2011年10月27日

民主の敵 野田佳彦総理の本 

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
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平成23年9月に総理大臣に就任した野田佳彦首相の本。平成21年7月、つまり政権交代が起こった第45回衆議院選挙の直前に発行されたものだ。野田総理が誕生して、最近また本屋に平積みにされている。

このブログで紹介した政治家の本の中では、韓国の李明博大統領の本と台湾の李登輝元総統の本が良かった。日本の政治家では中曽根康弘さんの本もよかったが、これは総理大臣を引退してだいぶ経った後の本なので、比較にはならない。

これから総理大臣をめざそうという人の本としては、古くは田中角栄の「日本列島改造論」そして田中角栄の直系の小沢一郎の「日本列造計画」がある。

日本列島改造論 (1972年)
著者:田中 角栄
日刊工業新聞社(1972)
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日本改造計画日本改造計画
著者:小沢 一郎
講談社(1993-05-21)
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野田首相の本は、野党だった民主党が政権交代を実現するという目的のもとに書かれた本なので、「政権交代に大義あり」という副題がついている。

まだ読んでいない人も多いと思うので、あまり詳しくは述べない。昔の小渕恵三総理が、アメリカのメディアに「冷めたピザ」と呼ばれたことがあった。しかし、野田さんを「冷めたピザ」と呼ばずして、誰を呼ぶのかという気にさせる本だ。

全くビジョンがない。アマゾンのカスタマーレビューでもメタメタだ。当たり前だろう。

この人には喫緊の問題の1,000兆円に到達する日本の国債と公的債務をどうするのか、現在の財政赤字をどう解消するのかというビジョンがない。よしんんば増税するにせよ、それをどうやって国民の納得を得るのかという日本の政治家として最も重要な問題への解決策がない。

当時の自民党政権への攻撃と、政権交代の必要性を訴えるだけで、この人に任せたら日本は良い方向に進むだろうという確信が全く持てない。

いったん政権交代したら、数年交代でまた自民党政権に戻ってもよいという弱気な態度にも鼻白む思いだ。

船橋駅で熱心に街頭演説を長年やってきたそうだが、ほとんど誰も聞いていないところで一方的に話してもなんの自慢にもならない。

野田首相になったら、なにが変わるのか?菅前首相夫人の菅伸子さんのように、聞いてみたいところである。

あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)
著者:菅 伸子
幻冬舎(2010-07-21)
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ともあれ、印象に残った点を紹介しておく。

★2008年1月の当時の大田弘子内閣府特命担当大臣の「日本経済はもはや一流ではない」というセリフに食いついている。大田さんは長年、経済財政諮問会議の委員で、大臣にまでなった人なので、日本の方向性を決めてきたメンバーの一人である。あなたにだけは言われたくない、と思い出すたびに怒りが込み上げてくるという。

筆者には、経済財政諮問会議が日本の国の方向性をきめて来たとは思えない。ましてや大田弘子さんが政策を決める力があったとは思えない。たしかに傍観者的な発言に怒るという気持ちはわからないでもないが、「そんな大した人か?」という感じだ。

★小沢一郎の自由党と管直人の民主党が合併した時に、「モーニング娘。に天童よしみが加入」という感じだったと語る。

なにが天童よしみなのかよくわからないが、信念を持った政治家であれば、ベテランでも若手でも変わりはないはずである。中曽根さんは28歳で衆議院議員に当選し、早くから首相公選を訴えていた。国民に選ばれた政治家の間でモーニング娘。と天童よしみに比べるほどの差はないのではないか?

★野田さんは田中角栄さん以来、記憶にある範囲で「宰相」という重みを感じる人は中曽根康弘元総理だけだと語る。これには筆者も賛成だ。中曽根さんはビジョンがあったと思う。それにブレーンをうまく使った。そんな偉大な政治家を、年齢だけを理由に国会議員を辞めさせたのは小泉純一郎元総理だ。

★政権交代の醍醐味は、お金の使い方を変えることで、役人に緊張感を持たせることだ。しかしいずれは緊張感がなくなり、自民党と同じ過ちを犯す可能性はあるので、5年から8年で政権は交代していくべきだろう。政党には、頭を冷やして勉強しなおす時期があってしかるべきだと。

★衆議院は300人で十分だという。その通り実現して欲しいものだ。世襲はやめるべきで、同一選挙区から連続してその国会議員の配偶者や3親等内の親族が立候補できないという内規を民主党はつくったという。

塩川正十郎(塩ジイ)が「母屋ではおかゆをすすりながら、離れではすき焼きを食っている」という有名な言葉を残している特別会計については、2005年に民主党が特別会計改革・野田プランを発表している。

いったんすべてをゼロベースで見直し、31特別会計、60勘定のうち、24特別会計を廃止する方針だという。特別会計のことを「誰一人金の流れを把握できていない異常」と呼んでいる。是非実現して欲しいものだが、民主党政権下の現状はどうなのだろうか?

★政と官の癒着がつくりあげた関係が天下りと「渡り」だと。働きアリの国民が納めた血税と子供たちのポケットに手を突っ込んで得たお金で、シロアリのような天下り団体を温存させようとしている。

民主党が調べた結果では、2万6千人の国家公務員OBが4,700の法人に天下っており、それらの天下り法人に12兆6千億円もの血税が流れていると語る。天下り撲滅だと言う。

こういうおおざっぱな議論には、ケチをつけたくなる。ファンクションがあって、能力があれば元官僚でも全く問題ない。大体、12兆6千億円はどこから出てきた金額なのかわからない。

★国連至上主義を排し、集団的自衛権を認める時期で、「自衛官の倅(せがれ)」の外交・安全保障論だと。この辺は国連至上主義に近い小沢一郎と一線を画すところだ。さらに田母神さんを英雄視してはいけない。航空自衛隊の制服組のトップの戦略眼を疑うという。


★松下幸之助の200年かけて日本の海を埋め立てて国土を広げていくという「新国土創成論」に対してバージョンアップした「新日本創成論」をやりたいという。

新国土創成論―日本をひらく (1976年)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1976)
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日本は宇宙先進国であり、これからは宇宙と海とハブ化で立体的に発展を目指すという。ちなみに超党派で宇宙基本法を2008年に制定したことを紹介している。宇宙や海に行く前に日本の現在の公的債務問題をどうするのか?どこから宇宙や海を開発する予算を出すのか?

★憲法は「日本」がテーマの企画書。野田さんは新憲法制定論者だという。世界の憲法のなかで15番目に古い憲法なのだと。

憲法は「古い」と「悪い」のか?時代に合わない点を改憲する事でも良いのではないか?なぜすべて新憲法にする必要があるのか?


