2011年05月28日

田中角栄 封じられた資源戦略 日本の原子力・エネルギー戦略の基礎は田中角栄がつくった

田中角栄 封じられた資源戦略田中角栄 封じられた資源戦略
著者:山岡淳一郎
草思社(2009-10-22)
販売元:Amazon.co.jp
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故・田中角栄元総理を中心とした日本の資源外交についての本。

1973年に第四次中東戦争を契機とするオイルショックが起こり、米国やロスチャイルド、ロックフェラーなどの国際財閥が日本を抑えつけようとしたにもかかわらず、日本は田中角栄の強いリーダーシップで独自の資源外交を展開した。

田中角栄が日本の原子力・エネルギー戦略の基礎をつくったのだ。

もっとも田中角栄といっても、若い人にはピンとこないかもしれない。田中眞紀子元外相のお父さんといった方がよいのかもしれない。

中学卒の苦労人ながら、政治センスと戦略的判断はバツグン。土木業界出身なので「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれていた。

ちなみにこの本の表紙の写真で、田中角栄の後ろに座って横を向いているのが、若き日の小沢一郎だ。

田中角栄について詳しく知りたい人には次の本を紹介しておく。マンガが多く、簡単に読めると思う。

知識ゼロからの田中角栄入門知識ゼロからの田中角栄入門
幻冬舎(2009-03)
販売元:Amazon.co.jp
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東電の原発事故が起こったこともあり、日本の原子力政策や資源政策がどのような経緯で現在に至っているかを知るために読んでみた。


アイゼンハワーのアトムズ・フォー・ピース

原子力研究は当初、第2次世界大戦中のアメリカの「マンハッタン計画」で、広島・長崎に落とされた原子爆弾をつくるために進められ、第2次世界大戦直後の東西冷戦時代には原子爆弾より強力な水素爆弾も開発された。

原爆や水爆開発に利用されていた原子力をアメリカのアイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)を呼びかけ、これを受けて全世界に原子力発電所や核関連施設が続々建設された。

これに伴い、原子炉メーカー、核燃料濃縮事業、核燃料再処理事業、ウラン資源確保などの分野で各国の企業が政界を巻き込んで激しい競争が繰り広げ、買収・汚職・リベートなどの工作資金も使うという事態が各国で起こっていた。

日本もこの流れに乗って原子力発電を推進した。日本の原子力政策の基礎をつくったのが田中角栄だった。

日本は戦前から理化学研究所の仁科研究室で、サイクロトロンをつくって核融合を研究していたが、敗戦後進駐軍にサイクロトロンを東京湾に投棄させられ、一旦日本の原子力研究には幕が引かれた。

田中角栄は新潟から15歳で出てきて、一時理化学研究所で働いた。理化学研究所総帥の大河内正敏氏にかわいがられたという。原子力研究とは元から縁があったのだ。

アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」政策を受け、日本では読売グループの総帥・正力松太郎がイギリスの原子炉技術を推す。いわゆる「大・正力」と呼ばれる人で、政界入りして総理大臣を狙うという野望を抱いていた。

ちなみに正力から当時若手政治家の中曽根康弘の相手役として指名されたのがナベツネ、渡邉恒雄だったという。

この当時CIAが日本の政治家に秘密資金を提供していたことが、最近公開されたアメリカ政府内部資料でわかっている。結果として日本は英国製原子炉でなくアメリカから軽水炉原子炉技術を買うことになった。

福島型原発のBWR(沸騰水型)と、関西電力などのPWR(加圧水型)はいずれもアメリカの技術で開発された軽水炉だ。

フランスはアメリカ・イギリスと距離を取り、独自の原子力利用技術を磨いた。ドイツはKWUという原子炉メーカーがあったが、現在はシーメンスの一部門となり、フランスのアルバと協力している。

ちなみに筆者の住んでいたアルゼンチンの原子炉はこのKWU製で、たしかイスラエルが完成前に爆撃したイラクの原子炉を建設していたのもKWUだったと思う。


オイルショックと日本の資源政策

田中角栄の首相在任は1972年7月から1974年12月まで。わずか2年半の在任期間だったが、この間の1973年10月に第4次中東戦争が勃発。アラブ諸国が親イスラエル国には石油を売らないという政策に転じたことから、第一次オイルショックが起こるという激動の時代だった。

オイルショックが日本の資源政策に大きな影響を与えた。この本では石油確保のために次のような政策を打ち出したことが書かれている。

★親イスラエルと見なされないために、アメリカの圧力にもかかわらずアラブ諸国に必死でアプローチした
★インドネシア石油の新しい輸入ルートをつくった
★最初の「日の丸油田」として日本アラビア石油がカフジ油田を開発した
★北海油田開発にも参加した。出てきた原油は欧州で販売し、代わりにアジアで原油を受け取るスワップ取引を進めた
★ロシアのチュメニ油田の開発交渉
★日本全体のエネルギーに占める原子力発電の比率を上げた



日本の原子力発電

原子力発電では1976年のアメリカ・スリーマイル島の原発事故以来、アメリカでは原子炉は一基も新設できなくなった。新規の原子炉建設は、日本などがメインになった。

1986年のチェルノブイリ原発事故からは、ヨーロッパでも新規の原子力発電所建設がほぼストップしたので、原子力発電比率が世界一高いフランスを除いて欧州企業は、原子力ビジネスから次第に撤退していったが、日本は国策としてCO2排出量が少ない原子力発電の比率をむしろ上げる方向だった。

そのために必要なのがウラン資源の確保だ。

田中首相の時代にフランスと濃縮ウランの委託加工を決定する。当時の朝日新聞の記事がこの本で引用されているので、紹介しておく。

「日本がフランスに濃縮ウランの委託加工を依存することは、米国の『核支配』をくつがえすことをねらったフランスの原子力政策を一段と推進するばかりか、米国の核燃料独占供給体制の一角が崩れることを意味し、世界的に与える影響は極めて大きい」

原出典:朝日新聞 1973年9月28日付

田中首相と当時のポンピドー大統領はパリで会談し、ポンピドー大統領は「モナリザ」の日本貸出を申し出、田中首相を喜ばせたという。田中首相は「これが本当のトップ商談というものだよ」と語っていたという。

田中首相は他にもオーストラリアやブラジルでのウラン資源開発、カナダからのウラン鉱の輸入を積極的に推し進めた。


アメリカの圧力

当時のアメリカ大統領はフォードで、国務長官はキッシンジャーだった、フォード政権は田中首相の独自資源外交を好ましくないと思っており、1973年に行われたフォード・田中会談は予定時間の半分のわずか1時間で切り上げられた。

田中首相は米国の冷淡な態度に圧力を感じたが、逆にいかに脅されても資源外交に突き進もうと覚悟を決めた。


首相退陣とロッキード事件

1974年10月号の文藝春秋に掲載された立花隆の「田中角栄研究」が田中金脈問題を告発し、1974年12月に内閣総辞職に追い込まれた。

田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)
著者:立花 隆
講談社(1982-08)
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1976年には米国でロッキード社が日本でもワイロ工作をしていることを暴露、田中角栄は全日空がロッキード・トライスター機を購入したときの口利きで、5億円を受け取ったとして受託収賄罪で逮捕される。ロッキード事件だ。

その後田中角栄は政界のキングメーカーとして隠然たる影響力を持ち続ける。首相在任中から高血圧に悩まされており、次第に政治力は衰え、1993年12月に75歳で死去する。ロッキード事件の収賄罪は結局最高裁まで争ったが、被告人死亡のため棄却された。


毀誉褒貶は激しいが、偉大な政治家

毀誉褒貶は激しいが、田中角栄が偉大な政治家であることは間違いない。田中角栄に比べれば、今の政治家は本当に小粒に思える。田中角栄の功績のいくつかを紹介しておく。

★通産大臣に就任してすぐにアメリカとの繊維交渉にあたり、それまで3年間かかっても決着していなかった交渉を、佐藤首相に直談判して「繊維は任せた」と言質を取った。交渉をまとめるため繊維業界の損失補償に2,000億円の予算を大蔵省に了承させた。

大蔵省との交渉に向かう通産官僚に持たせた名刺には「徳田博美主計官殿 繊維問題解決のため2000億円ご用立て、よろしく、頼む。田中角栄」と書いてあったという。就任わずか2−3ヶ月で対米交渉を決着させ、大蔵省の主計官に直接話をつける大臣に通産官僚は意気に感じたという。

★1972年2月に日本の頭ごなしでニクソンが訪中した。田中角栄は首相就任後すぐ1972年9月に訪中し、周恩来首相と国交回復交渉にあたった。日本軍の残虐行為を具体的に指摘する周恩来首相との交渉は、何度も決裂しそうになったが、田中首相はジョークで切り抜けたという。

「私も陸軍二等兵として、中国大陸に来ました。いろいろ大変な迷惑をおかけしたかもしれません。しかし、私の鉄砲は北(ソ連)を向いていましたよ」

当時中ソ関係は冷え切っていた。これで周恩来はそれ以上追求するのをやめたという。

条約文の交渉では、周恩来が条文にこだわる高島条約局長を「法匪」(ほうひ)と呼ぶなど、膠着状態に陥りそうになったが、毛沢東が急遽田中首相との会見を入れ、「もうケンカはすみましたか。ケンカをしないとダメですよ」と水を向けた。中国側も折り合い日中共同声明が成立し、国交が復活した。

周恩来は帰国する田中首相を特別機のタラップの下まで見送りに来た。

アメリカはニクソンが1972年2月に訪中して日本の先を越すが、台湾ロビーの巻き返しで、中国と正式に国交回復したのは1979年のカーター大統領の時だ。日本の国交回復のすばやさが光る。

★1956年の日ソ国交回復時の鳩山総理以来はじめて、総理として1973年にソ連を訪問し、当時のブレジネフ書記長と会談し、「領土問題が未解決」なことを確認する。

ただしブレジネフは「諸問題」と複数形にして欲しいと言ってきたので、日ソ共同声明にはその通り記載された。

山岡さんは、環境エネルギー政策研究所の飯田所長の「日本版グリーン革命で経済・雇用と立て直す」から引用して、日本でグリーンエネルギー利用が進まない原因として「電力幕藩体制」が自然エネルギー利用を阻んでいると指摘する。

日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す (新書y)日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す (新書y)
著者:飯田 哲也
洋泉社(2009-06-06)
販売元:Amazon.co.jp
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「田中角栄がもし生きていたら、エネルギー供給源を多角化し、「持たざる国」日本の危機を回避するためにグリーン・ニューディールに突っ走った、と想像する自由は残しておこう」というのが山岡さんの結びの言葉だ。

タイトルから想像して、アメリカからの各種の妨害工作やサボタージュで、田中角栄が主導する多角的資源確保戦略が邪魔されたという内容だと思って読んだが、アメリカの圧力の部分はあまり書いていない。

ちなみにこのブログで紹介した元特捜検事の田中森一さんは「反転」の中で、「ロッキード事件はアメリカ側からの仕掛けという説も根強いが、うなずける面もある」と語っている。

「田中角栄は、ソ連への経済援助やシベリア共同開発、中国との国交回復など、従来のアメリカ一辺倒から、よりグローバルな国際外交戦略に転じようとしていたので、日本を属国とみるアメリカの怒りをかったのではないか。

現にアメリカの異常ともいえる捜査への協力は、田中政権つぶしの意思をあからさまに示していたのではないか。」

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)
著者:田中 森一
幻冬舎(2008-06)
販売元:Amazon.co.jp
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福島原子力発電所事故以来、日本のエネルギー政策は抜本的な見直しが必要となってきている。そのためには田中角栄のような使命感を持った馬力のある政治家が必要なのだが、今の政治家には誰一人として適任者は見あたらない。

現在メインテナンス休止中の原子炉はすべて再稼働が延期されており、日本の原子力政策はヘッドレスチキン状態にある。このままでは日本全国で電力不足という事態となりかねない。

先日紹介した原子炉廃止論を言い続ける広瀬隆さんは、日本には原発は必要ないと言うが、筆者はそうは思わない。

原子炉時限爆弾原子炉時限爆弾
著者:広瀬 隆
ダイヤモンド社(2010-08-27)
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基地問題と同様に、NIMBY(Not In My Back Yard=総論賛成、ただし自分の町には来ないで欲しい)という問題はあるが、地球温暖化の最も有効な解決策として、日本に原子力発電は必要だ。原発がある自治体も原発受入による雇用拡大と金銭的メリットがあるので今まで受け入れているわけだ。

いままで日本では廃炉の実例は少ないが、米国ではすでに筆者がピッツバーグに駐在していた時から廃炉は進められている。ちなみに筆者の駐在したピッツバーグ郊外にはアメリカで最初の原発のシッピングポート原発があり、この一号機は15年ほど前に廃炉になった。

日本でもこれからは廃炉と新規建設で新陳代謝を図ることになると思う。日本のエネルギー戦略を見直す意味でこの本は参考になった。


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2011年05月26日

日本一元気な30人の総合商社 商社の基本形がここにある

日本一元気な30人の総合商社日本一元気な30人の総合商社
著者:寺井 良治
小学館(2010-06-16)
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旧日商岩井で社内ベンチャーとして設立されたイービストレード社長の寺井良治さんの自社紹介。アマゾンでは本の帯の写真が写っていないが、本の帯を加えると次のような表紙になっている。

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イービストレードは神保町に本社があり、従業員は30名。2000年に誕生した旧日商岩井の社内ベンチャーが独立して、大手総合商社が取り上げないニッチ商品やニッチ市場に注力している総合商社だ。

イービストレードの業績は順調に拡大している。黒字転換したのは2004年3月期で、次の2004年度には1億円の利益が出ている。最近になって勢いが出てきた感じだ。
        
         売上高    経常利益
2006年度  16億円   マイナス3千万円
2008年度  84億円   プラス1億7千万円
2012年度  100億円  プラス4億円(目標)

寺井さんは旧日商岩井で入社以来化学品の営業をやっていた。2000年8月に全社横断組織としてEC事業室が設立された時に、化学品から移ってイービストレードの担当となり、2001年1月にイービストレード立て直しのために社長として送り込まれた。

旧日商岩井は、1998年にバブルの損失処理のために1,500億円の特別損失を出し、赤字に転落した。1998年がここ十年で最高のボーナスだったのに対して、翌1999年のボーナスは、スズメの涙ほどの金額になったという。

イービストレードが発足した当時のネットバブルの風潮から、マスコミには「ネット総合商社誕生」ともてはやされたという。

日商岩井の社内の雰囲気は沈滞していたので、若手がぶちあげた事業構想に経営陣も期待して、構想から2ヶ月後の2000年3月には会社が設立された。

しかし2000年3月のITバブルの崩壊とともに事業モデルそのものが崩れた。寺井さんが社長として送り込まれた時には、日商岩井の安武社長から「何をやってもいいので、イービスを残してくれ」と言われたという。

