食べていたので、心身ともに疲れがピークとなり、一時は打率を落としたが、ライバルも打率を落とし、最初の首位打者のタイトルを獲得した。

タイトルや格は選手を育てるのだと。


10番勝負その3.三冠王とトレードが、プロでの生き方を決めた

1986年はプロ野球選手としての評価は年俸で示してもらうことを決意した重要なシーズンだったという。

落合の年俸は次の通りだ。(カッコ内は前年の成績)

1981年          540万円
1982年(首位打者)  1,500万円
1983年(三冠王)   5,400万円
1984年        5,900万円
1985年(タイトルなし)5,900万円
1986年(三冠王)   9,700万円、
1987年(三冠王、中日移籍)1億3千万円(日本人初の1億円プレーヤー)

落合が三冠王を獲得できるという自信をつけたのは、ホームランを量産するコツをつかんだからだという。

落合がポール際に大きなフライを打つ場面をみたことがあるかと落合は問う。最近、横浜のGMに就任した元巨人の高田はポール際の大ファールで有名だったが、たしかに落合のポール際の大ファールはあまり記憶がない。実はレフトへはスライスボール、ライトへはフックボールを打つ打法を身につけたからホームランが増えたのだと。

いろいろな角度でバットを出す練習を繰り返し、このような打球になる角度を体に覚えさせた。野球には感性を磨くことも必要なのだと。

ホームランが量産できるようになったもう一つの理由は奥さんの何気ない言葉だったという。ブーマー、ソレイタ、門田などのホームランバッターはみんな太っている。「だからあなた太りなさいよ」と、毎回食べきれないほどの料理が出で、体重はすぐに75キロから80キロを超えたという。


10番勝負その4.たったひとつの結果が打撃を狂わせた

この告白が一番面白い。

3度目の三冠王となった1986年のポストシーズンではメジャー・リーグ選抜が来日し、落合が4番を打つ全日本と対戦した。

その第3戦で、21勝を挙げたデトロイト・タイガースのジャック・モリスと対戦し、ストレートをバットの真芯でとらえた打球は手ごたえも十分で、スタンド入りすると思ったが、フェンスの前で急に失速し、センターフライになってしまった。

メジャーは力対力の勝負なので、全力で打ち返すが、日本野球は10のうち5の力で打ち返す。力いっぱいスイングするより、無理のないスイングでボールをとらえた方がいい打球を飛ばせる可能性は高いからだ。

落合はメジャーとの試合で、完全にペースを崩され、それ以降10の力で打つようになってしまい、日米野球は2割6分、長打は2塁打1本だけという結果に終わった。

翌期から中日に移籍したが、これ以降の12年間は落合本来のバッティングを取り戻す戦いで、結局引退するまで取り戻すことはできなかったという。長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間で崩れてしまう。技術の奥深さと人間のもろさを感じたという。

やはり力みすぎるとプロでも結果は良くないのかもしれない。


10番勝負その6.試合の流れを読んで奇跡を起こす

評論家が「落合は打席の中での読みが鋭い」と解説しているのをよく聞いたが、落合は「ヨミ」は一度もしたことがない。そんな努力をする時間があれば、すべてバットを振ることのために割いてきたという。

こんなコースにこんな種類のボールが来たら、こう打てばよいということを体に覚えさせたのだ。9,000打席以上投手と向かい合ってきたなかで、次は間違いなくこのボールが来ると思ったことは一度もない。もしそんなことをしようとしていたら、幾度となく頭部を襲ってきたボールに当たって、野球人生はとっくに終わっていたはずだと。


10番勝負その10.節目の記録を本塁打で決める理由

落合が節目になる記録をホームランで決めたのは偶然ではなく、落合のバッティングはすべてホームランを狙っているからだと。

落合がすべての打席でホームランを狙っているというのは、スラッガーの使命のようなものだという。投手との戦いを熟知して、どんなボールでも確実に打ち返せるように精度を高め、少しでも捉えやすいボールを投げされるための構え、呼吸、間の取り方を研究してきた。

その結果ホームランにできるスイングのバリエーションを多く持つことができた。ホームランの打ち損ねがヒットになるというバッティングをするのだと。

プロ野球でスラッガーと呼ばれた人はほぼこの考え方で打席に入っていたと確信しているという。王貞治さんは「ヒットの延長がホームラン」と言っていたが、それは表現の違いだと思っているという。


落合の理想のチーム

最後に落合は「理想のチーム」ということで書いている。その項目だけ紹介しておくと。

・ファンにストレスを与えない野球をやる
 ちなみに長嶋さんの野球は試合を見に来るファンを大切にして、135試合すべて勝つという采配だったという。しかしこれでは選手、とくに投手のスタミナが持たないという。

・相手の嫌がる野球ができるチームにしたい

・1点を大事にする野球

・セオリーを大事にする野球ー外人以外は外角低めに投げる

・野手はできるだけ固定して戦う

・勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか

・ヘッドコーチはいらない

・1軍と2軍のコーチの役割はまったく異なるから2軍には優秀なコーチを置きたい

・4番には日本人の頼れる打者を据えて打線を組む

・捕手は固定する


今季リーグ優勝した中日が理想のチームにかなり近いと思う。しかし、リーグ優勝していながら中日と契約更新できなかったのは、上記の「勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか」の問題にうまく対処できなかったことが原因だと思う。

もっと言うと、落合監督の中日では人気が出ず、観客動員数も2008年をピークに年々落ちていたことから、球団側がもっと観客の呼べる監督に変えたがったのだと思う。

ネットで調べたら12球団の観客動員数のグラフを載せているブログがあったので、紹介しておく。

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出典:新プロ野球観客動員ランキング速報

いずれ落合はまたユニフォームを着ることになると思うが、(筆者が懸念しているのは、落合が中国のナショナルチームの監督にスカウトされることだ)。次も理想のチームをつくれるのか、今から楽しみである。


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2011年12月31日

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 「前のめり」で戦う銀行トップ

+++今回のあらすじは長いです+++

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録
著者:西川 善文
講談社(2011-10-14)
販売元:Amazon.co.jp
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住友銀行(現三井住友銀行)のトップとして君臨し、小泉元首相に推されて2006年に民営化された日本郵政の社長となった西川善文さんの回顧録。

西川さんは悪役とされることが多かった。だから筆者自身も、この本はあまり読む気がしなかったが、会社の知人から面白かったという話を聞いたので読んでみた。たしかに大変面白い、「経団連は無用の長物」などという発言もある。

西川さんも最後に書いているが、この本では大規模プロジェクトへの融資による日本産業への貢献とか、組織の飛躍的拡大をもたらした経営策の実践とか、大手銀行の頭取を務めた人なら必ずあるだろう華やいだ話題が少ない。そういうことがなかったのではなく、それを懐かしむほどのんびりした時代ではなかったのだと西川さんは語る。

アメリカでは政府の要職や有名企業トップを務めた人が、退任後すぐに回顧録を出す例は多い。たとえばGEのジャック・ウェルチの本などは、会社の上司や部下を実名で批判し、自分の功績を際立たせるような書きっぷりだ。

ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)ジャック・ウェルチ わが経営(上) (日経ビジネス人文庫)
著者:ジャック・ウェルチ
日本経済新聞社(2005-04-29)
販売元:Amazon.co.jp
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一方、西川さんがこの本で批判している上司・仲間は、一時「住友銀行の天皇」と呼ばれた磯田一郎さんだけで、会社再生や郵政合理化の実情を淡々と語っている。


「前のめり」の経営

西川さんは銀行役員時代から、記者会見などでスタッフの用意したメモに沿わないで発言したり、経営に関してトップダウンで決断したという。それを「西川の独断」などと批判する人もいるが、リーダーシップとは「直面する難題から逃げないこと」だと語る。遅滞なくスピード感を持って決断する。トップが逃げないから部下も逃げない。「前のめりで戦う」のだと。

坂本竜馬が死ぬ時も前のめりに死んだ?という話はあるが、「前のめり」という言葉をビジネスで使っている本は記憶にない。一般的にはコンサーバティブな金融機関のトップが「前のめり」で経営していたと語るのは、20社ほどあった都市銀行が3大グループに集約されるという激動の金融再編の時代に経営を任されたからだろう。

思えば、筆者が大学を卒業した1976年には、都市銀行は第一勧業銀行、三菱銀行、富士銀行、住友銀行、三井銀行、協和銀行、東京銀行、太陽神戸銀行、大和銀行、あさひ銀行、埼玉銀行、東海銀行、北海道拓殖銀行などがあり、長期信用銀行としては日本興業銀行、日本長期信用銀行(長銀)、日本不動産銀行などがあった。

これらがすべて消滅するか、現在の3大金融グループに再編された。筆者の友人には銀行に就職した人もいるが、コンタクトもなく、今どうしているのかわからない友人が多い。


西川さんの経歴

西川さんは1938年・奈良県生まれ。戦時中は米軍戦闘機の機銃掃射も経験したという。親類に東大を出て毎日新聞の記者となった人がいて、西川さんも新聞記者になることを夢見て東大受験を目指したが、受験直前に体調を崩し、結局大阪大学法学部に入学した。

新聞記者を目指していたが、友達のさそいで住友銀行の面接を受け、Tシャツ姿で行くと、「新聞記者などやめておきなさい」と言われ、人事部長だった磯田一郎さんの面接を受けた。京大ラグビー部出身の磯田さんは体もがっしりして迫力があり、大学時代はラグビーに明け暮れ、勉強などほとんどしていなかったという。その日のうちに人事担当専務と会い、内定をもらったという。

1961年(昭和36年)に住友銀行に入社し、支店勤務から調査部で粉飾決算などを見抜く経験を積み、後に頭取となる巽さんに引っ張られて審査部に異動した。

当時の日本ではM&Aをビジネスとしていた会社はほとんどなかったが、西川さんはいずれM&Aの時代が来るだろうと予想して、審査部時代にM&Aを研究したという。そして西川さんの最初の功績が安宅産業の破たん処理だ。


安宅産業破たん処理

安宅産業は1904年創業の総合商社で、1975年当時は業界9位だった。新日鐵の5大指定商社の一社で、金属や機械部門は強かったが、エネルギー部門が弱かった。

上位商社に追いつくためにカナダのニューファウンドランド・リファイナリー(NRC)に突っ込み、巨額の融資をしたところで、オイルショックが襲い、中東原油の精製をやっていたNRCは巨額の損失を出し始め、不動産投資失敗も加わって安宅産業の息の根を止めた。

負債総額1兆円の安宅が破たんすると日本企業の国際信用が失わわれ、「日本経済は焦土と化してしまうかもしれない」との懸念から、メインバンクの住友銀行と協和銀行が中心となって、伊藤忠商事が安宅の優良部門を吸収合併し、銀行は債権放棄して破たん処理を実現した。

安宅の合併相手を探す段階では、住友商事にも2度、話を持って行った。しかし、住友商事はつねに慎重でリスクを取ることが少ない企業体質で、すでに住友金属の鉄鋼商権を持っていたこともあり、安宅産業との合併はには引き気味だった。また、当時の住銀の樋口廣太郎常務(元アサヒビール社長)と住友商事の財務担当の屋代副社長が不仲だったという。

それでも伊藤忠と安宅の合併が決まった後、住友商事は誰も引き取らなかった資産を引き取ってくれたという。それが米国ニューヨーク州北部にある鉄鋼メーカーのオーバーン・スチールだ。オーバーンには筆者も行ったことがある。ニューヨーク州の北部の風光明媚なフィンガー・レイク地帯にあり、世界最初の電気イスでの死刑執行で有名?な町だ。


安宅コレクション

この本では、伊藤忠側の交渉責任者だった不毛地帯のモデル・瀬島龍三さんのシンプルでストレートな交渉ぶりや、当時「社賓(しゃひん)」という肩書だった創業者の息子の安宅英一氏が集めた安宅コレクションについても触れている。

不毛地帯 (1) (新潮文庫)不毛地帯 (1) (新潮文庫)
著者:山崎 豊子
新潮社(1983-11)
販売元:Amazon.co.jp
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帳簿には70億円と記載があったが、売れば500億円以上にもなるという大変なコレクションで、近代日本画家・速水御舟(はやみぎょしゅう)の作品106点と朝鮮(高麗・李朝)と中国(後漢から明朝)の陶磁器850点だった。

コレクションの散逸を防ぐために御舟の作品はすべて山種美術館に買ってもらい、古陶磁器は安宅の破たん処理が終了した段階で、大阪市に寄付して1982年に開館した大阪市立東洋陶磁器美術館を建設して所蔵した。

安宅コレクションについては「美の猟犬」という本が詳しいので、いずれあらすじを紹介する。

美の猟犬―安宅コレクション余聞美の猟犬―安宅コレクション余聞
著者:伊藤 郁太郎
日本経済新聞出版社(2007-10)
販売元:Amazon.co.jp
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磯田一郎の時代

磯田一郎さんといえば「向こう傷を恐れるな」という言葉が有名だ。1977年に安宅産業の破たん処理が決着がついたタイミングで頭取に昇格、以後15年間、住銀の頭取・会長としてトップに君臨し、「住友銀行の天皇」と呼ばれた。

この本では「磯田一郎の時代」ということで、関東の支店数を一気に伸ばすために店舗数だけは多いが、ボロ店舗ばかりの平和相互銀行の合併や、バブル期に闇勢力と組んで不動産と(磯田さんの長女がからむ)美術品投資にのめりこんだイトマンへの肩入れなどを具体名を挙げて説明している。

日本経済の構造変化で、株式や社債なその直接金融が増え、銀行融資などの間接金融が細るなかで、「磯田一郎の時代」は終わった。磯田一郎さんにとどめを刺したのは西川さんだと自ら語る。

