2008年08月30日

もう、国には頼らない ワタミの渡邉美樹さんの「民活」実践記

もう、国には頼らない。経営力が社会を変える! (NB Online book)


ワタミ社長の渡邉美樹さんの、学校、病院、介護、そして農業での民活実践記。

それぞれ規制や既得権が根強い分野で、渡邉さんの合理精神に基づいた闘いがあちこちで摩擦を引き起こすが、それを一つ一つ乗り越えている体験談を語っている。

これらの分野でいわゆる「民活」として実際に事業を興し、そして本に書いている人はあまりないので、貴重な体験談である。


渡邉さんの経歴

渡邉さんは1959年生まれ。運送会社で働いて稼いだ資金300万円を元手に、「つぼ八」のフランチャイズオーナーとなって起業し、従業員教育が行き届いた顧客満足度の高いサービスの店という評判を武器に「和民」チェーンを開業した。

1996年の店頭公開後、2000年に東証一部上場を果たし、今や様々な外食チェーンを展開する他、この本でも取り上げられている様々な業態に参入している。

このブログでも紹介したOKウェーブの兼元さんは、経営者として注目しているのはワタミの渡邉美樹社長であると語っている。

ワタミは『地球人類の人間性向上のためのよりよい環境をつくり、よりよいきっかけを提供する』ことを会社のミッションとして掲げているので『やられた』と思ったと。


渡邉さんの印象

以前「サービスが感動に変わる時」という渡邉さんが外食産業で起業し、「和民」を始める時の苦労話や、従業員教育について書いた本を読んだことがある。

サービスが感動に変わる時―青年社長渡辺美樹の社員への熱いメッセージ


外食産業というとアルバイトばかりで、マニュアル社員ばかりという先入観を持っていたが、お客の心に残るサービスを訴え、従業員についても厳しく教育をしていて大変熱心な経営者だと思った。

一方、従業員の退社率が高いこともあり、なにかきれい事だけしか語っていないような印象を受けていた。

渡邉さん以外の登場人物はほぼゼロで、「社員」はよくやってくれたとか書いてはあるものの、名前が出てこないので個人の顔が全く見えない。これも違和感を憶えた理由の一つだ。

たぶん渡邉さんを取り巻く社員は、ワンマン社長には到底ついていけないとして、そのうち退社してしまうので、社員の名前が載せられないのではないかと感じていた。

しかしこの本を読んで、渡邉さんが有言実行で、困難や官業にも正面から立ち向かう骨のある経営者であることがわかった。

ワタミグループの創業社長としてワンマン社長の様なので、たぶんいろいろな問題はあるのだろうが、社会起業家として尊敬すべき経営者であることは間違いない。


ケーススタディ1 教育 郁文館夢学園

ワタミを創業するときも、将来は教育を手がけたいという希望があり、政府の「教育再生会議」委員を勤めた。

神奈川県の教育委員会委員にもなって、バウチャー制や教師の評価が給与評価となる制度などを提唱するが、全く相手にされず、教師の評価をするはずの独立組織の教育委員会が全く機能していない現状を知る。

誤解されることが多いが、渡邉さんの「生徒は学校にとってお客さまである」という発言は、生徒を甘やかすことではなく、「生徒が将来幸せになるために最高の教育を施し、生徒に感謝されるような教育を目指そう」というのが真意であると語る。

具体的実践として、バブル期に50億円で豪華な研修施設をつくって経営が立ちゆかなくなった文京区の郁文館学園の再建に2003年から乗り出す。郁文館夢学園と改名して、渡邉さん流の教育改革を実践する。

郁文館は夏目漱石の「吾輩は猫である」にも出てくる明治22年創立の伝統ある中高一貫男子校だ。

そういえば、「吾輩は猫である」で、次のような苦沙弥(くしゃみ)先生の家の隣の私立中学校というのが出てくるが、これがそうだろう。

「落雲館(らくうんかん)と称する私立の中学校―八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校である。

名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になる。その信用すべからざる事は群鶴館(ぐんかくかん)に鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。

学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳(わけ)だ。」

渡邉さんが初めて訪問した郁文館は生徒1,500人のうち500人が遅刻してきて、挨拶もろくにしない生徒が多いという状態だった。なにか「ドラゴン桜」の龍山高校を思い起こさせる。

渡邉さんの改革により見違える様に生徒の意識が向上したという。大学進学実績も向上し、2010年に新しい校舎に建て変わる時には、男女共学校として生まれ変わるという。

生徒の評価も含めた先生の360度評価を開始したり、2010年までに東大合格者20名、2011年までに甲子園出場を目標にしてプロジェクトをスタートさせている。

渡邉さんの改革についてこれずに教師の1/3が入れ替わっている。学級崩壊は先生の方が悪いと渡邉さんは言い切る。


ケーススタディ2 病院 岸和田盈進会病院

渡邉さんは病院経営も頼まれて引き受けた。

その病院は大阪の岸和田市で当初ペインクリニックとしてスタートしていたが、行くところがないから病院にいるという保険報酬のない老人の「社会的入院患者」が多く留まり、採算は赤字となっていた。

渡邉さんは、「社会的入院患者」を退院させ、肺循環器とリハビリの関節治療を売り物にする岸和田盈進会病院という新しい病院に生まれ変わらせた。医師に対するお礼などの不公正慣行も廃絶した。

一部の医師・職員が去っていったが、渡邉さんはやり遂げ、現在は黒字経営となっているという。

厚生労働省に厚く守られている医療業界にも健全な自由競争と、不足が目立つ産婦人科医や小児科医には、自由競争の弱点を補強し、弱者救済のためのセーフティネットが重要であると渡邉さんは訴える。

先日伊藤元重東大教授の講演を聞いたが、日本は今や乳幼児死亡率は先進国で最も高いと語っていた。

Wikipediaでも調べ、念のためCIAのデータでも調べたが、日本は依然としてG7の中では最も低く、世界で3番目に低いので、たぶんこれは事実とは反すると思う。

横道にそれるが、この日本が先進国では乳幼児死亡率が最も高いというのは、朝日新聞が意図的に作り上げた記事ではないかという2005年の医師ブログのやりとりがあるので紹介しておく。

しかし統計はどうあれ、乳幼児死亡率が上がっていると言われたら、さもあらんと納得できる現実がそこにあることは間違いない。


ケーススタディ3 介護 ワタミの介護

病院再建の時に、退院してもらった「社会的入院患者」を収容する必要もあり、渡邉さんは老人介護ビジネスに進出した。

まずは病院の介護事業を引き継いで、岸和田に高齢者向けのマンションをつくった。

その次に後継者不在で悩む「アールの介護」を創業者から買い取り、「ワタミの介護」と名前を変えて全国に展開した。

介護でも行政のつくりあげたおかしな仕組みがある。特に渡邉さんが憤ったのは、「特殊浴」と称して、お年寄りをカーウォッシャーのような風呂にやたら入れたがることだと。

特殊浴





出典:取手市介護老人保健施設 緑寿荘ホームページ(筆者注:たまたまインターネットの「特殊浴」検索でトップに表示されたので、この施設の写真を掲載した。この施設を批判するものではない)

老人を裸で横にして上からお湯を掛け、洗剤を掛け、またお湯を掛け、最後に温風で乾かし、まるで食器洗い機で人を洗っている様だと。

これが一番作業効率が良く、入浴1回で介護保険料をもらえるからだ。

今の介護業界は、客の満足など考えていないと渡邉さんは語る。すぐにおむつ、すぐにミキサーで流動食、すぐに車いすと介護に手間が掛からないようにしているという。

補助金が交付され、努力しなくてもある程度の収入があり、他の施設とサービスの質で競争することもないのが介護の現状なので、本来老人をいたわる気持ちを持って介護の仕事を始めた人でも、ついルーティン化しておざなりになっているという。

