2007年05月21日

日米通貨交渉 80年代の日米交渉の推移がよくわかる

日米通貨交渉―20年目の真実
日米通貨交渉―20年目の真実


いままで資料が少なかった1980年代の日米交渉の推移を、交渉当事者の一人だった内海孚(うつみ まこと)元財務官の1983年から1986年までの駐米公使時代の応接録(面談記録)をベースに、当時の日米の通貨当局者へのインタビューや寄稿を加えて再現した興味深いレポート。

著者は日本経済新聞編集委員の滝田洋一さんで、財団法人鹿島平和研究所の評議員を務める高橋元さん(元大蔵事務次官)、大場智満さん(元財務官)、内海孚さん(元財務官)他の協力で編集された。

インタビューした米国政府関係者は次の通りだ:
リチャード・ダーマン(元財務副長官)
チャールズ・ダラーラ(元財務次官補)
ロバート・フォーバー(元財務省課長)
ポール・ボルカー(元FRB議長)
マニュエル・ジョンソン(元FRB副議長)
ハロルド・マルムグレン(元USTR次席代表)
リチャード・メドレー(投資ファンド経営)
ディビッド・スメック(雑誌インターナショナル・エコノミー主幹)

寄稿者は1983−85年に大臣官房調査企画課長だった大須敏生さん(モルガンスタンレー証券顧問)や、1987ー88年に国際機構課長だった黒田東彦さん(元財務官、アジア開発銀行総裁)、1990年当時国際金融局調査課長だった水盛五実さん(元印刷局長、オリックス生命保険社長)、日米構造協議当時大蔵大臣だった故橋本龍太郎首相などで、舞台裏がわかり参考になる。

この本では1983年から1990年までの日米交渉を次の3つの段階に分けて説明している。

1983ー85年 日米円・ドル協議
1985−88年 プラザ合意以降の円高
1989ー90年 日米構造協議


為替レート推移








日米円・ドル協議

1980年代初めのレーガン大統領時代のアメリカは、「強いアメリカ、強いドル」をスローガンに、高金利で世界中の金を集めていたが、産業界は強いドルのために競争力を失いつつあり、貿易収支の赤字は拡大していた。

このような環境下で1983年にキャタピラー社のリー・モーガン会長がまとめ、政府・議会関係者に配布したモーガンレポートは、円・ドル相場のミスアラインメント(不均衡)により米国産業界の競争条件を悪化させていると指摘した。

これを受けてシカゴ学派ミルトン・フリードマン教授の弟子であるスプリンケル財務次官は、円安是正のため、円の国際化を重視し、これが米国政府の要求となった。

円の国際化が進めば、日本からの資本流出で短期的には円安になる可能性があるが、日本の金融・資本市場が活性化すれば、円資産の魅力が増し、円高になるはずだというマクロ経済理論だ。

この要求は1983年11月のレーガン大統領と中曽根首相との日米首脳会談でも持ち出される。

レーガン大統領は、「日米間の貿易不均衡の問題や米議会の保護主義の動きを懸念している。日本市場へのアクセスの問題、市場開放の問題、円・ドルの問題、資本市場の問題、円の国際化の問題などについて日米間で緊密に協議、協力していきたい。」と語り、これに中曽根首相が応えて日米円・ドル委員会が始まった。

中曽根首相はステップ・バイ・ステップでは困る、もっと急いでくれと「ステップ・バイ・ステップ・ウィズ・ロングストライド」路線が決まった。

また中曽根首相は「工程管理表をつくれ」と指示したが、大蔵省の幹部は理解できず、海軍の言葉だと思ったそうだ。工場などで使う普通の言葉だと思うが、いかにも東大などの法学部・経済学部出身の文系エリート集団の大蔵省らしいエピソードだ。

そんな具合で日米円・ドル委員会はスタートし、円の国際化の道を本格的に歩み始める。

1973年からの円の対ドル相場の推移表は上の通りだ。1984年に日米円・ドル委員会が始まっても、為替相場にはあまり大きな変動はなかったが、1985年9月のプラザ合意から加速度的に円高が進んだことがよくわかる。

日米円・ドル委員会の結果、ユーロ円市場の拡充、定期預金金利上限の撤廃、外国銀行の国際ディーリング開始、外国金融機関の日本市場への参入など、米国側の主張はほとんど実現し、米国は非常に満足する結果となった。


ドル高是正についてのG5プラザ合意

日米円・ドル委員会による東京市場の自由化や円の国際化は、円安是正には役立たなかったので、G5諸国がドル売りの協調介入に合意する。これが1985年9月にニューヨークのプラザホテルで行われたプラザ合意だ。

米国政府の首脳も財務長官がメリルリンチ出身のリーガンからブッシュシニアの盟友、ジェームズ・ベーカーに代わり、補佐もスプリンケルからベーカーの腹心の部下ダーマンに代わった。これに伴い、市場に任すという考え方から、当局による市場介入に米国政府の方針が変わった。

サウジアラビア通貨庁の顧問を長く務め、ユーロ市場に精通していた資金運用のプロのマルフォード財務次官補は留任し、確実にユーロ円市場の自由化を進めた。

プラザ合意に参加したボルカー元FRB議長は、回顧録(日経新聞の「私の履歴書」)で日本の竹下登蔵相が円の10%以上の上昇を容認すると自発に申し出たことに驚いたと同時に、竹下蔵相の積極姿勢が会議の成功に非常に重要な影響を与えたと記している。