安宅産業、平和相互銀行、イトマンと問題案件を企画部長として処理したので、西川さんには、問題処理に強く、厄介事は西川さんに任せておけという評価が定着したという。


「不良債権と寝た男」

西川さんは、ある新聞に「不良債権と寝た男」と書かれたという。

日本経済は1986年からバブル経済期に入り、不動産価格が1986年は前年比75%、1987年は37%と上昇し続け、株価も1989年12月に日経平均株価が38,915円という史上最高値をつけた。

その後不動産価格も株価もピークを打って下がり始め、株価は1992年8月にはピークの半値以下の15,024円にまで下落した。

バブル崩壊によって日本経済はガタガタになり、1992年秋に大蔵省は大手21行の不良債権額は12兆3千億円あるという試算を発表した。筆者も覚えているが、当時は到底12兆円などという額ではない、50兆円、あるいは100兆円あるのではないかと言っていたものだ。

西川さんは、当時の住友銀行頭取の小松さんから、1992年夏に当時の宮澤総理から軽井沢の別荘に大手行の頭取が全員呼ばれて公的資金投入を打診されたという話を、後日明かされたという。頭取はみんな反対したが、今思うと、あの時に決めておけば、こんな大騒ぎにならなかっただろうと小松さんは言っていたという。

銀行の赤字決算は終戦直後も含めて、それまで例がなかったので、不良債権処理に保有株式を売って黒字決算を続けていた。しかし、西川さんは当時の巽会長と森川頭取に進言し、1995年に8,000億円の不良債権処理を行い、3,300億円の赤字決算とした。そうすると株価は逆に上昇した。

日本の不良債権処理が進んだのは1997年に大蔵省が不良債権償却証明制度を廃止し、銀行の自己査定による債権処理が可能になったことと、1998年の公的資金注入制度の効果だと西川さんは語る。


日本版金融ビッグバン

不良債権処理を進める一方、故・橋本竜太郎首相は1996年に日本版金融ビッグバンを提唱し、銀行、証券会社、保険会社の垣根が一部取り払われ、金融ホールディングカンパニーも認められた。

西川さんはチャンスだと考え、積極的に個人向け投資信託販売を拡大し、外部人材を起用するほか、山一證券から150名の窓口販売要員を採用して、リテール部門を拡大した。

ネット証券業にも進出したが、設立したDLJディレクトSFG証券は楽天に売却した。その関係で、楽天・三木谷浩史社長と知り合い、その斬新で革命的な考え方に共感することが多かったので、西川さんは頭取退任後、楽天の顧問に就任した。


頭取就任は「男子の本懐」

1997年6月に西川さんは住友銀行の頭取に就任した。58歳での就任で、50歳台の頭取就任は「住銀の法王」と呼ばれた堀田庄三さん以来だという。

就任記者会見では西川さんは「男子の本懐です」と語ったという。当時、銀行は企業の不良債権処理を手伝って、企業が再生できるようにする「野戦病院」のような役目だった。日本経済再生に貢献する重大な責任を任されたという意味で、「男子の本懐」という言葉になったのだという。

男子の本懐 (新潮文庫)男子の本懐 (新潮文庫)
著者:城山 三郎
新潮社(1983-11)
販売元:Amazon.co.jp
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西川さんが頭取に就任してからは、住銀の長年の重要取引先だった大和証券と法人部門の合弁会社(大和証券SBCM、ただし2009年に合弁解消)設立、さくら銀行との合併で2001年4月の三井住友銀行の誕生、ゴールドマン・サックスとの資本提携強化、GS幹事の海外マーケットでの資金調達などダイナミックなM&Aを行った。

2兆円にものぼる資本準備金を不良債権処理にあてる為の、さくら銀行子会社のわかしお銀行との逆さ合併(存続会社はわかしお銀行で、三井住友銀行は消滅)には驚かされたものだ。

UFJ信託銀行と住友信託銀行との合併が決まっていたのにキャンセルされて「売られたケンカ」だとして、UFJ銀行をめぐって東京三菱との買収合戦に乗り出した話を紹介している。

同じ関西系の長年のライバル同士のUFJ(旧三和銀行)と住友銀行では、合併は難しいと筆者は思っていたが、この本では当時のUFJ銀行のトップや関係者は、住友銀行との合併を望んでいた様にも思えたことを紹介している。


日本郵政会社の社長に就任

2005年、西川さんは三井住友銀行の頭取を退任し、特別顧問となった。退任直後に大腸ガンが見つかり手術を待っているときに、ウシオ電機の牛尾会長から「小泉総理や竹中大臣が郵政民営化のリーダーを西川さんにお願いしたいと言っている」との話があった。

西川さんは一旦は断ったが、手術後竹中大臣から「小泉総理はもう決めています。」という話があり、奥さんの反対にもかかわらず引き受けることになった。小泉総理からは一言、「ご苦労だけど、西川さん、頼むよ」と言われたという。

この本では郵政民営化準備会社の社長となった2006年1月から民主党が政権を取り、亀井郵政・金融担当大臣より自分で進退を判断しろと通告されて社長を辞任する2009年10月までの出来事を、80ページほどにわたり解説している。

恥ずかしながら筆者自身も郵政民営化の目的がいま一つクリアーに理解できていないが、西川さんは郵政民営化の目的は、大きくは次の2点であると最初に整理している。

1.資金の流れを官から民に変えることで、国民の資金を成長分野に集め、結果として日本経済の活性化や効率化を図る。

2.少子高齢化社会の到来によって先細りが懸念される郵政事業を、民営化で新規事業にも参入できるようにし、国民の利便性を高めると同時に収益性を向上させる。

西川さんはこの民営化の目的を理解してもらわないと、西川さんが全精力を注ぎこんだ意味が分かってもらえないと語る。

この本で知名度があがり、一番得したのはたぶんコンサル会社のA.T.カーニーだろう。コスト削減に強いコンサルタントとして住友銀行時代と日本郵政時代に登場している。

筆者は2000年ごろA.T.カーニーと、以前紹介した逆オークションなどの電子調達関係プロジェクトで一緒に仕事をしたことがある。

総理、増税よりも競り下げを!総理、増税よりも競り下げを!
著者:村井宗明
ダイヤモンド社(2011-08-26)
販売元:Amazon.co.jp
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A.T.カーニーの子会社が持っていた逆オークションのソフトウェアを使って日本でも逆オークションのトライアルを実施し、A.T.カーニー・ジャパンの人たちと一緒にJ/Vをやれないか検討したのだ。当時のメンバー2人がプリンシパルになっている。

調達関係のコンサルでは2000年の段階でA.T.カーニーがベストだった。住友銀行のコスト削減でも実績を出して、日本郵政にも採用されたようだ。さすがA.T.カーニーである。

日本郵政社長時代のエピソードだけでも十分一冊の本が書けるほど、いろいろなことが起こっているが、詳しく紹介するとあらすじが長くなりすぎるので、箇条書きで紹介する。

★2004年には郵貯と簡保は合計で350兆円の規模となり、国民の金融資産1,400兆円の1/4を占めていた。

★運用は2000年までは全額大蔵省の資金運用部に預託する義務があり、10年物国債の利回り+0.2%の金利を保証されていた。

★郵貯の「ヒト・モノ・カネ」のネットワークは想像以上に緻密で底力があり、これこそが郵便局の最大の経営資源だ。

★郵政民営化によりいままで免除されていた法人税、事業税、預金保険料などを支払うようになり国や地方の税収が増えた。

★全銀システムとは店番号と口座番号が違うので、銀行から郵貯には送金できなかったが、民営化後にやっと全銀システムと接続した。

★西川さんが社長に就任してすぐに取り組んだのが次の3つのプロジェクトだ。

1.調達コストの削減と調達戦略の一元化
2.コールセンターの一元化
3.「郵政福祉」、「郵貯振興会」などのファミリー企業との取引関係の見直し

★ゆうパックの欠点だった冷蔵・冷凍輸送ができないことを、日通のペリカン便と合併することにより解消し、シェアアップを狙ったが、なかなか国会の承認が得られなかった。

★麻生内閣の鳩山邦夫総務大臣が政治問題化した「かんぽの宿」一括売却問題と東京中央郵便局再開発問題について、西川さんは鳩山大臣の論点を詳細に逐一反論している。よほど悔しかったのだろう。


総じて淡々とした書きっぷりに好感が持てる。

筆者が知っている案件もあり、その記述から判断すると、この本に書かれているのは表向きの説明といえる。それでも一面の真実をとらえていると思う。

一読する価値のある同時代史だと思う。先入観だけで判断せず、まずは手に取ってパラパラめくって欲しい。


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2011年12月28日

もしも法大生が「デール・カーネギー」の原則を身につけたら

2011年12月28日追記

デール・カーネギー・ジャパンの人から法政大学で開講した「もしも法大生が『デール・カーネギー』の原則を身につけたら」という特別授業の情報をもらった。

なんちゃって「もし〜ドラ」のネーミングではあるが、大変好評だったそうだ。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらもし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
著者:岩崎 夏海
ダイヤモンド社(2009-12-04)
販売元:Amazon.co.jp
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もし法大生が





筆者の息子も大学3年生の時にデール・カーネギー・トレーニングを受講させた。大学生の時にカーネギーを知っておけば、必ずや将来役に立つと思う。

カーネギーの話題は万国共通で、世界どこに行ってもカーネギーの本を共通の話題にできる。是非、大学生の間でもカーネギーの本が広まってほしいものだ。


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2011年7月8日追記:

ウォレン・バフェットがデール・カーネギー・トレーニングについてニュース番組のなかで語っている映像がYouTubeで公開されているので、追記しておく。




2010年9月2日初掲:

このブログで時々紹介しているデール・カーネギーの「人を動かす」。アマゾンの売上ランキングでも常に50位前後で、日本で450万部売れているという永遠のベストセラーだ。

人を動かす 新装版人を動かす 新装版
著者:デール カーネギー
販売元:創元社
発売日:1999-10-31
おすすめ度:5.0
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「人を動かす」などのカーネギーの教えに沿ったトレーニングコースが日本でも開催されているデール・カーネギー・トレーニングで、今回大学生の息子が12週間のデール・カーネギー・トレーニングを終了した。次が修了証だ。
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「スノーボール」によると、これと同じものが、ウォーレン・バフェットのオマハ、ネブラスカの事務所の壁に掲げてあるという。

スノーボール (上) ウォーレン・バフェット伝スノーボール (上) ウォーレン・バフェット伝
著者:アリス シュローダー
販売元:日本経済新聞出版社
発売日:2009-11-20
おすすめ度:4.0
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実は息子が大学生になったらカーネギー・トレーニングを受講させようという計画は、かなり以前から考えていた。新さんの「成功する5つの習慣」を読んだ頃だと思うので、たぶん6年前頃だろう。

成功する5つの習慣











カーネギー・トレーニングでは、送り出す方にもCoaching and Communication Sheetという受講前アンケートを用意しており、その最初の質問は「あなたがチームメンバーのために部下に成長してもらいたい・変化させたい点は?」というものだった。

これにはただひとこと「他人の立場になって考える態度を身につけること。それに尽きる。」と書いた。

8月に卒業式があり、これに参加したところ、息子の研修成果発表は、「いままで単なる遊び相手としてしか見ていなかった弟(高校2年生)を、一人の人間として見られるようになった」というものだった。

まさに筆者が望んでいた通りの考え方を身につけることが出来たようで、大変感激するとともに満足した。

息子以外は全員社会人で、エンジニアの人が半分くらいだった。最優秀賞は、臨床に復帰したお医者さんが受賞した。1967年にこのコースを受講し、社員全員に同じコースを受講させているという会社社長とも卒業式でご一緒して、大変参考になった。

クラス専属のアシスタント(トレーニングの卒業生から選抜)も加わってのわきあいあいのクラスの雰囲気、身振り手振りのパフォーマンスを意識した発表の仕方、二人一組になっての事前の打ち合わせ、そしてトレーナーの川田さんのプロフェッショナルな指導、すべてが新鮮な驚きで、大変感銘を受けた。次男もいずれトレーニングを受けさせようと思う。

息子には、このトレーニングコースで学んだことを生かしてカーネギーの本によく登場する初代USスチール社長のチャールズ・シュワブの様なコミュニケーションの達人を目指して欲しいものだ。

デール・カーネギー・トレーニング・ジャパンの個人向け講座は、毎週木曜日又は土曜日に開催されるそれぞれ12週間のトレーニングが主体で、企業向けのカスタマイズトレーニングが主な事業のようだ。

DCトレーニング










興味のある人はデール・カーネギー・トレーニングのウェブサイトを見て、情報を収集してほしい。受講料15万円と決して安くないが、一生を通じて役に立つコミュニケーションの運転免許と思えば、十分価値はあると思う。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  

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2011年12月26日

日本酒は奥深い 燗にするなら享保3年創業の「早瀬浦」

2011年12月26日追記:

日本酒は奥深い。燗にすると全然違うことは下記したが、福井県の「早瀬浦」を近くの日本酒と焼酎のコレクションで有名な「まさるや」という酒屋で買って「熱燗」、「ぬる燗」など、いろいろな温度で燗にして飲んでみた。

2011121820570000















「早瀬浦」の裏には次のラベルが貼ってある。

2011121820570001















享保3年(1718年)創業というのには驚く。

純米酒らしい、ほっとするような飲み心地の酒だ。冷酒で良いと思った「浦霞」本醸造はアルコール添加していることもあり、燗にするとアルコール臭が気になる。やはり燗にするには純米酒に限るようだ。