アールの介護でも渡邉さんの改革の考えについてこれず1/3の人がやめて、入れ替わったという。

ワタミの介護では、1,おむつーゼロ、2.特殊浴ーゼロ、2.経管食ーゼロ、4.車いすーゼロを目標にしている。非常にわかりやすいサービスの質の向上だ。


デンマークがモデル

福祉国家デンマークのことを紹介している。デンマークなど北欧では所得税50%、消費税25%という高い税率だが、税金がきちんと目的通りに使われているので国民も納得しているという。

デンマークでは傾斜介護といって、その人の体力とか意識の状態によって歩行も、食事もきめ細かく対応している。また老人ホームの料金はその人の受け取る年金の金額から月三万円残る料金としているという。

日本では歩行が不自由になるとすぐに10数万円もする車いすを使わせるが、そうすると足腰が弱くなって二度と歩けない体になる。

デンマークでは2万円程度のロレーターという歩行補助器を使うので、車いすを使う老人がほとんどおらず、自立歩行ができる老人ばかりだ。渡邉さんはそれを日本に導入しているという。

歩行補助車【哲商事】ロレーター歩行補助車【哲商事】ロレーター


ケーススタディ4 農業 ワタミファーム

現在有機野菜は全体の0.17%しか流通していないので、渡邉さんは有機野菜を安定的に供給するために2002年から農業にも参入し、千葉県、北海道などで有機野菜や有機酪農を行っている。

現在はワタミグループでの自社有機野菜の利用率は35%に達しているという。

順調の様に見えるが、実際はものすごく時間が掛かっているという。株式会社が農業に参入できることになったものの、農地のリースを受けるのに二年弱かかり、手続きが非常に面倒だ。有機と認められるには、農地を少なくとも二年化学肥料を使わずに土づくりをしなければならない。

また農業法人には、農事組合法人と会社法人があり、後者が規制緩和で新しく参入できるようになったものだが、株式は譲渡制限があるものに限るという条件があるので、普通の株式会社では参入できないのだ。

だからワタミは当初設立した有限会社ワタミファームと株式会社ワタミファームの2つの組織を持たざるをえないのだと。

農業法人の有限会社ワタミファームなら、農地も簡単に借りられるからだ。

本来株式会社の農業参入を可能としたのは、農地保全と食糧自給率アップが目的なはずだが、全く見せかけの規制緩和であると。

主要国の食料自給率は日本が最も低く40%で、同じ島国のイギリスでも70%ある。ドイツは90%、フランス・アメリカは120−130%で輸出している。

とりわけ渡邉さんが憤っているのは、減反政策に基づく転作奨励金である。米を作るのをやめたら、米をつくる利益以上の補助金がもらえる不思議な制度であると。

渡邉さんは、去るべき農家には補助金を出さず、アメリカと戦える様な農業をつくるために補助金を活用すべきだと論じる。


既存のルールで真っ向から行政と戦っている。渡邉さんのファイティング・スピリットには感心する。

いかに日本がいまだに規制だらけかがよくわかり、読み物としても面白い。おすすめの本である。


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2008年08月28日

松下電器の経営改革 詳細な「中村改革」レポート

松下電器の経営改革 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書 2)


「松下ウェイ」が今ひとつ合点がいかなかったので、さらに松下改革について調べるため、一橋大学の伊丹教授他による研究レポートを読んでみた。

やはり「松下ウェイ」に出てきた「サッカーボール理論」はおろか、コンサルとしてのマキナニーさんの名前もどこにも出てこない。

コンサルは縁の下の力持ちなので、表に出てこないことが多いが、それにしても「松下ウェイ」で書いてあることが、はたして中村邦夫現会長の松下電器の改革に、どれほど影響を与えたのかわからないところだ。

間違いないのは中村さんがマキナニーさんの本を読み、それの影響を受けたということで、中村さんが2000年7月の社長就任後に打ち出した、5S(Speed, Simplicity, Strategy, Sincerity, Smile)はそれの現れだと思う。しかし、それ以外はよくわからない。


「中村改革」の実行チーム

この本を読むと、松下電器の改革が、中村社長一人の力ではなく、中村さんを中心としたトップマネージメントグループにより行われたことがよくわかる。

トップマネージメントとは、中村邦夫さんが社長就任時のタイトルで列挙すると、人事・企画担当の村山敦副社長、営業の田中宰専務、AVC社の戸田一雄専務、技術の三木弼一常務、経理の川上徹也取締役、そして中村さんを社長に選んだ森下会長と後任社長の大坪文雄現社長だ。

フラットテレビでのつまずき

中村さんは、1989年からほぼ10年間、アメリカ松下電器の社長・会長(途中一年間はイギリス松下電器社長)としてアメリカ勤務を経験し、衰退する企業は「傲慢、自己満足、内部議論、摩擦を恐れる」という四つの特徴を持っていると話を聞いたそうだ。

中村さんは「松下電器はつぶれる」という危機感を持って改革に取り組んだが、その一つのきっかけとなったのが、ソニーの平面ブラウン管ベガに対するテレビ事業部長のコメントだ。

ソニーのベガがすごい勢いで売れていたときに、松下のテレビ事業部長は、「当社の画面はナチュラルフラットです。ベガは平面なので、真ん中がくぼんで見えるが、当社はほぼ平面で絵が自然にみえるでしょう」と言って、全く危機感を感じていなかったという。結局松下が平面ブラウン管を販売するのは2年後だった。

テレビでのシェアは1980年には松下25.5%、二位の東芝13.5%、三位ソニー9.8%と二位の倍のシェアーを持っていた。1990年でさえ松下23.5%、東芝15.0%、シャープ14.5%、ソニー9.5%だったのが、ベガショックのため、2000年には松下18.3%、ソニー17.8%、東芝13.6%とソニーに並ばれた。

ブラウン管テレビの地盤沈下をプラズマテレビ、液晶テレビで回復するプロセスはこの本に詳しい。


中村改革の分析

中村さんが社長に就任する一年前から改革はスタートしており、社長に就任してすぐに、改革が加速した。2001年1月には「創生21」という網羅的な中期経営計画を打ち出し、2001年度は13,000人の早期退職などの巨額のリストラ費用のため約4000億円の赤字を計上したが、それからは見事なV字回復を記録した。

この本では次の目次のような切り口で中村改革が分析されており、大変参考になる。(括弧内は主な論点。)

第1章 中村改革の意義
第2章 雇用構造改革(大量早期退職、大量配置転換)
第3章 事業構造改革(100を超える事業部・関係会社を5ドメインに集約、松下電工をTOB)
第4章 家電営業改革(二つのマーケティング本部設立、スーパーショップ制度=系列小売店の再生)
第5章 管理会計改革とバランスシート改革(個別最適から全体最適へ、CCM(Capital Cost Management) 導入、MCA売却,松下興産整理)
第6章 IT革新(SCM(Supply Chain Management)、顧客要望に応えるウィークリー納期管理)
第7章 テレビ事業に見る中村改革(プラズマへ集約、LCDで東芝と合弁、90のV商品、ビエラ)
第8章 利益率に見る中村改革(利益率もV字回復)
第9章 不変の経営理念
第10章 中村邦夫会長インタビュー
第11章 歴史は跳ばない、しかし加速できる


