2013年01月29日

三匹のおっさん 還暦オヤジ世代が主人公の小説 挿絵もユーモラス

三匹のおっさん (文春文庫)三匹のおっさん (文春文庫)
著者:有川 浩
文藝春秋(2012-03-09)
販売元:Amazon.co.jp

還暦になったおさななじみ3人のおっさんが、故郷の町の自警団となり、それぞれの特徴を生かして、悪を退治していく痛快アクションシリーズ。

著者の有川浩(ありかわ ひろ)さんは、「塩の街」などの自衛隊シリーズや「図書館戦争」シリーズでもヒットを飛ばしている。

塩の街 (角川文庫)塩の街 (角川文庫)
著者:有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング)(2010-01-23)
販売元:Amazon.co.jp

図書館戦争  図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)
著者:有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング)(2011-04-23)
販売元:Amazon.co.jp

表紙の絵のとおり、ユーモラスな挿絵が特徴を出している。

主人公は次の三人だ。

建設会社を定年退職して、系列のゲームセンター(アミューズメントパーク)の経理担当となったキヨ。キヨは剣道の達人で、会社に副業を認めてもらって、親から引きついだ剣道教室の師範をやっている。

居酒屋を息子に引き継ぎ、今は息子夫婦を手伝う柔道の猛者・シゲ。シゲはいつもジャージを着ているガニマタのおやじだ。昔は国体で、現在の地元警察署長を投げ飛ばしたことがあるほどの腕前だ。

町工場の経営者で改造スタンガンや改造モデルガンなど、やたらアブナイ道具をコートの下に持ち歩く、小男の知性派・ノリ。盗聴器逆探知機など、思いがけない武器も隠し持っている。

剣道、柔道、そして効果的な武器と、三者三様の特徴を生かして事件を解決していく。

キヨの息子夫婦や孫の祐希(ゆうき)、ノリの愛娘・早苗などがからんで、ストーリーを面白くしている。

三匹が事件を解決するという結末は大体予想がつくが、ゲームセンターで高校生をカツアゲしたり、売り上げを横取りする小悪党を捕まえたら、実はゲームセンター関係者とつながりがあったり、町に頻繁に出没する痴漢が早苗を襲うところを、間一髪、捕まえたら、アッと驚く人物だったりして、ひねりを加えていて面白い。

学校のイキモノ係が世話するカルガモを夜中に傷つける犯人は、筆者の予想外の人物だった。

小説のあらすじはいつも通り詳しくは紹介しない。

60歳の還暦3人組という筆者の年齢に近いおっさん3人がそれぞれの特技を生かして犯罪を解決するという、少年探偵団ならぬ、中高年探偵団のストリーだ。あり得ない話ではあるが、そんなことを気にせず、気軽に楽しめるファンタジックな小説である。

有川さんには、他に「フリーター、家を買う」とか「阪急電車」などの作品もある。

フリーター、家を買う。 (幻冬舎文庫)フリーター、家を買う。 (幻冬舎文庫)
著者:有川 浩
幻冬舎(2012-08-02)
販売元:Amazon.co.jp

阪急電車 (幻冬舎文庫)阪急電車 (幻冬舎文庫)
著者:有川 浩
幻冬舎(2010-08-05)
販売元:Amazon.co.jp

有川さんのほかの作品も読んでみようという気になる。楽しめる小説である。


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2013年01月20日

個を動かす ローソン新浪社長のローソン改革10年

個を動かす  新浪剛史、ローソン作り直しの10年個を動かす 新浪剛史、ローソン作り直しの10年
著者:池田信太朗
日経BP社(2012-12-13)
販売元:Amazon.co.jp

ローソン新浪社長のローソン改革10年を描いた本。筆者のアルゼンチン駐在時代の友人の元三菱商事の人に紹介されて読んでみた。その友人は食品部門で新浪さんの先輩だった。

この本の著者の池田信太朗さんは、日経ビジネスデジタルの編集長で、現在は日経の香港支局の特派員だ。

新浪さんはマスコミに登場する機会も多い。安倍内閣が、経済再生のブレーンとして設置した産業競争力会議のメンバーにも選ばれている


日本型コンビニの生みの親はセブンの鈴木さん

コンビニ業界については、セブン・イレブンCEOの鈴木敏文さんの「商売の原点」、「商売の創造>」、「本当のようなウソを見抜く」のあらすじを、このブログで紹介している。

鈴木敏文 商売の原点 (講談社+α文庫)鈴木敏文 商売の原点 (講談社+α文庫)
著者:緒方 知行
講談社(2006-04-21)
販売元:Amazon.co.jp

鈴木敏文 商売の創造 (講談社+α文庫)鈴木敏文 商売の創造 (講談社+α文庫)
講談社(2006-05-19)
販売元:Amazon.co.jp

鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」―セブン‐イレブン式脱常識の仕事術 (日経ビジネス人文庫)鈴木敏文の「本当のようなウソを見抜く」―セブン‐イレブン式脱常識の仕事術 (日経ビジネス人文庫)
著者:勝見 明
日本経済新聞出版社(2008-07)
販売元:Amazon.co.jp



セブンとローソン

コンビニエンス業界ナンバーワンは依然としてセブンイレブンだ。セブンの売上高は3兆円弱、これに対してローソンは1.8兆円。セブンの一店舗の平均日販は62万円。これに対してローソンの平均日販はで、セブンを10万円ほど下回る。他のチェーン店も同様に、セブンとは10万円以上の差がある。

この本を読むまでは、セブンが効率的で、かつ顧客もセブンを好んでいると思っていた。しかし、よく考えると、セブンは47都道府県のうち、いまだに出店ゼロの県があり、都市圏に集中している。

一方、ローソンは47都道府県すべてに出店しており、田舎の店も多い。人口の多い都市に集中的に出店していれば、おのずと平均日販も上がる。だから、セブンの方が日販額が多いから、それをもって消費者がセブンの方を好んでいるということにはならない。

筆者は以前はセブンの方が格上と感じていたが、最近はローソンに行くようになった。

オサイフケータイのiD決済をいち早く取り入れたこと。品ぞろえ、欠品率(筆者の自宅の近くのセブンは土日の1時過ぎに行くと、サンドイッチやおにぎりに欠品が目立つ)、駐車場の利用しやすさなどからローソンの方が便利と感じている。

新浪さんが2002年にローソン社長に就任した当時は、セブンをベンチマークして研究していたが、やがてセブン追随はやめた。ローソンはセブンにはなれない。それが現実だと気がついだのだと。


新浪さんの経歴

新浪さんは横浜出身。マリノスや横浜FCのホームグラウンドの三ツ沢球技場のあるあたりで、高校は翠嵐高校。高校時代はバスケットボール部のキャプテンとして部活を熱心にやった。チームは関東大会3位まで行き、新浪さんは優秀選手として国体選手に選ばれたが、膝を壊して選手生命を断たれてしまう。

東大法学部受験に失敗して慶応大学の経済学部に入る。体育会の器械体操部のマネージャーとして裏方をやり、在学中にスタンフォード大学に交換留学生として留学する。三菱商事には1981年に入社した。

三菱商事では砂糖部に配属された。企業派遣留学生を目指すが、留学申請を出しても上司のOKが取れなかったり、2年続けて重役面接に落ちたりして、なかなか留学できなかった。

新浪さんは会社のOKが出る前に、自分で試験勉強して、勝手に入学試験を受け、会社のOKが出た直後にハーバードの合格通知が来たという。

言いだしたら聞かない新浪さんの性格がわかるエピソードだ。この本では新浪さんの子供のころの話も紹介されている。

ハーバードビジネススクールでは、楽天の三木谷さんや、マイクロソフトの樋口さんなどと同じころに学んだ。東大よりいい大学を卒業することで、東大に対するコンプレックスがなくなったようだと新浪さんの友人は語っている。


