2011年01月27日

それでも日本人は戦争を選んだ わかりやすいFAW解説

それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
著者:加藤 陽子
朝日出版社(2009-07-29)
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日本近代史を研究する加藤陽子東大教授が、神奈川県の名門私立校栄光学園の歴史研究部の生徒相手に行った講義録。20万部以上売れてベストセラーになっている。

歴史の全体の流れはむしろ以前紹介した半藤一利さんの「昭和史」のほうが流れをとらえているが、日本が第2次世界大戦に突入するときに、どのような歴史のFAW(Forces at work:そこに働いている力)があったのかよくわかる。

昭和史 1926-1945昭和史 1926-1945
著者:半藤 一利
平凡社(2004-02-11)
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筆者は神奈川県の湘南高校サッカー部だったので、栄光学園に練習試合で行ったことがある。整ったスポーツ施設に驚いたものだ。

県立高校である湘南高校ではグラウンドをサッカー部、野球部、ラグビー部が合同で使っていたので、放課後の同じ時間帯に1/3ずつ使うという感じだったが、たしか栄光学園では野球場、サッカー場、総合グラウンドと分かれていた。

練習はたしか週3日という話だったと思う。湘南高校サッカー部は当時関東大会の県予選で決勝まで行き、奥寺康彦のいた相模工大付属高校に負け準優勝に終わったほどの強豪だったが、この時は栄光学園に練習試合で負けたので、顧問の鈴木中先生が「週3日しか練習していないところに負けるのか!」と怒っていたことを思い出す。

閑話休題。

小学区制の「神奈川方式」のため、湘南高校は筆者のいた当時のレベルとは比較にならないほど学力が落ちてしまったが、栄光学園は昔も今も神奈川県というより全国の私立校トップの座を守っている。

この本は栄光学園の歴史研究部の中学1年生から高校2年生までのメンバーを相手に、5日間にわたって加藤教授が行った歴史授業の筆記録だ。

戦争と憲法

加藤教授はまずジャン・ジャック・ルソーの戦争の定義を説明する。端的にいうと「戦争とは相手国の憲法を書き換える」ものだと。たしかに終戦後のマッカーサー憲法が良い例である。

二人の歴史学者

歴史研究部の生徒に対して、先人として二人の歴史学者を紹介する。

一人はE.H.カー ケンブリッジ大学教授だ。外交官、新聞の論説委員から63歳でケンブリッジ大学教授に就任した変わり種で、今だに読まれているロングセラーで、学生の必読書ともいえる清水幾太郎訳の「歴史とは何か」の著者だ。

歴史とは何か (岩波新書)歴史とは何か (岩波新書)
著者:E.H. カー
岩波書店(1962-03-20)
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筆者もこの本は学生時代に読んだ(ほとんど内容を覚えていないが)。

カーは「危機の20年」という本の中で、戦死者が1千万人を超えた第1次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないように組織された国際連盟が、わずか20年しか持たずに再び戦争が起きた理由を、国際連盟という原理そのものが間違っていたと主張する。

危機の二十年―1919-1939 (岩波文庫)危機の二十年―1919-1939 (岩波文庫)
著者:E.H.カー
岩波書店(1996-01-16)
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英国は国際連盟をバックに言葉でドイツを押さえ込もうとするのでなく、海軍力を増強して、ドイツを押さえ込むべきだったとカーは主張する。当時の世界恐慌でそれができなければ、国際連盟を通してでなく、ドイツと真剣に交渉するべきだったと。

カーはまた「歴史は科学だ」と主張した。歴史は教訓を与えるからだ。

加藤教授が取り上げるもう一人の歴史家は、「歴史の教訓」を書いたハーバード大学教授のアーネスト・メイだ。

歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)
著者:アーネスト・R. メイ
岩波書店(2004-04-16)
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メイ教授は、ベストアンドブライテストと呼ばれ当時の世界最高の頭脳を結集したアメリカ政府が、ベトナム戦争にのめり込んでいった理由を「中国の喪失」であると説く。

「ベストアンドブライテスト」はディビッド・ハルバースタムの同名の本もある。マクナマラなどを中心に描くこのノンフィクションも面白い。

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)
著者:デイヴィッド ハルバースタム
朝日新聞社(1999-06)
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アメリカは蒋介石の国民党政府に巨額の資金と武器援助をして日本との戦争に勝利したが、終戦からわずか4年で国民党は中国本土から追い払われた。この辺の事情を詳しく書いたのが、バーバララ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」だ。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
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子の本も面白い。

アメリカは中国の内戦では何もできなかった、この「中国の喪失」経験が、腐敗した南ベトナム政府に肩入れして、北ベトナムに勝つまで介入するという形で、泥沼の軍事介入、そして敗走という結果を招いたのだ。

またローズヴェルトは(加藤教授はルーズベルトとは呼ばない。最近の歴史の授業でも、この様に教えているのかもしれない)、ウィルソンの失敗を繰り返さないということで、「交戦相手とは交渉せず、無条件降伏以外認めない」という態度を貫いた。

これにより途中で何度もあった講和のチャンスを無にし、結果的にアメリカ国民の損害を増大させ、なによりも共産国も勝利国の一員となったことで、戦後の東西冷戦構造を生み、結果的に世界を不安定にした。

ウィルソンの休戦提案に応じてドイツは第1次世界大戦の停戦に合意したのに、パリ講和会議で英仏はウィルソンの条件を無視したので、ドイツは損をしたという意識が根底にあった。それゆえ第2次世界大戦に突入したのだとローズヴェルトは考えていたという。

「とにかく妥協をしてはいかん。妥協して失敗したのは1918年だった」とローズヴェルトは言っていたという。

これらの事例を「歴史の誤用」の例としてメイ教授は挙げている。


第1章以下の目次

以上がこの本の序章で、第1章以下は次の構成となっている。

1章 日清戦争

2章 日露戦争

3章 第1次世界大戦

4章 満州事変と日中戦争

5章 太平洋戦争

歴史家らしく、余り知られていないFAWを取り上げ、歴史が面白く学べるように講義しているところがすばらしい。アマゾンの売り上げランキングで1,000位前後とよく売れている理由だろう。

詳しく紹介しているとあらすじが長くなりすぎるので、参考になったFAW(Forces At Work)を箇条書きで紹介しておく。

★日本は安全保障上の理由から植民地を獲得し続けた特異な国だった。
これが加藤教授が日本が戦争を選んだ第一の理由に挙げているFAWだ。

★日露戦争の時に「非常特別税法」ができ、市街地の地租は20%まで引き上げられ、所得税はほぼ倍となった。戦時中のみのはずが、ロシアから賠償金が取れないので、戦後も継続され、納税額10円以上という選挙権基準に合う人が激増した。結果的に有権者が地主中心から、商工業者や実業家まで広がり、政治家も産業界出身者が増えた。

★第1次世界大戦で日本が地中海に艦隊を派遣した際には、戦後の講和会議での植民地分割について、イギリス・フランス・イタリア・ロシアとの間でお互いに認め合うという密約を交わしていた。中国は猛反発したが、フランスのクレマンソーとイギリスのロイド・ジョージが、苦しいときに助けてくれたとして日本を支持して山東半島の日本の権益が認められた。