松下電器創業以来はじめての人員整理

松下電器は国内で14万人、全世界では30万人を雇用している巨大企業である。

創業以来人員整理を行ったことはなかったが、2001年初めて早期退職制度で13,000人の人員整理を行った。松下幸之助は、「松下電器は製品をつくっていない、人をつくっている」と言ったと記憶しているが、人員整理を行っても、人に対する配慮はさすが松下電器と思わせる。

当時の早期退職金の相場は24ヶ月と言われていたが、松下電器は組合員で最大40ヶ月、課長級は最大45ヶ月、部長級で50ヶ月という加算を行った。さすがに人を大切にする松下である。

中には感謝して手紙をくれた50代の工員もいたという。


「同行二人」 経営理念以外に聖域なし

中村さんは「経営理念以外に聖域なし」として改革に取り組んだことが、経営幹部、従業員の指示を得て、求心力を失わずに改革が進められた理由だという。

中村さんは、松下幸之助の経営理念ほど世界に普遍的なものはないという確信を持っていたという。これは捨て去るわけにいかないが、しかしあとは変えなくてはいけない。

松下電器は創業者の残像がまだ濃い会社であると。これを中村さんは「同行二人」(どうぎょうににん)という言葉で表現する。別途紹介する北康利さんの本、「同行二人」は中村さんがよく使う言葉だ。

経営理念のなかで中村さんが中心に置いたのは次の三点だ。

1.お客様第一
2.企業は社会の公器
3.日に新た


経営理念は万国共通

中村さんがアメリカ駐在の時に「メルク」というニュージャージーにある世界的製薬会社を訪問した時に、メルクもしっかりした経営理念を持っていて、どの人もその理念を言っていたという。

「アメリカでも理念なき企業は30年持たない、理念があるから100年持つんだ」と中村さんのパートナーだった米人COOは言っていたという。中村さんはメルクを訪問して、これが確信に変わったという。

日本電産から買収提案があったモーター工場を売却せず閉鎖し、EBO(従業員が買収)で再生した時は、中村さんの「経営理念が相容れない会社に従業員は渡せない」という意思が働いたという関係者の証言を日経産業新聞は報じている。


最後に伊丹教授がまとめているが、キーワードは「変わる経営、変わらぬ経営」と「歴史は跳ばない」である。

多くの関係者のインタビューを元に松下改革を分析しており、しかも非常にわかりやすい。一橋大学大学院の教科書なのだと思うが、大変参考になる本である。

書店でも置いておらず、3,600円もする本なので、まずは図書館でリクエストして読むことをおすすめする。


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2008年08月26日

ビューティフルマインド 天才数学者と妻の物語

ビューティフル・マインド


2001年にアカデミー賞では作品賞、監督賞、助演女優賞、脚色賞を受賞し、ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞を受賞した作品。

ノーベル経済学賞を受賞した総合失調症の天才数学者ジョン・ナッシュの生涯を描いた映画。

Wikipediaでは実在のジョン・ナッシュの写真も載っているので、是非Wikipediaの記事も見て欲しい。講演でのスナップだと思うが、髪がやや乱れており、ちょっと尋常ではない印象を受ける写真が載っている。

総合失調症とは、映画では実在しないルームメートやルームメートの姪、政府のスパイなどが、あたかも話しかけているような幻覚に悩まされ、現実と幻想との区別が付かなくなる精神病として描かれている。

図書館でビデオを借りて見た。

公開された当時には見なかったが、あらためて見ると良い映画だ。

ジョン・ナッシュを演じたラッセル・クロウも名演技だし、奥さんのアリシア・ナッシュを演じたジェニファー・コネリーはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞両方の助演女優賞を受賞した。

ジェニファー・コネリーが登場する最初の出会いは、ジョン・ナッシュの数学の講義だが、デミ・ムーアかと思った。



ちなみにコネリーという名字は日本語で書くとショーン・コネリーと同じなので、間違われやすいが、ショーン・コネリーはConneryで、ジェニファー・コネリーはConnellyである。

Jennifer Connelly















冷戦の時に数学者が米国政府の暗号解読にかり出された時代の話から始まる。

現実と幻想が入り交じり、映画を見ている方も混乱するが、総合失調症に悩みながらも、偉大な数学上の発見が、経済の諸分野で生かされ、それによって晩年ノーベル経済学賞を受賞する実在の数学者と妻の感動の物語である。

レインマンと若干かぶる部分もあるが、レインマンよりはシリアスである。

レインマン (ベストヒット・セレクション)


夏休みの映画鑑賞にはおすすめの作品だと思う。

もよりの図書館で、この映画のようなビデオやDVDが借りられないか是非一度チェックしてみて欲しい。

「図書館に行こう!」番外編でした。


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2008年08月13日

ブラジル 巨大経済の真実 環境保護と高成長が両立するブラジル

ブラジル巨大経済の真実


ブラジル東銀の元頭取で東京外語のポルトガル語学科出身、ブラジルバイーア大学にも留学経験のあるブラジルの専門家、鈴木孝憲さんのブラジルの現状レポート。

鈴木さんは現在も在ブラジルでコンサルタントとして活躍しており、1995年にはブラジル政府より南十字勲章を叙勲している。


BRICsの中でも今最も面白い

BRICs諸国の中では成長率が低かったブラジルの成長率が、昨年から5%超に上昇してきた。

ゴールドマン・サックスのBRICs研究の責任者のジム・オニールも、今最も面白いのはブラジルであると語っている

BRICsを含め、新興国の株式市場が大幅に下落する中で、ブラジルの株式市場が上昇を続けていたので、注目を集めていることも一因だ。今は2008年5月20日に過去最高を記録した後に下落しているが、それでも他のBRICs諸国よりは下落幅は少ない。

新興市場も含め、世界の株式市場の動向はブルームバーグのサイトでチェックできるので、興味のある人は参照して欲しい。

この本では、ブラジルとのビジネス経験が40年を超える鈴木さんが、ブラジルの成長は単に一次産品価格高騰によるウィンドフォールプロフィットではなく、長期計画に基づいて実施された過去の様々な施策が現在のブラジルの成長を支えていることを明らかにしている。


この本の構成

この本の構成は次のようになっている。

序 章 真の大国に向けて歩き始めたブラジル
第1章 巨大なポテンシャリティ
第2章 いまなぜブラジルか
第3章 大転換に直面する産業界
第4章 あふれるビジネス・チャンス
第5章 著しく改善したカントリー・リスク
第6章 ブラジル経済の問題点
第7章 始まった好循環、しかし、構造改革は?
第8章 安定度高いブラジルの政治
終 章 今後の展望

筆者は1978年から80年までアルゼンチンに駐在していたので、ブラジルとは30年以上のつきあいだ。その後米国に2回にわけて合計9年間駐在したが、ブラジルからいろいろなものを米国に輸入していたので、米国駐在中は毎年のようにブラジルを訪問していた。

最後にブラジルを訪問したのは2000年だが、ここ数年のブラジルの変わりようには驚く。

ブラジルのサンパウロと言っても、あまりイメージわかないだろうが、実はマンハッタンも上回る20階建てのビルが5,000棟以上という、世界最大の摩天楼都市である。

Sao Paulo






筆者が住んでいたアルゼンチンのブエノスアイレスでもそうだったが、地震がない南米の大都市は、簡単な鉄筋コンクリート構造でどんどん高いビルを建てている。万が一地震があったら大被害を受けるのではないかと思うが、地盤が固いので問題ないようだ。地震のあるチリはこうはいかないだろう。