ハーバードMBAで経営に目覚める

MBAを取ることで、新浪さんは経営という仕事を明確に理解した。

MBAで学んだことを活かし、新浪さんは帰国後、給食会社を買収し、売上高100億円の規模にまで育てる。

その頃ダイエーの創業者中内功さんが主催する若手勉強会に出ていたところ、ローソン株の購入を持ちかけられる。

ダイエーと縁が深い丸紅との競合の上、上司の小島・現三菱商事会長の支援を得て、ローソン株を購入する。

ローソン株は2000年1月に三菱商事が購入後(単価7,400円/株)、ITバブルがはじけて株価が暴落し、三菱商事は巨額の含み損を抱えるようになる。

三菱商事でも一度に償却すると決算ができないほどの巨額の含み損だったので、評価損は出さない決算処理を続けていたことも思い出す。


まずはおにぎりで成功

2002年に新浪さんはローソン社長に就任して、まず「一番うまいおにぎりを作ろう」とローソン社内に呼びかけた。

玄人の商品部(仕入れ担当)を外して、素人ばかりの研究グループをつくり、価格は高いがうまいおにぎりを作り出した。これを「おにぎり屋」のブランドで売り出したところ、大ヒットした。

新潟のコシヒカリは冷めてもおいしいので、ブランド米のコシヒカリを使った。

サケは従来はフレークを使っていたのを、切り身とした。フレークを使っていた理由は、骨が入らないようにということだったので、人件費の安いタイで加工することで費用削減して1個160円前後で売り出した。

それまではおにぎり1個100円前後だったので、おにぎりとしては高額だったが、大ヒットした。

おにぎりの成功で、それまでは「いずれ三菱商事に帰る人」と見られていた新浪さんの求心力が高まり、ローソン改革が順調に進むことになった。

ちなみに3.11のあと、東北地方の店舗では「手作りおにぎり」を自分の店舗でつくって販売している。


セブンは中央集権。ローソンは支店・支社経営

セブンイレブンでは毎週開かれる(現在は隔週となっている)全国のOFC(Operation Field Counselor)を集めた会議が有名だ。上記の「商売の原点」と「商売の創造」は1,300回を超えるOFC会議の記録をまとめたものだ。

OFC会議の中心はCEOの鈴木さんだ。

全国のOFCからの情報を整理して本部方針を出し、OFCが全国に散らばって、会議で打ち出した方針を各店舗に伝え、新規商品の販売を進めるという中央集権的な運営だ。

これに対し、ローソンは7支社、76支店に権限を委譲しての経営だ。

さらにサブ・フランチャイザーを認めて、MO(マネジメント・オーナー)と呼ばれる複数店オーナーにサブライセンシングを認めている。

新浪さんは、「一緒に、オーナーの地位を高めようよ」と、オーナー福祉会理事長に言っていたという。

まさにセブンとは正反対の考え方だ。


フランチャイズロイヤルティー料率変更

コンビニチェーンのロイヤルティー料率は次の通りだった。

        店舗オーナーが土地・建物調達  チェーン本部が土地・建物調達
セブンイレブン   43%固定          56〜76%スライド制

ローソン      34%固定          50%、45%固定

ローソンの方が日販が低いので、上記のようなセブンより低い利率で出店者を集めなければならなかった。

チェーン本部が土地・不動産を調達する場合の料率を、セブンと同じスライド制に変更できたのは、2012年3月になってからだった。


ミステリーショッパー(MS)導入

ダイエーがローソンを経営していた時代に、ダイエーの余剰人員にローソン店長をやらせる自社店舗を700店も出していた。しかしこれらはほとんど赤字店だったので、新浪さんが社長に就任してすぐに整理した。

その代り、余った人材をMS(ミステリー・ショッパー)として、店のサービス品質向上の仕組みをつくった。

MSが客のふりをして店で購入して、様々な観点から店のサービスを評価する。MSの年間運営費は30億円にも上るというが、これでローソンのサービスは格段に向上した。


個客をとらえる

この本のタイトルが「個を動かす」となっているように、ローソンの戦略は「個」の創造力を磨き、「個客」の消費を捕捉し、「個店」の集合体を作り上げることだという。

その主要なツールが共通ポイントプログラムのPontaだ。

2010年3月にスタートしたPontaの会員売上比率は現状では50%弱にとどまるが、従来POSで男女年齢をレジ係が判断して登録していた時代は終わった。

Pontaを使えば、個人を特定でき、その人の購買履歴がわかるようになってきた。この本では、「ひるぜん焼そば」という新製品の購入者データを分析した例が紹介されている。

ローソンにおける「ビッグデータ」時代の幕開けだ。Pontaに会員登録するときは、住所や結婚・未婚データも登録する必要がある。一方、セブンのNanacoは住所も結婚未婚も不要だ。Ponta会員売上比率が上がれば、こういった属性データが生かせる場面が来るだろう。

LINEの企業アカウントを使って、Lチキのクーポンを配信したところ、クーポンの引換率は7%にも上ったという。ほかの媒体の場合、3%なので、圧倒的な動員力だ。

ローソンのLINEアカウントを登録しているユーザー数は412万人、ツイッターのフォロワーが21万人。

セブン、ファミマと比べてローソンのSNS展開の方が明らかに一日の長がある。

こういったデジタルマーケティングと組み合わせると、Pontaの販促機能がうまく活かせるだろう。

ちなみに、このブログでは、世界最高といわれる英国TESCOの、ポイントカードを使った顧客管理を紹介している

Tesco顧客ロイヤルティ戦略Tesco顧客ロイヤルティ戦略
著者:C. ハンビィ
海文堂出版(2007-09)
販売元:Amazon.co.jp

コンビニで買うものは少ないので、マーケットシェア30%超の英国ナンバーワンスーパー・Tescoのように、高度な顧客分析はできないだろう。しかし、ローソンの場合、ケータイ対応することで、コンビニならではの効率的な販促が可能になると思う。

たぶん鍵は来店ポイントだろう。Pontaには来店ポイントはないと思うが、ローソンカードにはもともと来店ポイントがあった。ヤマダ電機のように、来店ポイントを払う代わりに販促メールを受け取ってもらうようにすれば、かなり有効な販促ができると思う。


改革を続けるローソン

ローソンではBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)を行い、本社業務の多くを、アクセンチュアが運営する大連のコールセンターに移植した。

大連の従業員は東京のコールセンターで、3週間ローソンの担当者からジョブトランスファーを受ける。

東京のコールセンター長は、自宅に中国人社員を招いてバーベキューパーティをやってケアしている。中国人に「あの人のメンツをつぶさないように、頑張ろう」と思わせたいのだという。

BPRは単にコールセンターだけではない。いままで三菱商事のグループ会社が独占していたパッケージ材や、物流についても、入札方式にして競争原理を働かすという。


ポスト新浪

ローソンの主要事業は次の3事業だ。

1.国内コンビニ事業
2.海外コンビニ事業
3.Eコマース、エンターテインメント等の事業(ローソンはHMVジャパンを買収している)

元ファーストリテーリング社長の玉塚元一さんがCVSグループCEO、元USENの加茂正治さんがエンタテインメント・ECグループCE、ほかにローソンの各地の支社長が次代のリーダー格だ。新浪さんが海外事業グループCEOを兼任している。

新浪さんは、自分の後任として3人を競争させている。

「僕はずっと、社長の顔色を見るんじゃなくて、『ミッション(使命)』で人が動く会社にならないと駄目だと思っていました。支社制、支店制を入れたのもそのためです。(中略)ミッション・オリエンテッドに会社を変えていくということです」と語っている。


