2009年10月14日

終の住処 磯崎 憲一郎さんの芥川賞受作

終の住処終の住処
著者:磯崎 憲一郎
販売元:新潮社
発売日:2009-07-24
おすすめ度:3.0
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三井物産現役商社マンの磯崎憲一郎さんの芥川賞受賞作品。磯崎さんは今まで勤務先は関係ないとして、公表していなかったそうだが、今回芥川賞受賞が決まって三井物産の人事総務部の部長代理ということがわかってしまったようだ。

家内が図書館から借りていたので、読んでみた。たぶん家内は出版されたらすぐに図書館に予約を入れたのだと思う。

寝る前に1時間弱で読み終えた。

筆者のポリシーとして小説のあらすじは細かく紹介しないが、30歳過ぎで愛し合うこともなく結婚した主人公の、平凡のような、それでいてありえない20年あまりの生活をつづった作品だ。

タイトルのように家がところどころ重要なモチーフとなっている。

出版社の宣伝文句では、「ガルシア=マルケスを思わせる感覚で、日常の細部に宿る不可思議をあくまでリアルに描きだす。」ということだそうだ。

筆者は主人公の立場で疑似体験できるタイプの小説が好きだが、この作品の場合には感情移入できなかった。(そういえばガルシア=マルケスの「百年の孤独」も感情移入できなかった)

百年の孤独百年の孤独
著者:G. ガルシア=マルケス
販売元:新潮社
発売日:1999-08
おすすめ度:4.5
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横道にそれるが、ガルシア・マルケスの短編集はアルゼンチンでスペイン語の個人教授を受けて勉強しているときの教材だった。「百年の孤独」は彼の最も有名な作品だが、筆者は短編集の方をおすすめする。

悪い時 他9篇悪い時 他9篇
著者:ガブリエル ガルシア=マルケス
販売元:新潮社
発売日:2007-06
おすすめ度:4.0
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「終の住処」は強い印象がなかったが、それは読み手によるのだろう。ある意味、評論家や批評家など、くろうと好みの作品なのかもしれない。

15万部突破ということで、本屋の店頭に平積みになっていると思うので、一度手に取ってパラパラめくってみることをおすすめする。


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2009年10月11日

生物と無生物のあいだ 65万部突破のポスドク賛歌

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
著者:福岡 伸一
販売元:講談社
発売日:2007-05-18
おすすめ度:4.0
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2007年発刊の本ながら、いまだにアマゾンのベストセラー231位に入っている分子生物学者の福岡伸一青山学院大学教授の本。勝間和代さんの「まねる力」というムック本の対談に登場していたので読んでみた。

AERA MOOK 勝間和代「まねる力」AERA MOOK 勝間和代「まねる力」
著者:勝間 和代
販売元:朝日新聞出版
発売日:2009-06-30
おすすめ度:3.5
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本の帯には各界のいろいろな人からの推薦文が紹介されている。

推薦文









筆者は昔はブルーバックスなどを時々読んでいたが、最近は科学系の本は「日本は原爆爆弾をつくれるのか」以来読んでいなかったので、久しぶりに読んだ科学の本だ。

これを機にブログにも「自然科学」というカテゴリーを新設した。

福岡さんは新書大賞とサントリー学術賞をダブル受賞していることでも分かる通り、この本は科学の本というよりは、本の帯にある「極上の科学ミステリー」といった感じの本で、エンターテインメント性を追求し、非常に読みやすく、わかりやすい。

筆者がひさびさに読んでから買った本だ。


ウィルスには生命の律動がない

現在新型インフルエンザがはやっているが、この本は昔読んだ岩波文書と同じ「生物と無生物の間(あいだ)」という題だったので、てっきりウィルスについての本かと思った。

生物と無生物の間―ウイルスの話 (岩波新書 青版 245)生物と無生物の間―ウイルスの話 (岩波新書 青版 245)
著者:川喜田 愛郎
販売元:岩波書店
発売日:1956-07
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ウィルスは代謝なし、呼吸なし、結晶化も可能で、限りなくミネラルに近い存在である。しかしウィルスは自己増殖する。この不可解なウィルスを生物とするか無生物とするかで長年、論争がある。

福岡さんはウィルスを生物であるとは定義しない。福岡さんは生物と無生物の間にどのような界面があるのかを、この本で定義したいと語る。それはいわば「生命の律動」であると。いかにも文学的な、わかりやすい表現だ。


この本の目次がふるっている

この本の目次がいかにもふるっている。とても科学書とは思えない目次だ。この本はアマゾンのなか見検索にも対応している
ので、是非目次を覗いてみて欲しい。

第1章  ヨークアベニュー、 66丁目、 ニューヨーク

第2章  アンサング・ヒーロー

第3章  フォー・レター・ワード

第4章  シャルガフのパズル

第5章  サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ

第6章  ダークサイド・オブ・DNA

第7章  チャンスは、準備された心に降り立つ

第8章  原子が秩序を生み出すとき

第9章  動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)とは何か

第10章 タンパク質のかすかな口づけ

第11章 内部の内部は外部である

第12章 細胞膜のダイナミズム

第13章 膜にかたちを与えるもの

第14章 数・タイミング・ノックアウト

第15章 時間という名の解(ほど)けない折り紙

「細胞膜」と言う用語が出てくるので、生物学の本だということがわかるが、それを除くと、まるで小説のチャプターのような目次である。


研究者にスポットライト

文章のうまさとタイトルの奇抜さもさることながら、この本の特徴は研究者に注目して生化学反応の原理探求を描いていることだ。

普通、科学の本はどういった反応が起こったかを、しとうと読者にわかりやすく説明しようと反応の原因解説が中心だ。読者にわかりやすく解説しようとする著者の親切心の現れともいえる。

読者としては反応がなぜ起こったのかについての知識は得られるが、研究者の人現像や、実験の過程で研究者がどんな点に工夫したかについてはあまり説明されていないことが多い。

ところがこの本では研究結果もさることながら、研究者の方にスポットライトが当たっており、実験者の人物像や試行錯誤の過程が詳しく説明されているので、しろうとにも実験の難しさと、その実験が成功したときの達成感や意義がわかりやすい

最もよい例が第2章アンサング・ヒーローだ。

アンサング・ヒーローとは、人知れず偉大なことを成し遂げた人のことで、福岡さんは「縁の下の力持ち」と言っている。この場合はDNA=遺伝子だと世界で最初に気づいたオズワルド・エイブリーという科学者のことだ。

エイブリーは福岡さんも勤務したニューヨークマンハッタンの一番東寄りのヨークアベニューと66丁目の交差点付近にあるロックフェラー大学研究所に1913年から定年退官する1948年まで35年間勤務していた。


大きな地図で見る

ロックフェラー大学研究所にはかつて野口英世も在籍し、数々の研究成果を発表したが、その発表の大半は現在は誤りであったとされている。

ヨークアベニューと66丁目というのはマンハッタンのちょうどクイーンズボロブリッジあたりで、ユニバーサルスタジオのアトラクションでキングコングが攻撃するケーブルカーがあるあたりだ。

筆者はピッツバーグに合計9年間駐在したので、ニューヨーク出張の帰りにマンハッタンからレンタカーでラガーディア空港に向かう時は、ちょうどこのあたりからからFDRドライブに入ってトライボロブリッジを通って、空港まで行っていた。

そんな有名な研究所があったとは全く知らなかった。

エイブリーがDNA=遺伝子という発見をしたので、その成果を元に1953年にイギリスの若いジェームズ・ワトソンフランシス・クリックがDNAはらせん構造をしているという事実を発表し、後にノーベル賞を受賞した。

1953年に"Nature"に発表されたわずか1.5ページのワトソンとクリックの歴史的論文が、この本に紹介されている。

watsoncrickpaper







出典:本文107ページ 原文はNatureサイトで閲覧可


ワトソンもクリックも次の本を読んだことが、生命を研究するきっかけとなったと語っているので、一度読んでみようと思う。

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)
著者:シュレーディンガー
販売元:岩波書店
発売日:2008-05-16
おすすめ度:5.0
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ちなみにノーベル賞のサイトでは二重らせん構造のDNAを福岡さんがフォー・レター・ワードと表現するACGTでつくるゲームがあるので、一度見て欲しい。

ポスドク賛歌

この本ではこういった華やかな成果発表を支え、来る日も来る日も地道な実験を繰り返すポスドク(博士課程を卒業した研究者)やラボテクニシャン(補助研究者)の様々な試行錯誤にスポットライトを当てている。

福岡さん自身が米国のポスドク研究者だったので、ポスドクの役割である数々の下準備や、実験の工夫などがわかりやすく紹介されていて面白いストーリーとなっている。何人かの評者が「科学ミステリー」と呼ぶゆえんだ。

たとえば「内部の内部は外部だ」という題で、膵臓の細胞が消化酵素を分泌する動きが次の図で説明されている。非常にわかりやすい。

cell











出典:本文200ページ

「サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ」も面白い。特定のDNAを増殖するPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)マシンの発明をひらめいたサーファー科学者キャリー・マリスのことだ。

ポスドクのことを自虐も含めてラボ・スレイブと呼ぶそうだが、理系の学生にとって、この本は希望とやる気を与えてくれるだろう。

ポスドクは就職戦線では非常に厳しい状況にある。小宮山前東大総長の「東大のこと教えます」という本で、東大が就職部をつくったのは東大でも留学生やポスドクは就職が難しいからだと書いていたことを思い出す。

東大のこと、教えます―総長自ら語る!教育、経営、日本の未来…「課題解決一問一答」東大のこと、教えます―総長自ら語る!教育、経営、日本の未来…「課題解決一問一答」
著者:小宮山 宏
販売元:プレジデント社
発売日:2007-03
おすすめ度:4.5
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動的平衡

動的平衡とは、体の細胞を構成するタンパク質・アミノ酸が数日間ですべて新しいものに置き換わることであり、それゆえ生命は動的平衡にある流れであると定義できるという。

マーカーで染色されたアミノ酸入りのえさを食べた大人のネズミを解剖して器官を調べたら、アミノ酸は体内のあらゆる細胞に行き渡っていた。生物のあらゆる細胞は短期間にすべて新しいものに置き換わるのだ。


生命は機械ではない

この本の最も印象的な実験が、GP2という細胞膜をつくるタンパク質を持たないGP2ノックアウトマウスを使った実験だ。

まずはGP2遺伝子を欠損させたES細胞(なんの器官にもなるオールマイティ細胞)をつくり、マウスの胚に流し込むと、ES細胞は胚の一部となり、やがてGP2遺伝子ノックアウトマウスが誕生する。

福岡さんははやる思いでGP2ノックアウトマウスの組織を調べたら細胞膜に異常はなく全く正常だったという。


生命には時間がある

次は狂牛病を引き起こすプリオンタンパク質をノックアウトしたマウスだ。

プリオンタンパク質の異常は狂牛病を引き起こすので、プリオンタンパク質ノックアウトマウスは狂牛病になると予想されたが、実際には正常だった。

それではということで、今度は遺伝子の1/3を欠損したプリオンタンパク質をプリオンタンパク質ノックアウトマウスにもどしたら、マウスは狂牛病を発症した。

GP2を完全にノックアウトしたマウスはGP2がなくとも正常に生き、遺伝子を部分的に欠損したノックアウトマウスは異常を発症した。

福岡さんはこの現象について、「生命には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことができないものとして生物はある。」と語る。

GP2ノックアウトマウスは動的平衡のなかで、GP2遺伝子の欠損を見事に埋め合わせたが、あとから遺伝子の欠陥をつくると、生命の動的平衡は失われるのだ。


生物と無生物の境界はまだ解明されていないが、この本を読んで生物と無生物の境界がミステリー仕立てで、なんとなく理解できたような気がする。

科学書を読むと、いつも感じた読後不満足感がない。大学生の息子にも勧めた。小説のように一気に読めるので、是非一読をおすすめする。


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2009年10月09日

図書館に行こう! その9 落語CDの在庫もスゴイ

百席(48)乳房榎百席(48)乳房榎
アーティスト:三遊亭円生
販売元:ソニーレコード
発売日:1998-01-21
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先日勘三郎の納涼歌舞伎公演で見た「怪談乳房榎」の元ネタの落語を聞いた。

筆者の住んでいる町田市の図書館には落語CDをたくさん置いており、「落語」で検索すると330本のCDを置いている。

落語CD





さらに「円生」で検索するとなんと105本のCDがある。

円生落語





「ビートルズ」でヒットするのが67件で、そのうち多くのCDが同じ物を別の会社がだしたものなので、たぶん円生の105本というのは、町田図書館にあるアーティストとしては最も多い作品数なのではないか?

町田図書館の場合にはCDは予約できないので、出向いて棚や書庫にあるCDを借りることになるが、それでも105本もあると円生の落語を聞くだけで1年以上かかると思う。

ほとんどすべての図書館が落語CDを置いている。

中央区図書館は172本のCDとビデオテープ、DVD。

中央区図書館





港区図書館は84本のCD,DVDだ。

港区立図書館





町田図書館はCDの予約はできないが、中央区と港区図書館ではCDでもDVDでも予約ができるので便利だ。

筆者は今まで落語のCDをあまり聞いたことがなかったが、今回のCDでは、円生の円熟した技に驚かされた。さすがに日本落語界の第一人者を長年続けた円生だけある。

男女の声色も使いわけるし、いなか言葉や江戸っ子のしゃべりもその役になりきっている。

下男の正介がよっぱらうところなど、本当に酒を飲んでいるような音までたてて、まさになりきっている。

解説の円生の地声に戻ると江戸っ子の「ひ」と「し」の発音が混ざっているのは、ご愛敬なのだろう。

日本の古典芸能の落語は奥が深い。

今後はときどき落語のCDも借りてみようと思う。


是非最寄りの図書館で落語CDをチェックして欲しい。多くの落語CDを置いているはずだ。


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2009年10月03日

日本海軍の戦略発想 ”マベリック”海軍参謀の敗戦分析と反省記

+++今回のあらすじは長いです+++

日本海軍の戦略発想日本海軍の戦略発想
著者:千早 正隆
販売元:プレジデント社
発売日:2008-12
おすすめ度:5.0
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最後の海軍大学卒業生で、終戦の時に連合艦隊砲術参謀中佐だった千早正隆さんが昭和22年に書いた日本海軍の反省記の改訂版。プレジデント社で1982年に発売され、1995年に文庫本になっている。

読んだのは中公文庫版だが、2008年12月に、プレジデント社から再発売されている。たぶん日本海軍の戦略の失敗の現代的意味を問い直そうということだろう。

千早さんは戦後GHQの戦史室調査員となり、このブログでも紹介した「ミッドウェーの奇跡」などを書いたGHQ戦史室長ゴードン・プランゲ博士の調査に協力した。

この本は英訳されて、多くの英語の戦史研究に引用されている。


千早さんはいわば”マベリック”

映画トップガンを見た人は覚えているだろうか?トム・クルーズが演じる主人公のコードネームが”マベリック”だ。マベリックとは、異端者、へそまがりという意味で、千早さん自身も自らの性格をそう評している。



たとえば千早さんはアメリカ人の戦争観を知るためにシンガポールで押収した「風とともに去りぬ」を見たいと、海軍大学時代に言いだしたが、さすがにこれは認められなかったという。



次にクレマンソーを研究したいと言い出して、クレマンソー研究家の酒井陸軍中将を招いて講演をしてもらったら、酒井中将は大東亜戦争出直し論を2時間論じたという。

クレマンソーといえば、「皇族たちの真実」で終戦直後の総理大臣に就任した東久邇宮稔彦王が、フランス留学時代に親交のあった元首相のクレマンソーに警告されたという話を思い出す。

「アメリカが太平洋へ発展するためには、日本はじゃまなんだ。(中略)アメリカはまず外交で、日本を苦しめてゆくだろう。日本は外交がへただから、アメリカにギュウギュウいわされるのにちがいない。その上、日本人は短気だから、きっとけんかを買うだろう。

つまり、日本の方から戦争をしかけるように外交を持ってゆく。そこで日本が短気を起こして戦争に訴えたら、日本は必ず負ける。アメリカの兵隊は強い。軍需品の生産は日本と比較にならないほど大きいのだから、戦争をしたら日本が負けるのは当たり前だ。それだからどんなことがあっても、日本はがまんをして戦争してはならない」

まさにクレマンソーの警告した通りの展開になったわけだ。


海軍大学卒業に際して放校になりかける

海軍大学卒業に際して、教授連に対して、ほとんど造反ともいえるマベリックぶりを見せた。

千早さんたち学生に意見を求められたので、千早さんは海軍大学の教育方針を独善的で各科バラバラであると評した。

科学的に戦争そのものを分析して、日米戦の対策はどうあるべきかという大命題の下に、あらゆる科目を統合して研究すべきで、艦隊の運動の研究などはその一部にすぎないと書いた。

「現在の戦況の苦境もつまるところ、研究に不真面目であったためである。深く戒む(いましむ)るところがなければならない」と要約したら、翌日学生全員が集められ、主任教官より名前を挙げて譴責されたという。

処分の話も出たが、同期生全員がかばってくれたのと、校長が代わったので処分なしで終わったという。


参謀としてもマベリック

参謀としても並み居る海軍大学出身参謀たちと対立して、ビアク島防衛の重要性を強調し、「ビアク気違い」と呼ばれたりしたという。

ちなみにビアク島には1万人の兵力が駐留し、米軍の攻撃までに十分陣地を構築する時間がなかったにもかかわらず、善戦して米軍を手こずらせたのでマッカーサーは激怒し、指揮官を子分のバターンボーイズの一人のアイケルバーガー中将に代えている。

マッカーサーが厚木飛行場に乗り込んできた時に、ぴったり寄り添っているのがアイケルバーガー中将だ。

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出典:以下特記ないかぎりWikipedia


千早さんの経歴

千早さんは昭和2年の海兵第58期生。昭和5年に海兵を卒業後、すぐに艦隊勤務となり、駆逐艦、巡洋艦などの現場を経験し、砲術学校での学習を経て巡洋艦・戦艦の対空砲の分隊長となった。

千早さんの書いた艦隊防空のレポートは、海軍省の昭和16年の最優秀作品に選ばれたという。

千早さんは戦艦大和の艤装作業に立ち会い、大和は1トン爆弾の直撃にも堪えるように全体を装甲200ミリの鉄板で覆っているのに、巡洋艦から転用した副砲塔の装甲は30ミリしかないことを指摘したという。

戦争が始まると戦艦比叡に乗艦し、昭和17年11月の第3次ソロモン海戦で比叡が夜間探照灯砲撃で集中攻撃を受けた際に千早さんも両手の親指を負傷するが、奇跡的に指はつながり、内地で病院生活を送った。

比叡は切手にもなったので、筆者も亡くなった叔父に貰って、この満州国建国記念の切手を今でも持っている。

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昭和18年7月から海軍大学校に学び翌19年3月に普通2年のところを8ヶ月で繰り上げ卒業し、艦隊参謀、連合艦隊作戦参謀として勤務し終戦を迎える。


千早さんがこの本を書いた理由

千早さんがこの本を書いた理由は、戦後多くの日本人、アメリカ人に次のような質問をされ続け、千早さん自身もその理由を解き明かしたかったからだと。

1.日本で米国のことを一番知っていたのは、日本海軍ではなかったか、その海軍がなぜ米国と戦争することになったのか。

2.アメリカンフットボールで同じ手を使って連敗するのは下の下といわれるが、日本海軍はなぜ同じ手を繰り返してその都度叩きのめされたのか。


米軍の攻撃で最も驚いた点

千早さんが連合艦隊参謀として勤務していて、米軍の攻撃で最も驚いたのは次の点であると。

1.B29による本土爆撃。超航空を飛ぶB29には対空砲も届かず、迎撃戦闘機も有効でなかった。

Boeing_B-29_Superfortress_USAF






2.B29による瀬戸内海への機雷敷設。これは「飢餓作戦」と呼ばれたものだ。使用された機雷は日本海軍が見たこともなかった磁気式、水圧式に度数式を組み合わせた新型のもので、特に低周波音響機雷には有効な掃海手段はなかったので、瀬戸内海はほとんど通行不可能となった。

まさに日本の首を真綿で絞めたのと同じ結果となった。

3.原子爆弾。連合艦隊作戦参謀だった千早さんでも原子爆弾の概念すら持っていなかった。慚愧(ざんき)に堪えないという。


この本の目次

目次を読めば大体この本の内容がわかると思うので、紹介しておく。

第1部 日本海軍の対米戦争に関する判断

 1. 日本海軍の仮想的は米国海軍

 2. 日米戦争に関する研究

 3. 戦術面のみに目が奪われた

 4. 不備だらけの日本海軍の戦務(戦務とは旧海軍用語で、索敵、偵察、海上輸送護衛、補給などの戦争するための諸準備のこと)

 5. 大局を忘れた日本海軍の戦備

 6. 陸海軍協同の不完全

 7. 戦争についての各種判断の誤り

第2部 戦争はかく実証した

 1. ハワイ海戦の戦訓

 2. 日本海軍の小手先芸

 3. 小手先芸の限界

 4. あと1ヶ月あったなら(ガダルカナルも敵に簡単に奪われることもなかったろう)

 5. 馬鹿の一つ覚え

 6. 偵察、索敵の軽視

 7. 追撃戦の宿命
    追撃戦で最後まで徹底的にやった戦例が乏しいのは、徹底性を欠く国民性にあると千早さんはいう。

 8. 慢心と増長の悲劇
    ミッドウェー海戦が典型例である。作戦の根本思想、敵空母出現の可能性の未検討、索敵の不備など、暗号が解読されている以外にも慢心と増長は多い。