過去があるから現在のブラジルがある

ブラジルは1970年代に驚異の高成長時代を遂げた後は、インフレと通貨不安定による経済不振に低成長を続けてきたが、ここへきて資源高、穀物高、環境に優しい再生可能なエネルギーソース、そしてなによりも地球の30%の酸素を供給する国として、いっそう注目を集めている。工業化も進んでおり、自動車生産、鉄鋼生産、発電量等の指標でも世界の10位内には入っている工業国である。

資源も豊かである、鉄鉱石やアルミなどの金属資源に加え、石油もついに自給を達成し、水力・エタノール・木炭などの再生可能エネルギー45%、化石燃料55%という世界でも最も再生可能エネルギー比率の高い国である。ちなみに日本の再生可能エネルギー比率は3.2%、米国は4.7%でブラジルが桁違いに高いことがわかる。

(正確に言うと人口30万人のアイスランドが地熱56%、水力17%の合計73%で世界1だが、大国ではブラジルが圧倒的に再生可能エネルギーの比率が高い)

energy balance Brazilenergy balance Iceland

鈴木さんはブラジルを世界一恵まれた国と評しているが、単に天然資源や肥沃な土地に恵まれていたから現在のブラジルがあるのではない。長期的な国家戦略に基づく計画が実行されて現在のブラジルになっているのだ。


金属資源

鉄鉱石やアルミなどの金属資源の鉱山は約30年前に開発が始まったものが中心で、壮大な計画を元に、鉱山や精錬所のみならず、鉄道や港湾建設に巨額の投資を行い、世界最大規模の鉱山を計画的に建設したものである。


農業生産

食料生産についても、大豆は市況が乱高下するコーヒーの代用作物として生産が始まった。1975年からの日伯経済協力によるセラード(閉ざされた土地=未開の土地という意味)開発により、ブラジルは20年間でほぼゼロから米国に次ぐ世界第2位の大豆生産国となり、とうとう輸出量では米国を上回り、主に中国に輸出している。

地球の酸素の1/3をまかなっているというアマゾンの森林は農地に転換できないが、これは国土の23%である。

ブラジルのアグロ・インダストリーはさらなるポテンシャルがある。国土面積ではブラジルは日本の23倍、米国は25倍、中国は26倍だが、ブラジルには砂漠、山岳地帯、寒冷地帯がなく、農業生産に適している。米国・中国は農地をこれ以上増やせないが、ブラジルではまだ余地がある。

東北部を貫くサンフランシスコ河の灌漑が政府により進められてきており、これにより今やブラジルは高級フルーツやワイン用のぶどうも生産できるようになった。ぶどうは年3回収穫でき、ブラジルのマンゴーは日本向けに初輸出されたという。

それでも、いまだに灌漑比率は5%に留まっているので、逆に増産ポテンシャルがある。

重要なのは、米国や日本など先進国が農産物に膨大な補助金を与えているのに対して、ブラジルは補助金ゼロで世界最大の輸出国となっている点だ。OECDの発表する統計に各国の農業補助金の現状がレポートされている。

ブラジルもエタノール生産を維持するために、さとうきび生産に補助金を出していた時期もあるので、先進国ばかり責められないと思うが、最近のWTOの農産物についての交渉が決裂したのも、先進国の農業補助金に対してブラジル、インドなどが強硬に反対したことが理由だ。

ブラジルは砂糖、コーヒー、たばこ、オレンジジュース、牛肉、バイオエタノール、大豆で世界1の輸出国で、鶏肉では世界2位、綿花、豚肉、トウモロコシでは世界4位の輸出国だ。

ブラジルは農産物の増産余地はまだ大きく、しかもコスト競争力があるので、これから増大する世界の人口をまかなう台所としてさらに重要性は増すだろう。


エネルギー自給

石油についても30年にもわたるエタノールによる石油代替と、何十年も掛かって開発した自前の水深5,000メートルでも開発のできる深海海底掘削技術により、悲願の自給率100%を達成した。

1973年の第一次石油ショックで大打撃を受けたブラジルは1975年からサトウキビを原料とするバイオエタノールの生産(プロ・アルコール計画)をスタートさせ、アルコール車の実用では30年以上の実績がある世界一の先進国となった。

エタノールは再生可能エネルギーでカーボンニュートラルなので、地球温暖化防止の観点から米国もトウモロコシからのバイオエタノールの生産を急増させているが、米国のトウモロコシ生産には多額の農業補助金が支給されている。

ブラジルの方がコストが安く、トウモロコシの様に燃料を生産すると飼料向け生産が減るという相反関係もないので、増産が可能である。現在350工場あるが、さらに100工場の新設計画がある。

豊富な河川の水量を利用した水力発電や、7年で成木として再生できるユーカリを使っての木炭も重要な再生可能エネルギー源である。


第3次ブラジル進出ブーム

鈴木さんは1995年頃から第3次ブラジル進出ブームが起きているという。

第1次は1950年代で、フォルクスワーゲンや日本企業ではウジミナス製鉄所、イシブラス造船所(既に撤退)などだ。次に1980年代の中南米の高度成長期に日本からの進出企業は500社を超え、「草木もなびくブラジル投資時代」があった。カラジャス鉄鉱山、アマゾン・アルミ、ツバロン製鉄所、セニブラ紙パルプなどが日本企業が参加した代表例だ。

第3次ブームの特徴は、本国での経済成長が見込めないので、外資系企業がブラジルに生き残りをかけて進出するパターンが目立つことだ。スペインのテレフォニカや、香港の中国返還で本店を香港からロンドンに移したHSBC(香港上海銀行)がその例だ。

多くの企業がブラジル市場を大きな収益の柱にしようと考えて、積極的にブラジル投資を拡大している。ブラジルの魅力は市場が大きいこと、コストが安いこと、労働力の質が良いこと、欧米市場に近いこと、政治的に安定しており、法の統治が見込めることだ。

今やブラジルの500大企業のうち、約200社が外資系である。この本では各国の進出企業名、売上高と主な活動内容がわかり、参考になる。

ブラジルの道路の民営化は国際入札の上、スペイン企業が受注している。これからもブラジルのインフラ改善で、外資系企業の活動が拡大するだろう。


日本企業のブラジル進出

日本企業も第3次ブームとして投資を拡大している。トヨタ、ホンダは10万台を目標に4輪車を生産している。

日本企業としてブラジル投資に最も熱心なのは三井物産で、三井物産の槍田(うつだ)松瑩社長は2008年の財界人の新年会後のマスコミインタビューで、「今年のキーワードはブラジル」と答えているほどだという。

2000年までの三井物産の歴代の社長は鉄鋼原料出身者が多く、ブラジルをよく知っていた。

槍田さんの前任で、北方領土向けディーゼル発電入札不正での責任を取って2002年に辞任した清水さんは鉄鋼原料の出身ではないが、東京外語のポルトガル語学科出身である。

三井物産のブラジル関連事業としては、次の通りだ:
仝機校っていたブラジルの鉄鉱山の株との交換で世界的資源会社Valeの株式を15%取得
鉄道車両のリース
ガス配給会社買収
ぅ撻肇蹈屮薀校渦爾寮侈精製所の近代化プロジェクトに参加
ゥ丱ぅエタノールパイプライン建設でペトロブラスと合意
Ε撻肇蹈屮薀垢肇丱ぅエタノールの40工場建設検討
日本向けの穀物安定供給をめざしてブラジルの大農場の株式取得
┘魁璽辧次肥料も別会社をつくって進出。

