2008年09月30日

日米の「ねんきん特別便」

先週「ねんきん特別便」が会社の人事部経由で届いた。専業主婦の家内のものも、郵便で届いた。

全くあきれてしまった。筆者の場合、いつから厚生年金に加盟したかという時期と会社名、加盟月数だけの連絡で、しかも9月末に届いたのに作成年月日は平成20年6月11日だ。また筆者の同僚の場合、住所が違っていたという。

貰える厚生年金の標準報酬月額なども全く書いていない。

しかも間違いがあってもなくても必ず回答しろという。

間違いがあれば連絡することで十分なのではないかと思うが、「連絡を受け取っていない」という様な後からのクレイムを避けるための方策なのだろう。

ところで筆者はアメリカにのべ11年住んでいたので、アメリカの年金も受給資格がある。アメリカの「ねんきん郵便」はこんなものだ。毎年届くので、特別便ではなく通常便である。

ss3










毎年予想される年金額の見積もりについてダイレクトメールで連絡がある。登録住所を日本にしていれば、日本の住所にメールが来る。

受け取る予想年金額と遺族補償について次の様なメールが来る。

SS2










年金額は削除したが、遺族年金より低い。筆者の場合、62歳から繰り上げ支給を受けるといくら、正式なリタイア年齢の66歳からだといくら、70歳からに支給を遅らせるといくらという3段階で連絡がある。

62歳から繰り上げ支給を受けると25%ディスカウントされ、70歳に支給開始を遅らせると32%プレミアムがつくという計算となる。

遺族年金は、1家族合計のマックスで約2,400ドル/月、配偶者と子ども一人当たり約1,000ドルというものだ。

国民から年金を徴収している以上、この程度のことは毎年連絡があって当たり前だろうと思う。

筆者の持論だが、日本にもアメリカの社会保障番号(Social Security Number)の様な、社会保険番号とかが必要なのではないか?

「国民総背番号制」とかいった感情的な反対をせずに、年金制度を効率化する上でも、マネーロンダリングや脱税対策でも国民番号制を取り入れるべきだと思う。



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2008年09月29日

Suicaが世界を変える Suicaの立役者JR椎橋さんの本

Suicaが世界を変える JR東日本が起こす生活革命Suicaが世界を変える JR東日本が起こす生活革命
著者:椎橋 章夫
販売元:東京新聞出版局
発売日:2008-05-16
おすすめ度:4.5
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SuicaをJR東日本の多角化の一つの柱にまで育て上げたIT-Suica事業本部副本部長の椎橋さんの本。

筆者は経産省の企業ポイント研究会のメンバーだったこともあり、ポイント・電子マネーについてはいろいろな本を読んで研究しているが、以前から椎橋さんの名前はSuicaの立役者として有名だった。

この本を読むと元々ICカード乗車券による自動改札機向けに開発されていたSuicaが苦節10年を経て、現在のSuica2,500万枚、PASMO1,000万枚と大躍進したプロセスがよくわかる。

NHKのプロジェクトXでも第181回、「執念のICカード 16年目の逆転劇 (JR東日本「スイカ」)」という題で放送されている。

椎橋さんは子どもの頃からの鉄道マニアで、乗り鉄(乗りつぶし鉄道マニア)だという。機械工学科を卒業して、1976年に国鉄に入社、いきなり230人の部下を抱える車両メインテナンス基地の大船工場の職場長となった。

その後1987年に上野機械区に配属され、改札機も担当する。ちょうどこのころ次世代の出改札システムとしてICカードの検討が始まった。JR総研の三木さんがリーダーだった。

当時自動改札機の導入に際して磁気カード式とICカードの両方が検討されたが、結局ICカードは開発途上の技術とされ、既に関西の私鉄で実用化されていた磁気カード式が1990年に採用された。

磁気カード式改札機といっても、海外のものは切符挿入が一方向で、裏表逆は不可というものだが、日本の場合、切符がいかなる向きと表裏で入れられても読み込めるという代物だ。ちょっとやりすぎの様な気もするが、さすが日本の技術は細かい。

これはICカードを開発していたJR総研三木さんと、ソニーの日下部さんには痛手だったが、当時のソニー社長の大賀さんは「あきらめるな。挑戦しろ」と支援してくれたという。

その後1992年末に香港のオクトパスカードの国際入札案件が持ち込まれ、香港という小さな規模での実用化が決まる。

香港の地下鉄の路線は少なく、また料金も定期券がなく、ゾーン別の運賃で、日本よりはだいぶ技術的な要求は低かった

非接触ICカードではバッテリーをどうするかとか、電波の届く距離とか、電磁波の領域とか、券面の定期券印刷はどうするか等、様々な技術的問題をクリアーしていったが、どうしても解決できなかったのが、処理時間の短縮だ。

ICカードは改札端末、駅サーバーがあり、そこでローカル処理をして、一日に一回センターサーバーにデータをバッチで吸い上げる形だが、改札を抜ける時間がICカードを「かざす」形だとどうしても短縮できなかった。

磁気カードはベルトコンベアで改札機の中を回る時間が0.7秒あったが、ICカードを「かざす」ことだと0.2秒の人もいたという。

そこで発想を変えて、「かざす」でなく「タッチアンドゴー」の「ふれる」にして、読み取り面を13度傾けたデザインにしたところ、歩行速度も減速し、短い反応距離で処理時間も改善された。

これでスイカのタッチアンドゴーが生まれたのだ。

カード読み取り技術面と並んで、日本特有の非常に難しい問題が、複雑な運賃と、定期券の問題だ。経路によって違う運賃をどうするか、キセルを防ぐにはどうするか、定期券による乗り越し精算をどうするか等、様々な課題があったが、システムソフトウェアを開発することでこれらの問題も乗り越えた。

細かいところでは12月31日の終夜運転の運賃精算なども頭をひねる問題だ。

1997年にICカードプロジェクトが2人で設置され、1年後に6名の体制となり、その間JR東日本社内の役員フリーディスカッションで検討してもらうなどの地道な努力をした。

そして磁気カードシステムが更新時期を迎えた10年目に、ICカードに切り替えると130億円余計に費用がかかるが、それは磁気カード改札機の場合のメインテナンスコスト削減で元が取れるとして役員会に提案し、了承を得た。

磁気カード式改札機は切符の噛み込みトラブルが多く、メインテナンスコストもバカにならなかったのだ。

Suica導入のメリットして出されたのは次の5点だ。

1.サービスアップ
2.システムチェンジ(駅業務の合理化となる)
3.コストダウン(メインテナンスコスト削減)
4.セキュリティアップ
5.ニューサービスの可能性

椎橋さんは、役員会で三重の円を描いて説明したという。真ん中の円は鉄道事業、中間の円は駅ナカ・グループ事業、そして一番外の円が他業種との提携拡大だ。

広告代理店のコンペを行い、スイカというネーミングと、さかざきちはるさんのペンギンのマスコットキャラクターを採用した。

チャージ機能、定期券の券面リライト機能、自動精算機能、オートチャージ機能、クレジットカード機能、電子マネー機能、ポイント機能など、様々な特性が加わり、多機能なICカード乗車券としてSuicaが2001年11月18日にスタートした。

スイカは改札機の端末、駅サーバー、セントラルサーバーの3重構造であり、最悪センターサーバーが止まっても3日間は改札端末だけで稼働できる。またICカードには20件のデータが入る。スイカシステムは、こういった何重にもセーフティ対策の施された「自律分散システム」だった。

椎橋さんは、会社業務のかたわら社会人として東工大の大学院で研究し、「異種統合型情報サービスシステムにおける自律分散アシュアランス技術の研究」で博士号を取られている。すごいがんばりだ。

スイカを導入する際には、海外から国際調達協定違反だとクレイムがついたこともあったという。

関東の地下鉄・私鉄各社は2000年にパスネットを始めたばかりだったが、スイカの成功を目の当たりにしてPASMOへの切り替えを決めた。

こうしてスイカ2,500万枚+PASMO1,000万枚、合計3,500万枚の世界最大の交通ICカードシステムが誕生した。さらに旧国鉄各社ともスイカ技術で再度結ばれることになった。

スイカ導入により本業のJRの利用もアップした。

スイカ電子マネーは自動販売機、キオスクや、飲食店などで使えるようになり、2008年4月末で、全国でスイカ電子マネーが使える箇所は5万ヶ所、端末は9万台だという。

ケータイに載せたモバイルスイカも登場した。NTTにはかなり早い段階で申し入れたが、なかなか動かず、結局企画部長だった夏野さんの一声で決まったという。2008年4月でモバイルスイカ会員は100万人を突破したという。

筆者はポイントマニアなので、モバイルスイカサービスがスタートした2006年1月28日早朝にダウンロードして使い始めた。ケータイで改札を通り抜けると、みんなが「カッコイイ」と、うらやましそうに見ているのが印象的だった。

JR東日本のスイカ部はIT・Suica事業本部となった。スイカはこれからも限りない進化を目指すという。

最後に椎橋さんは、日本の鉄道が世界を変えたこととして、1.新幹線、2.民営化を挙げ、3番目にスイカが来る日を目指して挑戦を続けると記している。


技術的な説明もあって、スイカ導入と日本の乗車賃精算システムの複雑さがよくわかった。日本で実用化できれば、海外どこでも出て行けるはずだ。さらなる飛躍を期待したい。

スイカを広めた立役者が自ら書いており、NHKのプロジェクトXの様に苦労話をドラマティックにフォーカスしているわけではないが、楽しく読めて参考になる本だ。


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2008年09月26日

臆病者のための株入門 プロにカモられないために知っておくべきこと

臆病者のための株入門 (文春新書)臆病者のための株入門 (文春新書)
著者:橘 玲
販売元:文藝春秋
発売日:2006-04
おすすめ度:4.5
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このブログでも「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」など何冊か紹介している異色の経済・投資ライター橘玲さんの2006年の著作。

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門
著者:橘 玲
販売元:幻冬舎
発売日:2002-11-26
おすすめ度:3.5
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投資の入門本としてベストセラー作家の勝間さんの「お金は銀行に預けるな」を紹介したが、勝間さんの本は机上の議論という感じが強い。

これに対して橘さんは、1ヶ月で100万円を1億円に増やすべく自ら実行したり、実践の裏付けがあるので、説得力がある。

この本は「投資の専門家」とはどういう人たちかなど、独自の見方で解説しており、目からうろこの素人向け入門書である。

お金は銀行に預けるな   金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践 (光文社新書)
著者:勝間 和代
販売元:光文社
発売日:2007-11-16
おすすめ度:4.0
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アマゾンのなか見検索に対応していないので、目次を紹介しておく。

はじめに 臆病者には臆病者の投資法がある

第1章  株で100万円が100億円になるのはなぜか?

第2章  ホリエモンに学ぶ株式市場

第3章  デイトレードはライフスタイル

第4章  株式投資はとういうケースか

第5章  株で富を創造する方法

第6章  経済学的に最も正しい投資法

第7章  金融リテラシーが不自由な人たち

第8章  ど素人のための投資法
   1.アセットアロケーション
   2.国際分散投資
   3.為替リスク
   4.トーシロ投資法
   5.世界市場ポートフォリオ
   6.トーシロ投資法VSプライベートバンク

あとがき 追証がかかった日


株の本を読んでもわからない

筆者の橘玲さんは「海外投資を楽しむ会」の創設メンバーの一人で、Perpetual traveler(常に海外を渡り歩き、一つの国に半年以上滞在しないので税金も納めなくて良い?ライフスタイル)を追求している。

橘さんは元々サラリーマンだったが、阪神淡路大地震があった年にビルゲイツの「ビル・ゲイツ未来を語る」を読んで感銘を受け、マイクロソフトの株を買いに行ったら売ってくれなかったことから、それなら自分でやると決心して、株研究本を何十冊も読み株で大もうけしようとたくらむ。

ビル・ゲイツ未来を語るビル・ゲイツ未来を語る
著者:ビル・ゲイツ
販売元:アスキー
発売日:1995-12
おすすめ度:5.0
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しかし何冊読んでも全くわからなかったという。それぞれが違うことを言い、ファンドマネージャーは神のお告げの様に語り、ファイナンシャルプラナーはハイパーインフレが来ると脅す。

結局、株の本は理解できないように作られていることが分かったという。

株は欲望が生み出した迷宮で、次になにが起こるか誰にもわからない。だから臆病なしろうと向けにこの本を書いたのだと。


100万円を1億円に

最初に橘さんの経験談がある。

1999年のインターネットバブルの時に一念発起して1ヶ月で100万円を1億円に増やすという計画を思いつき、NASDAQの株価データを統計解析し、インターネットでアメリカの先物会社に口座を開き1999年10月に投資ポジションをつくった。

明らかなトレンドが存在するときに、上がり相場は買いまくり、下がり相場は売りまくるという「モメンタム戦略」を採れば、平均的な運用成績を10%以上上回れるという研究を知り、100万円をレバレッジ20倍で約20万ドルにしてシカゴの株先物で運用し、利益が出ればさらにポジションを積み増すという戦略で投資を開始した。