東日本大震災を契機に日本酒を飲みだしたわけだが、日本酒は奥深い。さらにいろいろ試してみる。


2011年12月12日追記:

友人の内田さん(俳優の内田朝陽君のお父さん)の店で、日本酒の飲み比べをした。といっても五百万石という米を使った純米酒を2本飲み比べてみただけだが、あまりの違いに驚くとともに、日本酒の奥深さを感じた。

飲み比べたのは同じ福井県の「早瀬浦」と「白岳仙」。内田さんの店はワインで有名なので、たまたま内田さんが店に置いていた日本酒だ。(楽天のリンクは必ずしも飲んだものと一致していないが、ラベルデザインの参考として紹介する)。

早瀬浦 純米酒 1800ml
早瀬浦 純米酒 1800ml
白岳仙 純米吟醸 奥越五百万石 1800ml
白岳仙 純米吟醸 奥越五百万石 1800ml


「白岳仙」はヒヤの状態でタル香がして、いわゆる吟醸酒のつくり。樽で熟成しているのだと思う。ぬる燗にするとタル香はなくなる。

「早瀬浦」はヒヤではほとんど香りがしないが、ぬる燗にするために湯で温めた器に移すと、バニラ香のようななんともいえないいい香りが漂う。赤ワインではバニラ香がするものがあるが、日本酒でバニラ香がするとは驚きだ。どういった成分がバニラ香を生みだすのかよくわからないが、なにか醸造の秘訣があるのだろう。

同じ福井県という産地で、同じ五百万石という米を使っていても、全然違う酒ができる。日本酒の奥の深さを垣間見た気持ちだ。これからも機会をつくって、もっと日本酒を研究していこうと思う。


2011年12月1日初掲:

蔵元を知って味わう日本酒事典蔵元を知って味わう日本酒事典
ナツメ社(2011-01-21)
販売元:Amazon.co.jp
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日本酒の教科書日本酒の教科書
著者:木村 克己
新星出版社(2010-02)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者は1978ー80年のアルゼンチン駐在以来、ずっとワイン派だった。自宅で飲むのはほとんどワイン。昨年くらいから食事によってはロゼも飲むようになったが、ほとんどずっと赤ワインだった。

日本酒は買ったこともないし、法事などでもらったものを飲むほかは家で飲んだこともなかった。

とはいえ、やはり刺身や煮魚などの日本料理には、ワインより日本酒の方が合うのではないかと思っていたことも事実だ。それのあらわれが、昨年からロゼワインを飲むようになったことだ。

そんなワイン党の筆者が宗旨変えして、上記に紹介した「日本酒事典」と「日本酒の教科書」を読んで、日本酒を飲み始めた。(どちらも参考になるが、「日本酒事典」の方が瓶の写真も紹介しており、銘柄ラベル写真だけの「日本酒の教科書」よりもなぜか親しみを感じた)

きっかけは東日本大震災だ。日本酒を飲むことで、すこしでも東北地方の復興の役に立てるのであればと思って飲み始めた。



醸造業の裾野は広い。もちろん原料の農業の振興にもなるし、バイオ技術や醸造設備産業にも貢献するとともに、地元の観光振興にも役立つ。

山梨の勝沼が良い例だ。ワイン産業としては世界的には小規模ではあるが、日本でも最大級のワイン産地として一大観光名所となっている。ワイナリー巡りなど観光客が一年を通して訪問するし、山梨大学工学部にはワイン科学特別教育プログラムもあり教育産業にも波及効果がある。

もちろん筆者が日本酒に切り替えたからといって、効果はたかがしれており、えらそうに言うべきことではない。しかし気は心、同じように賛同してくれる人もあると思うので紹介する。

筆者が飲み始めたのは宮城県塩竃の浦霞。もろに被災地にある酒蔵だ。浦霞自身もかなりの地震の被害を受けたはずだが、一本につき5円という復興資金を寄付することを実施している。

次が浦霞の種類だ。左から本醸造、ササニシキを使った純米酒、特別純米酒の「禅」と外箱というラインアップだ。

2011102317230000





本醸造は仕込みの段階で10%まで醸造アルコールを添加している。本来日本酒は純米酒が正統であり、アルコール添加酒は邪道、儲け主義だという非難の声がある。たとえば「美味しんぼ」では、純米酒こそが日本酒だといい、青リンゴなどの香りのする吟醸酒はハナから受け付けない。

美味しんぼ (54) (ビッグコミックス)美味しんぼ (54) (ビッグコミックス)
著者:雁屋 哲
小学館(1995-12)
販売元:Amazon.co.jp
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しかし筆者は浦霞で本醸造、純米酒、特別純米酒を飲み比べた結果、本醸造が一番気に入ったので、本醸造の一升瓶を買った。いままで40年近く酒を飲んでいるが、自分用に一升瓶を買ったのは初めてだ。

2011112719100000














アルコール添加はあくまで仕込みプロセスの一環であり、アルコールを10%添加することによって、いわゆる吟醸香が増し、「キレ」が良い辛口の酒に仕上がる。「美味しんぼ」の作者はアルコール添加酒を全く受け付けないが、筆者はこと浦霞に関しては、本醸造が安くてうまいと思う。

【佐浦】浦霞 本醸造 1800ml
【佐浦】浦霞 本醸造 1800ml

要はその人が飲み比べて一番気に入ったものを選べば良いので、別に純米酒にこだわる必要はないと思う。

ちなみに筆者は次の氷ポケットのあるデキャンターに入れて冷やして飲んでいる。

2011100910310000














キンキンには冷えないが、冷えすぎないで良い。

日本酒はワインに比べて安いので、良い日本酒を何本か飲み比べても、720MLの瓶であれば、せいぜい一本1,000〜2,000円で買える。

冒頭に紹介した「日本酒事典」や「日本酒の教科書」を読んで、基礎知識をつけた上で、日本酒を飲んで頂きたい。大手の酒蔵は江戸時代から続く老舗ばかりであることに驚くだろう。まさに日本酒は日本の伝統文化である。

東北の酒を飲めば東北復興にも微力ながらつながる。そんな気持ちも込めて日本酒を飲んで欲しい。


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Posted by yaori at 08:48Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!趣味・生活に役立つ情報 | ワイン

2011年12月21日

日本の未来について話そう マッキンゼー編集の日本再生への提言

日本の未来について話そう日本の未来について話そう
小学館(2011-07-01)
販売元:Amazon.co.jp
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3.11後の日本の再生についてマッキンゼーが世界各国、各界の経営者、知識人、著名人などにインタビューし、あるいは寄稿を頼んでまとめた日本再生への提言集。

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しているが、すべての目次は表示されないので、「なんちゃってなか見!検索」で目次を紹介しておく。

はじめに 明るい未来を創るために ドミニク・バートン(マッキンゼー代表パートナー社長)

第1章 日本の再生へ向けて

3.11が予感させる「国家の地殻変動」 船橋洋一(朝日新聞社 前主筆)

がれきのなかに見えた日本の課題と未来 ヘンリー・トリックス(「エコノミスト」日本支局長

「ガマン」の力 トム・リード(「ワシントンポスト」前東京支局長

実行の時がきた ピーター・タスカ(評論家、アーカス・インベストメント創業パートナー)

日本よ、いますぐ目を覚ませ 長谷川閑史(武田薬品 代表取締役社長)

第2章 再び変化の時代へ

コスモポリタン国家への転換 イアン・ブルマ(作家)

変革へのギアチェンジ カルロス・ゴーン(ニッサンCEO/ルノーCEO)

モノづくりの時代を超えて 孫正義(ソフトバンク社長)

若者よ、日本を出でよ 柳井正(ファーストリテーリング社長)

「変化への抵抗」という錯覚 ジョン・ダワー(MIT名誉教授)

ジャパン・アズ・ナンバーワンはどこへ エズラ・ヴォーゲル(ハーバード大学名誉教授)

「失われた20年」からの脱却 デビッド・ザンガー

第3章 再建のための現状把握

過去から未来へのメッセージ スティーブン・ローチ(モルガン・スタンレー・アジ
ア会長)

7人のサムライを呼べ アダム・ボーゼン(ピーターソン国債経済研究所 シニア・フェロー)

数字で見る日本の競争力 クラウス・シュワブ

日本が世界の未来に向けて貢献すべきものとは 岩崎夏海(作家)

光(エネルギー)を絶やさないために ブルッキングス研究所

第4章 国際化への鍵

「日本企業のグローバル化」への具体的施策 マッキンゼー

グローバル企業への変身 前田新造(資生堂会長)

鎖国を解く グレン・S・フクシマ(エアバス・ジャパン会長)

保守化する若者 山田昌弘(中央大学教授)

野茂効果 ロバート・ホワイティング(作家)

ベンチから見た日本野球 ボビー・バレンタイン(野球監督)

サッカーで見る日本 岡田武史(前サッカー日本代表監督)

第5章 日本外交政策の選択

日本に突きつけられた選択肢 ビル・エモット(「エコノミスト」前編集長)

米国の戦略的資産としての日本 マイケル・グリーン(ジョージタウン大学準教授 CSIS日本部長)

中国と向き合う 田中均(日本国際文化交流センター シニア・フェロー)

外交力のない国、ニッポン ポール・ブルースタイン(ブルッキングス研究所)

第6章グローバルな視座

パーフェクトブレンドを求めて ハワード・シュルツ(スターバックス会長)

米国中西部から極東へ ボブ・マクドナルド(P&G CEO)

社長 島耕作からのアドバイス 弘兼憲史(漫画家)

着眼大局、着手小局 坂根正弘(コマツ会長)

アジアのパイオニア ピーター・レッシャー(シーメンスAG CEO)

第7章 技術と思考のイノベーション

ガラパゴスからの脱出 関口和一(日本経済新聞論説委員)

Tシャツか着物か セナパティ・ゴバラクリシュナン(インフォシスCEO)

日本のハイテク企業を再起動させる4つのモデル マッキンゼー

シリコンバレーのDNA 南場智子(DeNA前CEO)

日本ゲーム産業のネクストミッション 稲船敬二(コンセプト社長)

独自性から強さを築く ジョン・チェンバース(CISCO CEO)、エザード・
オーバービーク(CISCOジャパン社長)

クリーン・テクノロジーの先鋒の地位を守れるか マッキンゼー

第8章 人材の「発見」と活用

リーダーの必須条件 柴田拓実(野村ホールディングス COO)

若者に席を譲ろう 岡田元也(イオン社長)

ワーク・ライフバランスと女性の活躍 小室淑恵(ワーク・ライフバランス社長)

家族を第一に 佐々木かをり(イーウーマン社長)

企業家と女性が拓く日本の未来 スティーブ・ヴァンアンデル(アムウェイ・コーポレーション会長)

教育改革の第一歩は、民間校長の登用 藤原和博(前和田中学校長、著述業)

第9章 文化の継承と発展

秋田犬の系譜 マーサ・シェリル(小説家)

目利きの文化 ベルナール・アルノー(LVMH CEO)

「ポスト・ラグジュアリー」の時代 タイラー・ブリュレ(「フィナンシャルタイムズ」コラムニスト)

日本美食革命 グゥエン・ロビンソン(「フィナンシャルタイムズ」記者)

外から見た日本ブランド論 クリストファー・グレイヴス(オグルビーCEO)

立体緑園都市構想 森稔(森ビル社長)

日本建築に宿る温故知新の心 鈴木エドワード(建築家)

たとえ多くが変わっても ピコ・アイヤー(作家)

おわりに 日本のロードマップーこれから20年の道筋 エアン・ショー(マッキンゼー日本支社長)


さすがマッキンゼーという感じで、様々な立場の人が、いろいろな見地から寄稿しているが、フォーカスが定まらない印象がある。この手のオムニバス論文集ではやむをえないところかもしれない。

あえて言えば、財政再建、移民問題、教育問題(向上心)が日本再生のカギとなるというのが、多くの論者の語るところだ。

この中でもっとも注目したのは、かつてベストセラーとなった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲルさんの「ジャパン・アズ・ナンバーワンはどこへ」だ。
 
Japan As Number One: Lessons for AmericaJapan As Number One: Lessons for America
著者:Ezra F. Vogel
iUniverse(1999-06)
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ジャパン・アズ・ナンバーワンジャパン・アズ・ナンバーワン
著者:エズラ・F. ヴォーゲル
阪急コミュニケーションズ(2004-12)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者も会社に入ってすぐにジャパン・アズ・ナンバーワンを英語で読んだ。元々は1979年発刊なので、たぶん1980年頃だと思う。表紙は今は赤だが、出版された当時は同じデザインで青だった。

米国の傲慢な思い込みに対する警鐘として書いた本だが、多くの人がタイトルに飛びつき、マスコミが取り上げて、日本が世界一の経済国になるなどありえないと批判した。

ヴォーゲルさんは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でも日本が世界一の経済大国になるとは、ひとことも言っておらず、「日本という国はいろいろなことをたいていの国より上手にこなしている」と言ったまでだと語る。

そのヴォーゲルさんは、今の日本の将来を大変心配していると語る。

日本の根本問題は高齢化などではなく、日本には政治家が長期的視点に立って考えることができる制度が必要なのに、それが欠けていることが最大の問題だという。

毎年莫大な歳出赤字を垂れ流すシステムでは到底続けていけない。

日本にはかつて、たとえば経済産業省のような有能な人材から成るエリート集団が存在しており、かれらが1970年代を通じて一貫した将来計画を打ち出していた。ところが1990年代に各政党が崩壊すると、一貫性がなくなった。

かつては中曽根康弘首相(在任は1982〜1987年)のような強力なリーダーがいたが、いま強力なリーダーになりえる人材は河野太郎氏や林芳正氏くらいしかいないという。