その他の企業進出としては、味の素のレジン工場建設、新日鐵、住友金属/住友商事などの製鉄所建設がある。


安定している政治情勢

1993年には2,500%に達したインフレも現在は3−5%にコントロールされている。

中国による一次産品の大量買い付け、いわゆる「中国ファクター」により貿易黒字は拡大し、為替相場も安定している。

他のBRICs諸国と比べても、民族・宗教の問題がないこと、政治的にも安定していること、法制度の整備が進んでいること、銀行の不良債権問題はほぼ解決されていることから、カントリーリスクは著しく改善している。

ブラジルは工業化の進んだ中進国であり、インフラはある程度整っている、ブラジルの問題点としては税金が高いこと、財政赤字が続いていることだ。

ルーラ大統領は、大学を出ていない唯一のブラジル大統領として今までとは異なった貧困層重視の政策を打ち出している。

たとえば貧困層1,100万世帯が毎月60ドル程度の生活補助を受けられるようにしたり、最低賃金を月240ドル程度に引き上げたりして、貧困層重視の政策を打ち出しているので人気が高い。

大きな政府を目指すルーラ政権の元で、公務員は増加し、最低賃金引き上げ、貧困者補助で支出は増加している。これがため、中央銀行の基準金利こそ12%程度だが、銀行の企業向け貸出金利は30〜40%と高い。それゆえヘッジファンドのリアルキャリートレードが急増し、リアル高を招き、工業製品の競争力は低下している。


ブラジルを親日国とする日系人の活躍

今年はブラジル移民100周年の年で、様々な記念イベントが予定されているが、日本とブラジルとは経済面でも関係が深く、前述のアマゾン・アルミ、ツバロン製鉄所、セニブラ紙パルプ、カラジャス鉄鉱山、セラード開発などが代表例である。

たとえばブラジルは日本以外で世界で唯一日本のハイビジョン方式を採用した国である。

日系人も知事や国会議員、政府高官など社会的に成功した人が多い。

鈴木さんは日系人の活躍による日本とブラジルの良い関係があるので、日本企業ももっとブラジルに目を向けるべきであり、現地事情に詳しい人材をもっと増やすべきであると結んでいる。


先見性は世界でも一番

筆者はブラジルとは30年のつきあいだが、国としての先見性という意味では、昔からすごい国だと思っていた。

何もない高原に今や人口200万人の首都ブラジリアを建設したり、石油を代替するために30年以上前からエタノール混合燃料車を走らせていたり、その計画性、先見性は旧共産国をはるかに上回るものがある。

筆者はアルゼンチン駐在経験者なので、サッカーではアルゼンチンを応援するが、人口はブラジルの約2億人に対して、アルゼンチンは昔よりはだいぶ増えたがそれでも4千万人と桁違いだ。

次のエネルギー供給グラフを見ると、昔から石油や天然ガス資源に恵まれ、そして穀物と肉の輸出で常に安定的に外貨が稼げるので、たいして努力しなかったアルゼンチンと、石油を持たざる国として石油ショックでひどい眼にあい、脱石油を国策として取り組んできたブラジルとでは、大きな差があることがわかる。

energy balance Brazilenergy balance Argentina


アルゼンチンの伝統的輸出品である牛肉についても、昔はブラジル産の牛肉は固いので人気がなく、アルゼンチンから輸入していたが、今やアルゼンチンは牛肉の輸出を一時的に制限しており、ブラジルが世界一の輸出国となった。なんという変化だろう。

ブラジルほど自国の天然資源を生かして国の大きな枠組みをうまく作っている国は少ないのではないかと思う。

人口も土地の広さで世界第5位、人口は1億8千万人で世界第5位、人種問題・民族問題のない明るい国民性、親日度からも日本にとって今後とも重要になってくる国であることは間違いがない。

地球環境を保全しながらも、高度成長が可能な先見性に富んだ国、それがブラジルである。やはり南米の雄は唯一ブラジルであると思う。

ブラジルの現状がよくわかるおすすめの本である。


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2008年08月12日

明日の広告 広告業界のことを知らなくても楽しめる本

明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法


広告会社勤務のクリエイティブディレクター佐藤尚之さんの、変化した消費者とコミュニケートしようとする広告の本。

佐藤さんは個人で1995年からさとなおというホームページを運営しており、訪問者カウンターは今や2500万人を超えている。


伝説のホームページ

ホームページはほぼ毎日更新されており、毎日の記事も面白いし、コンテンツがすごい。グルメ、本、CD、シネマなどの情報が適宜更新されており、収録されているレストランは2,400軒、本は940冊もある。

世の中にはすごい人もいるものだ。

この本の目次もさとなおホームページで公開されているので、是非目次も見て欲しい。

CMスキップでTVなどのマス広告の効果減のため、ビジネスモデルを変える必要がある広告業界の生きるべき道を、「明日の広告」という切り口で提言している。

朝日新聞の「売れている本」というコーナーに紹介されていたので読んでみた。

文中に電通常務のカリスマクリエイター杉山恒太郎さんが上司として紹介されているので、佐藤さんも当然電通の社員だと思うが、電通という会社名が一切出てこない。

ちなみに杉山さんは「ホリスティック・コミュニケーション」という本を出しており、筆者も読んだことがある。広告に対する消費者心理が伝統的なAIDMA(Attention-Interest-Desire-Memory-Action)からAISAS(Attention-Interest-Search-Action-Share)に変わったというものだ。

佐藤さんが手がけた広告や他の電通の傑作広告が紹介されていて、広告業界に就職を目指す人には感動を与える必見の本だと思うが、電通という名前が一切出てこないので、リクルート本の様ないやみがない。さすが電通と思わせる。


この本の主題

最初と途中で金城一紀「映画篇」より次が掲げられている。

「君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何にも知っていなかったのを思い知る」

映画篇


広告は消費者へのラブレターだという出だしで始まる。そしてラブレターという比喩を使って、広告が消費者にモテモテで受け入れられていた頃と、受け取ってすら貰えない今との対比を説明する。

今やホスト並に細やかにサービスしてようやく相手を口説ける時代なのだと。ラブレターを渡して終わりではない。脈がありそうならすかさずもう一押し、ライバルは次々現れる。つきあっている間も相手は友達と相談していることを忘れずにいることが重要だと。

商品を売って、それで終わりではない。ブランドを確立し、維持するためには、アフターフォローが絶対必要で、購入者の口コミもブランド維持に重要だ。

これを佐藤さんは「商品丸裸時代」と呼ぶ。ネットによって商品の良い面も悪い面も消費者がブログなどで情報発信する時代になってきたのだ。

消費者の使い勝手を優先して商品をつくる発想がなくてはならない。ソニーのウォークマンの生みの親の黒木靖夫氏は、常に誰がどんなふうに使うのかを考えて商品開発を行っていたのだという。他社は製造部門に属す設計部隊が製品をデザインしていた。


広告が華だった時代に入社

佐藤さんが広告にあこがれるようになったのは、1982年のサントリーロイヤルのランボオのCMを見たからだという。



筆者も衝撃を受けた記憶がある。ウィスキーとは何の関係もないストーリーだと思うが、ファンタジックで強烈な印象が残る秀逸なCMだった。これは後に佐藤さんの上司となる電通杉山恒太郎さんの作品だという。

YouTubeでこのCMの名作がいつでも見られるとは、なんと便利な時代になったことだろう。

「強いCM」の時代に電通に入社した佐藤さんは関西支社に配属され、2年目からCMを任され、CMプランナー、クリエーターとしてバリバリ仕事をこなしていたが、1993年頃にインターネットと出会って衝撃を受ける。


