2007年06月28日

インテリジェンス 武器なき戦争 佐藤優氏と手嶋龍一氏の放談集

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)
インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)


一躍売れっ子ノンフィクションライターになった外務省分析官佐藤優氏(現在起訴休職中)と、「ウルトラ・ダラー」がベストセラーになった元NHKワシントン総局長の手嶋龍一氏の放談集。

ウルトラ・ダラー (新潮文庫 て 1-5)
ウルトラ・ダラー (新潮文庫 て 1-5)


お互い本当の手の内を明かさない、化かし合いという感じだ。

なかには超一級のインテリジェンス(秘密情報)もあるのだろうが、どこまで信じて良いのかよくわからないところがある。

そもそも本当のインテリジェンスに携わる人間は表舞台には出てこないはずだ。インテリジェンスにかかわったことがある、あるいはインテリジェンスにかなり近いところにいた二人というところだろう。

ニュースソースがわからないように二重三重の仕掛けをしているというから、意図してこうした話をしているのだろうが、話半分の放談といった感じだ。

世の中には嘘の様な本当と本当の様な嘘があると。本当の話と思えるものもある。いくつか紹介しよう。


アメリカがイラク戦争を仕掛けた理由

アメリカがイラク戦争を仕掛けた理由は、一つはフセインが大量破壊兵器を隠していること、もう一つはイラクがアルカイダと組んでテロを仕掛けていることだった。

イラクがウランを入手したという情報はイタリアの情報機関からもたらされた情報だったが、ガセネタだった。

もう一つのアルカイダ情報もガセネタだ。イラクは基本的に民族国家をめざし、アルカイダはイスラム社会大団結を目指す。元々相容れないものを、開戦の理由の一つに取り上げたのだ。

これはいわゆるネオコンの差し金だという。ネオコンは自由主義世界革命を目指す為に、アルカイダを理由にフセイン政権を打倒したのだ。


日本がつかんだ世界初の重大情報

佐藤さんの前著「国家の罠」にも登場する東郷和彦元外務省欧亜局長がモスクワ駐在の時につかんだ情報の一つが当時のソ連のアンドロポフ書記長死去のニュースだ。

日本は当時科学アカデミーのなかに、ヒューミント(人的情報ソース)が居て、彼から入手した情報だったが、そのうちソ連に情報ソースを抑えられてしまう。

また東郷氏も外務省内の嫉妬をかってしまい、ロシアスクールながら、課長になるまでロシア課での勤務はなかった。

もう一つの日本初のビッグニュースは湾岸戦争の時に、イラクがイランに大量に空軍機を飛来させた事件だ。

当時のテヘラン大使の斎藤邦彦さんが報じたものだ。斎藤大使は情報源のたしかさを知っていたので、ウラが取れなくても東京に打電した。さらにイランがどう出るのかも的確に予想していた。

これらは日本の数少ないスクープなのだろうが、それにしても他国より数時間先んじたという程度のものばかりで、「だから何だ」という気がする。

インテリジェンスではこういう一つ一つに積み上げが重要なのだろうが、佐藤さんはじめ外交関係者からおしかりを受けるかもしれないが、お寒い感じを覚えてしまう。


大韓航空機撃墜事件は日本のインテリジェンスの脆弱性を示す

筆者は大韓航空機撃墜事件では日本政府は情報収集力を世界に見せたと思っていたが、この本では事実は逆であり、当時の後藤田官房長官がマスコミを抱き込んでつくらせた神話だと言う。

むしろ日本のインテリジェンス能力の脆弱性を明らかにした例だと。

日本の陸上自衛隊の稚内施設はアメリカのものを引き継いだので、基地にはアメリカ軍の将校も同居しており、アメリカ軍の下請けと化していたのだという。

アメリカ側が会話のテープを入手し、撃墜の事実を発表するというので、日本側はメンツ丸つぶれになることを避けるためにアメリカより30分前に発表した。しかもパイロットの会話を含む情報の内容まで詳しく公開してしまったので、これが後で大きなダメージとなる。

ソ連は日本側が傍受の事実をつかんだので、周波数を変更し、かつパイロットの通信を平文から符号に変えてしまった。たとえば「攻撃する」は「634」とかと言い換え、しかもそれを毎日変えるのだ。もう解読はほとんど不可能となってしまった。

しかし日本政府は後藤田官房長官の指示で、あたかも日本の手柄の様に発表し、ノンフィクション作家の取材に備え、あらゆる関係者と口裏合わせを行い、情報操作が行われたのだと。


手嶋説 北朝鮮は核の運搬手段を持っている?