日米は10−15%ドルを弱くということで合意していたが、実際には市場は一旦弾みがつくと止まらなくなってしまったことは歴史が示す通りだ。

プラザ合意でドル安是正の裏に隠れて、あまり出てこないのが、日本の内需拡大で、地方公共団体の事業を拡大して内需拡大を図ることも同時に合意された。

ところが日本語の声明文と英語の声明文にはニュアンスの違いがあり、そのまま発表したところ、宮沢喜一氏のみが気づき、帰国次第、その点を指摘さたという。

ベーカーは内需拡大の成果に期待を掛け、成果が上がらないと日本に景気刺激を強く要求してきた。その原因がプラザ合意にあったことは間違いないと大場財務官は語る。

そして宮沢喜一氏が竹下蔵相の後任蔵相として、強烈な円高圧力と内需拡大要請の矢面に立つことになる。


止まらない円高

宮沢氏に滝田さんがインタビューしたときに、宮沢氏は「プラザ合意は日本にとって、二十世紀で最大級の経済的出来事だったと思います。日本企業の海外進出を通じてアジアの経済発展を加速させる一方、日本の経済構造を激変させました。つくづく為替は怖いものだと思います。ソサエタル(社会的)な変化をもたらすのですからね。」と語っていたという。

宮沢氏らしい頭の良いまとめ方である。

1986年6月に大場財務官は退官し、行天財務官となる。内海孚(まこと)氏も駐米公使から国際金融局長として帰任する。そしてこの年7月の衆参ダブル選挙で勝利した中曽根首相は、プラザ合意を批判していた宮沢氏を大蔵大臣に指名する。

宮沢氏は大蔵省のOBだが、ケインジアン(積極財政主義者)であり、財政再建を目指す当時の大蔵省幹部にはやりにくい大先輩だった。

宮沢氏はさっそく「ご説明」を受けたが、普通は課長連中をともなって局長ごとに説明するのだが、主計局長、主税局長、国際金融局長は一人で来てくださいと宮沢氏は指示する。

内海国際金融局長の説明では宮沢氏は「プラザ合意の際に、どこまで円高にするかということまで、しっかりときめないでやったことが失敗だったのではないですか」と聞いたという。

プラザ合意前は一ドル240円だった円相場が、1986年には200円を突破した。しかし為替調整は対外収支不均衡の是正には役立たないことがはっきりしてきて、プラザ合意の期待は幻想だったことが判明する。

実際の輸出が減る以上に速いピッチで円高・ドル安が進み、ドル建てでは日本の輸出額がかえって増えてしまうJカーブ効果が発生したからだ。


口先介入とドル安

業を煮やしたベーカーはトークダウン(口先介入)を繰り返し、ドル相場は顕著に下落したが、経常収支に与える影響は不十分だとして、日本や欧州に内需拡大のマクロ政策を要求した。

もはや為替レートによる調整は効果がないので、1986年10月にベーカーと宮沢蔵相は1ドル=160円程度になった現在の為替レートはファンダメンタルズに一致したと発表し、その後は内需拡大策が議題となる。日銀も公定歩合引き下げを繰り返し実施した、

1987年2月には参考相場圏という概念を取り入れたルーブル合意ができたが、円高は止まらなかった。

東京市場の6人の小鬼と呼ばれた、阪和興業、山一証券、シャープ、伊藤忠商事、三菱信託銀行、日本長期信用銀行が巨額の為替取引で利益を上げていたのもこのころだ。

6兆円の緊急経済対策が発表され、日本政府が毎回のように巨額の経済対策を発表したが効果は見られなかった。


ブラックマンデーでドルはさらに弱く

そして1987年10月19日のブラックマンデーでニューヨークの株価は史上最大の508ドルという下げ幅を記録、一日で22%も下落した。

ドル相場はさらに下落し、1987年末には120円台となり、むしろドル防衛が必要となる。

一方低金利と景気回復により、1988年から日本ではバブル景気が始まり、株価・地価がコントロールが効かない状態となって急上昇した。

米国の景気は低迷していたときに、日本だけが超活況で、「皇居の土地の価値相当で、カリフォルニア州全体の土地が買える」と言われた明らかに狂乱の時代だった。

日本は国際的にも影響力を増し、中南米の累積債務問題の解決のための宮沢構想が、米国のブレディプランの呼び水になったり、IMFの出資比率を5位から米国に次ぐ2位にしたり、欧州復興開発銀行の設立に協力したり、経済外交でも国力を上げた時期だった。


日米構造協議

プラザ合意後の急激な円高にもかかわらず、日米不均衡は是正されなかった。原因は日本市場の特殊性にあるというリビジョニストが台頭し、米議会の保護主義が強まった。

日本に対する制裁措置を政府に義務づける米通商法スーパー301条が、米国議会で制定されたことなどが呼び水となり、1989年7月の宇野・ブッシュ日米首脳会談で日米構造協議の開始が決まった。

どう見ても内政干渉に他ならないミクロの要求リストが米国から出てくるようになった。これが名前を変えて現在まで続く日米構造協議の始まりである。

米国は財務省・国務省・USTR、日本は大蔵省・外務省・通産省が共同議長となり、様々なミクロ分野での米国の要望が寄せられ、1989年末のリストは実に200項目を超えていた。

当時の海部内閣では、自民党の金丸信と小沢一郎が実権を持っており、米国側はミスターガイアツと呼ばれたアマコストが駐日大使で、10年間で430兆円の公共投資が発表された。

日米構造協議は1990年6月に最終報告を提出するが、その主な項目は次の通りだ:

1.公共投資10年間で430兆円。
2.低・未使用土地の有効利用
3.大店法改正着手
4.違法カルテルの監視と罰則強化
5.系列取引に対するガイドライン策定
6.内外価格差是正とフォローアップ
7.フォローアップ会合 初年度3回、以降年2回次官級協議
8.米国はスーパー301条は発動しない