筆者はITバブルの時に米国に駐在していたので、有望なインターネット企業を見つけて関係強化のために投資事業部に依頼し、1999年12月に一株47ドルでIPO株を取得した。その直後その株がすぐに300ドルを超えた。IPO株で譲渡制限がなかったので、取得後三ヶ月で平均200ドル強で半分売った。

その半年後には買値を下回り、2000年末には10ドル台まで下がった。

半分売って元手の倍以上回収していたので、残り半分が買値を割ってもトータルでは利益が出たが、そのまま全部持っていたらドツボにはまるところだった。

ITバブルとはそういう時代だった。


社内の雰囲気は前日の深夜残業を理由に11時過ぎに出社する人もいるほど、たるんでおり、なにができるんだと聞くと「財務のプロ」、「人事のプロ」、「情報通信のプロ」などと答えたという。寺井さんは「たかが28−29歳で何がプロだ!プロとはどういう意味なんだ」と一喝したという。

イービストレードはeビジネス、いいビジネス、大阪の商売の神様の戎(えびす)様を掛け合わせた名前だという。

旧日商岩井は2004年4月に旧ニチメンと合併して双日となっている。


大手総合商社との差は管理費

イービストレードと大手総合商社との差は、間接費も入れたコスト競争力だ。大手総合商社は営業マン一人で、本社部門の割りかけ経費も入れたコストは年間7千万円以上と言われているという。それに対してイービストレードは、管理部門が小さいので営業マン一人当たり2−3千万円ですむ。イービストレードの給料は大手商社並みの水準なので、この差は管理部門の差だという。

大手総合商社が手がけないようなニッチビジネスを取り上げて、それで十分利益を上げるのがイービストレードのビジネスモデルだ。寺井さんは「めざせ鈴木商店」と語っている。

この本ではイービストレードの次のビジネスラインの商売ができた背景やビジネスの現状をそれぞれの担当責任者が書いていて面白い。


★長崎県のマリン技研の湖沼などの水浄化設備ジェット・ストリーマー

長崎県の漁師出身の社長が起こしたベンチャーの水浄化機ビジネス。攪拌を起こして水の自浄効果を誘発する技術を日本や世界に総代理店として販売している。世界25カ国で特許が成立し、長崎県の大村湾や三重県の長良川河口堰、ダム、平等院鳳凰堂の池などで導入され、アメリカ、メキシコ、韓国にも広まっているという。

東京都が「東京水」というコマーシャルを打って、水道水のきれいさをPRし始めたのも、この設備を導入したことがきっかけという。「未来創造堂」というテレビ番組でも取り上げられたという。


★日本のガス会社が開発した液体物検査装置とイタリアCEIA製金属探知器

日本のガス会社が開発した液体物検査装置はスポーツ会場に持ち込まれる飲料などの検査に世界的に使われている。北京オリンピックを契機に中国向けに数百台売れたという。

イタリアCEIA製金属探知器は世界の空港で使われており、日本ではパチンコ屋向け金属探知器用途に売り込んでいるという。不正の玉の持ち込みを防止するのだ。


★シベリアとのビジネス

ロシアでも大手商社と競合するモスクワは捨て、シベリアに特化したビジネス開拓をやっている。ドラッグストアのセイジョーと組んでシベリア展開を模索したり、日本製中古車を輸出しているという。


★ガソリンスタンド向けの情報サービスの「満タンねっと」やおまけDVD、CDのビジネス

ガソリンスタンド向けのネット販売サイトの「満タンねっと」を運営したり、雑誌などのおまけのDVD、CDのビジネス。

年間1億枚といわれている付録CD,DVD市場のほぼ半分を握っているという。台湾・中国などで製造し、品質と納期をきちんと守って納入する。


会社と社員が元気になるための「処方箋」

最後に寺井さんは会社と社員が元気になるための「処方箋」として、8つの法則を紹介している。それぞれ参考になるが、「社長の仕事は、会社を潰さないこと」という法則3がなるほどと思う。

法則1 経験の浅い人間ほど外に出たがる(辞めたがる)

現在はイービストレードは情報機器専門商社ミツイワが筆頭株主となり支援を受けている。創業者の岩崎宏達会長と会った時に「鈴木商店の復活とかいっているバカはお前たちか?いま時、そんなことをいっているやつが居るとは思わなかった。オレはそんなバカが好きだ」と言われたという。

法則2 身の丈を知ってビジネスを展開する

法則3 社長の仕事は、会社を潰さないこと

筆者はネット企業の副社長経験者だが、「会社を潰さないこと」という使命感、意気込みには欠けていたと反省している。よく「何をやらないかを決めるのも重要だ」といわれるが、まさに会社を潰すリスクを極力排除するのが、経営者の仕事であり、その意味で「社長の仕事は、会社を潰さないこと」という発想は大事だと思う。

法則4 まずは「問題児」を探す

対象を「スター」、「キャッシュカウ」、「問題児」、「負け犬」の4象限に分類した後、「問題児」を探すのだと。大リストラ時代のビジネスマンの処世術だという。

法則5 とにかく他人の仕草や顔色を見る

法則6 人脈は一度会えば十分

法則7 「路地裏」に新規事業は潜んでいる

法則8 迷ったときこそ「美点凝視」

いい点のみに注目し、欠点には目をつぶる。良い点を伸ばすことに注力すべきだと寺井さんは語る。


この本を商社業界に携わらない一般の人が読んだら、新規事業に取り組んでいて元気のある会社だと思うだろう。しかし総合商社に勤めている筆者は、事情がわかっているだけに悲哀を感じてしまう。

先日講演を聞いた三菱商事の小島会長の話だと、三菱商事はトレード収益は全体の3割で、残りの7割は資源開発やその他の事業収益だ。現在の総合商社は総合事業会社であり、個々の取引で収益を上げることも大事ではあるが、収益を生み出す「しくみ」を作り出すことが何より重要なのだ。

寺井さんが書いている通り、イービストレードが手掛けているビジネスを大手総合商社が取り上げることはないだろう。その意味ではニッチビジネスを追いかけるイービストレードの活躍の場はまだあると思う。

筆者は元々鉄鋼原料のトレーダーなので、米国では日本製品のみならず、中国、ノルウェー、ブラジル、南アフリカ、インドなどの原料を米国鉄鋼業界向けに販売していた。しかし利益率は低かったので、今はこんなビジネスは到底認められないだろう。

寺井さんの気持ちもよくわかる。読んでみて複雑な気持ちになる本だった。


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2011年05月25日

日韓がタブーにする半島の歴史 新羅(しらぎ)の基礎は倭人がつくった?

日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)
著者:室谷 克実
新潮社(2010-04)
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エキセントリックなタイトルなので読んでみた。元時事通信ソウル特派員の室谷克美さんの本だ。

室谷さんは、「韓国人の経済学」や「朝鮮半島」などの著作がある。

最初に韓国の金泳三大統領が1994年に来日した時の、天皇のお言葉を紹介している。

「貴国は我が国に最も近い隣国であり、人々の交流は、史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして、貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました」

室谷さんは、天皇のお言葉に代表される、半島経由で中国文化を学んだという「常識」にあえて異議を唱えるという。

「半島に初めて統一国家を築いた新羅の国づくりを指導したのは、倭人であり、新羅も百済も倭国のことを文化大国として尊敬していた」という。

その出典は韓国最古の正規歴史の「三国史記」(1145年完成。全50巻)に次のような記述があるからだという。

「列島から流れてきた脱解(タレ)という名の賢人が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位につくと、倭人を大輔(テーポ、総理大臣)に任命。その後脱解の子孫からは7人が新羅の王位につき、一方で倭国と戦いながら、新羅の基礎をつくった」

7世紀の中国の「隋書」にも新羅、百済が倭国を大国とみていたという記述があるという。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。章題だけ紹介しておく。

序章  陛下の「お言葉」ではありますが

第1章 新羅の基礎は倭種が造った

第2章 倭国と新羅は地続きだった

第3章 国民に知らせたくない歴史がある

第4章 卑怯者を祀る(まつる)OINK(Only in Korea)

第5章 「類似神話」論が秘める大虚構

第6章 「倭王の出自は半島」と思っている方々へ

終章  皇国史観排除で歪められたもの

もともとは2倍くらいの分量があったものを、新潮社のアドバイスでコンパクトにしたものがこの本だという。

室谷さんは時事通信のソウル特派員から帰国した直後に初めての本、「『韓国人』の経済学」という本を書き、当時急成長を続けていた韓国経済の弱点を指摘したという。

1.韓国人は儒教に染まりきっているので「額に汗して働くこと」を蔑視しているから、まともな工業製品はできない。

2.その国の経済は統計数値をごまかしているので表面はピカピカだが、実は「外華内貧」だ。

新版 「韓国人」の経済学―これが「外華内貧」経済の内幕だ
著者:室谷 克実
販売元:ダイヤモンド社
(1989-01)
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「倭王(あるいは天皇)は半島から来た」と漠然と思っている人は特にインテリに多い。その根拠は江上波夫の「騎馬民族国家論」だろうと室谷さんは語る。

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)
著者:江上 波夫
販売元:中央公論社
(1991-11)
販売元:Amazon.co.jp
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2009年12月に韓国を訪問した当時の小沢一郎民主党幹事長は国民大学での講演で、江上説を敷衍して「天皇家の出自は朝鮮半島南部、いまの韓国」として、観衆を沸かせた。この時の映像がYouTubeにアップされている。



中国の正史も韓国の正史も倭王の出自について何も書いていない。それは書いていないのではなく、当然のことながら純粋倭人だからだと室谷さんは語る。

そもそも倭人は九州北部を中心とする列島だけではなく、半島南部にもいた。だから半島南部で発掘された遺骨と、九州北部の弥生人の骨格などがきわめて似ているという。


筆者の意見
これはあらすじブログなので、筆者の意見はあまり出さないようにしているが、この本については違和感を覚えるので、次に筆者の意見を書く。

上記で紹介した小沢一郎の発言をキャプチャー付きでYouTubeにアップした人も室谷さんも、日本人の大半(そして天皇家も)が半島が出自だというのは受け入れがたい説なのかもしれない。

そういう人にはこのブログでも紹介したIBMのジェノグラフィック・プロジェクトを紹介しておく。



YouTubeの映像は英語版のみだが、IBMのサイトの映像は小さい画面だが日本語キャプチャー付なので日本語字幕付きはIBMのサイトの映像を見てほしい。

要は筆者の言いたいのは、ジェノグラフィックプロジェクトで6万年まえにさかのぼれば「世界人類みな兄弟」が、標語ではなく事実だということがわかってきているのに、たかだか2千年前の日本人、そして天皇家の祖先が朝鮮半島から来たとか、いや元々日本列島だとか議論することが意味があるのかという点だ。

みんな元々6万年以上前にアフリカから各地に移り住み、その地に定着して環境に適応した。日本人も韓国人も、黒人も白人も出自はアフリカで同じである。

特に東日本大震災以来、世界各国が日本をいろいろな形で支援してくれているのに、祖先が半島から来た・来ないという2千年以上前のことに、いつまでこだわるつもりなのだろう。

その意味で、この本には強い違和感を持った。
  
筆者は駐在した国や都市(米国とアルゼンチン)には、良い点も悪い点もあるが、強い愛着を感じている。しかし中には駐在した国を徹底的に嫌いになる人もいる。この本の著者の室谷さんも嫌韓派のようだ。

しかしある国のことや歴史を紹介するなら、プラスの事実もマイナスの事実も両方紹介したうえで、極力客観的に評価を下すべきではないのかと思う。

室谷さんの本は、見方がワンサイドな点が残念である。

せっかくいろいろ資料を読み込んでいるので、室谷さんの説に反するたとえば江上教授の騎馬民族起源説などの資料も比較して紹介すればより良かったのではないかと思う。


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2011年05月24日

謎の1セント硬貨 宇宙飛行士向井千秋さんのダンナ 向井万起男さんのショート集

謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るinUSA謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るinUSA
著者:向井 万起男
講談社(2009-02-20)
販売元:Amazon.co.jp
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多読人中島考志さんの本で紹介されていたので読んでみた。

中島孝志さんが紹介している本をいくつか読んでみたが、たとえばこの本のように非常に面白い本と、このブログに紹介するレベルに達していない本の両方がある。結局他人には頼れず、自分で読んでみるしかないということを実感した。

この本は向井万起男さんがアメリカで経験した出来事を、日本に帰ってからメールであちこち問い合わせ、その結果をまとめて非常に面白いショートストーリー集としている。

2009年の講談社エッセイ賞の受賞作だ。

向井万起男さんは日本人初の女性宇宙飛行士向井千秋さんのダンナで、千秋さんと同じ慶應大学医学部出身。現在は慶應大学医学部准教授で、病理診断部部長を務めているお医者さんだ。

向井千秋さんは、元上院議員ジョン・グレンと一緒にスペースシャトルに乗り込んでいる。

STS-95_crew






出典:Wikipedia

この本にクリントン元大統領とのツーショット写真が載っている。スペースシャトル打ち上げの日に、宇宙飛行士の家族の待合室をクリントン元大統領夫妻が訪問した時の写真だ。

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出典:本書33ページ

このおかっぱ頭の特徴的な風貌の人が向井万起男さんだ。

向井さん夫婦はお互い「チアキちゃん」、「マキオちゃん」と呼び合っているという。普段はヒューストンと日本と別居生活しているので、新婚時代そのままの関係を持続しているようだ。

マキオさんは離陸時刻の6時間前には空港に到着して、行き交う人を観察しているという。「マキオちゃんみたいな人って世の中には他に誰もいないと思うけどなあ」というのが奥さんのチアキさんの言葉だ。マキオさんは変わっているなあと思うところが多い。


この本ではアメリカ生活合計9年の筆者も知らなかったアメリカについての話題を取り上げており、大変興味深く読めた。なか見!検索に対応していないので、目次を紹介しておく。


プロローグ (1943年製造のスチール・ペニーの話)

第1章 14という奇妙な数字

第2章 巨大な星条旗

第3章 空を見上げたポパイ

第4章 い〜い湯だなin USA

第5章 黒い革ジャンの少年たち

第6章 100万匹わんちゃん

第7章 制服を着ている人々

第8章 シンデレラの暗号

第9章 キルロイ伝説

第10章 マクドナルド万歳

第11章 勝手にしやがれ

第12章 ヒューストン市警の対応

第13章 オザーク高原のイエス・キリスト

第14章 ニューヨーク市への忠告

第15章 修道士からの手紙

エピローグ


1943年製造のスチール・ペニーというのは、戦争中1943年だけ製造された鉄を亜鉛メッキした1セント硬貨のことだ。

 1943s_steel_cent_obv









出典:Wikipedia

たまたまクリスマスイブのフライトに乗っていたら、最も古い1セント硬貨を持っている人にシャンパンをプレゼントするという機内放送があった。その時の経験から1943年のスチール・ペニーというものがあることに気づき、いろいろなホームページなどにメールで聞いて仕入れた話を紹介している。