中国に関しては、日本は中国に「戦後日本がどのように平和主義に転じたか、1980年代に日本がどれだけ中国を援助したかを、どのように国民に伝えていますか?」と問うべきだという。

高齢化については、ヴォーゲルさんは80歳だが、いまでも多少の仕事はしていると語る。肉体労働中心の昔ならともかく、頭脳労働の場合には60歳定年よりも5〜10歳ほど延長しても良いのではないかと。

日本は深刻な高齢化問題に直面しているとは考えていないとヴォーゲルさんは語る。


作家のロバート・ホワイティングさんの「野茂効果」や、十年前は海外比率は10%だったのが、今は40%以上となっているという資生堂の前田さんや、「コーヒージェリーフラペチーノ」や「抹茶ラテ」は日本発だと語るスターバックスのシュルツCEOの話、コマツの坂根会長の話も参考になった。

65人が寄稿する400ページあまりの本だが、興味ある論者のものをピックアップして読んでも良いと思う。


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仕事で成長したい5%の日本人へ ゴーンさんを呼び捨てにできる日本人・今北さん

2011年12月15日追記:

今北さんの講演を聞いた。今北さんの本には次のような今北さんの写真入りの帯がついている。

今北













カルロス・ゴーンを思わせるような「濃い」顔立ちが印象的な人だ。

本に書いてあることも、書いてないこともあったが、本に書いてないことで最も印象に残ったのは、今北さんがバッテル研究所時代に、日本の自動車部品メーカーの社長と一緒に、技術供与交渉をしていたイタリアの自動車部品メーカーに行った時の話だ。

先方の社長とアポイントがあったが、予定時刻を30分過ぎても社長は現れない、今北さんはイライラしながら社長を待っていた。

やっと現れたと思ったら、せいぜい30歳台後半の三代目の社長は、今北さんの通訳に頼る日本メーカーの社長に対して「英語も出来ないでグローバルビジネスができるのか」と言った。

これに対して日本のメーカーの社長は唯二知っている英語を使って"I'm sorry."と言ったという(もう一つ知っている英語は"Thank you."だった)。そしておもむろに日本語で話し始めた。

「私は母を尊敬しています。」

今北さんは社長が逆上して、頭がおかしくなったのではないかと思ったという。

「母は私に、1.他人にはまごころを持って接すること、2.ウソはついてはいけないことを教えてくれました。あなたもそのイスにすわっているからには、あなたも祖先をさぞかし尊敬しているのでしょう。」

これに対してイタリア人の若社長は自分の非礼を謝り、"I'm sorry."と言った。それからはビジネスもスムーズに運んだという。(筆者の記憶で上記発言を再現しているので、正確な表現でないかもしれない)

今北さんが強調するのは人間力、英語で言うとコンピテンシーだ。

いくら英語力があってもそれはスキルであり、必要条件でしかない。このやりとりの様な知的ボクシング=「対決」=英語で言うとCreative confrontationで勝つためには、実践を通して「知的腕力」をつけなければならない。

知的ボクシングに勝つためには、「教養」が絶対に必要だ。「教養」は英語ではRefinementということばが最もあてはまる。単に知識だけではない。

同じ国際ビジネスマンとして、今北さんも筆者と同じ様な経験をしていると思った。

今北さんは国際セミナーで英語で質問ができなかったという。それである時思い立って、講演者の本を読み、十分研究して講演に臨み、先頭を切って質問のために手を挙げた。

ところが立ち上がってマイクが来たときに、頭の中が真っ白になって、あれだけ用意した質問を忘れてしまった。

しかし周りは今北さんがそんな状態になっていても、誰も気にしていなかった。

この経験で、今北さんは自分が思うほど、他人は自分のことを気にしていないことを学んだ。それからは、国際会議でもアガることなく、質問できるようになったという。

筆者もアルゼンチンでの研修生から帰って、1980年に欧州に出張したときに、オーストリアの国営会社の副社長に説明している途中でロジックがおかしくなり、英語での説明途中でつっかえて、頭の中が真っ白になった経験がある。

話を変えてなんとか繕ったが、この失敗を忘れず、それ以来英語のロジカルな表現力をつけるために「タイム・インテンシブ・コース」という「タイム」誌を毎週読んで、二週間に一度記事のあらすじを英文にまとめて添削してもらうという通信教育を6年間続けた。

最初の駐在でピッツバーグに赴任してからは、自分の書いた英文をコミュニケーションを専攻したアメリカ人スタッフに毎回添削してもらっていた。

「タイム」誌は20年以上毎週読んでいた。読むだけではなく、気にいった記事はわからない単語を辞書で調べ上げて読んでいた。「タイム」誌の英語は、その意味を正確にあらわす最も適当な単語を使っているので、何年たっても「タイム」誌の1ページに、10以上もわからない単語があったものだ。

あの頭の中が真っ白になるという屈辱を経験したから、TOEIC940点にまで英語力は向上し、ネイティブ並みの英文レターが書けるようになった。

Time Asia October 17, 2011 (単号)Time Asia October 17, 2011 (単号)
DIP(2011-10-13)
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今北さんがスイスのバッテル研究所に入社したときに、国際会議はフランス語でやっていたので、英語で会議を開くように依頼して断られたという。その時のくやしさが、今北さんがフランス語をマスターするための原動力となった。

それから今北さんは必死でフランス語を勉強して、ついにはフランスのルノー公団からスカウトされるほどになった。

筆者もアルゼンチンに赴任したときは、スペイン語は全然わからなかった。だから二年間賄い付きの下宿に住んでアルゼンチン人と一緒に過ごし、事務所での勤務時間外に語学学校や個人教授を受けた。そして二年間の研修の後、帰国したらスペイン語社内検定一級まで上達した。

このような頭が真っ白、言葉が通じない屈辱感、それが語学上達のバネとなり、コミュニケーション能力をつけるきっかけとなるのだ。

もうひとつはセールスコールだ。

今北さんはバッテルに入った当初は自分で仕事を見つけることができず、他の研究員のアシスタントで、電話調査をやらされた。毎日電話を掛けては、ガチャンと切られることの連続で、電話恐怖症、ノイローゼに近くなったという。

しかしあるとき、「こんなことで命までは取られない」と頭を切り替えて、電話調査を再開すると、中には親切な人もいて、いろいろ教えてもらい。今度はその情報を使って、別の人から聞き取り調査するという好循環が生まれ、調査がうまくいったという。

筆者もアルゼンチン駐在の時やピッツバーグ駐在の時は、必要があれば業界名簿やイエローページを頼りに、電話して売り込んだものだ。アルゼンチンの時は、そうやって香港製の天井扇風機を1コンテナー分売った。

何事もあきらめないで続けることが大事なのだ。


2011年12月14日初掲:

仕事で成長したい5%の日本人へ (新潮新書)仕事で成長したい5%の日本人へ (新潮新書)
著者:今北 純一
新潮社(2010-05)
販売元:Amazon.co.jp
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フランス企業での職務経験が長く、現在もパリ在住で日本とフランスの間を毎月行き来しているコンサルタント会社CVA(Corporate Value Associates)のパートナー・東京オフィス代表・今北純一さんの本。

近々今北さんの講演を聞く機会があり、事前に本が配られたので読んでみた。

今北さんは昭和21年生まれ。東大応用物理学科から化学工学の修士課程を卒業後、旭硝子に入社。ニューヨーク州立大学留学、オックスフォード大学の招聘教官を経て、1977年にスイスのバッテル研究所にスカウトされる。それから1981年ルノー公団、1985年から14年間のエアー・リキード社勤務を経て、1999年から現在まで元同僚が設立したCVA社のパートナーを務める。

今北さんが講演に行くと、国籍や性別にかかわらず大体5%の人が熱いまなざしを寄せてくるという。新しいことにチャレンジしたいという能動的な意識で講演を聴く人たちだ。この本はその5%の人に向けた本だという。この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次も是非見てほしい。よくできた目次なので、大体の筋がわかると思う。


成長にはMVPが必要

今北さんは人間が成長する上でMVPが必要だという。M=Mission、V=Vision、P=Passionだ。このうちPassionを持った人が最も強い。

筆者もPassionが最重要という話には同感だ。

実は、筆者は数年前に社内誌に「読書生産性アップのために」というような題で寄稿したことがある。年間300冊、一日ほぼ1冊本を読み、歩いているときや混んでいて本が読めない電車の中ではオーディオブックを聞く。そしてきにいった本はあらすじをブログに書いて「備忘録」として活用するという筆者の読書法を紹介したものだ。

自分の読書法にはそれなりに自信を持っていたが、結果としてその自信が悪い方に出て、「上から目線」のような文を書いてしまった。

1/4ページの原稿で、同じ見開きには他の人が、糸井重里の「ブイヨンの気持ち。」とか、このブログでも紹介した「マイクロソフトでは出会えなかった天職」の途上国に本を送る"Room to Read"運動など、一生懸命に自分の話を伝えようと書いている。そういった一生懸命さが伝わり、つい引き込まれる話ばかりだった。

ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)ブイヨンの気持ち。 (ほぼ日ブックス)
著者:糸井重里
東京糸井重里事務所(2009-04-13)
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マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になったマイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
著者:ジョン ウッド
武田ランダムハウスジャパン(2007-09-21)
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それに対して、筆者が書いた文は整理されていてわかりやすかったかもしれないが、読者にどうしても伝えたいというパッションが感じられず、気持ちがこもっていない。反省するところ大だった。

それからはブログにしろ、社内誌にしろ、何かを書くときは必ず読者に是非とも伝えたいという筆者の思いが伝わるように、心を込めて書いている。あらすじを書くにもPassionが大事なのだ。

閑話休題。

この本で今北さんは「人は仕事で成長する」と語る。まさにこのブログで紹介した元伊藤忠商事会長・丹羽さんの「人は仕事で磨かれる」と同じだ。

人は仕事で磨かれる (文春文庫)人は仕事で磨かれる (文春文庫)
著者:丹羽 宇一郎
文藝春秋(2008-02-08)
販売元:Amazon.co.jp
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自分の仕事上の経験から学んだことや、ラグビーの平尾誠二さん、指揮者の佐渡裕さん、柔道の山下泰裕さん、将棋の羽生善治さんなどの「自分の世界を持っている人たち」との付き合いから学んだことを数多く紹介しており大変参考になる。

いくつか印象に残った話を紹介しておく。


面接で「いくら欲しいのか?」と聞かれたら、どう答える?

今北さんは30歳の時、イギリスの会社との面接で「いくら欲しいのか?」と言われて絶句したという。

たしかに、そう言われると、筆者もどう答えたらよいかとっさには答えが思いつかない。高ければ高いほど良いわけでもない。たとえば「1億円」と言っても、その根拠を聞かれて説明に窮すると逆効果だろう。

この質問で、今北さんは自分の能力を判断するのは他人であるということ、それでも交渉の余地はあるという2つのことを思い知らされた。これが今北さんの「次なる飛躍への瞬間」となったという。

この他にも今北さんのヨーロッパ人との付き合いで得られた貴重な経験を紹介している。ユーモアを大事にして、知的対決を愛するヨーロッパ人の絶妙な切り返しには感心する。


"You must succeed"の意味

たとえば、エアー・リキード社で日本での「モノシラン」という半導体用ガス販売を命じられたときに、会長から英訳すると"You must succeed"と言われたことがあるという。(「モノ知らん」とは偶然とはいえ変な名前のガスもあったものだ。ちなみにエアー・リキード社は液化工業ガスの最大手の一社だ)

これは「あなたは成功するに違いない」という意味にもとれるし、「あなたは成功しなければならない(義務がある)」という意味にもとれる。

今北さんが前任者の無謀な計画のもとに立ち上げられた日本での合弁事業を、ライバルにも大量供給するという逆転満塁ホームランで成功させて帰国し、会長にあのときの言葉はどちらの意味か?と聞くと、「あなたの思っている方ですよ」と答えたという。

なかなかそういう受け答えはできるものではない。こういうのが欧米社会でしばしば行われている「知的対決」なのだと。

ところで、最初の「いくら欲しいのか?」という質問の模範解答も紹介されている。なるほどと思う。ネタをばらすと面白くないので、これは続きを読むに書いておく


サラリーマン生活の不条理が転職のきっかけ

今北さんは新卒で入社した旭硝子の研究所で、寮と研究所を往復するサラリーマン生活に不条理を感じたという。

大学の修士論文のテーマである「ポントリヤーギンの最大原理」を使って化学工場の自動制御の最適化を研究するというのは同じでも、大学にいると授業料(たぶん当時は月1,000円だと思うが)を払わなければならないのに、会社に入るとたとえ寮でマージャンしていても給料がもらえる。

そして同じ年の高専卒の研究者は、今北さんの修士論文をあっというまに理解して、今北さんができないコンピュータープログラムを自分で書きあげる実力を持っているのに、給料は大学院卒の今北さんよりはるかに少ない。

周りの友人が「高専卒だから当たり前」というのが理解できなかったという。


カルロス・ゴーンさんに日本の話をする

今北さんは日産・ルノーのCEOカルロス・ゴーンさんとの付き合いもある。

ゴーンさんが日産のCOOとして日本に赴任する前に、元ルノー唯一の日本人社員ということで、つてをたどって今北さんに話を聞きに来たことがあった。その時に今北さんは、日本には2種類の沈黙があると忠告したという。

最初の沈黙はノーアイデアの沈黙、2つめの沈黙は「ボスは聞く耳を持たない」と判断された時の沈黙だという。2つめの沈黙には注意しろと今北さんはゴーンさんにアドバイスしたという。