これが現在の成長のための日米パートナーシップに基づく米国政府の年次改革要望書につながっているのだ。


米中通貨交渉とのアナロジー

滝田さんは円の国際化のプロセスが20年以上を経て、人民元相場の柔軟性の向上と、金融市場開放を求める米国の対中国要求と相似形となっていると指摘する。

プラザ合意がアジア経済とりわけ中国経済の発展を決定的にする要因となり、その中国が今や米国から人民元相場の切り上げを求められている。

いつか見た光景が日本から中国に登場人物が代わって起こっている。

しかし日本と中国の違いは軍事大国かどうかだ。日本は安全保障を米国に依存しているが、中国は違う。パワーアップした中国は、一筋縄ではいかないのだ。

中国は単に経済力だけではなく、軍事力も、核兵器も保有している。

もちろん米国のステルス戦闘機などの最先端軍事技術に比べれば、中国の軍事技術はまだ遅れているが、核兵器と宇宙開発でつちかったロケット技術を結びあわせれば、米国にも対抗できる軍事パワーとなりうる。

中国が宇宙空間で人工衛星を打ち落とす実験を行い、米国などの非難を浴びたことは記憶に新しい。

いずれにせよ人民元の対ドル相場上昇は長期的に見れば不可避と思われ、その意味で中国は今後とも有望な投資対象となるだろう。

日米通貨交渉を調べることで、米中通貨交渉の行く先を予測するという、まさに温故知新そのものという感じの本である。

事実を客観的に再現しようとしている姿勢には好感が持てる。

400ページ強の本で、読むのに1週間掛かった。まずはあらすじを読んでから挑戦して頂きたい。


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2007年05月17日

アメーバ経営 稲盛和夫さんの独特経営手法がよくわかる

アメーバ経営―ひとりひとりの社員が主役
アメーバ経営―ひとりひとりの社員が主役


京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが、5年間にわたって京セラの経営幹部に対して行ったアメーバ経営講義をまとめた本。

アメーバ経営は京セラグループに定着している経営手法だが、その思想や仕組みをまとめた本はなかったという。2006年9月に出版されたばかりだ。

アメーバ経営とは、会社の組織をアメーバと呼ばれる小集団に分け、それぞれにリーダーを置き、独自の会計基準に基づいて独立採算で運営する手法だ。

稲盛さんは筆者の尊敬する経営者というか人生の先達なので、このブログでは今まで「稲盛和夫の実学」、「高収益企業のつくり方」、「君の思いは必ず実現する」の3冊を紹介してきているが、それらの中でもアメーバ経営という言葉は幾度か出てきた。

今までばくぜんと理解したつもりだったが、この本を読んでアメーバ経営を導入する具体的手法はどういうものかわかった。

京セラやKDDIだけではなく、他にも300社以上が京セラの関連企業のコンサルティング会社の支援を受けてアメーバ経営を導入しているという。


アメーバ経営の原点

稲盛さんは大学を卒業して京都の松風工業というセラミックメーカーに就職するが、数年で辞めて京セラを創業する。創業3年目で前年に採用した高卒新入社員10名が、昇給・ボーナスを将来にわたって保証しないと辞めると団体交渉を求めてくる。

創業したての京セラに将来を保証できるはずはなく、稲盛さんは三日三晩社員と話し合って納得を得たが、このことが稲盛さんに、小さい会社でも従業員は会社に一生を託して入社してくることを痛感させる。

このことが原因で、稲盛さんは京セラの経営理念を「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」と定めた。

またあたかも自分が経営者であるように従業員が懸命に働いてくれる全員参加の経営の仕組みを考えた。それがアメーバ経営である。


アメーバ経営の三つの目的

アメーバ経営の目的は次の三つである。

1.市場に直結した部門別採算制度の確立
2.経営者意識を持つ人材の育成
3.全員参加経営の実現

この本で稲盛さんは上記の三つの目的について、わかりやすく解説している。

重要なのは、人間として何が正しいのかというフィロソフィーをに基づいた明確な意志、売上を最大に、経費を最小にする努力、そして市場変化に従いアメーバの様にダイナミックに変化する活力だ。

アメーバは、まず第一に収入と費用が切り分けられる単位であることが必要だ。

第二に、アメーバの単位は単に細かくするだけではだめで、ビジネスとして完結する単位にする必要がある。例えば、セラミック製造工程の中で、京セラは事業単位を、原料、成型、焼成とわけた。それぞれ同じ事業を行う他の会社が存在していたからであると。つまり理論的にはその部分をそっくり他社にアウトソーシングできる切り分けである。

第三に会社全体の目的、方針を遂行できる組織であることも必要である。

例えば営業の場合は、受注部門、納期管理部門、代金回収部門と分け、全体の手数料収入10%を例えば5%、3%、2%と分けることも可能だが、それだと顧客に対して一貫したサービスを提供できず、お客様第一主義という会社方針に沿った営業ができなくなるので、営業の組織を分けることはできない。

アメーバ経営は実力主義であるが、成果主義ではないと。つまり短期の成果で個人の報酬に極端な差はつけないが、長期にわたり実績を上げた人を正当に評価して処遇に反映させているのだと。


アメーバ経営を支える経営管理部門

アメーバ経営の思想、手法と仕組みを維持、発展させる重要な役割を担う部門が経営管理部門であり、その役割は次の三つである。

1.アメーバ経営を正しく機能させるためのインフラつくり
2.経営情報の正確かつタイムリーなフィードバック
3.会社資産の健全なる管理


アメーバ経営の時間あたり採算表

アメーバ経営の時間あたり採算管理といっても、今まではっきりとしたイメージがわかなかったが、この本では製造部門と営業部門の具体例が紹介されており、わかりやすい。

製造部門だと次の様な構成となる:

総出荷     : 650百万円
(社外出荷   : 400)
(社内出荷   : 250)

(−)社内買  : 220百万円

総生産     : 430百万円

(ー)控除額  : 240百万円
(原料費、電力水道代、通信費、公租公課、減価償却、旅費等)