アメリカの証券会社を選んだ理由は、投資で損失が発生してもアメリカから日本まで追証を取り立てにくるわけないし、たとえ裁判に訴えられても家もマイカーもないので、儲けは無限大で、損失は最初の100万円に限られると思ったからだと。今から思えば恥ずかしいと橘さんは告白している。

当初の予定では儲かっていればシカゴの大引け前に追加で買い、損していれば自動的にストップロスを発動するというものだった。

空前の上がり相場の時だったので、利益が出ては、さらに信用買いで先物を積み増して買うということを続けて投資金額も順調に拡大したが、もしストップロスが発動しないと破産するとの強迫観念で眠れなくなった。

そして一晩中株価ボードを見つめ、1時間程度の仮眠の後会社に出るという生活を2週間続けていたら突如色彩のない白と黒の世界になって、このままでは死んでしまうと思ったので、結局その日のうちにポジションを手じまった。

そのまま続けていれば12月31日に運用額は80億円に達し、4億円近い利益を手にして、そして1月3日にはさらに2億円儲け、ポジションは100億円に達するが、翌1月4日の暴落で結局7億円損したはずだという。

筆者もちょうど1999年ー2000年に米国でインターネット関係で投資したことがあるので、この頃のことを思い出す。Janusのインターネットミューチュアルファンドを買い、インターネット株をIPOで取得したのだ。

ミューチュアルファンドは完全な高値づかみだった。結果的にピークで買ったので、それまでは年率40−50%のリターンだったものが、2000年は一挙にマイナスに転じ、結局平均30%のロスだった。

IPO株は約40ドルで買ったものが、1ヶ月弱でピークは300ドル超、半分は200ドル強で売り抜けたが、半分はそのまま持っていたので10ドル台となった。まさにローラーコースターである。


無職・無資産でないとできないこと

2005年12月のジェイコムの誤発注で20億円を儲けたジェイコム男は27歳無職男性だという。

要は最悪無一文になってもかまわない無職の若者でないとレバレッジをかけたハイリスク投資はやれないし、ハイリスク投資で勝ち残るのはほんの一握りだということだ。

ジェイコム男がプロを上回る実績を出せたということは、たまたまそうなったからであり、株式はじゃんけんと同様に本来プロもアマも同じだ。

多くの失敗した人は表に出てこないが、成功した人は珍しいので本を書けるまでになる。そうするとあたかも誰でも成功できるような錯覚に陥るので、またカモネギが増える。

本来「金融のプロ」なんていない、単なる確率の世界なのだ。


ホリエモンの冒険

しかし単なる確率の世界でも、降ってわいた儲け話もある。金融システムの欠陥を追求するのだ。

ホリエモンがやったのは、株式を100分割すると新たにつくられる99株は信用買いはできても、空売りはできないという規制を逆手に採った手法で、残りの1株は自動的に高値になるというシステムの欠陥を突いたものだ。

自社株買いは厳しく制限されているが、投資組合に適当な会社を買収させ、ライブドアの自社株と相手企業の株を交換すると、いくらでも自社株が発行できる。これはいわばお札を印刷しているようなものだ。

これは株式市場の歪みであり、彼らはこれを利用しただけなのだ。

ところでホリエモンが情報発信をを再開している。「六本木で働いていた元社長のアメブロ」というブログを再開している。

昔のようにアクセスNo.1になるはずもないが、何を書くつもりなのか、彼の人間性が判断できるだろう。


株式市場はゼロサムゲーム

株式市場はゼロサムゲームだ。誰かが得すれば、誰かが損する。

たとえばひところ株価が100円以下になると、機関投資家はストップロスの内規により自動的に売るので、必ず翌日は下落するという現象があった。いわばオンラインゲームのように、みんながインターネットで情報交換してターゲットを撃沈することをやっていたところ、機関投資家が裏をかく行動に出て、個人投資家を食い物にしだしたという。

債券投資は将来の金利を予想するゲームで、株式投資は会社の将来の利益を予想するゲームなのだ。だから使われる指標はEPS(一株利益)とPER(株価収益率)だ。

このゼロサムゲームというのは、筆者自身もふくめて株をやるうえで頭にたたき込んでおくべき事だろう。


バフェットの法則

オマハの賢人ウォレン・バフェット氏は昨日(9月24日)今の金融危機は「経済のパールハーバー(economic pearl harbor)」だから、政府も議会も一致団結して金融システムを守らなければならないとテレビで訴えていると豊島逸夫さんのブログに書いてあった

バフェット氏は2000年のインターネットバブルの時も、ネット企業に全く投資しておらず、その先見性で名声を高めたが、今回の中国株や新興国株の下落でも、11−14%保有していた中国最大の企業ペトロチャイナの全株をピークの2007年10月の直前の9月と7月に売りぬけ、またもや名声を高めた。

(もっともバフェットのペトロチャイナへの投資は、ペトロチャイナがスーダンのダルフールの石油開発に携わっているので、バフェットも20万人もの虐殺や強姦を支援していると非難されていたので、ある意味手を引く時期だったのかもしれない)


そのバフェットの法則は次の通りだという。

1.企業に関する原則
 ・その事業は簡明で理解しやすいか
 ・安定した業績の記録があるか
 ・長期の明るい展望があるか

2.経営に関する原則
 ・合理性を尊重できる経営者であるか
 ・株主に対して率直で誠実か
 ・横並びの強制力に負けないか

3.財務に関する原則
 ・1株当たり利益ではなく株主資本利益率を重視する
 ・「フリーキャッシュフロー(オーナー収益)」を計算する
 ・売上高利益率の高い企業を探す
 ・留保資産1ドル当たり、少なくとも1ドルの割合で株価に反映していることを確認する

4.マーケットに関する原則
 ・企業の真の価値を確定する
 ・企業の価値に対し大幅に割安な価格で買えるか

どれもオーソドックスなものばかりだ。


金融のプロとは

バフェットのもっとも嫌っているのが「金融のプロ」のアナリスト達であるという。彼らが投資家に損をさせているからだと。儲かる銘柄を知っている人は、人に教えたりせず、黙って自分で買う。

橘さんはバフェットのようにアナリスト達を全否定はしないが、彼らの機能は安心を売ることだ。だから「買い」と「中立」ばかりで、「売り」はほとんどないのだと語る。

カリスマ評論家になるには、当たったケースばかりを並び立て、はずれた予想は無視するのだ。そのうち人は忘れるからだ。


経済学的に最も正しい投資法

経済学的に最も正しい投資法について、マーコウィッツジェームズ・トービンウィリアム・シャープなどの歴代ノーベル賞受賞者の説を紹介している。

結論は簡単でインデックスファンドを買えというものだ。

橘さんは過去のデータを統計解析してノーベル賞学者の理論が正しいことを確認したという。市場平均を上回れるファンドは3−4割しかないのだ。

これに対してウォール街の金融マン達は、効率的市場仮説などはありえない、株式市場の歪みを利用して6兆円を稼いだバフェットがいるではないかと当然反論した。しかし運用実績の話になると、とたんに黙ってしまう。

手数料の差もあり、長期にわたってインデックスファンドを上回るファンドはほとんどないのだ。

日本の株式市場はバブルのピークに近づくことすらない。これは一国の株式市場だけに投資していてはダメなことを物語っている。

経済学的に最も正しい投資法は、世界市場全体に投資することだと。


銀行・生保にも気を付けよう

銀行の外貨預金や投資信託キャンペーンなども銀行に販売手数料が継続的に入る商品ばかりで、「ぼったくり」を目的としている商品ばかりだと橘さんは語る。だから金融リテラシーが必要だと。

元本保証型ファンドも手数料でがっぽり稼いでいる。ヘッジファンドは成功報酬制でプラスのパフォーマンスに対して通常20%の報酬が請求され、利益は実現していなくても良い。

生命保険も「家族の愛情」とか称して非常に分が悪い保険を売ると橘さんは語る。

筆者も生命保険では驚いたことがある。筆者は掛け捨ての生命保険しか掛けない主義だが、米国に駐在していたときに取った生命保険の見積もりでは死亡保障50万ドル、30年間料率固定で月々110ドル、30年間の保険料合計が37,500ドルというものだった。

当時アメリカの保険会社は空前の好決算を迎えていたので、こんな長期低料率の保険が出せたらしく、そのうちに最長でも10年までしか料率が固定できなくなったが、78歳まで同じ料率で、しかも漸増する追加料金を払えば95歳(!)まで延長可能というものだ。

life insurance2










たぶん95歳までには死ぬと思うし、78歳までに死ぬ確率も結構あるのではないかと思うが、78歳までに死亡すると50万ドルが支払われる。

合計4万ドル弱の保険金で50万ドルの保障が得られるのである。

本当は現在価値に置き換える必要があるが、単純計算だと78歳までに死ぬ確率が7.5%を上回ると保険会社は損をするという計算になる。

日本人男性の平均寿命は79歳。平均余命だと2年ほど伸びるがそれでも78歳までには10%を超える人は亡くなっていると思う。筆者の高校の同級生でも50人のうち2人(4%)が亡くなっている。

喫煙者の場合は保険料は倍だった。それだけ喫煙者の死亡率が高いということだ。

日本の場合には高齢者になると死亡保険は掛けられなくなり、料率も極端に高くなる。最近ネットで生命保険の料率を見積るサービスもあるが、5千万円で70歳までの保障とすると保険料は月々5万円を超える。

「ぼったくり」とは言わないが、掛け捨てでも高すぎる様な気がしてならない。ましてや満期割り戻し保険をやだ。

世の中にフリーランチはない。誰かが得すれば誰かが損するのだ。


トーシロ投資術

最後にトーシロの投資法として、サラリーマンは自分自身が最大の資産なので、いわば数億円のサラリーマン債券を保有しているのと同じである。だから無鉄砲に上司と喧嘩して飛び出したり、痴漢や飲酒運転でクビになったりしてサラリーマン債券の価値を毀損してはいけないと橘さんは語る。

また新築マイホームは買ったとたんに値段が1−2割下がる非常に分が悪い不動産投資であると。

だから結論としては世界ポートフォリオに投資することだと。

橘さんの「黄金の黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」に詳しく手法が書いてあるので今度紹介するが、MSCIコクサイ・インデックスTOPIXを85:15で組み合わせるか、信託コストを下げるならEFTでSPYとEFAを組み合わせることを勧めている。

もっとも橘さん自身は「経済学的に最も正しい」インデックスファンド投資をやっていないという。たしかにインデックスファンドでは投資の興奮は味わえないので、橘さんの言うこともわかる。

人には正しくないことをする自由もあるからだと。


みずから実践した者のみが語れる迫力があって面白い。目からウロコの投資入門書である。


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2008年09月24日

TESCO顧客ロイヤルティ戦略 世界最高の顧客管理とは?

2008年9月24日追記:

今日早朝2時過ぎにあらすじをアップしたら、よっちゃんさんより次のコメントを頂いた。



すんごい、今回は全然頭にすっと入りませんでしたが、それは本の内容が内容だからであって、繰り返し読ませて頂きました。

うなっちゃいます。で、


反省するところ大である。筆者の好きなポイント分野なので、つい専門的な話ばかり並べてしまった。専門的な部分は「続きを読む」に置き直したので、詳細に興味があれば「続きを読む」を参照お願いしたい。


+++今回のあらすじは長いです+++


Tesco顧客ロイヤルティ戦略Tesco顧客ロイヤルティ戦略
著者:C. ハンビィ
販売元:海文堂出版
発売日:2007-09
おすすめ度:5.0
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筆者は自他ともに認めるポイントマニアで、"ポイントマニア"でGoogle検索トップの「ポイントマニアのブログ」という別ブログもやっているほどだが、ポイントカードの活用で有名な英国No.1のスーパーマーケットで世界No.3の流通業者であるTESCOのカード戦略について書かれた本を読んでみた。


バフェットもTESCOに投資

TESCOは日本など11ヶ国に進出し、2007年に米国進出を発表している。ウォーレン・バフェットは2006年にTESCOの株を3%取得しており、バフェットも注目する流通業界のジャイアントである。

英国の投資銀行のJP Morgan Cazenoveは2005年8月のレポートで、TESCOの成功の要因としてTESCO Clubcardを挙げ、これがTESCOの最も強力な武器であると説明しており、TESCO株はアンダーバリューだと評価している。たぶんこのレポートもウォレン・バフェットのTESCOへの投資判断の参考になっていると思われる。

原書は2004年2月に第一版が出版され、2007年2月に改訂版が出版されている。原書のサイトもあり、著者のプロフィールや様々な書評が紹介されていて参考になる。

Scoring Points: How Tesco Is Winning Customer LoyaltyScoring Points: How Tesco Is Winning Customer Loyalty
著者:Clive Humby
販売元:Kogan Page Ltd
発売日:2007-02
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翻訳は2007年9月に出版されているが、この種の専門書としては珍しく第2刷が出ている。TESCOについての最初の本ということで、注目を集めている様だ。