 9. 美辞麗句が多くなった作戦命令

10. 用法を誤った潜水艦戦と時代遅れの対潜作戦
    日本の船腹量は約1千万トンだったが、戦争で喪失した船腹量は800万トン、このうち潜水艦の攻撃によるものが全体の57%、航空機が31%、触雷が7%、敵の砲撃はわずか2万トンにすぎない。

    B29と潜水艦の前に日本の戦力は崩壊したといえる。

11. 補給戦に敗れた
    ニューギニア戦線では14万人が補給もなく投入され、実に13万人が死亡したが、戦死はわずか3%で、残りは餓死、戦病死だった。

12. 誤った作戦で犠牲になった設営隊
    昭和19年、暗号が解読されていると千早さんは疑い、わざわざ「長官の名前の画数を足した日」というような指令をだしたが、島の防衛隊からの返信に「では○○日のことか?」と打ち返してきて頭を抱えてしまったという。結局敵に待ち伏せされたという。

13. 軽視した情報、防諜のとがめ

14. 甘かった人事管理

第3部 総まとめ

 1. 後手、後手となった作戦計画

 2. 完敗に終わった「あ」号作戦「捷」号作戦
 3. 水上部隊の悲惨な最期 戦艦大和が片道の燃料で向かったという話は実は誤りで、実際には簿外の在庫を呉の機関参謀がかきあつめ、往復に必要な燃料を積んで死出のはなむけとしたのだと。これでほとんどの艦船を沈められて、燃料もなく日本海軍は静かに死を待った。

 4. マクロ的な考え方と総合性の欠如

 5. 物量の差だけではなかった

 6. 教育に根本の問題があった

いくつか参考になった点を紹介しておく。


日本海軍の仮想的は明治以来米国海軍

明治40年、日露戦争の2年後に決定された「帝国国防方針」では日本の仮想敵は陸軍はソ連、海軍は米国とされた。

米国は日本海軍が兵力を増強するための目標敵であったが、実際に昭和12年南京攻略時に日本の爆撃機が間違って米国の砲艦バネー号を撃沈した時には、米国に陳謝するとともに多額の賠償金を支払った。あくまで仮想敵であって、本当に米国と戦線を開くことなど考えてもいなかったのだ。

ところが三国同盟に猛反対していた米内海軍大臣が昭和15年に及川海軍大臣に交代すると、海軍は簡単に三国同盟に賛同し、一挙に対米戦が現実味を帯びてくる。

昭和14年9月の第2次世界大戦勃発以降、対米関係は悪化の一途をたどった。ナチスの傀儡のヴィシー政権の承認を強引に得た昭和16年7月の南仏印進駐が引き金となって、米国が在米資産凍結、石油全面禁輸を発表し、海軍は対米戦の準備を開始した。

いわゆる月月火水木金金の猛訓練だが、この時も大口径砲の戦艦で敵を迎え撃つ艦隊決戦が戦略の中心で、潜水艦の船団攻撃や船団の対潜護衛の演習は皆無だったという。


太平洋戦争開戦時の連合艦隊の戦力

太平洋戦争が始まった時の連合艦隊の戦力は次の通りだ。これは戦艦と潜水艦こそ米国の6割を切っていたが、航空母艦と重巡洋艦では米国と肩を並べる兵力で、これにくわえて大和、武蔵の巨大戦艦2隻が加わった。

戦艦   10隻
航空母艦  9隻
重巡洋艦 18隻
軽巡洋艦 18隻
駆逐艦  90隻
潜水艦  55隻
潜水母艦  3隻
水上機母艦 2隻
合計   133万トン(基準排水量)

対米戦のために長年兵力を整備した結果だった。日本海軍は米軍に比肩しうる戦力を持っていたことがわかる。

ちなみに今度あらすじを紹介する佐藤晃さんの「太平洋に消えた勝機」という非常に面白い本の巻末に、「日米主要艦の戦力推移」という表が載っているので、紹介しておく。

太平洋に消えた勝機 (光文社ペーパーバックス)太平洋に消えた勝機 (光文社ペーパーバックス)
著者:佐藤 晃
販売元:光文社
発売日:2003-01
おすすめ度:4.5
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日米主要艦推移







出典:本書230ページ

この表を見ると、日本は戦争の後半でほとんどの艦船が撃沈されているのに対して、アメリカは真珠湾で戦艦2隻、1942年に空母が4隻沈没した他は、1942年以降戦艦の喪失ゼロ、1943年以降は主要艦船の喪失ゼロという状態が続いていたことがわかる。

日本側の一方的敗北だったことがよくわかる表である。昭和19年のマリアナ沖海戦は「マリアナの七面鳥撃ち」を言われ、日本艦船を米軍が面白いように葬ったが、かくも一方的な敗北だと本当に「バカの一つ覚え」と言わざるを得ない。

実はこの表は正規空母までで、米国が圧倒的な産業力を注力して大量に製造した1万トン級のリバティー船と8,000トン級の護衛空母や軽空母が含まれていない。

リバティ船は戦後構造的欠陥が判明したが、溶接を使わず、鉄板をリベット接合して、わずか42日で完成し、戦時中実に531隻が建造された。

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護衛空母100隻以上が建造され、ドイツ潜水艦の脅威を封じ込めるのに成果を上げた。

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日露戦争以来の大鑑巨砲主義の旧弊が支配した海軍

日本の大鑑巨砲主義という伝統は崩せず、開戦時の10名の艦隊長官のうち、4名が鉄砲屋(砲術出身)、4名が水雷屋、1名が航海屋、1名が航空屋だった。

唯一井上成実(しげよし)第4艦隊長官が昭和16年1月に「航空兵力の充実、海上護衛兵力の大増強、南方島嶼(とうしょ)の守備の強化」という正鵠を得た「新軍備計画論」を訴えたが、大鑑巨砲主義の主流派から無視される結果となった。


馬鹿の一つ覚えの艦隊決戦でのアウトレンジ戦法

日本の戦法は敵の射程距離外から砲撃して敵を撃滅するというアウトレンジ戦法で、これがため世界最大の46センチ主砲を持つ大和・武蔵を建造したものだ。

この巨大戦艦はパナマ運河を通行できないため、アメリカのように大西洋と太平洋両方に面している国は機動力が生かせないので、アメリカは同じサイズの戦艦をつくれないと見られていた。

そうすると大和・武蔵の46センチ砲はアメリカ戦艦の40センチ砲よりも射程距離が長く、それがためアウトレンジ戦法で勝利できるというシナリオだった。

しかしアウトレンジ戦法が度が過ぎて、射程距離を縮めて命中確率を上げようという積極性に欠け、レーダー測敵機もないので、遠距離から射撃しても非常に悪い命中率にとどまっていた。

たしか大和の大砲は小田原から撃って、東京に届くという話を聞いたことがある。射程距離は最大42キロだという。しかし、現実問題そんなに離れていては光学照準機では到底ねらえない。

戦争中の艦隊決戦の例では、昭和17年のジャワ沖海戦では、日本の重巡洋艦は敵の15センチ砲にまさる20センチ砲を持っていたので、アウトレンジ戦法で砲撃したが、数百発の20センチ砲弾のうち1発が敵に命中しただけだった。

次に戦艦2隻が36センチ砲を打ち込んだが、300発撃って一発も命中しなかった。

アッツ島ではまたもアウトレンジ戦法で、900発撃って5発しか命中しなかった。

昭和19年のレイテ沖海戦では、栗田艦隊の戦艦大和と長門が最初で最後の砲撃を敵艦隊に浴びせるが、大和は約100発、長門は45発撃ち、金剛、榛名がそれぞれ100発づつ撃ったにもかかわらず、敵駆逐艦を1隻沈め、1隻を大破させただけだった。

アメリカ側はレーダー測敵器があるので、照準は正確だったようだ。これが前記の表の圧倒的な日米の艦艇損失の差になるのだ。


不備だらけの日本海軍の戦務

戦務とは旧海軍用語で、索敵、偵察、海上輸送護衛、補給などの戦争するための諸準備のことである。

燃料は海軍は当初の2年分の燃料は備蓄して戦争に臨んだと言われているが、実際には開戦時の備蓄は600万トンだった。

必要な燃料量を年280万トンと見込んで戦争に突入したが、実際には年500万トン近くを消費し、南方などからの石油供給も海上輸送路を攻撃されて満足にできなかった。昭和17年後半以降は常に燃料に苦しめられることとなった。

燃料備蓄量以外にも、日本艦船は日本近海の艦隊決戦を想定して建造されているので、航続距離に問題があったという。

さらに問題なのは弾薬で、開戦時に艦艇に定数通りの量を配給したら、弾薬庫には25ミリ機銃弾がなくなり、その後も弾薬の不足は解消されなかった。

日本海軍の対空砲の弾薬定数は高角砲200発(約10分)、機銃1,500発(約10分)のみで、撃ち尽くしても補充は受けられなかった。

これも艦隊決戦で大砲には一門の大砲が発射する弾数に限度があるので(大口径砲では120発。それ以上だと大砲が焼き付いてしまう)、それと同じ考えを対空火器まで適用したことが問題だった。

この点では相当期日にわたる会戦を単位に弾薬を準備していた日本陸軍の方がましだったと千早さんは語る。


日本は潜水艦による近代戦を理解しなかった

日本の潜水艦戦略には通商破壊戦の考え方はなく、艦隊決戦のみを想定していた。それでも対潜水艦対策は皆無だった。

「享楽的で質実剛健に乏しい米人は、困苦欠乏をもっとも必要とする潜水艦の乗員には適しない。従って、米国潜水艦はあまり恐れる必要はないだろう」とたかをくくっていたという。

有名な米国海軍のフロスト中佐は逆に「潜水艦は米人の使用に好適の艦種である。なんとなれば、米人は敏活、果断、独創に富み、潜水艦の乗員に最適な性質を具備している。われわれ米国海軍軍人は、潜水艦戦において、世界いずれの海軍軍人も凌駕することができる」と語っているという。

まさに日本の見方と正反対だが、これが結果的に真実となった。前述の「日米主要艦の戦力推移表」でも、米国潜水艦に沈められた空母や戦艦が多いことがわかる。

排水量わずか2,000トン程度の潜水艦が、3−5万トンの戦艦や航空母艦を葬り去るのである。実に効率のよい戦いである。

ノックス米海軍長官は「日本は近代戦を理解しないか、あるいはまた近代戦に参加する資格がないか、いずれかである」と語っていたという。


海軍大学の画一的で時代遅れの教育

千早さんは昭和18年7月に海軍大学に入学し、9ヶ月で繰り上げ卒業している。卒業したときはギルバート、マーシャル諸島は敵手に落ち、ラバウルも秋風落莫の状態だったという。

明治につくられ、最終改訂が昭和9年の最高機密「海戦要務令」が絶対規範として生きていた。

これは艦隊決戦主義で、航空部隊も潜水艦部隊もそれを支援するという域を出ていなかった。もちろん通商破壊もなく、対潜水艦作戦もない。いかに日本海軍の用兵者の考えが硬直的だったかがわかる。

海軍大学の戦略、戦術の研究は机上演習に終始し、日米海軍の決戦を想定した自己満足のものだった。

決戦が起こるのか、決戦が起きたら戦争は終わるのか、負けたらどうなるのかといった問題はまじめに研究されなかった。

おまけに机上演習ではゼロ戦は1機でヘルキャット10機に相当するなどという、ありえない前提が演習統監により出されていたという。

千早さんは海軍大学で教育を受けた画一的なエリートが参謀なり司令官なりになって戦争を指導したことが、日本海軍の敗因であると推論している。

アメリカ軍は日本軍の敗因は、チームワークの欠如にあったと分析しているという。マクロ的かつ長期的な総合性と計画性を欠く日本人特有の結果に基づくのではないかと。

たしかにたまたま真珠湾で大勝利してしまったがゆえに、徹底性を欠く一般的な日本人の性格、オペレーションリサーチマインドというか、科学的な彼我の戦術の分析の欠如が、敗戦につながったことは否めないと思う。

いろいろな戦記もののタネ本ともなっている本で、昭和22年に最初の原稿が完成し、まだ戦争の記憶が生々しいなかで書かれたこの本は、冷静な分析と反省に満ちている。

プレジデント社から昨年末再度発売されたことでもあり、是非一度手にとって見て欲しい本である。


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2009年10月01日

O. ヘンリー短編集 珠玉の作品集 心が洗われる


最後の一葉 (新潮CD)
著者:O.ヘンリ
販売元:新潮社
発売日:2001-12
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図書館でCDを借りてO.ヘンリーの短編集のオーディオブックを聞いた。

「最後の一葉」、「よみがえった改心」、「賢者の贈り物」というO.ヘンリーの代表作ばかり3作の朗読だ。

子供の時に読んだと思うが、大人になって読んでも心を動かされる。

新訳シリーズで、代表作21作品をあつめたO.ヘンリー短編集も最近出版されているようだ。

1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 (光文社古典新訳文庫)1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編 (光文社古典新訳文庫)
著者:O・ヘンリー
販売元:光文社
発売日:2007-10-11
おすすめ度:4.5
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筆者のポリシーとして小説のあらすじは詳しく説明しないが、「最後の一葉」は重症の肺炎で明日をも知れない娘が、窓の外に見えるツタの葉が落ちると自分も死ぬと思い込んでいる話だ。

「よみがえった改心」は元銀行強盗の話。

「賢者の贈り物」は赤貧の新婚夫婦のクリスマスプレゼント交換の話だ。

ひょっとしたら教科書に載っていたのかも知れない。たぶん多くの人が、読んだことがあるストーリーだと思う。

やはり名作は心が洗われる思いだ。短編集なので1日で読める(聞ける)。是非O.ヘンリーをおすすめする。


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2009年09月27日

ハングル入門 ハングルが読めると世界が違う

2009年9月27日再掲:

先週家族でソウルに3泊4日で旅行した。朝9時の羽田発の飛行機で行き、帰りは夜9時の金浦発の便だったので、4日間ゆっくりできた。

出発の前日に高信太郎の「マンガハングル入門」を読み返し、行きの飛行機の中でも読み直したので、記憶を呼び起こして大体ハングルを読めた。

まんが ハングル入門―笑っておぼえる韓国語 (カッパ・ビジネス)まんが ハングル入門―笑っておぼえる韓国語 (カッパ・ビジネス)
著者:高 信太郎
販売元:光文社
発売日:1995-07
おすすめ度:4.5
クチコミを見る

ハングルが読めるようになったのはよかったのだが、会話が問題だった。

高信太郎や蓮池薫さんの本に漢字+ハムニダ(たとえば感謝とか失礼+英語の"do
"に当たるハムニダ)を使うことが紹介されているが、たしかに簡便な会話法として役立つが、これだけでは会話は成り立たない。相手の言うことを理解できないからだ。

今回一番困ったのが電子マネーを使って地下鉄に乗ろうとした時だ。

韓国にはT-Moneyという電子マネーがあり、ソウルではSeoul City Passという地下鉄、バス、タクシーすべてに使える電子マネーICカードがある。

T-Money










地下鉄の駅でSeoul City Passの販売機があったので、3,000ウォンで買って地下鉄に乗ろうとしたら、改札口を通れず立ち往生してしまった。

改札口に係員はおらず、インターフォンで聞くしかないので、困っていたところを日本語のできる人に助けて貰って、やっと事情がわかった。

3,000ウォン(約230円)は電子マネーカードの発券手数料だけで、発券されたカードのバリューはゼロなので、別のチャージ機でバリューをチャージしなければならないのだ。

事情がわかったので、チャージ機でチャージして地下鉄に乗れたが、片道電子マネー切符の発券手数料は500ウォンでリファンドされるので、Seoul City Passの発券手数料も500ウォンで残りの2,500ウォンがバリューだと思い込んでいた。

チャージ機には英語、日本語の音声案内があるが、Seoul City Passの券売機は韓国語のみで、カード自体は箱に入ってクーポンブックや説明書が付いてくるが、解説が韓国語のみで、英語も日本語もないので、さっぱりわからなかった。

せめてSeoul City Passの券売機も日英対応にするか、もっと観光客が使いやすいように最初から往復運賃程度のバリューがチャージされたカードを発券して欲しいものだ。

ロンドンの地下鉄のオイスターカードはあらかじめチャージされたカードが簡単に券売機で購入でき、現金で買うよりも安く便利で使いやすいので、是非Seoul City Passも観光客が使いやすいように改善して欲しいものだ。

Oyster card





結局この地下鉄のT-Moneyの件では、家族からひんしゅくを買う結果となった。やはりちょっと本を読んだくらいで、ラクして語学を覚えようという姿勢に問題があったといわざるを得ない。

しかしハングルが読めると世界が違う。たとえばホテルの近くの老舗の菓子屋に入ったら、アイスクリームの冷蔵庫にハングルで「モナカアイスクリム」と書いてあったのにはびっくりした。

最中は韓国語でも「モナカ」なのだ。

漢字の読み方が多数あり、難しい漢字の読み方がクイズにまでなっている日本語とは異なり、韓国語の漢字の読み方は一通りしかないので、覚えやすい。

また日本語とかなり近い漢字の読み方も多いので、ハングルが読めれば意味も推測できる。たとえば路(みち)は「ロ」だし、鉄橋は「テッキョ」だ。

ハングルが読めれば韓国に旅行したときに世界が違う。是非高信太郎の「マンガハングル入門」か、蓮池薫さんの「蓮池流韓国語入門」で勉強して欲しい。

半日でハングルが読めるようになるので、是非試して欲しい。

尚、蓮池薫さんの「半島へ、ふたたび」がベストセラーとなっている。近々読んでこのあらすじも紹介する。

半島へ、ふたたび半島へ、ふたたび
著者:蓮池 薫
販売元:新潮社
発売日:2009-06
おすすめ度:4.5
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2008年12月27日初掲:

蓮池流韓国語入門 (文春新書)蓮池流韓国語入門 (文春新書)
著者:蓮池 薫
販売元:文藝春秋
発売日:2008-10-21
おすすめ度:4.0
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拉致被害者で、現在は翻訳家、新潟産業大学講師の蓮池薫さんの韓国語入門本を読んでみた。

2008年10月20日発売の新刊書だ。

日本語と韓国語は語順が同じなので、同じ発想で話せるという。蓮池さんは時々自分が韓国語を話しているのか、日本語を話しているのかわからなくなることがあるほどだという。

その他にも共通点が多い。たとえば省略である。日本語では主語や言葉尻を省くことがよくあるが、韓国語も同じだ。日本語の「この、その、あの」も英語や中国語ではthisとthatしかないが、韓国語も3通りある。

儒教の国だけに父母や祖父母に対しては絶対尊敬語がある。他人に対しても身内をへりくだった言い方はしない。

このブログで紹介した蓮池さんの訳書「孤将」の韓国の英雄李舜臣将軍は、日本軍の戦闘の真っ最中に親が死んだという知らせを受けると、戦場を部下に任せ、故郷に帰りかなり長い間喪に服したという。

それと固有語と外来語、特に漢語の一致だ。

次が日本語の固有語と外来語の比率だが、このうち漢語の9割は韓国でも使われている。

日本で作られた「野球」、「午前、午後」、「会社」、「汽車」、「映画」などは中国では使われていないが、韓国では使われている。日中の漢語一致率は7割だが、日韓は9割となっている。

固有語  34%
漢語   49%
外来語   9%
混種語   8%

もっとも北朝鮮では、戦時中の日本のように外来語禁止なので、野球もサッカーも用語はすべて韓国語で言い換えているという。

第一部の基本編「日本語と韓国語はどれだけ似ているのだろう」は上記の様な内容でわかりやすいが、第二部の「実践編」はちょっとハードだ。

正直ハングルが読めないと難しい。

筆者は10年以上前に漫画家の高信太郎さんの「まんがハングル入門」でハングルを覚えて、韓国に出張したときは「ヤク」=薬屋などの店のハングルサインを読んだり、自分の名前をハングルで書いたりして、コミュニケーションに役立てていた。

それから韓国にはずっと行っていないので、筆者のハングルもリフレッシュが必要だが、この高信太郎さんのまんががあれば、1時間程度で思い出せると思う。

超簡単まんがハングル―明日から使える韓国語 (カッパ・ブックス)超簡単まんがハングル―明日から使える韓国語 (カッパ・ブックス)
著者:高 信太郎
販売元:光文社
発売日:2002-02
おすすめ度:4.5
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筆者が読んだ本は次の本だが、これは絶版となっており、上の本が新版だ。

まんが ハングル入門―笑っておぼえる韓国語 (カッパ・ビジネス)まんが ハングル入門―笑っておぼえる韓国語 (カッパ・ビジネス)
著者:高 信太郎
販売元:光文社
発売日:1995-07
おすすめ度:4.5
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1446年にハングルを公布したとき、李氏朝鮮第4代国王の世宗は、「これなら2時間で誰でも覚えられる」と喜んだという。

たしかに誰でもハングルを2時間で覚えられると思うので、まずは高信太郎さんのマンガでハングルを覚えて、蓮池さんの本を読むことをおすすめする。


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2009年09月23日

へこたれない ワンガリ・マータイ自伝 モッタイナイ運動支援者

UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝
著者:ワンガリ・マータイ
販売元:小学館
発売日:2007-04-11
おすすめ度:5.0
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ケニア出身でアフリカ各地で植林を進めるグリーンベルト運動の創始者、ワンガリ・マータイさんの自伝。