差引売上    : 190百万円

総時間     :  35,000時間
(定時     :  30,000時間)
(残業他    :   5,000時間)

当月時間あたり :  5,430円


営業部門だと次の様な構成となる:

受注      : 360百万円
売上高     : 350百万円
受取口銭    :  28百万円

(ー)経費合計 :  12百万円
(運賃、旅費、通信費、販促費、交際費、公租公課、減価償却、金利、本社経費、間接共通費等)

差引利益    :  16百万円

総時間     :  2,000時間
(定時     :  1,800時間)
(残業     :    100時間)
(部内共通・間接共通時間 100時間)

当月時間あたり :  8,000円

ちなみに営業部門の収入は生産金額の10%を口銭として受け取るルールとしており、製造と営業の仕切価格は認めていない。さらに製造がいくつかのアメーバに分かれている場合には、各アメーバが公平に負担する。

アメーバ経営の特長は、人はコストではなく付加価値を生み出す源泉であるという考え方だ。だから労務費は経費としては扱わない。

これによって各アメーバの時間あたり採算が計算できるので、アメーバの時間あたりの採算が実際の労務費を上回れば黒字、下回れば赤字となる。


アメーバごとの年度計画(マスタープラン)

採算管理と並んで重要なのが経営計画だ。各アメーバは経営の最小単位なので、会社全体の方針や事業部に於ける方針や目標を受けて、三年ごとのローリングプランと年度ごとのマスタープランを作成する。これによってリーダーの意志を示すことになる。

具体的な売上、総生産、時間あたり採算などの経営目標も、アメーバ単位で設定され、年度計画(マスタープラン)に基づく月次計画が作成される。

明確な目標を設定して、全従業員のベクトルをあわせるのだ。そして毎月マスタープランに対しての進捗を確認し、部門長以下の関係者は、もし遅れていればキャッチアップのためのアクションを取らなければならない。


アメーバ経営はリーダーを育成し、全従業員の経営者意識を高める究極の教育システムであると稲盛さんは結論づける。

経営の基本を抑え、採算と費用をわかりやすく把握し、人材を育てるアメーバ経営がよくわかる。おすすめの本である。


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2007年05月14日

Mrs Ferguson's Tea-Set 関榮次さんの最新作 ストーリー構成が秀逸

2007年5月14日追記:

関さんにご招待頂き、外国人記者クラブでの夕食会Book Breakに参加した。ちょっと長くなるが、その雰囲気を追記として、紹介しておこう。

最初に20分ほど関さんが、流ちょうでわかりやすい英語で、8年間にわたる取材の裏話を披露された。"Automedon"から政府の秘密文書がドイツ側に漏洩したことは、英国政府としてもふせておきたい事実だったので、当時の資料はほとんどなかったこと。

種々資料を探していて、英国の国立公文書館(National Archives)でやっと2つのファイルを探し当て、そのうちの一つはMrs. Fergusonが捕虜送還で英国に戻ったときの諸費用のファイルだったこと。捕虜釈放で帰国できた英国人はその送還費用を国に支払うのだ。

やっとMrs. Fergusonの旧住所がわかり、ロンドンから100キロほど離れたSt. Albansを訪問したが、その家には赤の他人が住んでおり、困り果てたこと。St. Albans Advertiser(記憶不確か)という地方紙に手紙を書いたら、その手紙を新聞に載せてくれて、Mrs. Fergusonの末妹のMrs. Madge Christmasから連絡を貰えたこと。

3人の"Automedon"の生存者から話を聞け、攻撃や沈没のありさまがよくわかったこと。ドイツでも資料収集したが、あまり協力は得られず、攻撃側の"Atlantis"Rogge船長の情報は、ほとんど入手できなかったこと。

英国では政府の要職についていた人などが亡くなると、公文書館が資料を貰い受けるというシステムがあるそうで、これが歴史的に重要な資料の散逸を防ぐ優れたもので、日本でも考えるべきだと語っていた。その通りだと思う。

また英国の船員、漁民、灯台守の戦死者は、すべて巨大な記念碑に刻銘され、その貢献がいつまでも覚えられているのに対し、日本の船員などの戦死者には横浜に小さな慰霊の石があるのみで、船員戦死者に対する畏敬の念の表し方は日英で大きな差があると。

次に会場からの質問のセッションになり、いくつかの質問が寄せられた。

そのうちの一つはトリビア的な質問だが、Mrs. Ferguson's Tea-setはどこのメーカーのものかというものだった。これは本にも載っていたが、Taylor & Kentが正解。

筆者も質問を考えていたが、質問のタイミングを失してしまって、場を盛り上げることができず、お役に立てず申し訳なかった。

筆者が用意していた質問は、この本のタイトルは非常にintriguing(興味をそそる)なもので、読者がその意味を知ると、本の大筋がわかるというeleborated(緻密に考えられた)なものだが、どうやってこのタイトルを決めたのかというものだ。

またの機会にこれは取っておこう。ちなみに今のところ日本語訳は、出版予定がないと。

この本のあらすじは、このブログで紹介した通りだが、大変良くできた作品なので、是非日本語訳を出版してほしいものである。


2007年2月25日追記:

いままで気になっていたのだが、この本の中で強く記憶に残る統計を追記する。

それは戦時中の商船の被害と、商船員の死亡率についてである。

第2次世界大戦中の連合国と中立国の商船の損失は4,800隻(総トン数21百万トン)で、死亡や行方不明となった船員は37,000人である。

船員の損失率は25%で、これは英国陸軍、海軍、空軍の戦死率より遙かに高い。

日本の場合は、もっと悲惨で、2,500隻(総トン数8百万トン)の商船が沈没し、30,000人の船員が命を失った。

致死率は実に43%であり、日本帝国陸軍の20%、海軍の16%をはるかに超えている。

戦時中の船員は、大変危険な仕事だったのだ。


2007年2月10日追記:

著者の関栄次さんから、英国の元船員から紹介されたという商船中心の船の情報サイトShipsNostalgiaを紹介頂いた。

11,000人程度のメンバーがフォーラムとか掲示板を利用して、船の写真とかコメントを書いている。会員登録もしてみた。

昔乗った船の話や、船愛好家、船員仲間との交流を楽しむサイトだ。

Ships nostalgia






ここに関さんの本の書評が載っている。

ships nostalgia book






このサイトは商船に興味のある人しか使わない、非常に限られたメンバーの集まりだが、世界中の船の愛好家が集まっており、ここに情報が掲載されれば、芋づる式に密度の濃い情報が集まる可能性がある。

英語で本を出版することの影響力がよくわかる事例だ。

日本語の本だと影響力はほぼ日本のみだが、英語はインターネットを通して今や世界語と言えるので、英語の情報は世界中に広がり、いろいろな人に読まる。

本当に世界が広がる感じだ。

Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940
Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940


以前ご紹介した「日英同盟」の著者、関榮次さんから最近作を頂いたので、早速読んでみた。

新著は英文で出版された。格調高い英文で、文脈に非常に適切な単語が使われているというのがよくわかる。いずれ日本語版も出版されるだろう。

筆者は最近は主にオーディオブックで英語の本を読んでいる(聞いている)ので、ひさしぶりに英語の本を読んだが、あらためてWikipediaの威力を思い知った。

たとえば本文の中で出てくる"salvo"という言葉だ。普通の英語辞書では、一斉射撃と書いてあるが、wikipedia英語版では軍艦の片側一斉射撃、艦砲射撃を表現する際に、一般的に使われると説明してある

さすがにネット版百科事典だ。コピーペーストで簡単に意味を調べられるし、使われている単語の意味を正確に理解するためには、いまや普通の辞書や電子辞書より、Wikipediaの方が役立つかもしれない。


本書の時代的背景


関さんの前作:「日英同盟」
では第一次世界大戦中に、日英同盟に基づいて日本が地中海に派遣した艦隊の活躍という、知られざる戦時秘話が中心ストーリーとなっていた。

「日英同盟」で取り上げられた日本と英国の絆が、本書の伏線となっている。

第1次世界大戦の時に海軍相/軍需相だったチャーチルは、日本の艦隊の貢献を深く感謝し、日本に親密感を抱いていたので、第2次世界大戦直前の1941年4月に日本との戦争を回避すべく、当時の重光葵駐英大使に託して訪欧中の松岡外相宛に親書を送った。

しかし松岡は帰国後欧州での歓待の報告に終始し、天皇の不興を買った他は、チャーチルの親書を、近衛首相や天皇に報告したという事実はなく、チャーチルの親書は松岡によって握りつぶされてしまった。

ちなみに立花隆の「滅びゆく国家」の「平成18年は明治139年」という部分で紹介したが、戦前の大日本帝国の領土はWikipediaの次の地図の通りだ。


大日本帝国領土







この広大な支配地域を持つ世界の一等国の日本が、当時の無能な政府とそれを容認した国民のために、勝てる見込みのない戦争に向かってしまった訳だ。

1940年8月から11月のバトルオブブリテンで、ヒットラーが英国侵攻をあきらめ、ドイツの破竹の勢いは失われていた。

翌1941年6月にドイツは、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するが、米英ソを敵に回してのドイツの両面戦争は明らかにドイツに不利との情報が在外公館から寄せられていたのに、それでも第2次世界大戦に参戦していった日本の政府の動きが、冷静に分析されている。

「Mrs Ferguson's Tea-Set」は、日本が第二次世界大戦に参戦する前に、イギリスの商船を襲ったドイツの偽装軍艦が、英国内閣の秘密情報を入手し、それがドイツから日本にもたらされ、日本の参戦を後押ししたという史実をセンターピースにしている。

全体として一つの大きなストーリーが流れているが、登場人物の話題や時代背景、日本や英国の当時の政府の動きなどが、順を追って、史実に基づいて展開されている。

関さんは英国にも住居を持っておられ、取材のために年に数ヶ月欧州に滞在されていると、お聞きしている。

15ページにわたって紹介されている"Automedon"、"Atlantis"の平時の写真と沈没の断末魔の写真、様々な登場人物の当時の写真と近影、外交文書、捕虜収容所での写真等、読みながら参照でき、非常に興味深い写真ばかりである。

ちなみに、表紙の写真は"Automedon"の沈没時の連続写真である。

また脚注(Notes)、参考文献(Bibliography)、付録(Appendices)だけでも30ページもあり、膨大な資料と調査により生み出された作品であることが良くわかる。

関さんのストーリー構成力には、いつもながら感心しているが、それに加えて元外交官の多彩なコネクションと地道な努力の積み重ねによる膨大な情報に裏打ちされた、秀逸なノンフィクションである。


偽装軍艦"Atlantis"

第二次世界大戦は1939年9月にドイツのポーランド侵略から始まり、翌1940年5月にドイツが英仏と戦争に入って本格化した。

ドイツは英国の補給路を断ち、連合国向けの物資を接収して自分で使うために1940年に大西洋やインド洋に偽装軍艦を派遣していた。

ドイツのU−ボートが連合国の商船や軍艦に大きな脅威となっていたことはよく知られているが、U−ボートは沈めるだけで、偽装軍艦は商船やタンカーを襲って、乗っ取るというのが大きな違いだ。

筆者もこのような偽装軍艦が活躍していたとは全く知らなかった。元外交官の関さんらしい、知る人ぞ知る歴史秘話だと思う。

襲われた商船が救難信号を発すると、近くの連合国側の艦船が救助にくるので、潜水して姿をくらませられる潜水艦に比べて、偽装軍艦は敵の攻撃にさらされる危険性は高い。

それでもこの本で取り上げられている偽装軍艦の一隻の"Atlantis"は、1940年はじめから1941年11月に英国巡洋艦に沈められるまで、22隻の商船やタンカーを拿捕または沈めるという大きな戦果を上げていた。