残念ながら第一版の和訳で、第二版に記されているClubcardの見直しと米国Krogerでの最新の事情等が反映されておらず、日本語だと用語の意味が分からないところもあるので原書も参照した。


著者はTESCOのロイヤルティプログラム戦略の立役者

著者はTESCOのロイヤルティプログラム戦略のコアメンバーとして参加したdunnhumby社会長のClive Humby氏、ダイレクトマーティング大手のEHS Brann社会長のTerry Hunt氏というドリームチームで、ジャーナリストのTim Phillipsが読みやすくまとめている。

Clive Humby氏は、dunnhumbyという世界的に有名なデータベースマーケティング会社の会長で、TESCOが数年前にこの会社の過半数の株式を取得して子会社化している。dunnhunmbyはいわゆる知る人ぞ知るデータベースマーケティングのスペシャリスト集団だ。

著者の二人目のMr. Terry Hunt氏は、世界最大級のダイレクトマーケティングコンサルタント会社EHS Brannの会長で、データベースマーケティング、CRM、ロイヤルティプログラムの大家である。

dunnhumbyはアメリカにもKrogerとの合弁会社を持っており、アメリカのスーパーマーケットのKrogerの業績向上に貢献した

この本ではTESCOがTESCO Clubcardというポイントカードを1995年に立ち上げ、これを武器にそれまで万年2位だったマーケットシェアを増やして1位となり、その差を年々拡大していったサクセスストーリーと、CRM(Customer Relationship Management)を目的としたロイヤルティプログラムについて詳述しており、大変参考になる。

この本のどの部分に書いてあったか忘れたが、次のような言葉がCRMの本質を言い当てている「今まではどれだけ売れたかを管理していたが、これからは誰が買うのかを管理するのだ」。


英国のポイントカード事情

筆者は今月(9月)に欧州に出張したので、英国のポイントカード事情についても説明しておく。

日本ではポイントカードが乱発状態にあり、平均では消費者一人10社近く、ポイントマニアの筆者は40社くらいのポイントを貯めているが、英国の場合には大手のスーパー数社、ドラッグストアBoots、それと航空マイルの合計3−5枚というのが一般の消費者の平均的なカード保有枚数だ。

アクティブユーザー数No.1は共通ポイントのNectarの13百万人、次がTESCOの11百万人、3位がBootsの9.5百万人、この本でもしばしば登場する共通ポイントのAirMilesは2.5百万人といったところだ。

日本の大手ポイントカード発行者は1千万人クラスがざらで、ドコモの4千万人、Tカードの3千万人というのに比べると英国は会員数は少ないが、一人数枚しかポイントカードを持っていないので利用頻度は高い。

特に英国の場合には、大手のコンビニチェーンがなく、スーパーのTESCOやSainsbury's(セインズベリー)が小規模都心型店舗をコンビニがわりに展開しているので、スーパーのポイントカードの利用頻度がより高くなっている。

TESCOは世界で最もCRMで成功した小売業と言われているが、その秘密がこの本で明かされている。


日本NCR関係者が翻訳

この本は元日本NCR社員が現役社員を集めて「寺子屋」活動の一環として訳したものなので、最初に日本NCR社長のメッセージが寄せられている。

それによると、ポイントカードの機能は3つあるが、乱立する日本のポイントカードは1)値引きの先送り、2)疑似貨幣化までしかできておらず、3)の顧客データの収集手段としての活用が出来ていないと語る。

それを行ったのが13年前のTESCOであり、ポイントプログラムを単なる販促ではなく、顧客との密接な「絆(きずな)」作りに活用し、スタート時はNo.2だったマーケットシェアをポイントカード発行によってまたたく間に英国No.1とした。

現在はTESCOのマーケットシェアは2位のAsda(ウォルマートの子会社)と3位のSainsbury'sの合計に近い31%前後を占めている。「JETRO日刊通商弘報2008年8月25日付け)。

UK supermarket share







「絆」はTESCOブランドとして顧客に認知され、信頼できる購買代理業、総合生活支援業としての進化をみせているという。

従来日本の小売業は「単品管理」によって顧客のニーズを把握しようとしてきたが、過剰生産、過剰店舗の現在では新たに顧客分類を加えた商品分類とのマトリクス分析なしに、潜在化する顧客ニーズへの対応は不可能であると語る。


TESCOのポイントプログラム

TESCOのポイントプログラムは1%割引で、4半期毎に郵便でその人の購買パターンにあわせたポイント券とクーポンを送ってくるシンプルなもので、土日5倍などもないが、ポイントカードを顧客との「絆」として、顧客のセグメントにあわせてCRMを駆使して販促をかけることで売上を伸ばすことに成功している。

ウォルマートは世界最大の流通業だが、アメリカでは「単品管理」は出来ているが、ポイントカードがないので「顧客管理」はできておらず片手落ちだ。

これに対しTESCOはポイントカードがあり、かつCRMがしっかりしているので、誰が何をいつどこでいくらで買ったのかがすべてわかり、いわゆる5W1Hのうち4W1Hをつかんでいる。

残るは、その人がなぜ買うのかーWHYだが、WHYがわかれば有効な販売促進策が打てる。

だから4W1Hの購買履歴に加えて、顧客の性別・年齢・家族構成・嗜好などの属性情報を総合的に分析することによって、最後残るWHYを顧客類型として割り出し、次の購買につながりそうな提案をするという手法だ。

1%のポイントコスト(実際コストは不使用分もあって0.74%)をかけても、顧客のTESCOに対する支持と、コストを上回る売上アップが得られ、相次ぐ買収にによる規模の拡大もあり、TESCOのマーケットシェアは現在の31%にまで増加したのだ。

広告代理店の人は聞きたくない話だろうが、広告費用の削減効果も大きかったという。

TESCOは1993年には英国のTV広告主の最大手だったが、1995年にClubcardをスタートしてからは、TV広告が約1,000万人へのダイレクトメールによるクラブカードコミュニケーションに置き換えられたので、ついに1995年のクリスマスにはTV広告をゼロにできたという。

現CEOのSir. Terry Leahy(リーヒー)は1997年にClubcardを推進した功績でTESCOのCEOに抜擢されている。


TESCO Clubcardがスタートするまで

TESCOはロンドンで露天商を営んでいたJack Cohenによって1929年に店がスタートしたのが始まりだ。1956年には最初のスーパーマーケットをオープンし、1961年には大型スーパーを開業している。

1963年からTESCOはアメリカから導入されたスタンプカード式のGreen Shieldスタンプを導入するが、15年ほどで行き詰まった。当時のTESCOは大量安売り販売を特徴とするスーパーで、「より高く積み上げて、より安く売る」というやり方だった。

1977年に創業者他の反対を押し切ってスタンプカードは廃止となり、TESCOは店の改装と統一価格の導入というベーシックな「チェックアウト作戦」で地道に業績を上げ、安売りで業界No.2のスーパーになるが、どうしても業界No.1のSainsbury'sを超えられなかった。

1993年にクレジットカード対応のEPOS(Electric POS)レジが導入され、POSを使ったカード導入の基盤が整ったので、1993年からダイレクトマーケティング会社のEHS Brann社の支援を得て、「オメガプロジェクト」と呼ばれるポイントカード作戦のトライアルが14の店舗で開始された。

1994年からはデータベースマーケティング会社のdunnhumbyが加わり、TESCO Clubcardとして顧客/購買データ分析の体制が整えられた。

1994年11月末にClubcardトライアルにより、レスポンス率や売上がアップしたことがTESCO取締役会で報告されると、TESCOの当時のMacLaurin会長は次のように語ったという。

私がこれを聞いて恐ろしいと思っているのは、私が私の顧客に対して30年間で知り得たこと以上のものを、この3ヶ月間であなたたちが知ったということだ。

それほどClubcardの効果は絶大だったので、1995年2月13日に全店展開され、すぐに成功は明らかとなった。


TESCO Clubcardの成功

TESCO Clubcardはすばやく顧客に受け入れられ、英国の世帯数の約半分の約1千万枚のカードが2−3ヶ月で配布された。立ち上げ費用は1千万ポンド(約20億円)掛かったが、売り上げの1.6%のコストを上回る4%以上の増益が達成され、店舗によっては二桁以上の売り上げ増を記録した。

競合のSainsbury'sの会長は「電子的Green Shield(スタンプカード)にすぎない」とこき下ろしたが、Clubcardの威力はすさまじかった。

Clubcardを発行した翌月の1995年3月に、TESCOのマーケットシェアは19.3:19.1と遂にSainsbury'sを逆転し、それ以降もNo.1の地位を保ち続けた。

TESCO Clubcardが圧倒的な成功を収めたので、Sainsbury'sも同様のポイントカードのReward Cardを18ヵ月後に開始したが、既に時遅くSainsbury'sがTESCOのマーケットシェアを上回ることはなく、差はむしろ拡大していった。

TESCOが英国No.1の地位を手に入れたのは、Clubcardのみの効果ではなく、1995年にスコットランドのWilliam Lowというスーパーマーケットチェーンの買収合戦でSainsbury'sに勝ち、店舗数でも545と英国一位になったという要因もある。

それでもClubcardがTESCOの成功の要因の一つであることは間違いない。


他社の反撃

Sainsbury'sもSaver Cardというポイントプログラムを持っていたが、355店舗のうち200しか導入しておらず、しかもカード発行店でしか使えなかった。ポイントの価値もわかりにくかった。

結局Sainsbury'sはTESCOに対抗してReward Cardを始めたが、それはTESCOより1年半遅れた。またSainsbury'sが4半期ごとのクーポン郵便をはじめたのはNectarポイントプログラムに乗り換えた2002年からだった。

SafewayもTESCOに遅れること8ヶ月でABCカードを始め、900万人の会員を獲得したが、結局広告費にコストを使いすぎて採算は悪化し、1998年には2千万ポンドもの販売促進費にもかかわらず、売上は減少した。結局ABCカードは1999年に撤収が宣言された。

TESCOはABCカードからの切り替えキャンペーンを実施し、最初の1週間で10万人がABCカードからTESCO Clubcardに切り替えたという。

Asdaも一部店舗でカードを試験的に導入したが、結局全面展開はしなかった。Asdaはレジのレシートと一緒にクーポン券をその場で印刷するCatalinaシステムで対抗したが、現在はCatalinaは使われていない。

またAsdaはTESCO Clubcardのポイントクーポン券でAsdaでも買い物できるようにした。いわばハイジャックである


Clubcardの改善

TESCOは個々の顧客との「絆」を深めるために、店長主催で上顧客を招いての「クラブカードの夕べ」や各種イベントを開き、好評を博した。これのレポンス率は40%という高率だったという。

そんなTESCO Clubcardでも学生カードは失敗だった。学生達のためにポイント付与下限を最低5ポンドからにしたが、学生達は年に一回は引っ越しをし、コミュニケーションを取ることが難しかったという。

TESCOは1995年のクリスマスにはカードホルダー全員に、40ポンド以上買い物すると七面鳥が1羽無料というキャンペーンを行い、100万羽の七面鳥を配った。これは米国のスーパーでもよくやるキャンペーンだ。

さらにTESCOの運営するガスステーションでもポイントが付くようにしたので、25万人の男性会員が新しく加入した。


他社ポイントとの交換も開始

TESCOは1995年に申し出があったAirMilesとの他社ポイントとの交換提携を断り、自社ポイントとしてClubcardを定着させた。しかし共通ポイントは何百万人もの熱心な収集家がいて、継続力に優れている。

TESCOは他の小売業にもポイントを販売したが、他社はTESCOポイントを発行するだけで、償還はTESCOのみが行った。

一方Sainsbury'sはAirMilesと提携し、RewardカードポイントをAirMilesに交換できるようにした。提携最後の年2001年には10億ドルのAirMiles発行額のうち、2億5千万ポンドがSainsbury'sからのポイント交換だった。

TESCOは自社のみでのポイント償還にこだわったが、スーパーでの買い物の割引だけでは最上級の顧客の要望に応えられないのは明らかとなってきたので、2002年にSainsbury'sとAirMilesとの契約が終了した時に、すぐさまAirMilesと提携した。

これによりTESCO Clubcardメンバーは25ポイントという低ポイントからAirMilesに交換できるようになった。

AirMilesは熱狂的なファン基盤があるので、すぐさま反応は現れ、TESCOはAirMilesを貯めている裕福で、分別があり、AirMilesを貯めるためにはスーパーのブランドを変え、買い物習慣を変えることをやぶさかでない顧客を獲得し、新たに100万枚のClubcardが配られた。

一方Sainsbury'sはAirMilesとの提携が終了したので、1%の減収となることに気が付いた。最も価値のある6万人がTESCOに移るからだ。

AirMilesとの提携で、TESCOは店外で顧客に特典を使用させる必要性を理解した。AirMilesは脅威ではなく、価値ある少数派へ訴える方法で、両方のプログラムは互いに補完していることに気が付いた。