ローソンの今後の発展

EC(eコマース)については、コンビニのマーチャンダイジングが、ネットというインフラに乗れば面白いと語る。

楽天などのモール事業者は販売者責任を負っていないので、マーチャンダイジングはできない(アマゾンは自分で仕入れているものもあるので、分野によってはできている)。

コンビニはその人にとって「新たな生活」ライフパターンをつくっているのもので、それを便利に届けることができる。ローソンに来てくれる顧客に、ECによりもっと豊富な賞品を紹介できれば、アマゾンに勝てるという。


新浪さんの働きぶり

この本の最後で、部下を徹底的に鍛える新浪さんの三菱商事時代の働きぶりが紹介されている。また、オーナーではない若手経営者仲間として、スクウェア・エニックス社長の和田洋一さん(野村証券出身)が、新浪さんのことを評している。

新浪さんは、「信じる」ことで物事を動かしていくタイプの経営者なのだと。

新浪さんは、落下傘でローソンに下りたち、最初はアセットの「本質」が何かということをじっくり見極めて、戦略をつくった。

社内をじっと見て「こいつらの価値って何だろうか」ということから戦略が成り立っている。それが新浪さんの経営の神髄だと、和田洋一さんは評している。


いままで知らなかった、セブンとは違うローソンの経営戦略がわかる。参考になる本である。


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2013年01月14日

グル― 真の日本の友 大戦直前の駐日米国大使ジョセフ・グル―の伝記

+++今回のあらすじは長いです+++

グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)
著者:廣部 泉
ミネルヴァ書房(2011-05-06)
販売元:Amazon.co.jp

太平洋戦争勃発前の1932年から10年間駐日米国大使として戦争回避に尽力し、戦争が始まった後は、帰国して20年ぶりに国務次官に復帰し、戦争末期には日本の天皇制維持のために尽力した米国外交官・ジョセフ・グルーの伝記。


グルータワー

東京赤坂の米国大使館員宿舎には3つの建物がある。一つはペリータワー、2つめはハリスタワー、そして3つめがグルータワーだ。米国では高く評価されているグル―が日本ではあまり知られていない。

吉田茂はグルーを「真の日本の友」と呼んだ。その言葉が真実であることがわかるグル―の伝記である。


ボストンの名家生まれ

グル―(Grew)は1880年にボストンに生まれた。グル―家はベンジャミン・フランクリンマシュー・ペリー(ペリー提督)ともつながりのある名家で、J.P.モルガンとも親類だった。

グル―は創立8年の名門校グロトン校に入学し、当然のようにハーバード大学に進学する。グロトン→ハーバードの2年下にはフランクリン・ルーズベルトがいた。フランクリン・ルーズベルトとは、学内誌「クリムゾン」の編集仲間だった。後に駐日米国大使として大統領に出した手紙には、”Dear Frank”の出だしで始めるものが多くみられる。

ルーズベルトも、大観衆の前で「ハロー、ジョー」と呼びかけて、グル―が赤面したこともあるという仲だった。


外交官を志す

当時の上流階級の習慣で、グル―は大学卒業後、見識と高めるための「グランド・ツアー」に旅立ち、ヨーロッパから中近東と渡り、マレーシアで虎狩をし、マラリアにかかってインドとニュージーランドで療養した。合計18ヵ月かけ、最後は日本経由で米国に帰国した。

その間、インドでのマラリア闘病中に米国総領事館に世話になったのため、実業界に入らせたいという父親の意向に逆らって、外交官の仕事を志すようになった。

グル―は帰国してすぐにダンスパーティで知り合ったアリス・ペリーと結婚する。

アリス・ペリーはペリー提督の兄のオリバー・ペリーのひ孫で、父のトマス・サージャント・ペリーが慶応大学の英文学教授として日本に滞在していたので、日本語がペラペラだった。

グル―は7歳のときに罹ったしょう紅熱のために難聴となってヒアリングに障害を抱えていたので、最初の韓国総領事秘書となるチャンスは実現しなかったが、カイロ総領事代理として外交官としてのスタートを切った。

当時の米国の外交官は、政治任官と、コネ任官で占められていた。その後試験制度が導入され、グル―は無試験で外交官になった最後のクラスだった。

無給のカイロ総領事代理のあと、グルーのマレー虎退治武勇伝を気に入ったセオドア・ルーズベルトの推薦でメキシコ大使館付3等書記官となり、はじめて有給の外交官となった。


外交官として出世

グル―はサンクト・ペテルブルク、ベルリン、ウィーン、2度目のベルリンに駐在し、2度目のベルリンで第1次世界大戦を体験した。米国参戦とともに米国に帰任し、終戦後パリ講和条約会議に参加する。

デンマーク公使、スイス公使、ローザンヌ条約(近代トルコの領土が確定した西欧諸国との条約)交渉米国代表を経て、1924年にクーリッジ政権の国務次官に就任する。

クーリッジの2期目ではケロッグ国務長官が腹心のオールズを国務次官補を重用したので、1927年にトルコ大使として転身した。

トルコはグルーがローザンヌ会議で一緒に交渉したイノニュが、ケマル・アタチュルク大統領の相棒として首相だったので、すぐに打ち解けた。米土通商航海条約締結や、娘がボスポラス海峡を泳いで渡るなどのイベントもあった。


駐日米国大使に就任

グル―は1932年に駐日大使となる。1942年に捕虜交換船でアフリカのロレンソ・マルケス港経由帰国するまで10年間その職にとどまり、日本と米国の戦争を回避するために尽力した。

本国の国務省では1928年にスタンレー・ホーンベックが極東部長に就任した。ホーンベックは、その後15年間にわたって米国の対日政策を牛耳った。1929年には元フィリピン総督のスティムソンが国務長官に就任している。

グル―が駐日米国大使として日本に着任してからは、日本語の話せるアリス夫人の思いやりのある数々の行動が日本人の心を打った。

たとえば誤って高価な壺を割った執事に対して、「あれは気に入らない壺だったので、処分に困っていた」と思いやったことを、歴代の駐日米国大使に仕えた日本人執事船山貞吉が紹介している。

白頭鷲と桜の木―日本を愛したジョセフ・グルー大使
著者:船山 喜久弥
亜紀書房(1996-02)
販売元:Amazon.co.jp

グル―は樺山愛輔牧野伸顕、牧野の娘婿の吉田茂幣原喜重郎などの穏健派と家族ぐるみで親交があった。

軍関係者では海軍関係者はゴルフなどに参加したが、陸軍関係者は荒木貞夫大将を除いては没交渉だった。

1932年の大統領選挙では、高校・大学の後輩のフランクリン・ルーズベルトが大統領に当選した。

それまでの共和党政権から民主党政権に交代するので、通常は主要外交官ポストは総替えとなる。このためグル―は、"Dear Frank"で始めるレターを出して、年金資格が得られる1934年までは一級ポストに留まれるように頼んでいる。ルーズベルトはこの手紙を受けて、ハル新国務長官にグル―留任の指示を出した。


戦争に向かう軍国主義日本

このころの日本は1931年に満州事変、1932年に国際連盟脱退というように、軍国主義に向かっていた。

フランクリン・ルーズベルト政権の国務長官に就任したのは、たたきあげの民主党員コーデル・ハルだった。それまでスティムソン長官のエスタブリッシュメント出身者優遇の人事に反感を持っていたホーンベックは、ハル新長官に近づき、信頼を得るようになった。その後の極東政策のキーマンとしての地位を確立した。

グル―が大使の頃、ベーブ・ルースヘレン・ケラーが来日している。

1936年の二.二六事件の前の晩はグル―が斉藤実内大臣夫妻と鈴木貫太郎侍従長夫妻を招いて、トーキーを上演した。その翌日斉藤内大臣が暗殺され、鈴木貫太郎が重傷を負い、牧野伸顕が九死に一生を得たことはグレーにとって大ショックだった。