日本艦隊の地中海派遣については、関榮次さんの「日英同盟」のあらすじを参照してほしい。

満州事変を計画した石原莞爾の最終戦争像は、日米の航空機決戦で、中国を本拠地にして戦えばソ連とは20年でも30年でも戦争を継続できるというものだった。

★1931年7月に当時の東京帝国大学生に「満蒙のための武力行使は正当か?」というアンケートをとったら、9割が賛成していた。その2ヶ月後に満州事変が起こった。この本のタイトル通り、日本人は戦争を選んだのだ。

★満州事変が起こり、民政党の若槻内閣の必死の沈静化努力にもかかわらず、朝鮮軍司令官だった林銑十郎が閣議の否決に憤り、当時日本軍の最精鋭といわれた朝鮮軍を独断越境させてしまう。関東軍1万人に対し、満州を支配する張学良軍は20万人ともいわれ、関東軍だけでは劣勢が目に見えていたからだ。

★満州事変が起こり、蒋介石は「公理に訴える」ということで、国際連盟による仲裁を求める選択をした。後に予想される日中交渉の際に、国際世論の支持を得ていた方が有利となるという判断と、国民の関心を国際連盟に向けさせるという意図だったと、スタンフォード大学フーバー研究所が公開している蒋介石日記に書いてあるという。

満州は張学良が支配していたので、張学良が日本軍と合意に達してしまえば、国民党政府は手出しが出来ないという恐れもあり、国際連盟に持ち込んだという背景もある。

これを受けてイギリス人リットン伯爵を団長とする調査団が1932年2月から調査にあたり、1932年10月に報告書を提出する。

★1932年連盟脱退の時の外相は内田康哉で、「焦土外交」という強い言葉で、日本の強硬路線を強調し、中国が宥和策を出してくるのを待つという作戦だったようだ。

蒋介石も日本と事を構える前に、共産党を撃とうとして、1932年7月には駐日公使を呼んで、日本に対しては提携主義を取り、宥和策をすすめていくことを指示した。

★内田の強硬策は成果を上げているように思え、1933年1月に内田は天皇に連盟脱退は避けられるという上奏をしている。しかし、これには天皇はじめ、牧野伸顕内大臣も不安を感じていたという。松岡洋右全権代表は強硬策をやめ、連盟に留まるよう電報で忠告している。

加藤教授は学生にも「松岡洋右に甘い」と言われるそうだが、松岡の連盟に留まるように説得する態度は立派だと評価している。

★内田外相の強硬策を葬ったのは、1933年2月の関東軍の熱河侵攻作戦だった。これは天皇の裁可を得た正式の作戦だったが、連盟規約第16条の連盟が解決に努めている時に、新たな戦争に訴えた国はすべての連盟国の敵と見なされるという条項に抵触することとなった。

海軍出身の斉藤首相は、事態の重大性に気づき、閣議決定を取り消し、天皇の裁可取り消しを天皇に頼む。天皇は取り消そうと考えるが、侍従武官や西園寺元老の反対にあって止められる。天皇も苦しむが、結局熱河侵攻作戦は実施され、その2日後日本は連盟から制裁を受ける前に、自ら脱退する。

★当時の国民の半分は農民だったが、小作農の権利を保障する政策は政友会や民政党などの既存政党からは出てこず、「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」と断言するのは陸軍のみだった。

学生や工場労働者などには徴兵免除が適用されたので、農村が兵士の最大の供給源だったからだ。

★蒋介石を支えていたのは浙江財閥で、宋美齢などの宋姉妹や宋子文などのファミリーが有名だ。

★中国の駐米大使胡適の「日本切腹、中国介錯論」とは、世界の2大強国、米国とソ連を味方に引き込むには、最初2-3年は日本に負け続け、沿岸部をすべて抑えられ困難な状況に追い込まれる。しかし、そのうち世界の同情が集まり、日本軍の内陸部移動にソ連がつけ込み、英米は権益保護のため軍隊を派遣し、海戦が起こるというものだ。まさに身を切らせて骨を切る戦略である。

★蒋介石に次ぐ国民党No.2の汪兆銘は胡適の「日本切腹、中国介錯」論に反対して、3-4年待てば中国はソビエト化してしまうと主張し、日本と妥協する。

★日米開戦準備を決定した1941年9月の御前会議で、永野軍令部総長は、このまま行くと石油不足で「大阪冬の陣」のように戦闘能力をそがれ、翌年には戦う事さえ出来なくなる恐れがあると説明する。天皇は「大阪冬の陣」という説明にグラリときたという。

★蒋介石は義理の弟の宋子文をアメリカに送り、軍事援助を引き出そうとするが、アメリカは日本との関係悪化を懸念して、資金は援助するが、1940年末まで武器は援助しない。

そんなアメリカの態度を変えさせて、パイロット付き戦闘機(フライングタイガース)を中国に派遣させたのは、蒋介石のこのままいくと中国は共産化するという脅しだった。アメリカはこれに応じ1941年7月にフライングタイガース100機を中国に供与した。

★戦争は実質的に1944年6月のマリアナ沖海戦で決着がついている。加藤さんは吉田裕さんの「アジア・太平洋戦争」を引用して、岩手県の戦死者数の推移を紹介している。最後の1年半に戦死者の9割が集中しており、負け戦続きで多くの人が戦死したり、病死、餓死した。

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)
著者:吉田 裕
岩波書店(2007-08-21)
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★満州移民は戦後ソ連の参戦でひどい目にあうが、普段から中国人との友好関係を築いていた開拓団は、敗戦となるとすぐに中国人に農場や建物を渡し、安全な地点までの護衛を頼んで、低い死亡率で日本に引き上げたという例もある。

★国や県は「分村移民」という村ぐるみで満州移民すれば、助成金を支給するという制度で開拓団を奨励していたという。開拓団の悲劇は国や県の政策の結果でもあったのだ。


教科書的な事実の時系列的説明という内容ではなく、節目節目のFAWを掘り下げるという講義だ。「試験に出ない」という理由で、高校時代に日本の近代史をきっちり学ばなかった筆者には、参考になる点が多かった。

池上解説の歴史版のような本だ。ぜひ手に取って欲しい本である。


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2011年01月24日

理科系冷遇社会 科学技術立国を阻む理系離れへの警鐘

理科系冷遇社会―沈没する日本の科学技術 (中公新書ラクレ)理科系冷遇社会―沈没する日本の科学技術 (中公新書ラクレ)
著者:林 幸秀
中央公論新社(2010-10)
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元文部科学省審議官で、JAXA副理事長だった林幸秀さんの本。

林さんは東大先端科学技術研究センターの特任教授で、独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センターの上席フェローだ。

大学院を卒業して博士号を持つ人材がなかなか定職につけない「ポスドク問題」をかかえる日本を、林さんは「理科系冷遇社会」と呼ぶ。

ノーベル賞受賞者が相次ぎ、日本の科学技術は世界トップレベルにあるような印象を受けるが、実は日本の科学技術はジリ貧状態に陥っており、このまま何の手も打たなければ、日本の科学技術は国際競争から取り残されると警鐘を鳴らす。

基礎研究面では欧米との距離が広がっており、急激な成長を遂げている中国にも追い越されようとしているという。

民主党の事業仕分けで蓮舫の「何故、スーパーコンピューターで世界1になる必要があるのでしょうか?2位ではダメなんでしょうか?」という発言が有名になったが、実は日本のスパコンは2位にもなれない現状だ。