Wikipedia英語版でも"Atlantis"は詳しく取り上げられており、その意味では偽装軍艦の中でも、優れた戦果を挙げているのだと思う。

関さんの著書もWikipedia英語版に参考文献として挙げられている。


運命の商船"Automedon"

時は1940年11月。ヒットラーが電撃戦でフランスを占領し、英国侵攻をめざして8月からバトルオブブリテンと呼ばれる航空戦が戦われていたが、英国空軍の迎撃で、結局ヒットラーが英国侵攻をあきらめた頃だ。

英国の商船"Automedon"は1940年9月末に英国リバプールから上海向けに出航した。積み荷は、航空機、自動車、機械部品、鉄や銅製品、ウィスキー、食料など一般荷物と郵便で、旅客も乗せていた。

"Automedon"はマレーシアのペナンに到着する1日半前に、偽装軍艦"Atlantis"に襲われた。

事前に"Atlantis"から警告信号が出ていたが、これを無視して"Automedon"が救難信号を発信したので、"Atlantis"は一斉射撃を行い、"Automedon"の船橋にいた館長以下の主要オフィサーは全員戦死した。

旅客の中にシンガポールに駐在する英国船会社の社員Ferguson夫妻が乗っていたが、旅客は無事だった。

ドイツの偽装軍艦"Atlantis"は"Automedon"を沈める前にボートを出し、食料や使える積み荷を移送し、負傷者・乗員・旅客を捕虜として自船に移送したが、最初の探索では"Automedon"の外交文書が保存してある金庫室は見逃していた。

ところがFerguson夫人が、自分のトランクがまだ船に残っているので、取ってきてくれと"Atlantis"のBernhard Rogge船長に頼んだことから、トランクが置かれている金庫室から125袋の秘密文書が見つかり、ドイツ側を喜ばせる結果となった。


奪取された秘密文書

この中に日本の行動を多角的に分析し、日本が軍事行動に出る可能性があるが、攻撃に準備ができていない英連邦の現状に関する8月8日付けの英国首相の報告もあった。

当時日本は1940年9月の三国同盟でドイツと同盟国となっていたものの、中立国として、ドイツにも英国にも等距離を保っていた。ドイツはそんな日本を、ドイツ側に引き寄せるために、この秘密情報をフルに利用した。

"Automedon"が攻撃されたのが1940年11月22日、そして秘密文書は12月12日に駐日ドイツ大使館の駐在海軍武官Wenneker少将より近藤海軍軍令部次長に手渡された。

秘密文書に驚いた近藤信竹次長は、その晩駐在武官を夕食に招待し、情報に感謝するとともに、大英帝国がここまで弱体化していることは、外からはわからないものだと語ったという。

ドイツ側が秘密文書の入手経路を明らかにしなかったことから、帝国海軍は当初秘密文書の真偽を疑っていたが、文書の内容がアジア各地で収集している軍事情報と驚くほど一致することから、情報の真実性を確信するに至った。

これによりそれまで三国同盟はあっても、中立にこだわりドイツ船舶の補給にも、中立国としての対応を守っていた日本が、急速にドイツ寄りに傾き、翌年にはドイツから兵器や技術を購入するためのミッションも派遣している。

結局翌年1941年12月に日本はアメリカに宣戦布告し、これがアメリカの第2次世界大戦への参戦のトリガーとなった。

この本では"Automedon"の乗組員のフランスでの捕虜生活と、脱走してスペイン経由英国に帰還した秘話や、Ferguson夫妻がドイツで過ごした捕虜生活も紹介しており、非常に興味深い。

本のタイトルとなったMrs Ferguson's Tea-setの写真も掲載されている。Mrs Fergusonは亡くなったが、妹の家を訪問した関さんが2003年にそのティーセットを見せられて、数奇な歴史のきっかけとなった遺品を見て複雑な気持ちを抱いたストーリーも紹介されており、感慨深いものがある。

格調高い英文で、綿密な資料と対面調査に基づく様々な逸話も含めてストーリー構成にはさすがと思わせるものがある。

日本語版が待たれる一冊である。




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2007年05月07日

マネーロンダリング入門 パーペチュアルトラベラーの提唱者 橘玲さんの近著

マネーロンダリング入門―国際金融詐欺からテロ資金まで (幻冬舎新書)
マネーロンダリング入門―国際金融詐欺からテロ資金まで (幻冬舎新書)


以前紹介したベストセラー「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」の著者橘玲(あきら)さんの近著。「お金持ちになれる…」では賢く(スマートに)生活するために様々なヒントが紹介されていた。

橘さんは、パーペチュアルトラベラー(永遠の旅人)ーつまり頻繁に各国を旅行して課税基準となる180日以上はどの国にも滞在しないで、どの国にも納税義務を負わない生活ー の提唱者だ。

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門
お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門



元々橘玲さんはデビューも小説「マネーロンダリング」だったので、マネーロンダリング話は得意中の得意といったところだろう。

この本では、カシオの3,000万ドル外債投資詐欺事件や、ライブドアの粉飾決算のための株価操作事件などの手口を調査して、詳細に紹介している。


ライブドア粉飾決算事件

たとえば次の写真の図がライブドアが自社株価をつり上げて、利益を計上するために仕組んだ粉飾決算のフローだ。

一見して何がなんだかわからないと思うが、要はライブドアが預金を担保にクレディスイスから88億円ホリエモンの個人会社エバートンエクイティに融資を受ける。その金でJMAM(投資組合)の保有するライブドア株1,260万株を市況を上回る¥700で購入する。