日本に赴任したゴーンさんと再度会ったら、ゴーンさんは「日本の労働組合は英語をしゃべる」と驚いていたというエピソードを紹介している。


その他にも同僚の知見を適宜反映させたレポートでクライアントを獲得したら、同僚から50:50のプロフィットシェアリングを申し入れられたケースとか、オックスフォード大学での招聘教官として赴任した時に、担当する学生に逆にテストされた話、あとでわかったことだが部下がジスカールデスタン元大統領の甥で、欧州の人脈の強さに驚いた話など、今北さんの貴重な国際ビジネス経験を紹介していて、大変興味深く読める。

平尾誠二さんの「トンガの選手を一人入れたら、おどろくほどチーム全体の力がアップしました」という話も面白い。「天性のエンターテイナー」の指揮者の佐渡裕さん、「柔道を介して日本を理解してもらう」ことが現在のミッションと語る柔道の山下泰裕さん、「本番で試すということをやらない限り、成長はない」と語る将棋の羽生善治さんなどの話も参考になる。

いろいろ参考になる話が多いが、この辺でやめておく。

今北さんの他の本も読みたくなった。自分自身に置き換えてシミュレーションができ、頭の体操もできる知的刺激に富んだ本である。


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2011年12月18日

終わらざる夏 千島列島最北端 占守島の戦いをめぐる浅田次郎のファンタジックな小説

終わらざる夏 上終わらざる夏 上
著者:浅田 次郎
集英社(2010-07-05)
販売元:Amazon.co.jp
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終わらざる夏 下終わらざる夏 下
著者:浅田 次郎
集英社(2010-07-05)
販売元:Amazon.co.jp
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浅田次郎が第2次世界大戦終了3日後後、千島諸島最北端の占守島(しゅむしゅとう)で突如起きた、日本軍守備隊とソ連軍との戦いを取り上げた小説。

上下約1、000ページという大作だ。

占守島の地図がこの本の最後に載っている。

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出典:本書裏表紙

カムチャッカ半島の目と鼻の先で、終戦直後にカムチャッカ半島の砲台から砲撃を受けという。十分に砲弾が届く距離だ。

YouTubeに占守島の戦いのことが載っている。



全編を通じて映画のような構成だ。45歳で突然召集された出版社の英語専門編集者、日中戦争でたびたび戦果を挙げて金鵄勲章を与えられたが、右手には2本しか指が残っていない3度目の召集のトラック運転手・軍曹、医高専出身だが優秀さを買われて東大医学部に派遣されていた間に召集された医師の3人とその家族や仲間のエピソードで全編を構成している。

下巻の最後に占守島の戦いの場面があるが、直接的な描写ではなく、ソ連兵の回想というかたちで描写している。

小説のあらすじは例によって詳しく紹介しない。全体にスクリーンにぼかしが入ったような読後感がある。

とくにエンディングなどは、まさに映画のようにぼかしとフェードで戦闘が取り上げられているような感じだ。戦った軍人はその後シベリア抑留され、多くが命を落としていることも描かれている。

占守島の戦い自体は、日本軍23,000人に対して、ソビエト軍8,000で、日本側の勝利に終わった。攻める側が守る側より兵力が劣っていては、当然負けるだろう。

小説で詳しく書いてあるが、関東軍の精鋭戦車舞台が占守島に配属転換され、新品の97式戦車など50両を持っていた。

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出典:いずれもWikipedia

食糧は毎日のようにサケとイクラを食べていたという。タンパク質豊富な食事をしていたので、兵隊はいたって健康で、武器・弾薬ともに十分で、敗残の軍隊という感じではない。

ソ連が終戦後占守島を攻めてきた理由は不明だが、あわよくば千島列島を総なめにして北海道まで占領しようというスターリンの領土欲のためと思われる。

そんな冒険主義のソ連軍を占守島で出鼻をくじき、それ以上の侵攻を止めた占守島守備隊の功績は大きい。

靖国神社の遊就館でも占守島守備隊のことを紹介したパンフレットが置いてある、

この資料には転載のことについて何も書いていないが、たぶん多くの人の目に触れることが、靖国神社がこのパンフレットを用意した目的だと思うので紹介しておく。

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出典:「士魂会事務局

たぶん浅田さんも日本人は決して忘れてはならないもう一つの「日露戦争」として、この話を小説にしたのだと思う。

重い題材だが、全体をファンタジックに描いている。映画化が待ち望まれる作品である。


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2011年12月08日

知識ゼロからの焼酎入門 知らなかったモダン焼酎の進歩

知識ゼロからの焼酎入門知識ゼロからの焼酎入門
著者:日本酒類研究会
幻冬舎(2004-02)
販売元:Amazon.co.jp
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日本酒の本をいろいろ読む一方、もうひとつの代表的”日本酒”である焼酎の本も読んでみた。

フルカラーの「日本酒事典」などに比べて、こちらは焼酎の銘柄の紹介も白黒写真で、ややショボい感じが否めないが、それでも焼酎の基礎知識を得るには格好の本だと思う。


蔵元を知って味わう日本酒事典蔵元を知って味わう日本酒事典
ナツメ社(2011-01-21)
販売元:Amazon.co.jp
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焼酎が蒸留酒であることは知られているが、あまり知られていない焼酎にしかない特徴としては次が挙げられる。

1.血栓を予防するのではなく、できた血栓を溶かす効果があるのは焼酎だけ

赤ワインなどのポリフェノールは血管に血栓ができるのを防ぐ効果があるとされているが、焼酎は血栓を溶かすウロキナーゼを増やす効果がダントツに高い。scanner253



















出典:本書8ページ


2.焼酎の原料はでんぷん質であればなんでも良く、世界のアルコール飲料の中でも原料の制限のないユニークな存在

麦、芋、米、そば、黒糖など様々な原料から焼酎ができる。変わったところでは、ミルク、しそなどがある。その他にも多くの原料から焼酎が造られている。

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出典:本書85ページ

マンガ「美味しんぼ 95 焼酎革命」でも最近の焼酎の劇的な変化がわかる。特に若い造り手が焼酎の近代化を積極的に推進している。

美味しんぼ (95) (ビッグコミックス)美味しんぼ (95) (ビッグコミックス)
著者:雁屋 哲
小学館(2006-05-30)
販売元:Amazon.co.jp
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山翡翠 (山せみ) 720ml
山翡翠 (山せみ) 720ml

幻冬舎の「知識ゼロからの〜」シリーズは大体1日で読めて、手軽に基礎知識を得られるので、ありがたいシリーズ本だ。


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2011年12月05日

映画・スパイ・ゾルゲ 3時間の歴史大作を見た



スパイ・ゾルゲ [DVD]スパイ・ゾルゲ [DVD]
出演:イアン・グレン
東宝(2003-11-21)
販売元:Amazon.co.jp
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図書館で借りて映画「スパイ・ゾルゲ」を見た。

日本にドイツの新聞社の特派員として駐在しているふりをして、実はソ連のスパイとして日独の情報をスターリンに送っていたリヒャルト・ゾルゲの名前はこのブログでは、近衛文隆の人生について描いた「夢顔さんによろしく」、「プリンス近衛殺人事件」で紹介した。

夢顔さんによろしく 上―最後の貴公子・近衛文隆の生涯   文春文庫 に 9-3夢顔さんによろしく 上―最後の貴公子・近衛文隆の生涯 文春文庫 に 9-3
著者:西木 正明
文藝春秋(2002-10)
販売元:Amazon.co.jp
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プリンス近衛殺人事件プリンス近衛殺人事件
著者:V.A. アルハンゲリスキー
新潮社(2000-12)
販売元:Amazon.co.jp
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近衛文隆はシベリア抑留中に出した妻の正子さん宛のレターの最後に、「夢顔さんによろしく」と何回か書き送っていた。

この「夢顔」さんとは誰のことか、当時は本人の正子さんにもわからなかったようだ。「夢顔さんによろしく」のあらすじでは、謎を明かさなかったが、実はこの「夢顔」さんがゾルゲのことである。

文隆は1941年にゾルゲが内通者の朝日新聞社員・尾崎秀実(ほつみ)とともにソ連のスパイとして逮捕されたことを知っていた。これがゾルゲ事件である。

ゾルゲと尾崎が1944年に処刑されたことは公にされていなかったので、文隆はゾルゲが戦後ソ連のヒーローとして復活したと思っていた。

それで妻の正子宛に、シベリアに抑留されている文隆開放の為にゾルゲの助けを借りることを暗号文で示唆したのだ。

もちろんゾルゲは日本で1944年に処刑されているので、文隆の願いは届かなかったが、旧東ドイツではゾルゲの切手が発行されているほどで、共産主義のヒーローとして戦後復権している。

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出典:Wikipedia

またWikipediaによると、ロシアの駐日大使が着任するとゾルゲの墓参りに行くそうなので、現在でもゾルゲはロシアのヒーローと見なされているようだ。

映画のあらすじは例によって詳しくは紹介しない。

全編3時間という長編大作で、映画館で上映された時は、途中で休憩が入ったそうだが、この映画を見ると当時の時代背景や風俗がよくわかって大変参考になる。

映画のストーリーとしてはラブストーリーも織り交ぜた歴史物と言っておこう。昭和の歴史に興味のある人は、一見の価値がある映画である。


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2011年11月28日

サッカー代理人 中村俊輔、長谷部誠らの代理人の本

サッカー代理人 (日文新書)サッカー代理人 (日文新書)
著者:ロベルト 佃
日本文芸社(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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中村俊輔、長谷部誠、長友佑都、岡崎慎司、阿部勇樹などの代理人をつとめるFIFA公認代理人であり、6か国語を話すというロベルト佃さんの本。

ロベルトさんはアルゼンチン生まれで、アルゼンチンで同時通訳などをやっていて、1995年に横浜マリノスの当時のアルゼンチン人監督のホルヘ・ソラリ監督と3人のアルゼンチン人コーチの通訳として雇われた。

当時マリノスにはラモン・ディアス、メディナベージョ、ビスコンティ、サパタのアルゼンチン代表、元代表がいて、あわせて8人のアルゼンチン人がチームにいた。選手の通訳はうまくなくてもよいが、監督の通訳は正確性が求められる。そのため当時のマリノスの森孝慈GMがロベルトさんにオファーを出したのだ。

中村俊輔は1997年にマリノスに入った時からの知り合いだ。またロベルトさんの会社の共同経営者の西塚さんとは、マリノスのフロントで知り合った仲だ。

この本では日本選手を海外チームに売り込む場合の交渉術、日本人プレーヤーにあった国、ヨーロッパの国の民族性の差、年俸戦略などが紹介されており興味深い。


年俸は必ずしも高い方が良いわけではない

非常に参考になったことは、年俸は必ずしも高い方が良いわけではないということだ。

たとえば現在の年俸が2,000万円であれば、交渉で5,000万円とするよりも、3,000万円にとどめておいたほうが良い場合もある。

クラブの経営状態が悪くなると、高い年俸の選手からリストラの対象となるので、たまたま次のシーズンに結果がでないと5,000万円の選手はリストラされてしまう恐れがあるからだ。Jリーグの選手の年俸は500万円/年きざみで上がっているのが現状だという。

プロ野球の選手の高額年俸がメディアで報道されるのを見て勘違いし、年俸をあまりに吊り上げるようなことは自分自身の首を絞める。80年の歴史のあるプロ野球チームと20年の歴史のJリーグクラブとの財政状態は大きな差があることを忘れてはならないとロベルトさんは語る。


契約年数は代理人の腕の見せどころ

複数年契約もトリッキーだ。複数年契約は、2年目は1年目の年俸を下まわらない額、3年目は2年目を下まわらない額という風に決めることが多い。その場合には大体500万円ずつのアップになる場合が多い。

ところが単年度契約なら、活躍できる選手にはクラブ側は残ってほしいので、最初の年は1,000万円でも交渉によっては2年目は2,000〜2,500万円と年俸を上げることができる。

もっとも海外移籍を目指す選手の場合には、安易に単年度契約をしてしまうと、2年目は条件が白紙になったということで、海外からオファーが来た時に、クラブ側が移籍金を吊り上げることが可能となる。そうなると高い移籍金を払える移籍先は限られてしまい、簡単には海外移籍ができなくなってしまう。だから海外移籍を考える選手は複数年契約にしたほうがよいという。


国によって違う交渉

ドイツや英国のクラブはしっかりしていて、約束も守る。オランダはお金に細かい。北イタリアは比較的北ヨーロッパに近いが、南イタリアはルーズで、フランス、スペイン、ポルトガルは約束の時間を守らず、トルコ、ギリシャは論外だという。

ヨーロッパの国の多くでソブリンリスクが発生しており、ギリシャはもちろん、スペインでも経済が停滞し、クラブが次々と経営破たんしている。

スペインのクラブはソシオという会員組織で成り立っており、サッカー以外にも多くのスポーツをやっている。景気が悪くなると会員収益が減り、とたんに経営が苦しくなるのだ。スペインの中小クラブでは選手の給料や移籍金の未払いも日常茶飯事で、有名クラブのバレンシアでさえ財政難からバレンシア市の援助を受ける事態にまで陥ったという。

日本のサッカー選手はスペインサッカーの質の高さに魅了されているが、給料を滞納しているクラブもあることを注意すべきだと語る。イタリアもクラブ経営が厳しいのはスペインと同じだが、イタリアでは私財を投じてクラブ経営を行っているオーナー経営者が多く、スペインよりは安定しているという。


代理人として海外移籍第一号の中村俊輔

ロベルトさんが仲介した海外移籍第一号は中村俊輔だった。

中村俊輔のセリエA移籍はレッジーナ側が積極的で、最初から買い取り前提のレンタル移籍だった。レンタル期間は6か月という好条件で、マリノス社長の条件もクリアーできた。