インターネットの衝撃

インターネットは次の3点で他のどのメディアとも違ったという。

・有史以来初めて一般消費者が世の中に発信できるメディアを持った
・情報が距離や国境を越えてスピーディに飛び交い、常に更新される
・ヨコにつながった消費者がマスメディアに対抗する手段を持った

1995年につくったのが、さとなお.comというホームページで、当時ホームページを公開していた個人は日本で100人もいなかったという。自腹でレストランを訪問して評価するジバランというサイトを出会ったこともないネットの賛同者10名と作った(今は閉鎖)。

広告で厚化粧しても、消費者がネットで商品のスッピンの姿を教え合う「商品丸裸時代」になったのだ。筆者はドラクエの事は何もしらないが、佐藤さんはこれをドラクエのアイテムの、その人の真実の姿を映し出す「ラーの鏡」と呼ぶ。


消費者はターゲットでなく、パートナー

ネットの出現+情報洪水+成熟市場の3連発が、広告を変えたのだ。そして消費者が最も信頼するものは「友達・好きな人・信頼できる人」の口コミとなった。

これを象徴する出来事は、2006年のタイム誌のMan of the Yearが"YOU"、つまりあなたになり、2007年のスーパーボウル(1月下旬)の最優秀CMにドリトスの素人CMが選ばれたことだ。(スーパーボウルCMは全米で最も視聴率が高く、広告料は30秒で3億円といわれる)



英国のネイキッドというコミュニケーション・プラニング会社のジョン・ウィルキンス氏は、「私たちは、消費者をターゲットとは呼ばない。パートナーと呼ぶ」と宣言するまでになった。


広告手法も変化

消費者を「待ち伏せ」する方法も、テレビ、ラジオ、新聞中心の今までの広告とは異なってきた。

口コミが最も有効な宣伝手段となり、ブログやSNSなどのCGMで消費者に宣伝してもらう広告、検索連動型広告などが新しい広告の形態だ。


ますます重要になってきた「初動」

基本に戻ってその人のことをきちんと知ろうと本気で考えることが、広告の「初動」として重要だ。

冒頭で紹介した金城さんの言葉を再度引用している。

「君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきちんと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言えば、君はその人のことを実は何にも知っていなかったのを思い知る」


先入観で「初動」を間違ってはならない

先入観が全く的はずれだった例を紹介している。

「Aという車があり、仮想敵はBという車。商品の売りはラグジャリー感と居住性。ターゲットはプチ富裕層、40〜50代の男性」とクライアントからブリーフィングを受けた。

そのつもりでCMプランを練ろうとするチーム員に、佐藤さんはちょっと待てと提案した。

Aと競合する4車種につき、購入行動を調べるため購入意向者の趣味とよく読む雑誌を調べたところ、Aを買いたい人とBを買いたい人は全く競合しないことがわかったという。Aを買いたい人はアウトドア志向、Bはドライブ志向。Aを買いたい人は車雑誌を読まず、子育て雑誌、アウトドア雑誌などを読むという様な点だ。

清涼飲料をもっと高校生に売りたいというクライアントの要望を受け、高校生=モバイルだと軽い気持ちで高校生にインタビューしたら、先入観は間違いで、女子はまだしも、男子高校生はメール以外はほとんどケータイを使っていないことがわかった。

結局最も男子高校生にアプローチできるのは、ファミレスだったという。


とことん消費者本位に考えたスラムダンク一億冊感謝キャンペーン

筆者は一度も読んだことがないが、神奈川県出身者なので、スラムダンクは神奈川県を舞台としたバスケマンガだということは知っている。そのスラムダンクの単行本31巻は合計一億冊以上を売ったという。

連載は八年も前に終わっていたが、作者の井上雄彦さんが、読者にありがとうを言いたいという気持ちを伝えたいとして、相談があった。

これには先例がある。阪神が優勝した時に、星野監督がスポーツ紙5紙にポケットマネーでファンに感謝する広告を出したのだ。

しかしよく考えると星野監督の大きな声でありがとうと言いたいというのと、スラムダンクとは違うことが分かったという。スラムダンクはファンにだけ感謝したいのだ。

そして関係者みんなでスラムダンクを読みまくり、誰かの「スラムダンクって作品は、井上さんのものじゃなくて、彼らのものなんだよね」という言葉で、みんなの気持ちが固まったという。伝えたい相手にだけ伝わればよい。

そこで全国紙6紙にスラムダンクの登場人物の全面広告を出し、それに小さくスラムダンクのキャンペーンページのURLを告知。キャンペーンサイトでは自分のキャラクターを選んでメッセージ、名前、メアドなどを登録すると、ファイナル試合の山王工業戦の会場に入れる。

そうするとスタジアムの観客席に自分の選んだキャラクターが赤く表示され、自分の入れたメッセージで応援しており、他の観客のメッセージもカーソルを載せると表示されるという趣向だ。

スラムダンク






このキャンペーンサイトはまだオープンしているので、筆者もやってみた。

さらに神奈川県三浦市の廃校となった高校を借り切ってスラムダンクファイナルイベントを行った。作者の井上さんは三日かかって23の黒板にスラムダンクをチョークで書きあげたという。

このキャンペーンのすべてがホームページで公開されている。

ファンには感謝感激、こたえられない広告キャンペーンだろう。そして佐藤さんも、相手が一番望んでいることをするという考え方や、相手を巻き込み参加してもらうことの大切さ、伝えたいことを伝えるというスタンスなど、いろいろな事を学んだという。


広告のチカラ

佐藤さんの上司でもある電通のカリスマクリエーター杉山恒太郎さんは次のように言っているという。

「消費者の心に何らかの価値変容を起こさないものを広告とは呼ばない」

「商品的にも市場的にも圧倒的に不利な二番手を、広告のチカラで一番手に押し上げることこそ、広告の醍醐味だし、それを志さなければ広告マンである意味がない」

これからの時代は「商品丸裸時代」なので、消費者の感想が良い面も悪い面もネットで公開されてしまう。そもそもTV広告はスルーされてしまうし、イメージ広告などは通じにくい。

「商品丸裸時代」の広告クリエイティブは、次の五点をめざすべきだと佐藤さんは語る。

・認知に徹すること
・よりプロモーショナルになること
・ありのままの自分を出すこと
・買ってくれた人をもてなすこと
・買ってくれた人に参加してもらうこと

2007年カンヌ国際広告祭のサイバー部門でグランプリを受賞したNike+の広告が、いろいろな使い方を伝えており、買ってくれた人をもてなす広告の例である。



佐藤さんは、お茶の間でみんなでテレビを見るという生活スタイルは消滅しつつあるが、これからは「ネオお茶の間」で一人でパソコンでテレビを「ながら視聴」している人が増えるだろうという。

ネオお茶の間ではテレビが復権し、CMもそれほどスキップされなくなると佐藤さんは語る。


明日の広告

最後に広告は社会のインフラであり、ニッサンのイチローの「変わらなきゃ」広告の様に、変化した消費者にあわせてちゃんと変わっていけば広告の明るく楽しい明日があると佐藤さんは語る。そんな前の広告とは思っていなかったが、イチローが若いので驚く。