手嶋さんは小説にも書いたウクライナ製の巡航ミサイルX55がイランと中国に6基ずつ流れ、それが北朝鮮に渡った可能性が高いと語る。

北朝鮮は既にプルトニウム型の原子爆弾の実験を行っており、数個の核弾頭を持っている可能性がある。しかし問題は運搬手段で、北朝鮮製のミサイルでは信頼性が低く、核弾頭は運べない。

それを解決するのがウクライナ製の巡航ミサイルなのだと。

これは手嶋説だが、あながち間違いではないかもしれない。数個の核弾頭と巡航ミサイルを手にしたので、北朝鮮はやっと6ヶ国協議で原子炉稼働停止に応じてきたのかもしれないと勘ぐってしまう。


イスラエルで生まれた「悪魔の弁護人」制度

このブログで紹介した「戦略の本質」で1973年の第4次中東戦争でのアラブ側の優れた戦略が紹介されているのでご覧頂きたいが、イスラエルでは第4次中東戦争での苦戦をきっかけに、悪魔の弁護人という制度を設けた。

これは1973年のヨム・キプルというユダヤ教の重要な祝日にアラブが攻めてきたことに端を発する。秘密警察モサドがアラブが国境付近に終結いていると警告を発していながらも、当時の首相ゴルダ・メイヤは軍事情報部(アマン)のアラブは動かないという情報を信じて、総動員体制を取らなかった。

その結果戦略を練りに練ったアラブが攻めてきて、対応の遅れたイスラエルは大打撃を受けてしまった。最終的にはアラブ軍を追い出すことができたが、国家を存亡の危機に陥れた責任を取ってゴルダ・メイヤ首相は辞任。

悪魔の弁護人とは中世の魔女裁判の時の魔女の弁護人のことであり、首相にあがってきたレポートをともかく難癖つける役割である。それによって首相は多面的な判断ができるようになるのだ。


1996年の台湾海峡危機では李登輝は核心をつく内部情報を得ていた

1996年中国は台湾に届く射程距離のミサイルと4発発射。台湾も応戦体制に入り、クリントン大統領は空母ニミッツ他2個の空母機動部隊を台湾海峡に送り込んだ。

しかし当時の李登輝総統は中国が打ったミサイルは空砲だったということを知っており、中国の脅しに屈しなかった。これは手嶋さんが李登輝本人より聞いた話だと。

中国は李登輝が空砲だったことを確信していたことを不審に思い、政治局の周辺にいたモグラを徹底的に調べ上げ、3年後工作員を捕まえ処刑した。

もしこの情報が間違っていれば、台湾は中国との武力衝突という大変な国難に巻き込まれた危険性があった。李登輝はそのことを知りながら、すべて責任を負うつもりで行動した。

このようにリーダーはインテリジェンスの情報が誤れば、すべて責任を負うという覚悟がないといけないと手嶋さんは語る。

その意味で、民主党の前原誠司元党首のガセメール事件は、自らが防衛問題の専門家と称していながらも、お粗末な結果となった。前原氏には資質がないので、二度とインテリジェンスや安全保障にはかかわらない方がよいと佐藤氏は言う。


杉原千畝の命のビザ

日本版シンドラーのリストとして、今や有名になった杉原千畝元リトアニア領事代理だが、鈴木宗男議員は杉原氏の名誉回復を積極的に推進した。

それは鈴木宗男氏が、30年以上前の青嵐会時代から、イスラエルとの連絡係を勤めていたので、ユダヤ人ネットワークがどういうものか知っており、杉原千畝の名誉回復を図れば、その先どういう効果が見込めるのかを読んでいたのだと佐藤氏は語る。

アメリカには命のビザで命拾いをした人がまだ居る。たとえばシカゴ商品取引所の元会長もその一人だ。

最近バルト三国他を訪問した天皇皇后両陛下もリトアニアの杉原千畝記念碑に献花されていたが、これは日本にとって有効なユダヤカードである。

かつては日本にもインテリジェンスを教える学校もあった。それが対中国情報の東亜同文書院であり、対ソ連情報のハルピン学院である。これらが語学と文化に深い理解がある学生を輩出していた。

杉原千畝はハルピン学院出身で、最初の奥さんはロシア人で、本人もロシア正教徒と、それくらいロシアに通じていたのだ。


多くのエピソードが紹介されており、真偽のほどは不明だが、読み物としても面白い。おすすめの一冊である。


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2007年06月20日

成功はゴミ箱の中に 柳井さんがバイブルと呼ぶ本 マクドナルド創業者の自伝

成功はゴミ箱の中に―レイ・クロック自伝 世界一、億万長者を生んだ男-マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)
成功はゴミ箱の中に―レイ・クロック自伝 世界一、億万長者を生んだ男-マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)


マクドナルドの創業者レイ・クロックの自伝。

ソフトバンクの孫さんとユニクロの柳井さんが自分たちの人生のバイブルだとして、本のあとがきの対談や解説に登場している。柳井さんは事業の創り方として7つの法則を巻末にまとめている。