戦争中は、日本は寺の鐘や家庭のナベ・カマさえ供出したほど金属不足だったが、アメリカも銅が不足して1943年だけ鉄で1セント硬貨を作ったという。

筆者は1986年から1991年までと、1997年から2000年までの2期にわたって合計9年間ピッツバーグに駐在したが、このスチール・ペニーの話は聞いたことがなかった。このような知る人ぞ知るのとっておきの話が集められている。

あまり詳しく説明すると本を読んだときに興ざめなので、特に面白かった話を簡単に紹介しておく。

第7章の制服を着ている人々は、サウス・ウェスト航空の話が中心だ。サウス・ウェスト航空は飛行機をバスの様に運航している。スチュワーデスやグラウンドスタッフもみんな短パンやラフな姿だが、パイロットだけは制服を着ているという。プロとしてのイメージが重要だという。

第9章のキルロイ伝説が面白い。筆者は見たことがないが、アメリカの公共トイレなどでは"Kilroy was here"という落書きが多いという。この落書きは第2次世界大戦中のヨーロッパで米兵があちこちに書き残して有名になった。

マキオさんがこの落書きに興味を持って、あちこち調べ上げた結果を書いていて面白い。最後にはマキオさんは、キルロイ伝説を自分で作って、キルロイのホームページに載せて貰ったという。

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出典:本書168ページ

第11章はアメリカの標準時間と夏時間(Daylight saving time)についてだ。アメリカには9つのタイムゾーンがあり、町によって夏時間を採用しているところと、採用していないところがあることを紹介している。

筆者もこの標準時間には痛い目にあった。トリニダッド・トバゴに出張したときに、プエルトリコのサンファンが東海岸より1時間早いということを知らなかったので、乗り継ぎ便をミスってしまったのだ。

ちなみにアメリカの標準時間とは(以下は向井さんの訳)、大西洋標準時間、東部標準時間、中部標準時間、山岳部標準時間、太平洋標準時間、アラスカ標準時間、ハワイーアリューシャン標準時間、サモア標準時間、チャモロ標準時間の9つだ。

インディアナ州は郡によって時間システムが異なり、92の郡が次のようなグループとなっている。

77の郡:東部標準時間で夏時間は採用していない。
10の郡:中部標準時間で夏時間も採用。
5の郡 :東部標準時間で夏時間も採用。

筆者もインディアナ州には時々出張に行った(アメリカの比較的新しい大型製鉄所は五大湖畔のインディアナ州に集中している)。途中で時間が違っているのに面食らったものだ。

しかも西に行くほど中部標準時間の郡が増えるというわけではないことが、非常にトリッキーだったという記憶がある。この話題でマキオさんはいろいろなところにメールを入れて調べまくっていて面白い。

第13章はヒューイ・ロングという第2次世界大戦前のルイジアナ州の知事・上院議員とその仲間の話だ。ロングはルーズベルトの対抗馬だったが、1935年に暗殺される。独裁的な政治家だったらしい。

ルイジアナ州の州都はニューオリンズの北にあるバトン・ルージュで、筆者は何度もバトン・ルージュに行ったことがある。

アメリカに鉄鋼原料を輸入する場合、ニューオリンズで外航船からバージ(1,200トン単位のはしけ)に積み替えて、ミシシッピ川を使って全米各地に輸送する。そのバージへの積み替え場所がバーンサイドという場所で、ニューオリンズとバトン・ルージュの間なのだ。

アメリカから穀物を輸出する時は、その反対の物流となる。バージで各地から穀物を集荷して、ニューオリンズ近辺のサイロで集積し、外航船に積む。

ヒューイ・ロングについては「アメリカン・ファシズム」という本に詳しいそうなので、今度読んでみる。

アメリカン・ファシズム―ロングとローズヴェルト (講談社選書メチエ)アメリカン・ファシズム―ロングとローズヴェルト (講談社選書メチエ)
著者:三宅 昭良
講談社(1997-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

そのロングの仲間の反ユダヤ主義者・ジェラルド・スミスがアーカンソー州のユーレカスプリングス巨大なイエス・キリスト像を建てた話だ。

09-02-06--ChristofOzarks










出典:Wikipedia

第14章のニューヨーク市への忠告は、自由の女神のあるリバティ島と、移民博物館のあるエリス島の領有権をめぐるニューヨーク州とニュージャージー州の争いの話。

リバティ島はニューヨーク領ということで合意しているが、埋め立てを繰り返して大きくなったエリス島は連邦最高裁判所にまで行った訴訟の結果、19世紀当時の3.3エーカーはニューヨーク領、その後埋め立てた24.2エーカーはニュージャージー領ということになったという。

以上簡単に紹介したが、大変楽しい読み物である。特にアメリカに行ったことのある人には是非一読をおすすめする。


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2011年05月21日

グーグル Chromeの翻訳機能はスゴイ!

+++今回のあらすじはできればグーグルChromeブラウザーでご覧ください+++

タオバオの本を紹介したあらすじの中で、日本人の経営する赤ちゃん用品販売サイトを紹介したので、ブラウザーをグーグルChromeに変えて、このサイトを見てみた。

グーグルChromeだと、中国語の翻訳をするかどうか画面トップで聞いてくる。

Chrome1





「翻訳する」を選択すると、数秒で翻訳が完成し、次のような画面となる。

Chrome2





もちろん不完全な日本語ではあるが、何が売られているのかは十分わかる。

ためしにスペイン語やポルトガル語のサイトでも調べてみた。

次がブラジルのパルメイラスというサッカーチームのサイトだ。

Chrome4





これで「翻訳」を選択すると次のように表示される。

Chrome5





スペイン語ではFCバルセロナのサイトで試してみたら、やはり「翻訳」ボタンが表示される。もっともバルセロナのサイト自体が英語、日本語、中国語、アラビア語に対応している。

スペイン語もなんとCatala(カターラ)とCastellano(カステジャーノ)の2種類ある。Catalaとはカタロニア語で、スペイン語とイタリア語の中間のような感じだ。Castellanoがカステリャ語、世界で普及しているスペイン語だ。筆者がアルゼンチンで習ったのもCastellanoで、今回初めて現代スペイン語に2種類あることがわかった。

Chrome




筆者はアルゼンチンに2年間、研修生として住んでいたので、アルゼンチン最大のスポーツクラブ、リーベル・プレートの会員になっていた。リーベル・プレートとは英語のRiver Plate(ラプラタ河)のスペイン語読みだ。(リバーだけリーベルとスペイン語読みになっている)

リーベルのサイトはスペイン語翻訳機能は表示されない。どうやらサイトのつくりによって翻訳機能が表示されるサイト・ページがあるようだ。

Chrome3





筆者はスペイン語を覚えるために、2年間アルゼンチンのブエノスアイレスに駐在した。研修生として会社で働くかたわら、仕事時間以外に語学研修を社費で受けるという制度だった。

賄い付き(平日は朝食と夕食、土曜日は朝食と昼食、日曜日は朝食だけ。平日はほとんど毎日ステーキだ)でほかに3人アルゼンチン人の下宿人がいたので、土日は彼らと映画に行ったりし旅行したりして、100%スペイン語の環境に置いていた。

そのうえで、1年間は毎日会社に行く前に2単元(1時間半程度)ベルリッツ・スクールでスペイン語の授業を受け、2年目はスペイン語教師にオフィスに来てもらい、週3回1時間半くらい個人教授を受けていた。

普通は半年でかなりスペイン語を話せるようになるので、他の研修生は1年間で語学研修をやめてしまうパターンが多い。

筆者の場合にはベルリッツ・スクールは辞めたが、個人教授を1年間受けたので、2年目で相当スペイン語力がアップした。その結果、帰国して受験した社内のスペイン語検定で、研修生あがりとしては初めて(?)の1級に認定される結果となった。

このように語学をマスターするには、その語学が話されている国に住んで、その語学のいわばシャワーを浴びながら、最低2年間はみっちり勉強する必要がある。

それがボタンを押して数秒で、正確ではないにしろ意味が推定できる程度まで翻訳できるとは全く驚きである。

便利な時代になったものである。


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2011年05月20日

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか 元皇族家 竹田恒泰さんの近著

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
著者:竹田 恒泰
PHP研究所(2010-12)
販売元:Amazon.co.jp
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旧皇族家出身で、作家として活動する竹田恒泰さんの近著。

竹田さんは慶應大学法学部の講師として「天皇と憲法」を担当しているという。

誤解しやすい点だが、旧皇族は昭和22年に廃止されているので、昭和50年生まれの竹田さんが皇族であったことは一度もない。

しかし血筋が良いのは勿論間違いなく、おじいさんの旧竹田宮王はスポーツの宮様として有名だ。竹田さんのお父さんの竹田恒和さんも旧皇族ではないが、ミュンヘン・モントリオールオリンピックの日本代表で、現在JOC会長を務めている。

竹田宮の旧邸は現在の高輪プリンスホテルだ。

このブログでは竹田さんの「語られなかった皇族たちの真実」と「旧皇族が語る天皇の日本史」を紹介しているので参照願いたい。

語られなかった皇族たちの真実 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」 (小学館文庫)語られなかった皇族たちの真実 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」 (小学館文庫)
著者:竹田 恒泰
小学館(2011-02-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

以前の本が参考になったので、30万部売れているというこの本も読んでみた。

簡単な目次なので次に引用しておくが、なか見!検索に対応しているのでここをクリックして目次などを見て欲しい。

序章 世界でいちばん人気がある国「日本」

第1章 頂きます ー 「ミシュランガイド」が東京を絶賛する理由

第2章 匠(たくみ) ー 世界が愛する日本のモノづくり

第3章 勿体ない(もったいない) ー  日本語には原始日本から継承されてきた”和の心”が宿る

第4章 和み(なごみ) ー 実はすごい日本の一流外交

第5章 八百万(やおよろず) ー 大自然と調和する日本人

第6章 天皇(すめらぎ) ー なぜ京都御所にはお堀がないのか

終章  ジャパン・ルネッサンス ー 日本文明復興

巻末対談 日本は生活そのものが「芸術だ」 北野武 x 竹田恒泰 天皇から派生する枝葉のなかに我が国の文化はすべてある!


この本のタイトルは自分で付けたのではなく、放送作家のたむらようこさんに付けてもらったものだと謝辞にかいてある。

「どうやら今、世界は猛烈な日本ブームに沸いている」と書いているわりには、根拠が薄弱な感がある。

一つの根拠は2006年から2008年までのBBCの世界33カ国の調査で、日本が「世界に良い影響を与えている国」ナンバーワンにランクされたことだ。

しかし、この本に掲載されているランキング表は2010年のもので、これではドイツが1位、カナダが2位、EUが3位で、日本は4位となっていてガックリくる。あまり細かいことには拘泥しない人なのだろう。

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出典:本書10−11ページ

それ以外の根拠としては、台湾はラブ・ジャパンの大御所とか、観光で日本を訪れた人はおおかた良い印象を持って帰ること、アニメなどの「クール・ジャパン」、ミシュランが質・量ともに東京のレストランを絶賛していること、トルコやウズベキスタンなど絶対の親日国があることなどを挙げている。

ちなみにトルコが世界一の親日国であることは、このブログで以前紹介した通りだ。

トルコ世界一の親日国―危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空トルコ世界一の親日国―危機一髪!イラン在留日本人を救出したトルコ航空
著者:森永 堯
明成社(2010-01)
販売元:Amazon.co.jp
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この本で参考になったのは「和製漢語」が中国でも使われており、「中華人民共和国」の「中華」を除く「人民」も「共和国」も和製漢語だという指摘だ。次のような和製漢語表を紹介している。

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出典:本書111ページ

大正・昭和の初期には多くの中国の知識人が日本に留学した。たとえば孫文、周恩来、蒋介石は全員日本に留学していた。だから欧米の言葉を日本語に訳した「和製漢語」が中国に逆輸入されたというのはうなずける話だ。

ちなみに今度紹介するサーチナの鈴木さんの「中国の言い分」という本で、「原則」は日本では例外もありうるというニュアンスだが、中国では絶対に変えられないのが「原則」なので、同じ漢字でもニュアンスが異なると指摘している。「原則」が和製漢語だったとは知らなかった。

中国の言い分 〜なぜそこまで強気になるのか?〜 (廣済堂新書)中国の言い分 〜なぜそこまで強気になるのか?〜 (廣済堂新書)
著者:鈴木 秀明
廣済堂出版(2011-01-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

第4章の「実はすごい日本の一流外交」のところでは、日本のパスポートは高い値段で闇取引されることを日本外交が一流である証拠の一つとしている。

ビザなしで入国できる国が多く、日本人なら諸外国のビザも簡単に取ることができるからだという。しかし現在のICパスポートになると偽造は難しいから、こんなほめ方はできなくなるだろう。

ところどころに天皇論が出てくるのが、竹田さんの本の特色である。

★今上天皇の御製の「人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ」を挙げて、天皇陛下にとって最大の幸せは、国人の幸せであることがうかがい知れると竹田さんは語っている。

★「他の国にない日本の特長の最たるものは、天皇と国民の絆ではなかろうか。(中略)日本人全体を一族と考えたら、皇室は日本人の宗家ともいえる存在で、天皇はその課長にあたると考えやすいだろう。天皇と国民の関係を何かにたとえるなら、親と子の関係に似ている。」

★「親が子ども一人一人に最大の愛を注ぐように、天皇は国民一人ひとりにサイダ院お愛を注いできた。親の愛と、天皇の愛は、いずれも見返りを求めない真実の愛であり、親と子、天皇と国民の間に損得勘定は存在しない。」

東北大震災以降、天皇皇后両陛下が多くの避難所を訪問されておられるが、真実の愛という説明は納得できる。

天皇の愛はいわば"Love supreme"(至上の愛)と言えるかも知れない。

この本にたけしと竹田さんの対談が載っている。たけしは宮中茶会で天皇・皇后両陛下から「映画、たいへんですね」と声をかけてもらい、親しくお話ししたときの印象として、「不謹慎を承知でいえば、戦争で天皇陛下の名前を呼んで死んでいくのもわかる」とコメントしている。



さすが日本を代表する映画監督のたけしだけあって「腑に落ちる」言い方である。たしかに「天皇陛下万歳」と叫んで敵陣に突撃するのは、日本人にしかできなかっただろう。

結論として竹田さんは「ジャパン・ルネッサンス」つまり、西欧化以前、明治維新前夜の日本文化を再発見し、当時の気概を取り戻すことを提案している。


もともと雑誌"VOICE"の連載記事だったので、本文中に論拠などを十分に示していないゆえに説得力が欠けているきらいがある。巻末に主要参考文献を6ページにわたって紹介しているので、本文のどこに関係しているのか注釈があれば、もっと説得力が出て、より良かったと思う。


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2011年05月18日

これから、中国とどう付き合うか 宮本・前駐中国大使ソフトパワー交流のススメ

+++今回のあらすじは長いです+++

これから、中国とどう付き合うかこれから、中国とどう付き合うか
著者:宮本 雄二
日本経済新聞出版社(2011-01-06)
販売元:Amazon.co.jp
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昨年まで駐中国日本国全権大使を勤められ、伊藤忠出身の丹羽さんと交代した宮本雄二大使の中国関係論。宮本大使は外務省のいわゆるチャイナスクールの代表格だ。