スパコン保有台数では米国が282台で首位、2位は英国で38台、日本は18台で世界6位、24台の中国の下を行っている。

スパコンの性能比較ではさらに差が広がる。

世界1はクレイ社のCray XT5だが、2位は中国の「星雲」だ。ベスト10に中国が2台ランクインし、日本最高の日本原子力研究開発機構の持つ富士通スパコンは世界では22位という現状だ。ちなみに2010年には「天河一号A」が世界一位になっている。

エレクトロニクス製品の世界シェアの急落を示す小川紘一東大教授がつくった表が、ここでも紹介されている。

日本製品シェア推移







出典:2009年「科学技術白書」

経産省がiPodとiPadのコスト構成に於ける日本メーカーのシェアの減少をパイチャートにして示している。これも衝撃的だ。

iPodコストに占める日本製品シェア
















出典:本書22ページ


理科系人材の冷遇

理科系人材の冷遇という第2章は、次のような構成だ。

第1節 見劣りのする研究者数

第2節 児童・生徒の理科離れ

第3節 進学者数が減少する理科系学部

第4節 定職に就けない博士号取得者

第5節 育たない若手研究者

第6節 活躍できない女性研究者

第7節 少ない外国人研究者・技術者

表題だけ見てもこの本の指摘する問題点がわかると思う。


理系出身者の出世

生涯賃金では1998年の調査では理系が5,000万円少ないというデータがあるが、2010年の京都大学の西村和雄特任教授の調査では理系学部卒業者の平均年収は文系より100万円高く、年齢が上がるに連れ差は拡大するという結果が出ている。

全く逆の結果が出ているが、林さんは理系が文系の年収を下回っているという実感を持っているという。

例として日本の理系出身者の企業トップの比率は28%で、フランスや英国・ドイツでは55%前後であることが挙げられている。また中国の共産党政治局常務委員9名のうち、8名が理系だという。

外国人研究者の育成については、今度あらすじを紹介する「宇宙は何でできているか?」の著者村山斉さんがトップを務める東大数物連携宇宙研究機構(IPMU)の例を紹介している。

宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)
著者:村山 斉
幻冬舎(2010-09-28)
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IPMUでは、外国人研究者が半数を超え、機構長の村山さんも総長以上の報酬でUCバークレーから迎えた人材だ。

2009年の「科学技術白書」の「目に見える世界トップレベルの研究拠点に向けて」というコラムで、村山さんは外国人研究者獲得競争で、海外レベルにあった給与、インターナショナルスクールの費用の半額負担、貸家の斡旋、配偶者の就職先の紹介、テニュア(終身在職権)が与えられないなど多くの問題があったことを指摘している。

ここをクリックしてぜひ「目に見える世界トップレベルの研究拠点に向けて」というコラムを見ておいて欲しい。


他国の取り組み事例

他国の取り組みの紹介も参考になる。

米国では安全保障面を支えている科学技術開発には金に糸目を付けない。米国政府の科学技術予算の半分はペンタゴンが獲得している。

米国が科学技術で遅れを取り、大問題になった2つの事件が紹介されている。

一つは言わずと知れたスプートニクによるソ連の宇宙開発で、もう一つは2002年のNECの地球シュミレーターが世界最速の演算記録を達成した時だという。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のノーベル賞受賞にも大きく貢献した地球シュミレーターが世界最速になったことで、米国は危機感を感じ短時間に追いついた。

スパコンは核実験のシミュレーションも可能なので、安全保障上重要だという認識があるのだという。

インターネット、カーナビは軍事技術の民間転用だ。

ロックフェラー財団カーネギー財団、フォード財団、ゲイツ財団など、民間財団の科学技術への貢献も見逃せない。

オバマ政権も2009年に「米国・イノベーション戦略:持続可能な成長と質の高い雇用を目ざして」というレポートを発表し、イノベーションへの民間と政府の研究開発費をGDPの3%以上(現在は2.8%)にすることを目標に掲げている。

欧州でもアリアン・ロケットなどを欧州各国が分業して取り組んでおり、2000年には「リスボン戦略」として2010年までに欧州の研究開発投資をGDPの3%に引き上げることに合意している。

中国では2000年には70万人だった研究者数を2007年には142万人にまで拡大している。日本は70万人なので、すでに日本の倍の研究者がいるわけだ。大学卒業者数も450万人と日本の75万人の6倍で、自然科学系PhD取得者はすでに米国とほぼ同数の2万人以上いる。(日本は7,000人)

「海帰政策」で海外で勉強した技術者に帰国を促す制度もある。

韓国の人口は5千万人で、日本の1億3千万人の半分以下だが、大学生の数では同等、大学院生の数では日本を上回っている。小学3年生から週1-2回の英語の授業を実施済みで、小学校全学年に英語教育を行うことが検討されている。

李明博大統領は研究開発費総額をGDPの5%に拡大することを公約に掲げていたこともあり、研究開発に熱心に取り組んでいる。

日本の科学技術の現状という第7章では、世界の主要雑誌に発表した国別の論文数推移や、大学のランキング、ノーベル賞の受賞者数などの統計をまとめている。

さらに先端技術の国際比較では、1,基礎研究力、2,応用開発力、3.産業技術力の3つの尺度で、次のような分野の競争力を分析している。

・電子情報通信分野全般

・ナノテクノロジーー材料全般 日本が健闘

・ライフサイエンス全般

・臨床医学全般

・環境技術全般 ー 日本は欧州と並んで強い

・先端計測技術全般


第8章 科学技術で世界に挑戦

最後の「第8章 科学技術で世界に挑戦・貢献を」は、次の構成となっている。

第1節 科学技術の重要性の再確認

第2節 研究開発費の増額

第3節 選択と集中の徹底

第4節 理科系人材冷遇社会の打破

第5節 人材を活かすシステム改革

第6節 国際標準戦略の策定

第7節 臨床研究の強化

第8節 東アジア科学技術協力構想


筆者自身も高校入学時には理系志望だったが、高校一年の時の数学の成績が悪かったので、結果的に文系となった。たぶん数学ができなかったので文系にしたが、理系には憧れをもっているという人は多いと思う。


日本の科学技術立国・知財立国のためにも、理系人材の育成についての林さんの提言は重要と思う。理系人材育成の現状がわかるよくまとまった本である。


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2011年01月18日

夢顔さんによろしく シベリア抑留中に獄死した近衛文隆の生涯

夢顔さんによろしく 上―最後の貴公子・近衛文隆の生涯   文春文庫 に 9-3夢顔さんによろしく 上―最後の貴公子・近衛文隆の生涯 文春文庫 に 9-3
著者:西木 正明
文藝春秋(2002-10)
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夢顔さんによろしく 下―最後の貴公子・近衛文隆の生涯   文春文庫 に 9-4夢顔さんによろしく 下―最後の貴公子・近衛文隆の生涯 文春文庫 に 9-4
著者:西木 正明
文藝春秋(2002-10)
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近衛文麿の長男として生まれ、プリンストン大学で学び、帰国後父文麿の秘書官として特命任務を行う。文麿の動きを快く思わない陸軍に召集され、満州で砲兵中尉で終戦を迎えた後、ソ連に抑留され、1956年に脳出血で死亡した近衛文隆の生涯を扱った小説。

こちらが単行本の表紙だ。

夢顔さんによろしく夢顔さんによろしく
著者:西木 正明
文藝春秋(1999-07)
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なにやらわからないシルエットと近衛文隆から妻の正子さん宛の郵便宛先が印刷されている。謎かけのようだ。