TESCOの担当者は、「早い時期には我々はAirMilesを競争相手として見ていたが、我々は顧客がAirMilesを異なる種類のロイヤルティ通貨と見ていることを発見した。」と語っている。

TESCOのCEOテリー・リーヒー卿は「小売業の成功の秘密は、消費者の声を聞くことと、消費者が欲するものを与えるのを止めないということだ」と語っており、TESCO原資のポイントが他社でも使われることを容認したのだ。


Clubcardの見直し

この部分は翻訳にはない、英語の原書第2版からのあらすじだ。

2004年にClubcard戦略は見直され、カード自体も磁気ストライプのカードからバーコードカードに置き換えられたので、紙のカードや車のキーに付けられる小型カードも配布できるようになった。

TESCO Clubcardは1995年に導入され、1997年にはTESCOの売上の80%がTESCOクラブカードを提示してのものだったが、年々この比率は低下し、2001年74%、2002年72%、2003年は70%と低下傾向が明らかだった。

TESCOがコンビニチェーンを買収し、少額決済中心の小型店舗を拡大したことも背景にあるが、TESCOマネージメントは事態を深刻に受け止め、2004年には9,000人の会員を面接アンケート調査した。

その結果、Clubcardの「通貨」がポイント、キー(来店ポイントの様なもの)、値引き券と3種類あって複雑で、また月60ポンド以上使う会員を優遇していること、来店頻度の落ちた失われつつある客に最大の優遇をしていること、あまりに売り込み目的のクーポンが多いことなどの問題点が指摘された。

会社のモットー"Every little helps"(「どんな小さなこともで役に立つ」ということわざ。ちなみにeveryの後には単数形がくるので、「すべての小さなヘルプ」という意味ではない)に基づいてお客に"Thank you"を伝えるという本来のTESCO Clubcardが導入された目的からはずれてことに気が付いた。

そこでTESCOは原点に立ち返り、「通貨」をポイントだけにすること(価格を割り引くクーポンは廃止)、月60ポンド以上という会員のランク付けをやめ、失われつつある客でなくロイヤルな顧客に販促予算をつぎ込むことにした。

また従来申込書にプラスティックカードを付けていたが、これだと名前・住所を登録しない"Skelton"と呼ばれる会員が増えて百万人を超えたので、申込用紙には紙のテンポラリーカードを付ける様にして、"Skelton"を減少させた。

顧客へのクーポン郵便については、基本的に月1回と限定し、いわば"Air traffic control"(航空管制)の様に、顧客に出す売り込みダイレクトメールを制限した。但し、もっとクーポンを受け取りたいという顧客からはオプトイン方式で同意を取得して例外とした。

これらの原点回帰策をTESCOでは"Unconditional love"(無条件の愛)と呼んでおり、これらが実施されると1年間で会員が百万人純増するという成果が上がった。これは1997年以来最高の顧客純増数だった。


価格競争に勝つ

TESCOは27のTESCOライフスタイル(クラスター)で顧客を分類し、価格競争に勝つ戦略を生み出した。

従来小売ビジネスがしてきたことは、いわゆる量販型で、よりコストを安くするために巨大な販売数量に達することで、最も大きい販売アイテムの価格を下げるようにしてきた。

しかしClubcardで顧客行動を調べると、価格を意識する顧客と意識しない顧客がいることがわかった。

たとえば、すべてのバナナを安売りしてはいけない。なぜなら積極的に安売りを求めていない人にも値引きしてしまうからだ。

このセグメントの良い攻め方の例は「バリュー・ブランド・マーガリン」だ。この商品は低価格を求める顧客が買い、他の客はほとんど買っていないことがわかったので、TESCOはこの種のプライベートブランドの低価格商品に値下げを集中した。

さらに値下げだけでなく、手に取りやすさ、非食品ビジネスの開発、営業時間延長、クラブカード改良、キャッシャーのサービスを向上させ、非価格競争力を高めた。


商品と顧客両方をセグメンテーション

TESCOは行動理論を元にセグメンテーションを顧客と商品両方に対して行った。その2つの理論とは「リッカート・スケール」と、「オズグッド・プロファイル」だ。

香川大学経済学部の堀啓造教授が、福沢周亮編(1996)『言葉の心理と教育』教育出版,「ことばで測る」p210-p215に修正を加え、「ことばで測る」という文を公開されているので、参考までに紹介しておく。どんな感じかわかると思う。

TESCOでは27の顧客セグメンテーションと、20次元の商品セグメンテーションがある。


商品セグメンテーションはRolling Ballアルゴリズム

「Rolling ball algorithm」というTESCOが商品のセグメンテーションに使ったアルゴリズムについて簡単に説明してある。

勿論秘中の秘なので、詳しくは説明してないが、牛乳やバナナなど誰でも買う商品は除いて、Rolling Ballアルゴリズムを利用して「冒険的な商品」と「新規性の高い商品」といった細かい区分もしながら、3人のアナリストが20のセグメントに振り分けた。


顧客セグメンテーションは「買い物習慣」

次に20元の行動に於ける類似性を比較して、27の顧客クラスターを定義した。これは何を購入したかの「買い物習慣」をセグメンテーション化したものである。

「買い物習慣」は、これから何を購入したいのかを理解する助けとして大いに役立った。「買い物習慣」のカテゴリー化は数学、クリエイティブな分析、小売の智恵の結合で、顧客が何を望み、何を望んでいないという情報が得られた。

たとえばTESCOはプライベートブランドの「Finest」を高額所得者の多い店向けに導入したが結果は散々だった。

高額所得者はそもそもプライベートブランドには興味がないのだ。そこでTESCOはアプローチを変えて、Clubcardの情報から「Finest」に似合うライフスタイルを持つ顧客の多い店で販売促進を実施した。

他の例では、「TESCOびいきの人」は、通常16ある売り場の内12で買い物をしていたので、残る4つの売り場で3ヶ月に一度買い物をするようなクーポンで誘導した。

この人たちが、すべての売り場で買い物をしてくれれば、年間の増収は18億ポンド(3,600億円)にもなるという。

秘中の被なので、あまり詳しく述べられていないが、CRMで売り上げ・収益アップにつなげるということは、こういうことなのである。

最後にセグメンテーションの最終目標はone-to-oneマーケティングだとしばしば考えられているが、実際には個人へのone-to-oneマーケティングは実行不可能だと語っている。

One-to-oneは実は不必要で、「買い物習慣」においては、個人は他人と多くの共通点を持つのだと語っている。

普通CRMというと究極はOne-to-oneマーケティングと思われているが、さすがに経験と実績に裏打ちされたTESCOチームの言葉は違う。


個人情報保護

この本を読むと英国が日本よりも個人情報保護には厳しく、また先進的であることがわかる。そんな環境で実施しているTESCOのCRMはどの国の個人情報保護規制も満たすであろうことがよくわかる。

TESCOはClubcard憲章として、データは顧客が欲する商品の情報やオファーを送るために利用され、個人情報はClubcardの運営以外では、他のどの会社にも提供されず、個人情報を削除したい場合はフリーダイヤルで要求することができると規定されている。

消費者団体の中には、ジョージ・オーウェルの「1984」のビッグ・ブラザーの様にスーパーは消費者を「奴隷化」しようとしていると非難するところもあるので、TESCOは細心の注意を払っている。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)
著者:ジョージ・オーウェル
販売元:早川書房
発売日:1972-02
おすすめ度:4.5
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日本で「個人情報保護法」が施行されたのは2005年4月だが、英国にはその20年以上前の1984年に「データ保護法」に基づき「データ保護登録官」が監督する制度ができている。

1998年にはEUの法律と整合性がとられ、日本の「個人情報保護法」と同様の法律に変更されたが、「データ保護登録官」は「情報コミッショナー」と名前を変えて個人情報を保護しており、日本にはない制度だ。

TESCOは個人を特定できない統計データを除いて、顧客個人情報は第三者に渡さないことを遵守している。


クラブカードの未来への5つの挑戦

最後にTESCO Clubcardの未来への5つの挑戦として次を挙げている。


1.Clubcardは世界的なスキームになりうるか

TESCOは2004年の時点で日本を含む世界11ヶ国で事業展開しているが、TESCO Clubcardを展開しているのは顧客満足度追求で有名なSuperquinnと競合しているアイルランドとSamsungとの合弁で始めた韓国だ。

TESCOは他の国の小売企業からロイヤルティ・マーケティングを支援して欲しいとの要請を受けているが、今のところプリオリティではないとして断っている。

例外は2001年に53%の株を取得したdunnhumbyの米国展開で、dunnhamby USAは世界第5位の流通企業Krogerとdunnhumbyの50:50の合弁会社で、Krogerの既存カード(レジで提示すると会員価格が適用され割引になる)を利用してロイヤルティプログラムをつくることだ。


2.Clubcardは英国で最も普及したロイヤルティプログラムであり続けるか

TESCO Clubcardの強力なライバルで、全く異なるビジネスモデルがNectarである。TESCOはClubcardを通して顧客に還元されるべき現金は、すべてTESCOを通して使われるべきであるとの主義をあきらめていない。

Nectarは2002年の開始とともに世界を驚かせた。長期的にNectarとTESCO Clubcardのどちらかが成功するかは、まだ判断できないと結論づけている。


3.Clubcardは販売促進をより有効にできるか

販売促進策の効果測定は、販売増加額のみではない。単に低価格で買いだめしたり、チェリー・ピッカーと呼ばれるバーゲンハンターが買っただけでは、長期的な利益拡大にならない。

クラブカードデータを活用することにより、どの顧客が販売促進に対して積極的に反応するか、顧客のブランド嗜好はどのように影響されるかTESCOでは判別できており、販売促進に否定的な顧客に好意的に受け取られる様な販売促進も可能である。


4.Clubcardはその場でメリットを提供できるか

TESCO Clubcardの特徴の一つは、その場での割引に使えないことで、他の小売業が支払い時にポイントを割り引きとして使えるのに対して、TESCOは3ヶ月に一度のメールでのポイント券送付にこだわっている。

その理由は次の通りである。

(1)4半期ごとのメールは小売のカレンダー上主要なイベントとなっている
(2)レジでその場で特典払い戻しをしてしまうと、顧客がその店をこれ以上ひいきにする理由が薄れる
(3)3ヶ月の間に顧客はポイントを十分に貯められ、貯める楽しみが得られる
(4)3ヶ月ごとの郵便は顧客の現在の住所と世帯の情報の精度を高める。顧客を個人として捉えているので、メーカーから高く評価され、コミュニケーションの媒体をつくりだす。

しかし顧客が買い物を考えている時に、Clubcardを補強するケータイメールとかその場の割引やプロモーションを提供する手段はあるはずで、今後の課題である。

TESCOはCatalina社の提供するレジ・クーポンを補完的に使っており、効果を上げている。


5.ClubcardはTESCOの取引先メーカーを手助けできるか

TESCOは「データ保護法」の最も厳密な解釈を受け入れ、個人を特定できる購買データは第三者とは共有してないが、統計的な売れ行きデータはメーカーの販売促進策をより効果的なものにするために、メーカーと共有している。

2001年にdunnhumby社の株を取得した目的は、dunnhumby社に個人を特定できないデータを扱わせ、TESCOの仕入れ先と分析を共有するためである。

メーカーはTESCOで得た情報を、Sainsbury'sやAsdaなどでも使うかもしれないが、それは制限不能である。

またClubcardにより、メーカーは広告の有効性を確認できる。dunnhumby社はClubcardの個人の買う雑誌、好きなテレビ・ラジオショーなどの個人情報データを総合的に分析して、メーカーにメディアパッケージを提案している。


以上がTESCOポイントカードに関する概要だが、この本ではセグメンテーションの手法、「自社ポイント、共通ポイント、外部委託」のメリット・デメリット比較、TESCOのネットスーパー(世界最大のネット上の食品販売店)やTESCOの金融などの事業、米国KrogerでのCRM等についても説明しているので、これも興味深いので「続きを読む」で紹介しておく。

最新の現状が知りたくて英語の原書の第2版まで読んでしまったが、大変参考になる本であった。

翻訳のあとがきに監訳者が「本書はTESCOに関しての初めての書であり、顧客戦略のステルス性のため、すべてが明かされているわけではない。富士山の3合目ぐらいであろうか?」と書いてあるように、ノウハウという面ではほとんど開示されていないが、それでもTESCOがどう考えて、どういう行動を取ったのか正確に記されており、大変参考になる。

是非おすすめしたい本である。


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2008年09月22日

ドナウの東 1989年の東欧革命まっただ中からのレポート

ドナウの東ドナウの東―内側から見た東欧革命


9月始めに欧州に出張に行ったときに、ロンドンで法政大学ヨーロッパ研究センターによる関榮次さん「チャーチルが愛した日本」についての講演を聞く機会があった。

法政大学ヨーロッパ研究センターでは、各界の専門家を招いてほぼ毎月ロンドンでセミナーを開催しており、セミナーの内容は大変興味深いので、筆者もメーリングリストに加えていただいた。