30年間で3,000万本もの植林を実現した功績と、ケニアの独裁政権と対決し、何度も投獄されながらもアフリカの女性解放運動を推し進めた功績で、2004年のノーベル平和賞を受賞している。

2005年に毎日新聞社の招きで来日した時に、日本語の「もったいない」を知り、"MOTTAINAI"運動として世界に広める努力をしている。


世界の森林比率

アフリカというとジャングルやサバンナが思い浮かぶが、ケニアでは森林伐採が続き毎年0.3%ずつ森林比率は減少し、現在は6%だ。日本の森林比率は70%弱で、実は世界で最も森林比率の高い国の一つだ。

FAO(国連食料農業機関)でGlobal Forest Resources Assessment 2005という世界の森林の状態についてのレポートを公開しているので紹介しておく。

Kenya forrestJapan forrest






出典:FAO Global Forest Resources Assessment 2005

次の表は上記の表を加工したものだ。

森林面積2






出典:FAO Global Forest Resources Assessment 2005のデータを加工

先進国では1990年以来、森林の面積はほとんど減っていないが、世界全体では毎年0.2%ずつ減少しており、森林面積トップ10ヶ国の中では、2位ブラジル(−0.6%)、8位インドネシア(−2%)、9位スーダン(−0.8%)の減少が大きい。

アフリカでは全体として毎年0.6%ずつ減少しており、アフリカ諸国の平均減少率よりは少ないが、マータイさんの母国のケニアでは毎年0.3%づつ森林が減少している。

ヨーロッパ、北米、東アジアでは、ほぼ横ばいか増加だが、アフリカ、南米、南・東南アジアでは減少している。森林問題は貧富の差の問題でもあることがわかると思う。


ちなみに世界最大の森林国はロシアである。次の地図からもそれがわかるだろう。

Russland




ケニアではトウモロコシやコーヒー、茶などの換金作物の生産のために森林がどんどん伐採され、地盤がゆるみ大雨が降ると洪水が頻繁に起こるようになっている。

この本を読むと森林伐採問題以外にも、ケニアでは部族問題、女性差別問題、独裁政権と、アフリカ諸国共通の問題を抱えていることがよくわかる。


マータイさんの生い立ち

ワンガリ・マータイさんは1940年生まれ。ケニア最大の部族、キクユ族の出身だ。生まれてすぐイギリス人の経営する農場に一家で移り住み、一夫多妻制で母親の違う兄弟が居たという。

ケニアでは20世紀初頭には統治者のイギリスに対して各部族が抵抗を試みたが、イギリス政府が武力により鎮圧した。1950年前後には抵抗運動が再び活発となり、初代大統領のジョモ・ケニヤッタも1952年に逮捕され、強制収容所に収容されている。

女子に教育を受けさせない家族も多かったが、マータイさんは8歳から片道5キロの道を歩いて小学校に通い始めた。授業はキクユ語で行われ、英語、スワヒリ語、数学、地理を学んだ。

全寮制のカトリック系の女子中学校、次にナイロビの女子高校に進学、高校をトップの成績で卒業した。会話は英語だったという。


アメリカに留学

1960年前後はアフリカ諸国が軒並み独立した時期で、アメリカはアフリカの留学生を積極的に受け入れ、マータイさんはJFKの父のジョセフ・P・ケネディ財団の支援で、カンザス州のアッチソンにあるベネディクト会の修道女が運営するマウント・セント・スコラスティカ大学に留学する。

オバマ大統領の父もやはりケニア出身のアメリカ留学生だった。

ニューヨークからカンザス州に行くグレイハウンドバスの旅の途中のインディアナ州で、黒人は喫茶店内には入れないという黒人差別を目にして衝撃を受ける。しかし大学のあったアッチソンでは大歓迎してくれたという。

マータイさんは近くにある男子大学との交流でダンスパーティなどで男女が一緒に踊ることを見て驚く。ケニアで受けたカトリック教育がビクトリア朝そのままの厳格な教育だったからだという。

第2バチカン公会議(1962〜1965年)を控え、カトリック教会の改革を進める風潮があったという。

マウント・セント・スコラスティカ大学のみんなは親切で、祝日には地元の人が留学生を自宅に招いてくれ、アメリカ人の友人もでき、後に40年ぶりに再開する日本からの留学生とも友達になったという。

大学には黒人はほとんどいなかったが、2人いる補助職員の黒人の生活を通して、アッチソンでも黒人居住区があることを知ったという。


ピッツバーグ大学で修士号取得

マータイさんはマウント・セント・スコラスティカ大学卒業後、1964年からピッツバーグ大学の生物学大学院で、動物の脳の松果体を研究する。

当時のピッツバーグでは老朽した製鉄所の大気汚染を改善する取り組みが進んでおり、マータイさんにとって最初の環境改善運動を経験することになる。

筆者はピッツバーグに合計9年間駐在したので、マータイさんがピッツバーグ大学出身と聞いてなつかしく思った。1960年代初め頃は、これらの製鉄所は生産を続けて公害をはき出していた。

ところが1968年頃の鉄鋼不況で、軒並み製鉄所は閉鎖され、約1千万トン以上の鉄鋼生産能力がスクラップ化された。

ピッツバーグ市内や郊外に老朽した製鉄所がアレゲニー川沿いに10キロ以上も連なっており、最初の駐在の時には日本からのお客の希望があれば、川沿いの廃墟に沿ってドライブしたものだ。

郊外にU.S.スチールのE.T.(エドガー・トムソン、カーネギーが大口顧客で当時のペンシルバニア鉄道の社長の名前を付けた製鉄所)が有る他は、今はピッツバーグ市内には製鉄所は一ヶ所もない。だから筆者が駐在した時にはピッツバーグはシティルネッサンスの代表として、全米で最も住みやすい町に選ばれたほどだ。

ちょうど明日からピッツバーグでG20の会議が開催されるが、マータイさんも今のピッツバーグを知ったら、その変貌にさぞかし驚くことだろう。


ナイロビ大学に就職

ピッツバーグ大学での研究後、ナイロビ大学の動物学科から採用通知を受け取り、マータイさんは1966年にケニアに戻る。しかし、大学に行ったら動物学の教授から他の人を採用したと言われる。教授と同じ出身部族の者を優先したのだ。

就職活動の後、ギーセン大学から派遣されているドイツ人教授のいるナイロビ大学獣医解剖学科に採用され、ギーセン大学に2年弱留学する。

1969年にナイロビ大学の助講師として復帰し、政治活動を志すムワンギ氏と結婚、長男をはじめ3人の子供が生まれる。ムワンギ氏は1974年の選挙で当選し、マータイさんも1977年に助教授に就任する。

公私ともに順調のように見えるが、次第に夫婦の仲は悪化し、1979年には離婚訴訟となる。さらに訴訟中にマータイさんは女性の進出を好ましく思わない裁判官に法定侮辱罪で有罪とされ、刑務所に入れられてしまう。


植林運動を開始

1970年代前半からマータイさんは婦人運動や赤十字、環境運動にも加わり、森林伐採による洪水被害や、環境悪化対策として植林を推進するグリーンベルト運動を始め、エンバイロケア社を設立する。

1976年には国連人間居住計画(ハビッタットI)に参加し、マーガレット・ミードマザー・テレサバーバラ・ウォードなどの演説を聴き、感銘を受ける。


ケニヤ独裁政権との闘い

1978年にケニヤッタ初代大統領が亡くなり、モイ副大統領が次いだ。

マータイさんはケニア全国女性評議会(NCWK)の議長に立候補するが、政府から圧力を受ける。出身部族のこと、女性であること、離婚歴があることなどがモイ大統領が嫌った理由だ。

1982年の国会議員補欠選挙に立候補を決めるが、裁判所からは資格がないという判決を出され失職する。

ナイロビ大学は復職を拒否し、社宅は即時退去、健康保険なし、おまけに年金受け取り資格がないと通知してきた。大統領が大学総長を兼任しており、大統領の意をくんだ副学長の仕業だ。

大学教授の地位も収入も失ったマータイさんを支援したのは、国連女性開発基金、UNIFEMとノルウェー森林協会だった。

グリーンベルト運動を進める一方、政府によるナイロビ市内のウフル公園への”公園の怪物、タイムズスクウェアビル”建設に反対したり、ナイロビ郊外のカルラの森の環境破壊に反対したので、モイ大統領からは反政府勢力と見なされ、投獄されたり、弾圧を受けることになった。


国会議員に当選

2002年の選挙でモイ政権が交代するとともに、マータイさんも国会議員に当選した。「立ち上がり、歩こう」という聖書からの言葉がモットーだったという。


この本の原題は"Unbowed"

この本の原題は"Unbowed"、つまり「屈しない」という意味で、男女差別、離婚した女性への差別、部族差別、政府の弾圧に対抗し、投獄されても屈しない生き方が描かれている。

この本を読むとグリーンベルト運動や世界女性会議等を通じたマータイさんの人脈の広さがよくわかる。

アメリカ留学資金を提供してもらったケネディ家に始まり、UNIFEMの初代事務局長ペギー・スナイダー、ロックフェラー家、U2のボノ、ボブ・ゲルドルフ、アル・ゴア、ミハイル・ゴルバチョフ、ノルウェーやオーストリアなど欧州の支援団体などだ。

ノーベル平和賞の候補になったときにも推薦する人が多くいたのだと思う。やはり国際政治がらみの案件は国際的な人脈が鍵となる。

その意味で東京のオリンピック立候補には残念ながら不安を感じざるをえない。鳩山首相に出馬願うとともに、皇室か国際機関などでの勤務経験のある国際的に著名な人材を得て、最後までベストを尽くして欲しいものだ。

マータイさんは日本語の「もったいない」に賛同し、"MOTTAINAI"精神と、風呂敷をエコラッピングとして世界的に広める運動を支援している。マータイさんをを支援者に持つことは、日本独自の3Rを中心とするMOTTAINAI運動にも国際的な広がりを与えることだろう。

3RとはReduce, Reuse, Recycleの3つのRだ。マータイさんはこれにRespectを加えて4つのRとしてはどうかと言っているそうだ。

アフリカに生まれ、女性差別、部族差別、離婚経験者差別、政府の弾圧など、様々な差別と圧力と闘って、ついにノーベル平和賞を受賞したマータイさんの努力には頭が下がる思いだ。

アル・ゴアのノーベル賞受賞理由と金大中の受賞理由の両方を兼ね備えているが、どちらかというと金大中の受賞理由に近い独裁政権との闘いが評価されているのだと思う。

この本はマータイさんの自伝で、森林保全のグリーンベルト運動に関しては、マータイさんのもう一冊の「モッタイナイで地球は緑になる」の方が詳しい。

モッタイナイで地球は緑になるモッタイナイで地球は緑になる
著者:ワンガリ マータイ
販売元:木楽舎
発売日:2005-06
おすすめ度:5.0
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但し、こちらの本も「モッタイナイ」という題名は付いているが、MOTTAINAI運動を広めようという趣旨の本ではないので、念のため。

アフリカでも森林伐採が進んでおり、ケニアではわずか国土の6%しか森林が残っていないという話に衝撃を受けた。アフリカのことを何も知らないのだということを、思い知らされた。

是非一読してアフリカに関する知識を拡充して欲しい。


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2009年09月21日

白洲次郎 占領を背負った男 祝!NHKドラマ 完結!

2009年9月21日追記:

いよいよNHKのテレビドラマ「白洲次郎」が完結する。今日夜10時から3夜連続で、第一話から第三話まで連続して放映される。

NHK 白洲次郎2





吉田茂役の原田芳雄の病気で、当初から今年2月末の第一、二話から半年遅れて第三話が8月に放映されることになっていた。これが衆議院選挙の関係でさらに一ヶ月遅れて完結することになったものだ。

家族で韓国に旅行するがHDビデオで予約し、戻ったら見るつもりだ。

ドラマの完結を祝して原作の北康利さんの「白洲次郎 占領を背負った男」のあらすじを再掲する。

著者の北康利さんからもコメントを戴いている。ドラマを見る際の参考にして欲しい。


2009年2月28日追記:


今日(2月28日)夜9時からNHK総合でドラマ「白洲次郎」が放送された。

見ていてストーリーが北さんの本と違うなと思っていたら、最後に「実話に基づくフィクション」という字幕が表示されて納得した。

冒頭に白洲次郎が自宅で、戦後の極秘文書を焼却する場面がある。白洲正子は中谷美紀だが、70歳台の白洲次郎は本人にそっくりの老俳優が演じていたのでびっくりした。

なかなかおもしろく、次回におおいに期待を持たせる内容だった。次の放送は3月7日、そして最後の3回目は8月に予定されている。

次回が楽しみだ。


2009年2月27日追記:


いよいよ明日(2月28日夜9時からNHK総合でドラマ「白洲次郎」が放送される。NHKも相当力が入っているようで、放送は全3回。2月28日、3月7日、そして最後の3回目は8月に予定されている。

白洲次郎





大変期待しているドラマなので、テレビ放映にあわせて原作の北康利さんの「白洲次郎 占領を背負った男」のあらすじを再掲する。


2008年12月13日追記:

このブログで紹介して著者の北康利さんからもメッセージを頂いた「白洲次郎 占領を背負った男」が文庫になって講談社文庫から上下2巻で発売された。

白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)
著者:北 康利
販売元:講談社
発売日:2008-12-12
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白洲次郎 占領を背負った男 下 (講談社文庫)白洲次郎 占領を背負った男 下 (講談社文庫)
著者:北 康利
販売元:講談社
発売日:2008-12-13
クチコミを見る


文庫本になって買い求めやすくなったので是非一度は手にとってみて欲しい。

年間250冊読む筆者の今年一番のおすすめのノンフィクションである。


2008年5月20日追記:

筆者は読んでから本を買う主義だ。世の中には本当に手元に置いておきたい本は少ない。筆者の場合、読んでから買う本は年間5−10冊程度だ。

その筆者がこの本をアマゾンで注文して購入した。

買ってみて驚いたが、なんと筆者が買った版は第25刷だった。1刷何万部かわからないが、仮に1万部とすると既に25万部が売れている計算になる。

推薦文も図書館で借りて読んだ本は城山三郎氏の推薦文のみだったのが、第25刷では、城山三郎氏の他に、渡部昇一、朝日新聞、山崎洋子、福田和也、佐高信、舛添洋一、甘糟りり子、河内厚郎、読者2人の推薦文が本の帯に載せられている。

また北康利氏は、NHKの「その時歴史が動いた」の2006年4月の白洲次郎特集にも出演している。

大変よく売れている本で、いまだにベストセラーでもある。これは買っても良い本だと思う。


2008年5月17日追記:

本日あらすじをアップしたら思いがけず著者の北康利さんからコメントを戴いた。

いろいろなブログで取り上げていただきましたが、こんな気合の入ったものは初めてです。感激しました。Posted by 北康利 at 2008年05月17日 11:41

元気の出るコメントで、こちらこそ感激です。



+++今回のあらすじはすごく長いです+++


白洲次郎 占領を背負った男白洲次郎 占領を背負った男
著者:北 康利
販売元:講談社
発売日:2005-07-22
おすすめ度:4.5
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吉田茂の腹心の部下として、戦争直後の対GHQ対策を担当し、日本国憲法が生まれる現場に立ち会った異色の実業家白洲次郎の伝記。

筆者は東京の町田市に住んでおり、小田急線の鶴川駅が最寄り駅だ。その鶴川駅から歩いて5分程度の場所に白洲次郎・正子夫妻の武相荘(ぶあいそう)があって、現在は記念館になっている。

一般的には白洲正子がエッセイストとして有名だが、白洲次郎もここ数年で数冊の本が出て、一躍有名になった。この本も2005年の発行だ。

白洲次郎は「日本で初めてジーンズをはいた人物」と呼ばれているが、次の本の表紙写真にあるようにジーンズ・Tシャツ姿も決まっている。

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)風の男 白洲次郎 (新潮文庫)
著者:青柳 恵介
販売元:新潮社
発売日:2000-07
おすすめ度:4.5
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鶴川の書店では白洲正子コーナーがある。その一部に白洲次郎に関する本も少しだけ置いてあったが、最近では白洲次郎の本もかなりの数になっている。

この本の表紙の写真は白洲次郎が一目惚れした樺山正子、後の白洲正子に送った若き日のポートレートだ。ハンサムガイである。

白洲次郎は身長180センチを超え、当時の日本人としては非常に背が高く、外人の中に入っても見劣りしない体格と、ケンブリッジ大学出身の英語力で、戦後直後のGHQと渡り合い「マッカーサーをしかりとばした日本人」と言われている。

この本の著者の北康利氏は、東大法学部出身で銀行系の証券会社に勤務する傍ら、兵庫県三田市の郷土史研究家として九鬼隆一川本幸民など三田市出身の名士の伝記を出版している。

また近々紹介する「国を支えて国を頼らず」も、九鬼隆一と浅からぬ縁がある福沢諭吉の伝記だ。

福沢諭吉 国を支えて国を頼らず福沢諭吉 国を支えて国を頼らず
著者:北 康利
販売元:講談社
発売日:2007-03-30
おすすめ度:5.0
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白洲次郎の祖先も三田出身だ。それにしても現役のビジネスマンながら、綿密な資料調査に基づき内容に全く手抜きのない400ページもの力作を何冊も出版している北さんのエネルギーには敬服する。

筆者も見習いたいものだ。


城山三郎氏の推薦文

あらすじが長くなってしまったので、この本の帯に載せられている城山三郎氏の推薦文を紹介しておく。この本の内容を簡潔に言い表している。

ある超名門ゴルフ・クラブのテラス。その大長老ともいえる人物に声をかけられ、私はその隣の椅子に。著名な政治家や財界人などが会釈するのに対して、その人物は軽くうなずくだけ。それに見合う不思議な存在感の持ち主。それが、白洲次郎氏であった。

この人の出自も結婚も、華やかそのもの。平然と官界、政界、財界、それに軍とも闘う。よく見て、監督し続ける。トヨタのトップには、「かけがえのない車を目指せ」とアドバイスし、政府に対しては、「何で勝手に勲何等とか決めることができるのか」と。

その人物がどんな風に育ち、人格を形成していったのかを、話題豊かに展開していく快著である


白洲次郎という人の経歴を一口で言うと、次のようになる。

白洲次郎は、神戸の豪商の家に生まれ、ケンブリッジ大学を卒業し、作家の白洲正子と結婚、戦前は吉田茂の「ヨハンセングループ」に協力し、戦時中は東京都下の鶴川村に隠棲、戦後は吉田茂の側近としてマッカーサーのGHQと日本国憲法制定交渉にあたる。数々の民間企業の経営に携わった他、初代貿易庁長官、通商産業省設立、東北電力会長就任、軽井沢ゴルフ倶楽部理事長就任という華やかな経歴を持った日本の戦後を創った功労者の一人である。

1985年に白洲次郎氏が亡くなったときは、総理大臣の中曽根康弘氏が弔問に駆けつけたという。

北さんが「占領を背負った男」と表したのも、実に的確と思う。

この本の最後に北さんは次のように記している。

白洲次郎の痛快なエピソードに触れると誰しも、高倉健主演の仁侠映画を見たあとの観客が、肩で風切りながら映画館をでてくるのにも似た精神の高揚感に包まれるはずである。しかしその一時的な興奮の後に、信念を持つ人間のみが身にまとえる真の意味での「格好良さ」に思いを致していただけるならば、作者冥利に尽きるというものである。

たしかに良い映画を見終わって映画館から出てくるような読後感のさわやかな作品である。この本に触発されて、筆者も白洲次郎に関する本を何冊か買ったので、いずれあらすじを紹介していく。

北さんは「司亮一」というペンネームで、兵庫県三田市出身の官僚九鬼隆一、蘭学者川本幸民の伝記を書いているが、ペンネームからも司馬遼太郎を意識していることがうかがえる。

この本も司馬遼太郎の作風を思わせる様に、あたかも見てきたように著述している。

筆者の住む町の有名人で、同じ旧大洋ホエールズファン、ストーリー性が高い人生を送った白洲次郎氏の伝記と言うこともあり、400ページ弱の大作だが、つい引き込まれてしまい、あらすじが大変長くなってしまい続きを読むにまでかかってしまった。

白洲次郎は強烈な人柄の人物なので、敵も味方も多く居たと思うが、この本ではもっぱら良い面だけが書かれている。その意味ではやや片手落ちの感もあるが、一度読んだら白洲次郎のファンになること請け合いだ。

このあらすじを読んだら、ほとんどこの本を読んだような気になるかもしれないが、是非手にとって読んで欲しい本だ。


それでは、この本の目次に従ってあらすじを紹介する。筆者は良い本は目次を見れば分かると思っているが、その典型の様な良くできた目次だ。日本国憲法制定以降は続きを読むに記した。


稀代の目利き

これは白洲正子、つまり白洲次郎の妻のことだ。昭和を代表する目利き青山二郎や昭和を代表する評論家小林秀雄河上徹太郎などと親しくつきあい、著述家、目利きとして白洲正子は成長していく。

白洲正子は、プリンシプルを重んじる白洲次郎のことを「直情一徹の士(さむらい)」と表している。

エピソードには事欠かない。

白洲次郎はマッカーサーをしかりつけた日本人として有名だ。「戦争に負けたけれども奴隷になったわけではない」が次郎の口癖だったという。日本人離れした体躯と英国風のエレガンス・英語力を身につけていた次郎はGHQ高官とも堂々とわたりあった。