筆者は本にはケチはつけない主義だ。酷評するくらいならあらすじを載せない。あらすじを載せる価値もないということで無視するわけだ。

しかしこの本は、現職の総理大臣が書いた本なので、無視する訳にはいかない。だからツッコミ付きで、あらすじを掲載する。

筆者の見立てが間違っている可能性もあるので、興味があれば図書館でリクエストして読むことをおすすめする。


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2011年10月20日

わが師、松下幸之助 民主党樽床議員の松下政経塾での研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
販売元:Amazon.co.jp
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松下政経塾第三期生・民主党幹事長代行の樽床伸二議員が松下政経塾で接した松下幸之助の教えをまとめた本。2003年の出版だが、現在は絶版となっており、筆者もアマゾンマーケットプレースで購入した。

この本には次のような帯が付いている。

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松下政経塾の入塾試験

樽床さんは松下政経塾の第三期生として五年間の研修を受けた。最初に松下幸之助と会ったのは、昭和56年の最終面接だった。試験官は松下幸之助、副塾長の丹羽正治松下電工会長、塾頭の久門泰氏という顔ぶれだったという。

最初に丹羽副塾長から「きみ、悪いことできるか?」と聞かれたという。その後も副塾長がもっぱら質問し、松下幸之助はじっと聞いているだけだったという。

樽床さんが受験した時の松下政経塾の試験は、願書と同時に「現在の日本で、問題と思うことを述べよ」という原稿用紙10枚の小論文。一次試験は全国の主要都市での政経塾職員による面接、二次試験は茅ヶ崎の政経塾での論述式試験、英会話ヒアリング、政経塾の役員面接だった。

役員は牛尾治朗ウシオ電機社長、香山健一学習院大学教授、緒方彰氏で、樽床さんは香山教授から政治に対する考え方、政策論議でかなり突っ込まれたという。そのあと身体検査と体力測定。

当時は松下グループからの出向社員が塾の運営をしており、各学年に一人指導員がいた。松下幸之助塾長は月に一回円卓室というラウンドテーブルで講話した。


松下幸之助の謦咳(けいがい)に接する

最初の講話で松下幸之助は「私が四〇年ほど若返ることができたら、こういう塾をしなくても私が政治家になればいいことだ。でも、こう年をとってきてからはダメです。だから結論は、諸君に代わってやってもらいたい」という話をした。

その後の塾生抱負で、樽床さんは当時87歳の松下幸之助の鋭い視線に、すべてを見透かされているような感覚になった。相手に言葉が届かない。衝撃的な体験だった。

同じような体験は樽床さんが卒塾後、衆議院選挙に立候補準備中に松下記念病院に入院している松下幸之助を訪ねた時に起こったという。周りの光景が消え、塾長の目だけが迫ってきた。

松下幸之助は肉親全部に先立たれ、小学校四年で中退し、丁稚奉公に出たことは有名だが、樽床さんも貧しい一家に生まれ、幼い妹を交通事故で亡くすという辛い経験をしている。傲慢な言い方だが、「松下幸之助にできて、私にできないことはない」と松下幸之助を目標に頑張っているのだと。


松下政経塾でのエピソード

当時88歳で通常は車いすで移動していた松下幸之助が、自分の思いを託そうとしている若い塾生の前では車いすに乗っている姿を見せられないと塾では車いすを拒否していた。

樽床さんは「塾長が、それだけの強い思いを政経塾に投入されているのに、君たちは何をボンヤリしているんだ」と側近の人に叱責されたという。

政経塾が成功するかどうかは否定的な意見が多かったが、大阪の中小企業のオヤジが絶対に成功すると言っていた。「幸之助さんは、売れ筋を見る目はものすごく確かだ。よい政治家、政治をきちんとしてくれる人は必ず求められている。それは市場でいえば”売れ筋”商品になるということだ」。


松下政経塾での研修

松下政経塾では教室で教える講義は最小限で、最初の二年は塾内で自分で選んだテーマの研究、後半の三年は自分の将来構想に基づき、自らが課題を見つけて実戦的に学んでいくという形で、活動場所は限定されない。毎月全員が集まって進捗を報告するというシステムだった。

樽床さんの場合、最初の一ヶ月は松下幸之助の思想・哲学についての講義、次の二ヶ月は松下電器販売店での住み込み営業研修。戸別訪問でご用聞きを繰り返した。辛い仕事だったという。次の二ヶ月は松下の乾電池工場での工場研修。これで半年が過ぎた。

次の一年間は座学中心で、憲法、政治哲学、マクロ経済学など。夕方は茶道、剣道、体育、書道、古典の学習が必須で、毎週鎌倉から裏千家の先生が茶道を指導しに来た。

二年めの後半、次の三年間の準備。樽床さんは政治家を目指していたので、地元に帰って三ヶ月間選挙区の研究・調査をした。このときの人脈、ネットワークが現在でも生きているという。そして次の八ヶ月間は逢沢一郎氏の秘書として岡山県で衆議院選挙の準備を手伝った。

後半の三年の上級政治専科では、一年間大阪府議実力者の事務所で秘書・カバン持ちをやった。その時、地盤を引き継いで府議とならないかと誘われて心は動いたが、出身地ではないことから松下幸之助の「目指すのは一番高い山だ。高い志があるなら安寧の道を歩むべきでない」という言葉を思い出して断る。

次は英国病を克服したサッチャー政治を研究しようと海外研修を考えていたが、またしても逢沢氏に呼ばれ、こんどは衆議院選挙本番を経験する。そして大阪に戻り、異業種交流会の事務局長となり、大阪の中小企業を中心に組織作りをする。


卒塾して立候補

卒塾して定職にも就かずに、最初に寝屋川市を中心とする大阪七区に立候補し、松下労組の推す候補と戦い破れる。捲土重来を誓うと、天の助けで小選挙区制となって松下労組代表とは戦わなくなった。

落選の翌日から寝屋川市駅の駅頭に立って投票御礼の街頭演説を始める。「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という政経塾の5誓の一つを実践する。


樽床さんの政治信条

樽床さんの政治信条は松下幸之助の「成功の要因」分析から始まる

樽床さんの政治信条の基本は、松下幸之助の教えの「人間観の確立」が不可欠であるというものだ。それができていないから、争いが起こる。「人間を考える」にある「新しい人間観の提唱」をこの本でも紹介している。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
販売元:Amazon.co.jp
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そして「他人の立場になって考える」などをこの本の第二章を使って説明している。

この本のなかで、紹介されている西武グループの総帥の堤義明さんの政経塾での講演が面白い。まず堤氏はこの類の講演はすべて断っている。松下政経塾で政治家を養成するということも非常に難しい。それでも政経塾に足を運んだ理由は、堤さんが唯一尊敬する経済人の松下幸之助に頼まれたからだと。

松下幸之助は一代で大企業をつくったことは、それ自体は尊敬する理由ではない。尊敬する理由は、企業の発展段階で経営手法を変え、それがことごとく成功していることだと語った。

松下幸之助は、塾生に信長、秀吉、家康のどれを選ぶかと質問されて、「鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス」と語ったという。松下幸之助の度量の大きさ、優しさも感じられたが、逆に怖さも感じたという。それは「有縁の人、無縁の衆生」」ということで、縁がないものは見捨てるということだからだ。

この本の第三章は松下幸之助の七つの提言の検証に充てている。

1,憲法改正
2.政治改革
3.税制改革
4.無税国家
5.教育改革
6.国土創成
7.地方分権

政経塾出身の政治家が増えた今では、もっと組織だった研修をしているのだろうが、樽床さんの経験がビビッドに語られていて面白い。絶版なのが残念だが、そのうち樽床さんが政府の要職につけば、復刊されることだろう。