中村俊輔がセリエAをまず目指した理由は、フィジカルが強いセリエAで通用すれば、フィジカル面での欠点を補える能力があることの証明になるためだった。

中村俊輔の技術力はイタリアでも高く評価されており、「手でボールを扱っているようだ。あそこまでコントロールできる選手は見たことがない」とイタリアのプロも評価していたという。

セリエAで3年間やった後で、スコットランドのセルティックの監督が中村にほれ込み、2005年にセルティックに移籍した。ヨーロッパのビッグ20に入り、チャンピオンズリーグの常連の名門クラブで活躍した日本人選手は俊輔だけだった。

中村俊輔はマリノス入団当時からサッカーノートをつけていた。自分のプレイのみならず、相手の良いプレイでも書き留めていたという。このメモが課題克服に役に立ち、日ごろの自己分析を自分の成長につなげた典型例だ。

中村俊輔はサッカーが好きで、イタリアでもサッカー漬けの生活をしていた。夜7時に夕食、8時からはテレビゲームでリラックス、9時からは風呂、ストレッチで、11時前には寝る。朝は7時に起きて、いいイメージをつくるために、自分が出場した試合のビデオを見るという生活だったという。


海外で活躍する有力選手

長友佑都は3つぐらいの単語を知っていただけで、1時間もイタリア語で談笑できる、だれとでもすぐ仲良くできる「ラテン系日本人」だという。心肺能力も抜群のものがあり、走力はずば抜けている。

岡崎慎司は技術面ではもっとうまい選手がいるが、チームのために限界まで頑張れるタイプの選手だという。メンタル面とフィジカル面での強さを兼ね備えた選手である。

ヴォルフスブルクの長谷部誠は、攻撃面では得点にからむ決定的な仕事をし、守備面でも豊富な運動量に裏付けられた献身的なプレーで高い評価を得ている。

長谷部はドイツ語を流暢に話し、ドイツの文化、クラブにも溶け込んでいる。イギリスやイタリアからの誘いもあったが、ドイツへの移籍は長谷部が希望して実現した。非常に頭がよく、読書家であり、人のことを第一に考えるタイプの人間なので、そういった人間性がドイツの国民性・サッカーに合致して、まわりの信頼を得ている。

礼儀正しく律儀で、ロベルトさんの事務所に顔を出すときも、必ずみやげを持ってくるという。自分でできることは自分でやる。チケットの予約も自分でやるというぐあいだ。


南米の選手はなぜ異国で活躍できるのか

ブラジルやアルゼンチンの選手がなぜヨーロッパなどで活躍できるのかについては、ロベルトさんは技術の高さもあるが、次の要因を挙げている。

1.家系にスペイン人、イタリア人、ポルトガル人の親族がおり、ヨーロッパで活躍すれば、数年でEUのパスポートが取れることが大きなモチベーションとなっている。

2.サポーターの厳しい目があり、手を抜いたプレーをするとヤジが飛ぶ。そんな日常的なプレッシャーの中でプレーしている彼らはプレッシャーを感じない強靭な精神構造がつくられる。

3.南米社会の底辺は貧しく、家族を養うために生活費を稼ぐハングリーさを持ち合わせている。

4.ブラジル人選手は「サッカー界の中国人」と呼ばれ、数も多く、どこの国にいっても存在感は大きい。しかし、ブラジル人は多いが、失敗する選手も多い。

逆にアルゼンチン人選手はブラジル人に比べれば数は少ないが、海外で成功する確率は高い。これはアルゼンチンの競争心をはぐくむ教育方針が関係しているとロベルトさんは語る。アルゼンチン人は、仕事は成功させなければならないものという意識が高く、失敗して故郷に帰るくらいアルゼンチン人にとって恥ずかしいことはないのだと。

長谷部も「心を整える。」の最後でアルゼンチンのボカジュニアーズとレッズ時代に対戦した時に、ボカの選手の試合にかける意気込みとハングリーさはレッズの選手と全く異なっていたと書いている。

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
著者:長谷部誠
幻冬舎(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

マラドーナもブエノスアイレスの貧民街出身だ。天性のサッカーセンスもあるが、そのハングリー精神はすごいものだ。だからあれだけの選手となったのだ。


Jリーグ年俸制の問題点

Jリーグの新人選手の年俸は大学・高校生は”C契約”で上限は480万円だ。アマチュア時代に国際Aマッチ、オリンピックやアジア大会などの予選・本戦の出場時間が450分以上となると”A契約”が可能だが、それでもA契約の上限は700万円と設定されている。

ロベルトさんはこれではいかにも低すぎ、プロの世界といっても夢が感じられないだろうと語る。サッカーでなくほかのスポーツを選ぶ可能性も出てくる。野球のほうが選手生命は長く、高額な契約金もある。スポーツのできる子がサッカー界を目指さなくなるのではないかと。


スポーツ選手の代理人というと、口八丁手八丁の辣腕弁護士のようなイメージがあるが、ロベルトさんはその辺を感じさせない。トリッキーなところがなく、選手から信頼されて各国のクラブオーナーやGMと誠実な交渉をしていることがうかがえる。

ロベルトさんが代理人をとつめるサッカー選手の人柄や、サッカー選手年俸・移籍に関する交渉の内実がわかって参考になる本である。


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Posted by yaori at 22:47Comments(0)この記事をクリップ!ビジネス | スポーツ

2011年11月27日

大震災の後で人生について語るということ 日本を襲ったブラック・スワン

大震災の後で人生について語るということ大震災の後で人生について語るということ
著者:橘 玲
販売元:講談社
(2011-07-30)
販売元:Amazon.co.jp
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最新の海外投資やパーペチュアル・トラベラー(常に渡り歩いて、どの国にも税金を払わない)、サラリーマン法人など、ユニークな話題を取り上げている橘玲さんの最新作。このブログでも多くの橘さんの作品を紹介している

この本では日本で起こった二つのブラック・スワン(起きる前は誰も予想できなかったが、起こった後は誰もが”起こるべくして起こった”と見なしている「世界を変えた出来事」)として、今年の東日本大震災と1997年のアジア通貨危機を取り上げている。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社(2009-06-19)
販売元:Amazon.co.jp
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ちなみに「ブラック・スワン」という2010年度アカデミー主演女優賞を受賞したサスペンス映画もあるが、ここでいう「ブラック・スワン」とは関係ない。



東日本大震災と福島第一原子力発電所の問題は、誰にでもわかりやすいブラック・スワンの例だが、1997年のアジア通貨危機とその後の日本の金融危機(北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の破綻)は言われてみなければわからない。

日本の自殺者は1998年から1万人/年増えていて、毎年減らない。

自殺者長期推移






次が男女・年齢別の自殺者数の推移だ。1998年以降男性が大幅に増えているのに対し、女性はほとんど変化が見られない。

自殺者男性年齢別











出典:「自殺対策白書」

政府が毎年発表している「自殺白書」では、1998年から男性の45歳〜64歳の自殺率が急増し、それが毎年1万人弱という大幅な自殺者の増加の原因であることを示している。

東日本大震災での死者・行方不明者は約3万人と言われているが、1998年からの金融危機後の自殺者増加数は12年間の累計で10万人にも上り、東日本大震災を上回るインパクトである。

中高年男性が自殺を選ぶ最大の原因は経済的な理由と見られている。

典型的なパターンは、リストラなどによる失業や賃金カットで、住宅ローンや教育費が払えなくなり、消費金融から金を借りるだけでは追いつかず、闇金にも手を出す。借金取りに追い立てられて挙げ句の果てには自殺して生命保険で借金を清算するほかなくなる、という悲劇の構造だ。

この金融危機後のブラック・スワンの原因は次の日本の4大神話が崩壊したことにあると橘さんは語る。

1.不動産神話 持ち家は賃貸より得だ
2.会社神話  大きな会社に就職して定年まで勤める
3.円神話   日本人なら円資産を保有するのが安心だ
4.国家神話  定年後は年金で暮らせばよい


これらがいずれも崩壊したことに気が付かないと、ある日突然自分の資産がマイナスとなり、窮地に追い込まれることとなる。

橘さんはマイホームを買うという夢は否定しないが、年収の数倍という大きな借金を背負って金融資本のすべてを不動産に投資することは、きわめて危険な選択だという。

米国のようにノンリコース(非遡及型)なら、住宅ローンが払えなければ、家を明け渡せばよいだけだが、日本の住宅ローンは属人型なので、不動産価値が下がると、たとえ家を換金売りしてもまだ借金は残る。

サラリーマンは一定の賃金が将来とも保証されているという「サラリーマン債券」という資産を持っていると見なせるが、会社が倒産したり、リストラにあって職の安全が保証されなくなるとサラリーマン債券を失う。「サラリーマンでいることのリスク」が顕在化してきているのだ。

リストラに遭うと、中高年サラリーマンが再就職するのは至難の業で、せいぜい非正規社員にしかなれない。収入は激減し、住宅ローンや教育費が重くのしかかってくるのだ。


日本人はリスクを嫌う

「リスクに背を向ける日本人」という本で引用されている、「世界価値観調査」によると”自分は冒険やリスクを求める”のカテゴリーに当てはまらないと思っている比率は日本人が世界でも最も高い。

リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)リスクに背を向ける日本人 (講談社現代新書)
著者:山岸 俊男
講談社(2010-10-16)
販売元:Amazon.co.jp
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世の中に錬金術はなく、国家財政の赤字を垂れ流し、国債を発行ばかりしていれば、人口減少・少子高齢化の日本の未来ははっきり見通せる。それは今と逆の世界で、高金利、円安、インフレだ。

日本人は元々リスクを嫌う国民で、安定した人生を送るために、偏差値の高い大学に入って大企業に就職することを目指し、住宅ローンを借りてマイホームを買い、株や外貨には手を出さずにひたすら円を貯め込み、老後の生活は国に頼ることを選んできた。

こうしたリスクを避ける伝統的な選択が、今はリスクを極大化する事になってしまう。この事態は1997年の金融危機から始まっていたが、多くの日本人は”不都合な真実”に眼をそむけ、3.11の東日本大震災ではじめて自らのリスクを目の前に突きつけられたのだと橘さんは語る。


伽藍からバザールへ

そしてこの本の結論として、橘さんは「伽藍からバザールへ」という言い方で、「出る杭は打たれる」ことを恐れ、目立つことをしない閉鎖的なネガティブゲーム社会から、自分の能力を売り物にするグローバルなポジティブゲーム社会へ生き方を変えることを提言する。

伽藍というのはあまりビジネス書では使われない言葉だが、いわば塀に囲まれた町のようなイメージだろう。

米国の労働長官も務めたUCバークレー教授・ロバート・ライシュは「ザ・ワークス・オブ・ネーションズ」で、これからの仕事は”マックジョブ”と””クリエイティブクラス”に2極化すると予言している(この表現は橘さんの用語で、元々の表現は”シンボリック・アナリスト”と”対人サービス業者”、”ルーティン肉体労働者”)。

ザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージザ・ワーク・オブ・ネーションズ―21世紀資本主義のイメージ
著者:ロバート・B・ライシュ
ダイヤモンド社(1991-10)
販売元:Amazon.co.jp
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マックジョブはマクドナルドのアルバイトのようにマニュアルにより誰でも出来る仕事で、製造業でもサービス業でも、この種の仕事の賃金はグローバルな競争にさらされる。

その一方で医者や弁護士などの専門家、俳優やクリエイターなどのスペシャリストは専門性あるいは他の人で置き換えられない価値を持っている。


読者が目指すべき道

日本の出版業界では、ながらく本を読む人は人口の10%と言われてきたという。「出版大崩壊」という本で、著者の山田純さんは、日本のビジネス・経済書を読む人口を400万人と推定している。

出版大崩壊 (文春新書)出版大崩壊 (文春新書)
著者:山田 順
文藝春秋(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
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その根拠は、日本の一流大学(MARCH,関関同立など)の卒業生は年間15〜20万人で、その人たちが40年間にわたって本を読むとして800万人。ビジネス書の読者は圧倒的に男性だから、その半分の400万人がビジネス・経済書の読者というものだ。

この本の読者はすでにその400万人の日本の知識層のうちの一人なので、転職や独立を意識しつつ、スペシャリストとして競合他社や他の業種でも評価してもらえる実績をつくることが重要だと橘さんは説く。

サラリーマン法人など前作「貧乏はお金持ち」で紹介したような(筆者はちょっとありえないと思うが)サラリーマンのフリーエージェント化の可能性もある。

貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する
著者:橘 玲
講談社(2009-06-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

これが人的資本の伸ばし方の一例で、金融資本の伸ばし方(投資)については、インフレに強い投資(金EFTや商品EFTなど)、FX(ハイリスクなので筆者はお勧めしない)、世界株投資(ACWI=All Country World Index EFTやVT(Vanguard Total World Stock EFT)などを紹介している。

個人のバランスシートは4つの神話に基づいたものから、次のような新しいポートフォリオに変わるのだ。

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出典:本書

最後に橘さんは、東日本大震災の日にあてもなく街をさまよった自らの経験を語り、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」の「最もよき人々は帰ってこなかった」という一節を引用している。

夜と霧 新版夜と霧 新版
著者:ヴィクトール・E・フランクル
みすず書房(2002-11-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

そして”カポー”(ユダヤ人のナチス協力者)は、暖房の効いた部屋で津波に押し流される家を見ていた自分だったと語る。

橘さんは地震の後、ショックを受け茫然自失に陥った。自分の本はいままで絵空事を書いてきただけではないかと悩んだ。しかしそうであれば絵空事を書くことに徹しようというということで、この本を2週間で書き上げたという。

