2005年04月09日

ラッキーマン マイケル J.フォックスの闘病と自伝

朝起きたら左手の小指がぴくぴくと動きだし、止まらなくなった。そんな出だしで始まるパーキンソン病と闘うマイケル J.フォックスの自伝。

ユニバーサルスタジオのアトラクションにもなった映画『バックトゥーザフューチャー』のマーティ・マクフライといえば誰でもわかるだろう。

『チキン』(弱虫)と呼ばれ、むきになってカーレースで勝負する彼の演技を思い出す。

カナダ軍の通信兵を父に持ち、各基地を渡り歩いた貧しい一家に生まれ、音楽から演技へと進み、家族の反対を押し切って高校を中退。父親にカナダから車で送ってもらってハリウッドに来る。

18歳だから深夜労働の制限がないとして子役でTVドラマ『レオアンドミー』でデビュー。一躍有名になるが、そのうち仕事がなくなるとカナダ人なので、労働許可の関係でアルバイトもできず2年ほど赤貧の生活を送る。

これがだめならカナダに戻るしかないというぎりぎりのところでTV番組『ファミリータイズ』のオーディションに応募。

身長が低い(165センチ)ので、背の高い両親の子供としてはおかしいとしてNBC編成局長の強い反対があったが、敏腕プロデューサーのゲーリー・ゴールドバーグの強い引きで合格。これが大ヒットし、一躍ブレイクする。

『バックトゥーザフューチャー』は一旦は別の俳優で映画撮影がスタートしたにも関わらず、スピルバーグの要望でマイケルが主役となり、彼は映画とTVドラマを同時並行的に撮ることになった。

バックトゥーザフューチャーはスピルバーグプロデュースし、ボブ・ゼメキス監督というコンビの作品。

ラッキーマン
マイケルはこの映画の成功で一躍大スターの仲間入りをするが、そのころからパーキンソン病の症状がでてくる。

まずは冒頭の指の震え、それが左半身全体の震えとなる。普通パーキンソン病は50〜60台からの病気とされているので、まさかと思ってパーキンソン病の権威の医者の診察を受ける。

当初は医者も診察前は他の病気だろうと言っていたが、診察後パーキンソン病であるとの宣告をする。

それから何年もサイネメットという薬で震えを抑えて、テレビ・映画の仕事を続ける。いよいよひどくなったので、震えの原因となる視床の細胞を電気メスで焼き切る手術を受けるが、今度は右半身の震えがスタートする。

このように俳優という仕事を続けながらの闘病生活が子供も誕生とか肉親の死とかのイベントをはさみながら語られていく。

闘病生活を隠してきたが、いよいよ病気に罹っていることを発表してカミングアウトする。それからは様々な方面からの励ましを受けて、パーキンソン病との戦いのために政府などにも働きかけるボランティア活動も行う。

全編を通して家族とくに奥さんの女優トレーシー・ポランのサポートが強く印象に残る。

トレーシーとは『ファミリータイズ』での共演がきっかけで結婚したのだが、俳優同士の結婚でこれほど愛し合っている例は少ないのではないかと思う。

マイケルが発病し、一時新しく子供をつくることはやめていたが、子供に遺伝する可能性はないことがわかり、女の子の双子と3女が生まれ、4人の父親となった。

『ファミリータイズ』(家族の絆)を地でいくマイケルの生き様である。

個人的に母がパーキンソン病だったことから、人ごととは思えない。頑張って病気と闘ってくれ!
Posted by yaori at 11:32│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 

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