この取引でJMAMに30億円の利益が生じるので、それの大半をライブドアに配分して利益を計上するというものだ。

ライブドア相関図







ドル取引はすべて当局に筒抜け

国際送金取引は、コルレスと呼ばれる銀行間ネットワークを通じて、A銀行からB銀行に送金される。

その送金情報はSWIFT(The Society for World-wide Interbank Financial Telecommunication)というブリュッセルに本拠を置く金融機関の協同組合を通して各銀行に伝えられる。

たとえば三井住友銀行の略号はSMBCJPJT、三菱東京UFJはBOTKJPJTだ。

このSWIFTの送金情報を抑えれば、誰から誰に送金されたのかすべてトレースできる。

2001年9.11のワールドトレードセンター事件で、多くの仲間を失ったウォール街の経営幹部が、テロ資金の解明にやっきになっている捜査当局にその存在を教え、米財務省が第2のテロ攻撃を防ぐためという理由で、SWIFTから情報を入手したのだ。

SWIFTには米系金融機関の関係者も多く、9.11の異常な雰囲気の中で、OKしたものだ。

この送金情報は宝の山で、麻薬取引や脱税などのマネーロンダリング送金もすべて調べようと思えば調べられるが、あくまでテロ情報のみと限定してスタートしたのだった。

その後SWIFTは情報提供を止めることを申し入れるが、2003年グリーンスパンFRB議長も出席したといわれるホワイトハウスとの会議で、SWIFTの代理人が調査に立ち会い、不正な利用を監視するという条件で、引き続き情報が提供されることになり、現在に至っている。

つまり国際送金取引は「天網恢々疎にして漏らさず」状態となっているのだ。

だから動かぬ証拠があるので、2003年以来ミャンマー、シリア、ラトビア、イランなどの銀行が金融制裁を受けている。

マカオのバンコ・デルタ・アジアの北朝鮮関連口座が、偽ドル紙幣を使ってのマネーロンダリングで金融制裁を受け、この口座凍結を解除するために米朝金融交渉が開かれていたことは記憶に新しい。

アメリカが資金の流れをすべてつかんでいるので、新たな資金源を絶とうとすれば、いつでもできる状態にあり、北朝鮮の首根っこはアメリカに握られているのだ。

国際テロ、マネーロンダリングを秘密裏に行うためには、もはや現金を動かすしかなくなっているのだ。


ローマ法王庁とバチカン銀行を巡る黒い噂

以下はこの本のあらすじだが、正直筆者にはまるで映画のストーリーの要で、信じられない話だ。橘さんの話を信じるかどうかは読者の判断にお任せする。

カトリックから「悪魔の子」と呼ばれ、異端扱いされているフリーメーソン リーチョ・ジェッリがつくったP2(プロパガンダ2)と呼ばれる秘密結社が、ローマ法王庁にも着実にネットワークを延ばしていた。

NO.2の国務長官をはじめ、バチカンにも多くのフリーメーソンが居ることに驚愕し、フリーメーソン一掃を決意したヨハネパウロ1世は、その決意から数日後に原因不明の死を遂げた。

さらにバチカンが関与する不正な金融取引を調査していたイタリア検察、弁護士、警察官が謎の死を遂げる。

バチカン銀行はローマ法王庁の資金運営をしているが、P2のネットワークに浸食されており、麻薬や武器輸出のマネーロンダリングに関わっているという。

カトリックの最大の敵はマルクス・レーニン主義で、バチカンのお膝元のイタリアでさえ共産化の危機にさらされていた。バチカンはマネーロンダリングで15%の手数料を取り、そして得た資金で反共団体を支援していたのだという。

CIAやマフィアとは反共の理念で一致していたのだと橘さんは語る。


BCCI 犯罪銀行

パキスタン人アガ・ハサン・アベディが設立したBCCI(Bank of Credit and Commerce International)はアメリカ、ヨーロッパ、中東などに支店網を展開する国際銀行だったが、1991年に突然破綻する。

BCCIは犯罪銀行と呼ばれ、独裁者や汚職政治家、マフィア、武器商人たちのあらゆる要望に応えられる体制をつくり、巧妙なマネーロンダリングサービスを提供していたのだという。


ブラッドダイヤモンド

デカブリオ主演で映画でも話題になったブラッドダイヤモンド

西アフリカシェラレオネで1970年代から始まったダイヤモンド生産のことだ。

シェラレオネの独裁者チャールズ・テーラーはダイヤをベルギーで売却し、その金で旧ソ連から武器を買いあさった。その資金源となったダイヤモンドはブラッドダイヤモンドと呼ばれた。

テーラーはSBU(Small Boy Unit)と呼ばれる少年兵を組織して、麻薬漬けにして忠誠のあかしとして家族を殺させ、殺人兵器として洗脳していく。

シェラレオネやライベリアなどの国では部族間の抗争が激化し、内戦状態にある。

アルカイダはそのブラッドダイヤモンドを買い上げ、グローバルなマネーロンダリング網をつくりあげたといわれている。


相続税をゼロにする方法

日本の相続税の高さというより、そもそも相続税があるということが、世界では例外になりつつある。

カナダやオーストラリア、ニュージーランドは相続財産に課税しない。明白な二重価税なので、アメリカでも2010年に向けて遺産税の税率をゼロに向かって引き下げることになっていると。

以前は子供が相続税のない国に居住していれば、財産を海外に移すだけで合法的にすべての相続(贈与)税が非課税になった。

プライベートバンクは資産家の子女にアメリカ国内で勤務する仕事を紹介する、ついで贈与すべき財産をドルに換えて米国債を購入し、贈与する。シティバンクのプライベートバンクは資産家部門は、この手法を日本の富裕層に大々的に売り込んだという。