地震で評価を挙げた経済人は、100億円を寄付したソフトバンクの孫さんや10億円を寄付した楽天の三木谷さんユニクロの柳井さんなどベンチャー企業経営者で、バザールの住人たちだった。大企業はほとんど存在感を発揮できなかった。

筆者自身の話となるが、筆者はいままで橘さんのいう「伽藍世界」の価値観で生きてきた。一流大学を卒業し、大企業に就職して、25年ローンで東京の郊外に一戸建てを買った。18年前に購入したマイホームは、住みやすく問題はない。しかし最初の米国駐在から帰ったバブル直後に購入したこともあり、マイホームの価値は買ってから半減した。

筆者がマイホームを購入したのは、会社の先輩の「年を取るとローンが借りられなくなる」というアドバイスがきっかけだ。橘さんの「サラリーマン債券」という発想そのものである。バブルの後で不動産市況は下落していたが、逆に非常にクオリティの高い住宅が以前より安く買えるようになったことが、現在の家を購入した理由だが、結局マイホーム投資では数千万円という資産価値の下落を経験した。

さいわいまだ個人バランスシート上は債務超過にはなっていなし、払い終えるめどはほぼついてきたが、あやうく債務超過に陥るところだった。

日本が少子高齢化・人口減少化社会に向かうことから考えても、年収の数倍のローンを抱えてマイホームを購入することは、今後は大きなリスクとなることは間違いない。橘さんの説く方向性は間違っていないと思う。なんらかの技能や資格を持ち”つぶしが効く”存在となり、家は極力賃貸することだ。

橘さん自身が書いているように、この本はこれまでの本と同じ路線で、あまり新規性はないが、これまで述べてきた主張を本にまとめて、日本をおそったブラック・スワンに対して日本人への警鐘を鳴らす本である。

この人は本当に文章がうまい。いつもながらテンポがよく、読みやすい本である。


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Posted by yaori at 23:23Comments(0)この記事をクリップ!橘玲 | Financial Intelligence

2011年11月23日

銃・病原菌・鉄 なぜ新大陸民族は旧大陸民族に敗れたのか?

銃・病原菌・鉄 上下巻セット銃・病原菌・鉄 上下巻セット
著者:ジャレド ダイアモンド
草思社(2010-12-10)
販売元:Amazon.co.jp
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中南米のアステカやインカ帝国はなぜ少数のスペイン人によって滅ぼされたのか、文明の発展や文化の伝播はどのような特長があるのかを解説した上下約700ページの大作。

この作品は1998年にピューリッツアー賞を受賞し、日本では2000年に翻訳が発売された。根強い人気があり、朝日新聞の「2000年〜2010年に出版された本」の第1位に選ばれている。

著者のジャレド・ダイアモンド博士は生物学の学者で、この本の他には「人間はどこまでチンパンジーか」などといった竹内久美子さんが得意の路線でも本を出している。

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り
著者:ジャレド ダイアモンド
新曜社(1993-10-01)
販売元:Amazon.co.jp
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浮気人類進化論―きびしい社会といいかげんな社会 (文春文庫)浮気人類進化論―きびしい社会といいかげんな社会 (文春文庫)
著者:竹内 久美子
文藝春秋(1998-11)
販売元:Amazon.co.jp
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今回の研究を思い立ったきっかけは、研究のために長期滞在していたニューギニアで、マオリ人のヤリ(人名)から「欧米人は様々な物資を作り出して、ニューギニアに持ってきたが、ニューギニア人はそうした物資を作り出さなかった。その差はどこから生まれたのか」という質問だという。

たしかに新大陸民族が旧大陸民族や文化を滅ぼしたという例はない。それはなぜなのか。

一般的にはこの本のタイトルのように「銃・鉄」が旧大陸と新大陸の差を生み、旧大陸の「病原菌」が免疫のない新大陸民族を根絶やしにしたと言われているが、そもそもなぜそのような差がついて、新大陸の病原菌は旧大陸に蔓延しなかったのか。ヨーロッパ人が新大陸を征服したのは、人種や民族が優秀だったからではなく、居住環境の差がこの差をもたらしたとダイアモンド博士は語る。


人類の誕生と拡散

人類は700万年前にアフリカで類人猿から枝別れして誕生し、400万年前に直立しはじめ、170万年前から直立歩行を始めている。そしてアフリカからユーラシア大陸各地、アメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランドに次の図のように拡散した。

人類の拡散





出典:本書上巻51ページ


農耕と家畜飼育が文明のカギ

各大陸に生きる住民は1万3千年前の最終氷河期が終わった頃までに発達の度合いは大差なく、すべて狩猟民族だった。8,500年前にメソポタミアで農耕が始まり、つづいて中国やインダスでも農耕と家畜の飼育が始まった。

ところがアメリカ大陸では農耕の始まりはこれから5〜6,000年遅れ、オーストラリアやニュージーランドのアボリジニは結局農耕を知らなかった。

飼育栽培化比較









出典:本書上巻143ページ

植物栽培と家畜飼育により自分で食物を生産できなければ、余剰食糧はできず、人口も増えない。コロンブス以前のアメリカ大陸の先住民人口は2,000万人と言われているのに対して、狩猟生活のオーストラリアのアボリジニは最大でも数十万人だったという。

農耕や家畜による大規模生産が階層化された社会の前提条件だ。食糧生産の余裕が出た社会は高度化して、文字を生み出し、職業軍人が生まれる。

小麦、大麦、米などの穀類の他、エンドウマメやレンズ豆の栽培も始まった。穀類とタンパク質の多いマメ類を組み合わせることで、必要な栄養素の揃ったバランスある食生活が可能となり、体格向上につながった。

ちょっと脱線するが、「主食をやめたら健康になる」という本が出ていることを、大学の先輩に教えて貰った。

主食をやめると健康になる ー 糖質制限食で体質が変わる!主食をやめると健康になる ー 糖質制限食で体質が変わる!
著者:江部 康二
ダイヤモンド社(2011-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
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著者の京都・高雄病院長・江部康二さんはブログで次のように書いている

「糖質制限食は「変わった食事」というイメージを持たれがちですが、実は人類本来の自然な食事です。人類が誕生したのが約700万年前で、農耕が始まるまでは狩猟・採集を生業とし、すべての人類が糖質制限食を実践していました。農耕開始後1万年間だけが、主食が穀物(糖質)へと変化しました。

すなわち穀物を主食としたのは、人類の歴史のなかでわずか700分の1の期間にすぎないのです。糖質制限食と高糖質食、どちらが人類にとって自然な食事なのかは言うまでもありません。糖質制限食はいわば人類の健康食なので、糖尿病や肥満・メタボに限らず、さまざまな生活習慣病が改善するのも当たり前といえば当たり前なのです。」


出典:ドクター江部の糖尿病徒然日記

本のあとがきに、「もう一つ忘れてはならないことがあります。それは農耕以前の人類においては飢餓は日常的な出来事であり、体脂肪はそれに対する唯一のセーフティーネットであったということです。」と書いてあるので、江部さんも十分分かった上で書いているのだろうが、原始人は健康なのではない、常に餓死と隣り合わせの栄養失調だったのだ。寿命も現代人に比べてはるかに短い。たとえメタボであっても現代人の寿命のほうが原始人に比べてはるかに長いのだ。

狩猟しか知らない原始人は毎日食うや食わずで、それゆえ人口が増えるどころではなかった。だから農耕を知らないオーストラリアのアボリジニは、最大でせいぜい数十万人しか生存できなかったのだ。

江部さんの本はメタボや糖尿病の患者を主に対象としているので、上記の部分も糖尿病の患者に主食なしのダイエットを続けさせるための意図的な説明なのだろうが、文字通り解釈して原始人の方が健康だったというような書評があるので、注意が必要だ。

閑話休題。


病原菌

旧大陸を起源とする天然痘、麻疹、インフルエンザ、チフス、ジフテリア、マラリアなどの病原菌がヨーロッパ人によって新大陸にもたらされ、推定で2,000万人いた先住民の95%が病死してしまった。

スペイン人のエルナン・デソトが遠征した16世紀前半にはミシシッピ河下流に多くのインディアンの大集落があったが、1600年頃までにほとんど先住民の大集落はなくなったという。

旧大陸からの病原菌が蔓延して、抗体のないアメリカ先住民を根絶やしにしてしまったのだ。

逆に新大陸から旧大陸にもたらされて蔓延した病原菌はない。梅毒が唯一の例外である可能性もあるが、梅毒の起源については依然として議論されている。

なぜ旧大陸の人間がこれらの病原菌に抵抗力があったかについては、家畜と一緒に生活し、家畜の伝染病に人間も罹ることにより免疫がつくられ、それゆえ抵抗力があったと推論している。

人類の進出は東西は早く、南北は時間がかかるというのも重要な論点だ。上記の「人類の拡散」の図にあるように、アメリカ大陸に人類が進出したのは1万2千年前、そしてオーストラリアに進出したのは4万年前だ。ユーラシア大陸全域には50万年前に進出していたことに比べて遅いことがわかる。

文明の伝播も南北は時間がかかる。たとえばユーラシア大陸ではフェニキア文字や中国の甲骨文字が周辺地域に広まっていったが、北アメリカのアステカでは文字を使っていたが、同時期に南アメリカにあるインカ帝国インカ帝国では文字はなかったというような例が挙げられている。

ちなみに筆者は30年ほど前に訪問したペルーのリマの天野博物館で、インカの特徴ある土器や縄文字を見た。インカには縄文字はあったものの、これは生産統計などを記録するためのものであり、複雑な内容を伝えることはできなかったという。

Quipu













出典:Wikipedia

その他、食料生産は文字の誕生の必要条件とか、マダガスカル島の先住民の言語はボルネオの先住民に近いなど参考になる情報が多い。

鋳鉄、磁針、火薬、製紙技術、印刷術で世界をリードしていた中国の文化の先端性が失われたのは、宮廷内の権力闘争の結果、明の皇帝の鶴の一声で外洋航海が禁止されたからだ。

中国では15世紀初頭には鄭和の南海遠征で船長120メートルもの大型船で外洋航海していて、アフリカまで到達していたが、その後は中国が他の地域に進出することはなかった。

トウモロコシが作付け面積当たりの収穫量は最も多い作物だが、トウモロコシはアメリカ大陸が起源で、野生種祖先はテオシントと呼ばれる雑草だと言われていることをこの本で知った。

テオシント






出典:筑波実験植物園ホームページ


700ページもの大作で、最初はややとっつきにくいが、読み始めると興味深く読める。大変参考になるジャッド博士の研究成果である。


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2011年11月21日

命の限り蝉しぐれ 中曽根康弘元総理と竹村健一氏の対談

命の限り蝉しぐれ―日本政治に戦略的展開を命の限り蝉しぐれ―日本政治に戦略的展開を
著者:中曽根 康弘
徳間書店(2003-12)
販売元:Amazon.co.jp
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小泉総理(当時)に衆議院議員出馬を止められて政界現役を引退した中曽根康弘元総理と評論家竹村健一氏との対談。2003年12月の出版で、この年の10月に中曽根さんは自民党北関東比例代表区の公認候補を外された。


小泉元首相の「政治的テロ」

小泉首相からの中曽根さんと宮沢喜一さんに対する議員退職の通告に対し、宮沢さんも中曽根さんも反発し、中曽根さんはいたずらに時間を引き延ばされ、結局"NO”と一方的に通告してきたのは「政治的テロ」だと言って強く非難したことは記憶している。

もともと自民党北関東比例代表区の終身1位となるかわりに、小選挙区からは出馬をしないという約束が橋本首相の時代にあり、党の記録にも残っているという。宮沢さんも同様の約束があった。

しかし小泉首相は中曽根さんの抗弁には黙りこくり、中曽根さんの「断じて承服できない」という言葉には無言で帰り、後から安倍晋三幹事長を使いとして決定方針だけ伝えてきたという。

いかにも小泉首相のひ弱さがわかるストーリーだ。

中曽根さんは小泉首相や管直人さんなどのいまのリーダーはタレント的政治家だと断じる。国会全体がクラゲのような「背骨のない軟体動物」のようになっており、国家観がないという。

「私から見ると、今の若い政治家たちは”銀のスプーンをくわえて生まれ育ってきた”から苦難を知らない。従って、非常時という概念もない。われわれは昭和の時代から何回も非常時を経験して、非常時にはふだんやらないことをやらなければ障害を突破できないということを心得ている」

と中曽根さんは語っている。



「体の中に国家を持っている」

竹村さんによると、石原慎太郎都知事は「中曽根さんが素晴らしいのは、体の中に国家を持っていることだ」と言っていたという。戦争の修羅場を潜り抜けた人だけが持つ言葉の重みを感じさせる最後の政治家だろう。

中曽根さんは総理大臣になる前は、その時の政界の主流派と行動を共にするために主張を変え変節することがあり、そのことをマスコミは「風見鶏」とレッテルを貼って非難していた。

しかし、民主党が政権を取って、見かけ上の2大政党制が成立した今、本当の連立政権には「政策の融合」が不可欠ではないかと思える。このことは、大前研一さんも「『リーダーの条件』が変わった」で次のように書いている。

「イギリスも連立だが、日本の連立は足し算した連立であって、一つの見解でまとまった政権ではない。だから吹けば飛ぶような社民党や国民新党の意見に左右される民主党政府は何の改革もできないし、国民からそっぽを向かれる。」


2大政党制

中曽根さんは日本に2大政党制時代は到来するかと聞かれ、イギリスやアメリカの2大政党制は社会的基盤があるが、日本にはない。だから本当の自民党支持者、民主党支持者はあまりおらず、無党派層を中心に揺れ動いているのが現状だと分析する。

日本は「フランス型」の社会基盤であり、フランスのように情勢変化に応じて各党の勢力図が変わったり、新たに政党ができたりするのだという。その意味で第3党の可能性もあると語る。

「みんなの党」が力をもちつつある現状を2003年に言い当てている。なんという先見性なのだろう。

今度紹介する中曽根さんの「わたしがリーダーシップについて語るなら」で、中曽根さんはリーダーの資質として「目測力」、「説得力」、「結合力」、「国際性」、「人間的魅力」を挙げている。

「目測力」とは面白い表現だが、中曽根さんならではの先見性のある意見が参考になる。


憲法改正と教育基本法改正

中曽根さんは政治家になった時からの目標である憲法改正と、教育基本法の改正をやり遂げられなかったことに挙げている。しかし、中曽根さんは議員はやめるけれども、政界は引退しない。自由な立場から言論、執筆活動を続ける。生涯現役で、政治家として現役で死んでいくのだと。


いくつか参考になった点を紹介しておく。

★中曽根外交はコミュニケーション外交。
中曽根さんは当時のレーガン大統領との「ロン・ヤス」関係をはじめ、相手の首脳と一所懸命になってコミュニケーションしようとした。

中曽根さんは自称「心臓英語」に「心臓フランス語」でレーガン大統領のみならず、サッチャー首相、ミッテラン大統領とも直接話し合った。

首相としてはじめて訪れた韓国では、全体の1/3は韓国語でスピーチし、迎賓館の歓迎二次会では「黄色いシャツ」という韓国語の歌を歌った。



そのお返しに当時の全斗煥大統領が日本語で「知床旅情」を歌った。こんな付き合いを各国の首脳とできるリーダーが今の日本にいるだろうか?