法政大学ヨーロッパ研究センター






その時に山下啓一日経ヨーロッパ社長とご一緒した。山下さんは関さんがハンガリー大使だった時代にお世話になったと言っておられた。

山下さんの前任の小池洋次さんも法政大学ヨーロッパ研究センターで講演されているので、山下さんもいずれ講演されるのではないかと思う。

山下さんはウィーン特派員時代に、各国で連鎖反応的に起こった東欧革命をレポートした本を書かれているので読んでみた。


仕事と執筆活動を両立

山下さんは当時はウィーン・ワルシャワ特派員として、仕事を深夜までしてから、朝まで執筆したそうで、睡眠時間を切りつめてこの本を書いたと。さすがに体がもたず、その後は執筆活動は抑えているとのことだった。

やはり現役のビジネスマンが本を出すのは大変なことだと思う。

現在は絶版だが、アマゾンのマーケットプレースやオークションなどで手に入れることができるのは幸いだ。


1989年の東欧革命

時代は1989年から1990年。今から20年近く前のことである。

筆者は当時米国に駐在していたが、1989年6月の中国の天安門事件や、1989年11月9日(2001年のワールドトレードセンター攻撃の9.11に対してベルリンの壁崩壊は11.9と呼ばれる)のベルリンの壁崩壊前後に、東欧で共産党政権が倒れていった一連の政権交代をCNNで毎日見ていた記憶がある。

筆者は以前は鉄鋼原料を担当しており、1980年にウィーンと当時のユーゴスラビア、1992年からはアルバニア、スロバキアを毎年のように訪問していたので、この本を読んでなつかしく感じられた。


同時多発革命の謎 「ソ連の法則」

1989年の後半に集中してポーランド、チェコ、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア(独裁者チャウシェスク大統領夫妻は処刑された)の6ヶ国で連鎖的に政権交代が起きた理由は謎だ。

一説にはソ連のゴルバチョフ改革が東欧市民を目覚めさせ、近隣国の政変が波及したためだといわれているが、そうだとすれば、各国の政変にもう少し間が空いてもおかしくない。

山下さんはソ連、ユーゴスラビア、アルバニアでは革命が起こらず、ソ連の影響下にあった東欧6ヶ国だけに革命がおこった理由は「ソ連の法則」があったのではないかと推論する。

ソ連が経済力、軍事力、秘密警察の力で、改革派もコントロールしていたのではないかという議論だ。東欧の民主化はゴルバチョフ改革の方向に沿う活動だったので、ソ連も容認していたのが背景だ。

デモが厳しく規制されている体制下では、3万人を超える反政府主義者が立ち上がると、後は弾みがついて反政府運動が広がるという「3万人の法則」があると山下さんは語る。

しかし中国で革命が起こらず、東欧で革命が起こったことは、大衆の大規模デモだけではだめであり、なにか他の要因が必要である。

それゆえ各国の共産党政権とソ連が危機管理のために政変(書記長など指導者の交代)シナリオをあからじめ用意していたのではないかと山下さんは推論する。これが「危機管理の法則」だ。

ポーランドのヤルゼルスキー大統領などは、たしかに用意された政変シナリオと見えなくもないと筆者も思う。

最初の政変は共産党により用意されたものだったが、勢いがつきすぎて結果的に反政府運動を鎮めるどころか火に油を注ぐ結果となって、結局共産党は政権を失ったのではないかと山下さんは語る。

たしかにこう考えると6ヶ国で同時多発政権交代が起きた理由も納得できるところである。

今後紹介する関榮次さんの「ハンガリーの夜明けー1989年の民主革命」でも、この辺の事情が語られている。

共産党員も「愛国者」だったので、一党独裁を崩すと自分たちは政権を失うと分かっていながらも民主化を進めたのだと。


ドナウ川沿いの東欧各国

この本で山下さんはドナウ川の川下りの豪華客船モーツアルト号の黒海への旅に沿って各地の風景・風物と、政治体制の変化を国別に紹介しており、読み物としても面白い。

ちなみにモーツアルト号クルーズの旅行記をブログに書いておられる方がおられるので、紹介しておく。

1990年前後の東欧は景色はきれいで、物価も安かった。

筆者も1992年にスロバキアを訪問したときに、ホテルでは外貨はドイツマルクしか通用しなかったことと、レストランで3人でワインを飲んで食事したが、全部で35ドルだったことに驚かされた記憶がある。

1989年当時はヤミ為替レートがあって広場で売人が旅行者に声を掛けていたこと、あちこちでバナナを露天で売っていたこと、外貨持ち出し制限が厳しく空港で身体検査をしていたこと、東欧圏から西欧に数万人単位で大量逃亡が起きていたことなどの話が紹介されており、なつかしく思い出される。


東欧の最貧国アルバニア

筆者が毎年のように訪問していたアルバニアでは、ちょっと遅れて共産主義が崩壊し民主主義になったが、国としてはボロボロで、国民の約半分が巻き込まれたというネズミ講騒動で政府が崩壊してしまった。

最初にアルバニアに行った時は、首都ティラナに2軒しかない外国人用のホテルのレストランが夜9時頃で閉まってしまい、夕飯を食べ損ねて、持っていった機内食のパンを食べた経験がある。

同行した駐在員に言われて非常食として機内食の食べ残しのパンを持ち込んでいたのだ。

スイス航空でもらったアッペンツェラーというチーズも持ち込んだ。夏の間だったので、部屋の冷蔵庫に置いておいたが、部屋に帰ってみるとチーズは見事に溶けていた。

長い伝統のあるスイスチーズアッペンツェール長い伝統のあるスイスチーズアッペンツェール


部屋にコンセントが一つしかないので、ルームメーキング係が冷蔵庫のコンセントを抜いて、テレビを見ながら掃除して、中にチーズが入っているにもかからわず冷蔵庫のコンセントを抜いたままにしていたのだ。だいたい共産圏のサービスの質はこんなものだった。

どうでも良いことだが、食い物の恨みはおそろしいというか、筆者もこのことはいまだに覚えている。


東欧や旧ソ連のユダヤ人

この本ではユダヤ人の存在が「東欧社会の極めて微妙な要素となっている」とだけ記され、深く触れられていないが、東欧の反ユダヤ主義とか旧ソ連のユダヤ人(この本ではソ連のユダヤ人人口は約180万人と記されている)の動向に興味を抱いたので、今度図書館で調べてみようと思う。

ちなみに佐藤優氏「国家の罠」などの著書でイスラエルからロシアの情報を得ていたと語っている。旧共産圏のユダヤ人はかなりの力を持っていたはずだが、他の国民や体制側とどう折り合いをつけていて、現在どうなっているのか興味あるところだ。


旧ユーゴスラビア

筆者が訪問したことがある旧ユーゴスラビアやアルバニアもいずれ民主化は避けられないと山下さんは予想している。

ところで先日欧州に出張した時の取引先とのディナーの席で、何ヶ国に行ったことがあるかという話になった。

筆者は38ヶ国に行ったことがあると言うとみんな驚いていたが、ユーゴは1ヶ国じゃなくて分けてカウントしなければならないという話になり、それならクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(サラエボが首都)、セルビア・モンテネグロ(ベオグラードが首都)、マケドニアの4ヶ国で、合計41ヶ国だというジョークとなった。

昔はユーゴスラビアは、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と言われたものだが、本当に6つの国と一つの自治州となってしまった。


1990年12月発刊の本なので、ゴルバチョフのノーベル賞受賞までで終わっており、1991年8月の政変後、ソ連が崩壊することなど、その後のソ連の動きは勿論書かれていない。

しかし、「保守化のパラドックス」という話で、ゴルバチョフ退任を予想していたり、ソ連の経済改革は多難で、コメコン解体、独ソ接近、東欧がマルク圏となると予想していたり、予想がぴったりあたっている。

(注:「保守化のパラドックス」=改革派として最年少のメンバーがトップとなって改革を進めるが、保守派を排斥して改革派を入れすぎて、そのうち改革派の中ではトップが最も保守的になってしまう傾向のこと)。

さすが日経新聞の特派員として各国の首脳とのインタビューなどを通じて一級の情報を得ていただけある。山下さんの慧眼には敬服する。

「ソ連の法則」、「3万人の法則」、「危機管理の法則」、「保守化のパラドックス」などの分析も大変参考になる。

やや古い本ではあるが、東欧の簡単な歴史から、風物、1989年の東欧革命の舞台裏などがよくわかり興味深い。ドナウ川の川下りもいつかは行ってみたいものだ。一つの川下りで、これだけ多くの国を訪問できるのも世界でドナウ川だけだろう。

是非近くの図書館などで探して、手にとって欲しい本である。


参考になれば次クリック投票お願いします。


  
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2008年09月18日

大阪中之島に巨大観覧車?

大阪の中之島にロンドンやシンガポールにある巨大観覧車を建設する構想があるらしい。

今週の読売新聞が報道している。

ちょうど欧州に出張してロンドンの巨大観覧車の写真を撮ってきたので紹介しておこう。

遠くから見ると普通の観覧車だ。

kannransha2





あまりスケール感がわからない。

kannransha1





ところが近くで見ると、ひとつひとつのワゴンが巨大なことがわかる。一つで28人乗れるという。写真が不鮮明だが、左はダリの作品だ。

kannransha3





たしか高さ135メートルと言っていた。

世界最大の観覧車である。

隣の建物はロンドン市役所だが、マリオットホテルや美術館、レストランなどの商業施設も隣接されており、ロンドンの観光名所となっている様だ。

向かい側はビッグベンである。

big ben





日本でも巨大観覧車を建設したら観光名所になると思う。是非実現して欲しいものです。



参考になれば次クリック投票お願いします。






  
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2008年09月16日

不謹慎な経済学 細切れトピックで読後感「?」

不謹慎な経済学 (講談社BIZ)不謹慎な経済学 (講談社BIZ)
著者:田中 秀臣
販売元:講談社
発売日:2008-02-21
おすすめ度:2.5
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今度紹介するリチャード・クー氏の本に、田中秀臣氏への反論が取り上げられていたので読んでみた。

田中秀臣氏がまずクー氏の「バランスシート不況」という考え方について2004年に経済論戦の読み方 (講談社現代新書)で批判。それをクー氏が2006年の「「陰」と「陽」の経済学」で反論。

「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか
著者:リチャード クー
販売元:東洋経済新報社
発売日:2006-12
おすすめ度:4.5
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それに対して2008年2月のこの本でクー氏を再批判。それに対する再反論が今度紹介するクー氏の2008年7月の最新刊「日本経済を襲う二つの波」だ。論争は第2ラウンドといった感じだ。

日本経済を襲う二つの波―サブプライム危機とグローバリゼーションの行方日本経済を襲う二つの波―サブプライム危機とグローバリゼーションの行方
著者:リチャード・クー
販売元:徳間書店
発売日:2008-07-03
おすすめ度:4.0
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本で論戦すると一つ一つの主張の間に一年くらいインターバルがある。主張を知るには本を読まなければならないが、読者は論戦に興味があってそれぞれの本を読むわけではないだろう。

それ以外にメディアがないわけではないので、キャプティブな読者を対象に本で論争するのは止めて欲しいという気がする。


目次は次の通りである。このブログとしてふさわしくないと感じた章題は省いている。

はじめに 「お金がすべてではない世界」を創るために
第1章  パリス・ヒルトンが刑務所で得たもの
第2章  人間関係が希薄化したのは、みんなが望んだからだ

第5章  官僚の天下り、本当は正しい!
第6章  ニートもハケンも、役人の利権を生むだけだ
第7章  経済の安定は攻撃的ナショナリズムを和らげる
第8章  ボランティアを義務化すると、経済格差が拡大する
第9章  最低賃金を引き上げると、失業も雇用も悪化する
第10章 ノーベル賞受賞者は、なぜ人種差別主義者と呼ばれたのか
第11章 アルファブロガーはラーメン屋に行列する人と同じ
第12章 リークと無責任の海に沈んでいくトンデモ中央銀行
第13章 クーデターが戦前の日本をデフレ地獄に突き落とした
第14章 「主権在米経済」が失われた10年に幕を下ろした
第15章 W杯や五輪が終わると、開催国は不況になる
第16章 世界最大の債務国アメリカの経済はいつ崩壊するのか
おわりに エコノミストは横並びがお好き

週刊誌の中吊り広告の様なタイトルを並べた目次という感がある。

細切れとなったトピックの中で、印象に残ったのは、第7章のなかで猪瀬直樹氏が「週刊文春」に書いた「『右の左翼』のプロパガンダで孤立する靖国神社」というタイトルの記事。

靖国神社の遊就館の映画や図録では、「日米開戦は、アメリカが不況を脱出するために日本に戦争を仕掛けてきたものだ」という”事実”が宣伝されていると猪瀬氏が書いていることを紹介している。