二.二六事件後、広田弘毅内閣が成立する。広田は当初外務省同期の吉田茂を外相に入れたい考えだったが、自由主義者の吉田就任に対して陸軍から横やりが入り、やむなく広田首相兼務の後、有田八郎が外相に就任した。

広田弘毅の秘書官だった岸信介は、首相官邸でグル―に岡田首相の身代わりに秘書官の松尾伝蔵が射殺された現場を見せたという。広田弘毅は通訳も入れず、日米親善が政策の土台であることをグルーに強調した。

1年弱の広田内閣の後は、4か月の林銑十郎内閣の後、1937年6月に第一次近衛内閣が成立する。


日中戦争に拡大

1932年7月7日に盧溝橋事件が起こり、日中戦争の泥沼が始まる。

グル―は共産主義こそ危険な敵であり、日米はパートナーとなれるという自説を説いていた。しかし、日本軍が中国各地に進撃を進めたので、グル―の米国における発言権は低下していた。

グル―の発言が、日本政府そして日本国民の反省を呼び起こしたのは、第二次上海事変の後、日本軍機が米国パネー号を誤爆したパネー号事件の時だった。日本政府は陳謝し、日本国民からの詫び状が米国大使館に寄せられたという。

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出典:本書111ページ

日米関係を少しでも改善させるために、グル―は米国で客死した斉藤大使の遺体の移送にあたり、ルーズベルト大統領にかけあって、米海軍の巡洋艦を手配した。

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本書:120ページ

1939年には一時帰国して、ルーズベルト大統領と2回面談した。国務省幹部とも面談し、対日強硬策は日本の軍部を追い詰め、戦争に走らせる結果となることを訴えた。


第二次世界大戦勃発

1939年9月には、ドイツ軍がポーランドに電撃侵略し、第2次世界大戦がはじまった。

ホーンベックが取り仕切る米国の対日強硬政策は変わらなかった。もはや日本の穏健派は力を失ったとみて、日米通商航海条約の破棄や、航空燃料や鉄くずなどの対日禁輸法案が続々打ち出された。

1940年7月には第2次近衛内閣が成立し、松岡外相、東条陸相が入閣し、日米関係は一層悪化していく。グル―はドイツの勝利が日本人に大きな影響を与えつつあることを感じている。

1940年9月には日独伊三国同盟が成立し、その直後の1940年10月に、グル―は日本の中国進出をいさめる演説を日米協会で行っている。

1941年1月には日本が真珠湾攻撃を考えているという噂が、ペルー公使からアメリカ大使館に伝えられた。グル―はハル長官あてに電報で知らせている。

しかし、はるかに国力が勝るアメリカ相手に日本が戦争など起こすことはないという過信があり、アメリカは本気にしなかった。


日米交渉による戦争回避努力

1941年2月から野村吉三郎元外相が駐米大使となって、その後50回弱開かれる日米交渉がスタートした。

日本の外交暗号はすでにアメリカに解読されており、アメリカは日本の手の内を知って交渉を続けていた。解読結果は”マジック”と呼ばれ、ルーズベルトが”マジック”を待ち望んでいたことはよく知られている通りだ。

このあたりの事情は、このブログで紹介した日米露の3国の資料を分析した「暗闘」のあらすじを参照してほしい。

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)
著者:長谷川 毅
中央公論新社(2011-07-23)
販売元:Amazon.co.jp

日本は1941年6月に南部仏印進駐を決定した。このことが、日米関係を決定的に悪化させた。7月には在米日本資産の凍結(これにより日本は貿易取引でドル決済ができなくなった)、8月には綿と食料を除く対日禁輸が成立し、石油輸出がストップした。


事態打開の頂上会議案も不発

強硬策を主張する松岡外相を辞めさせるために、1941年7月に第2次近衛内閣は辞職した。2日後、第3次近衛内閣が成立した。近衛はルーズベルトとの頂上会議を提案する。

グル―はこの頂上会議提案を積極的に評価した。いままで日本の首相が外国を訪問するという前例はなかった。それにもかかわらず、日本が提案してきたことは太平洋の平和は維持されなければならないという強い決意の表れに他ならないと力説した。

ルーズベルトも野村大使を呼んで、「非常に立派」と評価し、「近衛公とは3日間くらいの会談を希望する」と乗り気だった。それを押しとどめたのが国務省の政策を牛耳っていたホーンベックだった。

日本の国内問題が解決されない限り、首脳会談によって問題は解決されないとの立場を繰り返したのだ。ホーンベックの意見を容れたハル国務長官の進言により、ルーズベルトは頂上会談をあきらめた。

石油備蓄を日に日に消費していく日本は、このままでは開戦に追い込まれることをグル―は力説した。しかし、日本が戦争に踏み切ることはありえないとするホーンベックにより牛耳られた米国国務省は動かなかった。


御前会議で戦争準備決定

1941年9月6日の御前会議で、10月末までに外交交渉がまとまらなければ、戦争準備をすることが決定された。

この時の天皇の言葉が、明治天皇の御製「よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ」を引用し、平和愛好の立場を強調したものだった。

9月6日の夜、近衛首相はグル―を秘密裏に呼び出し、ハル長官の4原則に全面的に同意すると表明し、「日米関係が現在のような悲しむべき情勢に陥ったのは自分の責任だ。関係を修復できるのも自分だけだということもわかっている。反対する勢力にもかかわらず、自分は全力を尽くす決心を決めた。」と語り、首脳会談実現への協力を依頼した。

グル―はこれを受け、大統領あてにメッセージを送った。同時に、ハル長官とウェルズ次官あての長文の電報で、日本の変化を伝え、ルーズベルト・近衛予備会談で戦争を回避すべきと訴えた。

しかし、この電報はハルからホーンベックに回され、ホーンベックが会談を否定する回答案を作成し、それがハルから野村大使に伝えられた。


東条内閣成立

近衛内閣は10月4日に総辞職し、東条英機内閣が成立する。11月にグル―は日本が「国家的ハラキリ」の挙に出る危険性を強調し、戦争の危険が高まっていると警告した。

東条内閣は11月5日の御前会議で、譲歩案として甲案、乙案を用意する。暗号解読で内容を知っていた米国は、11月26日に日本が受けられるはずのないハルノートを提示する。


日米開戦へ

日本がハルノートを最後通牒と受け止めていることに驚いたグル―は、吉田茂を通じて東郷外相に会うべく申し入れる。しかし、既に開戦決定が出されていたので、東郷外相はグル―に会おうとしなかった。

米国国務省を牛耳るホーンベックはこの期に及んでも戦争はありえないという立場だった。一時帰国した駐日大使館員が、「このままでは日本が自暴自棄で戦争に追い込まれる」と話すと、「歴史上、自暴自棄で戦争を始めた国があるなら、いってみたまえ。」という有名な返事をして、相手にしなかった。

ホーンベックは11月27日付けで、「極東関係問題ー情勢評価とある可能性」という覚書を書いている。この情勢判断の甘さが、終生彼を悩ますこととなった。

「もし賭けをするなら、本官は米日が12月15日以前に『戦争』にならない方に5:1で賭ける。…1月15日以前なら3:1、3月1日以前なら現金を賭ける。」

ルーズベルトは12月7日に天皇に宛てて戦争回避のための電報を打つが、グル―が東郷外相に届けて、天皇への謁見を依頼したのは日本時間12月8日の午前零時となっていた。もはや真珠湾攻撃は止めようがなかった。


捕虜交換船で帰国し、再び国務省へ

日米開戦後、米国大使館員は大使館に抑留された。1942年6月の捕虜交換船で、アフリカのロレンソ・マルケス港経由帰国する。帰国してから、グルーは日本軍は手ごわいことを全米で講演してまわった。