「中国と予測可能な協力関係を築くことができる稀有の機会」が出現していると宮本大使は強調する。

尖閣列島中国漁船衝突事件などの問題が生じるにつけ、日中間では深刻な問題が存在しているように思う人が大半かもしれないが、2008年の胡錦涛国家主席の来日時に福田首相と署名した日中共同宣言に定められた「戦略的互恵関係」で、日中関係は新しい時代を迎えた。


日中間のもめごと

1972年の日中国交回復以来、宮本大使は日中間のもめごとを次のように整理している。

1.歴史問題
2.領土問題
3.台湾問題
4.海洋進出と海軍の増強問題

3.の台湾問題については、「ひとつの中国」は常識中の常識であり、台湾が祖国復帰しないかぎり、屈辱の歴史は終わらないというのが絶対法則だ。日米にとっては、中国の立場に配慮しながら、台湾との関係を可能な限り残すというのが交渉ポジションとなる。最後の4.は最近加わったものだ。

日中間の特有の問題は1.の歴史問題だけで、他の問題は他の国も中国との間に抱えている問題である。

この歴史問題の整理がついて、「日中戦略的互恵関係」樹立が可能となった。しかし、これからも日中関係は平穏無事とは限らない。日中の国民感情も脆弱なので、対立や紛争を回避する努力を今後も行う必要がある。

日本が中国にとって必要な無視できない存在であり続けるためには、科学技術や快適な社会をつくりあげるソフトパワーの強化が急務である。

特に科学技術の分野では日本は中国の一歩先を歩まなければならない。中国問題は日本自身の問題なのだ。

宮本大使の好きな言葉だという「等身大」の相互理解を進めるためにも、歴史を振り返り、相手をより正確に理解し、問題を正確にとらえ、新しい時代の日中関係を考えようというのがこの本の趣旨だ。


中国のクイックレビュー

中国は日本の国土の25倍、アメリカとほぼ同じだ。人口は日本の10倍の13億人、55の少数民族が居て、人口の90%は漢民族である。

中国共産党一党支配の国で、共産党は4つの基本原則を掲げている(中国共産党の党員数は7,500万人)。

1.社会主義
2.中国共産党の指導
3.人民民主独裁
4.マルクス・レーニン主義と毛沢東思想

毛沢東死後、華国鋒が毛沢東の「2つのすべて」(1.毛沢東の決定はすべて変えてはいけない。2.毛沢東の指示にはすべて従う)を打ち出した。これに対して小平が論戦を挑み、勝利した。

小平は「黒猫で白猫でも、ネズミをとればよい猫だ」と語り、改革開放政策を推し進めた。その後ソ連の書記長に就任したゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を開始、ソ連・東欧に改革の嵐が吹き荒れ、中国でも1989年に天安門事件が起きた。

天安門事件で民衆を武力で弾圧してからは、政治的には保守化した。この状況に小平は危機感を強め、さらに経済の大胆な改革を推し進めるよう「南巡講話」を発表した。政治的には保守化傾向は変わらなかったが、独特の社会主義市場経済は発展し、現在の中国の発展に繋がる。

中国共産党の適応能力は高いが、腐敗と汚職はむしろ悪化している。中国共産党は憲法の適用を受けないという位置づけになっているからだと宮本大使は語る。

中国の友人には「いくら名医でも、自分の病気の手術はできない」というたとえで説明してきたという。今の体制のままでは、原因は突き止められても、除去はできないからだ。

この本で宮本大使は、外務省のチャイナスクールの主要メンバーとして、中国との外交交渉に通訳兼担当官として携わった当時のエピソードを披露していて興味深い。

1969年のダマンスキー島附近での中ソ武力衝突の後、中国はソ連の核攻撃の危険にさらされていた。それが中国が米国にアプローチしてくる原因となったが、日本との交渉でも「反覇権条項」を入れるよう求めてきたという。

この本では1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約が参考文書として添付されている。


小平と日本の経済協力

中国の現在の開放経済は小平がグランドデザインを書いたと言える。小平は2度失脚して、2度復活している。

小平は1956年に党中央書記処総書記となり、毛沢東が大躍進政策の失敗の責任を取って公務から退くと、国家主席の劉少奇と一緒に中国経済の立て直しに尽力した。文化大革命が始まった直後の1968年に総書記を解任され、翌年江西省南昌に下放される。これが第1回目の失脚だ。

江西省南昌では暖房もない住居で、トラクター工場や農場での労働に従事させられたという。

1973年に周恩来に呼び戻され、国家副主席として復活する。1974年には国連資源総会に中国代表団の団長としてアメリカを訪問し、アメリカの偉容に驚嘆する。

しかし1976年に周恩来が死去すると、周恩来追悼に集まった民衆を四人組が送った軍隊が弾圧するという第一次天安門事件が起こり、四人組によって再び失脚させられる。

1976年9月に毛沢東が死去すると後継者の華国鋒が四人組を逮捕し、1977年に小平は2度目の復活を果たし、国務院常務副総理、党副主席、中央軍事委員会副主席兼人民解放軍総参謀長に正式に復帰する。

1978年10月に日中平和友好条約の批准書交換のために中国のトップとして初めて日本を訪れ、昭和天皇や日本政府首脳と会談したほか、新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線やトヨタ自動車などの視察を行なった。

そのとき、小平の頭のなかの中国現代化のイメージが、すでに現代化を達成していた日本と重なった。中国現代化の最も重要なモデルのひとつに、日本が選ばれた瞬間である」と宮本大使は表現している。

小平は日本からの帰国直後の1978年12月の第11期三中全会で、「改革開放政策」を打ち出し、圧倒的な支持を得て、中国の最高権力者の座を確保する。

ちなみに尖閣列島は歴史的にも国際法的にも日本の固有の領土だとという立場を取り、実行支配をしている。これに対し中国(台湾も)は1971年から自国の領土だと主張し始めた。

その後小平は棚上げによる共同開発案を出し、これが中国政府の公式見解として現在に至っている。


中国を一貫して支援してきた日本

小平の路線の延長が現在の中国の発展だ。中国は日本のGDPを超えるほどの経済的成功を収めているが、宮本大使は中国の改革開放の道のりは決して平坦なものではなく、困難な時期にある中国を一貫して懸命に支えたのは日本だけだった。

★1970年代後半の改革開放政策初期の頃、中国に資金と技術の支援をしたのは日本だけだった。このころの日中友好の証しが、上海の宝山製鉄所だ。

筆者は1983年に宝山製鉄所を訪問した。たしか当時はまだ高炉が完成していなかったと思う。

上海の川向うにある宝山製鉄所がある場所は、今は浦東地区として高層ビルが立ち並ぶ近代的な地域で、1980年代は高層の建物は全くなかったと思う。

宝山寶館というホテルがあり、技術支援していた新日鉄のエンジニアがたくさん宿泊していた。そこで中国側の人と昼食を一緒にした覚えがある。

宝山製鉄所の建設は、一旦新日鉄や三菱重工、石川島播磨重工業などから主要設備を購入する契約が結ばれたあと、中国が外貨不足でキャンセルするという話が出てきて、宙に浮きそうになった。

新日鉄の人は、そんな契約を後でキャンセルしたり、変更したりという国際ビジネスマナーを守らない中国と根気強く付き合い続けた。その結果、現在の宝山製鉄所があるのだ。このあたりは「大地の子」でも取り上げられているストーリーだ。

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★1989年の天安門事件で世界から孤立した中国に最初に手をさしのべたのも日本だった。

★1999年中国のWTO加盟に際し、主要国のなかで最初に加盟の支持を明したのも日本だった。

これらの事実は中国の人たちにも正確に理解し、記憶しておいて欲しいと宮本大使は語る。

日本は中国に対して1980年から2008年まで3兆3164億円の円借款、1530億円の無償資金協力、1670億円の技術協力を行った。


感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国

宮本大使は「感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国」と評しているが、日本からの巨額の援助に対して、最近になって胡錦涛主席・温家宝首相が日本に対する感謝を表明するようになってきた。宮本大使は素直に評価したいと語る。

胡錦涛主席は2008年5月に早稲田大学で演説し、次のように語った、

中国の近代化建設において日本政府は、中国に円借款協力を提供し、中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支持し、中国の近代化建設を促進するうえで積極的な役割を果たしました。

日本各界の方々は、さまざまなかたちで中国の近代化建設に温かい支援を提供しました。大勢の日本の方々が中日友好事業のために心血を注がれたことを、中国人民は永遠に銘記します。」


この感謝の演説が「戦略的互恵関係」という新しい日中関係の基礎となったのである。

歴史問題を正しく理解する

中国では1972年の日本との国交正常化を前に、一部の軍国主義者と一般国民・兵士を区分する二分論が考え出されたという。

中国が愛国主義教育をしているから対日感情が悪化しているという見方もあるが、宮本大使は、両親や祖父母から伝えられたものも含めた日本の対中侵略時の原体験に対する痛みや恨みが根底にあることを日本人は決して忘れてはならないと警告する。

英語で言えばファミリー・ストーリーなのだと。中国で仕事をする人は、中国人の痛みに対する理解がないと中国人とのコミュニケーションは不可能だろうと。

宮本大使は1972年の日中国交回復交渉から関係者だったので、田中角栄首相訪中の時の「ご迷惑」発言に、中国側が表現が軽すぎると騒然となったことや、1982年の「第一次教科書問題」(「侵略」を「進出」に変えた)、1986年の「第2次教科書問題」(日本を守る国民会議」編纂の高校日本史教科書の認定問題)などの経緯を振り返っている。

2001年4月に成立した小泉内閣では、首相の靖国訪問が日中関係を悪化させたのは記憶に新しい。小泉首相は、首相に就任した初年度は、2001年8月13日に靖国神社を訪問し、8月15日を避けたことを中国側は「留意」したことになっていた。

しかし2002年4月に小泉首相は海南島のボーアオ・アジア・フォーラムで朱鎔基総理と会談した9日後に春季例大祭にあわせて靖国神社を訪問する。この一件で、朱鎔基総理はメンツを失ったという話は、宮本大使が中国の友人から何度か聞かされたという。

小泉首相在任中は靖国神社参拝のたびごとに日中間の問題が起こり、サッカーのアジアカップでの反日応援や、日本の国連常任理事国入りに反対する各地での反日デモが暴徒化したことなどが思い出される。

小泉首相は、靖国参拝以外の対中政策はリベラルだったが、靖国問題でここまでやられると中国は振り上げた拳をおろせなくなってしまったというのが実情に近いのではないかと宮本大使は語る。

温家宝首相の明確な靖国神社訪問取りやめ要請にもかかわらず、小泉首相は2005年10月に5回目の靖国神社参拝を実施する。すべての日中間の外交交渉はキャンセルされ、新華社は2005年を日中関係で最悪の年と論評したという。


日中戦略討論のスタート

それでも2005年5月から外務省の谷内事務次官と、戴秉国(たいへいこく)外交部常務副部長との間で、「日中総合政策対話」を始めることとなり、これが「日中戦略対話」となり、その後の日中関係を改善する上で重要な役割を果たした。

2006年4月宮本大使は、駐中国日本国全権大使として3度目の北京勤務の辞令を受けた。日中関係は様々な問題で最悪の時期だったが、谷内次官からは次のように言われて勇気づけられたという。

「外務省の同僚でも、日本外交はいま袋小路に入って先が見えないと暗い顔をしている。しかし自分はそうは思わない。いまやっているのはオセロゲームであり、牌の色が一枚変われば全部が変わる。その一枚が中国だと思っている。全力を挙げて対中関係を改善する決意だ。君には中国でそれを支えて欲しい。」

日本の安全保障理事会入りを阻止しようと、中国はアジア、アフリカ、中南米で穏やかな仮面を脱ぎ捨て怖い顔をさらけ出してしまった。これは中国外交の失敗だった。

日中関係がこのままなら、中国の国益を損なうことがはっきりしてきて、胡錦涛主席が2006年3月に表明した「和すればともに利益し、戦えばともに損す」という考えに中国側もなってきた。


安倍内閣が転機

小泉総理は首相任期の最後に念願の8月15日に靖国神社を参拝し、日中関係をこれ以上ない悪化の状態に落とし込んだ。代わりに後任の安倍首相が就任直後に中国を訪問し、「氷を割る旅」で日中関係を新しいステージに導いた。谷内次官と戴秉国副部長の信頼関係と、二人が双方の政治指導者の信頼を得ていたことが「氷を割る旅」を実現した。

谷内ー戴秉国ラインについてははこのブログで紹介した元NHKの手嶋龍一さんの「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」に詳しい。

葡萄酒か、さもなくば銃弾を葡萄酒か、さもなくば銃弾を
著者:手嶋 龍一
講談社(2008-04-25)
販売元:Amazon.co.jp
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宮本大使は、戴秉国氏が事前交渉のために訪日する際に、この任務に成功したら銅像を建てると約束してしまい、戴秉国氏から催促されて困っているという。

安倍訪中時の共同発表で、「戦略的共通利益に基づく互恵関係」という言葉ができ、これが後の「戦略的互恵関係」という日本側が提案したキーワードに結びつく。

2006年10月の安倍総理の「氷を割る旅」に続き、2007年4月の温家宝首相による「氷を溶かす旅」、2007年12月の福田首相による「春を迎える旅」、2008年5月の胡錦涛主席による「暖春の旅」と続くのである。

温家宝首相による代々木公園でのジョッギング、太極拳、立命館大学での野球、京都での農家訪問、福田首相の北京大学での公演後の絶妙な質疑応答と孔子の故郷曲阜訪問、胡錦涛主席の早稲田大学訪問と福原愛選手との卓球、パナソニック本社訪問など、近くで見ていて宮本さんには多くの思い出があるという。

この本の資料として2008年5月の胡錦涛訪日に際しての「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」が添付されていて興味深い。


戦略的互恵関係の意義

戦略的互恵関係について詳しく宮本大使が解説している。

この新しい関係によって、中国は日本を「平和国家」と公式に認め、日本の軍国主義が復活することはないと結論づけられたことの意義が大きい。いわば「モグラたたき外交」から「攻めの外交」に転換することができたのだと。

1世紀という時間の中でも、そう何度も訪れることのない貴重な機会であり、この機会を逃すべきでないと。

歴史問題が、中国では若い世代の民族主義感情を煽り、強い反応を引き起こし、逆に国内の安定に影響を及ぼす図式になったことも、「歴史カード」が使いにくくなった理由の一つだ。

宮本大使は相互理解の大切さを訴えている。中国人の日本研究家は、「中国人は戦前の日本しか知らず、日本人は隋唐の中国しか知らない」と言っていたという。


その他の特記事項

★宮本大使の大学の恩師の高坂正堯さんの印象に残る話があるので紹介しておく。高坂さんはニュースを見たり、聞いたりしないという。時間の無駄だと。毎日のトップニュースのなかで将来の歴史書に書き残されるものは、ほんのわずかで、人類の歴史という観点から残すべき重要な話はほとんど起こっていない。であれば、歴史書を読んだ方がためになる。なぜなら人類が重要だと考えたことだけが記されているからだと。