筆者は実は花見以外は靖国神社を訪問したことがないが、この点をたしかめるためにも訪問しなければならないという気になった。


ジョセフ・スティグリッツ、ミルトン・フリードマン、ケインズ、高橋是清(「レフレ・レジームとしての高橋是清財政」)、ポール・サミュエルソン、ポール・クルーグマン、ベン・バーナンキFRB議長などの学説の簡単な紹介をトピックとしてちりばめており、軽い読み物にはなっているが、説得力という意味では逆効果ではないかと思える。


最後の「日本経済に奇跡は起こらない」というサブタイトルの結論は次の通りである。

では、どうすればいいだろうか。答えは簡単。日銀が名目経済成長率重視路線を採用し、緩やかなインフレ(2%前後)を目標とするリフレ政策にコミットすることである。」

この方策は、経済学によるきわめて正当な処方箋として、ここ数年来、何人ものエコノミストから主張されてきたが、日銀はいまだに採用していない。しかし、依然として真理であることをやめていないのである。」

たぶんこれが田中さんが一番言いたかったことなのだろう。日銀副総裁の岩田さんもリフレ論者だと聞くが、有力な反対論者もいて「真理」として確立しているわけではない。

リフレについては、はてなキーワードが簡潔な説明なので参照して欲しい。


週刊誌の中づり広告の様なキワモノの話題で注目を得て、多くのトピックをこなす軽い読み物になっているが、たぶんもっとマジメに議論を展開したら説得力も増したのではないかという気がする。

拝聴すべき主張と思えるだけに、残念な本である。


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2008年09月12日

メイドインチャイナ 「現場学者」関教授の中国進出企業レポート

メイド・イン・チャイナ―中堅・中小企業の中国進出メイド・イン・チャイナ―中堅・中小企業の中国進出
著者:経営労働協会
販売元:新評論
発売日:2007-12
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以前紹介した「現場学者中国を行く」の一橋大学関満博教授による2007年12月のレポート。

中国に進出した102社の日本の中小企業の現地での苦労話を中心にレポートしている。

102社もの話を読んでいると、それぞれの地区の特徴がよく分かる。

大連地区が33社、上海を中心にする長江デルタが39社、珠江デルタが30社だ。

大連など旧満州地区は日本語が話せる人材も多く、日本とのつながりが深く、製品は日本への持ち帰りが中心だ。

長江デルタは機械やコンピューターなどの多くの産業の集積地で、中国最大の需要地でもあるので、進出企業は中国の内需(日系企業向けも含め)向けが多い。

珠江デルタは電子部品の一大生産地で、「広東型委託加工」と呼ばれる工場の建物と従業員は現地側が提供する「合作」型が特徴で、最近は自動車産業も拡大しており、労働者の確保が難しくなってきているほどだ。

この地域は基本的に輸出基地だったが、最近は日系を中心に電機メーカーや自動車メーカー向けの販売も増えている。

日本の本社は従業員100人以下の中小企業が多いので、東京にあった工場が、東北に移転し、それから中国に移転した会社が多く、取引先に要請されたりして中国に進出し、日本にはもう会社がない企業もある。

まさに背水の陣で中国に進出してきているのだ。

個別の企業の話もそれぞれ面白い。

たとえば最初に紹介されているのは、日本の有力電子メーカーの中国進出のモデルと言われているカーオーディオのアルパインだ。

1988年に元社長の沓沢さんが少年時代に住んでいた遼寧省の丹東を訪問し、その後訪れた瀋陽で東北大学のソフトウェア技術に驚いたことが、同社が中国に進出したきっかけだ。

日本を引き払って社長自らプレス機1台で深圳テクノセンターに飛び込んだヒサダは、まさに背水の陣の典型例だ。現在はプレス機15台、従業員は260人の規模になったという。

日本ではマスコミに顔を見せたことがないという伝説の女性経営者、ミドリ安全社長を50年間勤める松村元子さんも写真入りで紹介されている。ミドリ安全は元々安全靴の生産のために広州に進出し、なめし革の工場をブラジルに持っていることを利用して、ホンダをターゲットに自動車シート生産を中国で始めたという。

ミドリ安全の作業服の合弁会社は中国側にマジョリティを売り、現在は中国人女性が社長となっている。

人間模様も面白い。

関教授の持論である「台湾企業が日本企業より成功しているのは、経営者が現地に駐在しているかどうかだ」という点についても、102社のうちわずかに5社のみで経営者自身が駐在しているが、経営者の親族が駐在している会社は6社あり以前より増えてきたという。

3年程度のローテーションのサラリーマン駐在者では、新たなことに取り組むことは期待しにくく、失敗しないように前例踏襲で行動しがちだという。

商社やメーカー出身の中国経験の長い人をスカウトして社長に据えている会社もあれば、中国人の日本留学経験者を採用したりして中国人をトップに据える会社も17社ある。

第二の人生として中国事業に賭けるシニアもいれば、20代の現地責任者もいる。

102社をレポートする600ページ弱の本なので、全体はざっと読み、興味のある会社や分野の企業についてじっくり読むと良いと思う。

それにしても関満博教授のエネルギーには感心する。中国各地、台湾、ベトナム、モンゴル、日本の地方活性化など400−700ページの本ばかり何冊も出版している。

定価7,000円という高い本なので、まずは図書館で探して読むことをお勧めする。


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2008年09月09日

英国ではハリアーハイブリッドは日本のほぼ倍の値段

先週ヨーロッパに出張し、ロンドンにも立ち寄った。

英国では日本車は少ないが、トヨタ車はハリアーハイブリッドが目立った。(海外ではハリアーはレクサスブランドで売られている)

Harrier in UK





多分プリウスよりもハリアーハイブリッドの方が多いと思う。

食料品などを除き英国の物価は日本の倍くらいの感じだが、自動車価格も日本より相当高い。

英国ではシートが革だったりして、装備も違うので全く同じベースの比較ではないと思うが、レクサスRX-400H SEで33,000ポンド(約660万円)、税金を加えると約40,000ポンド(800万円)だ。

英国レクサスのサイトでプルダウンでRXー400H SEを選ぶとハリアーハイブリッドの価格がサイトで表示される。

最高グレードのSELだと37,000ポンド(740万円)、税金を入れると44,000ポンド(880万円)だ。

中古車だと走行距離によってかなり価格は異なるが、筆者の買った3年前の車で15,000マイル程度の走行距離だと税金を入れて3万ポンド弱(600万円)だ。

日本の新車価格より高い。たぶん日本の中古車価格のほぼ倍だろう。写真ではわかりにくいが、ロンドン市内のショールームで展示していたものを紹介しておく。

Used car






英国の高級SUVマーケットではハリアーハイブリッドが一人勝ちだ

outsell







今年7月の販売台数はハリアーハイブリッドは前年比28%アップしているのに対して、ベンツMシリーズやレンジローバーディスカバリーなどの他社SUVは平均して30%ダウンということだ。

英国ではレギュラーガソリンが1.2ポンド/リッター(240円/L)と高いので、燃費の良いハリアーハイブリッドは人気が高く、中古車価格もあまり下がらない様だ。

筆者はハイブリッド車の補助金を受けているので、6年間は車を売れないが、実際に車を売るときには、英国と同じように人気車となって価格があまり下がらないことを期待している。


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2008年09月05日

ルービン回顧録 数々の金融危機を切り抜けた名財務長官の手記

ルービン回顧録ルービン回顧録
著者:ロバート・ルービン
販売元:日本経済新聞社
発売日:2005-07-26
おすすめ度:4.5
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ゴールドマン・サックスの共同会長を務めた後、クリントン政権入りして財務長官を務め、クリントン大統領から米国初代財務長官アレクサンダー・ハミルトン以来最高の財務長官と評されたロバート・ルービン氏の回顧録。

ルービン氏はこのブログでも紹介したサンディ・ワイル前シティグループ会長にリクルートされ、現在はシティグループの会長をつとめている。

アラン・グリーンスパン前FRB議長の回顧録を読んで、クリントン政権のルービン財務長官、サマーズ財務次官と強力なタッグを組んで米国のみならず世界の経済をリードしていたことがわかったので読んでみた。

全編を通してルービン氏の根っからの民主党びいきと、クリントン大統領への尊敬の念が溢れている。クリントンはたぐいまれな聞き手であると賞賛している。


日本に対しては手厳しい

メキシコ、タイ、インドネシア、韓国、ロシア、ブラジルなどの経済危機を財務長官として切り抜け、在任中に30年ぶりに財政黒字化を達成したことが、名財務長官といわれるゆえんだが、みずからの手柄としておごることなく、当事者として淡々と語っている。

ただ日本に対してはあまり良く書いていない。

そもそも日本の経済停滞が1997年から1998年までの一連のアジア経済危機の遠因となったという。

G7で圧力をかけたが、日本の橋本首相はもはや回復は目前だというばかりで、結局景気回復が遅れアジアの経済不安を増大させたという。

橋本首相に代表される日本政府の態度は、ゴールドマンサックス時代によく経験していたトレーダーが含み損の回復を祈る態度に似ていたと語っている。

それに対して中国の江沢民主席と朱鎔基首相はルービン氏の呼びかけに対して人民元の切り下げはしないと確約し、約束を守ったという。

中国のリーダー達は手強く、独立心が強く、圧力に屈しない。中国は日本よりも建設的な役割を果たしていると見なされることに満足していたとルービン氏は語る。

21世紀中に中国は恐るべき一大勢力となるはずであり、友好関係を築けば米国にも有益だろうと。

まさに「ジャパンパッシング」を代表している。民主党のオバマ氏がもし大統領になると、ルービン氏の影響力が増すと噂されているだけに、そうなると「ジャパンナッシング」につながることは間違いないだろう。


ルービン氏の経歴

ルービン氏は1938年ニューヨーク生まれ。父親は弁護士で、祖父は民主党の強力な支援者という家系だった。9歳の時に一家はマイアミビーチに転居し、ルービン氏はマイアミビーチの高校からハーバード大学に入学する。

ハーバードでは名門私立高校からのエリートに圧倒されるが、4年後の卒業の時は最優等でファイ・ベータ・カッパの会員資格を取得した。

筆者は米国に合計9年間駐在していたが、このファイ・ベータ・カッパの様なフラタニティ・ソロリティの活動については、誰かの履歴書で見たことがある以外は全く知識がなかった。Wikipediaの解説を引用したので、興味ある方は是非一読をおすすめする。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに1年間留学後、イェール大学のロースクールを卒業。奥さんのジュディとはイェール大学大学院在学中に知り合った。ジュディはフランス文学とクラッシックのボイスレッスンを学んでいたのだ。結婚後すぐに子どもが誕生する。

イェール大学卒業後、ニューヨークの弁護士事務所で2年間働いた後、1966年にゴールドマン・サックスに入社し、裁定取引の部門に配属される。

当時のゴールドマンサックスの伝説のトレーダーのグスタフ・レビーに鍛え上げられる。目の前にいる誰かに、嘘いつわりなく自分の関心を100%向けられる人。それはレビーとクリントンだったという。

ゴールドマン・サックスでは裁定取引やオプション取引をさらに進めて、デリバティブ取引を収益の大きな柱に育て上げた。大変な功績である。

1986年にはオプション取引でゴールドマン・サックスが1億ドルという大きな損失を被ったが、債券部門を崩壊から救った功績で1987年に同僚のスティーブ・フリードマンとともに共同会長に就任した。

ゴールドマン・サックスの共同会長に就任後、従来からの民主党への支援を積極化させ、マイケル・デュカキス候補の資金集めや、1992年の大統領選挙への民主党候補セレクションにかかわった。このときの候補の一人がオバマ氏が今回副大統領候補に指名したジョセフ・バイデン氏である。

選挙支援顧問団の一員としてクリントンの経済政策策定に協力し、大統領に当選したクリントンから政権入りの打診を受けるが、議会対策、マスコミ対策、政治的駆け引きなどの点で経験がないので、まずはそのときに創設されたNEC(National Economic Council)の初代委員長に1993年に就任した。

正式に政権を委譲受ける前からアーカンソー州のリトルロックにクリントン政権の主要メンバーと経済の専門家が集まって政策を議論していた。

財政赤字削減についてはグリーンスパン議長も一部参加して議論が進められた。このときにガソリン税引き上げも織り込まれた。

クリントンとグリーンスパンは初対面だったが、サックス以外に共通点があったと、それぞれの回顧録にこの時のことを書いている(グリーンスパン議長はジュリアード音楽学院で学んだ後、一時プロのバンドでサックスを吹いていた)。


財務長官就任直後にメキシコ経済危機

クリントン政権後最初の中間選挙で民主党は共和党に決定的な敗北を喫し、40年間ではじめて上下両院でマジョリティを失った。その後1995年1月にロイド・ベンツェンが財務長官を辞任し、ルービン氏が後任の財務長官に就任する。