次郎は、うるさ方として音に聞こえた存在で、まず相手を威嚇して、その度量を図るという悪い癖があった。初対面の相手はそれだけで震え上がったという。青山二郎からは「メトロのライオン」(MGM映画の冒頭の吼えるライオンのこと)というあだ名を付けられたほどだ。


育ちのいい生粋の野蛮人

白洲次郎は1902年生まれ。兵庫県三田藩で代々儒官をつとめた白洲家で生まれ、祖父白洲退蔵は家老職を勤めた。白洲次郎は母よしこ似だったという。

父の白洲文平(ふみひら)にはなじめなかったが、芦屋の北の4万坪の屋敷に住み、何不自由ない少年時代を過ごした。家には美術館があり、雪舟や狩野派、土佐派の日本画、コロー、モネ、マティスといった洋画のコレクションがあったという。

神戸一中時代には親から米国車を買って貰って、自動車運転を始めている。同級生の作家今日出海は、「育ちのいい生粋の野蛮人」と呼んでいる。


ケンブリッジ大学クレア・カレッジ

旧制高校に行くだけの学力がなかった次郎を、父文平は「それならいっそのこと留学せえ」と、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに送る。

次郎は生涯を通じ「プリンシプルが大事だ」と口にしたが、これはケンブリッジの"Be gentleman"(紳士たれ)という教育が元になっている。ケンブリッジ時代に生涯の友、後のストラッフォード伯爵、通称ロビンと出会う。

次郎への仕送りは1回で現在の金で3,000万円ほどという高額で、留学時代はベントレーの3リッターとブガッティタイプ35という超高級車2台を持っていたという信じられない生活をしている。

ケンブリッジの仲間からは、「オイリーボーイズ」と呼ばれ、サーキットに入り浸ったり、大陸へのグランドツアー(卒業旅行)をロビンと二人で2週間行っている。

孫の著述家白洲信哉氏の「白洲次郎の青春」は、このグランドツアーの旅程を現代のベントレーで巡った旅行記で、こちらも読み物として面白い。

白洲次郎の青春白洲次郎の青春
著者:白洲 信哉
販売元:幻冬舎
発売日:2007-08
おすすめ度:4.5
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そんな次郎の元に昭和の金融恐慌で白洲商店が倒産したという知らせが届き、次郎は8年間の留学生活にピリオドを打ち帰国する。帰国してからは「ジャパン・アドバタイザー」という英字新聞で働いた。米国の女学校への留学帰りの樺山伯爵家の娘正子と出会い、一目惚れして結婚する。樺山家には黒田清輝の「湖畔」と「読書」が客間と食堂を飾っていたという。

湖畔






次郎はセール・フレーザー商会を経て、35歳で日本水産の取締役に就任する。


近衛文麿と吉田茂

次郎はカンパクと呼ぶ近衛文麿と親しくなり、近衛に頼まれて長男近衛文隆の面倒を見た。近衛文隆はソ連軍にシベリアに抑留され、とうとう1956年にシベリアで亡くなる。次郎は「ソ連の野郎、絶対にゆるさねえ!」と叫んだという。

正子の父樺山愛輔は、吉田茂の義理の父の明治の元老牧野伸顕と同じ薩摩出身で親しかったことから、次郎も吉田と知遇を得る。

昭和10年当時、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂は「ヨハンセングループ」(吉田反戦グループ)と呼ばれ、軍部から目を付けられていた。

次郎は吉田や吉田の妻雪子にも可愛がられ、吉田の三女、和子の麻生太賀吉への縁組みをまとめ上げる。政治家麻生太郎氏の両親だ。

吉田は戦争回避に尽力するが、流れは食い止められず日本は戦争に突入する。次郎は日本の敗戦を予測し、間違いなく食糧不足になるとの見込みのもとに、東京都鶴川村で5,000坪の農家を買って移り住み農業を始める。これが鶴川にある武相荘だ。

牛場友彦、細川護貞などがこのころの次郎の友達だ。

吉田は近衛の依頼を受け、天皇に終戦の上申書を提出しようとしていたことから、軍部に逮捕され、昭和20年4月に収監されるが、阿南惟幾陸軍大臣(あなみこれちか)の口添えで不起訴となり釈放される。


終戦連絡事務局

1945年(昭和20年)、次郎が43歳の時に日本はポツダム宣言を受諾した。マッカーサーが進駐してきて、GHQを設立する。GHQは第一生命本社ビルを接収して事務所として使った。

第一生命本社ビル







当時65歳だったマッカーサーの様々なエピソードが紹介されていて、面白い。マッカーサーは演出効果、アナウンスメント効果を常に考えて行動する名優だったという。天皇との写真の演出などはその最たる物だ。

マッカーサーと天皇






正装の天皇と略服のマッカーサー。日本国民はこの写真を見て衝撃を受けたという。

出典:Wikipedia


次郎は近衛に対して吉田を外相として起用するよう進言する。吉田は外務省の部長以上を辞めさせ、次郎をGHQとの折衝を担当する終戦連絡事務局参与として抜擢する。

GHQの窓口は民政局(Government Section)であり、局長はホイットニー准将、局次長はユダヤ人でハンサムガイのケーディス中佐だった。

北さんは宮澤喜一元首相にも取材しているが、「白洲さんはとにかくよく進駐軍に楯ついていましたよ」と語っていたという。

英語の喧嘩はお手のもので、ホイットニーが「貴方は英語がお上手ですな」とお世辞を言ったら、「閣下の英語も、もっと練習したら上達しますよ」と切り返した話は有名だ。次郎のあだ名は"Mr. Why"とも"Sneaking eel"(岩の間に入り込むうなぎ)とも言われた。次郎の行動をよく示しているあだ名である。


憤死

マッカーサーは近衛と会い、「近衛公は世界を知り、コスモポリタンで、年齢も若いのだから、自由主義者を集めて帝国憲法を改正するべきでしょう」と促す。近衛はこれに基づき、京大時代の恩師の佐々木惣一をヘッドとする憲法調査会を内大臣府に編成した。しかし戦犯容疑のある近衛を重用するマッカーサーへの批判がアメリカ国内で強まると、マッカーサーは近衛を切り捨てる。

GHQは日本側案を一顧だにせず黙殺、ついには近衛を戦犯指名する。近衛は逮捕前日に親しい友人を夕食に招待したが、勘の鋭い次郎は招待を断る。予想通り近衛は青酸カリ服毒自殺を遂げる。

その直後、次郎が天皇のクリスマスプレゼントをマッカーサーの部屋に届ける時に、マッカーサーが「その辺にでも置いておいてくれ」というと、次郎は「いやしくもかつて日本の統治者であった人からの贈り物を、その辺に置けとは何事ですかっ!」と叱りとばし、マッカーサーはあわてて謝り、新たにテーブルを用意させたという事件が起こる。

次郎がマッカーサーをしかりつけた唯一の日本人と云われるゆえんだ。

「見ていてくれましたか?カンパク、あの野郎に一矢報いてやりましたよ」、近衛を憤死させた義憤があったからこそ、絶対権力者に対して大胆にも声を荒げて怒ったのだ。


"真珠の首飾り"ー憲法改正極秘プロジェクト

マッカーサーは絶対権力者として、欲しいままに日本を荒療治する。自分をフィリピンで破った本間雅晴中将に対しては43の罪で戦犯として銃殺刑を科した。

本間は、刑の執行の前に「私はバターンにおける一連の責任を取って殺される。私が知りたいのは、広島や長崎の無辜の市民の死はいったい誰の責任なのか、という事だ。それはマッカーサーなのか、トルーマンなのか」と語ったが、その声は無視される。

GHQの民政局を実質支配していたケーディスは昭和21年1月に公職追放を発表し、1年半ほどの間に20万人の有力者が追放され、指導者を失った現場は大混乱した。

近衛死後日本側で新憲法案を検討していたのは、国務大臣で法学者の松本烝治ただひとりだったが、昭和21年2月に憲法問題調査委員会試案が毎日新聞記者の西山柳造によりすっぱ抜かれ、毎日新聞の1面にスクープされたのだ。

ちなみに西山記者が情報入手ソースを明かさなかったため、この世紀のスクープの真相は50年近く不明だったが、死の直前の1997年に西山氏は真相をあかしている

日本側案は明治憲法を微調整したものだったので、毎日新聞スクープの2日後にマッカーサーはホイットニーに象徴天皇、戦争放棄、封建制廃止の3つの原則を柱とする憲法改正草案の作成を命じる。これがコードネーム"真珠の首飾り"の新憲法案作成プロジェクトだ。

GHQが憲法を制定することは、そもそも国際法に違反する行為だった。国際法の基本であるハーグ条約には次のような規定がある。

「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」(ハーグ条約付属書規則第43条)

しかしソ連が日本の占領がアメリカ軍だけで行われていることに不審を抱き、GHQを監視する極東委員会が設置されることが決まったことが、マッカーサーに憲法改正案をつくらせる引き金となった。ソ連が口出しする前に先手必勝というわけだ。

ホイットニーはケーディスにリンカーンの誕生日(2月12日)までに憲法改正案を創るように指示する。ケーディスは民政局から25名のメンバーを選び、いわゆるマッカーサー草案を期限前の2月10日に完成させる。

25人のメンバーの構成は、陸軍将校11名、海軍士官4名、軍属4名、秘書を含む女性6名だった。弁護士資格を持つものこそ3名いたが、憲法の専門家はゼロだった。

マッカーサー草案は予定通り2月13日に吉田外相、松本烝治国務大臣、次郎、外務省嘱託長谷川元吉にホイットニー、ケーディスらから伝えられた。天皇象徴制、一院制が骨子だ。当時GHQ民政局には共産主義者が多かったといわれているが、それを反映した土地国有化条項も織り込まれていた。

日本側がマッカーサー草案を見ている間、ホイットニーらは席を外す。戻ってきた時に次郎に言った言葉が"We have been enjoying your atomic sunshine"だった。次郎は憤慨し、それを聞いた吉田が、GHQなんて"Go Home Quickly"だと怒る。


ジープウェイ・レター

次郎は、マッカーサー案は日本の固有の事情を顧みない"Airway letter"(空路)であり、日本側の案は曲がりくねった山道を行く"Jeepway letter"で、日本の伝統と国情に即したものだと反論したが、全く功を奏さなかった。

次郎がホイットニーと交渉するが、48時間以内に回答しないとGHQ側でマッカーサー案を発表し総選挙の争点にするとおどされる。

幣原首相がマッカーサーと会談し、天皇に関する規定や戦力不保持といった基本原則以外は修正を加えても良いとの一応の言質を取り付け、回答期限の2月22日に天皇に上奏し了承を得た。

2月26日の閣議にマッカーサー案の外務省訳が閣僚に配布され、3月4日を期限としてマッカーサー案を土台にして日本案を作る作業にかかることが決定される。

ソ連が動き、極東委員会が活動を開始したので、マッカーサーは早急に憲法改正案をつくる必要が出てくる。


「今に見ていろ」ト云フ気持抑ヘ切レス

3月4日に法制局の佐藤達夫部長、松本烝治、次郎と外務省の担当者他でGHQのホイットニー以下と30時間におよぶマラソン翻訳会議を開始する。ベアテ・シロタというロシア系ユダヤ人で日本に10年間滞在して日本語が堪能なメンバーが通訳として加わる。

彼女が加わったことで、女性の権利を保障する日本国憲法第24条などが織り込まれた。

ベースとなるのは3月2日案と呼ばれる松本案だった。マッカーサー案から大幅に修正されていることがわかり、ケーディスと松本の激論が始まったが松本は途中で官邸に戻るとして退席し、次郎と佐藤、外務省スタッフだけが残って交渉を続ける。

結局修正が認められたのは一院政と土地所有くらいで、松本修正案はほとんど徒労に終わった。

ソ連の呼びかけで極東委員会が3月7日にワシントンで開催されることが決まったので、ケーディスは3月5日までにファイナルドラフトをつくると宣言する。次郎は松本を呼ぶが、松本は病気を口実に拒否し、次郎と佐藤がケーディス、シロタ他と徹夜で外務省訳をもとに3月5日朝までにドラフトを作成する。

次郎はそれまで何度も官邸に途中報告し、できあがった英文の「憲法改正草稿要項」を官邸に持ち込み、3月5日午後4時半からの閣議にかける。松本は引き延ばしを主張するが、幣原首相は涙ぐみ「もう一日でも延びたら大変なことになる」として受諾を決意する。

その後皇居に幣原と松本が参内、「敗北しました」と天皇に閣議決定を報告する。天皇は皇室典範の天皇の留保権と、堂上華族を残せないかと2点につき要望を述べられるが、そのままになった。

翌3月6日に「日本政府による憲法改正案」として世間に公表される。完全な「出来レース」だ。極東委員会はこれが日本人によるものでないことを見抜いたが、マッカーサーは押し切る。

大日本国憲法の改正だったので、枢密院可決を経て、帝国議会で承認、貴族院でも可決され、昭和21年11月3日日本国憲法は公布され、翌22年5月3日に施行された。

GHQは憲法案成立直後に松本烝治を公職追放した。次郎は「監禁して強姦されたらアイノコが生まれたイ!」と言っていたそうだ。

次郎が汚れ役になってGHQの矢面に立ったおかげで、吉田茂は憲法案成立の数ヶ月後に首相になれたと指摘する歴史家もいる。

屈辱を堪え忍んだ次郎だが、近々紹介する自著の「プリンシプルのない日本」の中で「戦争放棄の条項などプリンシプルは実に立派なので、押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」と冷静な意見を言っているのは注目に値すると北さんは指摘する。

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)プリンシプルのない日本 (新潮文庫)
著者:白洲 次郎
販売元:新潮社
発売日:2006-05
おすすめ度:4.5
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2009年09月18日

香淳皇后 昭和天皇と生きた60余年

香淳皇后―昭和天皇と歩んだ二十世紀香淳皇后―昭和天皇と歩んだ二十世紀
著者:工藤 美代子
販売元:中央公論新社
発売日:2000-10
おすすめ度:3.0
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「昭和天皇独白録」に続き、香淳皇后の伝記を読んでみた。

Wikipediaにも香淳皇后の若き日の写真が載っているが、宮内庁の皇室ホームページに掲載されている在りし日の昭和天皇・香淳皇后という写真が一番筆者の記憶にある昭和天皇・香淳皇后のイメージに近いので、つつしんで掲載する。

在りし日の昭和天皇・香淳皇后

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出典:宮内庁皇室ホームページ

学者然とした天皇と、いかにも穏和そうな香淳皇后のスマイルが印象的だ。


香淳皇后の生い立ち

香淳皇后は昭和天皇妃の追号であり、天皇に嫁ぐ前の旧姓は久邇宮良子(ながこ)女王だ。

天皇家の十一宮家の中では五〜六番目の久邇宮家の邦彦(くによし)王と薩摩の島津公爵の七女だった俔子(ちかこ)妃夫妻の長女だ。

久邇宮家は経済的には恵まれない生活だったが、良子女王が皇太子妃の候補になる前後から天皇家の支援を受け、渋谷の広大な邸宅に住むようになったという。

大正時代までは側室が認められていたので、皇族の中には側室の子どもも多く、明治天皇、大正天皇自身が側室の子だった。

良子女王の場合、久邇宮の両親どちらも正室の子どもではなかったが、特に母親の俔子妃は、華族から宮家に嫁いだこともあり、六人の我が子を終生自分より身分の高い皇族として扱い、呼び捨てにせず、上座に座らせたという。

この本を読むと昭和天皇を陰で支えるけなげな姿勢と、古くからの宮家・摂家の格に強く影響された価値観を併せ持った香淳皇后の考え方がよくわかる。


昭和天皇のお妃選び

明治天皇も大正天皇も皇太子妃は五摂家から選ばれたが、良子女王の場合には、昭和天皇の祖母の昭憲皇太后(明治天皇妃)が当時九歳の良子女王を皇太子妃の候補に見初めたのが始まりだという。

良子女王と並んで皇太子妃候補となったのは、一條家の朝子(ときこ)姫と、梨本宮家の方子(まさこ)女王だった。

方子女王は結局朝鮮王室の皇太子李垠(りぎん)殿下と結婚したが、当時の朝鮮王室は日本の宮家が嫉妬するほど豊かで、婚約指輪は五カラットのブルーホワイトダイヤモンドを芯に涙型のダイヤが花弁を形成していた豪華なものだったという。

良子女王はお后候補の中で最終的に選ばれるが、一旦内定したにもかかわらず、長州閥を代表する元老の一人の山縣有朋が母方の家系に色弱の遺伝子があることを問題にして、久邇宮家に婚約解消を強硬に主張したのだ。

これが「宮中某重大事件」と呼ばれる騒動だ。

事態は長州と薩摩(良子女王の母方の祖父は島津公爵)の争いという一面もあったが、結局大正十年に裕仁皇太子自身が良子女王を選び決着し、山縣は失意の内に翌年亡くなる。


皇室を刷新した昭和天皇

昭和天皇は大正十年3月から6ヶ月間ヨーロッパ諸国を訪問し、帰国してすぐに病弱の大正天皇の摂政となる。

この欧州旅行特に英国王室の生活に昭和天皇は大きく影響され、生活様式もベッドに椅子、洋服にあたらめ、宮中の女官などの着物も洋装にし、女官が側室となる風習を廃止し、住み込みをやめ、通いとした。昭和天皇の普段の朝食はトーストとオートミールだったという。

婚約発表後、大正十二年の関東大震災で結婚が延期となったが、翌大正十三年一月に婚儀、披露宴は五月と変則的に実施される。ちなみに昭和天皇のトレードマークのひげは結婚の年に伸ばし始めている。

新婚の昭和天皇と香淳皇后は一緒にゴルフに出かけるなど仲むつまじく、結婚の翌年の大正十四年には第一子の照宮成子(なるこ)内親王が誕生した。

成子内親王は、香淳皇后のいとこの久邇宮盛厚王に嫁ぎ、昭和二十年三月十日東京大空襲の日に第一子を出産している。

ちなみに三月十日の空襲では皇居は被害はなかったが、五月二十五日の空襲では山の手の火災が皇居の宮殿が焼け尽くされている。

香淳皇后は昭和天皇との間に二男五女をもうける。夭逝した次女久宮を含め四人の皇女誕生の後に、日本中が待ちに待った今上天皇が昭和八年十二月二十四日に誕生し、日本中が歓喜に包まれた。


古いしきたりに縛られた生活

昭和天皇と香淳皇后は子どもと一緒に生活することを望んだが、周りからそれではしつけができないとして、親王、内親王は二−三歳で親元から離れた生活を強いられた。

それ以前は生まれてすぐに乳母に預けられていたので、昭和天皇自身も生後2ヶ月で川村純義伯爵に預けられた。昭和天皇夫妻は子どもが2〜3歳になるまで一緒に暮らしたので、以前に比べれば長く暮らした方だが、やはり子どもの心の中の傷となったようだ。

昭和天皇は、宮城の敷地は30万坪もあり、原野のまま捨ておかれている土地もあるのに、「皇太子の住む一坪はない」と、育児すら自分達の意のままにならないことを嘆いたという。

たしかに天皇家は日本で最も自由のない人達なのかもしれない。

今上天皇は、皇太子浩宮殿下が誕生したときに、「いつまで子供と生活するかはわからないが、成年になるまでは、いっしょにいるつもりです。親と子が別れて生活するのは心の安らぎがない」と語っている。


香淳皇后のエピソード

この本では戦争中日光に疎開していた皇太子との手紙のやりとりや、戦後昭和21年から25年までヴァイニング夫人を皇太子の家庭教師に採用し、香淳皇后も英語を習ったエピソードなどが紹介されている。(香淳皇后はフランス語はできたが、英語教育は受けていなかった)

体操教師の竹越美代子の指導で美容体操を始めた皇后が「生まれてこのかた、急いだことがありません」と語ったエピソードを紹介している。いかにも皇族出身の皇后の性格がわかる話だ。

皇后が初めての外遊に出たのは昭和四十六年のヨーロッパ歴訪で、その二年後の皇后の古希の時の会見で、最も印象深かった出来事として欧州歴訪を挙げている。


皇太子の恋愛結婚には猛反対

この本では皇太子の正田美智子さんとの恋愛結婚には、美智子様が平民だという理由で猛反対した皇后の姿が描かれている。

高松宮妃、秩父宮妃などにも声をかけて反対したり、婚儀が決まっても、成婚記念の馬車が自分の時は四頭建てだったのに、六頭建てだといって憤慨している。

昭和天皇は、「皇太子がよければ、一般家庭の女性でもよい」と語り、美智子様に非常に期待していたことが描かれている。

さらっと書いてはあるが、その部分を引用すると、「常に寄り添って歩んできた天皇と皇后だが、世俗的な意味での姑や嫁の関係となると、やはり日本のどの家庭にもある永遠のテーマが横たわっていた」と言っている。

美智子様の人柄には欠点はありえない。やはりこれは香淳皇后の古い階級意識からくる差別だと思う。

筆者は子どもの時に記念切手を収集していたので、皇太子殿下ご成婚の事は切手で覚えている。

ご成婚記念














昭和三十四年の皇太子殿下ご成婚の時には、美智子妃の美しさに国民は熱狂的な喝采を贈り、はやくも翌三十五年第一子の浩宮徳仁殿下が誕生すると日本中が歓喜した。

美智子妃は皇居での陰湿ないじめにあったという話が、週刊誌などにまことしやかに語られることがあるが、香淳皇后ご自身が結婚に反対していたという元々の経緯から、たぶん平民出身の皇太子妃としてつらい思いをされたのだと思う。