近衛文隆については、以前「プリンス近衛殺人事件」のあらすじを紹介した。こちらはロシア人作者がKBGなどの膨大な資料を調査して、まとめたノンフィクション小説だ。

プリンス近衛殺人事件プリンス近衛殺人事件
著者:V.A. アルハンゲリスキー
新潮社(2000-12)
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筆者のポリシーとして小説のあらすじは詳しくは紹介しない。

この本に書かれている近衛文隆の皇族としてはありえないような波乱万丈の生涯を簡単に紹介しておく。もちろん小説なのでフィクションの部分も多いと思うが、面白い読み物に仕上がっている。

近衛家は天孫降臨のとき、第一の側近として従っていた天児屋命(あまのこやねのみこと)が始祖とされ、家としての先祖は藤原鎌足で、近衛文隆は鎌足から数えて47代目、近衛を名乗るようになって30代目だ。

近衛家は近衛、九条、二条、一条、鷹司の5摂家の筆頭で、父の近衛文麿は天皇の面前で座って足を組んで話せるという間柄だったという。

近衛文麿は一高の後、東大に進学するが、マルクス主義に惹かれて京大の河上肇に師事する。文隆の母旧姓毛利千代子と熱烈な恋愛の末結婚し、大正四年に文隆が生まれた。

文隆の母千代子は運動神経抜群で、日本における女性ゴルファーの草分けだった。兄弟は二人の妹、一人の弟で、皇族の例にならい、子供たちは乳母に育てられ、両親とは別棟に生活していたという。

文隆は生まれた時から大柄な赤ん坊で、長じて父の文麿と同じく当時の日本人としては珍しく身長180センチという大柄だった。表紙に写真が載っているが、米国でウェイトトレーニングをやっていただけに、がっちりした体格だ。

学習院時代から始めたゴルフは天才的で、16歳で日本アマチュア選手権3位となり、その後渡米して高校、プリンストン大学でもゴルフ部の中心選手を務めた。

細川護煕元首相の父細川護貞(文隆の妹温子と結婚したので、義兄弟の仲)、牛場友彦西園寺公一などが特に親しい友人で、このブログで紹介した白洲次郎は文隆の兄貴分だった。

白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)
著者:北 康利
講談社(2008-12-12)
販売元:Amazon.co.jp
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この作品では、近衛文隆の誕生から、学習院中学での生活、渡米してプリンストンに近い全寮制の高校でゴルフの腕前を磨いたことなどが紹介されている。

高校のゴルフ合宿でフロリダに行ったときに、当時の有名プロ ジーン・サラゼンのアドバイスで、飛距離を伸ばすためにベンチプレスなどの筋力トレーニングも積んだ。相撲取り並みの筋力で、ベンチプレス250ポンド(112キロ)を軽々と挙げていたという。

プリンストンに進学するとゴルフと合唱のグリークラブの両方で活躍し、週末は車でニューヨークに繰り出して、有名クラブ、レストランで豪遊していたという。

ニューヨークに寄った白洲次郎にニューヨークのピーター・ルガーというマスコミ関係者の集まるクラブにつれていってもらい、米国で一番権力を持っているといわれるマスコミ業界の人脈を開拓する。この時かつてジョン・レノンも住んでいたダコタハウスに住む不動産王の若い未亡人と恋仲になったが、日本大使館の横やりで別れることになる。

ゴルフは全米トップクラスだったが、学業ではプリンストンを卒業できず、中退して日本に戻り、当時首相を務めていた父文麿の秘書官として満州の関東軍視察などの特命任務を行う。

この時に知り合ったのが、後にゾルゲ事件で処刑される朝日新聞記者尾崎秀実(ほつみ)と、ドイツの新聞記者リヒャルト・ゾルゲだ。

ゾルゲは終戦後ソ連の英雄として旧東ドイツの切手にもなっている。

Stamp_Richard_Sorge





その後祖父の近衛篤麿が開校した上海の東亜同文書院の職員となり、中国の情報を収集しているときに、国民党の女スパイと恋仲になる。

すでに盧溝橋事件が発生し、日中戦争が起きていた。近衛文麿首相の「蒋介石を相手にせず」という公式発言とは裏腹に、近衛文麿は蒋介石との秘密交渉のために文隆を重慶に派遣しようとするが、陸軍の察知するところとなり、文隆は憲兵隊につかまり、重慶行を阻止されてしまう。

そして懲罰的に二等兵として召集され、満州の砲兵隊に編入する。1940年のことだ。1941年には日本でゾルゲ事件が起こり、ゾルゲと尾崎秀実が逮捕され、1944年末に死刑執行される。

しかし当時はゾルゲ事件は秘密とされ、終戦後4年たってやっと公表された。シベリアで抑留中の文隆はゾルゲが処刑されたことなど知る由もなかった。

二等兵でスタートした文隆は下士官・士官試験を受け、1944年には中尉として部隊を任される。

1944年10月に大正天皇の妃、貞明皇后の姪の京都西本願寺法主大谷光明の娘正子と結婚する。しかし新婚生活もつかの間で、1945年8月にソ連軍が満州に攻め入り、武装解除した関東軍はソ連軍の捕虜となる。

文隆はソ連軍に捕虜として連行され、正子は日本になんとか帰国して離れ離れになる。わずか1年弱の新婚生活だった。

文隆は日本の皇族で元首相の長男、日本に帰れば亡父の遺志を継いで政治家になることを希望しているということで、ソ連の思想改造のターゲットにされるが、文隆は断固拒否する。

文隆ほかシベリア抑留者の消息は長年不明だったが、1952年になってやっと文通が許され、文隆の最初のハガキが届く。1956年に亡くなるまで50通あまりのハガキが届くが、最後のほうのハガキには必ず「夢顔さんによろしく」という謎の言葉が添えられていた。

「夢顔」とは誰か?それがこの本の最後のミステリーだ。

日ソ交渉が始まり、いよいよ帰国が間近となってきたのに、文隆はふさぎ込むことが多くなった。結局、文隆は脳出血と腎臓病で帰国直前の1956年に獄死する。

その後1956年に米国議会の上院国内治安小委員会で、元東京駐在のソ連外交官が文隆などに施されたといわれるロボトミーについて証言する。薬物を注射して、うつ病にさせ、脳出血で文隆を殺害したとの証言はAP電が伝え、日本の新聞でも報道された。

文隆のシベリア抑留は劇団四季により「異国の丘」というミュージカルとなり、DVDが発売されている。

劇団四季 ミュージカル 異国の丘 [DVD]劇団四季 ミュージカル 異国の丘 [DVD]
出演:劇団四季
NHKエンタープライズ(2009-01-23)
販売元:Amazon.co.jp
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当時の時代背景もわかり、非常に面白い小説である。文庫本で上下2冊、筆者の読んだ単行本で530ページの大作だが、一気に読める。

ロシア小説の「プリンス近衛殺人事件」とともに、ぜひおすすめしたい作品だ。


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2011年01月16日

虜人日記 フィリピン戦線で生き残った技術者軍属の貴重な日記と敗因考察

虜人日記 (ちくま学芸文庫)虜人日記 (ちくま学芸文庫)
著者:小松 真一
筑摩書房(2004-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
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太平洋戦争中フィリピンのブタノール工場建設のために徴用されたアルコール製造技術者軍属の日記。

今度紹介する山本七平の「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」に詳しく引用されていたので読んでみた。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
著者:山本 七平
角川グループパブリッシング(2004-03-10)
販売元:Amazon.co.jp
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ブタノールはガソリンの代わりの燃料として航空機や自動車に使えるので、日本軍はフィリピンの酒精(エチルアルコール)工場を改造して、ブタノールを生産することを計画していた。