グリーンスパン氏の回顧録にも語られていたが、ルービン氏が財務長官に就任した1995年1月にメキシコ政府はデフォルトを宣言する瀬戸際となり、経済危機に陥った。

メキシコは60億ドルの外貨準備しかなく、それを上回る短期債務の返済期限が迫っていた。

この時にクリントンは「それこそ、国民が私たちをここに送り込んだことなのだ。」と語り、世論調査では国民の支持が18%と低かったにもかかわらず、NAFTA反対論者の多い上院下院議員を説得した。

最終的には議会の承認が不要な外貨準備の一部の為替安定基金(ESF)を使って米国分200億ドルを資金提供し、IMF 100億ドル、カナダ等その他100億ドルを加えて、合計400億ドルの救援パッケージを準備した。

フラット化する世界」の著者のトム・フリードマンは、ニューヨークタイムズのコラムで、「クリントン政権が決定した外交政策の中で、最も人気がなく、最も理解されていないが、最も重要なものである」と高く評価したという。

メキシコペソがその後下落する局面もあったが、メキシコ危機は7ヶ月で終了し、1996年からはメキシコはプラス成長となった。そして米国はこの金融支援で14億ドルの金利収益を得たのである。


財務長官の役割

米国財務長官の役割は米国の財政・為替政策を通して、米国経済の安定的成長を確実なものとすることだ。

ドルは世界の基軸通貨となっているので、発行されているドル紙幣の7割は米国外で使用されている。米国経済が安定的に成長すれば結果として世界経済も安定的に成長するので、米国政府では外交政策を司る国務長官と並んで重要なポストだ。

政治家が就任したり、最近ではビジネス界から転身する例も多い。ルービン氏の前任は民主党の大統領候補にもなったロイド・ベンツェン上院議員で、現在の財務長官のポールソン氏はルービン氏と同じくゴールドマン・サックス出身だ。

財務省は傘下にIRS(内国歳入庁)、関税局、証券印刷局、シークレットサービス、専売局などを持ち、国際局、国内金融局、税制局、経済政策局などの巨大な政策決定部門をかかえる職員16万人の巨大組織だ。

インフレ率、失業率、ドルレート、生産性、貿易収支などの経済指標のいずれかが悪化すると、責任は財務長官にあるとされるのだ。それでいて、長官の権力は制約されており、16万人のうち100人程度の部下の人事権しかなく、それも制限されているという。

政策の決定権は実はホワイトハウスが持っており、長官はいわば二足のわらじを履く。政権メンバーながら、省を代表してホワイトハウスのスタッフに根回しをしなければならないのだ。いわば「分裂病」状態であると。


議会対応

議会対応はゴールドマン・サックス時代に経験した顧客戦術を活用したという。議会対応に長けていたのはグリーンスパン議長であるとルービン氏は語る。

グリーンスパン議長は、質問を受けると、たとえ的はずれな質問でも相手に敬意を表する。たとえば「地球が平らであるとは面白いお考えですな」というような感じでコメントする。

そして「質問を言い換えてもよろしいでしょうか?」と言いながら、全く違う質問を自らに問い、相手を煙に巻くようなニュアンスで答えるので、質問者はもっともらしい顔をしてうなずくか、よくわからないと認めるしかなくなる。

その上で、「ご質問の答えになっているでしょうか?」と尋ねる。すると議員は「はい」と答えるのだという。


為替相場と株式相場

財務長官の一言が為替相場に大きな影響を与えるので、ルービン氏は発言には気を遣っていたという。

具体例として出てくるのが「強いドルは国益にかなう(A strong dollar is in our interest)」という言葉から「強いドルを維持すれば国益につながる(I believe it's in our interest to maintain a strong dollar)」と微妙に言い方を変えたことだ。

翻訳だと何がなんだかわかなかったので、英語原文を読んで初めて理解できた。翻訳でも「と思う」という一言を付け加えれば、意味が通ったのではないかと思う。

いつも「強いドルは国益にかなう(A strong dollar is in our interest)」と言い続けていたこともあって1998年6月には円は146円にまで下落した。

そこで、日本円の下落には到底耐えられないとFRBのグリーンスパン議長、サマーズ財務次官他と協議を行い、介入を実施した。すると円は136円まで反発し、その後も円安には戻らなかったという。

財務長官の責務として株式市場の動きにも眼を向けていた。グリーンスパン議長は「根拠なき熱狂(irrational exuberance)」という名言を残したが、ルービン氏は「株式市場は変動するものだ」と株式市場についての発言は差し控えていた。

唯一の例外は1997年10月27日の株価暴落で、この日はグリーンスパン議長も招いて相談し、「ここ数年、アメリカ経済の基礎的要因は非常に安定しており、現在も強固である」と発表した。

グリーンスパン議長とは個人的にも親しくなり、サマーズ財務次官も交えて毎週朝食会をおこなって議論していたという。

アメリカ経済が長期安定的に成長している理由は生産性が向上したからであることを見抜いたのは、グリーンスパン議長が最初だったという。


相次ぐ経済危機と「火消し長官」

ルービン氏はクリントン政権の二期目の半ば、1998年中に財務長官を辞任して、後任にサマーズ次官を推すつもりだったが、辞任が1999年7月に延びたのは、1997年7月のタイバーツ危機に始まる韓国、インドネシアのアジア経済危機、そして次のロシア、ブラジル経済危機、LTCM破綻などが続いたためだったという。

ルービン氏は就任直後にメキシコ経済危機を手がけた経験があるが、アジア経済危機は世界金融市場に与える影響の大きさからいって比較にならないという。

アメリカがIMFと強調して軍事同盟国の韓国の経済危機を救った舞台裏も描かれていて面白いが、経済危機の韓国から日本の銀行は融資を引きはがしたと、またも日本が酷評されている。

1998年8月のロシアのデフォルト宣言の日に、クリントン大統領はモニカ・ルインスキーとの不倫疑惑を認め、テレビで謝罪演説するという政治的混乱があったが、多くの核兵器を持つロシアが経済破綻すると核兵器のイランなどへの流出も起こりかねないとして、アメリカはIMFとロシア救済に乗り出す。

このときに破綻したのがノーベル賞受賞者2人をチームに入れていたLTCMだ。

ルービン氏は、アジア・世界経済危機の時に、貸手側のモラルハザード(ハイリスク・ハイリターンの投機を行った富裕層・金融機関を助けるのか?という議論)が必ず話題に出たが、世界経済の成長のためにいずれの時もアメリカは支援を主導したと語る。

1999年に入るとロシアとブラジルを除き、韓国などアジア各国は経済成長に戻った。

ほとぼりがさめると韓国の蔵相は予想より金利が0.25%高くなるとして、協調融資を断る発言をしたので、ルービン氏はキレたという。

後に共和党政権で財務長官となったポール・オニール氏は、ルービン氏のアジア経済危機支援を「火消し長官」として批判していたが、結局2001年のトルコ、アルゼンチン、ブラジルの経済危機にはIMFと一緒に支援した。

ルービン氏は「火消し長官」とオニール氏から揶揄されたときに、「いざとなったら手を貸すに決まっている」とつぶやいたものだが、それが的中したと語る。


クリントン政権でやり残したこと

ルービン氏がクリントン政権で達成したかったができなかったことの第一は、ヒラリー大統領夫人が中心となって取り組んだ抜本的な医療制度改革だという。

ヒラリーは世間でのイメージとは裏腹に、反対意見や議論に流されやすかったという。暗にミスキャストだと言いたい様だ。


シティグループ会長に就任

1999年7月にルービン氏は辞任し、外交問題評議会やいくつかの慈善団体に関わった後、サンディ・ワイル氏に誘われてシティグループ経営執行委員会会長に就任する。

ルービン氏の退社時にはゴールドマン・サックスは6,000人の社員を抱え、大所帯だと思ったが、シティグループは102ヶ国に拠点があり、社員は18万人の世界最大の巨大金融機関だ。

ルービン氏はシティグループに入社して、他の二人の共同会長であるサンディ・ワイルとジョン・リードの確執を眼にする。

決定的だったのはリードが推進するインターネット活用策のeシティ計画についての意見の相違だ。結局三人を除く取締役会が議論して、サンディ・ワイルを単独CEOにして決着がついた。

ルービン氏は財務長官退任後、フォードの取締役も引き受け、ファイアストンタイヤの欠陥問題やナッサーCEOの解任を経験する。


2000年のインターネットバブル崩壊

ルービン氏はウォーレン・バフェット氏と30年以上のつきあいだが、バフェット氏はインターネットバブルの時に、市場が過大評価されていると判断していた数少ない人物の一人だったという。

2000年1月に象徴的な出来事があったという。

あるインターネット企業のCEOがルービン氏を訪問してきて、既存金融サービスシステムを一掃する画期的な技術を開発したので、自分の会社と提携しなければシティグループは生き残れないだろうと言ってきた。たいして利益もない会社がピークでは時価総額は200億ドル(2兆円)を超えていたという。

ルービン氏がシステムのことはわからないので、システム部門と話してくれと言うと、CEOは困惑して、「システム部門の人間では話にならない。社員が路頭に迷ってもいいんですか?」と言い出した。実に驚くべき会談だったという。

結局何とかシステム部門の人間と会わせたが、めぼしい話はなく、後にその企業の株価は急落した。

2000年初めに1、527だったS&P500指数は2002年秋には777まで落ち込み、NASDAQに至ってはピークの5、049から、1、114へ8割近く下落した。

筆者もこの時米国に駐在していてインターネットバブルを経験した。

某インターネット企業の株式を1999年12月のIPO時に43ドルで手に入れたが、1ヶ月で300ドルを超え、2000年3月に一部売却したときは平均200ドルを超えていた。しかしその後半年で10ドル台に下落した。まさにローラーコースターだ。

ルービン氏は長期的な業績よりも、短期的な見通しと4半期ごとの利益を重視する現在の株式市場の傾向は気がかりであるが、長期だけ見ていてもいけないと忠告する。


「財政大論争」

2001年のブッシュ減税ではルービン氏は「財政大論争」と呼ばれる反対意見の急先鋒だった。

サプライサイド経済学の理論は、財政引き締めと減税が経済成長を支え、結果的に政府の歳入は増加するというもので、これが1980年代の、レーガノミクスの論拠となった。

レーガンの経済政策は「ブードゥー・エコノミクス」と批判されたが、絶大な人気に支えられドラスティックなレーガン減税が実施された。

筆者も当時米国に駐在していたので、最高50%を超えていた所得税率が一挙に15%と27%(記憶が正しければ)に単純化されたのには驚いた記憶がある。

共和党の減税とスターウォーズ計画に代表される軍事力強化の財政支出拡大が1980年代の巨額の政府赤字につながり、レーガン政権8年間とブッシュ政権4年間で1992年には財政赤字はGDPの4.7%にまで拡大した。

それゆえクリントン大統領は財政再建を第一目標にかかげ、財政支出引き締めとガソリン増税などによる歳入改善に取り組んだ。

90年代末に株式市場が高騰したこともあり、1998年からは30年ぶりに財政黒字を達成した。これはクリントンの経済政策の成果であり、ルービン財務長官の花道を飾った。

ブッシュ政権となっても議会予算局(CBO)は向こう10年で政府の財政黒字は5兆6千億ドルになるとの予想を維持していたことから、ブッシュ大統領は公約通り減税を発表した。

グリーンスパン議長は2001年1月に”大幅な”減税はやるべきでないと語ったが、それは結果的にブッシュ減税に賛同したと見なされた。

グリーンスパン議長の議会証言の前に、ルービン氏がグリーンスパン氏に電話して、ブッシュ減税をやめさせるような発言を求めたことは、グリーンスパン議長の回顧録でも記されている。

ルービン氏は2001年2月にニューヨークタイムズに大規模な減税は政策ミスであり、ベビーブーマーの退職に備え財政黒字を維持するべきだという論文を発表したが勝ち目はなく、ブッシュ大統領は選挙公約通り2001年6月に減税に踏み切った。

筆者も減税のドルチェックを受け取った。思ったよりも大きな金額なので、驚いた記憶がある。

そうすると株式市場は2000年に大幅下落していたこともあり、減税から数ヶ月後に財政赤字となった。

CBOの予想が全く間違っていたのだ。

加えて2001年9月11日にはテロが起きて、アメリカ経済の成長は鈍化し、財政赤字は拡大する一方となった。


財務長官を退任しても影響力は絶大

9月11日のテロ攻撃の後に、ルービン氏はGEの前CEOのジャック・ウェルチから電話を受け、ウォレン・バフェットとジャック・ウェルチと一緒にテレビの人気番組60ミニッツに出演し、閉鎖されていた株式相場を早期に安定化させる発言を行った。

ルービン氏は財務長官を退任しても、大きな影響力を持ち続けている。クリントン氏が言うようにハミルトン以来最高の財務長官かどうかはわからないが、たしかに幾多の修羅場をくぐり抜け、財政黒字を達成した功績は高く評価されるべきだろう。