次に紹介する野田首相の「民主の敵」よりもよっぽど良い。

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
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創立当時の松下政経塾の研修内容が具体的にわかって参考になるおすすめの本である。


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2011年10月17日

北野武 超思考 たけしはやはりタダモノではない

超思考超思考
著者:北野 武
幻冬舎(2011-02)
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たけしの本を初めて読んでみた。2011年2月発刊の本で、2007年から2010年までの雑誌「パピレス」の「劇薬!」というコラムに書いたものを加筆修正したものだ。

たけしの本を読むのは初めてだが、さすがたけし、タダモノではない。


たけしの最大の能力は状況判断能力ーいわばメタ認知

たけしの最大の能力は状況判断能力だという。先が読める能力といってもよい。まだ漫才をやっていた時に、自分の能力が落ちたと感じた瞬間にやめようと思ったという。漫才もスポーツと同じで、反射神経が衰えればダメになるのだと。

電車を乗り継ぐような感覚だ。だからいつも今の自分が一番好きだという。

映画の仕事でもそうで、どこかに必ず醒めた自分がいるのだと。映画を撮っている自分の頭の斜め上あたりに、もう一人の自分がいて、いつも自分のやっていることを俯瞰しているような感じなのだと。

だからセックスも酒も心から楽しんだことはない。一瞬夢中になっても、次の瞬間にはもう白けている。車も最初にポルシェを買って、フェラーリもランボルギーニも買ったが、楽しめなかったと。

いわゆるメタ認知で、自分のことを常に客観的に見られるのだと思う。だからドーランやハデな着ぐるみなどバカなことを平気でできるのだろう。これが出来る人は強い。


子どもの時のトラウマが原因?

このような常に醒めているようになったのは、子供自体のトラウマが原因だという。たけしのお母さんは、とにかくはしゃいだりすることが大嫌いな人で、食事もうまいというと叱られたという。まずいとかうまいとかいうこと自体が下品なのだと。

殺生して食べているのに、浮かれて喜んでいるバカがあるか。食えるだけありがたいと思えと、よく言われたものだという。

単に家が貧乏で、明日は食えるかわからなかったので、そういうお母さんの教育方針になったのだろうとたけしは言っているが、そんなはずはない。すごいお母さんである。


死ぬことが最後の最後の最大の楽しみ

筆者がこの本で一番気に入ったのは次の言葉だ。

「なんと言っても、最後の最後に、最大の楽しみが待っている。死んだらどうなるか。魂はあるのかないのか。神はいるのかいないのか。死ねば、人生最大の疑問の答えが出るのだ。」

「もちろん単に肉体と精神が分子レベルでバラバラに分解して、無に帰るのに過ぎないかもしれない。そうなったら、疑問の答えどころではないけれど、それでも死の直前までワクワクしながら生きられるわけだ。」

さすがメタ認知能力者だ。ここまで自分を客観的に見られるとはたいしたものだ。

いままでこういうことを言う人を見たことがないが、たしかにその通りだと思う。こういう心境でいられることは、お母さんに感謝しなければならないのかな、とたけしは語っているが、その通りだと思う。

たけしのお母さんはすでに亡くなり、それからたけしは毎朝毎晩仏壇を拝んでいる。たけしの家の仏壇には8人くらい祀っているという、父母、祖母、浅草時代の師匠、黒澤明監督、淀川長治さん、鈴木その子さんとか、たけしにとって大切な人をまつっているのだと。


たけしの映画

たけしの本業はテレビタレントだと。監督として映画は撮ったが、観客がどう思うかを考えず、常に自分の好き勝手に撮ったのだと。

「ソナチネ」などは、日本国内では1週間で上映打ち切りになったが、海外で有名になり、BBCの21世紀に残したい映画100本に選ばれたり、カンヌで候補になったりした。たけし自身は海外でウケるなんて全く予想していなかったので、逆に驚いたという。

ソナチネ [DVD]ソナチネ [DVD]
出演:ビートたけし
バンダイビジュアル(2007-10-26)
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もし本職の映画監督なら、映画が失敗したらダメージも大きいが、たけしは全然問題ないという。


政治感覚もするどい

たけしはレギュラー番組のなかで政治について、ジョークのような独特の見解を言うことがあるが、この本のなかでもするどい状況分析を見せている。

民主党が政権を取る前に、こんなことを書いている。

「俺としては民主党に政権を取ってもらって、誰がやっても同じだというのを見せてほしいわけだ。天下りを全部なくすというのだって、絶対に嘘だと思っている。嘘が言い過ぎなら、無理だ。」

「税金の問題も社会保険の問題も、海外派兵の問題にしても、民主党が政権を採れたらどれだけやれるか、日本が変わるかといったら、全然できないし何も変わらないと思っている。」

「無責任極まりない考え方だが、『やっぱり駄目だったな』と確認したいのだ」と。

「民主主義なんてものは、効くか効かないかよくわからない怪しげな薬みたいなものだ。飲み続けなければ死んでしまうと言われて飲んではいるけれど、『ほんとに、この薬のおかげで生きているんだろうか?』という疑念は消えない。」

「そのうち民主主義なんてまやかしは、もううんざりだと本気で言う人間が増えてくるんじゃないか。何百人もの政治家を養うよりは、一人の独裁者を養う方が経済的だという考え方もある。独裁者だろうが何だろうが、その人間が上手く政治をやってくれればそれでいいのだ。」

たけしらしい過激な言い方だが、たしかに独裁者かマッカーサーのような外人がIMFから送り込まれるとかしないと、日本の長期低落傾向は今の政治家では止められないように最近、筆者も感じている。

野田総理の「民主の敵」という2009年6月の衆議院議員選挙の直前に出した本を読んだので、今度あらすじを紹介する。これなど、いくつか具体的提案はあるものの、日本の国をどうするのかという将来像が全く見えてこない。

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
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普通の人が総理にまで上り詰めたので、世襲政治家に比べてよっぽとましとは思うが、総理になる前にビジョンを出せない人が、総理になってビジョンを持てるとは思えない。野田さんはブレーンもいない様だし、日本のヘッドレスチキン状態は続くだろう。


独特のたけし節

★朝青龍のサッカー事件の時に、モンゴルでヒデとサッカーをしているビデオを見てなるほどと感心したという。あんな体をして、サッカーのうまいこと。オーバー・ヘッドキックまでやろうとしていた。あの足腰と、運動神経があるから朝青龍は強いわけだと納得したという。

けれども他にはそんなことをいう人はおらず、世論がズル休みだと非難した。たけしは朝青龍がいいとか悪いとか言っているわけでななく、世の中が右を向いたら全員右、左を向いたら左という風潮がどうにも気持ちが悪いのだと。

テレビ局にしても、コメンテーターにしても、みんなと同じでないと世の中を生き抜けないということなのだろうと。


平成教育委員会の起源

たけしがフライデー殴り込み事件を起こして、仕事を休んでいた半年間、やることがないから、ひたすら小学生の勉強をやっていた。小学生の問題集が面白いのだと。それで逸見政孝さんと「平成教育委員会」という番組を立ち上げた。