世界一億万長者を生んだ男と言われているレイ・クロックの起業家としてのスタートは遅い。

レイは52歳の時にカリフォルニア州ロスアンジェルス郊外のサンバーナーディーノでマクドナルド兄弟が経営するハンバーガーレストランを発見し、ハンバーガービジネスに進出した。

この本の4割くらいがマクドナルド以前のレイ・クロックで、ペーパーカップやマルチミキサーのセールスマンとピアニストの2足のわらじをはいて生活をしていた時代のエピソードがつづられている。

柳井さんは「バイブル」と呼んでいるが、読み物としても面白い。


マクドナルドを引き継ぐまで


レイ・クロックはボヘミア(チェコ)系アメリカ人で、1902年にシカゴ郊外に生まれた。高校卒業後、夜はピアニスト、昼間はペーパーカップのセールスマンとして働く。

仕事はハンバーガーの肉の様なものであると。自分にとって仕事は遊びと変わらない喜びを得られるものであると語る。

レイ・クロックはペーパーカップの次にマルチミキサーを販売する。マックシェイクなどのソフトアイスをつくるミキサーだ。

そのマルチミキサーを8台も使っているレストランがあり、同業者が同じミキサーを注文してくる様になった。

レイ・クロックは興味を惹かれてカリフォルニアのサンバーナーディ−ノのマクドナルド兄弟のドライブインレストランを訪問し、ひっきりなしに訪れる客の列にびっくりする。

マック&ディックのマクドナルド兄弟のレストランは15セントのハンバーガー、19セントのチーズバーガー、10セントのフライドポテト、コーヒーは5セント、ソフトドリンクは10セント、ミルクシェイクは20セントでこれがメニューのすべてだ。

清潔なダイニングと駐車場、合理的で清潔なキッチン、なかでもフライドポテトは独自の製法と機械を入れ、飛ぶように売れていた。

レイ・クロックはマクドナルドレストランをチェーン展開することを申し入れる。マルチミキサーをすべての店に売ることが目的だった。

マクドナルド兄弟が事業化に乗り気でないので、レイ・クロック自身がフランチャイズチェーン展開を行い、当初は20年間有効のライセンス料が950ドル。売上の1.9%のロイヤリティを0.5%マクドナルド兄弟、残りをレイ・クロックが取ることでスタートした。

ゴールデンアーチを持ち、赤と白が基調のおなじみのマクドナルドのスタートだ。

しかしマルチミキサー販売会社の社長だったレイが、ハンバーガービジネスを始めたことで、奥さんとの関係は修復不能となってしまった。

マクドナルド兄弟との契約はずさんで、既にカリフォルニア州付近にはマクドナルド兄弟と契約した10店のフランチャイジーがあり、レイとの契約後も、マクドナルド兄弟が契約したフランチャイジーに悩まされることが続き、レイは煮え湯を飲まされる。


成功の理由


どの本だったか覚えていないが、昔読んだ英語のオーディオブックで、次のような話が紹介されていた。記憶を頼りに再現すると:

レイ・クロックが大学で学生相手に講義をした後の飲み会で、学生達に「私の仕事は何か知っているかい?」と質問したという。

学生達はレイが冗談を言っているものと思って、取り合わなかったが、そのうち勇気ある学生が「レイ。あんたの仕事はハンバーガーだってみんな知っているよ」と答えると、レイは笑って「そう言うと思ったよ。」と答えた。「紳士淑女諸君!私の仕事は不動産業です」と。

このエピソードを思い出させる話が紹介されている。

レイとマクドナルド揺籃期からの友ハリー・ソナボーンは、フランチャイズビジネスが儲からないことから、フランチャイズ権を販売する普通のやり方でなく、出店場所をマクドナルドが選び、地主と契約してマクドナルド自身が店を建設して、フランチャイジーに20%から40%のマークアップを乗せてサブリースするやり方を編み出す。

そのための会社がFranchise Realty Corporationだ。

このやり方なら、店が繁盛すると店舗不動産の値上がり益はマクドナルドが手にする。フランチャイジーの規律も保て、マクドナルドが強く要求するQSC&V(Quality, Service, Cleanliness and Value、品質、サービス、清潔さと価値)の徹底もできる。

Forbesの"Greatest Business Stories of all time"にレイ・クロックも紹介されており、英文だがサンプル要約が紹介されており、より詳しくマクドナルドのビジネス手法が紹介されているので、ご興味あればこちらもご覧頂きたい。

Forbes Greatest Business Stories of All Time (Forbes)
Forbes Greatest Business Stories of All Time (Forbes)