ルービン氏は最後に国際共存時代について語り、「可能な限り最善の答えを追求する旅」は果てしなく続くと結んでいる。

確率論者のルービン氏らしいエンディングである。


近々紹介するグリーンスパン議長の回顧録は自らが書いたもので、英文も格調高い。それに比べるとジャーナリストに書かせたルービン氏の回顧録は、平板で面白みに欠けるが、ゴールドマン・サックス時代にデリバティブ取引を拡大させた功績も、財務長官としての功績も抜きんでたものがある。

世界経済危機の「火消し長官」による舞台の裏側がわかる、ややとっつきにくいが、じっくり読むと味がわかるおすすめの本である。


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2008年09月02日

「現場」学者中国を行く 一橋大学 関満博教授の中国定点観測

「現場」学者 中国を行く「現場」学者 中国を行く
著者:関 満博
販売元:日本経済新聞社
発売日:2003-04
おすすめ度:4.0
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関満博 一橋大学教授の20年にわたる中国定点観測レポート。

先日関教授の講演を聞く機会があり、非常に参考になったので読んでみた。

筆者が中国に始めて行ったのは1983年で、それ以来中国訪問は7回程度、最近では2002年だ。

中国に行ったのは1983年が最初だが、中国とのビジネスは1976年から手がけていた。

中国の会社(五金公司)とは電報で連絡を取っていたと言うと、いまどき戦前の話かと思われるかもしれないが、当時は中国地方企業との唯一の通信手段は電報だった。

関教授が中国に初めて行ったのは1987年で、それ以来70回以上訪中し、1,000社以上の企業を訪問したという。

同じような時期に中国訪問を始めたので、昔の中国の印象も大体同じで、納得できる点が多い。関教授は、なにせ70回以上も訪中し、1,000社以上の企業を訪問しているので、現場の動きをよくつかんでいる。

関教授は他にも600ページ弱の「メイドインチャイナ」など、中国進出関係の大作を何冊も出しているので、こちらも現在図書館で借りて読んでいるところだ。

メイド・イン・チャイナ―中堅・中小企業の中国進出メイド・イン・チャイナ―中堅・中小企業の中国進出
著者:経営労働協会
販売元:新評論
発売日:2007-12
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この本のタイトルにあるように、「現場」学者という面では、右に出る人はいないのではないかと思う。


この本の構成

アマゾンのなか見検索には対応していないので、ちょっと長くなるが目次を紹介しておく。

プロローグ 中国は「世界」そのもの

第1章 中国経済の見えないルール
 1. 「自転車理論」、「ライター理論」、「エレベーター理論」で理解する
 2. 見えないルール ー 過剰人口と戸籍制度
 3. 「単位」に縛られる人生

第2章 中央無視の「広東型委託加工」
 1. あなたは東莞に行ったことがありますか?
 2. リスクを排除した最強のビジネスモデル
 3. 低賃金を支える無尽蔵の出稼ぎ労働者
 4. 日中の架け橋 ー 深圳テクノセンター

第3章 未曾有の世界都市に向かう上海経済圏
 1. 上海消費市場の向かうところ
 2. 閔行、漕河瓠虹橋の実験から、浦東新区開発へ
 3. 台湾企業が集結する上海の郊外都市

第4章 日韓企業が主役の北東アジア経済圏
 1. 日本企業が集積する大連
 2. 地場企業と韓国企業が目立つ青島
 3. 日韓企業が伯仲する天津
 4. 北東アジアの交差点 ー 瀋陽、丹東

第5章 知られざる中国内陸産業の実態
 1. 「三線建設」が内陸を工業化した
 2. 内陸で戸惑う日本企業
 3. ハイテク部門と私営企業の意外な発展

第6章 日本企業は何に直面しているか
 1. 日系家電・バイク企業の撤退
 2. 日本企業が一番コストが高いのはなぜか
 3. 現地化著しい韓国企業
 4. 中国に定着する日本人

第7章 中国企業はどこに向かうのか
 1. 中国における「企業」とは何か
 2. 変わらない国営企業の実態
 3. 「郷鎮企業」とは何か
 4. 民営化され、消滅する郷鎮企業
 5. 中国企業の将来を読む

第8章 中国ハイテク産業化の担い手
 1. 北京シリコンバレーの実験
 2. 東北大学の輝き ー 瀋陽
 3. 日本と中国の新たな芽

エピローグ グローバルとローカルに新たな可能性を

それぞれのサブタイトルに、さらに細かい見出しが掲載されており、目次を読んだだけで内容が推測できる優れた目次である。

2003年4月発刊で5年前の本だが、内容は全然陳腐化していない。中国の経済発展の本質と地域別の特徴を鋭く分析している大変参考になる本である。

関教授も大前研一さんが「チャイナインパクト」で指摘した、「メガリージョン」として中国をいくつかの地域に分けて理解するという議論に賛同し、さらに「先進国的な部分」と「後進国的な部分」が混在しているという見方を加えている。


中抜きされた中国の世代構成

中国は1966年から10年間の文化大革命で、前後をふくめた15年間は十分な教育がなされなかった。だから現在45歳から60歳の世代は中抜きされ、支配階級の60歳以上から、一挙に次の世代は45歳以下に若返っているのである。(この本は5年前の本なので、本文で記載されている年齢に5歳足した)

たしかに筆者も中国の人とつきあって、急に若返りが進み、ダイナミックに資本主義的に行動する人が増えたと感じている。

その理由を、関教授は45歳以下の人たちは「物心ついたときから市場経済」世代で、工場で働く20−25歳以下の人たちは「生まれたときから市場経済」世代だからであると説明する。

日本人には中国に対する微妙な感情があり、中国が成功しては困るという感情があるが、このような「縮み志向」は日本の可能性をつみ取ってしまう。「中国の成功は、わが国の成功、ひいては東アジアの安定につながる」という大きな視野を持って、新たな歴史をつくることに積極的に協力し、共通の基盤を形成しながら、そのエネルギーをもらうべきだと関教授は語る。


中国経済を理解するための7つの視点

中国経済を理解するための次のような7つの視点が紹介されている。

1.独特な社会主義 ー 基本は変わっていない
2.組織構造の基本 ー フルセット主義
3.過剰人口が背景 ー 戸籍、単位、档案(とうあん、個人の公的履歴書)
4.共産党の存在  ー そのメリットの範囲の改革
5.地域による特殊性ー 経験が他地域で通用しない
6.中国の人々    ー 45歳を境に価値観が違う(これも原文に+5歳した)
7.日本人の心    ー ねじれた思いをどう乗り超えるか

ちなみに次が中国の行政地図である。

China Map






出典: Wikipedia


中国を理解するための三つの理論

初めに関教授は日本人が理解しにくい中国の仕組みを次の3つの理論を挙げて説明している。

1.「自転車理論」
  中国の自転車は乗るとすぐにどこかが壊れる。そのせいかそこら中に自転車修理屋がある。直してもまた壊れ、1年くらい修理を重ねるとやっと「完成車」になる。中国の製品はだいたいこうしたものであると。法律や制度にもこの「自転車理論」が当てはまるのだと。

2.「ライター理論」
  中国で売れるのは、格安の100円ライターと外国製の数万円のライターで、中途半端なものは売れない。日本企業の合弁会社の製品はこうした中途半端なものが多く、家電にしてもオートバイにしても結局中国国産の品質が向上してくるとシェアを失うのである。

3.「エレベーター理論」
  中国に日本のビデオメーカーが鳴り物入りで進出したが、結果はさっぱりだった。中国ではVCD(Video-CD)が普及し、さらにDVDに向かっている。FAXも同様でさっぱり普及せず、eメールに変わった。日本では一歩一歩階段を登るような形で進歩していくが、中国はエレベーターに乗っているように、いくつかの段階をパスして日本を追いかけてくるのだ。


中国特有の三つの制度

中国の実情を理解するために重要なのは、次の3つの制度だ。

1.一人っ子政策 
  1970年代末から厳しく実行され、現在20代の若者ならば兄弟はいない。一人っ子政策は、大学進学率向上には役立っているが、このままいくと30年後は超高齢社会となってしまう。

2.戸籍制度
  中国には戸口(戸籍)制度があるため、人々は自由に移動できない。農村戸口の人が都市戸口に移る最大のチャンスは大学に合格することだ。広東省などは、暫定戸口を発給することで、内陸の安くて豊富な労働力を大量に導入している。

3.「単位」に縛られる人生
  人民公社や国営企業のある町は、昔はすべて人民公社や工場で完結した社会をつくっていた。国家の年金はなく、国営企業が年金を負担し、教育、医療費、住宅提供などの福利厚生のすべてを負担していたのである。中国の国民のすべてが都市では国営企業、農村部では人民公社の「単位」に属することになっていたが、人民公社がすたれたため、農民には年金も福祉もなくなっている。

その「単位」での履歴書が档案(とうあん)だ。档案は本人は見ることができず、「単位」が保管している。


あなたは東莞に行ったことがありますか?

関教授は講演会の初めに、「あなたは東莞に行ったことがありますか?」と聞くという。筆者が参加した講演会でもそうだった。全体的な傾向として大体1割前後なので、「今どき東莞を見ないでよくやれていますね」と脅すと、講演がスムーズに進むという。

珠江デルタ







香港から深圳、そして広州に至る途中の東莞市はOA機器、電子電器パーツや自動車部品の製造業の中心として、大変な発展を遂げており、戸籍人口150万人の東莞市に500万人以上の出稼ぎ労働者がいるという。

出稼ぎ労働者の大半は農村出身の若い女性で、一部屋に2段ベッド6−8台が置かれた寮で集団生活をして、お金を貯めて数年で出身地に帰るのだ。

東莞には台湾企業が4,000社以上進出し、日本企業も多く進出している。


広東型委託加工

広東省では、「広東型委託加工」という仕組みがあり、土地、建物、従業員は中国側が提供し、外資は生産設備を導入する。工場の管理も外資が行うが、中国には直接投資していないので、中国では法人税は発生しないというしくみだ。

中国の中央政府はこの形の委託加工を認めないとの指令を出したが、広東省は中央の意向を無視して続けている。

製品は本来輸出100%だが、広東省型の場合中国国内ユーザー向け販売も「転廠」ということで認められている。

筆者も25年前に中国で委託加工(中国側は「合作」と呼んでいた)をやった経験がある。フィリピンの原料を中国の中国浙江省に持ち込み、電気炉で製品に加工して、日本に持ち込む方式だ。

当時外人には非開放地域にあった浙江省の横山工場では、筆者の訪問の歓迎宴に備えるために数日前にスッポンを捕まえて飼っていてくれた。素朴なホスピタリティに感激するのと、アルコール度50%を超す強烈な汾酒(山東省産の白酒ということだった)の乾杯攻撃には、本当にまいった思い出がある。

この本では「深圳テクノセンター」という日系企業向けのインキュベーション工業団地のことが紹介されている。筆者の先輩がそこで働いていたので、筆者も2002年に訪問したことがある。


地域別の特色

詳しく紹介しているときりがないが、上記の目次のように上海、大連、青島、天津、などについてそれぞれの地域の特色が簡潔に述べられていて参考になる。大前さんが「チャイナインパクト」で「メガリージョン」と呼んでいる通りだ。

中国の内陸部についての「三線建設」というのは、1964年に毛沢東が打ち出した防衛線のことで、これに基づいて軍需工場などを沿岸部から内陸部への移設した。防衛上沿岸部が第一線、四川、貴州、雲南を中心とする西南地域から甘粛省などの西北部を結ぶ線を第三線と呼び、その間の地域を第二線と呼ぶ。

四川省の重慶などの奥まったところに軍需工場が建設され、沿岸から1,000キロ程度離れているので、日本軍の爆撃機の航続距離では届かなかったという。

日本企業では四川大地震で有名になったヤマハの他、スズキ、いすずなどが進出している。

ちょうど8月30日に四川省で再度大地震が起こったが、筆者も震源地四川省攀枝花(ハンシカ)市の鉄鋼メーカーを訪問したことがある。四川省の山奥で、駅からかなり離れたところにある工場の町に高層マンションや流しのタクシーがあったので、驚いた記憶がある。

内陸にも重工業で栄えた都市があり、特に四川省は四川サイエンスパークと呼ばれる核開発の拠点があると言われている。

参考になるトピックが満載だ。

たとえばホンダは最大のコピーメーカーである海南島の新大州というメーカーに資本参加するという離れ業を演じている。コピーでも品質は良いということを認めた形だ。

「スタバではグランデを買え!」でも紹介されていた100円ショップの仕入れ元の集積地、浙江省の義烏市の常設見本市の「中国小商品城」や、中国のシリコンバレーの北京や東北大学のソフト開発も紹介されている。

非常に盛りだくさんで、参考になる事例と解説が満載である。中国と取引がある人には是非おすすめできる本だ。


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Posted by yaori at 00:11Comments(0)TrackBack(0)