3月11日からの福島原発事故のテレビ報道を見ていて、筆者も高坂さんの考えに同感だ。原発報道を見ていて、最初から炉心溶融は間違いないと思っていたのは筆者だけではないだろう。地震直後は1号機、3号機の冷却ができず燃料棒が露出しているという報道だった。

誰もが炉心溶融を思ったのに、NHKなどのマスコミは休止中の4号機の使用済み燃料プールの冷却問題、自衛隊ヘリコプターのセミのションベン報道に移り、全く一号機については報道しなかった。

今頃になって一号機の炉心溶融とか言い出しているが、そんなことは元からみんなが分かっていたことだ。

閑話休題

★中国人に北海道旅行ブームを巻き起こした「非誠勿擾」という映画はこれだ。



★中国では「大砲かバターか」の時代となった。一人から1,000円徴収しても1兆3千億円になるので、こういうやり方で北京オリンピックも上海万博もやったが、人口13億人の中国で一人1,000円配ったとしても1兆3千億円の予算が必要だ。

年金や社会保障を充実させるためには、巨額の資金がかかる。そのことを考えれば、世界に雄飛する軍事大国の建設というのは難しい。

★中国指導部は、ソ連の崩壊を徹底的に分析している。ソ連が崩壊した理由の一つがアフガン侵略に代表される帝国主義的行動である。だから中国は領土を求めることはしない。そして、もう一つの理由はソ連がアメリカとの軍拡競争に敗れて国が疲弊したことだ。

中国は湾岸戦争やイラク戦争での米軍の装備と作戦に驚愕した。軍の近代化は一刻も猶予は許されないが、軍備はあくまで祖国防衛が主眼である。

★四川大地震の時の日本の国際緊急援助隊が死者に黙祷を捧げる姿が、中国国民に与えたイメージは中国人の日本人に対するイメージを変えた。



これ以外にも北京オリンピックの時の入場行進で中国の旗を振ったのは日本チームだけだったとか、女子サッカーで「謝謝CHINA」との横断幕を掲げて、感謝の気持ちを示したりということなどで、日本は「礼の国」だという評価が高まってきた。

宮本大使は、地方交流、青少年交流、観光交流の重要性を挙げて、ソフトパワーの交流の大切さを訴えている。まさに草の根ベースのつきあいが重要なのだ。


さすが中国との外交を長年担当されてきた外務省チャイナスクールの代表格だけある。大変参考になる外交史をふまえた中国との付き合い方論である。


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2011年05月14日

こころを動かすマーケティング 日本コカコーラ会長の魚谷さんの本

こころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられるこころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられる
著者:魚谷 雅彦
ダイヤモンド社(2009-08-07)
販売元:Amazon.co.jp
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日本コカコーラ会長の魚谷さんのコカコーラのマーケティング解説。


魚谷さんの経歴

魚谷さんは留学制度がある会社ということでライオンに入社し、コロンビア大学でマーケティングを学び、MBAを取得。

ニューヨークでコミュニケーションとプレゼンテーションの能力を磨くためにデール・カーネギー・スクールで毎週2回、夜7時から10時まで学んだという。ここにもカーネギーに学んだ人がいた。

帰国後30歳でライオン最年少のプロダクトマネージャーとなる。プロダクトマネージャーの仕事は、机に向かってするものだけではなく、朝から晩まですべての時間が仕事の時間だとライオンの先輩にたたき込まれた。

常に問題意識を持つ、何故だろうと考え、電車に乗る人を観察、テレビコマーシャルを見て、世の中の変化を敏感に感じ取るのだと。最初に入社したライオンには今でも感謝していると。

その後シティ・バンク、欧州食品メーカーからフィリップモリスグループのクラフト・ジャパンの代表取締役副社長、そして1994年に39歳で日本コカコーラにマーケティング担当のシニア・ヴァイスプレジデントとして入社する。

以下に述べるようにマーケティングで鮮烈にデビューし、一度営業を担当した後、マーケティングに戻り、2001年に日本人としては26年ぶりに社長に就任する。

2006年に社長を退き、会長となり、自分の会社のブランドヴィジョンを設立し、現在はNTTドコモの特別顧問も兼務している。


コカコーラのマーケティング

最初に「よく驚かれる事実」として、コカコーラは日本で毎日5,000万人に製品を売っていることを紹介している。

自動販売機で2,000万人(全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機)。スーパーやコンビニで1,600万人。マクドナルドなどのファーストフードやレストランで900万人。これで合計5,000万人となる。

コカコーラは1886年アトランタの薬局で薬剤師をしていたジョン・ペンバートン博士が発明し、シロップを水に混ぜて「コカ・コーラ」というブランドで売り出した。ある時、間違えて炭酸水を混ぜたら、よりおいしいということで現在のコカ・コーラが誕生した。

120年前から同じ物が、世界200国以上で売られ、世界ナンバーワンのブランド価値を誇っている。

ブランドをintrisic value(基本的な価値)とextrinsic value(付帯的な価値)に分けると、味やボトルなど基本的な価値は100年以上変わっていないが、付帯的情緒的な価値は時代に合わせて大きく変化したという。

現在のコカコーラの企業ビジョンは"Live positively"だ。

コカコーラは世界各地で「ボトラー」と呼ぶディストリビューター/ボトル詰め会社ネットワークを持っており、日本にも有力企業との合弁会社を中心に最大18社のボトラーネットワークを持っていた。

コカコーラ全体では全世界で90万人が働いており、日本でも2万3千人が働いているが、日本コカコーラはマーケティング(広告宣伝)専門の会社なので、社員は550人しかいない。

この本では魚谷さんが担当したコカコーラの様々な製品の広告宣伝が紹介されていて興味深い。


まずはジョージアの立て直し

魚谷さんが入社した当日から課題として出されたのは、コーヒーのジョージアだ。1975年に発売されたジョージアは味の良さに強力な流通網が加わり、一時は40%を超えるトップシェアを持っていたが、次第にシェアを失いつつあった。

認知度調査をしてみると、シェアが10%のサントリーのBOSSが一番で、トップシェアのジョージアは2位という結果が出た。

入社して1週間で(社長のOKを取り付けて)、既に大手広告代理店に決まっていた巨額の撮影費用が掛るアメリカの飛行場でのCM撮影をキャンセル。バックに「ジョージア・オン・マイ・マインド」が流れるマンネリのブルーカラーをターゲットとした広告案だったという。広告代理店社内で、とんでもないヤツがきたと、大変な騒ぎになった。

急遽CMを作り直すことになり、広告代理店をすっとばしてJRエクスプレスのCMを作っていた製作会社TYOの早川和良さんに直接1週間で考えて欲しいと依頼に行く。前職での広告の評判が良く、尾崎豊の"I love you"を使った早川さんのCM作品が心に残っていたからだという。



タレントのダンカンがサラリーマンに扮したCMは好評だった。次にたけし軍団を使ったCMを企画するが、たけしのバイクの交通事故でCMはキャンセル。そこで思い立ったのが、飯島直子を使ったサラリーマンをターゲットとする「男のやすらぎキャンペーン」だった。



ブルゾンをプレゼントするキャンペーンには4,400万通の応募があり、ジョージアのシェアは一挙に53%にアップした。成功できたのは、徹底的にターゲットとなる生活者をイメージしたからだと魚谷さんは語る。


お茶飲料

次にお茶を立て直す。魚谷さんの入社した当時はコカコーラはウーロン茶で「茶流彩彩」というブランドを持っていたが、トップのサントリーに全く勝負にならなかった。

「何をやらないかを決めるのも戦略である」とビジネススクールで教わったことを思い出して、ウーロン茶でなく、健康イメージのある「爽健美茶」で勝負した。市場調査は福岡の3日間だけだったという。2人の若いマーケターが確信を持って進めたマーケティングが成功したのだ。

アカペラのコマーシャルはモデル選びが難航したが、最後の体育大生が全員のイメージと一致したという。



次は紅茶だ。マーケティングで「平均点のマーケティングは失敗する」と学んだので、女性をターゲットにリッチなミルクティーというコンセプトで「紅茶花伝」をつくりだした。

生の牛乳を使うことは技術的に難しかったが、これを克服して、一回り小さい缶にして本格派のミルクティーを売り出した。

ほとんどプロモーションをしなかったにもかかわらず一位となり、紅茶飲料のトップブランドだった「午後の紅茶」がミルクティーを売り出してきても一位は全く揺るがなかったという。

この成功でマーケティングに於ける細分化とセグメンテーションの重要性、そして一旦一位になると簡単には変わらない「一番手の法則」を学んだという。

アメリカの広告代理店の経営者が書いた「ポジショニング戦略」という本が参考になったという。

ポジショニング戦略[新版]ポジショニング戦略[新版]
著者:アル・ライズ
海と月社(2008-04-14)
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この本のなかで、「大西洋を2番目に単独飛行した人は誰でしょう?」という質問がある。誰もが一番めのリンドバーグは知っているが、2番目のバート・ヒンクラーの名前は誰も知らない。

どこか一点訴求できる独自の価値を見つけ、自ら新しいカテゴリーを作って差別化できるポジショニングを作り出す。これがマーケターの腕の見せ所だと。


営業起点のマーケティング

魚谷さんはマーケティングの専門家だが、一時社長の指示でコカコーラの営業を担当した。「リレーションベースの営業」と呼ばれていた営業を、「戦略的な営業」に変えるためだ。

社長には「リレーションベースの営業」と呼ばれて居るぞと営業マンに檄を飛ばし、ドラッカーの「マネジメント」の教えに従い、ビジネスプロセスの起点を「お客様」として、当時17社あったボトラー社と営業が「協働マーケティング」に乗り出し、「お客様は誰か」ということからスタートした。17社全部からそれぞれの地域のマーケティングプランを出し、1週間掛けて日本コカコーラへのプレゼンテーションを行ったという。

その結果、圧倒的なシェアを誇る九州地区でジュースが弱いことがわかり、「お客様」である子どもが楽しく飲めるように、キャラクターをつくり、上手い物を飲んだときに出る「クーッ」という声をブランド名にした「QOO」をつくった。



QOOはあっという間に全国に広まり、今やアジアでも販売されている。

かつて日本コカコーラの社長を務めたことのあるオーストラリア人が2000年にCEOに就任すると、一時は日本のCMでさえアトランタの本社のOKを取る必要があるくらい中央集権的だったコカコーラが日本に学べということで、世界各国のトップが日本を訪問してくることになる。

日本法人の社長もオーストラリアのトップを務めていたアメリカ人女性に代わり、魚谷さんは社長と二人三脚で日本コカコーラの経営を担う。


広告メディアバイイングと広告クリエイティブの分離

魚谷さんが入社してすぐにジョージアを担当した時に、メディア購入とクリエイティブを別々に切り離し、仕事の質・量に応じてフィーを払うというやり方に変えた。日本の広告業界に激震をもたらしたという。

それまではメディア購入のつけたしのような広告クリエイティブの存在を広告クリエイティブとして正当に評価することにしたのだ。

一つ一つの広告をしっかり評価してベンチマーキングする。年に一度代理店やクリエイターとレビューを行い、それぞれの担当者にも評価させる、という透明性を高めたシステムとした。

日本コカコーラでは広告を費用とは考えず、投資と考えているから、投資リターンを正確に把握する必要があるのだ。

このようなメディア購入とクリエイティブ分離、評価システム導入の結果、大幅に取引が減る広告代理店があった。魚谷さんが出向いて先方の社長に伝えた。社長のショックを受けた顔を今でも忘れられないという。

最後に新たにメディ購入を一手に引き受けて貰う広告代理店を訪問した。この代理店がジョージアの「明日があるさキャンペーン」を提案した会社だった。


ジョージアの再・立て直し



実はジョージアのコンペでは、当初この代理店は入っていなかったという。無理矢理追加して入れても、第一回目のコンペでは最低評価だった。魚谷さんが断りを入れると、先方の営業次長は「1週間待ってくれ、プレゼンの時間は他社の半分でいい」ということで食い下がる。「営業は断られたときから始まる」だ。

期待しないでプレゼンを受けてみると、前回とは全く違ったものだった。「明日があるさ」キャンペーンの原形で、出演は吉本興業のオールキャスト、CMに近いビデオ映像まで作ってきたという。

魚谷さんはこのとき人の心は動かせるのだと思ったという。あの代理店の次長は、最初の第1回目の審査で負けて、社内にあきらめムードが出たところを、1週間という短い時間で立て直した。

社内の人の心を変えたからこそ、クライアントの心も変えることができた。これこそマーケティングだと思ったという。

このCMは日本コカコーラの歴史でも初めてACC賞グランプリを獲得し、CMからドラマや映画が生まれ、CD発売、吉本興業のオールキャストがNHKの紅白歌合戦に出場するという企業広告を遙かに超えた幅広い展開ができたという。

缶コーヒーのCMがみんなに元気を与えたと評価されたのだ。


最後はコカコーラ

魚谷さんのマーケター最後の仕事はコカコーラのマーケティングだ。それまでの「スカッとさわやか」から「No Reason」というサザンを使ったコマーシャルを導入した。



"No Reason"という標語はアトランタ本社からクレイムがついたが、女性社長が本社に説明してくれてキャンペーンはスタートした。

担当した広告代理店では社内でもコンペを行い、トップクリエイター達が考えたのもサザンだったという。コカコーラはそれまでサザンを起用したことはなかったが、桑田さんの書き下ろしの曲「波乗りジョニー」も、桑田さん自身のCM出演も大変な盛り上がりとなった。

多くの人、関係者を巻き込んだマーケティングの成功例だ。


日本コカコーラの社長に就任

2001年に"No Reason"キャンペーンが成功すると、10月に魚谷さんは47歳で社長に就任した。同じ外資系の日本IBM会長の椎名武雄さんに乾杯の音頭をお願いしたという。椎名さんの"Sell IBM in Japan. Sell Japan in IBM"という標語は、魚谷さんもまさに同感だからという。

社員には本人の名前入りメッセージ集の「こころざし読本」を配布し、共通の価値観である"Fun & Excitement"を共有した。

新商品の提案はA4の紙一枚。説明は3分を流儀にしたという。

日本全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機で、ジョージアの販売のために世界に先駆けてホット・コールド切り替え自動販売機を導入した。元々自動販売機網を拡大したのは、1980年代に社長だったオーストラリア人のトップが、ボトラーの意見を聞いて決断したという。

自動販売機をおサイフケータイ対応として会員登録とあわせてマーケティングデータを取得できるようになった。

日本コカコーラの会長となり、ドコモの顧問に就任してからは、One docomoという各組織を代表する300名ほどのブランド推進リーダー組織をつくった。日産のクロスファンクショナルチームと同様の考えだ。