日本の外交暗号が解読されており、米国は日本の出方が手に取るようにわかっていたので、駐日大使館からの進言は重きを置かれていなかったことをグルーは帰国して知ったという。

1944年1月には宿敵ホーンベックが失脚し、グル―は5月1日付けで極東局長として国務省に返り咲いた。そして5月15日にはベストセラーとなった「滞日十年」を出版した。

滞日十年 上 (ちくま学芸文庫)滞日十年 上 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョセフ・C. グルー
筑摩書房(2011-09-07)
販売元:Amazon.co.jp


天皇制維持に尽力

当時米国では日本占領後の政策を検討しており、グル―は天皇制を存続させて、天皇を占領政策で利用すべきだとの天皇制擁護論を展開する。

ルーズベルトは1944年11月に4選され、老齢のハルに代わって、まだ40代のステティニアスが国務長官となった。ステティニアスは経験豊富なグル―を国務次官に起用した。

1944年末には国務省、陸軍省、海軍省の3者で、戦後処理についての3人委員会が設立され、スティムソン陸軍長官、フォレスタル海軍長官と、ステティニアス国務長官の代理としてグル―が第2回目から参加した。

1945年2月からのヤルタ会議では、ルーズベルトが個人外交として国務省を通さず、ソ連の対日参戦の見返りとして、樺太南部と千島列島の返還を約束していた。このことはルーズベルトが急死した1945年4月に、後継大統領のトルーマンに知らされた。

ルーズベルトの死をヒトラーは狂喜し、日本の鈴木貫太郎首相は哀悼の意を表するという正反対の対応をしている。


原子爆弾完成

このころ原子爆弾が完成間近なことが"new weapons"という表現で三人委員会で報告されている。詳細の記録は残されていない。

1945年5月7日にドイツが降伏すると、翌8日にトルーマン大統領は対日降伏勧告宣言を出している。グル―はトルーマンの演説に天皇制存続の対日メッセージを織り込むべく、天皇制存続がいかに戦争を早く終わらせ、ソ連の勢力拡大を防ぐのに重要かをトルーマンに力説した。

トルーマンは天皇制存続を国務省、陸軍省、海軍省で討議するように指示し、3者会議が開催される。しかし、「ある軍事上の理由」により日本に天皇制存続を呼びかける大統領声明は延期される。原爆が実用化されていたのだ。


原爆投下とソ連参戦回避に努力

グル―はこれにもめげず、今度は元大統領フーバーからトルーマンへの対日問題についてのアドバイスを出させる。

ソ連の勢力拡大は米国にとって不利であること、日本の鈴木貫太郎首相は穏健なので天皇制廃止はないことを明確にすれば、日本は降伏するだろうと提言している。

1945年6月中旬にグル―はトルーマンと再度掛け合い、天皇制存続を認めた無条件降伏案の説得を試みる。トルーマンはそれをポツダムでの3巨頭会議に議題に入れるように指示し。グル―はやむなくそれに従う。

トルーマン説得に失敗した後も、グル―は陸軍長官と海軍長官の説得を続けたが、7月初めにステティニアス国務長官が辞任し、後任は外交にはバーンズが任命され、グル―が国務長官代理として陸軍や海軍と交渉を続けることはできなくなった。

当時のアメリカの世論は、天皇を処刑すべきが33%、天皇を裁判にかけて終身禁固あるいは流罪が36%、何もしないが7%というものだった。天皇制存続にはアメリカの世論は反対だった。

新国務長官のバーンズは、マンハッタン計画を推進してきた人物だった。原子爆弾の威力を試すために原爆投下に積極的であり、それまでに戦争を終わらせる提案には否定的だった。


天皇制存続による早期終戦工作

早期終戦は米兵の戦死者を減らせると主張するスティムソン協調して、グル―は天皇制存続を保証する文言をポツダム宣言に織り込むべく努力する。

そして、統合参謀本部案として「日本国民は天皇を立憲君主として存続させるか否かを決定する自由を持っている」という一文を追加する案を提出した。

しかし、バーンズから意見を求められたハルの助言や、ソ連に対して日本が講和に向けて仲介を依頼してきたことをスターリンが自慢げに話したことから、日本に弱腰とみられないようにとのバーンズの意見が通って、日本へのメッセージはポツダム宣言から削除された。

7月16日に原爆実験成功の知らせがポツダムに届き、7月18日に日本への原爆投下が決定された。その際にスティムソンは、京都を原爆の目標から外すことと、天皇制について配慮すると日本に伝えることをトルーマンに要請した。


原爆投下とソ連参戦

ポツダム宣言を鈴木貫太郎首相は「黙殺」と表明したので、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原爆が投下された。8月8日にはソ連が参戦した。

東京では最高戦争指導者会議が開催され、8月10日深夜、天皇の聖断を仰ぎ、ポツダム宣言を「天皇の国家統治の体制を変更するの要求を包含しておらざることの了解のもとに」受諾し、それがスイス政府経由アメリカ政府に伝えられた。

アメリカの返答は、「天皇と日本政府の統治権は連合国最高司令官に"subject to"である、日本政府の最終的な形は日本国民の自由な意思の表明によって確立されねばならない」という穏当なものだった。8月13日、14日の最高戦争指導者会議を経て、8月14日午後11時ポツダム宣言受諾の電報がスイスに向けて打電された。


8月15日に国務次官を辞任

日本が無条件降伏した8月15日に、グル―は自分の仕事は終わったとして辞表を提出して国務次官を退任している。

戦後、グルーは「滞日十年」の印税を国際基督教大学設立、エリザベス・サンダース・ホーム支援、バンクロフト奨学金設立に寄付した。

日本側の逆提案でグル―基金が設立され、日本側からも印税の十倍もの寄付金が集まって、1953年にはグルー奨学金一期生4人がアメリカに留学した。

グレーは1952年に回顧録を出版した。

もし米国政府が駐日大使館からのグル―の意見に従っていたなら、日米戦争は避けられた。開戦後も、自分が言うように日本に対して天皇制存続の確約を与えていれば、早期の戦争終結が可能となり、米兵の損害はより少ないものとなった。それにより原爆投下は避けられ、ソ連参戦も阻止でき、共産主義の拡大を事前に食い止めることができたであろうという主張を繰り返した。

「外交によって戦争を食い止めた外交官という歴史的役割をワシントンによって奪われた」とグル―は終生考えていたという。


日本ではあまり知られていないグルーの日本への好意と戦争回避努力がよくわかる。大変参考になる本である。


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2013年01月09日

中国大分裂 長谷川慶太郎さんの中国分裂予測

中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動
著者:長谷川 慶太郎
実業之日本社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

85歳になった今でも、「大局を読む」シリーズなど、するどい状況分析に基づく政治・経済予測を毎年出している長谷川慶太郎さんの近著。

長谷川さんの情報が正しいのかどうかわからないが、論理の筋道が立っており参考になる。

この本と同じ路線の「2014年、中国は崩壊する」も読んでみた。

こちらは元マイカル法務部でマイカル大連などの出店経験があるという現国会新聞社編集次長の宇田川 敬介さんが書いたものだ。

北京駅の荷物検査場には手りゅう弾を爆発されるための円筒形のコンクリートの箱があったとか、一人っ子政策に反して生まれた戸籍のない人=黒子が車に轢かれても、警官は死体を崖下に投げ落とすのを見た。さらに黒子の遺族は、車の運転手に器物損壊で訴えられたというような話が宇田川さんの本では載っている。

中国人にとってメンツがいかに重要かという宇田川さんの議論はよくわかったが、上記のような話は、いくらなんでもあり得ないのではないかと思う。

2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)
著者:宇田川 敬介
扶桑社(2012-06-01)
販売元:Amazon.co.jp