開業から10年で株式公開

マクドナルドコーポレーションの最初の店舗はレイの生まれ故郷シカゴ郊外、オヘア空港のあるデスプレーンズに1955年4月15日に開店した。

しかしマクドナルド兄弟は勝手にフランチャイジーと契約続けており、もはや目の上のたんこぶ状態だったので、やむなくレイ・クロックはマクドナルド兄弟から権益をすべて買い取ることを決断する。

マクドナルド兄弟の言い値は270万ドルであり、当時のマクドナルドコーポレーションの収益では到底負担できないものだったが、なんとか融資をまとめて支払った。

最初は低利益に苦しんだが、不動産ビジネス化したとたん、収益が急増していった。

開業してから10年後の1965年4月15日にマクドナルドは上場し、レイは一躍億万長者となる。

ユニクロの柳井さんはまさに同じ道を歩んだ。


広告の活用が成長の原動力

レイ・クロックの成功のもう一つの要因は広告をうまく活用したことだ。レイ自身が、「広告に出費することに何の躊躇もない。なぜなら、それがすべて利子とともに自分の元へ返ってくるからだ。」と語っている。

マクドナルドが起用している広告会社のおかげで、マクドナルドという名前は世の中に知れ渡った。

マクドナルドの広告の効果は単に直接的な売上アップだけではない。満足した顧客はリピーターとして友人を連れてくるし、CMを見た子供は両親にせがんで来店する。そして顧客が増えるのだ。

そういえば、孫さんのソフトバンクも、柳井さんのユニクロも広告に熱心だ。レイ・クロックの教えを経営に生かしているのだろう。


経営者は孤独 創業メンバーと衝突する

レイは社長に創業メンバーのハリー・ソナボーンを起用し、事業を拡大してきた。しかし上場後に、二人の対立は埋めようがなくなる。

もう一人のマクドナルドの創業メンバーで、経理を担当してきたのが、ジューン・マルティーノで、彼女はマルチミキサーのプリンスキャッスル時代からの同僚だ。

レイはハリーとジューンを退社させることにする。レイには20%、ジューンには10%の持ち分株式を与えたので、上場により二人は億万長者になる。

レイは2度離婚して、3度結婚している。2度の離婚は同じ女性、既婚者で子供もいるジョニ・スミスと結婚するためだ。ジョニ・スミスと結婚するため最初の妻と分かれたが、ジョニ・スミスの家族の反対で、結局結婚できず、別の女性と結婚する。しかし数年後ジョニ・スミスと再開し、今度は2度目の妻と別れ、ジョニ・スミスと結婚する。

レイの友人関係や結婚をみていると、一途というのか、自分勝手というのかわからない。そのどちらも正しいのかもしれない。


新商品はフランチャイジーのアイデア

マクドナルドのメニューは上記の通り当初は6品だけだった。フィレオフィッシュはカトリックが多い地区の日曜日対策が必要なフランチャイジーの発案だ。もっとも、チーズを入れたのはレイの発案だという。

ビックマックはピッツバーグのフランチャイジーのアイデアで、バーガーキング対抗商品だ。

エッグマクマフィンがフランチャイジーのアイデアで誕生したので、パンケーキも取りそろえ、朝食マーケットに参入した。

次は夕食マーケットだという。


レイ・クロックの社会貢献

成功した後、レイ・クロックは様々な慈善事業を支援する。病気の子供を持つ恵まれない家族が、安い費用で病院の近くに宿泊できるドナルド(英語ではロナルド)・マクドナルドハウスプロジェクトは全米や世界に広がっている。

クロック財団をつくり、医療研究や病気の子供と家族の支援を中心に毎年数百万ドルの寄付をして、70歳の誕生日には総額750万ドルの寄付を行った。

「お金は儲けるより使う方が難しい」。レイ・クロックの言葉だ。



最後に柳井さんのまとめるレイ・クロックの教えを紹介しておこう:

1.成功者の発想法 ー 商売の神髄はBe darling, be first, be different(勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする)
2.失敗を乗り越える力 ー 原理原則を知ることとわかることは違う
3.リーダーシップ ー お客様に配ったあんパンと牛乳への想い
4.成長する組織づくり、人材づくり ー なぜ高学歴社員だけでは駄目なのか
5.ヒットの作り方 ー 売れるブランド、売れる営業の相関関係
6.ライバルとどう戦うか ー なぜレイ・クロックはゴミ箱を見るのか
7.大富豪の金銭感覚 ー お金は儲けるより使う方が難しい


レイ・クロックの成功法則がわかると同時に、柳井さんの経営についての考えもわかる。グリコのように一粒で2回おいしい、おすすめの本である。


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2007年06月13日

日本軍のインテリジェンス 論文としても一級で、かつ面白い

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ 386)
日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ 386)


イギリス政治外交史とインテリジェンス研究が専門の防衛省防衛研究所戦史部教官小谷賢さんの旧日本軍のインテリジェンスに関する研究。

関榮次さんのMr. Ferguson's Tea-setを読んでインテリジェンスについて興味を持ったので、読んでみた。

Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940
Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940