最初テレビ局に「タレントを集めて小学校の入試問題をやる」という案を持ち込んだら、「どこが面白いんですか?」と聞かれたという。実際に番組をスタートさせたら、視聴率は30%を超えて、他局でも似たような番組をやりだした。

最近漢字の問題を出すクイズ番組がやたら増えているが、辞書を引けば分かるような問題をだしてどうするのかと思うが、考える必要がないから人気なのだろうと。

東大や京大に行ったのは、漢字の勉強をするためだったのかと突っ込みたくなるという。それもそうだと思う。漢字を覚えたいなら東大に行く必要はないし、東大に行ったからといってずば抜けて漢字ができるわけでもない。もっともな指摘である。

この本の帯にも、最初にも「意図的な暴言であり、(中略)暴言の裏が読みとれない、冗談の意味がわからない、無性に腹が立つなどの症状があるときは、ただちに読書を中止することをお勧めします」という注意書きがある。

たしかに大脳皮質を刺激する本である。しっかりとした考えがあり、天皇の園遊会に招かれるような価値のある仕事をしているたけしに、これからも注目してみる。




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2011年10月15日

原発はほんとうに危険か? フランスの元文部科学大臣の対談

フランスからの提言 原発はほんとうに危険か?フランスからの提言 原発はほんとうに危険か?
著者:クロード・アレグレ
原書房(2011-07-07)
販売元:Amazon.co.jp
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フランスの元文部科学大臣がジャーナリストとの対談を通して原子力政策について語る本。どの雑誌だったか忘れたが、立花隆さんの書いたものに紹介されていたので読んでみた。

書店に置いてある本には次のような帯がかかっている。

scanner241












しかしこの本をくまなく読んでみたが、「技術は二流、人は三流」という発言はない。フランスの原子力技術は日本やドイツなどより上だというような発言はあるが、このような刺激的な発言ばない。

元々日本の政府や東電を批判する目的の本ではなく、フランスの原子力政策を肯定する本なので、「日本のあるべき姿をさし示す」という帯のセールス・キャッチは、「売らんかな」という編集者の創作だと思う。

このブログでは広瀬隆さんの本京都大学の小出助教の反原発本を紹介してきた。

広瀬さんや小出さんの本は、いままでは中小の出版社から出版されていた。しかし福島第一原発の事故以降、反原発本が一流出版社から出版され、原発推進派の本はこの本の原書房のように中小出版社から出版されるという風に完全に逆転した。

この本もアマゾンの売り上げ順位で85,000位と、あまり売れていない様だ。

今や菅前総理はじめ多くの人が、日本国民の福島原発事故以来の原子力アレルギーを考えて反原発という姿勢を表明している。本当にそれで良いのかと冷静に考える必要があると思う。

その意味では、この本と大前健一さんの最近作で今度あらすじを紹介する「『リーダーの条件』が変わった」が参考になる。

「リーダーの条件」が変わった (小学館101新書)「リーダーの条件」が変わった (小学館101新書)
著者:大前 研一
小学館(2011-09-20)
販売元:Amazon.co.jp
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筆者のクロード・アレグレさんのメッセージ

「日本語版によせて」に著者のクロード・アレグレさんのメッセージが載っている。

最初に福島原発事故の被災者にお見舞いを表明するとともに、福島第一原発は旧式だったために、大災害に対する対策が不十分で、事故後の当局の対応を後手にまわったと結論づけている。

そして日本の将来的なエネルギー政策を再考するにあたって、西ヨーロッパ諸国にない自然災害というリスクを考えると脱原発という選択肢もあるが、それだとおそらく電気料金は2倍となり、温室効果ガスの排出量も増える。

だから原子力政策を維持・発展することも選択肢の一つだと訴える。

この場合には、日本の固有事情も考慮しながら、すべての原発を安全対策を強化した近代的コンセプトの原発に交換する。

具体的には冷却水パイプラインなどを敷設することにより海岸から離れた立地、完全密閉型の石棺の内部に小型の原子炉を格納、海底に原子炉を開発などの方策を提案している。

また政治やビジネスから影響を受けない独立の国家原子力委員会の必要性を説いている。日本は「原子力村」による政策から決別すべきだと。

原子力発電のリスクはいままで制御されてきており、これからも制御されなければならない。科学技術大国である日本はそれが十分可能な選択だアレグレさんは語っている。


ゴチャ混ぜ思考に警鐘

アレグレさんはまず「ゴチャ混ぜ思考」に警鐘を鳴らす。民生用原発のリスクは軍事用原子力、核廃棄物の脅威や核分裂物質の闇市場の脅威に比べればはるかに低く、「脅威」ではなく「リスク」であると語る。

天然のウラン鉱石中の核分裂を起こすウラン235含有量は0.73%、原発に使うウランはウラン235含有量4%、そして原爆に使う濃縮ウランはウラン235含有量80〜95%と濃縮度が全然違う。

だから万が一原発が爆発しても原爆にはならないのだとアレグレさんは繰り返し述べている。

フランスには地震も津波もないため、日本の原発とは全く事情が異なる。原子力技術も日本よりはるかに進歩しており、原発はきちんと管理され、直接・間接的に20万人の雇用を生んでいる。

フランスのメディアは在日フランス人や、日本から避難してくるフランス人の話ばかり報道していたが、メディアはフランスの切り札である原子力産業を弱体化させ、失業者を増やしたいのかと切り返している。


原子力エネルギー発祥の地はフランス

アレグレさんは、原子力エネルギー発祥の地はフランスで、アンリ・ベクレルがドイツ人レントゲンの発見したX線と呼ばれる謎の電磁波をウラン鉱石が放出していることを1896年に発見したのが最初だ。

ベクレルの研究にピエールとマリー・キュリー夫妻が加わり、ウラン以外にも放射性物質はあることが突き止められ、1903年3人は揃ってノーベル物理学賞を受賞した。

キュリー夫人は夫とベクレルの死後も研究を続け、1911年にはラジウムの発見でノーベル化学賞を受賞する。

原子爆弾の開発につながる原子核分裂は1938年12月22日のドイツのオットー・ハーンとストラスマンが発見した。

これにはイタリアのエンリコ・フェルミ、キュリ−夫人の娘イレーヌ・ジョリオと夫フレデリック、ナチから逃れたユダヤ人のリーゼ・マイトナー、オットー・フリッシュなども直接間接に関わっている。

アインシュタインがルーズベルトに原爆開発を薦める手紙が有名だが、実際にはアインシュタインの手紙はアメリカ軍部は夢物語としてまともに取り合わなかった。

マンハッタン計画を実現したのは、中性子を発見したイギリスのジェームズ・チャドウィックが1941年にチャーチルを説得し、チャーチルがルーズベルトを説得したからで、アメリカが原爆の開発・製造に踏み切り、イギリスも参加した。


原発の危険性

原発の燃料は核分裂を起こすウラン235の割合が4%程度なので、原子爆弾のように一挙に核分裂を起こすことはない。

核分裂で発生する中性子を次の核分裂につなげるためには、20回ほど水の分子とぶつけて減速する必要がある。そのために大量の水が使われており、その水がウランと接触して高濃度の放射性物質を含んでいるのだ。