次がフィリピンの地図だ。

Ph_physical_map












出典:Wikipedia

台東製糖酒精工場長だった小松真一さんは、フィリピンで砂糖からブタノール生産のために軍属として派遣され、終戦後はネグロス島で捕虜になった。

虜人日記2




















出典:本書 表紙裏

この日記は、フィリピンの捕虜収容所に収容されていたときに、戦時中のこととや捕虜生活のことを手作りのノートに挿絵入りで記録し、骨壺に入れて内地に持ち帰ったものだ。

紙は米軍のタイプ用紙を、収容所のベッドのカンバスをほぐした糸で綴じている。絵は鉛筆のスケッチに、マーキュロやアデブリンなどの医薬品をマッチの軸木に脱脂綿をまいた筆で彩色しているという。大変貴重な記録だ。

全部で9冊のノートと挿絵が写真入りで紹介されている。

虜人日記1











出典:本書表紙裏

巻末に文を寄せている未亡人と息子さんによると、この日記は戦後ずっと銀行の金庫に眠ったままだったが、小松さんが亡くなられた後、遺族が知人に配るために私家版として出版したものだという。

それを月刊「現代」の編集長が読んで、これは同じフィリピン戦線で戦い、戦後捕虜となった山本七平氏に強いインパクトを与えるに違いないとひらめき、山本氏に見せたという。

山本氏は「虜人日記」を題材に雑誌「野生時代」に「虜人日記との対話」というシリーズで連載し、それが山本氏の死後13年経って、上記の「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」として出版されたのだ。

「戦争と軍隊に密接してその渦中にありながら、冷静な批判的な目で、しかも少しもジャーナリスティックにならず、すべてを淡々と簡潔、的確に記している。これが、本書のもつ最高の価値であり、おそらく唯一無二の記録であると思われる所以(ゆえん)である。」と山本氏は評している。


「バアーシー海峡」問題は現在でも最大の問題

「捕虜人日記」を詳しく解説した山本七平の「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」のあらすじもいずれ紹介するので、「敗因21カ条」については詳しくは紹介しないが、上記の山本七平の紹介文にあるように、非常に冷静に、客観的に書いてることは、さすが科学者と思わせるものがある。

特に中国の台頭で、現在でも安全保障上の大きなリスクとなってきているシー・レーンの確保を日本ができなかったことを、最大の敗因として挙げている。

その部分は「15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」という言葉で表されている。バシー海峡とは台湾とフィリピンの間の海峡のことだ。そして山本七平氏も、「私も日本の敗滅をバシー海峡におく」と賛同している。

もちろん21項目挙げられている敗因の一つ一つが合わさって日本の敗戦となったわけだが、旧日本軍の致命傷は海上輸送の安全が確保できなかったことだと思う。

インドネシアで終戦を迎えた筆者の亡くなった父は、昭和18年に召集されたが、台湾沖で、同僚の輸送船が撃沈され、多くの兵隊が亡くなったと言っていた。駆潜艇がじゃんじゃか爆雷を落としたが、結局敵潜水艦は逃げてしまったと。

インドネシアに着いても、その後の新兵を乗せた輸送船がことごとく撃沈され、終戦まで初年兵のままだったと語っていた。

運が悪ければ、父も海の藻屑になり、筆者も生まれていなかったわけだ。だから小松さんの書いていることは、筆者には他人事とは思えない切迫感がある。

敗戦直前には日本国内の海運も投下機雷で壊滅状態になるのだが、海上輸送の安全確保ができなかったことは、米潜水艦対策の不徹底によるものだ。

それの反省なのか、自衛隊は対潜水艦戦闘能力が飛び抜けて高い。

しかし、日本が誇る100機ほどの対潜哨戒機P3Cも、定価3万8千ドル(300万円)といわれるスティンガーミサイルと同等品を大量に配備して、漁船を改造した工作船やジャンクボートなどから発射すれば、ほとんど撃ち落とされてしまうだろう。

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出典: 以下別注ないかぎりWikipedia

P3Cは軍艦相手なら対艦ミサイルがあるが、漁船のような工作船では防ぎようがないだろう。

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そんな事態になったら、太平洋戦争の時とおなじ「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」が起こることは目に見えている。

「米軍基地のない沖縄(日本)」、「新しい世界観」や「米国離れ」を説く評論家は多い。しかし、この先人の遺言たる「バアーシー海峡」問題を、日本の軍事力でどう解決しようとするのだろう?

あきらかに東シナ海の覇権を狙う中国は、今や大気圏外から急降下して米軍空母を直撃する新型ミサイルを開発し、これに対する防御策はないという。

それはそうだろう。弾道ミサイルなら弾道を計算して、同じ弾道で逆からミサイルを打てば迎撃できる。しかし上から超高速で落ちてくるミサイルは弾道という考え方は当てはまらない。弾道に合わせるということをしないと、線でなく点で迎撃することになり、これは事実上超高速落下物体では不可能となる。

この本は決して太平洋戦争の時のフィリピン戦線での体験記だけではない。この本が指摘する「敗因21カ条」のうち、いくつかはそのまま現在の日本に当てはまる警鐘である。

閑話休題。小松さんの日記に戻る。

小松さんは、フィリピンに昭和19年2月に飛行機で着任、早速各地の酒精工場を精力的に視察する。

マニラはジャズが流れ、夜はネオンサインが明るく、男女ともにケバケバした服装で、当時は「ビルマ地獄、ジャワ極楽、マニラ享楽」と言われていたという。

砂糖からブタノールを製造するには、莫大な石炭と副原料としてのタンパク質が必要だ。タンパク源としてはコプラが利用できるが、フィリピンには石炭がなく、資材難の中をようやく完成させた工場も、石炭がないので運転の見通しが立たないという状況だった。

結局昭和19年7月にフィリピンのブタノール生産計画は中止となり、小松さんは、やることがなくなったが、民間から採用した人は最低1年間は南方にいなければならないとして、軍に足止めを食う。

仕方がないので、小松さんはフィリピンの酒精工場の生産アップに尽力することとなり、レイテ島やセブ島各地の酒精工場を訪問し、戦火のなかにもかかわらず生産量をアップさせた。

最後にネグロス島の酒精工場の増産任務を受け、ネグロス島に赴任する。

この日記には内地からネグロス島に届いたばかりの最新鋭の四式戦闘機が、米軍の空襲で地上で焼かれた挿絵が載せられている。

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小松さんが「コンソリ」と呼ぶB-24爆撃機が大編隊で毎日のようにネグロス島を爆撃しており、工場の生産を上げるのもままならない状態だったが、生産をなんとか拡大し、一部ではウィスキーをつくって、部隊の兵士に喜ばれる。

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そのうち米軍がミンドロ島、ルソン島に上陸し、昭和20年3月にネグロス島にも上陸したので、せっかく生産している酒精工場に爆薬をしかけて爆破し、軍隊と一緒に山に待避する。それから半年ネグロス島の山での待避行が続く。

米軍は事前に砲撃して戦車で攻め込むという戦法で、いくつかの陣地がすぐに陥落した。戦車用の地雷も地雷探知機で掘り出してしまうから効果なかったという。

ネグロスの日本軍2万4千のうち、戦闘部隊は2千人のみで、他は輸送や飛行場設営などの非戦闘部隊ばかりだったという。しかし戦闘部隊がどんどん戦死するので、非戦闘部隊からも補充されていった。