小林よしのりの「天皇論」にも美智子妃が突然失語症になった話が紹介されている。すごいストレスがたまっていたのだと思う。

今の雅子妃もたぶん同じなのだろう。是非早く全快して欲しいものだ。


香淳皇后は、昭和64年1月7日の昭和天皇崩御の前後から老人性の意識障害に罹り、平成12年6月16日に崩御された。


この本を読むと天皇家がいかに不自由な生活を強いられているかがよくわかる。自分の子どもの教育方針も決められないというのは、国家元首であり立憲君主だった天皇にあっては信じられない話だ。

また香淳皇后は皇族として教育を受けた明治人らしく、階級意識はどうしても抜けなかったことがわかる。狭い世界で生きてこられた人なのだろう。

このあらすじでは省いたが、昭和の歴史の流れもフォローしており、香淳皇后の生涯を通して、大正・昭和史を描いている。

皇族などに直接取材した部分はほとんどないが、様々な資料を読みやすいストーリーにまとめている。一読をおすすめする。


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Posted by yaori at 00:40Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!自叙伝・人物伝 | 歴史

2009年09月13日

新型インフルエンザ 完全予防ハンドブック 結局手洗いとマスク

新型インフルエンザ完全予防ハンドブック (幻冬舎文庫)新型インフルエンザ完全予防ハンドブック (幻冬舎文庫)
著者:岡田晴恵
販売元:幻冬舎
発売日:2009-05-22
おすすめ度:4.5
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会社で全社員に配布されたので読んでみた。


著者の岡田晴恵さんは新型インフルエンザの第一人者

著者の岡田晴恵さんは、感染免疫学の専門家で、ドイツマールブルク大学ウィルス学研究所客員研究員、2009年4月まで国立感染症研究所で研究員として勤務していた経歴を持つ。

新型インフルエンザについては岡田さんは多くの著書を出しており、日経BPがやっているSafety Japanというサイトに、インフルエンザについてのインタビューが掲載されている。

岡田さんは小説も含めてあまりにも多くの著作を短期間に出版し、テレビにも頻繁に登場したりして国民のインフルエンザに対する不安を煽って儲けている様な形となっているので、保健所の現役医師が書いているという新型インフルエンザ対策の達人というブログなどでは批判されている

しかしたとえ国立感染症研究所の新型インフルエンザ担当官ではなくても、新型インフルエンザについて医学的な見地から、素早くいろいろな著書を出して、警鐘を鳴らすという意味では注目されてしかるべき人だと思う。

この本では最も恐いH5N1型の強毒型鳥インフルエンザの潜在的危険や、今年4月に発生し、現在流行しているH1N1型弱毒性豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)の特徴などをわかりやすく説明している。


すべては元々鳥インフルエンザ

新型インフルエンザは元々はすべて鳥インフルエンザで、ウィルスの変化により人に感染するようになったものが新型インフルエンザだ。

鳥インフルエンザは強毒型と弱毒型の2つあり、現在はやっているH1N1新型インフルエンザは豚インフルエンザから発生した弱毒型で、人の呼吸器にのみ感染する。しかし強毒型のH5N1鳥インフルエンザだと、罹った鳥は1〜2日でほぼ100%死に至るという恐ろしい毒性だ。


ウィルスの構造

ウィルスの構造について簡単に解説している生物史から、自然の摂理を読み解くというブログを見つけたので紹介しておく。

ウィルスの構造

インフルエンザウイルス構造






出典:生物史から、自然の摂理を読み解く

H1N1ウィルスの電子顕微鏡写真

M00197H1N1swl600dpi








出典:国立感染症研究所ホームページ

上記の図で、NA(ノイラミニダーゼ)という釘の頭のようになった突起と、HA(ヘマグルチニン)という針の先のような突起の2種類のタンパク質の違いによって、HAはH1〜H16の16種類、NAはN1〜N9の9種類あり、これらの組み合わせでウィルスの種類が144種類ある。


スペインかぜの大流行

過去最も流行した新型インフルエンザは1918〜1920年のスペインかぜで、当時の世界の人口18億人のうち、5〜10億人が感染し、死者は4,000〜8,000万人。日本の人口5,500万人のうち感染発症者は2,300万人、死者は38〜45万人と言われている。

今年流行している新型インフルエンザは、ほとんどの人が抗体を持っていないため、ウィルスにさらされれば感染しやすく、特に心臓、呼吸器、腎臓等に疾患を持っている人や、糖尿病や血液の持病のある人は重症化しやすいハイリスク者だとされている。

新型インフルエンザは一旦発生すると1〜2年間大流行して、ほとんどの人が免疫を持つようになると、次の新型インフルエンザが出てくるまで”季節性のインフルエンザ”になるというパターンが通常だ。

新型インフルエンザの症状は季節性のインフルエンザと同じく、発熱(38度以上)、筋肉痛、腹痛、咳、たんなどで、免疫がないので飛沫感染と接触感染による感染力が強く、潜伏期間からウィルスを外に出すので、自覚症状のないまま感染を広げてしまうという特徴がある。

通勤電車やバスなどで他人との近接は避けられないので、一旦流行すると感染拡大を防ぐことは不可能となる。

厚生労働省の発表した新型インフルエンザの流行予測では、ワクチンやタミフルを使用しないという条件では、国民の1/4、3,200万人が発症し、入院が53万人から200万人、死者が17万人から64万人となっているが、これだけの発症者がでると医療機関の現場がマヒし、多くの労働者が罹患することで社会インフラに影響が発生し、食料品などの流通にも影響が出る可能性がある。


新型インフルエンザ対策

新たにワクチンをつくるには半年から1年かかるといわれ、一旦広まったら急速に全国に拡大する。国立感染症研究所のサイトでは、パンデミック2009と題して新型インフルエンザの流行状況の地図などの情報を公開している。

9月11日現在の東京都の注意報レベルを越えている保健所数はゼロとなっている。

流行が起きたら、国、自治体、医療機関、企業・学校、家庭・個人がそれぞれの役割を果たし、流行のスピードを遅らせて社会機能を守ることが重要だと岡田さんは語る。

具体的には個人の対策は人と接触しないこと、人混みは避けること、国や企業などは外出を制限することだという。


外出制限が最も効果がある

次がこの本の50−51ページに掲載されている国立感染症研究所の資料から1918年のスペインかぜのフィラデルフィアとセントルイスの死亡率の推移だ。外出や集会の禁止、大規模施設の閉鎖をおこなったセントルイスと、対策が遅れたフィラデルフィアでは大きな差が出ており、外出の制限が被害拡大を防ぐ有効な手段であることが歴史的にも証明されているという。

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出典:本文50−51ページ


新型インフルエンザの予防

予防対策の決め手はワクチンだが、ワクチンの製造は時間が掛かるので、今年の新型インフルエンザについては最初は医療機関従事者などに優先して投与される見込みだ。

家庭で出来る対策としては、感染防止用品、日常品、薬、食料等の備蓄、たとえばいつもは10キロずつ買う米を20キロにして、10キロ常に備蓄することをすすめている。

この本では役割別に、父(会社員)、母(パート)、娘(中学生)、祖母(別居)という家族構成や、一人暮らしのサラリーマン、一人暮らしの老人(持病の薬は多めに貰っておく)などといった設定で、新型インフルエンザの発生の各段階での行動計画をまとめている。

個人としてできることは次の4点だ。

1.できるだけ外出しない。(通学しない、通勤しない、買い物をひかえる)

2.いきなり病院に駆け込まない(かかったかなと思ったら、病院で受診する前に保健所に電話して指示を受ける)

3.外出するときはマスク、ゴーグル、めがねなどを着用する。人混みを避ける。(電車・バスをやめて徒歩、自転車)

4.こまめに手洗い、うがい、洗顔をする。

この本では緊急時連絡用リストまで含まれており、こども用にひらがなで父母が寝ているというシーンを想定した電話のかけ方が掲載されている。


感染した場合

岡田さんはまずは家族全員の体温を毎日測ることをすすめる。感染すると3日ほどの潜伏期間の後に、38度以上の発熱から症状が出るのだと。

症状は38度以上の発熱、倦怠感、筋肉痛、腹痛、下痢、咳、たん等で、悪化すると呼吸困難などの肺炎の症状が出てくる。

そして感染の疑いがある場合にはいつもの病院に行くのではなく、保健所に連絡して指示を受け、家族の誰か一人が感染したら、家族全員が感染したものとして行動する必要がある。

新型インフルエンザに罹った後は、タミフルリレンザの抗インフルエンザ薬が有効だが、特効薬ではない。またタミフルは発症後早く使用するほど効果が高く、48時間以内に服用を開始しないと効果が低くなるという。

熱が出て我慢していると、悪化してからタミフルを飲んでも効果がない場合があるのだ。

家族の看病も通常のインフルエンザとは異なり、看病する人が感染しないようにマスク、ゴーグルを着用し、空気感染を避けるために部屋のウィルス濃度を下げるために換気や加湿器などが有効だ。

シャープやダイキンのウィルスを除去する空気清浄機も売り切れて予約販売となっているようだ。

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DAIKIN 世界で唯一ストリーマ技術でウィルスを分解・除去する空気清浄機光クリエールACM75K-W(ホワイト)ダイキン
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daikin hikari





出典:ダイキンホームぺージ

関連リンクでは全国保健所長会の新型インフルエンザ対策ページなどが紹介されている。


最後に岡田さんは「知識のワクチン」ということで、新型インフルエンザの正しい知識を持つことが、自分や家族を守る事につながると語る。

煎じ詰めると、人混みを避ける、マスク、手洗い、うがいという当たり前の対策になるが、当たり前のことを当たり前にやることの重要性が理解できた。

100ページほどの本で、画も多く、簡単に読める。大流行が目前に迫っていることでもあり、是非一読をおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  

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2009年09月09日

心にとどく英語 日本人の英語 第3弾 今度は言葉のニュアンス

心にとどく英語 (岩波新書)心にとどく英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1999-03
おすすめ度:4.5
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「日本人の英語」の著者マーク・ピーターセンさんの英語の使い方指南第3弾。今度は言葉のニュアンスだ。

最初に目次を紹介しておく。

I.英語の発想
 1.マラソンが彼にチャレンジする
 2.時制はドラマをつくる
 3.willではないがmightではある

II.日常もドラマだ
 1.頼れるレトリック
 2.宿題は「haveの世界」
 3.getをモノにして
 4.「微妙なこころ」を添える

III.会話にスパイスを
 1.excuseで世渡り上手
 2.youはyouでも「あなた」じゃない
 3.「入場券でも売ったっていうのか」

IV.意思貫徹の会話術
 1.隠された「つもり」
 2.女を侮辱する表現あれこれ
 3.去る者は日々に疎し
 4.careは人間関係の要

190ページあまりの本で、簡単に読める。いくつか参考になった点を紹介しておこう。


チャレンジ=挑戦という意味の確率は1/4

最初にチャレンジが出てくる。

チャレンジというと難しいことに挑戦するというイメージだが、そういった使い方は1/4程度で、大半は挑発とか呼びかけという意味だ。

象徴的な例として、「マラソンが彼にチャレンジする。」という例を挙げている。

The marathon challenged the runners.

アメリカンフットボールでもルールが変わってチャレンジを1試合に3回までできるようになったが、これは審判の判定に不服があるときに言い出すものだ。

この例としては、

U.S. may seek to challenge East German Medals.

という例が紹介されている。

東独は今は統一ドイツの一部だが、旧共産圏のスポーツ選手はドーピングをやっていたとの疑惑があり、さかのぼって1968年から1988年の間の東独のメダルを無効にする審判を米国が要求したというものだ。


ネイティブ並の会話は至難の業だがネイティブ並のレターなら努力すれば書ける

以下は筆者の意見だ。筆者はTOEIC945点だが、最も自信を持っているのは英文のレターだ。

TOEIC何百点とかいっても、本当の英語力はTOEICでは計れない。文脈にあった適切な単語を使って格調高いレターを書けるかどうかが本当の英語力だ。

日本人が英語会話でネイティブと間違えられるまでになるのは至難の業で、米国駐在9年の筆者でも不可能だろう。しかしネイティブ並のレターは努力すれば書ける。

このブログでも紹介してきた「日本人の英語」などの英語本を読んでも、断片的な知識はつくが、本当の意味でネイティブ並のレターが書けるようになるには、英語本を読むだけでは不十分だ。英語の原書を読んだり、英語のオーディオブックを聞くことでも不十分だろう。

ネイティブ並のレターを書こうと思ったら、筆者がおすすめするのはタイム誌を読むことだ。それも単に1年とか読むのではない。5−10年くらいの単位で読み続けるのだ。

英文週刊ニュース誌 TIME アジア版 定期購読1年分 (英語版)英文週刊ニュース誌 TIME アジア版 定期購読1年分 (英語版)
販売元:Time Inc.
発売日:2006-03-01
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さらに単に読む続けるだけではダメだ。何年読み続けても1ページにいくつも知らない単語が出てくると思うが、辛抱強く分からない単語は辞書を引くことだ。

辞書を引くといかにタイム誌の英語が文脈にぴったりの洗練された単語を使っているかわかるだろう。

偉そうなことを言っているが、実は筆者がネイティブ並のレターを書けるようになったのは、「タイムインテンシブコース」という通信教育のおかげだ。

毎週タイム誌を読み、2週間に1回レポートを書くということを6年続けた。その後米国に駐在した時に通信教育はやめたが、タイム誌を読むことはずっと続け、結局20年以上継続してタイムを読んでいた。

この「タイムインテンシブコース」はアルクの通信教育だが、現在は同じコースはない様だ。

メールが中心となり、英文でレターを書くことが少なくなってきているので、「タイムインテンシブコース」も止めたのかもしれないが、やはりきちんとしたビジネス提案をして受け入れられるためには、今でもレターが最も効果的だ。

同じコースがないので、代替案は次の通りだ。

1)タイム誌を読んで、分からない単語が出てきたら印をつけ、後で辞書を引く。

2)英文添削が含まれている通信教育を受ける。

3)タイム誌で新しく覚えた単語を使って英文を書いたり、会話に使ったりしてみる。

4)(可能であれば)英語でタイム誌の記事のあらすじを書く。

継続は力なりである。一般の通信教育の問題点は何年も継続して続けるようなコース設計となっていないことだが、上記の4つを続ければ英文力が比較的に向上することは間違いない。


「分からない」のニュアンス

文脈にぴったりの英語という意味では、この本では良い例が多く載っている。たとえば次のような「分からない」が紹介されている。

I don't know where she went last night.

日本語の「知らない」に近い。

I don't understand why she's been so cold to me lately.

「考えても分からない」という意味。

I never realized that she was getting tired of me and had started seeing someone else.

「気が付かなかった」という意味。

I couldn't tell that she was getting tired of me and

「まったく気が付かなかった」という意味。


映画の名セリフ

★映画卒業の一場面で、ミセスロビンソンが、娘の学友のベンを誘惑する場面でのセリフだ。

What do you drink? Bourbon?

これが現在形であるところが意味がある。「いつも何を飲んでるの?バーボン?」という風に、大人の雰囲気を作ろうとしているのだ。



YouTubeでは、このセリフの後の場面が載っている。


★カサブランカのセリフ

カサブランカのDVDを借りてきて一晩で2回見てしまった。本当に良い映画だ。

カサブランカ [DVD] FRT-017カサブランカ [DVD] FRT-017
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発売日:2006-12-14
おすすめ度:4.5
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カサブランカの最も有名なセリフ(筆者が思うに)は次の通りだ。

Ybonne: Were you last night ?

きのうの夜はどこにいたの?

Rick: That's so long ago, I don't remember.

そんな昔のことは思い出せない。

Ybonne: Will I see you tonight ?

今晩会えるかしら

Rick: I never make plans that far ahead.

そんな先のことはわからない。

YouTubeにはこの映像はないが、カサブランカの名セリフを紹介しているサイトで紹介されているので、参照して欲しい。


この本「心にとどく英語」で紹介されているのは、カサブランカの次の場面だ。短いセリフに絶妙のメッセージが詰め込まれている素晴らしい例だ。

ブルガリア人の若妻アンニナがリックにルノー署長の約束は信頼して良いのか聞く。(ルノー署長が自分と寝たら出国許可を出すと言ったのだ)

Will he keep his words?

He always has.

ルノー署長は今まで約束を守っている。(つまり同じような取引を違う女と何度もやって約束通り出国許可を発給しているという意味だ。現在完了を使って絶妙の意味を出している)

これを聞いたアンニナはため息をつく。


これ以外のカサブランカの名セリフが取り上げられているブログもあるので紹介しておく。作者の松本亨さんがつくった英語字幕付きのビデオがYouTubeにもアップされている。一見の価値があると思う。



このほかに映画で英語(カサブランカ)というサイトもある。カサブランカの英語好きの人も多い様だ。


英語をブラッシュアップするヒント

この本ではちょっとした心配りで、英語がブラッシュアップできるヒントが紹介されている。印象に残った例を紹介しておく。

★willとam going toの違い。willは思いつきの感じがあるが、am going toは予定に入っているという感じがある。


★goとgetのニュアンス

Do you think you can go to the party tonight?

パーティにそもそも行けるかどうか。

Do you think you can get to the party tonight?

パーティ会場にたどり着けるかどうか

だから駅に行く道を聞くにも、How can I go to the station?はおかしく、How can I get to the station?と言うべきだ。


★Youをあたかもoneの様に使う例

大リーグの名選手のインタビューという設定で。

It's important to remember that everything you do and say is being watched by a lot of different people. You have to think about what you're doing, and especially how children are looking at you.


★kiss-and-tell bookというのはいわゆる暴露本のこと。

★「知らねえよ」の英語は"I wouldn't know"だ。"I don't know"だと単に「分からない」になってしまう。

★「彼がかわいそう」を英訳すると"I felt sorry for him when he got laid off."というような感じになり、英語の主語はIとなる。


この本を読んだだけで英語力が向上するわけではないが、いわゆる「うまい言い方」の大事さを教えてくれるという意味で良い本だと思う。

簡単に読めるので、図書館などで借りて一読をおすすめする。


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2009年09月07日

1Q84 恋あり、オカルトあり、サスペンスありの長編小説

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
著者:村上 春樹
販売元:新潮社
発売日:2009-05-29
おすすめ度:4.0
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1Q84 BOOK 21Q84 BOOK 2
著者:村上 春樹
販売元:新潮社
発売日:2009-05-29
おすすめ度:4.0
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家内が図書館で借りた話題の小説「1Q84」を、家内が読み終わった後に読んでみた。

図書館で「1Q84」を借りてもう読んだというと、驚く人もいるかもしれないが、たぶん家内は本が発売された直後に図書館に予約を入れたのだと思う。

だから発売から3ヶ月以内に借りられたのだ。

図書館の予約制度をうまく利用すれば、新刊の人気小説でも3ヶ月程度で読める。

このブログでは「図書館に行こう!」シリーズで様々な図書館の利用法を紹介しているので、参考にして欲しい。

「1Q84」は、1,2巻合計1,000ページもの大作だ。

普通こんな大作は、早く読み終えて征服感にも似た読後感を味わいたいものだが、この本に限っては第2巻の終わりが近づいてきたら、むしろ「終わらないでくれ!」という感じさえ持った。

奇想天外で大変面白い。

小説のあらすじは詳しく紹介しないのが、筆者のポリシーなので、ひとことで紹介すると、小説家をめざす予備校の数学教師とマーシャルアーツのインストラクターをつとめる女性トレーナーが小学校の同級生で、心の中で慕いあいながらも20年間別々に生きてきた二人が別々に巻き込まれる事件が、実は一つに繋がっているというストーリーだ。

ウィキペディアで”1Q84”を検索すると、小説の登場人物が詳しく書かれているが、読む前にストーリーを知ってしまっては興ざめなので、おすすめしない。

1Q84とは1984年のことだ。もちろんジョージ・オーウェルの1984年に引っかけたタイトルだ。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)
著者:ジョージ・オーウェル
販売元:早川書房
発売日:1972-02
おすすめ度:4.5
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恋あり、オカルトあり、サスペンスありで、一気に読めてしまう。

全編を通して出てくるのが、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」だ。



ところどころでジャズや、平家物語原文の朗読なども出てくる。

以前紹介したように、筆者は通勤の途中で時々平家物語の原文朗読を聞いているので、我が意を得たりという感じだ。

ヘッケラー&コッホの拳銃も登場する。

656px-HKUSPCOMPACT40







出典: Wikipedia

著者の村上春樹氏は拳銃には相当詳しい様だ。


人物設定からいって感情移入はできないが、それでも手に汗握るという感じだ。

200万部以上売れるだけの理由はある。

露骨な表現もあり、若干好き嫌いがあるかもしれないが、面白い小説なので是非おすすめする。

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2009年09月05日

続 日本人の英語 今度は文法より言葉の用法

続・日本人の英語 (岩波新書)続・日本人の英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1990-09
おすすめ度:4.0
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日本人が気づかない英語の誤った用法を指摘した「日本人の英語」の続編。

日本人の英語 (岩波新書)日本人の英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1988-04
おすすめ度:5.0
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「日本人の英語」が文法中心だったのに対して、「続日本人の英語」は単語の用法中心で、昔の名画や小説などのセリフを例として多く取り上げている。


雨に唄えば

雨に唄えば [DVD]雨に唄えば [DVD]
出演:ジーン・ケリー
販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2009-09-09
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取りあげられているのは、"You were meant for me and I was meant for you."、これを映画の字幕スーパーでは「ふたりは結ばれていた ー 小指を赤い糸で」と訳していたという。

これは受動態で、能動態に直すと主語がある。それは「神」になるという。非常にレベルが高い話だ。


南太平洋

ミュージカルの名作の「南太平洋」からは、名曲"Bali Hai"や、ヒロインのネリーがシャワーで歌うところの歌詞が取り上げられている。

"I'm gonna wash that man right out of my hair".