福島原発の原子炉建屋の爆発は、原子炉の電源が断たれたので、圧力容器内の核反応が暴走し温度が上昇して原子炉内の水が蒸発した。そして建屋内に充満した水蒸気が分解されて水素と酸素に分かれ、水素爆発を起こして建屋を破壊し、放射能を含んだ水素や水蒸気が大気中に放出され、地域が汚染されたのだ。

フランスの原発には生成された水素は、すぐに酸素と結合させて水にする触媒装置が備わっているが、日本の原発には「水素再結合装置」がなかったという。

大気中に放出された水蒸気の他にも、原子炉建屋附近で残留している大量の汚染された水の処理がこれからの問題である。同じことを大前さんの「『リーダーの条件』が変わった」でも指摘している。

福島の原発はBWR沸騰水型炉だったので、水の循環系は一系統だけだった。しかしフランスに多いPWR加圧水型炉は、核燃料と接触する一次冷却系とタービンをまわる二次冷却系の二つがあるので、一次冷却系が破壊されなければ、外部が放射能で汚染される恐れはない。

沸騰水型原子炉

BoilingWaterReactor





加圧水型原子炉

PressurizedWaterReactor





フランスの加圧水式原子炉は、一次冷却系は300度Cの水が流れており、155気圧に維持されているという。この熱が熱交換機を通じて二次冷却系の水を温め、発電タービンを回すのだ。

地震のないフランスはともかく、筆者の感覚では地震のある日本では、155気圧という超高圧システムが必要な加圧水型原子炉の方が、かえってリスクがあるように思えるが、アレグレさんはその辺はコメントしていない。


その他、参考になった点を紹介しておく。

★いままで軍事核実験により17万人が犠牲になっており、被曝量のめやすは被曝した人を長年にわたって追跡調査して割り出した数字だ。

普通に暮らしていて年間に受ける放射線量は2.4ミリシーベルト、250ミリシーベルトを超えるあたりから警戒が必要で、1,000ミリシーベルトを超えると白血球が変化する。2,400ミリシーベルトを超えると発ガンする確率が高まる。そして5,000ミリシーベルトを超えると致死量だ。

★放射性同位元素は、体内に入ると体内被曝を起こす。たとえば放射性ヨウ素は甲状腺に貯まりやすく、甲状腺から内部被曝を起こす。それで前もって安定同位体元素のヨウ素を飲んでおけば、放射性ヨウ素が集積するのを防げるのだ。

このブログで紹介した大前健一さんの「日本復興計画」では、大前さんのアメリカ人妻にもアメリカ大使館からヨウ素カリが配られたという。ヨウ素カリを飲んで、被曝する前に甲状腺をブロックしようという考えだ。

★フランスは高速増殖炉のスーパーフェニックスは停止させ、同じ原理のフェニックスは再稼働させた。同じ技術でも大規模のものは制御ができなかったからだ。日本の高速増殖炉「もんじゅ」にも同じナトリウム漏洩問題が発生した。

高速増殖炉の魅力は、天然ウランを利用した核燃料ができることだ。天然ウランの99%は、ウラン238で、これを中性子をぶつけてウラン239にして、それからネプツニウム239を経てプルトニウム239を作るのだ。

ただし二次冷却材の材質に問題がある。水は中性子を減速してしまうので使えないため、液体ナトリウムを使ったが、非常に危険でうまく制御できなかった。フェニックスの規模なら制御できたが、スーパーフェニックスの規模では制御不能だったという。

★トリウム炉はウランの埋蔵量の4倍のトリウムからウラン233を作り出して燃焼させる。現在は実験炉の段階だが、トリウム炉は廃棄物がほとんど排出されない点がメリットだ。

この本では風力発電、太陽光発電、水力発電、バイオ燃料などについても手短にまとめている。

★シェールガスは既にアメリカのエネルギー消費の20%を占めている。水平に掘削し、水圧破砕法でシェールガスを回収するが、大量の水が必要なので、環境汚染の問題が起こる恐れがある。ヨーロッパにもアメリカと同じくらいの莫大なシェールガス埋蔵量があるだろうが、環境問題から開発は進んでいない。


監修者の言葉は正しいのか

監修者の岡山大学教授は、彼が最も衝撃を受けたのは、原発周辺には津波によって瓦礫に埋もれて助けを求めていた人がいたにもかかわらず、彼らを見殺しにしたことだと告発している。これは戦後の日本の歴史の痛恨の汚点であると。

本来であれば国民の命や財産を守るはずの法律を盾にして政府並びに関係者は人命を見捨てたのだと。

この情報は知らなかったが、ありうべしだと思う。


今や反原発が主流で、原発促進波が少数派のようになってしまったが、果たしてそれで良いのか。考えさせられる本である。


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2011年10月11日

日本男児 インテル長友の本 「長友革命や!」

日本男児日本男児
著者:長友佑都
ポプラ社(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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イタリアのインテル・ミランでサイドバックとしてプレイする長友佑都選手の自伝。

長友はインテルにとっても、日本代表にとっても、サイドバックとして必要不可欠のプレーヤーになっている。次が長友のインテルでの最初のゴールシーンを収録したYouTubeの映像だ。



長友は1986年愛媛県の西条市生まれ。長友が小学校3年生の時に両親が離婚して以来、母親の手で姉と弟と一緒に育てられた。長友の母方の家系には競輪選手が何人もいて、母親はアスリート一家に育ったという。

母親が結婚式場の司会者として働いて、長友のサッカー人生を支援してくれたおかげで私立のサッカー有名校・東福岡、明治大学と順調にサッカー人生を歩み、ついにはFC東京、U−23代表、日本代表、イタリア・セリアAのチェゼーナ、そして世界最高のクラブの一つのインテルのレギュラーとなった。

長友はチームの中では一番長距離走が早い選手として目立つようになるまで走力を徹底的に鍛え、フィジカルを強くするために、体幹の筋肉を徹底的に鍛えた。長友の今日の成功は、努力のたまものであることがよく分かる。




”努力する才能”

小学校からサッカーを始め、フォワードで得点王だったが、弟の方がうまいとして評判が高かった。中学に入って長距離走の重要性に気づき、徹底的に走りこんで走力とスタミナがつけた。

松井秀喜の「不動心」のあらすじで「努力できることが才能である」という言葉を紹介したが、長友も「”努力する才能”がないと、成長できない」と全く同じ事を語る。

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
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どんなにサッカーがうまくても努力をしないと上には行けない。現在の自分に満足せず、なにが足りないかを知り、それを補うトレーニングを行う。”努力する才能”とは、努力することをためらわない勇気でもある。

努力して全校トップになった中学校時代の駅伝は、長友に努力の成功体験を与えてくれたという。


「長友革命や!」

長友は福岡の東福岡高校に入学が決まり、愛媛県の西条北中学を卒業する時に、みんながくれた写真と寄せ書きを破り捨てて、「俺はビッグになってやる!」、「長友革命や!」と叫んだという。