日本企業はもっとマーケティング経営力を高めていくべきだと魚谷さんは語る。最後にマーケティングに絶対の原理はなく、先回りして新しいニーズをつくることも重要だと語っている。

このブログのように実際の広告を振り返りながら読むと大変楽しめる本である。


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2011年05月11日

アイム・ファイン 浅田次郎のJAL機内誌エッセー集

アイム・ファイン!アイム・ファイン!
著者:浅田 次郎
小学館(2010-01-28)
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小説家浅田次郎さんのJAL機内誌「スカイワード」に2002年から2009年までに連載したエッセーを集めた本。

機内誌だけに旅の話題が多い。全40作のうちはじめはアメリカラスベガスの話題が多いが、JALがラスベガスへの直行便をやめたこともあってか、最近になるにつれ「中原の虹」、「珍妃の井戸」、「蒼穹の昴」の三部作の関係で中国の話題が多くなってくる。

中原の虹 (全4巻)中原の虹 (全4巻)
著者:浅田 次郎
講談社(2007-11)
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珍妃の井戸 (講談社文庫)珍妃の井戸 (講談社文庫)
著者:浅田 次郎
講談社(2005-04-15)
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蒼穹の昴(1) (講談社文庫)蒼穹の昴(1) (講談社文庫)
著者:浅田 次郎
講談社(2004-10-15)
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筆者も知らなかったが、現在は東京からラスベガスに行く直行便はなくなっているそうだ。直行便がなくともユナイテッドあたりのロスかシアトルあたりにワンストップ(機体は同じ)するフライトなら、準直行便となると思うが、浅田さんは仕事柄JALにしか乗れないのかもしれない。

筆者もラスベガスのベネチアンがオープンした翌年に家族で泊まったことがある。浅田さんはベネチアンのVIP会員になっているそうで、無料でVIPスイートルームに泊まれるという。カジノの掛け金も一般人とは違うレートのようだ。


最近は中国の話題が多い

浅田さんの話は最近は中国の話題が多い。「浅田次郎とめぐる『中原の虹』ツアー」でツアコンとしてアテンドする企画を2006年、2008年と開催した話も紹介されている。

浅田次郎とめぐる中国の旅 『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』の世界浅田次郎とめぐる中国の旅 『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』の世界
著者:浅田 次郎
講談社(2008-07-30)
販売元:Amazon.co.jp
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この企画では浅田さんが「世界一の食べ物」と呼んでいる北京の全聚徳の北京ダックを旅程に織り込んでいる。

筆者も全聚徳の北京ダックは大好きだ。日本によくある皮だけの北京ダックでなく、肉も程よくついているのがいい。

しかも全聚徳はファミリーで行ける店もあり、値段も手ごろだ(この本によると、全聚徳の本店は清代からのかまどもろとも消えてしまったそうだが)。

日本にも数店あるので、一度家族で行ってみようと思う。

全聚徳HP






気軽に読めるショートストーリー集

6ページずつのエッセーを40話集めているので、気軽に読める。

浅田さんの生い立ちや、小学生の時にお父さんが事業で失敗して家族ちりじりになったこと。おじいさんが初めてレタスを見た時「ヤロウ!いかにくすぶったってな、人間はウサギじゃねえんだ」と言った、ちゃぶ台返しのタンカ。自衛隊員だった時に30キロの装備を持って100キロ行軍した話。北京郊外の万里の長城の一部、司馬台の簡易ケーブルカーのFlying foxの話も楽しい。

司馬台のFlying foxはYouTubeにも載っているので紹介しておく。



朝から一日7時間著作、5時間読書というのが普通の日の生活なので、運動不足になりがちなため、医者の娘さんに言われて浅田さんも電子万歩計を持っているそうだ。

浅田さんの体験した世界三大暑気は、ミラノのドゥオーモ、チュニジア、伊勢神宮だそうだ。筆者はこのうちチュニジアだけ行ったことがない。

チュニジアの日本大使はこのブログでも紹介した多賀さんなので、本当は多賀さんがおられる間に行かなければならないのだが…。

筆者も体験したことのある話題もあり、楽しく読める本だった。

最後に一つ告白しておく。実は筆者は浅田さんの作品は、「天国への100マイル」とこの本しか読んだことがない。

天国までの百マイル (朝日文庫)天国までの百マイル (朝日文庫)
著者:浅田 次郎
朝日新聞社(2000-10)
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筆者の家内は小説好きなので、浅田さんの本をたぶんほとんど読んでいると思う。大半は図書館からリクエストして借りて読んでいるが、家にも何冊か買った本もある。

筆者はそもそもあまり小説を読まないせいもあるのだが、人気作家というと、つい敬遠してしまう傾向がある。

この本を手始めに、次は「終わらざる夏」を読んでみる。

終わらざる夏 上終わらざる夏 上
著者:浅田 次郎
集英社(2010-07-05)
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2011年05月09日

フェイスブック 若き天才の野望 いわばフェイスブックの公認記録

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)
著者:デビッド・カークパトリック
日経BP社(2011-01-13)
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読書家の上司から借りて映画「ソーシャル・ネットワーク」で話題のフェイスブックについての本を読んでみた。

ソーシャル・ネットワーク 【デラックス・コレクターズ・エディション】(2枚組) [Blu-ray]ソーシャル・ネットワーク 【デラックス・コレクターズ・エディション】(2枚組) [Blu-ray]
出演:ジェシー・アイゼンバーグ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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著者のデイビッド・カーパトリック氏はフォーチュン誌のインターネット・テクノロジー担当のライターだったが、訳者あとがきによると、この本を書くために独立してフリーのライターになったそうだ。

CEOのマーク・ザッカーバーグと社用機でダボス会議に参加したり、いわばフェイスブック公認のお抱えライターとなっている様だ。

この本はザッカーバーグはじめ多くの関係者に直接インタビューして書いているので、フェイスブックの歴史について大変詳しく紹介している。きっちりした仕事ぶりは、このブログで紹介した「フラット化する世界」の著者でピューリッツアー賞を3回受賞しているジャーナリスト、トム・フリードマン氏の作風を思わせる。

この本に書かれているフェイスブックの歴史を一々紹介するとあらすじが長くなりすぎるので、創業当時の感じがわかるように、この本の冒頭に載っている写真を紹介しておく。

この写真に写っているのが、クリス・ヒューズを除くフェイスブックの主要創業メンバーで、彼らがハーバード大学のカークランド学生寮で2004年2月に始めたソーシャル・ネットワークがフェイスブックだ。こんな若い連中が学生寮でネットワーキングビジネスを始めたら、めちゃくちゃなノリになることは容易に想像できると思う。

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あまり読む気にならなかった本

正直この本はあまり読む気にならなかった。

以前紹介したキャリアコンサルタントの海老原嗣生さんの「課長になったらクビにはならない」に、リクルート創業者の江副さんの「10代、20代で名を残す名アーティスト、名選手は多い。しかし、10代、20代で名を馳せた経営者はいない」という言葉が紹介されている。

課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣
著者:海老原 嗣生
朝日新聞出版(2010-05-20)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者は江副さんの言葉は正しいと思う。フェイスブックの26歳のCEO・マーク・ザッカーバーグは、お山の大将、あるいはタイラント(専制君主)としてなんだか好きになれないでいた。

あんなチャラチャラしたヤツについての本を500ページも読むのかと思うと、とても読む気がしなかったが、食わず嫌いは筆者の主義に反するので、ともかく読んでみたところ、フェイスブックの本当の価値がわかった。まさに目からウロコだ。

この本の最初の350ページくらいは、フェイスブックの始まりや、綱渡りで大学を一つ一つつなげていった苦労話、創立メンバーがみんな辞め、あるものはザッカーバーグをアイデア盗用として訴え、結局マーク・ザッカーバーグ一人と2008年にグーグルから雇い入れたCFOシェリル・サンドバーグだけになった経緯などについての話だ。

結果的に成功したが元々ザッカーバーグのリーダーシップや着想が際立っていたというストーリーではない。その意味でこの本のタイトルの「若き天才」というのには違和感がある。

特にベンチャーキャピタルの老舗で最高峰のセコイア・キャピタルとのミーティングにTシャツにパジャマ姿でわざと遅刻して登場し、「投資してはいけない理由トップ10」のプレゼンを行ったというふざけた話のところでは、もう読むのはやめようかとまで思った。


フェイスブックの爆発的拡大と若きCEOマーク・ザッカーバーグ

フェイスブックはハーバードの学生名簿(フェイスブック)として2004年2月にスタートし、すぐにアイビーリーグの大学に広まった。ある大学でサービスをスタートすると、数日のうちにほとんどの学生が登録し、その後も80%以上の学生が毎日使い続けるというStickyな(やみつきになる)ネットワークだった。

後述するように出会い系サイト的な要素もあったが、特に好評だった機能は、ユーザーが講義をクリックすると、その講義を受けているほかの受講者名が表示されるものだった。誰がどういう講義を受けているかは、勉強会づくりや学生の講義選択に大変役立ち、そのためにフェイスブックは講義選択のタイミングにサービス開始を合わせて2004年2月にスタートした。

2004年6月からマーク・ザッカーバーグ他の創業メンバーはサンフランシスコ郊外のパロアルトに移り、それ以降シリコンバレーのベンチャーキャピタルの支援を受けて、順調に事業を拡大し、当初大学関係者のみ(メアドは.eduのみ)だったのを、高校生、そして一般まで拡大した。

サービススタート10ヶ月めで百万人、7年目の現在では世界で5億人のユーザーを誇る世界最大のソーシャル・ネットワークに成長した。

CEOのマーク・ザッカーバーグは、ハーバード大学のコンピューター科学専攻のコンピューターオタク(Geek)で、両親は歯科医と精神科医でマンハッタンのベッドタウン、ニューヨーク州ウェストチェスター郡の裕福な家庭の出身だ。

余談となるが、この本を読むまでコンピューターオタクで"Geek"と"Nerd"の違いがわからなかった。ザッカーバーグは"Geek"とされているので、明るいオタク、"Nerd"は内向的なオタクという差があるようだ。


この本の本当の価値は第13章(金を稼ぐ)にある

マーク・ザッカーバーグは依然として好きになれないが、第13章を読めばフェイスブックの本当の価値はなにかがわかる。最初から読むことが我慢できない場合には、13章から読み始めることをお薦めする。

フェイスブックの最大の特長は実名登録で、これが先行するMySpaceとの最大の違いだ。個人のアイデンティティは一つに限られるので、フェイスブックの会員となり、相手の名前さえ知っていれば、メアドや連絡先を知らなくともコンタクトができるのだ。

万が一同姓同名だったとしても生年月日、出身大学、出身高校、勤務先などでソーティングできる。

全世界で5億人を超えるユーザーが登録しているので、昔の仕事仲間とか、知人とか連絡先が分からない人でも探し出すことができる。

実際筆者も米国駐在時代の知人からフェースブック経由で連絡を貰って、共通の友人(フェイスブックで検索してみたが、この人は登録されていなかった)が4年前に亡くなったことを教えて貰った。


広告としてのフェイスブックの価値はグーグルとは大きく異なる

グーグルの検索連動型広告の場合、本人が「デジカメ」と入力しないとデジカメの広告は表示されないが、フェイスブックなら、「カリフォルニア州在住+小さな子どもがいる+これまで一度も写真をアップロードしていない+既婚男性」という具合に絞り込んで、ターゲット向けにデジカメの広告が打てるのだ。

グーグルがあれだけ成功していても、その事業のほぼすべてが、広告業界では比較的小さな領域で展開されている。世界の広告宣伝費6,000億ドル/年のうち、最大でも20%しか「すでに何が欲しいかわかっている人たち向けの広告」に費やされていない。

広告費の残りの80%がユーザーに欲しいという欲求をよびおこす「要求生成型」広告に使われており、フェイスブックのユーザーの滞在時間の長さと、正確なユーザー情報に基づいてターゲティング広告を打つ能力は、フェイスブックを広告のナンバーワンにするポテンシャルがあるのだ。

フェイスブックのCFOのシェリル・サンドバーグは「われわれはどこよりも質の高い情報を持っている。性別も年齢も場所も知っている。しかもこれは本物のデータであって、誰かが推論したものではない」と語っている。

広告調査会社のACニールセンの代表は、「フェイスブックはグーグルが望んでも得られないチャンスを持っている。超一流ブランド広告主に信頼できる企画を提案する能力だ」と語っている。

「今では、スティーブ・バルマーの150億ドルという評価額がそれほどバカバカしくは見えない。私は将来フェイスブックが根本的にマーケティングを変える怪物企業になると信じている」

これは筆者の思いつきだが、たとえばレクサスのハイブリッド車を売ろうと思ったら、ベンツやBMW,アメリカであればキャディラックに乗っている環境コンシャスな発言をしている人に試乗券を贈るというようなマーケティングをしたら、かなりの確率で売れるのではないかと思う。

同様な発想は、ファッションや宝飾品などの一流ブランドの売り込みに活用できるだろう。

他にはライバル会社から人を引き抜こうとしている会社は、指定した日に指定した都市の、某社の社員だけに広告を表示させることができるという例を挙げている。


フェイスブックの「エンゲージメント広告」

フェイスブックの主要な収入源は「エンゲージメント広告」だ。たとえばマツダは、2018年型モデルのデザインに協力してくれるように呼びかけたところ、全世界のデザーナー志望の学生からアイデアが集まった。ベン・アンド・ジェリーズは次回のアイスクリームのフレーバーは何がいいか会社に提案できるようにした。

この広告に応じて誰かがアイスクリームのフレーバーを提案すると、それが友達のニュースフィードに表示され、さらに友達の輪が広がっていく。ベン・アンド・ジェリーズのファンは6週間で30万人から100万人に増えたという。

高機能版エンゲージメント広告だと、たとえばオムツについて語っている人+あるアーティストの曲を聴いている人、というようなターゲティングもできる。

著者のカーパトリックさんはベビーブーマーで、好きなミュージシャンをたくさんのプロフィールに載せているので、USB接続の古いレコードをデジタル録音するレコードプレーヤーの広告がよく表示されるという。

フェイスブックに載せたエンゲージメント広告のファンがどういう音楽を聴いているのか、広告をクリックした人の性別・年齢別の正確なデータも提供されるので、市場調査にも役立てられる。


フェイスブックの最大の課題はプライバシーの保護

もちろんこれだけの個人情報や趣味・趣向情報を持っているフェイスブックの最大の課題は個人情報・プライバシーの保護だ。ソニーのプレステサイトの個人情報漏えいの合計約1億件というのも過去最大規模だが、保有する個人情報の種類が限られているので、電話番号とクレジットカード情報以外は、漏えいしてもあまり本人にはダメージがないだろう。

しかしフェイスブックは持っている個人情報の種類が他とは全く異なる。クレジットカード情報はあまり多く持っていないと思うが、プライバシーにあたる情報の蓄積が大きい。

2009年のアメリカの経営者への調査では、35%の会社がソーシャル・ネットワークで見つけた情報を理由に休職者を不採用にしているという。オバマ大統領はバージニア州の高校生達に向かって、「フェイスブックに何かを載せる時には注意して貰いたい」と注意したという。