消費者本位、企業のソリューションから消費者のソリューションへというのが、キーワードであると。

広告業界のみんなが明るい気持ちになれるようにと、エールを送っている。

大手の広告代理店がテレビのCM枠を抑えてスペースを切り売りする殿様商売をやっていた時代はもう二度とおこならないだろうが、広告はたしかに不可欠なものであり、この本の提言のように「初動」を大切に、「ラーの鏡」で消費者の真の姿をみつめ、「商品丸裸時代」という問題意識を抱いて仕事をすれば、必ずや広告業界に明るい明日はあるだろう。

軽妙なタッチながら、広告業界に対する大きな危機意識が感じられる。読んで面白い本であった。

佐藤さんはコンテンツキングだと思う。広告業界のことを知らない人にも、おすすめの本である。


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2008年08月09日

Googleストリートビューがスゴイ

このブログを訪問する方は、もうご存じの方が多いと思うが、8月5日にGoogle Mapの新機能としてストリートビューがリリースされた。

今のところ大都市近郊のみということだが、住所を入れて右に「ストリートビュー」というボタンが表示されたら、カーソルを動かして是非試して見て欲しい。

360度のカメラを搭載した車で、ほとんどの道を通行してストリートビューデータを蓄積したようで、大変なデータ量だと思う。

人の顔は画像処理ソフトでぼかしてあるが、車のナンバープレートはそのまま見えるし、表札も見える。

もちろん米国も対応している。

次が筆者がピッツバーグで住んでいた家だ。裏に広い庭があるが、さすがに道から見えない裏庭は表示されず、表通りから見てのストリートビューだけだ。

Pittsburgh






前庭に落ち葉が一杯なので、たぶん昨年の秋くらいの映像だと思う。庭の郵便箱は筆者が建てたものだ。

不動産業界にはたぶん大変役に立つだろうし、いろいろな活用方法があると思う。プライバシーについては問題があるかもしれないが、まずはいろいろな活用法を知りたいものだ。


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2008年08月01日

ぐるなび No.1サイトへの道 ぐるなび成功秘話

ぐるなび―「No.1サイト」への道


交通広告の最大手エヌケービーの社長で、ぐるなび会長でもある滝久雄さんの本。

滝さんの思い入れも込めて、「理工系ベンチャーを目指す人たち必読の書」と本の帯に書いてある。

この本は、大きく分けて次の3部構成となっている。

1.ぐるなびストーりー

2.起業するための心得、ベンチャー成功の12ヶ条

3.貢献する心(滝さんの前著「貢献する気持ち」のエッセンス)

ぐるなびの経験談をより良く理解するために、最初にベンチャー成功の12ヶ条を紹介しておく。


ベンチャー成功の12ヶ条

ベンチャー成功の12ヶ条として次が挙げられている。

第1条 夢と執念を持続する

第2条 時代を読む目を持つ

第3条 企業の最も重要な4つの要素は、顧客、社員、社会性、株主である

第4条 世界一を意識する

第5条 IT時代は最短で変化する

第6条 若い人の発想を潰さないで育てる

第7条 ビジネスモデルが大切である

第8条 技術だけでは駄目 「法の概念」と「マネジメント」が必須である

第9条 経営陣のなかに「人が好きな人」が必要である

第10条 人脈とお金は常に蓄積の気持ちが必要である

第11条 マスコミを見方にする

第12条 大手参入に対する備えを怠らない


滝さんの経歴

滝さんは、エヌケービーの前身の交通文化事業社創設者の滝富士太郎さんの子息で、1963年に東京工業大学機械工学科を卒業して三菱金属に勤め、金属の切削加工技術を研究していた。

三菱金属入社後5年目で退社を決意。そのときの上司から「ライフワークはあるのか?」と聞かれ、退社後1ヶ月半アメリカにライフワーク探しの旅に出て、「鉄道と駅」をライフワークにしようと決心する。

帰国後会社をつくって、いろいろな事業を手がけていたが、1975年に父親の滝富士太郎氏が交通事故で急逝、当時従業員10名強だった交通文化事業社(現在のエヌケービー)を引き受けることを決意する。

ライフワークの「鉄道と駅」に沿った事業展開を考えるが、車内吊り広告は既に大手広告代理店の縄張りが決まっていて、入り込む余地がなかったので、駅広告に絞って事業を拡大する。

同時にコンピューター時代の到来を予想し、1985年に公衆回線が自由化された時にNKBシステム開発という子会社を設立して、IT関係の新規事業を手がける。

当時はビデオテックス(電話回線を利用した画像システム)で、東京駅の銀の鈴広場にブライダル情報やアルバイト情報などが見られる端末を設置したが、コストが高くて大きな事業にならなかった。

一番採算が良かった「JOYJOYブライダル」という事業は継続し、500店もの結婚式2次会のレストラン情報が蓄積されていたので、そのネットワークを利用して1995年にインターネットが登場した時に、ぐるなび事業を開始した。

滝さんはインターネットで情報コストが二桁下がったことから、「情報系の産業革命を起こすのだ」、「今までとの連続性はないぞ」と呼びかけたという。まさにムーアの法則である。

ぐるなびは2000年2月29日に分離独立したが、あえて2000年の閏年の2月29日を選んだのは、インターネットは1000年に一度のビジネスチャンスだという思いを込めてのことだったという。


ぐるなびの成功要因

ぐるなびは次の3段階で、事業を拡大していった。

1.店をともかく増やすいわゆるどぶ板営業 3,000円/月でどんどん飲食店を獲得

2.獲得した店から売り上げを増やすAE(アカウントエクゼクティブ)型営業 付加価値をつけて5万円〜10万円/月の販促パッケージを拡販

3.基盤事業をベースとした関連事業(旅関連、海外事業、BtoBなど)日本最大のグルメポータルの強みを生かす

ぐるなびが誕生する前に、いろいろITを使っての事業拡大を検討していた滝さんは、1995年に取引先のリコー大井町工場で、インターネットを見せてもらい、これこそ進むべき道だと24時間で決断したという。

インターネットのすごさを見て、最初に滝さんが出した指示は、電話帳に広告を出している飲食店の数を調べさせることだった。というのは前述のブライダル情報サービスで、一流レストラン500軒とのネットワークが既にあったし、外食分野は規模が大きく未開拓の分野だと思っていたからだという。

その当時電話帳に広告を載せていたのは2,500軒。年間10〜15万円の電話帳広告費を払えるのは、東京で10万軒ある飲食店のうち、2,500軒、2.5%しかなかったのだ。

そこで全国40万店の飲食店のうち1万軒をターゲットに、ぐるなび事業を1996年にエヌケービーの関連事業として開始した。

外食産業全体では25兆円のマーケットで、飲食店全体では15兆円程度。そのうち上位1万軒の売り上げは1.5兆円。広告宣伝費に3%使うとして、全体で450億円程度のマーケットだという見込みだ。

ぐるなびが先駆者だったが、他の大手企業や「ある大手情報系企業」(たぶんリクルート)などは事業性が明らかになれば、一挙に進出してくるはずだった。

そこで従業員一人一人がユーザーのニーズ・ウォンツを取り入れて進化し続けている限りは、大手でも追いつけないだろうとの戦略をたて、それが可能となる仕組み、モチベーションを高める仕組みとして、「エクスパートシステム」と呼ぶ魅力ある報酬体系を作ったという。

給料を低く抑えたベンチャーの成功はありえない。瞬間的に苦しいときはストックオプションで補って、会社が潤ったら割高な給料だって払う。ぐるなびは最初からそれを実行してきたという。これによって一人一人の啓発と、組織が進化できたのだと滝さんは語る。「将来は楽天の3割増の給料を保証する」と言っていたのだと。