感傷を捨て去り、「活躍するまで、ここへは戻れない」と覚悟したのだ。

東福岡高校での初練習の時、ランニングでいきなりトップを独走した。監督の目に留まるためだ。「このチャンス、ものにしてやる!」。高校の寮の部屋には、「努力に勝る天才なし」、「意志あるところに道あり」という校訓を貼りつけていたという。

長友は体が小さいので、高校の時からウェイトトレーニングをやっていた。朝5時に起床、朝食前にランニングなどの自主トレ。8時半には教室に行き、放課後は全体練習。その後は夜間の筋トレ。毎日睡眠不足の戦いだったが、授業中には寝なかった。お母さんが必死で働いて授業料を支払ってくれると思うと、寝ることなんてできなかったという。

高校から明治大学に入学してサッカー部に無事入部出来た後は、朝5時起床、6時から朝練習、学校に出て授業、授業が終わると練習という生活だった。しかし大学に入学して、すぐに椎間板ヘルニアによる腰痛が出て、数カ月リハビリを続けた。

歩くことも苦痛だったという。

腰痛の克服のために「一生もんの体幹をつくる」と決心して慎重にトレーニングを行い、食材、食べるタイミングから、眠り方、入浴方法、入浴後のストレッチまで気を使った。

筆者も椎間板ヘルニアの持病があるので、筋力を維持するために毎週ウェイトトレーニングと1キロの水泳は欠かさない。長友には同病の親しみを感じてしまう。

余談だが、長友はウェイトトレーニングの際に腰をガードするベルトを使わなかったために、高校生の時に腰を痛めたのではないかという気がする。

Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト
Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト


重い重量を持つ時は、ウェイトトレーニングベルトは欠かせない。腹圧で背骨の椎間板を保護するのだ。もちろんベルトをやっていても、腰を痛めることはあるが、ベルトなしだと間違いなく腰を痛める。

高校生で自主トレで筋トレしていたとなると、たぶんトレーナーなどもいなかったのだと思う。

ベルトをして正しい姿勢で筋トレすれば、歩けなくなるほど腰を痛めるということはまずないと思う。

閑話休題。

体幹を鍛えることで、なんとか腰痛を克服し、明治大学のレギュラーとなった。FC東京に見出され、大学とプロに掛け持ちを経て、正式にFC東京の選手となる。U−23の反町監督に見出され、キリンカップでU−23代表デビューを果たした。

本代表でも召集され、2008年Jリーグシーズンでは、優秀選手賞と優秀新人賞を受賞した。「もっと、もっと」と自分を鍛えた成果だったという。

優れたサッカーの才能を持っているわけではない。自分から努力を取ったらなにも残らないと語る。努力は裏切らないし、努力をすれば成長出来る。そして成長に限界はない。


岡田監督の信頼を受ける

2010年の南アフリカワールドカップでは、岡田監督のもとで活躍した。「カメルーン戦は、お前にエトーを見てもらいたい」。

ワールドカップ前に敗戦続きで、非難されていても岡田監督はブレることはなかったという。逆に悪いときこそ、成長できるチャンスなんだと、ずっと選手に言い続けていたという。


「心を磨く」ということ

インテルに来て、「心を磨く」、「心に余裕を持つ」ということを覚えたという。心を磨く」ことの重要性を知った長友は、どんなプレッシャーも力に変えることができるようになったという。プレッシャーを楽しみながらプレー出来ているという。


すべてが「努力」で統一されている。体が小さいというハンディがあるなかで、世界トップのクラブでプレーを続けている長友らしい本である。

長谷部の「心を整える。」とはまた違った意味で、参考になり、かつ役に立つ本だと思う。


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2011年10月10日

博士の異常な愛情 スタンリー・キューブリック作品 ピーター・セラーズの名演

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか [DVD]博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか [DVD]
出演:ピーター・セラーズ
ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(2004-11-26)
販売元:Amazon.co.jp
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最近文庫本にもなった「ランド 世界を支配した研究所」を読んでいて、江口克彦さんの「成功の法則」に松下幸之助に会いに来た未来学者として登場するハーマン・カーン(元ランド研究所)がモデルになったという「博士の異常な愛情」を図書館で借りて見た。

ランド 世界を支配した研究所 (文春文庫)ランド 世界を支配した研究所 (文春文庫)
著者:アレックス アベラ
文藝春秋(2011-06-10)
販売元:Amazon.co.jp
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YouTubeに予告編が載っている。スタンリー・キューブリック監督の作品だ。



英国のコメディ俳優で「ピンクパンサー」にも登場するピーター・セラーズが英国人マンドレーク大佐、マフリー米国大統領、ストレンジラブ博士の役を一人三役でこなしている。

しかし、一人三役とは思えないほど、それぞれのキャラクターをうまく演じているのには驚く。

米ソの水爆開発競争当時のコメディで、誰もが持っている「もし狂った軍人が勝手に水爆戦争のスイッチを押したらどうなるのか」という不安が現実となったら、どうなるかをブラック・コメディとして描いた作品だ。

原発事故以来、放射能汚染が毎日のように報道されるが、この映画では当時のソ連が報復として「ドゥームズデイ・デバイス」という核攻撃を受けた場合、自動的に地球を放射能で汚染させてすべての生物を絶滅させる最終兵器が出てくる。

ブラック・コメディではあるが、1950〜60年代の冷戦の時に、世界中が持っていた不安を代弁している映画である。


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2011年10月04日

史上最大のボロ儲け 金融危機で巨大化したポールソン&カンパニー

史上最大のボロ儲け ジョン・ポールソンはいかにしてウォール街を出し抜いたか史上最大のボロ儲け ジョン・ポールソンはいかにしてウォール街を出し抜いたか
著者:グレゴリー・ザッカーマン
阪急コミュニケーションズ(2010-12-09)
販売元:Amazon.co.jp
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2008年にアメリカのサブプライムローンの破綻から端を発した世界金融危機は世界の株式投資家の資産を30兆ドル減らし、世界の金融機関に3超ドルの損失をもたらした。その後の全世界同時不況によりGMが米国政府の支援により倒産を免れるなど、世界経済に与えた影響は計り知れない。

そんな中で、世界同時不況で巨額の利益を挙げ、自らのヘッジファンドを世界第2位の規模にした投資家がいる。

それがポールソン&カンパニーのCEOジョン・ポールソンだ(同じポールソン姓でも、ヘンリー・ポールソン元財務長官とはつながりはない)。

この本では400ページに渡って、ポールソンや彼を取り巻く部下、他のヘッジファンド代表者などが、世界金融危機をどう乗り越えたかをそれぞれの人にスポットライトを当てて、一つのストーリーとして構成している。

2007年にポールソン&カンパニーの挙げた利益は150億ドル(当時の為替レートで1.8兆円)、ポールソン自身は40億ドル(4,800億円)の収入を得た。2008年にも会社は50億ドル、ポールソン自身は20億ドルの収益を上げている。

ポールソンは世界金融危機以前は資金20億ドルと自己資産1億ドルを運用していた中小ヘッジファンドだったが、2009年には360億ドルの運用資産を持つ世界第2位のヘッジファンドとなった。