この本で長谷川さんが予想しているシナリオは次の通りだ。

1.中国ではいままで毛沢東の系譜を継ぐ文革路線の人民解放軍と、胡錦濤・温家宝らが推進する改革開放路線の中国共産党の対立があった。人民解放軍は毛沢東思想を信奉し革命を推し進めるという立場だが、中国共産党は革命を放棄している。

2.人民解放軍の7つある軍区のうち最大の勢力は瀋陽軍区だ。瀋陽軍区には核兵器はないが、ロシアと国境を接しているので5つの機械化軍団のうち4軍団を傘下におき、最強の軍事力を誇っている。

中国の軍区は次の図の通りだ。

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出典:本書4−5ページ

3.2012年に毛沢東派の薄煕来・重慶市共産党書記・党中央政治局員が、収賄と妻の英人ビジネスマン殺人容疑により失脚し、中国共産党トップの9人の政治局常務委員には人民解放軍の代表はいなくなった。薄煕来は、重慶市に行く前は遼寧省省長や大連市長を歴任した瀋陽軍区の出世頭だった。

4.北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)は瀋陽軍区の傀儡で、先日のミサイル発射もすべて瀋陽軍区の命令を受けて金正恩が実施している。北朝鮮の軍事パレードには瀋陽軍区が貸し出した武器が使われている。

5.北朝鮮は3度目の核実験を近いうちに必ず実施する。瀋陽軍区は核兵器を持っていないため、北朝鮮に核兵器を開発させ、それを瀋陽軍区の切り札として北京政府を恫喝したいからだ。

6.北朝鮮が3度目の核実験を行うと、国連はいままでの経済制裁では効果がないとして、武力制裁を決議する可能性が高い。そうすると常任理事国の中国は、武力制裁に同意せざるをえない。

そうなると北朝鮮の実質支配者である瀋陽軍区が北京政府に叛旗を翻し、中国は分裂状態になる。最終的には中国は、7つの軍区に分かれた連邦制になると長谷川さんは予想している。

7.こういった情勢をわかっていないのは日本だけで、米国は中国が分裂状態になることを予想している。その際に北京政府が米国に助けを求めてくる可能性もあるとみて、2011年に第7艦隊の空母を2隻に増やした。それがトモダチ作戦で活躍した空母ロナルド・リーガンだ。



沖縄にオスプレイを配備して海兵隊の機動性を増したのもその戦略の一環である。



昨年の反日デモでは、暴徒が毛沢東の肖像画を掲げているのが目についた。



毛沢東の主導した文化大革命がいかに悲惨なものだったかは、このブログで紹介した「私の紅衛兵時代」で紹介した通りだ。

長谷川さんの見立てが正しいかどうかわからないが、中国が混乱に陥る可能性はあるのではないかと思う。

そのほか参考になった点をいくつか紹介しておく。

★パナソニックは主力のマレーシアのコンプレッサー工場が、中国のメーカーとの競争に負けて閉鎖に追い込まれた。パナソニックの中国のテレビなどの工場も赤字で閉鎖したいが、中国政府が閉鎖を認めないので、操業中止状態にある。

★中国では輸出不調と不動産価格下落のため失業者は1億人いる。銀行が不動産融資を絞ったため、不動産価格は暴落している。不動産価格は2011年末時点で前年比半額以下になったという。

★中国には預金保険制度がないので、銀行はみんな粉飾決算をしている。中国政府は必死に銀行をテコ入れしている。

★高速鉄道網建設は、総延長8万キロの予定が実績は2万キロしか建設できていない。2011年1年間では300キロしか建設できていない。建設資金が滞ったことと、乗客が少ないためだ。2011年7月の浙江省温洲の高速鉄道事故では、あれだけの大事故なのに死者は40名だけだった。乗客が少なかったからだ。

★中国の富裕層の海外移住で一番人気はカナダだ。固定資産と流動資産160万カナダドルを持ち込むと国籍が買える。カナダのマンションを、香港の財界人の李嘉誠は多く開発し、中国人の富裕層に売っているという。

★上海のブランドショップは店員が偽物をつかませるという噂がある。だから中国人は東京に来てブランド物を買うのだ。

★中国の不穏な動きに敏感に反応したミャンマーは中国離れをして、中国のプロジェクトの多くは中止となった。しかし西側の経済進出で活気を呈している。

★韓国の朴正煕大統領は一切蓄財をしない立派な大統領だったという。娘の朴さんが今回大統領になったが、2DKのマンションに住んで質素な生活をしているという。

★米国の陸・海・空軍は米国議会の上院下院の本会議で戦争決議が成立しないと軍事行動をとれないが、海兵隊は例外で大統領の命令で戦闘行動がとれる。

だから朝鮮半島になにか事が起これば、沖縄の海兵隊がオスプレイで飛ぶのだ。沖縄の海兵隊がいなければ、韓国の国防は成立しない。

★尖閣列島は、人民解放軍の南海艦隊が勝手に動いていて、北京政府は後追いで追認している。先軍政治色が強くなっている。

★中国では電圧もコンセントの形状も地域によってバラバラだ。北京と天津を結ぶ高圧電線もない。

★中国の原子炉はいろいろな国の技術のつぎはぎで、安全性には大きな疑問がある。しかし、すでに15基の原子炉が稼働している。

★日本のメタンハイドレードの開発技術はカナダから導入している。カナダのハドソン湾にもメタンハイドレードが大量に埋蔵されており、その開発技術を使っている。

★アメリカ経済の立役者となるシェールガス革命によりロシアの相対的発言力は低下している。プーチンは日本に天然ガスを買ってもらいたいと思っている。

カナダもインドネシアも天然ガスを売りたいので、日本は有利に交渉を進めることができる。

上記のように様々な情報をポンポン紹介している。しかし、真偽のほどは筆者はまだ確かめていない。まずは未確認情報としておいていただきたい。


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2013年01月08日

仕事は楽しいかね? iPS細胞発見者・山中伸弥教授が助けられた本

仕事は楽しいかね?仕事は楽しいかね?
著者:デイル ドーテン
きこ書房(2001-12)
販売元:Amazon.co.jp

このブログで紹介したiPS細胞の発見者・山中伸弥教授の「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」に、山中教授が自称”PAD”(Post America Depression)で、うつに悩まされていた時助けられた本として紹介されていたので読んでみた。

3冊ほどのシリーズで、他に「仕事は楽しいかね? 2」、「仕事は楽しいかね?最終講義」がある。これらも読んでみたが、ほぼ同様の内容なので、最初のものを紹介する。

仕事は楽しいかね? 2仕事は楽しいかね? 2
著者:デイル・ドーテン
きこ書房(2002-07-26)
販売元:Amazon.co.jp

仕事は楽しいかね?《最終講義》仕事は楽しいかね?《最終講義》
著者:デイル・ドーデン
きこ書房(2012-08-01)
販売元:Amazon.co.jp

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見て欲しい。

シカゴのオヘア空港で季節はずれの吹雪のために飛行機が欠航となり、26時間も空港に閉じこめられた主人公が、たまたま会ったマックス・エルモアという著名な企業家の話を聞くという設定だ。

マックスの質問が「仕事は楽しいかね?」だ。


明日は今日と違う自分になる

マックスは成功のための戦略に関して、「目標設定」に×(バツ)をつけ、「今日の目標は明日のマンネリ」となる、「明日は今日と違う自分になる」が唯一の目標だと語る。

そして「試してみることに失敗はない」と付け加えた。毎日”試すこと”を続けなければならないのだ。


偶然は発明の父

「必要は発明の母かもしれない。だけど、偶然は発明の父なんだ。」

コカ・コーラをつくったジョン・ペンバートンは、薬屋で従業員がたまたまシロップを混ぜ合わせた頭痛薬をつくっていたので、それを飲んでみて水を加え、ソーダ水を加えて売り出したのだ。