出典などを記した註だけでも460もあり、研究論文としても一級のものだと思うが、内容的にも一般にはあまり知られていない事実を明らかにしており、非常に面白い。

ウィキペディアでも防衛研究所は詳しく紹介されている。

旧日本軍に関する情報は終戦の時に、大半が焼き捨てられているので、直接の資料が少なく、関係者の回想録とかインタビューなどが中心だ。日露戦争や第1次世界大戦の時までの資料はそろっているが、太平洋戦争の資料となると極端に限られていると言われている。

社会の関心が低いことも資料が散逸している根本原因の一つだ。

しかし小谷さんはそんな話をインテリジェンス研究の泰斗ケンブリッジ大学のクリストファー・アンドリュー教授にしたら、次の様にしかられたという。

「けしからん!資料が少ないからといって言い訳などしてはならない。イギリスのインテリジェンス研究にしても、一昔前まではほとんど公開されている史料などなあったが、それでも私はやってきた。それに史料が少ないのはインテリジェンス研究に限ったことではない。例えば中世史の研究を見たまえ。史料が少ないという理由で歴史が記されなかったことがあるかね。あなたの言っていることは研究者の怠慢に過ぎない。」

小谷さんはこの言葉に反省するのみならず感銘を受け、防衛研究所勤務という恵まれたポジションを利用して、旧日本軍のインテリジェンス研究に精を出すことになる。

このクリストファー・アンドリュー教授は、「インフォメーションとインテリジェンスを厳密に分けるのは英語に特有である」と語っており、アングロサクソン特有の情報に対する鋭敏なセンスが現れている。

事実英国ではベスト・アンド・ブライテスト(最優秀)な学生が、インテリジェンスコミュニティにリクルートされているという。

それに対して日本は、最近でこそ佐藤優さんの登場で、インテリジェンスに関心が高まっているが、一般的には関心は低く、特に戦前のインテリジェンスの包括的な考察はなされていない。

歴史を振り返ることは重要で、これが小谷さんが旧日本軍のインテリジェンスを研究する理由だ。


進んでいた旧日本軍の情報収集

太平洋戦争の敗因の一つ日本軍の暗号が米軍に解読されていたことがしばしば挙げられる。たとえばミッドウェー海戦や、山本五十六元帥機の撃墜だ。

しかし小谷さんは、日本陸軍も同様に連合国側の暗号を解読していたと指摘する。問題は情報部が得た情報はセクショナリズムから作戦部に生かされず、さらに陸軍が暗号を解読していたことを1945年まで海軍は知らなかったというありさまだ。

旧陸軍の中央特情部の人員は1945年には1,000名を超え、数学、語学専門の学生を集め、IBM製の統計機を用いていたという。陸軍の機密費の年間の予算は1945年には現在の価値で3,200億円にも増加していた。

ところが旧陸軍の関心は仮想敵国のソ連、中国情報活動であり、ガダルカナル島で敗北した1943年から対米情報活動に注力するようになった。

米軍の最も高度なスプリット暗号も、旧陸軍は解読に成功していたが、時既に遅かった。

対ソ連ではスパイ活動を積極的に行っていたが、対米では人的情報は限られており、新聞などの公開情報が中心で、量的にも不足していた。

ちなみに対米情報活動に当たっていたのが、娘の名前マリコを開戦の暗号としたことで知られる外務省の寺崎英成一等書記官である。

マリコ (1980年)
マリコ (1980年)



防諜の不徹底

陸軍に比べると海軍の情報活動は規模的にも小さく、しかも防諜活動は積極的でなく、情報漏洩が重大な敗因の一つとなっていた。

すでに開戦直後の1942年1月にオーストラリア沖で撃沈された伊号124号潜水艦から暗号が連合国側にわたったのではないかという不安がありながら、なんの対策を講じることもなく、これがミッドウェー海戦の敗北や山本五十六元帥機撃墜につながった。

さらに1944年には海軍飛行艇がフィリピンのセブ島で遭難し、防水の書類ケースに収められた海軍の暗号書と対米作戦計画が米軍にわたった。

米軍は潜水艦でオーストラリアに運び複写した後に、飛行艇の不時着した付近に書類を戻し、日本側に発見させるという手の込んだ諜報作戦を行っている。

海軍は海軍高官が虜囚の辱めを受けたのではないかという調査に終始し、暗号が敵にわたった可能性については配慮されず、米軍の思うつぼにはまった。


陸海軍に於ける情報部の軽視

陸海軍では伝統的に作戦部に最優秀の人材が配置され、情報部の人材は劣るという意識が強かった。さらに石原完爾少将が参謀本部第一作戦部長となった1937年頃からは、作戦部が情報部を無視して自らの情報源と判断で作戦を進めるようになる。