まさに世界一成功した投資家だ。


最近は金に注目

最近ポールソンはドル安にも注目している。人民元以外のほとんどの主要通貨は危ないとして、金を安全資産と見て、金の現物と金鉱山会社に巨額の投資をした。

2009年夏にポールソンは「3,4年後にはみんなもっと早く金を買っておけばよかったって言うさ。いずれドルの価値が下がり、インフレになる。間違いなくね」と語っているという。

金相場はポールソン予言の通り、急騰している。

gold2006-2011





出典:三菱マテリアルホームページ

なんという先見の明だろう。


米国不動産バブルの前にCDSを大量購入

筆者は日本のバブル直後に米国駐在から帰国した後で、郊外に一戸建ての家を購入して大きな損失をくらった。

投資は言うは易し、行うは難しだが、この本を読むと今から思えばサブプライムローンの破綻や米国の住宅バブルの破綻は、日本のバブル崩壊と同じ道を10年後にたどった当然の帰結だったことがわかる。

FRBは実質ゼロ金利政策を実施し、米国の不動産価格は大恐慌以来下がったことがないので、誰もが一本調子で上がると信じていた。筆者はバブル時代には米国に駐在しており、日本にいなかったが、この状況は日本のバブルと全く同じである。

ポールソンが違っていたのは、不動産市場はバブルで、住宅ローン債権の価値は下がると見込んで、逆バリで一挙に投資したことだ。

ポールソンはニューヨークのクイーンズで育ち、ニューヨーク大学とハーバードビジネススクールを優秀な成績で卒業後、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ),ベアスターンズなどに務めた。1994年に独立して着実な運用が売り物のヘッジファンド会社を設立した。

ポールソン&カンパニーの業績はずっと低位安定しており、不動産投資の経験もなかったが、サブプライムローン破綻前の2007年からあらゆる金融会社のCDS(Credit Debt Swap)というデリバティブを買い占め、巨額の利益を挙げる。当時100ドルの債権が50セント(0.5%)以下の値段で購入できたという。

2007年秋、ついにサブプライムローンが破綻し、世界の金融機関が巨額の評価損を計上しはじめた。CDSを買った企業から現金が送られてきてポールソン&カンパニーは巨額の利益を計上しはじめた。2007年の利益は150億ドルにも上った。

2007年秋にはジョージ・ソロスがポールソンを呼んで、CDSの手ほどきを受けている。いよいよポールソンへの注目度が高まっていった。

2008年にはベア・スターンズのJPモルガンへの身売り、2008年9月にはリーマン・ブラザースの清算、住宅金融公社ファニーメイ、フレディマックの救済、バンクオブアメリカによるメリルリンチの買収などが続けて起こった。

CDSの価格は跳ね上がり、2008年もポールソン&カンパニーは50億ドルの利益を計上した。


バブル崩壊後は金融機関株で大儲け

さらにポールソンはロイヤルバンクオブスコットランド、バークレイズ、ロイズTSBの核の空売りで10億ドルを稼いだ。イギリスの世論はポールソンをバブルを利用して儲ける"Public enemy"(公衆の敵)と見なしたという。

2009年にはシティバンクを中心とした金融機関の株や債権に200億ドルを投資し、ちょうど経済が達直し始めたタイミングに合致して30億ドルの利益を挙げた。
ポールソンが次のターゲットを金として、行動を開始していたことは前述の通りだ。


グリーンスパンを顧問に

2008年11月にはポールソンは主要顧客100名を招いて、メトロポリタン・クラブで定例ディナーパーティを開催した。

シャトー・オー・ブリオンシャトー・マルゴーシャトー・ムートン・ロートシルトなど超一流フランスワインがふるまわれ、元FRB議長のアラン・グリーンスパンがポールソン&カンパニーの顧問に就任したことが発表された。


目立たない生活

年間40億ドルも稼ぎ、世界トップのトレーダーとなったポールソンだが、運転手付きの車を使わず、タクシーや電車・バスで通勤しているという。豪邸に住んではいるが、スーパーで買い物するのも以前と同じだ。

この本と同じようなテーマで、この本にも登場する元医者の投資家マイケル・バリーや会社に巨額の損失を与えながら、高額のボーナスを受け取ったモルガン・スタンレーのチームなどを取り上げた「世紀の空売り」という本もある。

こちらは今度紹介する「マネーボール」や「ライアーズポーカー」を書いた人気作家のマイケル・ルイスが書いている。

世紀の空売り世紀の空売り
著者:マイケル・ルイス
文藝春秋(2010-09-14)
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著者のグレゴリー・ザッカーマンはウォールストリートジャーナルの記者で、CNBCの番組にもレギュラー出演しているという。

200時間にもおよぶ関係者のインタビューを通してまとめた作品で、サブプライム破綻直後の有力ヘッジファンドの動きがよくわかる優れた作品である。


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2011年10月01日

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか 側近中の側近・江口克彦さんが語る

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-06-10)
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松下政経塾出身者としてはじめての総理大臣の野田佳彦総理が誕生して、さっそく国会で論戦を演じた松下幸之助の側近中の側近、元PHP研究所社長の江口克彦さんの本。江口さんは松下政経塾の元面接官だった。

江口さんはみんなの党に所属している参議院議員で、野田さんへの質問は全文が江口さんのサイトに公開されている

ちなみに民主党代表選挙直前の江口さんの各候補の評価は次の通りで、全体的に評価は低いが、比較すると野田さんの評価が一番高い。

【江口克彦の代表候補採点】

前原誠司前外相 30点

野田佳彦財務相 44点

馬淵澄夫前国交相 35点*

樽床伸二元国対委員長 18点

*馬淵氏は松下政経塾OBではないが、江口氏主宰の「壺中の会」で学んでいる。

この本は2010年6月、江口さんが参議院議員になる直前に出版された。江口さんは現在みんなの党所属で「前原氏は腐った饅頭」などという放言をしており、所属政党が違うので額面通りには受け取れないが、それぞれの候補の比較という意味では参考になると思う。


江口さんは、筆者が最も好きな本の一つの「成功の法則」の著者で、PHP研究所の中心人物として晩年の松下幸之助に23年仕えた側近中の側近だ。

松下幸之助 成功の法則松下幸之助 成功の法則
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-03-18)
販売元:Amazon.co.jp
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その江口さんが昭和54年(1979年)に松下幸之助が松下政経塾を設立した経緯を語る。


日本一の高額納税者

松下幸之助は60歳の時の昭和30年(1955年)から昭和38年(1963年)まで昭和35年に2位になった以外は、日本の所得番付で第一位を独占しており、亡くなる前年の昭和63年まで連続33年間トップ10位に常に入っていた。

当時の日本の税制では高額所得者は78%が税金で取られ、手元に残るのは22%だけだった。「税金を納める手数料を取っているようなものだ」と語っていたという。

日本の高すぎる税金、非効率な政府、頼りない政治が、松下幸之助が政治改革の必要性を感じた一つの理由だ。


無計画の金権政治に危機感

昭和47年から49年までの田中角栄首相の金権政治と列島改造ブームによる地価高騰、昭和48年に起こったオイルショックによる狂乱物価、そして昭和49年からの赤字国債発行。これらが松下幸之助に強い危機感を抱かせることになった。