実は「南太平洋」は映画で見たことがないので、DVDを借りて見た。YouTubeのこの映像は画質が良いと思う。

南太平洋 (スペシャル・エディション) [DVD]南太平洋 (スペシャル・エディション) [DVD]
出演:ミッツィー・ゲイナー
販売元:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日:2008-04-18
おすすめ度:3.0
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俳句の魅力

ピーターセンさんは大学院の時に俳句をはじめて日本語で読んで、カルチャーショックを受けたという。その俳句は芭蕉の句と言われる次の作品だという。

落ちざまに水こぼしけり花椿

たしかに露をためた椿の花が、「敦盛の首のように」ついにぽとんとやわらかい土に落ちる場面が目に浮かぶ。

ちなみにこの「敦盛の首のように」はピーターセンさんがこの本で書いている表現だ。


前置詞のニュアンス

次の3つの文の違いを解説している。

I work at the University Library. (働く場所を意識している)

I work in the University Library. (建物の中のにあるという意識)

I work for the University Library. (そこに雇われているという意識)

同じくニュアンスの違いとして、

I made my mother write this letter. (無理矢理書いて貰ったという感じ)

I let my mother write this letter. (書かせてあげることにしたという感じ)
 
I had my mother write this letter. (書いて貰うのは当然だという感じ)

I got my mother to write this letter. (説得して書いて貰ったという感じ)


これが名訳というものだ

最後に川端康成の「山の音」の一場面をコロンビア大学のサイデンステッカー教授が英訳した文を紹介している。

「やさしい」が1ページに7回出てくるが、それを異なった英語で表している。

川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言い、賞金も半分渡しているそうで、まさに作品の細かな「ひだ」まで忠実に英語に訳した名訳と言えると思う。

非常にハイレベルの英訳がどういうものなのかよくわかるので、一寸長くなるが和文と「やさしい」がある部分の英訳を対比して紹介しておく。

食卓を囲んで主人公の信吾(62歳)、妻の保子、最近女ができた長男の修一、しとやかでやさしい嫁の菊子、「半出戻り」の娘の房子が談笑するという設定だ。

「お父さまは、菊子さんにやさしくていいわねえ」と房子はいったりした。…

"Isn't father nice to Kikuko," said Fusako...

「そうですよ。わたしだって、菊子にはやさしくしているつもりですよ。」と保子が答えた。

"Yes, of course," said Yasuko. "I try to be good to her myself."...

房子は答えを必要とするような言い方でなかったのに、保子が答えた。笑いをふくんだ声でありながら、房子をおさえつけるようだった。

「このひとが、わたしたちに、たいへんやさしくしてくれますからね。」

"After all, she's good to us."....

菊子は素直に赤くなった。

保子も素直に言ったのだろう。しかし、なにか自分の娘にあてつけがましく聞えた。

幸福に見える嫁を好いて、不幸に見える娘をきらうように聞えた。残酷な悪意を含むかと疑われるほどだ。…

「僕は賛成しないぞ。亭主にだけはやさしくない。」と修一が言ったが、じょうだんにもならなかった。

"I don't agree that she's all that kind." said Shuichi. "She's not to her husband" The joke was not successful.

信吾が菊子にやさしくすることは、修一や保子は勿論、菊子もよく知っていて、誰も改めて口に出さないことなのだが、房子に言われてみると、信吾はふとさびしさに落ち込んだ。…

It should have been clear to all of them, to Shuichi and Yasuko as well as Kikuko herself, that Shingo was particularly gentle toward Kikuko....

やさしくすると言っても、信吾の暗い孤独のわずかな明かりだろう。そう自分をあまやかすと、菊子にやさしくすることに、ほのかなあまみがさして来るのだった。

Kindness to her was a beam lighting isolation. It was a way of pampering himself, of bringing a touch of mellowness into his life.

出典:新潮文庫「山の音」

山の音 (新潮文庫)山の音 (新潮文庫)
著者:川端 康成
販売元:新潮社
発売日:1957-04
おすすめ度:4.5
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出典: The sound of the mountain

The Sound of the Mountain (Vintage International)The Sound of the Mountain (Vintage International)
著者:Yasunari Kawabata
販売元:Vintage
発売日:1996-05-28
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前作の「日本人の英語」とはまた違った切り口で参考になる本だった。

20年近く前の本だが、アマゾンのランキングでも「日本人の英語」の483位には及ばないが、2、935位とよく売れていることがわかる。

ハイレベルの英語に興味がある人におすすめする。


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2009年09月02日

シュリーマン旅行記 清国・日本 江戸末期の日本旅行記

シュリーマン旅行記清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))シュリーマン旅行記清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))
著者:H.シュリーマン
販売元:講談社
発売日:1998-04
おすすめ度:5.0
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トロイ遺跡発掘で有名なシュリーマンの清国・日本旅行記。

シュリーマンの「古代への情熱」は筆者が学生時代最も感銘を受けた本の一つで、長男が大学に入った時にプレゼントした本の一冊はこれだ。

今回あらためてパラパラっとめくってみたが、たしかに「清国・日本」は自身の最初の著作として「古代への情熱」にも記してあった。

筆者が商社に入ってスペイン語を覚えたのも、もとはといえば13カ国語(18カ国語?記憶不確か)がしゃべれるというシュリーマンの影響もある。6週間で1カ国語をマスターできるという話には驚いたものだ。

古代への情熱―シュリーマン自伝 (新潮文庫)古代への情熱―シュリーマン自伝 (新潮文庫)
著者:シュリーマン
販売元:新潮社
発売日:1977-08
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

そのシュリーマンが幕末の日本に旅行できているとは全然知らなかった。この旅行記も1990年の初訳だ。

シュリーマンはドイツ生まれ。語学の才能を活かして貿易商となり、ロシアのサンクトペテルブルグで会社を設立し巨万の富を蓄えた。その富を利用してホメロスのオデッセイアに出てくるトロイが実在したことをたしかめるためにトロイ発掘に注力した。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)
販売元:岩波書店
発売日:1994-09
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

清国・日本に立ち寄ったのが1865年、そしてヨーロッパに帰ってトロイ遺跡を発掘したのが1871年だ。

中国については70ページで、北京、天津、万里の長城、上海の当時の様子を描いている。

日本については100ページにわたり当時の江戸、八王子の様子、人々の暮らし、日本文化について書き記している。

中国の悪印象とは好対照に日本については高い民度に感銘を受けている。


清国旅行記

たとえば中国については、

「私はこれまで世界のあちこちで不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の町はよごれている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。町並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。」

ゴミ、乞食、野犬、罪人など。それに纏足(てんそく)、アヘン、海賊、賭け事好きの中国人への不快感などが語られている。


日本旅行記

これに対して日本の出だしは次の通りだ。

「私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感動しきった面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。」

シュリーマンは様々なものに驚いている。

決して勘定をふっかけない船頭からはじまって、チップを決して受け取らない好意的で親切な役人、日本人はみな園芸愛好家で、住宅は清潔さのお手本だと褒めている。

「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」

シュリーマンは男女混浴の公衆浴場に驚いている。(公式には男女混浴は禁止されていたが、ついたて板で仕切られていた程度だったようだ)

将軍家茂の上洛の行列を見物して、その行列の配置を書き残している。


町田にもシュリーマンは立ち寄っている

筆者は現在町田に住んでいるが、筆者にとって特に興味深かったのはシュリーマンが町田を経由して八王子を訪問していることだ。八王子は絹生産地で手工芸の町ということで、他のイギリス人6人と連れだって訪問したという。

途中町田の茶屋で一泊している。


江戸訪問

当時江戸は外国人襲撃事件などもあり物騒で、外国人は住んでいなかったそうだが、横浜のグラバー商会の手配で、江戸訪問が実現した。当時の江戸は人口推定250万人で、世界最大の都市だ。

当時の江戸の簡単な地図が載っているので、紹介しておく。筆者の会社がある場所は当時は海の中だった。

edo map












出典:本文114ページ


5人のサムライが前後に護衛についての旅だ。馬は足に蹄鉄の代わりにわらじを履いていたという。

江戸では麻布の善福寺にあったアメリカ公使館を訪問し、江戸に残っている唯一の外国使節のポートマン代理公使と面談している。訪問の3年前にはアメリカ公使館の通訳のヒュースケンが暗殺され、イギリス公使館も襲撃をうけ10名が殺害されている。警護が厳しく、毎日合い言葉を変えていたという。

シュリーマンは麻布光琳寺のヒュースケンの墓にも行っている。

木彫り、絹織物、版画などの美術品も購入した。日本橋を経て浅草寺の観音を見た時には、「唐人」と叫ぶ群衆に取り巻かれ、珍しがってさわられたという。

浅草寺では仏像といっしょに花魁(おいらん)の肖像画が飾られているのに驚いたと語っている。

食事は米の飯に大体刺身がつき、煮魚や総菜がおかずだ。


感銘を受けた日本文化

シュリーマンは日本文化に感銘を受け、一つの章を日本文化論にあてて、次のように語っている。

★日本は工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達している。

★教育はヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。シナやアジアの国々では女が完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。


日本の将来について考えさせられる

シュリーマンが感銘を受けている様に、元々日本人は民度の高い同質的な国民なのである。文化、道徳、倫理、高い教育程度が昔からの日本の伝統なのだ。

たとえ数字の上では、中国がGDPで日本を上回ることになっても、それは単に人口が中国の11分の1という人口差がもたらす必然であり、日中の実質的な差は大きい。

たとえGDPは世界3位になっても、エコが重視される現在日本が世界で範となる分野は多い。

エコ減税や様々な補助金などの税制をうまくつかって、日本国民の意識を高めれば、日本が世界一のエコエネルギー大国になることも十分可能だと思う。まさに前東大総長の小宮山さんが「課題先進国日本」で言っていたのと同じだ。

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ
著者:小宮山 宏
販売元:中央公論新社
発売日:2007-09
おすすめ度:4.5
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150年近く前のシュリーマンの日本旅行記であるが、昔の日本の姿を知ることは、今後の日本のことを考える時に役立つ。

もちろんシュリーマンの「古代への情熱」も是非読んで欲しいが、この本も簡単に読めるので、一読をおすすめする。


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2009年08月31日

ミッドウェーの奇跡 元GHQ戦史室長がまとめた中立的戦史

ミッドウェーの奇跡〈上〉ミッドウェーの奇跡〈上〉
著者:ゴードン・W. プランゲ
販売元:原書房
発売日:2005-02
おすすめ度:5.0
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図書館で見つけて読んでみた。ミッドウェー海戦といってもあまりピンと来ない人もいるかもしれないので、あらすじとともにYouTubeの映像もいくつか紹介しておく。

原書房という知らない出版社だし、装丁もパッとしないので、あまり期待しないで読んでみたが、実は著者のゴードン・プランゲ博士はGHQの戦史室長として昭和26年まで日本に滞在し、旧軍人を中心に200人もの人を自宅に招いて何度もインタビューし、それをもとに3つの作品を残した人だった。

プランゲ博士の収集したプランゲ文庫は、ワシントンDC郊外のメリーランド大学に保管されており、1945年から1949年の日本のほとんど全ての印刷物を集め、中にはGHQの検閲で発禁になったものも含まれる貴重なコレクションとなっている。


ブレンゲ博士の3部作

プランゲ博士の残した3つの作品で最も有名なものは、日米合作映画「トラ・トラ・トラ」の原作となった「トラ・トラ・トラ」だ。



トラトラトラ〈新装版〉トラトラトラ〈新装版〉
著者:ゴードン・W. プランゲ
販売元:並木書房
発売日:2001-06-01
おすすめ度:4.5
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もう一つは日本経由でドイツの情報がソ連に流れていたゾルゲ事件を取り上げた「ゾルゲ・東京を狙え」。

ゾルゲ・東京を狙え〈上〉ゾルゲ・東京を狙え〈上〉
著者:ゴードン・W. プランゲ
販売元:原書房
発売日:2005-04
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そして今回の「ミッドウェーの奇跡」だ。


翻訳者の千早さんも戦史専門家

翻訳者の千早正隆さんは、終戦時の連合艦隊参謀で元海軍中佐、プランゲ博士が戦史室長を務めていた時にGHQ戦史室に勤め、資料収集に協力した。

千早さん自身も「日本海軍の戦略発想」という本で、敗戦原因について語っており、昨年末に新装版が発売されている。

日本海軍の戦略発想日本海軍の戦略発想
著者:千早 正隆
販売元:プレジデント社
発売日:2008-12
おすすめ度:5.0
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この本では、真珠湾攻撃に成功し、マレー沖海戦で英国艦隊に打撃を与え、セイロン沖海戦にも勝利して、米海軍に対し物量的にも優っていた日本海軍が、なぜアリューシャン列島攻撃ミッドウェー作戦という意味の無かった作戦を行い、敗れたのかを当時の日米関係者へのインタビューも含めて中立的に描いている。

YouTubeでも当時のフィルムをカラーにした記録映画が掲載されているので、紹介しておく。冒頭のシーンはドーリットル爆撃だ。



「ミッドウェー」という映画も作られている。




ミッドウェー海戦の本

ミッドウェー海戦はまさに太平洋戦争の転換点となったので、敗戦の理由は過去からいろいろ取り上げられ、様々な本が出版されている。


「運命の5分間」

真珠湾攻撃総隊長として戦果を挙げた淵田美津雄氏(戦後は宣教師となった)と大本営参謀の奥宮正武氏の「ミッドウェー」。

ミッドウェー (学研M文庫)ミッドウェー (学研M文庫)
著者:淵田 美津雄
販売元:学習研究社
発売日:2008-07-08
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ミッドウェー海戦では、日本軍空母が地上攻撃の爆弾から艦隊攻撃の魚雷に爆装転換していた「運命の5分間」に太陽を背にした米国急降下爆撃機が突如現れ、「赤城」、「加賀」、「蒼龍」に直撃弾を食らわせ、それが準備中の爆弾・魚雷に引火して大爆発を起こした。

それが直接の敗因で、あと5分あれば全機発艦して被害は免れていたというものだ。この「運命の5分間」についてはNHKがまとめたビデオで紹介されている。



これに対して「ミッドウェー海戦史に重大なウソを発見した」という澤地久枝さんは、「滄海よ眠れ」という全6巻のミッドウェー戦記を書いて「運命の5分間」に疑問を投げかけている。

滄海よ眠れ 1―ミッドウェー海戦の生と死
著者:澤地 久枝
販売元:毎日新聞社
発売日:1984-09
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澤地久枝さんの「記録ミッドウェー海戦」

澤地久枝さんは、集めた資料を一冊の本にして「記録ミッドウェー海戦」という本も出版している。

記録ミッドウェー海戦
著者:澤地 久枝
販売元:文藝春秋
発売日:1986-05
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実は筆者の亡くなった父からミッドウェー海戦で、いとこが空母の機関員として必死の操艦の末戦死したと、子どもの頃聞いたことがある。

この「記録ミッドウェー海戦」を調べてみると、たしかに「加賀」の機関員として「須山正一」という人が戦死している。筆者のおじさん(父の弟)から貰った昭和16年の戸籍謄本があるので確認してみたら、たしかにこの人は父のいとこで間違いない。

慰霊碑で親戚の名前を見つけた思いだ。19歳5ヶ月で戦死している。さぞかし家族は悲しんだだろうと思う。筆者もあたらめてショックを受けた。


ミッドウェー敗戦の根本原因

山本五十六大将は、ミッドウェー海戦後、部下に「敗戦は私の責任だ」と語ったそうだ。プランゲ博士もミッドウェー海戦の敗戦の真の責任者は山本五十六だと述べながらも、驕慢が海軍のみならず全国民に蔓延していたことを強調している。

「日本をこのように征服、驕慢、傲慢に駆り立てた歓喜に溺れた雰囲気の背景を見ることなくしては、ミッドウェーの史的ドラマの真相を理解することはできない。

「彼らが自信から生まれた幸福感にひたった過程を見ることなくしては、彼らが真珠湾で見せた綿密な作戦計画、徹底した訓練、細心な機密保持が、わずか6ヶ月足らずの間にどうして消え失せたのかを、知ることはできないであろう。」


ミッドウェー海戦の評価

この本でプランゲ博士はアメリカの海軍大学で教えている204SMEC方式という作戦評価方式で、日本軍のミッドウェー作戦を評価している。いかに成功の可能性が少なかったかがよくわかる。

1.目的
ミッドウェー島を攻撃し占領するのか、ニミッツの太平洋艦隊を撃滅するのか。プランゲ博士は日本の計画は最初から「双頭の怪物」だったという。そもそもアリューシャンとミッドウェーの両方をなぜ攻略しなければならないかったのか目的が不明だ。

2.攻勢
計画を成功率の高いものにするためには、"IF"に対する備えがなければならない。もしアメリカが察知していたら?もしアメリカが早く発見したら?もし第1航空艦隊が大損害を受けたら?日本は全く対策を立てていなかった。

もしリスクをきちんと考えていたら、敵がまだ発見出来なかった段階で空母4隻を一個所に集中させるような艦隊配置は取っていなかっただろう。

プランゲ博士が指摘する日本海軍のリスク認識欠如、慢心を示す一例が服装だ。空母の乗員の多くは半ズボン半袖で、防火効果がある長袖、長ズボンの戦闘服を着させていなかった。これがためやけどで命を失った乗員も多い。

3.交戦点における優勢
日本はこの時点では物量でアメリカを上回っていたのに、兵力を分散して集中効果を失った。アメリカ軍がほとんどいないアリューシャンを同時に攻めたり、戦艦を空母から300海里後方に配備したり、用兵を誤った。防御の弱い空母の代わりに戦艦を先頭に立てていたら、空母全部がやられることもなかっただろう。

4.奇襲
アメリカは日本海軍のJN25暗号を解読していた。日本側の通信の中で頻繁に出てくる"AF"がミッドウェーだということも知っていた。日本は潜水艦による策敵も飛行艇による哨戒も不十分だった。

ミッドウェー海戦前の暗合解読についてのNHKの番組がYouTubeに掲載されている。



5.機密保持
日本海軍は真珠湾の時のような機密保持の注意や綿密さは完全に消え失せた。ニミッツは事前に日本側の戦力をほぼ完全につかんでいた。

日本の空母にはレーダーが装備されていなかった。レーダーの試作機は戦艦伊勢と日向に装備されたが、この2戦艦はアリューシャンに向かっていた。レーダーが空母に装備されていたら、4空母が一度に沈められるということもなったろう。

6.単純性
山本長官は戦艦主義と航空主義の調整をつけられなかった。

戦艦は40センチ以上の主砲を持ち、陸上のいかなる要塞砲にも圧倒的に勝っているのに、ミッドウェー砲撃を主張する部下に、「君は海軍大学校の戦史の講義で、海軍艦艇は陸上兵力と戦うなということを習っただろう」と言ったという。

宇垣はさらに辛辣だったという「艦隊の砲力で陸上の要塞を攻撃することが、いかに愚かなことであるかは、十分に知っているはずではないか」

ミッドウェー島のどこに要塞があるというのだ。

彼我の戦力の徹底的な分析なしに、日露戦争の時の旅順攻撃の後遺症の「艦砲は要塞砲に敵し難い」という原則を忘れたのかと叱責する始末だった。

戦艦の艦砲射撃と航空攻勢を融合したのはニミッツだった。

7.行動性、機動性
山本長官は南雲部隊の空母4隻は失ったが、依然として4隻の空母、110機の航空戦力を持っていた。

アメリカ空母3隻のうち2隻が沈没あるいは大破だったので、日本は依然として強力な戦力を持っていた。それにもかかわらず、山本長官は空母を沈められ、艦載機の多くを失って、どうしたらよいかわからなくなくなって日本に逃げ帰った。

プランゲ博士は、山本長官はケンカ好きのテリアに追われて、しっぽを巻いて逃げ帰るセントバーナード犬のように大部隊を率いて本国に逃走したのだと評している。

8.戦力の最善活用
山本長官はあらゆる艦船を出撃させ、貴重な燃料を浪費した。さらにミッドウェー基地の空襲に使用した航空戦力は過大で、まだ見えないアメリカ機動部隊の反撃に備えるべきだった。

9.協同、統一指揮
山本長官は旗艦を連れて行ったばかりに、この重要な法則に違反することになった。無線封止を保つ必要から戦艦大和からは山本長官は指揮できなかったのだ。これに対してニミッツは真珠湾にいた。


血のつながった親戚が亡くなっているので、敵機がいつ現れないとも限らない戦場で、爆弾を積んだ飛行機をすべての空母の航空甲板上に並べていた日本海軍のリスク意識の欠如に憤りを感じるが、たしかにプランゲ博士が指摘しているように、当時は日本全体が戦勝に酔っており自らを失って慢心の極にあったことが根本原因だろう。