自らの目的にあった情報収集、分析をしてしまうので、客観的な状況把握ができなくなり、太平洋戦争中に問題が続出する。

たとえば1944年の台湾沖航空戦による空母19隻撃破という戦果誤認が(実際には撃沈した空母はゼロ)、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受けることになる。

搭乗員が未熟で正確な戦果確認ができなかったので、撃破したはずの空母がすべて健在だったのである。


当初の海軍の対米分析は正しかった

開戦直前の日本海軍の陣容は、戦艦10隻、空母10隻、巡洋艦28隻、駆逐艦112隻、潜水艦65隻、(合計98万トン)、航空機3,300機というものだった。

これに対して日本側が算出した米国海軍の戦力は戦艦17隻、空母10隻、巡洋艦37隻、駆逐艦172隻、潜水艦111隻(合計140万トン)、航空機5,500機となり、日本海軍は約7割の戦力を有していた。

7割ならランチェスター法則により、日本海軍は米海軍と互角に戦えると試算していた。

しかし彼我の生産能力の差で、1943年には日本の戦力は5割程度になると予想され、1944年には航空機の差は日本の1万5千機に対し、米国10万機と圧倒的な差となるので、戦争を仕掛けるなら1941年で、最初の1年間は互角に戦えるが、それ以降は見通しがつかないものであった。


3国同盟にいたる情勢判断

1940年夏のドイツによるフランス降伏に次ぎ、イギリスの陥落も時間の問題の様に思われて、「バスに乗り遅れるな」という南進論の元、日本は三国同盟締結に向かう。

しかし、その重大局面で、情報部は呼ばれておらず、ドイツの英本土侵攻は困難という在英武官や、ストックホルム武官、海軍情報部の主張は、親独派の大島浩駐独大使らの意見にかき消されてしまう。

当時の外務大臣松岡洋右は、日英同盟時代からの縁で近日感のあったチャーチルが戦争は不利益をもたらすという親書を出してきたにもかかわらず、無視して、ソ連も入れた4国同盟というありえない野望を抱き、3国同盟を結ぶ。

チャーチルの警告とは次のような内容だ:

「ドイツが制空権を奪えない状態で、ドイツのイギリス本土侵攻はありえない。イギリス空軍は1941年の終わりにはドイツ空軍を凌駕する。また年間9,000万トンもの鉄を生産している米英両国に対して、年産700万トンの日本がどうやって戦うのでしょう?」

今更ながらに当たり前の議論である。



総力戦研究所

さらに驚くのが太平洋戦争のシミュレーションを戦争直前に行った総力戦研究所のレポートだ。

総力戦研究所とは1941年に陸海軍や官庁から当時の若手官僚35名を集め、日本が直面するであろう総力戦について研究するために内閣直属の組織として設置された研究所である。

その図上演習の結果は、日本は当初2年間は戦えるが、4年後には国力を使い果たし、最後にはソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵入し、日本が敗北するという見事な予想であった。

これを近衛内閣の政府関係者列席の元に披露した際には、東条英機陸相は「日露戦争でも勝てるとは思わなかったが勝った。机上の空論と言わないとしても、意外裡の要素を考慮したものでない」と切り捨てている。

このような戦力分析に基づく冷静な判断でなく、主観的判断とアメリカは他民族国家なので、いざ戦争になると世論が分かれる等の思いこみで、戦争に走った当時の日本の指導者の愚かさが浮き彫りになる。


日本軍のインテリジェンスの問題点

小谷さんは次が日本軍のインテリジェンスの問題点であると指摘する。

1.情報部の立場の弱さ
2.情報集約機関の不在
3.近視眼的な情報運用
4.リクアイアメント(根本戦略)の不在
5.防諜の不徹底

この本全体を通じて、上記の問題点がわかりやすく説明されている。

知識としても、たとえばウルトラ情報(英国によるドイツエニグマ暗号の解読成功。これがため第2次世界大戦の終結が2年は早まったといわれているほど重要な出来事だ)とか参考になる。

論文としても一級であり、読み物としても面白い。おすすめできる旧日本軍のインテリジェンス研究だ。


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2007年06月11日

逃亡日記 漫画家吾妻ひでおの素顔

逃亡日記
逃亡日記


ロリ漫画元祖ともいえる吾妻ひでおの失踪日記うつうつひでお日記に次ぐ日記。

失踪日記で紹介された、ホームレス生活をしていた入間市駅付近や石神井公園で根城にしていたのオレの木、田無の陸橋下などの写真が、メイド系アイドルのゴールデン小雪とのツーショットで紹介されている。

ゴールデン小雪とは初めて聞く名前だが、アキバ系アイドルらしい。吾妻ひでおもゴールデンダンスを見せられたと書いている。

吾妻ひでお作風はこんな感じだ:

ななこSOS (3) (ハヤカワ文庫 JA)
ななこSOS (3) (ハヤカワ文庫 JA)


失踪日記の便乗本だと作者自身も言っているが、吾妻氏の生い立ち(父親は4回結婚し、兄弟が何人か吾妻氏もはっきりわからないと)、漫画家を目指したアシスタント時代のことなども紹介している。

失踪日記で紹介されたホームレス生活、アル中療養、うつ病と戦いながらの執筆が淡々と語られている。

それにしても吾妻氏と対談している編集者の知識がスゴイ。全作品が頭に入っている様だ。

吾妻ひでお氏の写真を初めて見た。当たり前ではあるが、ファンタジー漫画との落差にちょっと複雑な気持ちだ。

対談がほとんどで、漫画が少ないが、吾妻ひでおファンには知識として参考になる本だ。


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2007年06月03日

若者はなぜ3年で辞めるのか? 3年で新卒者の1/3が辞める時代

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来


人目を引くタイトルも良いので、ベストセラーになっている本。

筆者の城繁幸さんは東大法学部出身、元富士通人事部。現在は人事コンサルティング会社Joe's Labo社長だ。

城さんは光文社ペーパーバックスの「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」で注目を浴びた。


内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)
内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)

城さんは「有名大学を出て有名企業に入り、定年まで勤め上げる」というのは「昭和的価値観」であると言う。


3年で新入社員の1/3が辞める

2005年度の新入社員の意識調査では、42%が年功序列を維持している企業を希望し、依然として人気は高い。

それではなぜ大卒新人の35%が入社後3年でやめるのだろうか。

本人の希望と実際の業務内容が、かみ合わないというミスマッチと、若者側の忍耐不足が理由である。

企業のニーズは「なんでもやります」的な人材ではなく、組織のコアとなれる組織運営能力と、一定の専門性を持った人材なのだ。ここにミスマッチの原因がある。

若者側も、年功序列でいずれ報われると言われても、十年以上も下働きを強いられることは耐えられないのだ。

第二新卒という転職市場が拡大し、転職がやりやすくなったという環境の変化も、若者の早期転職を後押ししている。


「既卒」の壁と35歳以上の転職の壁

しかし転職がやりやすくなったといっても、それは新卒で企業に入った新人のみの話だ。決して若者全員が就職・転職しやすくなっている訳ではない。

「既卒」とは新卒と対になる言葉で、昔で言う「就職浪人」の事だ。いかなる事情があれ、卒業の翌年以降に就職活動を再スタートさせると、既卒者は門前払いされるケースが多いのだと。

30年以上も前の話だが、筆者の就職活動中に、或る会社を訪問した時、「二浪・二留以上の人は退席してください」と人事の人が言ったら、1−2人の学生がすごすごと退席した。

いまだに門前払いをやっている会社もあるのだと驚いた。

新卒→正社員というレールに一度でも乗り遅れてしまうと、二度と正社員のレールには乗れなくなってしまう可能性が高いのだ。

城さんは、企業は年功序列が基本なので、新卒=22〜24歳という基準からはずれる既卒は受け入れられないのだと語る。

理系の大学院ならともかく、文系の大学院や博士課程なども既卒と同じ扱いとなり、普通の就職は難しくなる。

35歳以上の転職市場も同様に壁がある。採用に際して年齢制限を設けることは法律で禁止されているが、多くの日本企業で中途採用の実質的な上限は35歳である。


日本は若者にツケをまわす国

第二新卒市場が拡大する一方、正社員となれない若者も増えている。

従来製造業の現場では禁止されていた派遣社員の受け入れが、2002年に認められ、派遣社員の受け入れ制限はなくなった。

中国などとの競争にさらされている経済界が、正社員の人件費高騰対策として派遣社員の活用を求めたものだと城さんは語る。

政府ではオリックスの宮内会長を議長に「総合規制改革会議」を開催し、労働者の派遣期間と業務制限の見直しを決定した。

1998年には90万人だった派遣労働者が、2003年には約250万人となり、同じく150万人と推定されたフリーターが、2003年には200万人を超えた。派遣とフリーター両方で1998年の240万人が、5年間でほぼ倍になっているのだ。

派遣社員の平均年収は300万円。同じ年齢の正社員の7割程度しかない。フリーターは平均200万円以下と正社員の半分以下である。

フリーターの生涯賃金は、正社員より2億円少ないとも言われている。

企業としては人件費を抑えられるので、円高不況の対策として派遣・不定期労働者の活用は効果があった。

しかし製造現場では、一斉に退職する団塊世代の技術者からの技術伝承の受け皿の若手正社員がおらず、技術のエアポケットができつつある。これが日本製造業を直撃している問題である。