コカ・コーラの筆記体のロゴは、広告会社が考え出したものではなく、ペンバートンのパートナーが売り上げノートに書いていたものなのだ。

チョコチップ・クッキーも偶然の産物、リーバイス・ジーンズも余ったテント用の帆布を利用して使って作ったオーバーオールが金採掘に集まった人々にヒットしたものだ。

世界的なフルート奏者のジャン・ピエール・ランパルは「努力に努力を重ねて、コンサートで或る曲を『完璧』に演奏できたとします、そうすると、私はまた努力に努力を重ねて、翌日のコンサートでは『さらに素晴らしい』演奏をするんです。」と語っていたという。

ベスト・オブ・ランパルベスト・オブ・ランパル
アーティスト:ランパル(ジャン=ピエール)
EMIミュージックジャパン(2009-06-17)
販売元:Amazon.co.jp


ホーソーン効果

ある工場で照明、休憩時間を変えると生産高にどう影響するか調査したところ、どんな状況でも生産高が上がった。結局、労働者は調査に参加するのが好きだというのが結論だった。調査が行われているというだけで、普段より業績をあげてしまうのだ。

マックスの人生はホーソーン効果の連続だ。


ウォルト・ディズニーの細部へのこだわり

成功の秘訣として、マックスはウォルト・ディズニーが細部までこだわり、白雪姫の一シーンに多大な時間を費やしたことを紹介する。

次のYouTubeに載っている白雪姫のビデオの中程にある、願いを叶える井戸で王子と出会う場面で、井戸をのぞき込む白雪姫と王子の顔が、水に映って、しずくでできた輪でゆらゆら揺れるシーンだ。CGもなかった時代に、アニメーションで見事に再現している。



ウォルト・ディズニーは、成功の秘訣を「ものごとを見事にやることだよ。もう一回それを見るためならお金だって払う、と言われるくらい見事に」と言っている。

それは”あるべき状態より、良くあること”なのだ。

心臓蘇生術を生み出したドクター・クーパーは、事切れた患者に怒りのパンチを食らわせたところ、心臓が動き出したので蘇生術に気が付いたという。まさに偶然の産物だ。


アイデアを生み出す三つのメモ

マックスはアイデアを生み出すヒントとして、次の3つのメモをつくれと言う。

1.仕事でやったミスをすべて書き出す

2.問題点を書き出す

3.仕事に関してやっていることを”あらゆること”を書き出す

売れ残ったテント用の帆布を使って何をすべきか考え続けてこそ、リーバースのジーンズを思いつくことができるのだ。

"Where there is a Will, there's an A"(やる気があればA(=優)が取れる)というインフォマーシャルで成功したクロード・オルニーは、息子の試験の成績を上げるために本を片っ端から調べた結果、綺麗な字を書き、計算は縦の列を揃えた方が成績が良いと気づいたという。

CBSの人気番組「60ミニッツ」は、テレビ番組には新聞に相当するニュースや、本に相当するドキュメンタリーやドラマはあるが、雑誌に相当する部分がないと気が付いたプロデューサーが思いついたものだ。

モハメド・アリは、プロになりたての頃、プロレスラーと一緒にテレビに出て、派手なパフォーマンス、ショウダウンの重要性に気づいた。自分の仕事を広い範囲で定義し、他のスポーツ選手からも学べることに気づいたのだ。

新しいアイデアは、新しい場所に置かれた古いアイデアだ。だからリストに書き続けることが重要になる。


間違いは気づきのもと

「ポスト・イットを思い出せ!」だ。

間違ったら、それが何か役に立つことを考える。間違いは気づきのもとだからアンチ・ミステイク、問題も気づきの元のアンチ・プロブレムなのだ。

マックスは最後に「きみが”試すこと”に喜びを見いだしてくれるといいな。」と言って別れた。

アイデアをいっぱい持って、あらゆることをやってみる。明日は今日とは違う自分になり、そして朝を待ちこがれる。単純な教えではあるが、このような毎日”試すこと”を探しながら仕事をすれば、仕事が楽しくなる。仕事が楽しくなれば、成果も上がり、評価も上がるだろう。

冒頭に書いた様に、山中伸弥教授が推薦していたので読んでみた。アマゾンでは現在売り上げ345位とよく売れているようだ。

平易な内容で、200ページ弱の本なのですぐに読める。

アクションを取らなければ何も変わらない。”試すこと”を始めるには、よいきっかけとなる本だと思う。


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2013年01月07日

なぜ、勉強しても出世できないのか? スキルアップをあおった記者の反省

なぜ、勉強しても出世できないのか? いま求められる「脱スキル」の仕事術 (ソフトバンク新書)なぜ、勉強しても出世できないのか? いま求められる「脱スキル」の仕事術 (ソフトバンク新書)
著者:佐藤 留美
ソフトバンククリエイティブ(2012-10-18)
販売元:Amazon.co.jp

ネットバブル期からスキルアップをあおる記事をたくさん書いたというフリーランスライターの佐藤留美さんの反省文。

週刊東洋経済の2011年11月26日号の「さらば!スキルアップ教」で佐藤さんは記事を書いており、それを見た編集者から、この本を書くよう提案があったという。

週刊 東洋経済 2011年 11/26号 [雑誌]週刊 東洋経済 2011年 11/26号 [雑誌]
東洋経済新報社(2011-11-21)
販売元:Amazon.co.jp

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次をチェックしてほしい。

この本で紹介されている最も「わりに合わない」勉強ランキングは次の通りだ。

1位 各種キャリアアップセミナー

2位 「朝会」「人脈交流会」などの各種イベント

3位 国際ビジネス系資格(MBA,USCPAなど)

4位 一部経営・コンサルタント資格(中小企業診断士、ITコーディネーターなど)

5位 供給過多の国家資格(行政書士、社労士)

その業界で働く人や、資格を持っている人には、アタマに来る話が多いと思う。

この本は元々の出版経緯からしても、悪く言えば「週刊誌的なネタ」のよせ集めだ。これらの情報をもとに「勉強しても出世できない」という結論を出せるとは思えない。

しかし一面の真実は伝えていると思うので、いくつか参考になった情報を紹介しておく。


スキルアップフィーバー

スキルアップ分野では「スキルアップの女王」・勝間和代さんやレバレッジ・シリーズの本田直之さんなどが代表格で、このブログでも勝間本レバレッジ本を4冊ずつ紹介している。

佐藤さんはネットバブル時代にスキルアップをあおる記事を多く書いたが、当時スキルアップを目指した人の中では、成功した人は驚くほど少ないという。


ビジネス書は「毒」に気をつけろ

佐藤さんは、ビジネス書の著者は、何らかの目的があって本を書いているということを意識しておいたほうがいいと語る。あらゆる本にはバイアスがかかっているので、別の価値観の人がうっかり真に受けると痛い目に会うことがある。

例として、「どう考えても元ヤンキーとしか思えない著者が、仁義や義理人情、あるいは突拍子もない奇天烈な仕事術を書いた本を出し、ベストセラーになったりする」と、このブログで紹介している某書を批判している。

「こうした本の著者は、その人が、その職業を、その手法でたまたま成功しただけで、一般的に、読者が同じように同じことをやって果たして成功できるか疑わしい。ロールモデル性は極めて低いと言わざるを得ない」と。

吉本隆明は、「万人が読書は良いことと決めつけているが、それは危険である。読書とは作者の知恵と同様に毒をも浴びる行為である」ということを言っていたという。ビジネス書著者が放つ「毒」にも気を付けたいと、佐藤さんは語る。


USCPA 

世界がIFRSで世界的に統一されつつあるので、USCPAは「履歴書の華やぎ」にしかならないという。資格ごとお役御免になるのだと。USCPA資格予備校だったANJOインターナショナルは2006年に倒産。二番手予備校も跡形もないという。