昭和天皇が「昭和天皇独白録」で、敗戦の第一の原因として挙げている通りだ。

「敗戦の原因は四つあると思う。
第一、兵法の研究が不十分であった事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば(ママ)、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。
第二、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと。
第三、陸海軍の不一致。
第四、常識或る主脳者(ママ)の存在しなかった事。往年の山縣(有朋)、大山(巌)、山本権兵衛、という様な大人物に欠け、政戦両略の不十分の点が多く、且軍の主脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に欠け、いわゆる下克上の状態を招いたこと。」


ミッドウェー海戦は様々な教訓を残している。知識経営論の野中郁次郎教授も参加している日本軍の戦略の失敗を研究した「失敗の本質」は1984年発刊だが、いまだによく売れており、アマゾンでも540位のベストセラーだ。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
著者:戸部 良一
販売元:中央公論社
発売日:1991-08
おすすめ度:4.5
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あなたの親戚にも戦争で命を落とした人がいるはずだ。失敗から学ぶことが我々の使命だし、今なお学ぶべきことは多い。機会があれば、上記で紹介した本のどれかを読んで自分の参考にして欲しい。


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2009年08月28日

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 戦中派ジャーナリストの献花外交のすすめ

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)
著者:松尾 文夫
販売元:小学館
発売日:2009-08-03
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元共同通信ワシントン支局長の松尾文夫さんの相互献花外交のすすめ。共同通信退社後、2002年にジャーナリストとして復帰、「銃を持つアメリカ」を日米両国で出版、この本は8月に発売されたばかりの最新作だ。

銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)
著者:松尾 文夫
販売元:小学館
発売日:2008-03-06
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Democracy With a Gun: America and the Policy of ForceDemocracy With a Gun: America and the Policy of Force
著者:Fumio Matsuo
販売元:Stone Bridge Pr
発売日:2007-10
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松尾さんは1933年生まれ。小学生の時に新宿区の戸山小学校(当時は国民学校)でドーリットル隊のBー25が地上スレスレの超低空で東京を空襲したのを目撃する。

小学校の校庭から大きな鼻の操縦士をはっきり見たという。その大きな鼻の操縦士と再会し、2005年のドーリットル爆撃隊の年次総会に出席した話も紹介されている。

YouTubeにドーリットル爆撃の実写フィルムがミッドウェー海戦とともに掲載されているので紹介しておく。レーダーに捕捉されないため(当時日本ではレーダーは実用化されていなかったが)超低空で飛行していることがよくわかる。

これならパイロットの顔もわかるはずだ。



ちなみに松尾さんもドーリットル爆撃を、ミッドウェイでの敗北の遠因となった太平洋戦争の一大転機と位置づけている。

たしかに空母に爆撃機を積んで発進させ、レーダーに発見されないように超低空飛行を続け、日本を通って中国に着陸するまで合計13時間、3,500キロも飛ぶ。

そして日本初爆撃で日本の指導者と国民を震撼させる上に、生還した爆撃機は中国に渡そうという構想は、敵の裏をかいた一石何鳥もねらった優れたアイデアだと思う。(ちなみにパイロットたちは皇居は狙わないように注意されていたという)

日本戦府は9機撃墜と発表したが、実際は1機も打ち落とせなかった。

しかし16機すべて途中で燃料がなくなって不時着したり、着陸時に壊れたりして、結局中国に引き渡せた機体はなかったというが、それでもアメリカ国民の士気を鼓舞し、日本を震撼せしめる大きな効果はあった。

松尾さんは疎開先の福井で敗戦直前の1945年7月にB−29の夜間無差別焼夷弾爆撃を受け、たまたま近くに落ちた焼夷弾が不発弾だったので九死に一生を得る。

このような戦争体験を持つ松尾さんは、戦争を知る最後の年代として「何故アメリカという国と戦争したのか」、「アメリカとはどういう国なのか」にジャーナリストとしてこだわりたいと語る。


オバマ大統領に広島で献花を

自分の生きている間は無理かもしれないとしながらも、2009年4月のプラハ訪問の時に核廃絶を目標として発表したオバマ大統領に広島で献花してもらい、返礼として日本の首相が真珠湾のアリゾナ記念館で献花する献花外交を松尾さんは提唱する。

すでに2008年に米国ナンシー・ペロシ下院議長の広島献花と、河野衆議院議長のアリゾナ記念館での相互献花が実現している。

松尾さんは献花外交というアイデアを2005年8月のウォールストリートジャーナルの意見欄でも明らかにした。

オバマ大統領は2009年6月にドレスデンを訪問しており、広島訪問も決して実現性のない話ではないと思う。


ドレスデンの和解

1995年にドイツ大統領、エリザベス女王名代のケント公、イギリス、アメリカの軍人トップが集まった「ドレスデンでの和解」がまず取り上げられている。

この日のドイツヘルツォーク大統領の「命を命で相殺できない」という演説は松尾さんのサイトでも紹介されている。

和解の印として相互に献花を行い、不戦の誓いと結束を新たに相互に確認しているのだ。

様々な戦争記念日は特別のイベントとしてメディアにも注目され、自国民のみならず、近隣や関係諸国の国民にも与える影響が大きい。まさに象徴的な献花外交と言えるだろう。

松尾さんはドレスデンの他に、スペイン ゲルニカや英国コベントリーの他、南京、重慶なども訪れている。


独仏共通歴史教科書

日韓で共通歴史教科書をつくることが検討されているが、献花外交の成果の一つは独仏共通歴史教科書だ。

共通教科書構想自体は1920年代からあったが、2003年の両国青年会議での提案をシラク大統領とシュレーダー首相が受け入れ、2006年に第1部「1945年以降」が初めて出版された。

第1部は日本語にも翻訳されているので、今度読んでみる。

ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)
著者:ペーター ガイス
販売元:明石書店
発売日:2008-12-15
おすすめ度:5.0
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2008年に第2部「ウィーン会議から1945年まで」が出版され、第3部の「ウィーン会議までの時代」が2010年までに出版される予定だ。

共通歴史教科書は、歴史評価がシンクロできて、相互の理解が深まる良い手法だと思う。日韓や、時間が掛かるかもしれないが、日中でも共通歴史教科書は検討すべきではないかと思う。


日本とドイツの戦後処理の際だった違い

この本では戦後処理に関するドイツと日本の大きな違いを明らかにしており、興味深い。

ナチスドイツが一党独裁で戦争を推し進め、ユダヤ人やポーランド人を虐殺したドイツと、国民のほとんど全体が戦争を望み、圧倒的コンセンサスで「鬼畜米英」を相手に戦争に突入した日本では事情が大きく異なり、単純な比較はできないが、参考になる事例ではある。

日本とドイツの差は次のような点だ。


戦争犯罪追求

ドイツではいまだに「ナチス犯罪究明各州合同法務センター」がナチス犯罪を追求しており、2007年末までに訴追件数11万3千件、有罪7千4百件、死刑12件、終身刑167件、懲役6千2百件が確定している。

これは連合国によるニュルンベルグ裁判とは全然異なり、ドイツ人自身がナチスの犯罪を許さないという確固たる国会意思によって支えられている。

日本では東京裁判で連合国によりA級戦犯などが裁かれた。東京裁判とA級戦犯についてはこのブログでも紹介しているので、参照して欲しい。

日本人自身が「満州事変、シナ事変、大東亜戦争を不可避ならしめた者」を反逆罪で裁く緊急勅令案が、戦争終結直後の東久邇宮内閣や幣原内閣では考えられていたが、GHQの指示で東京裁判が開催されることになり、日本人自身が裁く話はその後も持ち上がらなかった。

筆者はナチスドイツとは異なり、日本の場合には国民大多数のコンセンサスで戦争に突入したことから考えて、日本人自身が日本の戦争犯罪人を裁くというのは当てはまらないと考えている。

一方、松尾さんは「日本はこの幻の自主裁判案の挫折で、私が本書でドイツとの対比で言い続けている敗戦のケジメ、つまりその戦後の再スタート時につけるべき大きなケジメのチャンスを失ったということである」と書いている。

これは「進駐軍と呼ぶのはまやかしだ、占領軍とはっきり呼ぼう」との松本重治の記事を検閲で削除した事とつながるGHQの占領政策であり、日本人が自らケジメをつけることを望まない「日本占領」の素顔がのぞいていると松尾さんは語る。


戦争責任を認めた謝罪外交

ドイツでは政府指導者が、ゲルニカ爆撃謝罪や、ワルシャワでのポーランド人虐殺、ホロコースト謝罪など目に見える形で戦争責任の謝罪を行っている。

その一方でドレスデン爆撃を強く主張したアーサー・ハリスイギリス空軍司令官の銅像建立に際してはコール首相が抗議している。

人道に対する罪をドイツは国内外の区別無く糾弾し、ドイツ自身の場合は謝罪し、そして連合国の犯罪は糾弾しているのだ。

これに対し日本は1995年の村山談話を公式見解として、新たな指導者は戦争責任は公式には口にしていない。

また東京大空襲はじめ日本の都市に対する夜間無差別焼夷弾爆撃による焦土作戦を立案・実行したカーチス・ルメイ将軍に対して、日本は航空自衛隊を育成したという功績で「勲一等旭日大授章」を贈っているのだ。

昭和天皇はカーチス・ルメイへの勲一等授与ははっきり拒否している。

松尾さんがアメリカでドーリットル隊の元軍人にこの話をすると、みんな沈黙したという。アメリカではルメイが無差別殺人を命じた張本人と見られているのに、その人物に対して日本が勲章を贈ったことが信じられないという。

ちなみに東京を焼き尽くし民間人を攻撃するという出撃命令を受けた爆撃機パイロットは皆ふさぎ込んでしまったという話は「B−29 日本爆撃30回の実録」のあらすじで紹介した通りだ。


民間人の戦争被害補償

ドイツでは民間人に対しても空襲や地雷、艦砲射撃の被害を戦争の直接被害として国家補償がなされている。ドイツではすでに1870年の普仏戦争から一般市民の戦争損害を補償しており、この伝統が守られているのだ。

日本では2008年に国会図書館社会労働調査室の宍戸伴久氏が「戦後処理の残された課題ー日本と欧米における一般市民の戦争被害の補償」という論文を発表している。

旧軍人には恩給法、軍属にはいわゆる「遺族援護法」が沖縄戦犠牲者、原爆犠牲者、戦後引き揚げ者・シベリア抑留者に適用されてきたが、空襲で焼け出されたり、死亡した被害者は補償の対象となっていない。

2007年3月から東京大空襲訴訟が始まっており、近々東京地裁で判決が下される事になっているが、最高裁判所は1987年の名古屋空襲の被害者に対して、戦争は国民として受忍すべきで、補償するには国会の立法が必要として請求を退けており、これが現在の判例だ。

余談になるが、筆者の亡くなった父はたしか昭和18年に徴兵され、上海からベトナムを経て最後はインドネシアで終戦を迎えた。後に続く輸送船はことごとく米国の潜水艦に沈められ、父達のあとの新兵の補充はなかったので、ずっと二等兵のままだったという話をしていたことを思い出す。

父とは軍人恩給の話をしたことはないが、恩給をもらうには期間が足りないと、父と同居していた弟から聞いたことがある。軍人恩給がどういう基準でもらえるのか総務省のQ&Aがあるので、興味のある人は参照して欲しい。

戦地加算一覧表というのもある。普通は12年以上の軍務だが、戦地の1年は4年に換算される。

いずれにせよ本人が亡くなると相続はしないので、父が亡くなった以上今は関係ないが、どうやらもうすこしのところで父は期間が満たなかった様だ。


占領地での強制労働の補償

さらにドイツは2000年仲介役のアメリカの協力も得て、ナチス時代のドイツ支配地域での強制労働の被害者にも道義的補償と位置づけて「ナチス強制労働補償財団」をつくって補償に応じている。

2007年には166万人に対して44億ユーロ(5,700億円)が支払われたという。


日本の戦争被害の補償

日本の場合にはサンフランシスコ講和条約第14条B項で、「連合国及びその国民」の日本に対する賠償請求権放棄を明記しているが、これを見直すべきだとの意見もスタンフォード大学アジア・大洋州研究センター所長の申基旭(Gi-Wook Shin)教授などから出されているという。

申教授の考えでは、「アメリカは戦後ドイツに周辺国との和解を勧めた欧州での政策と対照的に、戦後日本に対しては、近隣アジア諸国に対する和解を勧めなかったのみならず、逆に冷戦の敵としての中国、北朝鮮との敵対関係を放置し、あおるような行動に出た。このアメリカの政策が現在の東北アジアで和解ができていないことの根源にある。」

「1951年のサンフランシスコ平和条約の締結国にも韓国や中国は入っていない。東京裁判でも欧米人捕虜虐待問題は裁かれたが、中国や朝鮮半島での日本の残虐行為は裁かれなかった。アメリカの強い意向で天皇が訴追から守られ、天皇制の維持が図られた。」

「こうした北東アジアの緊張を解き、和解を達成するために、アメリカはドイツの戦時補償問題解決で仲介役を果たしたのと同じように、サンフランシスコ平和条約の第14条B項にある賠償権の放棄を再解釈する努力に日本の協力も得て取り組むべきである」

というものだ。

申教授が編者となった"Colonial Modernity in Korea"(「韓国の植民地近代性」)という本で、韓国での日本の植民地政策の賛否両論をまとめているようなので、この九月に家族でソウルに旅行することでもあり、読んでみようと思う。

Colonial Modernity in Korea (Harvard East Asian Monographs)Colonial Modernity in Korea (Harvard East Asian Monographs)
販売元:Harvard University Asia Center
発売日:2001-09-01
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相互献花外交という点以外、ドイツを戦後処理の範とする松尾さんの理由付けが今ひとつ弱いような気がするが、いずれにせよ日本の近隣諸国との関係を考える上で参考になる本である。

オバマ大統領が出てくる部分はほんの一部なので、タイトルに惹かれて読むとがっかりするかもしれないが、ドイツの戦後処理を知るだけでも参考になると思う。

出たばかりの本なので、書店で手にとってパラパラめくってみることをおすすめする。


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2009年08月25日

カラマーゾフの兄弟 ロシアは時間の流れが超ゆっくりだ

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2006-09-07
おすすめ度:4.5
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カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2006-11-09
おすすめ度:4.5
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カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2007-02-08
おすすめ度:4.0
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カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2007-07-12
おすすめ度:4.5
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カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2007-07-12
おすすめ度:4.5
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光文社の古典新訳「カラマーゾフの兄弟」を読んだ。

ドストエフスキーの作品は今まで何回か挑戦したが、カラマーゾフの兄弟はその圧倒的なボリュームに今まで手が出せないでいた。

新訳が出てベストセラーとなり話題になっていたので、いわば夏休みの読書として読んでみた。

カラマーゾフの兄弟は文庫版で全部で5巻、2,000ページの小説と300ページの解説から成り立っているが、最後の第12章の裁判の日を除くと、わずか4日間の出来事だ。

まさにロシアの大河の流れのように時間の流れは超ゆっくりだ。

筆者は1993−4年頃に2回ロシア各地に出張したので、当時のことを思い出した。この時の話は「ロシアン・ダイアリー」のあらすじに書いたので参照して欲しい。

ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳
著者:アンナ・ポリトコフスカヤ
販売元:日本放送出版協会
発売日:2007-06
おすすめ度:5.0
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当時レアメタルなどロシア製品がいわば換金売りされていたので、北極圏にあるロシア最大のニッケル工場では、工場の従業員は何ヶ月も給料が遅配となり、食料や燃料などの生活必需物資を工場から配給されて生きているという話だった。

よく給料が払われずに暴動が起きないものだと感心していたが、ある人はロシアは農奴の歴史があるので、現金が無くとも住民は自給自足に慣れているのだと言っていたほどだ。

今はさすがにこんなことはなくなったのだろうが、当時は物資の不足がすさまじく、おみやげに日本のストッキングを持って行ったり、トイレットペーパー持参で出張に行き、帰りに使い残しを向こうの人にあげると喜ばれたものだ。

物質的には非常につつましいというか、貧しい生活をしていたが、それでも親の代から極寒の地に住んでいるウラル山脈の住民達はジョーク好きで、ボロ家ながらもセカンドハウスを持っていたりして、モノの豊かな日本とはまた違った生活を見た思いだった。

閑話休題。

小説のあらすじは、ポリシーとして詳しく紹介しないが、なにせ4日間の出来事なので、実はあらすじもコンパクトに次のようにまとめられる。

19世紀なかばの帝政ロシアで、地方の資産家で年老いても好色なフョードル・カラマーゾフ氏と、彼を憎む息子達の財産と愛人をめぐる争いがショッキングな事件を引き起こし、ロシア全土を揺るがせた大スキャンダル裁判へと発展した。この小説はその事件と裁判をめぐる様々な人間像を描いたものだ。

詳しく書くと読んだときに興ざめなので、この程度にしておくが、登場人物の細かい心理描写や芝居がかった発言を、現代風にわかりやすく訳している亀山東京外語大教授の新訳には脱帽する。

各巻の巻末についている亀山教授の解説も興味深く、最後の第5巻(エピローグ)には300ページほどのドストエフスキーの紹介、年譜、解題、訳者あとがきがついており、大変参考になる。

この本のあとがきで「蛇にピアス」の作家の金原ひとみさんの言葉が紹介されている。

蛇にピアス (集英社文庫)蛇にピアス (集英社文庫)
著者:金原 ひとみ
販売元:集英社
発売日:2006-06
おすすめ度:3.0
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「上巻半分を読むのに約3ヶ月。……中巻と下巻を私はほぼ3日ほどで読み終えたのだ。何だなんだこれはこんなに面白い小説があるなんて!」

ちょうどこんな感じだ。

最初は重苦しく、500ページ読んでも1日の出来事もカバーできない。なかなか話が進まないのでイライラしてくるが、流れ出すと一気に読み込んでしまう。

ドストエフスキーは初めから第2話を書くつもりでいたので、これは合計2,000ページもの小説だが、第1話のみで、全体として未完の作品である。

筆者はドストエフスキーの大作なら、どちらかというと「罪と罰」の方をおすすめするが、「一生に一度はドストエフスキーの大作を読むんだ!」という気概ならば、訳もわかりやすいので「カラマーゾフの兄弟」も良いと思う。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2008-10-09
おすすめ度:4.0
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罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2009-02
おすすめ度:5.0
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罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
販売元:光文社
発売日:2009-07-09
おすすめ度:5.0
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新訳が出て、何十万人もの人がこの本を買っている。多くの人が挑戦している本でもあり、やる気さえあれば是非挑戦して欲しい世界の名作である。


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2009年08月22日

日本人の英語 20年間売れ続けているベストセラー

日本人の英語 (岩波新書)日本人の英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1988-04
おすすめ度:5.0
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20年前の出版ながら、いまだにアマゾンのベストセラーランキングで291位(2009年8月21日現在)となっているオバケ ロングセラー。

先日読んだ多賀敏行さんの「外交官のうな重方式英語勉強法」に紹介されていたので読んでみた。

2006年4月の時点で73万部売れたというから、現在はたぶん90万部近く売れているのではないだろうか。

この本の書評はアマゾンに現在59件寄せられて、ハンパではない。しかもほとんどが5という高い評価だ。ネイティブだからこそ書ける、まさに目からウロコの英語書である。筆者が読んでから買った本の一つだ。


著者のマーク・ピーターセンさんは米国ウィスコンシン州出身

著者のマーク・ピーターセンさんは現在は明治大学の教授だが、この本を書いた当時は明治大学の選任講師だった。

Mark Petersen





出典:http://www.i-osmosis.jp/interview/mark_petersen/profile.html

米国ウィスコンシン州出身でフルブライト交換留学生として日本に学び、東工大で「正宗白鳥」(!)を研究したという。

ウィスコンシン州、ミネソタ州などの北中央部の英語は、クセがなくて良いのかもしれない。

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出典は以下注記ない限りWikipedia

筆者は米国駐在時代にウィスコンシン州に、しばしば出張したが、寒冷地ということもあってかなぜか黒人が少なく、ドイツ系やポーランド系、ノルウェー系移民が多い地域で、ウィスコンシン州は自動車用などの鋳物産業が盛んな土地だ。

1980年代には、ブラジルからセントローレンス川を通って五大湖まで2万トン級の船(外航船としては小さい)のパートカーゴで(船全部でなく、いくつかの船倉を使う)木炭銑鉄を輸入し、ミルウォーキー港の埠頭倉庫に在庫して、ウィスコンシン州やイリノイ州の鋳物工場などに販売していた。

筆者の住んでいたピッツバーグからは、シカゴかデトロイトでコミューター飛行機に乗り換えてマディソン空港に行くか、シカゴかミルウォーキーまでジェット機で行って、そこからレンタカーで3時間程度走ってマディソンに行っていた。

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マディソンは小さい町だが、州議会やウィスコンシン大学(マスコットはバジャー=たぬき(アナグマでなくたぬきだと思う))があり、湖があってきれいな町だ。

ちなみに「マディソン郡の橋」のマディソン郡はアイオワ州にあり、ウィスコンシンの州都マディソンではない。

マディソン郡の橋 (文春文庫)マディソン郡の橋 (文春文庫)
著者:ロバート・ジェームズ ウォラー
販売元:文藝春秋
発売日:1997-09
おすすめ度:3.5
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日本人に多いミス