武器は貧弱で高射砲が3門あるだけで、あとは重・軽機関銃と迫撃砲、飛行機からはずした機関砲などで、2,000人につき旧式の三八歩兵銃が70丁という情けないものだったという。

一発撃てば、五〇発のお返しがあり、とても手が出せない状態だったという。

小松さんは食用野草の調査を始め、部隊に食用野草の講習会を開催して喜ばれ、後には現地物資利用講習としてカエル、トカゲ、バッタ、燕、ヤマイモ、バナナの芯などの食用にできるものの講義をおこなう。

自活のために芋の栽培も行ったので、そこを希望盆地と名付けた。米軍は日本軍に追われた時に、さらに奥地に自活体制を整え、様々な農産物の畑とりっぱな無線通信設備が残されていたという。

そのうち日本軍の部隊同志で追いはぎ行為が発生し、日本軍同士も警戒しなければならなくなった。ミンダナオ島、ルソン島では人肉食も起こったという。

日本軍兵士は、空襲や砲撃、そして餓死でどんどん倒れていき、死体があちこちに放置され、使える物は何でも取られ、裸に近い死体ばかりだったと。ネグロス島ではマラリア感染は少なかったのが幸いだったが、アメーバー赤痢で衰弱して死ぬ者も多かったという。

8月18日に兵団から「終戦になったらしい」という事が正式に伝えられたが、皆おどろかなかったという。米軍に軍使を送って交渉し、山を下りて9月1日に捕虜収容所に収容された。2万4千人のうち、八千人が戦死、八千人が餓えと病気で死亡し、八千人が生き残った。

米軍の軍用携帯食料Kレイションを食べ、久々に文化の味をあじわったという。米軍がみやげにするといって刀や拳銃をほしがるので、くれてやったと。

捕虜収容所では当初カリフォルニア米とコンビーフの缶詰を配給されたが、人員が増えるので、量が減らされ、栄養失調で死者もでた。持ち物を住民の食料と交換したりして生き延びたという。

収容所長が交代し、日本人を憎んでいた軍人が収容所長になったことも影響していたという。

そのうちネグロスからレイテ島の収容所に移送され、食事や居住待遇も良くなり、長らくつきまとわれたシラミも駆除できた。

11月からは兵隊達が帰国しはじめたが、将校の順番は不明だった。捕虜は米軍の兵舎掃除や建築作業をやらされたが、食事は良かった。

黒人は親切だったという。また米軍は将校と兵隊の区別はなく、将校でも自分の荷物は自分で持っていくが、日本の将校は当番兵に担がせる。

朝鮮人、台湾人は早く帰国したが、彼らの不満は彼らに対する差別待遇であり、感謝されたことは、日本の教育者だったという。

盗みは日本人の間では不道徳だが、米軍から盗んでくるのは美徳とされたという。米軍も捕虜は盗みをするものと寛大に見ていたという。小松さんには方々から酒の密造の相談が寄せられたという。

そのうち演芸会や講演会が開かれ、新聞も10日に一回の割合で出されたという。弾やケースを使って飛行機などの工芸品を作る人もいた。小松さんは掲示板で、何でも相談室のようなことを担当していた。

暴力団がのさばりだして手が付けられなかったが、そのうち全員集合させられ別の場所に送られた。

次に小松さんたちはルソン島の収容所に送られる。カランバン収容所で、ここで山下大将は戦犯として処刑された。最後の言葉は「自分は神に対し、恥ずるところなし」というものだったという。ちなみに収容所はキャンプではなく、ストッケードと呼んでいる。営巣(違反を犯した兵隊を閉じこめておくための場所)のことだ。

本間中将は最後まで米軍を呪って、「今にお前達もこういう目に会う」といい残して銃殺されたという。

小松さんは昭和21年12月に日本に帰国した。帰国が決まってから、もう明治精糖の社員ではないので、事業を始めるアイデアをこの日記に書いている。

なかなか面白いアイデアで、今日でも、これらが実現できたら大変な事業になると思う。

1.家畜飼料製造会社 空中窒素を硫安として固定し、これを酵母に消化させ、タンパク質(人造肉)として飼料化する。

2.海に無尽蔵といわれるプランクトンを集めて家畜の飼料とする。プランクトン採集法は現在研究中だと。

3.マングローブの研究。マングローブは海水から真水を吸収して生きている。この組織の研究をしたら、海水から燃料なしで真水が取れる。

4.シロアリの研究。シロアリの体内のバクテリアは木材繊維を分解して糖化している。工業でやると高圧と酸が必要だが、バクテリアはどちらも不要である。


この日記の中では師団長などの高級軍人では良く書かれている人は稀だが、ネグロス警備隊長の山口大佐は兵をかわいがり、フィリピン人のゲリラも捕まえて東洋人の生きる道を説き、どんな大物でも逃がしてやったという。

バカな「閣下」の命令には決して服さず、敬礼もしなかったと。戦犯取り調べでも自分自身が責任を負い、他に迷惑がかからないようにと言うので、裁判官も検事も人格に打たれ、何とか罪にならないように努力しているという話を紹介している。

小松さんは、国家主義を脱却して、国際主義的高度な文化・道徳を持った人間になっていかねばならない。これが大東亜戦争によって得た唯一の収穫だと思っていると記している。

最後に山本七兵の「『虜人日記』の持つ意味とは」という文が載っている。

小塩節教授のエッセー「ミュンヘンの裏町で」を読むと、ダッハウ収容所では囚人一人につき掛かる費用と、囚人から没収して国庫収益となる資産、金歯及び強制労働による生産、死体から取れる脂代と肥料代まで計算してあって、国にとってプラス(黒字)は2,000マルクと計算した書類があるという。

ドイツは正確に記録を残した。一方日本は記録をすべて棄却した。そんな中で、この「虜人日記」は、「現場にいた人間の現場で書いた記録」という意味で重要であり、他にない資料であると山本氏は評している。

戦争中、戦後の捕虜収容所での生活が挿絵入りで描かれていて、興味深い。

収容所の話というと、歴史家会田雄次さんの「アーロン収容所」が有名だが、「アーロン収容所」とはかなり異なる。やはり豊かな戦勝国米国の捕虜の取り扱いの方が、戦争で疲弊した英国の捕虜の取り扱いより、よほどましだったようだ。

ジャワから帰還した筆者の父は、戦後もオランダ軍の要請で武装解除せず、オランダ人を憎むインドネシア人からオランダ人を守ってやっていたのだと言っていた。

捕虜生活まで「ビルマ地獄、ジャワ極楽、マニラ享楽?」だったようだ。

重い作品だが、読み出すと一気に読める。表現が不謹慎かもしれないが、「面白い」作品だ。そして日本の安全保障についても考えさせられる先人の忠言である。


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2011年01月09日

絵で見る十字軍物語 塩野七生入門書

絵で見る十字軍物語絵で見る十字軍物語
著者:塩野 七生
新潮社(2010-07)
販売元:Amazon.co.jp
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十字軍の歴史を描いた19世紀後半のフランスの画家ギュスターブ・ドレのイラストに、塩野七生(しおの・ななみ)さんが解説を入れた絵本。

塩野さんの本は、「ローマ人の物語」シリーズなど、経営者に人気があるが、筆者はいままで読んだことがなかったので、手始めにこの絵本から読んでみた。

ローマ人の物語〈1〉― ローマは一日にして成らずローマ人の物語〈1〉― ローマは一日にして成らず
著者:塩野 七生
新潮社(1992-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