本当にそうなのか筆者には判断がつかない。

少なくとも会計基準が変わっても、USCPAで勉強した基礎的なことが、全く役に立たないということはないと思う。ともかく佐藤さんの説として紹介しておく。

外資系などスキル重視企業が日本から引き揚げているから、MBAやUSCPAなどの国際ビジネス系資格の需要が減っているという。

日本から撤退した例として、スティール・パートナーズがサッポロ株を売却し、日本での買収ビジネスを手じまいしたことや、リップルウッドが「シー・ガイア」をセガサミーに売却し、日本から引き揚げたことを挙げている。


税理士

「税理士」は、今から取っても食える資格ではないという。日本の税理士7万2千人のうち、60歳以上が半数を占めるので、おじいちゃん税理士と親しくなって、仕事のおこぼれにあずかるのが一番の営業なのだと。

この本には書いていないが、税務署に23年間勤めれば、退職後無試験で税理士となれる。日本の税理士の約半数が税務署OBだという。

試験を受けて税理士資格を取った無経験の税理士と、税務の表も裏も知り、税務署にも顔がある税務署OBの税理士のどっちを起用するかと聞かれたら、誰でも税務署OBの税理士を起用するのではないかと思う。

税理士が「今から取っても食える資格」ではないという背景にはこういった事情がある。筆者が冒頭でこの本を”週刊誌ネタの寄せ集め”と評しているのは、こういった突っ込みが足りない点が目につくからである。


公認会計士

税理士以上にむごい仕打ちを受けているのが、公認会計士だと。弁護士同様に国策的に合格者人数を増やした結果、供給過多になってしまった。

三大会計事務所の一つでは、2010年から大リストラを実施し、「2008年以降に入所した人」を狙い打っているのだという。

2000年までの公認会計士試験の合格者数は、1,000人以下だったが、金融庁が公認会計士の活動領域の拡大を目指して試験内容を平易化した2008年以降は、合格者が3,000人を超えている。上記のリストラはこの「ゆとり会計士」を狙ったリストラなのだ。

この会計事務所では、J−SOX導入による需要増を見込んで、社員4,500人のところ、2008年には650人以上を新規採用した。ところがリーマンショックでJ−SOXバブルが吹き飛び、2009年には赤字に転落した。いまや資格の学校TACも希望退職を募っている。


ノキ弁にもなれない「ケータイ弁護士」

これまで弁護士は「イソ弁」といって、ボス弁護士の事務所に雇われ、OJTで仕事を覚えて行くのが常道だった。ところが司法試験制度改革で、弁護士資格保持者が2007年から急増し、「イソ弁」になれるのは、”一発合格で合格順位が1,000番以内の25歳以下の男性”だという。

「イソ弁」に慣れなければ、「ノキ弁」(軒先(机)を借りて、固定給なしで働く弁護士)という手もあるが、これも未経験者には狭き門。やむなく「タク弁」(在宅で働く弁護士)の「ソク独」(研修期間が終わってすぐに独立すること)が増えているのだという。

いままで過払い金返還請求で食ってきたが、従来21%だった過払い金報酬をダンピングする弁護士も現れている。武富士が過払い請求受付を終了し、”過払いバブル”は終了したという。

さらに法務大臣の認定を受けた司法書士は、2003年の法改正で、140万円以下の借金についての交渉権と簡易裁判所の訴訟代理権が認められた。消費者金融の過払い金の債務整理業務など、弁護士が行っていた業務ができるようになった。弁護士の仕事がさらに少なくなっているのだ。

司法修習生は以前は国から給費をもらっていたが、現在は返済義務のある貸与制となっている。ロースクール時代の奨学金も含めて、1,000万円以上の借金を背負った弁護士がどんどん誕生しているという。


英語TOEICフィーバー

英語を社内公用語にしたアパレル企業は、毎週10時間、TOEIC700点達成までリスニングやグラマーなどの勉強がノルマとして課せられ、月一回は講師と電話会議する。小型カメラ付きのパソコンが配られ、TOEICの点数が前回より上がっていないとツール使用料5万円が自己負担になる。

店舗勤務の人はいったん退社するフリをして、20時から23時までサービス残業するのが当たり前の社風だから、週10時間のノルマを達成するのが大変。オンラインプログラムはエンターキーを押し続ければ、受講したことになるため、勉強したフリをする社員が続出して、講師と電話会議するリアル学習に切り替えた。

「TOEIC700点以上にあらずんば人にあらず」といわんばかりのトップのアナウンスが徹底している。

同じく英語社内公用語化を発表したインターネット企業では、TOEICの団体特別テストがほぼ毎週行われるので、スコアを上げないと居場所がないプレッシャーがある。

2012年の新卒は730点、2013年の入社予定組は750点を最低クリアーした高得点者ばかりなのも、社員へのプレッシャーになっている。

多くの社員は7時前後に仕事をやめ、毎日2時間くらい仲間と会議室でリスニングやリーディングの勉強をしているという。会社がTOEICに染まりだしてから、社員に秀才型が増えて、ベンチャーっぽくなくなったという社員もいる。


飛べないスーパーマン

最後に佐藤さんは、経営共創基盤パートナーの塩野さんの言葉を紹介している。

「”東大君”が外資コンサルなどに入って、うまくいかなくってクビになり、うまくいかなかったのは、『まだ偏差値が足りないからだ』とばかりに、資格やMBAに走る。そういう人は、いわば『飛べないスーパーマン』。飛べなかったら意味がない。つまり実務ができなければ意味がない。」


「脱スキル」で幸せな職業人生を作る28の仕事術

佐藤さんは、「脱スキル」で幸せな職業人生を作る28の仕事術として、1.地方を目指す、2.仕事を選ばない、4.職場の「デキる人」を真似るなどを28項目提案している。

28の仕事術の最後は、「抽象より具体」だ。自分にとって頼りになるのは、「なんとか力」のような抽象的なものではなく、「お客さん」であり「経験者にしか分からない具体的な業務ノウハウ」であり、「周囲の人間からの確たる評判」などの、極めて具体的なものだという。

この本はスキルに関するプロ・コン(どちらかというとコンが多いが)の本なので、資格や英語力、IT力、FT(Financial Technology)力の面だけをとらえて議論している。

しかし、筆者は成功するためには最も必要なのは、向上心と相手の立場に立って考えられるコミュニケーション能力だと思う。

たとえばマイクロソフト社長の樋口泰行さんが、このブログで紹介した「愚直力」で書いているように、MBA資格に意味があるのではなく、MBAを取るために死にものぐるいで英語の原著を大量に読んで勉強したことが後々生きてくるのだ。

またMBA留学経験者の人脈も大きな宝だ。ローソンの新浪さん、楽天の三木谷さん、マイクロソフトの樋口さんはみんなハーバードMBAだ。ハーバードの人脈は日本だけでなく、世界に広がる。これは日本にいては得難い人的資産だ。

TOEICの点数をはじめ、様々なスキルや資格はあればあったで良いが、それがあるから成功するというわけではないというのは、当たり前だ。

採用選考で企業が最も重視するのはコミュニケーション能力だというアンケート結果が出ている。

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出典:「就活生の親が今、知っておくべきこと」111ページ

スキルはあった方が良いが、スキルだけあっても成功はできない。結論はありふれているし、情報は割り引いて考える必要があるが、参考になる本である。

蛇足ながら、ネットバブル期の説明として、「今では業績絶好調の商社も、ネットバブル期は息も絶え絶え。本社が大手町から”都落ち”した会社もあったほどだ」と書いてある。

たぶんあの会社のことだと思うが、世間から見ればそう見えるんだなと変に納得してしまった。


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Posted by yaori at 23:54Comments(0)TrackBack(0)