はじめに日本人に多い英文のミスを列挙している。

1.冠詞と数
  a, the, 複数、単数などの意識の問題
  ここに英語の論理の心があり、観念の上では、この二つ(冠詞と数)を別々に考慮することは不可能に近いという。

2.前置詞句
  英語には前置詞(to, at, in, on, about, aroundなど)が多い。微妙な差が付けられているが、その反面トラブルも多い。

3.Tense, 文法の「時制」
  日本語には時制の代わりに、「相(aspect)」があり、tense自体ないので、様々な奇妙な英語が生じる。

4.関係代名詞
  that, whatなど、用法は完全に論理的で、基本的には使いやすい。

5.受動態
  論文に目立つ受動態の使いすぎ。

6.論理関係を表す言葉
  因果関係をあらわす(consequently, becauseなど)から、もっと微妙な関係をあらわす(thereby, accordinglyなど)豊富にあり、英語と日本語の感覚の違いから使い方に問題が出てくる。

いわゆる"time-tested"、長年のベストセラーだけあって参考になる例が多い。印象にのこった例を紹介しておく。


ネイティブは名詞に a をつけるのではなく a に名詞をつける

「ネイティブは名詞に a をつけるのではなく a に名詞をつける」という発想は、たぶんこの本で最も有名な指摘の一つだろう。まさに目からウロコだ。

「a に名詞をつける」と言われても、何のことか、にわかには分からないかもしれないが、日本語で考えるのではなく、いわば”英語アタマ”で考えると、なるほどと納得できると思う。

「つまり、"a"というのは、その有無が一つの論理的プロセスの根幹となるものであって、名詞に付くアクセサリーのようなものではないのである」

まず言いたいこと=アイデアがありきで、そのモノが特定のものなのか、1つ2つと数えられるありきたりのものなのかで、論理的に a か the か、何も付かないかが決まり、次に適切な単語を探すということだ。

これは筆者の意見だが、スペイン語やフランス語、ドイツ語などの名詞に男性形、女性形(ドイツ語は中性も)がある場合を考えると、さらにひとひねり加わると思う。

まず言いたいこと=アイデアがありきで、そのモノが特定のものなのか、1つ2つと数えられるありきたりのものなのかで、スペイン語だと不定冠詞 unか una(女性形)か、定冠詞 elか laか決まる。

次に名詞を選ぶが、スペイン語の場合は una mesa や un escritorio(どちらも机だが、mesaは食卓、escritorioは勉強机の意味)の様に名詞と冠詞とセットになって覚えているので、女性形でも男性形でも名詞に冠詞がくっついて出てくる感じだ。

★a を付けてはいけない例
a を付けない例としてエビスビールのラベルを挙げている。

以前は、"YEBISU, the legendary character, brings you a good luck"と長年書かれていて、ピーターセンさんは英語の教育者として落胆していたそうだが、"87.07.下"の刻印のビールから a がなくなり、"YEBISU, the legendary character, brings you good luck"となったのだと。

エビスビールは自宅で愛飲しているので、缶のラベルを見たが、缶にはこの表記はない。ちなみに瓶にはラッキーエビスという魚が2匹とれたラベルの瓶もあるようだ。「当たり」の様なものだが、特に特典はないという。

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出典:http://web-box.jp/kohassan/yebisu.htm

★a の間違った用法
a の間違った用法として、次の文を挙げている。

"Last night, I ate a chicken in the backyard". これだと一匹のを捕まえて食べたという意味になる。

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チキンを食べたなら、"Last night, I ate chicken in the backyard."で、a は要らない。

これは間違いの英文としても傑作といってよいものだと。


日本人に多い間違い

★日本人はtheを使いすぎる
ある英文学術雑誌の各論文の冒頭の文、66を抜き出して調べると、余計なtheがあったものが24,Theの足りないのは7,aの足りないのは6,余分なaはゼロ、冠詞がカンペキなものが16あったという。

★Theの例
歴史上最も有名なセンテンスを挙げている。

In the beginning God created the heaven and the earth - Genesis 1:1(創世記1:1)

それぞれ一つしかないものだからtheが使われている。

★純粋不可算名詞も間違いやすい
information, equipment, knowledge, assistance, evidence, advice, help, health, dependenceなどが純粋不可算名詞(複数形がない)の例だ。

冒頭のエビスビールのラベルの英文が良い例だ。"YEBISU, the legendary character, brings you a good luck"と長年書かれていたが、1987年7月に修正されて a が取れたという。

★英語に訳せない日本語
「思いやりがなさすぎる」

たしかに逐語訳はできない。筆者の案では、"He is anythging but considerate"だが、これが正解かどうかわからない。


前置詞の使い方

★日本語で「〜で」という場合、常にbyとは限らない
The cranes were observed by binoculars"

ではなくて、

The cranes were observed with binoculars"だという。

by binocularsだと、「双眼鏡に観察された」という意味になるのだ。

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今や「ワープロ」は死語に近くなっているが、タイプライターは"written on a typewriter"というので、「ワープロ」も "written on(not by) a word processor"となる。

★inとonの論理
inとonは論理が一貫している。中に入るのinで、上に乗るのがonである。だからin timeとon timeも、一定時間の中に入るのがon timeで、ある一瞬とぴったり合うとon timeとなる。

また乗り物は、自分で操縦できる者はget in a carで、ただ運ばれるのはget on a trainとなる。

カツラはtake off, 髢(かもじ=付け毛)はtake outだ。髢(かもじ)なんて言葉知らなかった!これがアメリカ人の書いた日本語かと驚く。

★over/aroundの例
Why don't you come over sometime?

Why don't you come around sometime?

どちらも「いつでもおいでよ」という親しみを表しているが、ニュアンスの差は、come overの方が直接的で、come aroundの方がついでに寄る感じがでている。

この"Why don't you〜?"では苦い思い出がある。新入社員の時に外国のお客をアテンドした時、この言い方を知らずに、"Because〜"と答えてしまったのだ。そのお客を、えらく理屈っぽい奴だなと思っていたが、軽い呼びかけ方とは知らなかった。

★明治な大学
University of Meijiというのは英語ではありえず、Meiji Universityでしかない。

of地名が正式名称となっている国立大学はThe University of Tokyo"(東大)しかない。

YasudaAuditorium





★上野動物園のパンダは英語でどう言う
上野動物園のパンダは、the pandas of Ueno Zooか、Ueno Zoo's pandasか、それともUeno Zoo pandasかという疑問には、最も所有感の強いのはUeno Zoo's pandasだが、Ueno Zoo pandasという名詞並びでも良いという。

Ueno-zooLightmatter_panda






時制と相(aspect)

★点と線
ピーターセンさんは、"What are you always doing on Sunday?"と聞かれて何を聞かれているのかわからず、無気味に感じて、答えられなかったという。「日曜日に何ばかりしているのですか?」という感じだと。

これを聞くなら、"What do you usually do on Sundays?"となるだろう。

★英語は「時」日本語は「相」
典型例は日本語の「行く前に」だ。

英語だと行動の時間によって、"before I go; before I went; before I had gone; before I have gone; before I will have gone"といった時制が考えられるが、日本語では「行った前に」とは言わない。常に「行く前に」だ。

ピーターセンさんにとっては、最近のアメリカ人の時制の使い方が崩れてきて、ときどき恥ずかしい思いをするという。

"We have signed a contract"は現在も契約している状態で、"We signed a contract"は、正確に言うと現在では契約はない状態なのだと。


関係代名詞

★カンマの使い方
たとえば次の文だ。

The Nobel Prize which I received last year was a great honor.

The Nobel Prize, which I received last year, was a great honor.

最初の文だと、昨年受賞したノーベル賞ということで、前にもノーベル賞を受賞したことがある様なニュアンスとなる。2番めの文なら、正しく伝わる。

600px-NobelPrize








日本人に多い受動態

この本は雑誌「科学」の1986年1月から1987年12月までの2年間に"Mark Remarks"という名前の連載をまとめたもので、理系の人向けに元々書かれたものだ。

木下是雄さんという人が書いた「理科系の作文技術」というベストセラーもあり、「科学者の書く日本語は受身(受動態)の文が目につく」という。

客観的であるべき自然科学の論文は、英語でも"I"と言わず"the author"と言い、受身の形で書けと教わってきたからだというが、最近では英語国の学者の中でも受動態を排除する動きもあると木下さんは語っている。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))理科系の作文技術 (中公新書 (624))
著者:木下 是雄
販売元:中央公論新社
発売日:1981-01
おすすめ度:4.5
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筆者はどちらかというと理系の審査員資格を持っているが、日本語でもやたら受動態が多いのに気が付く。だから筆者の場合は、報告書はすべて能動態で言い直している。

論文でよくあるのは次のような例だ。

"The following results of this experiment was obtained…”

これを英語らしく書くと、

"We obtained the following results in this experiment"とか"The results of this experiment are as follows"とすべて能動態になる。

主語と述語が離れすぎるのもわかりにくい。またピーターセンさんの最も嫌いなのは"was investigated"だという。

"The possibility of building a new hospital with funds provided by both private donation and governmental assistance under the new law was investigated"という感じだ。

これは、シンプルに

"We investigated the possibility of building a new hospital …"とすればわかりやすい。


どの「従って」を使うか?

accordinglyは、従ってというよりは、それに応じてという感じで、consequentlyはas a resultと同じく、結果として何らかの状態となることだ。

よく使われるthereforeは大げさすぎるという。

As, so, since, becauseについては、soは口語的なので、論文では使わない方が良いという。Asはbecauseともwhenともとれるので、意味が正確に伝わらないおそれがあり、科学論文には使わない方が良いという。

sinceとbecauseが、論文などにちょうど良い堅さなのだと。

ピーターセン氏が推薦するのは、therebyとthus、それに論文にふさわしいhenceだ。


この本を有名にしたmyの用法

★電子レンジは my で、冷凍庫は the?
この本を有名にしたもう一つの指摘は、この電子レンジは my で、冷凍庫は the という説明だ。

電子レンジと冷凍庫を比較すると、冷凍庫は一般家庭に普及しているので in the freezer だが、電子レンジは当時では珍しく、自分のモノという所有意識があるので、in my microwave なのだと。

20年前なら電子レンジも珍しかったが、今や1万円以下の電子レンジさえある時代なので、もはやmy microwaveという人は少なくなっていると思う。

シャープ 電子レンジ RE-T1-W5(ホワイト系/50Hz )
シャープ 電子レンジ RE-T1-W5(ホワイト系/50Hz )


なにはともあれ、所有意識によりmyが付くというのは優れた指摘だと思う。


20年前のベストセラーなので、上記のmy microwaveなどのやや古いと思われる例もあるが、それにしても目からウロコの英語本である。

楽しく読めるので、まだ読んでいない人には是非一読をおすすめする。


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Posted by yaori at 11:51Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!趣味・生活に役立つ情報 | 教育論

2009年08月20日

政権交代で民主主義度がアップ? 国際ジャーナリストの英語術 

2009年8月20日再掲:

いよいよ衆議院選挙戦が始まった。8月30日の選挙では大方の予想通り、「山が動く」ような気がする。

政権交代が現実味を帯びてきている。

イギリスの雑誌"The Economist"は世界各国の民主主義度(Democracy index)を発表している。

2008年の民主主義度だと、日本は世界で17位で、米国は18位となっている。前回の2006年のデータでは日本は20位、米国は17位だった。

最低は北朝鮮なのは変わりない。

トップはスウェーデン、ノルウェー、アイスランドなど北欧諸国が占めている。

Democracy index




出典: Wikipedia

"The Economist"とは別に、米国国務省も各国の民主主義度を発表しているという。

米国国務省が発表している「民主主義度」で日本がトップグループに入れないのは、政権交代が起こっていないからだという。

このことは元朝日新聞ジャーナリストの村上吉男さんが「国際ジャーナリストの英語術」で書いているので、そのあらすじを再掲する。

今回政権交代が起これば、日本の「民主主義度」も上がり、トップグループに入れるだろう。

8月30日の総選挙が楽しみだ。


2009年4月3日初掲:

国際ジャーナリストの英語術 (朝日新書)国際ジャーナリストの英語術 (朝日新書)
著者:村上 吉男
販売元:朝日新聞出版
発売日:2008-05-13
おすすめ度:3.0
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先日読んだ「外交官のうな重方式英語勉強法」に紹介されていたので読んでみた。

著者の村上吉男さんは、朝日新聞顧問で、大学卒業後ジョセフ・グルー奨学金で米国フレッチャースクール法律外交大学院に留学し博士号を取得した後に帰国し、1965年に朝日新聞社入社。

バンコク、ワシントンに駐在し、1977年のロッキード事件の時にロッキード社のコーチャン副会長への単独インタビューに成功するなど、数々のスクープを挙げる。

村上さんの英語能力は、前述の「うな重方式」の著者で外交官の多賀敏行さんのお墨付きである。

村上さんは「英語は体育」と言い、積極的に口のまわりの筋肉を動かして発音しないと英語は上達しないと語る。米国駐在経験9年の筆者も目からウロコの指摘である。

筆者も日本人の少ないピッツバーグでアメリカ人相手に仕事をしていたので、自分ではそれなりに英語はうまいつもりだが、息子たちに言わせると「日本人(外国人)の英語」というのがわかるという。

ネイティブ並みの英語の発音をめざすには、やはり「体育」と思って、口をネイティブのまねをして動かすことが必須なのだろう。

この本では、発音のときのくちびるの形まで載せていて、大変わかりやすい。

英語は体育






前半では取材のコツ、ウラを取る、「スピン」=情報操作対策、機動力が勝負など国際ジャーナリストの仕事の進め方を簡単に説明している。マスコミの仕事の裏側の努力や駆け引きがわかって面白い。

後半の部分は「英字新聞は最高の先生」として、記事の構成、見出しの理解、ニュース・ソースなど英字新聞を読みこなすためのコツや、英字新聞読解のための200単語などを紹介している。

この本の目次

この本の目次は次の通りだ。

序章 ある英語学習者の体験

第1章 ジャーナリストと英語

第2章 英語は「体育」−「話聞読書」の学習法

第3章 それでは通じない!−和製英語からの脱却

第4章 英語の品格ーまずは"and, but, so"の卒業から

第5章 英語新聞は最高の先生ー読みこなすためのコツ

付録 英語新聞が読めるようになる200単語


筆者はTOEIC945点だが、この本の最後の200単語のうち1割くらい意味が分からなかったし、発音も間違って憶えていたものが多い。

特に"hose"や"post"の"o"(オー)の発音は、"ou"(オウ)となることは、この本を読んで初めて気が付いた(ホウズ、ポウst)。

上には上が居る。筆者の大学生の長男は(元)帰国子女なのでTOEIC975点だが、たぶん村上さんはTOEICだと990点(満点)なのではないか。TOEIC945点程度で満足している自分が恥ずかしく思えた。

この本では日本人の犯しやすい間違いと、どうやったらネイティブの英語を書けるか、どうやったら英語らしく聞こえるかがわかりやすく説明されていて参考になる。

英語があまりできない初級者から上級者までまんべんなく役に立つ実用書だと思う。

特に参考になるのが第4章の「英語の品格」だ。


「英語の品格」

次がこの章のサブタイトルだが、様々な観点から村上さんの豊富な経験に基づいた至れり尽くせりのアドバイスをしてくれている。英語の上級者にも参考になることがわかると思う。

・ただ「話せる」というだけではいけない

・感銘を与える英語

・くだけた物言いと流暢さは違う

・取り扱い注意の感動詞

・and, so, butからの脱却

・物や事象を主語にする

・品格ある英語

・good, wonderfulを別の語に

・badを別の語に

・単語の言い換えで会話の格を上げる

・英語らしい発音にするための微調整

・語尾の"n"と"m"をしっかり発音する

・子音をはっきりと。母音を勝手に付けない

・"f"、"v"の発音

・"wo"、"o"、"oa"の発音

・"i"(アイ)の発音

・さらに上を目指すなら

・フランス語の活用

・ラテン語の活用


その他、いくつか参考となる例を紹介しておく。


発音できなければ生活できない

そこそこ英語のできる日本人が米国に来て困るのが、自動音声対応装置とドライブスルーだ。

電話の自動音声対応装置は、ちょっとでも発音が悪いと通じないし、ドライブスルーも何回も聞き返されて、後ろに車の長蛇の列ができると焦ってしまってなおさら通じなくなるパターンが多い。

筆者もマクドナルドのドライブスルーでは冷や汗かいた思い出がある。なぜ通じないのかわからないのだ。

筆者がピッツバーグ日本語補習校の運営委員長をやっていた時に、このドライブスルーの件を、学校の卒業記念文集に書いたことがある。そうしたらアメリカ人と結婚した日本人の補習校の先生から「アメリカ人の夫も通じないことがある」となぐさめ(?)られたことがある。

アメリカでも方言があることも通じない原因の一つだ。

南部なまりは有名だが、東部のピッツバーグでもピッツバーグなまりがある。

たとえばピッツバーグでは”ファイリング”は”ファーリング”だし、”サンドイッチ”は”サムウィッチ”だ。

最初に秘書に”ファーリング”と言われた時は何のことか分からなかった。

アメリカ人でもドライブスルーは苦手の人がいるというのは、なまりとか人種による声帯の違いなどの事情もあるのかもしれない。


日本は民主主義度でトップグループではない

カーター政権の頃、米国国務省が「世界の民主主義国家リスト」を発表したことがあり、日本はトップグループでなく、第2グループだった。村上さんは国務省の担当にいきりたって電話を入れたが、理由を聞いて納得したという。

その理由は日本は長年政権交代が起こっていないので、第2グループなのだというものだった。

今年中には政権交代が起こる可能性が高くなってきたので、いまでもこの国務省のリストがあれば、来年は日本は初めてトップグループに入るかもしれない。


"Any government lies"(どんな政府もウソをつく)

2003年春の米国のイラク侵攻の時に、米国政府はメディアも使ってイラクが大量破壊兵器を持っているという情報を流したが、IAEAエルバラダイ事務局長は証拠はつかめていないと言っていた。

それにも関わらずアメリカはイラクに出兵した。

イラクの核開発について最後までアメリカと対立したIAEAのエルバラダイ事務局長とIAEAの組織全体が2005年のノーベル平和賞を受賞したことは、IAEAの立場が正しかったことが国際的に認められたものである。

次の2つは第4章「英語の品格」からだ。


パーティ用語の"byol"

村上さんはパーティの招かれた時に挨拶状に"byol party"と書いてあったのを見過ごして、恥をかいたという。

"byol"とは"bring your own liquor"のことで、飲み物持参パーティのことだ。

"byob"と呼ぶことも多い。"byob"とは"bring your own booze=酒"のことだ。


"and, so, but"からの脱却

次の2つの文を比べて欲しい。

"I went to school yesterday, and I saw a teacher. He said hello to me. But I don't like that teacher, so I didn't say hello to him"

"When I went to school yesterday, I say a teacher I didn't like. He said hello to me, but I didn't return a greeting"

どちらが説得力あるだろうか?

このように"and, so, but"から脱却することで、英文も小学生レベルの英文から、ピリッとしまった英文を書けるようになる。


英語の4大発音

村上さんは次の4つが英語の4大発音で、繰り返し練習が必要だという。("ae"と"з"は発音記号の代わり)

1."man"などの"ae"音

2."shirt","term", "worthy"などの"з:r"または"зr"音

3."learn"などの"L"音

4."think", "thank you"などの"θ"音

筆者はこれにアメリカ英語の特徴である"r"(アール)の発音を加えたらカンペキと思う。


アメリカ駐在のときに、当時幼稚園児と小学生の息子たちに「お父さんの英語は下手だ」と言われていた。

自分ではそれなりに英語がうまいつもりなのだが、当時の息子たちのようなネイティブと同じ発音と自分の発音が異なる理由がわかったような気がする。

「駐在のときにこの本を読んでいれば....。」と思うと残念だ。


英語の初級者にも上級者にもおすすめできる。読むだけでなく英語の発音も試して欲しい本である。


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2009年08月19日

8月納涼歌舞伎 勘三郎の四役早替わり最高!

八月納涼大歌舞伎を歌舞伎座に見に行ってきた。今の歌舞伎座は来年立て替えのために取り壊されるので、歌舞伎座さよなら公演と銘打っての出し物だ。

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6時からの第三部で、後半の「怪談乳房榎」での歌舞伎のスーパースター中村勘三郎の四役早替わりが見所だ。

歌舞伎座のホームページに様々な情報が載っている。

kabukiza





「怪談乳房榎」は板橋区にちなんだ三遊亭円朝の怪談噺なので、板橋区のホームページにもストーリーが載っている。

また「怪談乳房榎」のストーリーを詳しく解説したホームページもあるので紹介しておく。


歌舞伎の最後の場面では舞台に滝のセットをつくって水を流し、勘三郎が水の中で格闘するシーンまであった。水に濡れた姿でも早替わりしていた。

早替わりは驚くべき早業で、たとえば花道を暗くして、すれ違いざまに早替わりすることもあって感心した。歌舞伎は本当にエンターテインメントだと思う。

セリフもわかりやすく、イヤホンガイドで話の進行にあわせて日本語又は英語で解説が流れるサービスもある。外国人観光客も多い。

昨日も満席だった。今の歌舞伎座は来年取り壊されるので、首都圏に住んでおられる人は、その前に一度歌舞伎座に歌舞伎を見に行くことをおすすめする。

インターネットで予約できるサービスもあるので、歌舞伎座のホームページをチェックして欲しい。



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