塩野さんの本は、プルタークの「英雄列伝」の焼き直しだとか、タネ本があるとか言う人もいるが、イタリア在住とはいえ日本人がローマ人の物語を書くなら、プルタークの本を元にするのは当然だと思う。

プルタルコス英雄伝〈上〉 (ちくま学芸文庫)プルタルコス英雄伝〈上〉 (ちくま学芸文庫)
著者:プルタルコス
筑摩書房(1996-08)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者はプルタークの「英雄列伝」を学生時代に読んだが、岩波文庫だとなにせ全部で12巻もあり、結局1巻か2巻と何巻だったか忘れたが、カエサルの出てくる巻を読んで、他は挫折した。

プルターク英雄伝(全12冊セット) (岩波文庫)
岩波書店(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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決して読みやすい本ではないプルターク英雄列伝を、現代風に解説してくれるなら、塩野さんの本を読んだ方が良いのではないかと思う。

前置きが長くなったが、この「絵で見る十字軍物語」は、もともとフランスの歴史家フランソワ・ミショーの「十字軍の歴史」という本の挿絵としてギュスターブ・ドレが書いたイラストを100枚ほど、塩野七生さんの解説をつけて紹介したものだ。

十字軍というと、高校の世界史で習ったきりなので、11世紀から13世紀まで何回も派遣されたキリスト教徒の遠征としか覚えていなかったが、この本を読んで十字軍が第1回から第8回まで200年にわたり、断続的に派遣されていたことを再認識した。

最初の十字軍はいわば民衆十字軍で、フランスの隠者ピエールに扇動された民衆が聖地エルサレムの奪還を目ざして草の根運動的に東欧・ギリシャ・トルコを通って、パレスチナまで攻め上がった。

それにフランスのロレーヌ公ゴドフロアなどのヨーロッパの諸侯の軍隊が追いついて大勢力となって、1099年にイスラム教徒からエルサレムを解放した

このとき発見された大十字架は、キリストが磔(はりつけ)にされた十字架だとして、十字軍の参加者は感激の涙にむせんだという。

次がこの本にも載っているギュスターブ・ドレの聖十字架の絵だ。

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出典: 以下別注ない限りWikimedia Commons

なんとなく気味が悪いギュスターブ・ドレの絵の感じが分かると思う。

この本で一番筆者が気に入った挿絵は、本の表紙にもなっている十字軍とともに歩むキリストのものだ。十字架に磔になったキリストが十字軍と一緒に歩くという考えられない構図だ。

Gustave_dore_crusades_miracles











Wikipedia Commonsにはギュスターブ・ドレの作品が多く収録されているので、ここをクリックして見て欲しい

十字軍は13世紀末の第8次(Wikipediaでは第9次と呼んでいるが、第8次と第9次は一緒にできるようだ)十字軍で終わり、結局一時的にパレスチナで樹立したキリスト教国家は、その後イスラム教徒に滅ぼされてしまう。

一方イベリア半島では、逆にイスラム教徒がキリスト教徒から追いつめられ、コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年にグラナダのイスラム王はイベリア半島から脱出した。

グラナダのアルハンブラ宮殿にはイスラム芸術が残されている。Wikipedia Commonsにアルハンブラ宮殿の写真が多く掲載されているので、ここをクリックして是非見て欲しい

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筆者もまた訪れたい。次はアルハンブラ宮殿の中にあるパラドール(国営文化遺産ホテル)に泊まりたいものだ。

閑話休題。

絵が若干気味が悪い感じがするが、200ページほどの絵本の解説で、簡単に読める。

手に持ってパラパラめくってみて欲しい本である。


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2011年01月07日

日本を決定した百年 吉田茂の寄稿と回想

日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)
著者:吉田 茂
中央公論新社(1999-12)
販売元:Amazon.co.jp
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エンサイクロペディア・ブリタニカの百科事典の付録として出している補追年鑑の1967年版の巻頭論文を加筆修正した吉田茂の寄稿と回想。読書家の会社の友人に勧められて読んでみた。

昨年末出版された米国の知日派代表格のリチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイハーバード大学教授の「日米同盟VS中国・北朝鮮」という本でも、アーミテージ氏は日本の戦後の「吉田ドクトリン」を高く評価している。

米国の軍事力の傘の下に入ることで、防衛に金を使わず、経済復興を最優先して日本を世界第2位の経済大国に押し上げたからだ。

日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)
著者:リチャード・L・アーミテージ
文藝春秋(2010-12-15)
販売元:Amazon.co.jp
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この「日本を決定した百年」は次の構成となっている。

第一章 明治の創業

第二章 近代化のジレンマ(大正から太平洋戦争に至るまで)

第三章 戦後の二,三年(困難と努力)

第四章 奇跡の経済発展(池田首相の所得倍増計画まで)

第五章 奇跡のあとで(Good Loserーよき敗者)

この本の「解説」で粕谷一希元「中央公論」編集長は、この本は吉田茂が外務省を通して当時の京大教授で国際政治学者の高坂正堯(こうさかまさたか)に代筆を依頼したものだという裏話を紹介している。

粕谷氏はこの本を読んで、100%高坂正堯の文章であることを確信したと記している。

中間に「外国人が見た近代日本」ということで、江戸時代に日本に来たロシアのゴロヴニン、アーネスト・サトウからハドソン研究所の未来学者ハーマン・カーンまで合計7名の日本についての短い文を紹介している。

後半は「思出す侭(まま)」ということで、「時事新報」に連載された吉田茂の回想がまとめられている。

今度紹介する北康利さんの「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」にもある次のストーリーがこの本でも紹介されている。

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて吉田茂 ポピュリズムに背を向けて
著者:北 康利
講談社(2009-04-21)
販売元:Amazon.co.jp
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★「ディプロマティック・センスのない国は必ず凋落する」
これは吉田茂が駐英大使を辞め、外務省の在外公館査察使として世界を回った時に、米国でウィルソン大統領の親友だったハウス大佐に言われた言葉だという。

ハウス大佐は第1次世界大戦の直前にウィルソン大統領の命を受け、ドイツのカイゼルと面談し、戦争回避を訴えたという経歴がある。

吉田茂は、戦争直前の日本をこの言葉で形容している。しかし、この言葉は残念ながら現代の日本に一番当てはまる言葉ではないかと思う。

★「ハル・ノート」は最後通牒ではない
1941年11月26日付けのハル・ノートの原文がネットで公開されている。吉田茂はこれを読んだとき、"Tentative"(試案)と書いてあるし、決定的なものではないと書いてあるので、最後通牒ではないと了解したが、時既に遅しだったという。

当時の中日米国大使のグルーが「ハル・ノートは最後通牒ではないことを、当時の東郷外相に会って説明したいと吉田に仲介を頼んだが、既に12月1日の御前会議で、日米開戦の方針が決定されていたこともあり、東郷外相はグルー大使に会わなかった。

ネットで是非ハル・ノートの原文を読んで欲しい。


★真珠湾は奇襲だったかー先方は事前に知っていた?!
日本の電報は解読されていたので、米国側が知らないはずがない。

★日本復興に尽力した米国
吉田茂は、英国が占領軍の中心だったら、米国のように日本経済の再興のための援助に尽力することはなかっただろうと語る。

今度紹介する「虜人日記」でも、フィリピンは米軍が管理していたので、捕虜の食事にはさほど困らなかったことが描かれている。

しかし学生の時に読んだルネサンス史の大家、会田雄次元京大教授の「アーロン収容所」を再度読んだところ、英米の間で、捕虜の待遇は大きな差があったことがわかった。

英国軍が管理していたビルマでは捕虜の食料はほんの少量しか供給されなかった。

やむなく捕虜は栄養失調や、アメーバー赤痢の細菌に汚染されているカニを食べたりしてどんどん死んでいった。英国兵は捕虜がカニを取っていても、見て見ぬふりとしていたという。