年功序列を維持しようとすると、働かない管理職が増え、若手にしわ寄せが来る。城さんは21世紀の「蟹工船」とよび、肥大化した組織を若手が、月100時間を超える残業で支えている某出版社の編集部の例を紹介している。

JR福知山線の事故を起こした運転手も、運転手になってから一年足らずの23歳の若者だった。JRは長年新規採用を抑制してきた経緯があり、30−40代の中堅社員が極端に少なく、技術の空白が生じていると。事故は若い運転手だけの責任ではないのではないかと。

派遣やフリーターの増加で収入も減り、それゆえ年金や健康保険も負担できない若者も増えている。年金破綻、少子化の原因にもなっている。

城さんは「企業は未来をリストラして生き延びてきた」という。それを黙認してきた社会=日本という国が、若者にツケをまわしているのだと。


年功序列は諸悪の根元?

城さんは、前著「日本型『成果主義』の可能性」で、年功序列と成果主義は両立すると論じたと語る。

しかし今や企業では年功と成果を組み合わせた評価制度が大半で、城さんの言っている年功序列と成果主義の両立は当たり前ではないかと思う。

日本型「成果主義」の可能性
日本型「成果主義」の可能性


この本では年功序列が、諸悪の根元のように扱われている。例えば主な小見出しをピックアップするとこんな具合だ:

日本の成果主義は年功序列にすぎない
労働組合という名の年功序列組織
年功序列が少子化を生んだ
年功序列はネズミ講
年功序列こそが格差を生み出している

さらに日本人はなぜ年功序列を好むのか?という章まで設けて年功序列について論じている。

城さんは、年功序列はリバイアサンだと言う。巨大化し自壊しつつある体制という意味だろう。

年功序列は昭和的価値観が生み出したもので、日本製品、日本式経営が一時期世界で成功する原因となった。

政府も野党も経営者も組合もリバイアサンの一部。メディアもすべて昭和的価値観の広告塔でリバイアサンの一部だと。

しかし成長の時代が終わると、リバイアサンは暴走を始め、若者から搾り取る体制となり、少子化まで引き起こしていると城さんは語る。


年功序列に適した日本の教育

日本の教育は詰め込みシステムで、小学校から大学まで、正答一つの問題を与え続け、疑問を抱かずに効率よくこなせる人間だけ上に引き上げる。

そして社会に出る頃には、「与えられるものはなんでもやるが、特にやりたいことのないからっぽの人間」を量産できるシステムだと。

これの典型が体育会系学生だと城さんは語る。

企業からみた体育会系のメリットは主体性のなさで、これが企業が体育会系を好む最大の理由だという。

並の若者よりもずっと従順な羊でいてくれる可能性がたかく、つまらない仕事でも上司に言われた以上、きっちりこなし、休日返上で深夜まで働き続けても文句は言わない。

城さんは、サッカーのベンゲル監督の言葉を借りてこう表現している「日本人は与えられた役割を果たすのは得意だが、状況を主体的に判断して行動するのは苦手だ」。

日本人のこの特異な性質に気づいたトルシェはパターン化した戦術を徹底的にたたき込んで、主体的に考える必要性をなくした。

ジーコは普通のサッカーに戻し、ジーコジャパンは一次リーグ敗退した。

どうやら日本人がレールを降りて自分で歩き出すにはとても長い時間が掛かりそうだと城さんは語る。


働く理由を問い直す

最後に城さんは、「働く理由」を問い直さなければならないと語り、昭和的価値観から抜け出た「荒野のオオカミ」の例を3人紹介している。

大手生保から史上最年少市議となった人
ソニーを辞めてベンチャー企業CEOとなった人
フリーターでやっていた編集を専門として、編集プロダクションを立ち上げた人

昭和的価値観のフィルターをはずして、自分の周囲を見つめろと言う。

筆者は海外に合計11年駐在していたが、年功序列は日本だけの制度ではない。最近でこそMBAが経営者へのエスカレーターとなったり、成果主義が広がっているが、米国でも欧州でも、オフィスでも工場の現場でも、年功序列は依然として存在する。

年功序列というよりも、人間の組織なら年功=経験を生かして年長者が年少者を指導するのは当たり前だろう。

単に年功だけという時代はもちろん終わった。これからは雇用の流動性と成果主義、それと対局にある終身雇用、年功序列がミックスされた社会となっていくだろう。

年功序列が悪い訳ではないし、諸悪の根元でもない。あくまでその時代にあった制度を企業は採用し、そして時間は掛かるが、教育の現場にも時代の流れとして反映していくだろう。

ややエキセントリックな議論で、年功序列=悪というバイアスが掛かっている様な気がするが、多彩な論点は参考になる本だ。


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Posted by yaori at 02:40Comments(0)TrackBack(0)