★間接税(=消費税)の導入
国家ビジョンを持って、中曽根さんは政治を行っている。たとえば売上税にしても、中曽根さんが提唱し、在任中は実現できなかったが、中曽根さんの路線を継いだ竹下内閣で実現した。

内閣法制局はマッカーサーの肝いりで作られた部署(?)
内閣法制局は内閣の姿勢が憲法から逸脱していないかを目を光らせる部署だ。日本は自国を守る権利はあるが、集団的自衛権はないという解釈を一介の役人の内閣法制局が打ち出して、それを総理大臣が唯々諾々としているのは情けないと。

★中曽根さんの憲法改正の主要論点
・前文は全面改定。まず日本語になっていないし、日本の歴史とか国家・伝統に触れていない。
・第一章の天皇の項は煩瑣過ぎ。天皇の国事行為を列挙しているが、これは抽象的な表現でよい。
・第9条は第1項は残すとして、国の交戦権を認めない第2項は現状に改め、第3項として集団的自衛権を入れる。
・第4章の国会は参議院の機能を独自のものに改める。
・第5章の内閣は、中曽根さんの議員になった時からの主張である首相公選制を討議する。
・第8章の地方自治は道州制を取り入れ、地方分権を推進する。
・第9章の改正は改正案が国会の過半数で通過したときは、国民投票。2/3なら国民投票不要というふうにより改正しやすくする。

★教育基本法は「蒸留水」
中曽根さんが教育基本法を問題視するのは、本来憲法と教育法は対の関係であるべきだからだ。明治憲法には教育勅語があった。現在の教育基本法は日本の伝統や文化・歴史が全く考慮されておらず、権利や個性とか人格とかは書いてあるが義務や責任は一切書かれていない。その意味で教育基本法は「蒸留水」であり、日本の水の味がせず、どの国にいっても適用できるという。

★FTAの大潮流に乗り遅れるな
中曽根さんは「FTAの大潮流に乗り遅れるな」と檄を飛ばす。農業問題は政治家の決断次第でどうにでもなると語る。

田中角栄さんが通商産業大臣だったときに、それ以前の宮沢さん・大平さんが行き詰まっていた日米繊維交渉を、日本の繊維工場に近代化資金と補償金を与えて簡単にまとめてしまった例を挙げている

★無利子国債で機動的な財政運営
中曽根さんは、無利子国債を10兆円でも出して、そのかわりその分は相続財産から除外できるという扱いをすることを提案している。そのお金を機動的に使って、仕事を作ればよいという。巨人軍の内紛で話題になっているナベツネなどと年中話していることだという。


日本全体のリーダーシップが欠如している現状では、中曽根さんのような先見性のある政治家が本当に必要である。

もともとは子供向けに書いた「わたしがリーダーシップについて語るなら」のあらすじは次に紹介する。是非読んでほしい本の一つである。


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2011年11月19日

ホテル・ルワンダ ルワンダ内戦で難民を救ったホテルマンを描いた映画

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション [DVD]ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション [DVD]
出演:ドン・チードル
ジェネオン エンタテインメント(2006-08-25)
販売元:Amazon.co.jp
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ルワンダ内戦の時の実話を描いた映画。

2006年のアカデミー賞3部門にノミネートされ、その年の最優秀外国映画賞を受賞している。



舞台は1994年のアフリカのルワンダ。

恥ずかしながら、筆者はルワンダと南部アフリカのアンゴラの首都ルアンダと混同していた。

この話もてっきりアンゴラ内戦の時のルアンダのホテルの話だと思っていた。

筆者はアルゼンチンと米国に駐在した経験があり、40か国あまりの国に行ったことがあるが、アフリカはエジプトと南アフリカにしか行ったことがない。

今回の一件で、アフリカに対する無知を思い知らされた。

ルワンダの場所は地図を参照してほしい。コンゴ(旧ザイール)、タンザニア、ウガンダに囲まれた中央アフリカの小国で、隣国のブルンジとルワンダ・ブルンジと一緒にして呼ばれることが多い。

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出典:Wikipedia

ルワンダでは9割を占める多数派のフツと少数ながらドイツの植民地時代には支配階層だったツチ(いずれも部族ではないことがややこしいところだ)が、長年対立しており、1993年に一旦は停戦合意が成立して、国連の平和維持軍が派遣された。

しかし、1994年に大統領の飛行機がミサイルで撃墜され、大統領が死亡するという事件が起きてから、内戦が激化し、人口7百万人余りのルワンダで、ツチの人々が50万人以上虐殺されるというルワンダ虐殺が起こった。

この映画はそのルワンダ虐殺の時に、いわばシェルターとなったベルギー系のホテルのマネージャーの実話を描いている。

主演はオーシャンズ11などでおなじみの黒人俳優ドン・チードルだ。

映画のストーリーは例によって詳しく紹介しないが、ベルギー・サベナ航空が経営するオテル・デ・ミル・コリンのマネージャーが、反乱軍・政府軍両方と金や贈り物でうまくつきあい、ベルギー本社社長の政治力や国連平和維持軍の隊長であるカナダ軍司令官の支援を得て、1,000名以上の難民をホテルにかくまい、最後には無事脱出するというストーリーだ。

彼らの親戚・友人には殺されるものも続出し、フツのマナージャーはツチの妻に、自分が殺されフツがホテルを占拠した場合は、ナタで家族全員なぶり殺されるよりは家族を連れて屋上から飛び降り自殺するように告げる。

ハラハラする場面の連続で、フツだからという理由で急に偉ぶるホテル従業員や、フツの武力決起を扇動するラジオ、孤児を世話する赤十字の女性職員などが描かれており、印象に残る場面が多い。

ニック・ノルティが演ずる国連平和維持軍のカナダ軍司令官は、その後母国に帰って、PTSDを発病したが、現在は上院議員となっている。

アフリカの内戦を舞台にしたシリアスな映画ではあるが、映画を見た後の感動が深い満足感を与える作品だ。


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2011年11月18日

落合博満の超野球学1 梨田監督が絶賛する落合博満監督の野球学

2011年11月18日再掲:

2011年度の日本シリーズがいよいよ大詰めを迎えている。下馬評もソフトバンク有利だったが、福岡での2敗の後、敵地で3連勝して本拠地福岡に戻るソフトバンクがやはり有利のように思える。

昨日の第5戦のテレビ中継を解説していた野村克也氏が、「こんなオーナーはいままでなかった」と絶賛していた孫正義オーナーの絶大なる支援も受けている。

ノムさんが落合監督を高く評価していることは、ノムさんの「あぁ、監督」でも紹介した。

今回のシリーズで落合監督が内川のバットのグリップのテープにクレイムをつけたことも、ノムさんがヤクルトの監督時代に日本シリーズでオリックスと対戦し、イチローの振り子打法に「足がバッターボックスから出ている」とクレイムをつけて、結局イチローを封じ込めた心理戦をほうふつとさせる。

今年で中日の監督を退任する落合博満監督は、マスコミ対策にはほどんど関心はなく、それがアダとなり退任という結果となったようだが、選手の心をつかむことが巧みなので、火事場の馬鹿力で中日優勝の目もあるかもしれない。

映画「マネーボール」で紹介したように、野球はメンタルなスポーツなのだ。

所詮短期決戦はどうころぶかわからないと思う。第1戦、第2戦のように投手が抑えていても、たった一球の失投で勝敗が決まるのが怖いところだ。

第6戦の先発はソフトバンクは和田毅だろう。六大学出身で、三振の数だけポリオワクチンの提供献金を続けている和田には是非日本シリーズで勝利を挙げて欲しいと思う反面、落合監督にも花道を飾ってほしい気持ちもある。

ところで、どういうわけかこのブログでも紹介した落合の書いた「超野球学 1」、「超野球学 2」が絶版となり、プレミアム付きで売られている。

落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2003-05)
販売元:Amazon.co.jp
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落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

本の画像をクリックして見ればわかるが、アマゾンマーケットプレイスで古本がそれぞれ6,000〜7,000円という値段がついている。

筆者も読んでから買った参考になる本である。いまやプレミアムがついている落合の「超野球学 1」の紹介を再掲する。


2009年1月20日再掲:


昨日ニッポンハム監督の梨田昌孝さんの講演を聞いた。梨田さんは「梨田昌孝の超野球学」という本を出しているので、近々読んであらすじをアップする。

梨田昌孝の超野球学―フィールドの指揮官梨田昌孝の超野球学―フィールドの指揮官
著者:梨田 昌孝
販売元:ベースボールマガジン社
発売日:2006-05
クチコミを見る


最後の質問コーナーで、最強の打者は誰かという質問に、梨田さんは落合博満と答えていた。落合さんは梨田さんの同期だ。

落合さんの場合、やる気があるのかないのかよくわからない構えで打席に立つ。

てっきり見逃すと思って梨田さんがキャッチングしようとすると、落合さんはスイングのスピードがすごく速いので、スコーンと打ってしまうという。

梨田さんは、王さん、長嶋さんとは直接対決していないので、直接対決した打者のなかではという限定つきだが、落合さんは様々な面で最強の打者だという。

筆者も落合さんの本を読んで、全然「オレ流」ではないと感じた。落合監督の著書のあらすじを再度掲載する。


2007年11月2日再掲:


日本シリーズを制して、中日に53年ぶりの優勝をもたらした落合博満監督。

名球会の資格がありながら、名球会には入らないなど、落合監督は「オレ流」とか言われて誤解されることが多い。

今回の最終戦も落合監督の采配が非難されているが、プロとして当然のピッチャー交代だと思う。

その落合監督の考えがよくわかるのが、この「コーチング」と「超野球学(1)」なので、日本シリーズ制覇を記念して再掲する。

コーチング―言葉と信念の魔術


落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈


落合博満中日監督というとマスコミは『オレ流』とレッテルを貼る。しかし彼の流儀は『基本に忠実に』であり、全然『我が道を行く』とか『唯我独尊』ではない。

彼はあまりに当たり前の事しか言わないので、常人とは異なる『鋭い』見方で人気を保っている有名プロ野球解説者面々には煙たがられ、彼らとは異なるという意味で『オレ流』と呼ばれているのかもしれない。

そんな落合の本は出版社が受けを狙ってか前著の『コーチング』でも『教えない、ただ見ているだけで良い』とか、誤解を招くサブタイトルを付けられていた。

この本も『超野球学1』とあたかも普通の野球理論とは異なる本の様なタイトルを付けられているが、実際はサブタイトルの『バッティングの理屈』が示すとおり、基本の基本のおさらいである。

バッティングの常識は
1.センター返し、
2.ボールをよく見る、
3.コンパクトにスウィングする
の3点だが、落合はそれぞれにわかりやすい説明をして、それらがいかにちゃんと理解されていないかを指摘する。

この本も読んでから買ったが、買う価値のある本だと思う。

たとえばセンター返しについては2000年の中村紀洋との対談で、『落合さんはライトへのホームランが多かったと思いますが、どうやったら右へ強い打球を狙い打ったのですか』と聞かれた時に『ライトに狙い打ったことは一度もないよ』と答えたと。

一瞬中村は驚いた表情をしたが、すぐになるほどと理解した由。翌2001年は中村は前年の記録を大幅に伸ばし、プロの一流の打者でも基本に忠実にやることによって記録を伸ばせることを実証してみせた。

あくまで常識=理屈を説き、全然オレ流ではない。

『バッティングは1日、2日で上達するものではない。1回でも多くバットを振った選手が生き残る。』実に泥臭いが、そういえば王も練習の虫と言われていたことを思い出す。

コンパクトなスウィングの解釈はバットを短く持って、当てに行くのではなく、『トップの位置はより深く、バットは一直線に振り出し、フォロースルーは大きく』だ。

全然しろうと考えと違うが、なるほどと思う。参考になる野球理論である。


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