だから2000年4月の租税特別措置法の改正で、贈与者と受贈者がともに5年以上海外に居住していなければ相続税の課税対象となることになった。

しかし新たな変化が起こっている。年金世代の海外移住の増加である。

東南アジア諸国は団塊世代をターゲットにしている。

マレーシアのMMSH(Malaysia My Second Home)プログラムでは50歳以上の夫婦が毎月1万リンギ(30万円)以上の収入がある場合、15万リンギを定期預金するだけで長期滞在者向けのビザが発給される。

フィリピンの特別居住滞在者ビザでは5万ドル以上をフィリピン国内の株式などに投資することだけだ。

資産1億円以上の富裕者はオーストラリア、カナダ、香港などの選択肢がある。

海外移住のハードルが低くなってくると、相続人・被相続人ともに5年以上非居住者であることという条件を簡単にクリアーできるようになってくる。

村上世彰氏がシンガポール移住を目指したように、税金を払いたくない人はいつでも日本から出て行くことができるのだ。


橘さんの綿密な調査に基づいた新鮮な指摘は参考になる。一部真偽のほどは疑問な部分もあるが、簡単に読め参考になる本である。



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2007年05月02日

公立炎上 週刊誌ネタ中心の読み物

公立炎上 Death of the Public Education
公立炎上 Death of the Public Education


現役高校教師というふれこみの上田小次郎さんの教育現場からのレポート。

この本に書いてあることはすべて事実に基づいていると。

校内暴力、増長する保護者、給食費を払わない保護者、虐待をする下流親、学校をラブホテルにする生徒達など、週刊誌的なネタも混ざってはいるが、現在の公立学校の現状をレポートしている。

教師が全く生徒をコントロールできていない現場テープを書き起こした部分は短いが、生々しい。一部だけ紹介するとこんな具合だ。

教師:よし、授業始めるよー。みんなー

生徒:誰かウノやらねー。
   マジ。使えねーし。
   ギャハハハ。
   やべー。携帯の電池切れそう。

教師:授業中だぞ。私語はやめようよなー。では、今日は否定文の説明をしまーす。

生徒:あ、机くっつけよーよ。
   バガボンド13巻は?返せよ!
   押すな。バカ。
   ヤベッ。ボスキャラ。つえー。
   チヒロー?今日歌う?


給食費未納問題

給食費未納が問題になっているが、もし経済的な理由ならば、低所得過程には就学援助という制度がある。2004年度では133万人の小中学生が援助を受けており、東京・大阪などの大都市圏では4人に一人が受けている。

足立区などは実に42.5%が就学援助を受けていると。公立学校における給食費とか学用品代は小学生で年間5万円強、中学生で13万円強だが、足立区では小学生で7万円、中学生で12万円で、ほぼ全額支給されているのだ。

それなのに外車を乗り回したり、携帯電話に数万円を使っていながら、給食費を払わない保護者がいるのである。こうした親を上田さんは「下流親」と呼んでいる。


教師の側も問題はある

一方教師の側にも問題はある。中学教師3,000人のアンケートでは、クラス運営がうまく行かないと答えた教師は、「すこしあてはまる」まで含めるとなんと85%にものぼる。

指導力不足教員は2004年度には570名程度だが、指導力不足というよりも、無気力でなにもしないと言った方が良い。

教員の給与は一般の公務員よりも高いと言われるが、それでも月間1万円程度であると。

但し、40歳以上の教員が小中高とも全体の2/3程度を占めており、特に50歳以上の教員は年収750万円程度である。

年配の教師は部活も指導しないので、労働時間も1,500時間程度であり、時給は5,000円程度となる。

一方部活を積極的に行い、土日もほとんど休みのない、20代の教師は300〜400万円程度で、年間4,500時間程度働く場合もあり、時給は1,000円以下となる。

30代でやる気のある教師は1日15時間以上働き、時給1,000円程度、退職直前の教師は4,500円という差がある。

さらにチームティーチングで増えている臨時教師の中には生活保護を受けている人もいる。

県が雇う準教員の場合は月給は正規教員の8割程度で、扶養手当とか住宅手当とかもある。

一方、市が雇う場合、時間給で、れっきとした先生でありながら、年収が80万円程度にしかならず、生活保護を受けている人もいるという。

補助教員なので、学校行事にも参加できない先生もいるという。


ゆとり教育

ゆとり教育の提唱者と言われる寺脇研氏とのインタビューも載せている。

単に教育現場の努力が足りないと言うばかりではなにも解決しないだろう。

また円周率3という話は、日能研が意図的に誤解を招く情報を流して、生徒、保護者の危機感を煽ったからだと言う。

詰め込み授業ばかりするから成績が落ちるのだと。自主的に勉強させるのだと。

自分はラサール出身で、ラサールは県立の鶴丸高校よりも授業時間は短かったと言う。私立と公立とは違うのではないか?


教育現場の新しい動き

教育の現場でも新しい試みが動いている。2007年4月からスタートする全国学力・学習状況調査だ。これは小学校6年生と中学校3年生を対象にテストを行い、その結果を公表するものだ。

40年以上前には全国一斉テストが行われていたという話だが、日本全国でレベルチェックをすれば、どこの学校のレベルが低いかわかる。

学力に応じての習熟度別授業も浸透し始めている。

東京都品川区での学校選択制も機能しており、ある地区の中学校はついに入学者ゼロのところも出始めている。


週刊誌ネタを本にしたような感じで、エキセントリックな話ばかりだ。この本を読んで、教育の現場はすべてこうだとは言い切れないと思う。

たとえば所得格差が学力格差につながるという結果が出ているということだが、あまりに予想通りの短絡的結論には疑問を感じる。

たとえ所得が低くて共働きでも、子供は塾に行かせている親はいるはずで、結局両親の教育に対する熱意の差ではないのか?

内容的には疑問な本だと感じた。



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Posted by yaori at 00:26Comments(0)TrackBack(0)