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))
著者:会田 雄次
中央公論新社(1962-11)
販売元:Amazon.co.jp
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米国の食料援助は、日本国民にパン食と(スキム)ミルクの味を覚えさせ、その後の米国産品の輸出におおいに役立っている。

★対米一辺倒と罵る(ののしる)は無智
ここがこの本の肝心の場所なので、その部分を紹介しておく。

吉田茂本文214頁






出典: 本書214ページ

つまり米国一辺倒と非難する人たちは、近世に於ける国際関係につき全く無智なことを自ら表明しているのだと。

12月11日に放映されたNHKの「日米安保」特集では日本総研の寺島実郎さんが、「外国に基地を使いさせ続ける国は他にない」というような発言をしていた。

ヨーロッパの国はNATOに加盟しているので、当然のことながら自国の基地に米軍など外国の軍隊を駐留させている。寺島さんの論拠がわからないし、このような発言はまさに吉田茂の攻撃するところだ。

吉田茂は「わが国の国防を米軍がその一部を負担するということは、米国の好意である以上に、両国のためであり、世界平和維持のためである」と書いている。

この部分を冒頭に紹介したアーミテージ元国務副長官は「吉田ドクトリン」として高く評価している。


★「中立主義」「は空論
吉田茂は「中立主義」は空論と切って捨てている。

社民党はいまだに非武装中立を唱えていると思うが、核武装強化を進める北朝鮮や、空母やステルス戦闘機開発など軍事力増強が著しい中国が、東シナ海を自分のテリトリーにしようとする動きにはどうするのだろう。




現在の日本の外交を考える上でも、参考になる本である。


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2011年01月01日

池上彰の情報力 ベストセラー「伝える力」の原型

2011年の最初のあらすじは、ニュース解説というテレビプログラムを2010年に大ブレークさせた池上彰さんの「伝える力」の原型の2004年の本だ。

池上彰の情報力池上彰の情報力
著者:池上 彰
ダイヤモンド社(2004-01-29)
販売元:Amazon.co.jp
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池上さんは2010年の流行語ベスト2に「いい質問ですねぇ~」が選ばれている。

当時は池上さんはNHKの社員で「週間こどもニュース」のお父さん役だったので、今のようにブレークする前の本だ。

この本はなか見、検索!に対応しているのでここをクリックして目次を見て欲しい。以下に章のタイトルだけ紹介しておく。大体の感じがわかると思う。

第1章 私の情報収集術

第2章 私の取材・インタビュー術

第3章 私の情報整理術

第4章 私の読書術

第5章 私の情報解釈術

第6章 私の情報発信術

池上さんの情報整理ノウハウや、わかりやすい文章の書き方を指南している。第6章の「私の情報発信術」では、わかりやすい文章の書き方についてもガイダンスしており、今度紹介するベストセラー「伝える力」の後半部分と同様の内容だ。

伝える力 (PHPビジネス新書)伝える力 (PHPビジネス新書)
著者:池上 彰
PHP研究所(2007-04-19)
販売元:Amazon.co.jp
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池上さんは同じような本がいくつもあるが、それぞれが面白く読ませる。参考になる情報が多いのはさすがだ。

この本も池上さんの意見に賛同できる点が多く、参考になる情報が満載だ。


私の読書術

特に「私の読書術」では大変参考になる点が多かった。いくつか紹介しておく。

★判断力を鍛えるためにも、いつでも本を手元に
池上さんは読書が最大の趣味ということはさておき、ニュースキャスターとして世の中の動きを知っておく必要があるから本を読むのだと。

池上さんは「タリバン」という本を9.11が起こる前に読んでいたので、参考になったという。
タリバン―イスラム原理主義の戦士たちタリバン―イスラム原理主義の戦士たち
著者:アハメド ラシッド
講談社(2000-10)
販売元:Amazon.co.jp
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「コーラン」も、「ハディース」も文庫本を読んだという。

コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)
岩波書店(1957-11-25)
販売元:Amazon.co.jp
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ハディース〈1〉イスラーム伝承集成 (中公文庫)ハディース〈1〉イスラーム伝承集成 (中公文庫)
中央公論新社(2001-01)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者は「コーラン」自体は読んだことがない。以前紹介した「コーラン入門」という本を読んだ。

図解 これだけは知っておきたいコーラン入門図解 これだけは知っておきたいコーラン入門
著者:島崎 晋
洋泉社(2007-06)
販売元:Amazon.co.jp
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★新聞の書評欄には、本探しのヒントや新たな発見がいっぱい
池上さんは斉藤美奈子さんの書評に絶大な信頼を置いているという。

誤読日記 (文春文庫)誤読日記 (文春文庫)
著者:斎藤 美奈子
文藝春秋(2009-09-04)
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筆者も新聞の書評欄や「日経ビジネス」、「週刊東洋経済」等のビジネス書の書評欄は参考にしている。

★通勤電車の中は理想的な図書館
まさに筆者も同感だ。

★書店で「時代」を感じ取ろう
池上さんは毎日書店をのぞくという。書店も重要な本の選択情報ソースだ。

★積ん読だけでもためになる
並んでいる本の背表紙をみても発想がわいて来るという。

★そもそも何のために情報収集するのか
池上さんは、情報収集自体楽しいが、それだけではなく、仕事の面でもプライベートの面でも正しい判断をするために情報収集するのだと語る。その通りだと思う。


私の情報発信術

★良い文章か悪い文章か。音読すればすぐにわかる
たとえば長い文章だと、読んでいて息が続かないという。筆者も意識して短い文章にしているが、常に注意が必要だ。

★原稿はワインのように、書いたら寝かせておこう
池上さんは一週間は寝かせておこうと言う。筆者も書いたそのままではなく、必ず一日以上置いて見直して正式に提出している。

池上さんは「ひとり突っ込み」と読んでいるが、原稿を書いたら、きちんと読み直さないで提出する人が結構多い。書いたらそれで仕事が終わったような気がするからだろう。

読みやすい文章にするには、池上さんの「ワインのように」というアドバイスは貴重だ。

★意識的に接続詞のない文章を書くことで、論理力を鍛える
「そして」の連発は小学生の作文並になる。

★順接の「が」は使わない
筆者も最近気を付けているが、「○○だが、△△だ。」という文章の場合、△△が○○を否定していない場合が「順接」だ。

「順接」の「が」の場合論理が繋がらない文章となる場合が多く、要注意だ。

★プリントアウトするだけで、自分の文章を読者の立場で読める
これも100%同感だ。やはり画面では細部までチェックしにくい。

★矢印が持つ意味は?安易な図解でかえってわかりにくくなることも
これも注意しなければならない。

以上、印象に残ったものだけリストアップしたが、その他にも懇切丁寧なアドバイスが満載だ。

是非なか見、検索!で目次を見て欲しい。

全体を通して、読者のためにという思いが伝わってくる。まさに「伝える力」の本である。


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Posted by yaori at 22:39Comments(0)TrackBack(0)