同じく危機感を共有するソニーの盛田さんと昭和50年に「憂論」という対談本を出し、これがベストセラーになっている。

憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1975)
販売元:Amazon.co.jp
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このなかで松下幸之助は「わが国の現状はいわば夕陽みたいなものでしてね。落ちかけたら非常に早い。」と語り、危機感をあらわにしている。

戦後の日本は「経済大国」といわれるほどの目覚ましい発展を遂げた。しかし、これは松下幸之助によれば、20年なり30年前に、「20年、30年後の日本をこのような姿にしよう」という計画をもち、それを国民合意のもとに共同の力で推進してきたものではない。

終戦から無我夢中で働いてきて、気がついてみれば経済大国となっていたものであり、計画性がないので公害や無計画な都市の膨張というアンバランスを生むことになった。

それゆえ当面の事態への適切な対応とともに、国家の大計を打ち出すことが急務であると松下幸之助は主張していた。松下幸之助の考える未来像が小説「21世紀の日本」だ。

筆者も読んだが500ページの大作である。正直、松下幸之助自身が書いたものではないと思う。たぶんブレーンが書いたのだろう。

私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1994-11)
販売元:Amazon.co.jp
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「21世紀の日本」では、2010年に「最も理想的と思われる国はどこか」という国際世論調査を行ったところ、圧倒的第一位は日本を選んだというフィクションから始めている。

日本が世界一となった理由は、国民所得で世界トップクラクス、先進国の中では税率が低い、富の分配が公平、すべての国民の生活水準が高い等の経済的理由のほかに、「日本人のモラルやマナーのよさ」、「美しい自然」、「治安のよさ」、「青年が希望を持って生きている」、「老人が大切にされている」、「日本の皇室の存在」、「政治の安定」、「日本は世界に貢献している」などだったと。

「日本人のモラルやマナーのよさ」は東日本大震災で日本人が日本人の美徳として強く意識したところだ。その他の点も、今もなお理想の国のあるべき姿として妥当である。


政治改革のうねり

ところが松下幸之助がこのような理想国家論を発表した昭和51年にロッキード事件が起こり、まさに金権政治の醜い姿が明るみにでた。筆者は今も覚えているが、「1ピーナッツ」が100万円のワイロを意味し、全日空にロッキード・トライスターを買わせてくれという丸紅の要請に対し、田中角栄は「よっしゃ、よっしゃ」と答えたという。

このような政治の混迷にあたって、オピニオン誌として発刊したのが今なお発行されている昭和52年12月発刊の"VOICE"だ。

Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]
PHP研究所(2011-09-10)
販売元:Amazon.co.jp
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昭和50年にソニーの盛田さん、京セラの稲盛さん、ウシオ電機の牛尾さん、学習院大学の香山健一教授、演出家の浅利慶太氏の5人がそろって松下幸之助の真々庵に来て、政治を改革する国民運動の必要性を説くが、結局立ち消えとなる。

たぶん江口さんもこの会合に参加したのだろう、その時の発言が10ページほどにわたりこの本に収録されている。

昭和50年には自民党の若きエース石原新太郎が3選を目指す美濃部亮吉都知事に対抗して都知事選に立候補するが、タカ派発言が災いして敗れた。石原現都知事も最初の挑戦では敗北したのだ。


松下政経塾構想

5人の提唱した「生活人大連合」は立ち消えとなったが、松下幸之助は昭和21年からあたためていたという政治家育成塾の構想を本格化させる。

当初は「繁栄政治研究所」という仮称だったが、最終的にこれが「松下政経塾」に変わり、文部省主管の財団法人として設立されたのは昭和54年のことだ。最初の運営資金は50億円、建物は20億円で、松下幸之助の全額出資というスタートだった。

次のような塾是、塾訓、5誓が定められ、応募資格は25歳以下(現在は22歳から35歳まで)、研修期間は5年、月13〜15万円の研修費と年2回の十数万円の特別研修費が支給されるというものだった。

松下整形塾塾是





松下政経塾での松下幸之助の教えについては、「松下幸之助翁82の教え」という本に詳しいので、今度この本のあらすじで紹介する。

松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)
著者:小田 全宏
小学館(2001-10)
販売元:Amazon.co.jp
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第1期生30名の募集に対し、907名が応募し、3次選考の後、23名が内定した。江口さんも面接官として選考に参加した。松下幸之助から指示された選考基準は「運の強い人、愛嬌のある人」だったという。

その第1期生の一人が野田佳彦首相だ。

松下幸之助が研修期間を5年としたところに、松下幸之助の本当の狙いがあらわれている。

「政経塾を5年制にしたのはな、塾生たちに、わしの考えた人間観を彼らの体に染み込ませようと思ったからや。人間をどう捉えるか。これが、特に政治の出発点や。(中略)塾生たちがその「人間大事」の原点から、政治を考えられるようにせんといかん。」

松下幸之助の超ベストセラー「道をひらく」では、松下幸之助の人間観を具体的な事例を通して説明している。「人間は偉大な力、とてつもない能力を有している」という人間観が根本にある。

道をひらく道をひらく
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1968-05)
販売元:Amazon.co.jp
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そして松下幸之助が書き上げて「もう死んでもいい」と感想を漏らした本は、「人間を考える」だった。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「人間大事」という正しい人間観を確立させるためには、5年間の修業が必要と松下幸之助は考えていたのだ。


松下政経塾の基本方針

塾の基本方針は次の通りだ。実際にどのような研修が行われていたのかは樽床伸二議員の「わが師、松下幸之助」に詳しく紹介されているので参照して欲しい

1.自修自得

2.切磋琢磨

3.万差億別

4.徳知体の3位一体研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
販売元:Amazon.co.jp
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松下政経塾出身者では昭和61年の衆議院選挙で逢沢一郎が当選し、塾出身のはじめての国会議員となった。その後増減はあったが、現在は自民党・民主党・地方首長に多くの人材を輩出し、そして今回1期生から野田佳彦総理大臣が誕生した。

松下政経塾は決して一本調子で伸びてきたわけではなく、平成2年の衆議院選挙では塾生6名が立候補したが、逢沢一郎のみが当選という結果となって、志望者が急減した。平成2年の第11期生は塾生はわずか3名となって存亡の危機に立たされた時期もあった。


幻の松下新党構想

最後に幻に終わった松下新党構想を紹介している。

松下幸之助は江口さんに「きみ、政党をつくろうと思うんやけど」と昭和50年ころから言いだし、総論賛成・各論反対のさまざまな人の影響を受けながら、昭和60年から具体的な準備作業を開始し、平成元年の参議院選挙を目標としていた。ところが松下幸之助が90歳という高齢もあり、その年の10月から病気がちになって新党構想は日の目をみなかった。


松下幸之助の著作や言動をたどりながら、松下政経塾設立、そして政治に対しての松下幸之助の思いををわかりやすく解説している。いつもながら江口さんの描写する松下幸之助の言葉は、ビビッドでまるで松下幸之助から話しかけられているようだ。

今後松下政経塾出身者の本はいくつかあるが、塾の設立関係者の話は珍しい。さすが松下幸之助の側近中の側近の江口克彦さんだけある。参考になる本だった。


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Posted by yaori at 01:42Comments(0)TrackBack(0)