ある情報系大手はぐるなびの営業マンが飲食店を1軒1軒回って、月々3,000円の契約を取っているのをナンセンス呼ばわりしていたそうだが、滝さんはちっとも気にならなかったという。外食産業を研究し、飲食店と親しくなれれば、それが将来的には大きな成果を結ぶと確信していたからだ。

当初から会員は無料、加盟店から料金を取るというビジネスモデルでスタートした。

当時はパソコンがない店が多かったので、メールで受信した予約をファックスで飲食店に送るファックス自動変換システムが機能して、スタートして4年後の2000年に目標の1万軒を達成した。

この本にはコラムとして、いろいろな社員の苦労話や体験談が載っていて、面白い。


収益モデルの転換

1万軒が達成されてから、滝さんはドラスティックな収益モデル転換を計る。それはAE(アカウントエクゼクティブ)型のビジネスモデルである。アカウントエクゼクティブとは、広告業界でよく使われる営業スタッフがクライアントと相談しながら販促プランを提案するという営業スタイルだ。

従来は月3,000円だけだったものを、いろいろな販促手段を提案することで月5万円から10万円などのパッケージに格上げしてもらうのだ。

滝さんが、あるレストランオーナーと話していて、ぐるなびは月100万円くらいの集客に貢献しているとの話があり、それなら売り上げの5%を手数料としてくださいと、半ば冗談で言ったところ、オーナーはこれからも売り上げ増に役立つなら費用を支払うのは問題ないと言われたことがきっかけだ。

このことからAE型への移行の可能性を強く意識したのだという。

収益モデルへの転換を達成するため、まずは社内の意識改革を行った。

従業員全員をヒラ社員に降格したのだ。そして月々400万円以上の売り上げを6ヶ月続けて達成することを正AE昇格の条件とした。

そして実施して10ヶ月で15名がぐるなびのシニアマネージャーとして昇格した。

トップにいる人間が実力でポジションに就いたわけなので、本人が自信にあふれているし、部下たちも尊敬している。雰囲気もいいし、まとまりもある組織に変わっていったという。

コラムでは「一瞬で消えた給料」という題で、降格されたマネージャーの「会社を辞めよう」と思ったという話も載っていて面白い。最初の月の給料が手取りで7万円で、飲みに行って一晩でつかってしまったという。

全員がコミッション制になると情報のいわゆる「たこつぼ化」が起こるので、勉強会を頻繁にひらき、成功事例の研究に力を入れ、「私の自慢話」というような企画や、企画コンペを合宿研修で取り入れてノウハウの共有につとめたという。

25歳の天才営業レディの出現が、みんなもついてくる結果となったと語る。

この人の営業手法は情報誌の広告やチラシを使っている予算のあるところに絞り込み、雑誌で150万円使っているなら、ぐるなびで100万円でもっと成果が出せると売り込んでいたのだ。「雑誌・チラシは1回限りだが、ぐるなびなら毎日続く」が殺し文句だった。

最初の1年間はAEの報酬は10%、次が3%、三年目が1%と決めていたので、この営業レディの年収は2,000万円くらいにはなっていたはずだという。

試行錯誤を通して、年間パックという営業方式が定着する。年間120万円と設定し、レストランは毎月10万円使っても良いし、ある月は5万円、ある月は30万円と販促に幅を持たせることも可能だ。

加盟店からもらった効果データが役立ったという。ぐるなびは月1万円もかけていなのに、営業効果は400万円、雑誌・情報誌の広告は数十倍のコストにもかかわらず売り上げは10万円から100万円程度。この店はビルの7階にあったので、広告が不可欠でかなりの予算を掛けていたという。

AE型に転換が成功した初年度に社員全員でハワイ旅行に行ったという。初年度で早速約5億円の利益を出すことができたからだ。


着実な改善

情報ポータルなので、コンテンツが勝負だ。トップページのリニューアルには滝さんが趣旨を説明した上で社内コンペも行い、現在のトップページに近い原型が500時間かけて2001年5月に完成した。

滝さんの思いつきである毎日プレゼント企画、ぐるなびラーメンなどについての社員の回想コラムも面白い。

楽天マーチャントサーバー(RMS)の様に、飲食店自身がページを更新する加盟店管理画面のシステム開発も同時に進められていた。「楽天大学」の様に、「ぐるなび大学」を1回1万5千円の参加料で実施、年間開催1,200回を超えた。

滝さんがリクルートした東工大の後輩の久保現ぐるなび社長の面目躍如たるものだ。

これにより営業員は煩雑な入稿作業から解放され、コンサルティング営業に集中できるようになった。

当初は社内の制作と営業のセクト意識があった。

バレンタインデー特集の入稿締め切りが年末だったり、飾り物でしかなかった「ぐるなび特集」を滝さんの一声で、締め切りをキャンペーンスタート前日までに変更し、今では年間1,000本のぐるなび特集がページを飾っているという。

ぐるなびホームページには多くの特集が載っているが、UGAパーティステーションというサービスでは、今話題の芋洗坂係長が出演するCMを公開しているので楽しめる。

会員獲得はアフィリエイト(成果報酬型広告)をスタートして半年で100万人を超えたという。NIKKEI NETとも提携して優良顧客を獲得した。

ぐるなび こちら秘書室!」を会員限定でスタートし、秘書を7,700人、登録者数約5,000社の規模のネットワークをつくった。たぶん秘書だけのネットワークというのは初めてなのではないかと思う。滝さんの発案で、一流店の下見会も開催しているという。ボスが利用する高級店を秘書が下見できるので、人気がある。

ぐるなびe-DMという販促メールを導入したり、滝さんの思いつきで、「春雨じゃぬれていこう」という月形半平太のせりふにちなんで、雨が降りそうなときにケータイにメールが届くという「月形半平太メール」サービスも開始した。

「ぐるなびご当地グルメ」、「ぐるなびシェフクル」などのコラムも面白い。


ぐるなびの拡大

ぐるなびは2005年4月にヘラクレスに上場した後も順調な成長を遂げている。

えきから時刻表は兄弟サイトだ。

ぐるなびの特徴をとらえたメリルリンチのアナリストの評価が引用されている。

「ロングテールを効率的に取り込むサービスプラットフォームを構築した企業」として「飲食店からのリアルタイムに近い情報配信が可能なシステムを構築しており、中小飲食店の広告需要というロングテール市場の取り込みを行っており、Googleの飲食店版のような位置づけと考える」というものだ。

滝さんは、これからは土産サイトと海外に進出したいと言う。

ぐるなび上海は「Gudumami」という名称だ。グドゥアミは「お母さん、お腹が空いた、何か食べたい」という意味だという。

筆者もぐるなびを使っているが、地図に大体割引クーポンがついているので、店を利用する前に、必ずぐるなびで検索するようにしている。これからもグルメサイトのNo.1としてさらに成長すると思う。


貢献する心

滝さんは「メメント・モリ」(死を憶えよ)ということを常に意識しているという。

級友の兄ががんになって当初は遊ぶだけ遊んだが、その後は思い詰めたように勉強をはじめ、二度と遊ぶことはなかった。滝さん自身も、骨の腫瘍で、そのままいくと全身に転移してしまうという恐ろしい病気にかかり手術したことがある。

滝さんは母校の評議員になったり、賞をつくったり、総務省のICT国際競争力懇談会のメンバーになったりして「貢献する心」をいろいろな形で示している。


滝さんの話も、社員が書いている様々なコラムも面白い。ベンチャーの成功秘話としておすすめの一冊である。


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