写真にタグも付けられるので、友達と一緒に撮った写真に友達の名前をいれておくと、その人の名前で検索した場合、別の人が撮った写真まで表示される。

これがトラブルの元になった例がある。アングロ・アイリシュ銀行の社員が会社をズル休みして、パーティに出たら、会社の上司を含むオフィスの全員にウソがバレてしまったというのだ。

筆者も最近驚いたことがある。フェイスブックに登録はしているが、あまり使いこんでいなかったので、プロフィールを追加しようとして、「恋愛対象」欄を、自分の「性別」欄だと思って「男性」にしていたのだ。

友人から指摘を受けて、あわてて修正したが、もし恋愛対象を「同性」としている情報が間違って公開され続けていたら、変なカミングアウト攻勢にさらされるところだった。ちなみにその友人も同じく間違って「同性」にしていたが、変なことにはならなかったとのことだった。

このあたりの情報はフェイスブックの生い立ちによるところが大きい。フェイスブックは当初大学キャンパスの出会いサイトとして利用されたので、恋愛対象で男性・女性を選べるのだ(この本では”若い男女の性的関心をめぐるもの”という言い方をしているが、要は出会いサイトだと思う)。創立メンバーの一人のクリス・ヒューズがゲイだったことも、この「恋愛対象」欄があることに関係あるのかもしれない。

当初は「特定の相手とつきあっている/いない」という選択肢のほかに、「求めている出会いの種類」という項目もあり、「デート相手」、「深い関係」、「行きずりのプレイ」、「そのいずれでもよい」から選択するようになっており、「行きずりプレイ」が最も選択されたという。


フェイスブックの国際化

この本で紹介されている2009年末頃の各国でのフェイスブック普及率は次の通りだ。いずれも国民の何パーセントがフェイスブックの会員になっているかの数字だ。

アイスランド 53%
ノルウェー  46%
カナダ    42%
香港     40.5%
英国     40%
チリ     35%
イスラエル  32.5%
カタール   32%
バハマ    30.5%

2010年初めの時点で、フェイスブックは75の言語に対応していた。フェイスブックの国際化は、2008年に提供を開始した「クラウド翻訳」という翻訳ツールによるところが大きい。

このやり方は、まずフェイスブックのソフトウェアがユーザーに向けて翻訳すべき単語のリストを提示して、ユーザーが自発的に翻訳に取り組む。フェイスブックはその結果を集計して、その言語を話す人に一番適した訳語に投票するように依頼して辞書を作っていくのだ。

この方法でまず2008年1月に1,500人のユーザーが4週間掛けてスペイン語版フェイスブックが生まれた。ドイツ語版は2,000人で2週間、フランス語版は4,000人で2日というように、フェイスブックの費用負担なしに各国版が誕生した。

フェイスブック特有の言葉である"poke"も各国語に訳された。


フェイスブックのこれから

過去Yahoo!やグーグルがフェイスブック買収に興味を示した。2007年末にマイクロソフトが会社評価額150億ドルとして、1.6%を2億4千万ドルで取得、フェイスブックの広告販売権を獲得した。同じタイミングで香港の李嘉誠は0.4%に対して6千万ドル出資した。

ザッカーバーグが株式の24%を保有しており、10%はベンチャーキャピタルのアクセル、ロシアのデジタル・スカイ・テクノロジーズが2009年に5%を取得した。残りは創業者たちや社員、ほかのベンチャーキャピタルが保有している。

フェイスブックはいずれ株式公開し、その時は過去最大規模のIPOとなるだろう。

取締役会の定員は5名で、ザッカーバーグは自分のほかに2名の取締役を指名する権利を持っており、フェイスブックの経営権を握っている。2009年からはワシントンポストのドン・グレアムとインターネットブラウザーの元祖MOSAICの発明者でありネットスケープ共同創業者のマーク・アンドリーセンが取締役会に加わった。

ザッカーバーグは、「こんなことを言うと心配するかもしれないが、僕は仕事を通じて学んでいるのだ」と社員に語ったという。ザッカーバーグはまだ26歳、ワシントンポストCEOのドン・グレアム、マーク・アンドリーセン、最近ではアップルのスティーブ・ジョッブスを崇拝しているという。

上記に紹介したリクルート創業者の江副さんの言葉通り「10代、20代で名を残す名アーティスト、名選手は多い。しかし、10代、20代で名を馳せた経営者はいない」。CEOのマーク・ザッカーバーグも、フェイスブックが5億人あるいはそれ以上のネットワークになると確信して経営をしてきたわけではなく、広告のビジネスモデルも将来を予見してつくりあげたものではない。

しかしそうは言っても創業から2年目の2006年にYahoo!が10億ドルの買収提案を出してきたときに、提案を蹴ったのはザッカーバーグであり、その翌年マイクロソフトが会社を総額150億ドルで評価して、ザッカーバーグの先見性が証明される結果となった。

株式公開による資金調達をせずに5億人の会員を集められたのは、すごいことである。

この本ではフェイスブックの将来のビジネスモデルについて具体的には何も示唆していないが、筆者の勝手な想像では多分アマゾンと提携するか、あるいは他の専門サイトと提携して購買情報まで進出していくのではないかと思う。

フェイスブックの持つ個人情報と属性・趣向情報と、アマゾンの持つ購買情報が合体すれば、最強のデータベースマーケティングができるだろう。

世界で最高のCRM、データベースマーケティングは、英国の半分の家庭に普及しているClub Cardを持つ英国のスーパーマーケットのTESCOと言われている。同じ英国のスーパーマーケットチェーンのSainsburyが加盟するNectarも、TESCOと同様の最先端のデータベースマーケティングを行っている。

これらはスーパーのPOS購買情報と会員カードの顧客個人情報を一緒に管理することで、誰が何を買ったかという過去のデータを元に、個人の購買パターンにあわせた商品を提案している。

そういった過去のデータ分析に加えて、もしフェイスブックでの言動やツイッターのつぶやきをデータとして取り込み、近未来の購買予測を元にリコメンドできたら、最強の販促手段ができると思う。

フェイスブックのマーク・ザッカーバーグがそんなことを考えているかどうかわからないが、この本の第13章で説明されているように、せっかく広告の80%を占める「要求生成型」広告ビジネスに属しているのであれば、ぜひ高度なCRMを実現して欲しいと思う。

内容もさることながら、翻訳も良い。頭にスッと入る翻訳である。500ページの大作ではあるが、得るところの多い本だった。


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2011年05月08日

最近見た映画 ジャッカルの日

ジャッカルの日 【ベスト・ライブラリー 1500円:アクション映画特集】 [DVD]ジャッカルの日 【ベスト・ライブラリー 1500円:アクション映画特集】 [DVD]
出演:エドワード・フォックス
ジェネオン・ユニバーサル(2011-04-27)
販売元:Amazon.co.jp
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ゴールデン・ウィークにフォーサイス原作の映画化、「ジャッカルの日」を図書館でDVDを借りて見た。



原作は読んだことがないが、映画はサスペンス映画として大変面白い。

終盤のパレードの場面は戦車やいろいろな部隊の大規模なパレードのシーンで、実写かと思わせるような迫力だ。

港区図書館で予約してDVDを借りた。この作品の前後の港区図書館のDVD蔵書は次の通りだ。

港区図書館ジャ






今年のゴールデン・ウィークは2日休みを取って連続10日間休めたので、映画を何本か見てゆっくりできた。

映画館で見る感動とはまた異なると思うが、YouTubeで「ジャッカルの日」は全編公開されているので(1973年の映画なので、あるいは著作権がもう切れているのかもしれない)、興味ある人は一度チェックしてみることをおすすめする。



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2011年05月07日

震災時帰宅支援マップ 念のため読んでみた

震災時帰宅支援マップ 多摩・城西方面―歩いて帰る震災時帰宅支援マップ 多摩・城西方面―歩いて帰る
昭文社(2005-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

あなたは3月11日の東北大震災の時は、どうされていただろうか?

筆者はちょうどあの日の午後は御茶ノ水の病院で検査の予約のために健診を受けるところだった。2時の予約なのにずっと待たされて、地震が起きたときは病院の1階にいた。揺れるには揺れて、エレベーターも緊急停止したが、病院自体にはそんな大したダメージはなかった。

そのうち1階のロビーに集合してくれということで、集まるとちょうどテレビが津波が押し寄せてくるところを中継していた。気仙沼なのか、あるいは別の町かもしれないが、津波で漁船が湾岸の道路まで押し流されて壊れるところを繰り返し放送していた。

結局2時のアポイントが4時頃になり、それから帰ろうと思っていたところ、ちょうど家内が都内に友達と来ているという連絡があった。地震直後は携帯メールも使えたのだ。そこで銀座高島屋で合流して、交通機関が回復するのを待って、地下鉄と小田急線で午前2時頃に帰宅した。

自宅には子ども二人が留守番をしていた。自宅のダメージとしては、壁に飾ってあった飾り皿が一つ落ちて壊れたことと、小さい本棚と本を入れていたロッカーから本が落ちて、電気スタンドが2つ壊れたことくらいだった。

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高島屋には数百人の人が交通機関の回復を待っていた。こんな時は公園などで待つより、デパートとかホテルとか客相手の店で待機するのに限る。食べ物も飲み物も豊富で、イスが少なかったので階段に座って待っていたが、下に敷くコルゲーテッドシートなども配ってくれた。

後で聞いた話では、銀座の千疋屋では軽食まで出してくれたという話だが、筆者が確認したわけではない。

高島屋では全員に乾パンと水を配っていた。そのうち8時過ぎにまずは銀座線が復旧。日本で最も古い地下鉄が一番先に復旧するとは驚きだった。

そのうちに各地下鉄が順次復旧、京王線に続き、小田急は12時頃に復旧した。

小田急線は復旧していなかったが、最悪京王線で最寄り駅まで帰れば良いと思って、11時頃まで待って、筆者達は銀座線ー丸ノ内線で新宿まで出たところ、その時までには小田急線も復旧しており、電車で帰った。

家内が居たから、家内の反対で歩いて帰らなかったが、たぶん一人だったら歩いて帰ったと思う。

漠然と帰宅ルートは国道246をずっと歩いて、あとはこどもの国あたりで北上すれば良いと思っていたが、今回この本を読んで、そのルートではえらく遠回りなことがわかった。

筆者の場合は、まず246に出て、三軒茶屋付近で世田谷通りに入り、それからずっと世田谷通りを小田急線の鶴川まで歩くというルートになる。

この本には、地震発生時には公立学校は水、トイレなどの提供に開放されるというような、ちょっとした情報も載っていて便利だ。

アマゾンで見ると、震災時帰宅支援マップは首都圏版と京阪神版しか出版されていないようだが、他の地方都市は通勤距離も短く余り必要でないのかもしれない。

余震もまだあり、いずれ東南海沖地震が起こることが予想されている。菅首相は昨日静岡県御前崎の浜岡原発の全炉停止を要請した。

まだまだ地震のリスクはあると思うので、首都圏に通勤・通学している人は、一度本屋で立ち読みなどして、帰宅経路を確認しておくことをお薦めする。

尚、筆者は非常事態策としてカバンのなかに懐中電灯とSOY JOYと飴を常時入れている。

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今まで懐中電灯を使う事態になったことはないが、特に地下鉄や地下街で災害にあった時には役立つと思うので、小型の懐中電灯の携帯をおすすめする。


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2011年05月04日

グッド・ウィル・ハンティング 録画していた映画を見た

グッド・ウィル・ハンティング [DVD]グッド・ウィル・ハンティング [DVD]
著者:ロビン・ウィリアムズ
出演:ロビン・ウィリアムス
松竹ホームビデオ(2008-06-27)
販売元:Amazon.co.jp
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ゴールデン・ウィークなので録画していた映画「グッド・ウィル・ハンティング」を見た。



主に次男がリーガ・エスパニョーラを見るためにWOWWOWを契約しているが、時々良い映画があると録画している。この映画もだいぶ前にWOWWOWで放送されていたのを見直した。

実は録画すると、いつでも見られと思って、結局見ていない映画が多い。「おくりびと」も録画しているが、これもまだ見ていない。



「グッド・ウィル・ハンティング」は、天才的頭脳を持つ20歳の非行少年を発見したフィールズ賞受賞者のMIT教授が、大学時代のルームメイトの心理学者にカウンセリングを依頼して苦労して更正させるというストーリーだ。

フィールズ賞受賞者が解けない数学の問題を少年が簡単に解いてしまうというマンガのような場面もあるが、児童虐待を受け性格がねじ曲がった少年を若いマット・デイモンが熱演している。

心理学者は市民大学の講師という設定で、ロビン・ウィリアムズが演じて、この作品でアカデミー賞助演男優賞を受賞している。ベトナム帰りの心理学者という設定で、ロビン・ウィリアムズの「グッドモーニング・ベトナム」を思い出す。



この映画の特長は脚本だ。ハーバードに在学していたマット・デイモンが、脚本の原案を書き、友達のベン・アフレックに見せ、二人で完成させた脚本が紆余曲折を経て映画化された。マット・デイモンとベン・アフレックはこの作品でアカデミー賞脚本賞も受賞している。

ベン・アフレックは弟のケーシー・アフレックと一緒にマット・デイモンの同僚の労働者友達を演じている。プライベートでもこの3人は幼なじみだ。

英語版のインターネット・モービー・データベースというサイトの「グッド・ウィル・ハンティング」にスクリーンショットなどが紹介されているので、興味ある人は是非見て欲しい。

"F”ワードがやたら出てくる英語のきたない会話は、ついて行けない部分も多いが、アメリカの労働者階級の若者達という設定なら、こんなものなのかもしれない。

アカデミー賞受賞作らしい良い映画だった。


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2011年05月03日

一番になる人 つんく♂自身のl言葉で語る成功哲学

一番になる人一番になる人
著者:つんく♂
サンマーク出版(2008-08-05)
販売元:Amazon.co.jp
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シャ乱Qのボーカリストで、モーニング娘。などのプロデューサーとしても有名なつんく♂の本。

多読人中島考隆志さんの本で紹介されていたので読んでみた。

有名人の本は有名人からの取材をベースにライターが書く場合が多いと思うが、この本はたぶんつんく♂自身が書いているのだと思う。手作り感と読者に対する愛情にあふれている。

この本ではつんく♂がどんな本を読んでいるのかは書いていないが、多くの成功哲学の本にある成功の秘訣ををつんく♂自身の言葉で書いている。


トイレの格言

この本はつんく♂の会社(TNX株式会社)のトイレの壁に貼りだしてある手書きの「トイレの格言」をまとめたものだという。

たまたまオフィスに打合せのために来ていた編集者の発案で、このような本を出すことになった。

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出典:本書191ページ

アマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見て欲しいが、つぎのような構成となっている。

第1章 妄想力の強い人になれ!

第2章 好きなことに没頭するひとになれ!

第3章 売れる理由を考え抜く人になれ!

第4章 損して徳とる人になれ!

第5章 勝負パンツを毎日はく人になれ!

第6章 川の流れに沿って生きる人になれ!

エピローグ

どの章題もユニークであり、読んでいて面白い。


中学生の時に一番になる方法を考えた

つんく♂は中学生の時に「一番になる人」と自分の違いを研究し、自分が一番になる方法を考えたという。

それから10年たちシャ乱Qでプロデビューして2年後、CDは全く売れず、引退の危機にさらされていた時にも、一番になる方法を考え、ワンルームのアパートの部屋を見回して、ある詞が浮かんだ。

それが「シングルベット」だ。それまでプロの作詞家に並びたいという意識が強すぎて、メルヘンチックのカッコいい詞ばかり書いていたが、あるとき「俺がいま居る狭い部屋、これを書こう」と気づいて書いた詞だった。




才能がないから地道な営業努力をする

「有線放送で一番になる」、そんな妄想を抱いて、全国の有線放送会社にシャ乱Qのメンバーがレコード会社の社員役とバンド役、二人一組で電話を掛けまくった。

「オレオレ詐欺」と手口は似ている。ヒマだったから時間はたくさんあったので、朝11時頃から毎日7時間ぶっ続けで営業マンのように電話を掛けまくったという。

だんだん有線放送でながれるようになり、結果的には100万枚以上のCDが売れていた。

それから何度も「一番になる」ことができたが、才能があったからではなく、才能がなかったからこそ、「一番になる」ことが出来たのだと。

才能がなかったから、有線放送会社に電話営業する労を惜しむことがなかった。凡人だからこそ、売れるための方法を研究することに力を注げた。

このつんく♂の言葉には普遍的な真実が含まれている。ミュージシャンの場合、ある程度の音楽の才能がある人はそれこそゴマンといるわけで、売れないミュージシャンはそれこそ掃いて捨てるほどいる。

その売れないミュージシャンの集団から抜け出すには、「ある日突然向こうから声がかかってくる」奇跡を待つのではなく、売れるための地道な努力が必要なのだ。


一番になるためのパスワード集

つんく♂は誰もが一番になれると語る。この本にそのための「パスワード」を盛り込んだのだと。つんく♂の語るパスワードをいくつか紹介する。


妄想は未来を切り開くパスワード

つんく♂の家は塩干・乾物屋だったので、店を手伝う話が随所に出てくる。子どものころに家のたまの休みに白浜にお父さんが連れて行ってくれるという話があり、つんくは釣りの場面をシミュレーションして楽しんでいたという。

彼女と話すシーンや、バンドをつくってライブで歌うシーン、失敗したシーンなど、さまざまなシーンのシミュレーションも思い浮かべていたという。

「妄想」は恋愛にも似ているという、相手の事を思い、相手の気持ちを想像し、相手がどう反応するかを考えることで、いい印象を持ってもらいたいと願うことに似ている。

つまりカーネギーのいう「相手の立場になって考える」のと同じことだ。

「妄想」のやり方ひとつで、人生はいかようにも変化させることができる。

「妄想」あるいは事前シミュレーションが成功の第1のパスワードなのだ。


何通りかの受け答えを想定して全部覚える

つんく♂は「仕事で人前に立つときには、必ず自分がしゃべるセリフを全部メモに書いておけ」とアドバイスするという。

プロである以上、トークで人を楽しませなければならない。そのためにテレビ番組に出る時にも相手の質問を予測してシミュレーションをしておくのだ。

タモリの番組をビデオで研究してみると、タモリは「最近売れてるねえ」、「忙しいんじゃないの」、「いろんなところで顔見るよね」という具合に、具体的な質問はしないことに気が付いた。

相手が答えやすいような質問をして、相手に好きなことをしゃべらせているのだと。

逆にタモリが、「売れたね」、「雰囲気変えた?」、「親戚増えたでしょ」、「出身はどこなの」という具合に流れる時は、ゲストが何も用意していないので、タモリが相当気を遣っている様子がわかる、

短い時間に自分のいいたいことを言うためには、十分にシミュレーションして臨むのだ。モーニング娘。にも、こんな質問が来たら、こんなことを答えるようにとメンバー1人1人にアドバイスしていたという。

たとえばディズニーランドに行って、「どうでしたか」と言われて、「おもしろかったです」とか「たのしかったです」と数人のメンバーから同じ答だったら、視聴者はつまらなく思うはず。

だから彼女たちには「ミッキーがつまづいたんですよ」とかいった話をするように指導してきたという。

アドリブで常に勝負するのは大変で、おもしろいネタが適切なタイミングで出てくるとは限らない。だから事前に何度も練っておくのだ。


とことん考え抜く

シャ乱Qがヒットを飛ばすまで手取り6万円の「地獄の2年」だったという。しかし、このときに学んだものは大きかった。お金はなかったが、時間はたっぷりあったので、とことん考えたという。

まず自分たちには才能がないことに気がついた。その上で「売れる凡人」になるにはどうしたらよいか考え抜いた。

つんく♂のおばあさんは、「いま売れてないもんでも、頭使えば売れるんや」と言っていたという。


売れるまでやめない

つんく♂は、天才と呼ばれる人、「売れる音楽」を徹底的に研究した。凡人は、天才のノウハウを研究してコツコツやっていくしか道はない。何かがヒットする、そこには必ず「売れる理由」があるのだ。

天才は3回でできることを、凡才は100回も200回も練習する。天才には追いつけないが、練習していくうちに「コツ」がつかめるようになる。

「好きなこと」で、一位になるまで準備し続けるのだ。人生というものは、たくさんの人が一本の鉄棒にぶら下がっているようなものだと。あと10秒、あと10秒と最後まで我慢してぶら下がるのだ。


歌詞は一枚のスナップ写真

つんく♂は「歌詞は一枚のスナップ写真であるべきだ」と語る。「津軽海峡冬景色」などのヒット曲は一枚の写真から出来ているという。



素人が作詞をすると、だんだんに時間や場所がずれてしまう。

歌い方にもリズムがある。誰も教えてくれなかったが、歌には基本的に一定の速度でリズムが流れている。たいてい120〜140BPM(一分当たりの脈拍数)のリズムで流れていると。

ビートルズの曲は英語の曲なのになぜ耳に残るのだろう。サザンの曲は歌詞としては聞きにくいのに、なぜ耳に心地よいのだろう。逆に声はいいのに、なぜか心に訴えかけてこない歌手がいるのはなぜなのだろう。



こんなことを考え、歌い方のリズムが違うということに思い立ったという。

たとえば小林克也の英語はネイティブに近いと言われるが、その要素の一つは英語のリズムでしゃべるからだという。



これに気づいて、「シングルベッド」のサビは、「シイインンングウウルベエエエッドで」と細かく16ビートを感じるように割ってリズムを取っているのだ。

モーニング娘。も素人だった女の子達をこのリズム感で鍛えた。あのはじけるリズム感は訓練で身につけたものなのだと。




つんく♂はエネルギー業者

つんく♂は、言葉を組み合わせて詞をつくり、音楽に乗せて一つ一つの語句の持つエネルギーを何百倍、何千倍もの爆発的なパワーに変えていく。

だから音楽というエネルギーを取り扱う業者なのだと。人はみんなエネルギー業者といえるので、自分もどうやれば世の中にプラスのエネルギーを供給できるかと考えているという。


人生で大事なことはすべてわが家で学んだ

最近は似たようなタイトルの本がいくつも出ているが、人生で大事なことの基本は、すべてわが家の手伝いを通じて学んだのではないかとつんく♂は語る。

それは「サービス精神」だ。「損して徳とる」、「得」ではなく「徳」をとる、つまり、相手の期待を常に上回るサービスを提供する。それをじいちゃんとばあちゃんからたたき込まれたという。

「人が遊んでいるうちに働けよ」
「『なにくそ!』と思う性根」が大事や。
「頭下げるのはタダや」
「丁稚というのは3年はやってみんと意味がない」
「3年を一日でも超えたら立派やけど、2年と364日では意味がない」

みんなじいちゃん、ばあちゃんの言葉だ。

「一番になる人」は自然と頭を下げ、いつでも笑顔をこころがけているのではないだろうか。

実家の乾物屋で手伝いして、3−4人の客を同時に相手にして間違いのないように接客するということをこなしていたという。だからモーニング娘。はじめいくつものグループを立ち上げたときも、あのころの忙しさに比べるとまだ余裕があるのだ。


アメーバのように生きる(面倒な仕事も進んで受ける)

つんく♂は、たとえ自分より知識や経験がない人でも、人の意見には必ず耳を傾けるという。相手と自分の考えをシェイクして、吸収し、自分のものにする。アメーバのように何かを吸収することによって、どんどんかたちを変えていくのだ。

自分が成功したパターンに固執しすぎると、次のステージに進んで成長出来なくなるのだ。タレントで言うとSMAPはお笑いでも何でもやろうとする心意気がある。彼らが長く人気を保っている理由の一つはそれではないか。

「面倒くさい仕事にこそ、大きな宝物が隠されている。人が面倒くさがる仕事がいちばんやりがいがあって、楽しく、報酬もでかい。得られる信用も絶大である。」と社員には言っていると語る。

モーニング娘。も元々は乗り気ではない仕事だったが、「はいわかりました」と受け、全身全霊で打ち込んだ。

「ああ、俺って、教えるの、こんなに好きやったんや」と気づかされたという。無我夢中で取り組んだモーニング娘。はシャ乱Qの成功を遙かに上回る成功を収めた。


とにかくかたちにする人

つんく♂は、「今日は曲を書く日」と決めたら絶対にその日に書くということを鉄則にしているという。

もう一日、もう一日と締め切りを延ばす人がいるが、こだわればこだわるほど良い作品ができるわけではない。

僕たち凡人が最初からミラクルを夢見て納期を守らずに仕事をするのは、あまりにもリスクが高いと語る。

自己満足は自分一人の世界でやるべきことで、少なくともビジネスの場でやるべきではない。自分の満足は大衆の満足ではない。そこを勘違いしたために、どれだけ多くの優秀な人たちが自滅していったことだろう。

ヒマな人間ほど締め切りを守れないのではないかと思えるという。

自分が満足できるフレーズが浮かばなくとも、とにかく曲に仕上げる。とにかくかたちにする。それがエネルギー業者としての流儀だと。

つんく♂は最近大震災被災者への応援歌"Love is here"を作っている。



つんく♂はたぶん芸能界でも最も忙しいプロデューサーの一人だと思うが、そのつんく♂でも締め切りはちゃんと守っている。

このつんく♂の言葉に筆者は反省するところしきりである。筆者も最終的に間に合えばよいだろうと自分勝手に考えて、締め切りを守れないことがしばしばある。

筆者も悔い改めて、つんく♂の様にやる日を決めたら必ずその日に仕上げることを心がける。

ちなみにモーニング娘。の「LOVEマシーン」は、1999年9月9日にCDを売り出すと決めていたという。



締め切りをギリギリセーフという形だったが、逆に締め切りを守ったからこそ、あれほどのヒット作品が生まれたのだと。締め切りは人間の能力を最大限に引き出す装置


つんく♂のファミリー

最後につんく♂はプライベートなことを書いている。つんく♂は奥さんと36歳の時に見合いで知り合って、結婚をきめ、西本願寺で仏前結婚式を挙げた。奥さんは先祖が導いてくれた「運命の人」だと。

結婚して、家庭を営み、子どもを授かり、育てていく。
「ああ、なんてぜいたくなことなんだ」。


最後に男の子と女の子の双子が生まれ、父親になったことを報告している。「こんなに小さな命が、僕という人間を必要としている」そう思えるだけで、とても満たされた気持ちになれたという。

つんくには3月18日に第3子の女の子が誕生している。


実にほのぼのとした読後感のある本である。しかも成功哲学の基本(成功するまでやる)をきっちり抑えている。芸能界の売れっ子プロデューサーというチャラチャラしたイメージとは異なる、しっかり自分の考えを持って生きている人がそこにいる。


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2011年05月01日

すごい読書! 超多作ライター 中島孝志さんの読書アウトプット法

仕事力・マネー力・運気力がアップする すごい読書!仕事力・マネー力・運気力がアップする すごい読書!
著者:中島 孝志
マガジンハウス(2009-07-23)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

著書は200冊を超え、年間3,000冊の本を読むという超多作ライター中島孝志さんの本。

中島さんはPHP研究所に居たことがあるが、松下幸之助さんは「きみ、本読みになったらあかんで」と言われていたという。

本を読んでそれを仕事や人生に生かす、あるいは人生を豊かにするのが目的なのであって、単に本読みの物知りになるなという警鐘である。

筆者も常に心にとめておかねばならない言葉だ。

この本ではアウトプットに役立つ読書というコンセプトで、仕事に役立つ読書、お金が儲かる読書、ひとまわり人間が大きくなる読書という切り口で推薦書を提案している。

この本を読んで中島さんも筆者と同じような考えを持って、実践していることがわかった。

たとえば図書館の利用だ。中島さんの仕事場の5メートル先?が図書館だという。本は読んでナンボなので、買うのではなく図書館を使えばよいのだと。

中島さんは常にポストイットをもっており、考えが浮かんだらメモして、本を使って自分自身と対話しているという。「一人ブレスト」だと。

中島さんは年間3,000冊読むというが、だいたいまえがきと目次を読むとどんなレベルなのかは一目瞭然だと語る。

3,000冊のうち、20%は見込み違い、20%がいい意味で期待を裏切っている本。しかしその20%の本でも、本当に役立つのはさらに少なくその20%、つまり120冊程度ではないかと。

筆者はあらすじを書いているので、中島さんとは読むメッシュがたぶん違うと思う。あらすじを書いた本は基本的に最初から最後まで読んでいる。

中島さんのような書評を書くというのが目的で、ピンとひらめいた文が一行か2行あれば良いという読み方であれば、たぶん上記のような歩留まり4%ということになるのだろう。

筆者は本の選択にも十分時間を掛けているので、歩留まりはもっと高い。全部あらすじとしてアウトプットできていないが、年間300冊読むうち、150冊くらいはあらすじで紹介しているペースだ。

その意味では歩留まり5割というところか。

以前紹介した「本は絶対、一人で読むな」は、ずいぶん参考になる本が多かったが、この本で紹介されている本は、山本周五郎の作品など筆者が既に読んだ本も多く、残念ながらあまり興味を惹かれなかった。

本は絶対、1人で読むな!本は絶対、1人で読むな!
著者:中島 孝志
潮出版社(2010-11)
販売元:Amazon.co.jp
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中島さんはスティーブン・コヴィーの「7つの習慣」は読んだことがないし、これからも読まないだろうと語る。食わず嫌いというか、成功哲学好き?の筆者は違和感を覚えるコメントだ。

中島さんも、やはり図書館派でポストイット派というのがわかったのが収穫だった。


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Posted by yaori at 01:12Comments(0)TrackBack(0)