2013年04月29日

海賊とよばれた男 ベストセラーとなった出光興産創業者・出光佐三の伝記小説

海賊とよばれた男 上海賊とよばれた男 上
著者:百田 尚樹
講談社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

海賊とよばれた男 下海賊とよばれた男 下
著者:百田 尚樹
講談社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

2011年に100周年を迎えた出光興産の創業者・出光佐三(いでみつ・さぞう)の伝記小説。本の中では、「国岡鐵造」として登場する。

会社の知人が出版社の講談社の人と仕事で打合せしたら、講談社の人から「これは面白いですよ」ということで、この本をもらったという話を聞いたので、読んでみた。

作者の百田尚樹さんの最初の作品の「永遠の0」は、このブログで紹介している

永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
著者:百田 尚樹
講談社(2009-07-15)
販売元:Amazon.co.jp

小説のあらすじは、いつも詳しく紹介しないので、自分でも「予想外の最後の展開に驚く」と書いていながら、最後の展開がどうだったか忘れていたので、再度「永遠の0」を読み返した。



「永遠の0」の宮部も登場

実は、「海賊とよばれた男」の中に、「永遠の0」の主人公の宮部がチラッと出てくる。それは、昭和15年(1940年)の秋に国岡鐵造(出光佐三)が、当時幅広く事業展開していた中国の支店を訪問する場面だ。

上海で石油タンクを保有している国岡商会の上海支店を、国岡が訪問した時に、旧知の海軍大佐と会って、海軍の最新鋭戦闘機として零戦を見せてもらい、その時の若い航空兵が「宮部」という名札を付けていたという場面だ。

講談社の人が勧めるだけあって、上下700ページほどのボリュームだが、一気に読める。


この本の構成

この本の構成は、よくできている。アマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。

第1章 朱夏 (昭和20〜22年)

第2章 青春 (明治18年〜昭和20年)

第3章 白秋 (昭和22年〜昭和28年)

第4章 玄冬 (昭和28年〜昭和49年)


この本は「伝記小説」だ。筆者は、ポリシーとして「小説」のあらすじは詳しく紹介しない。

しかし、出光佐三の経歴自体は一般的に知られているものなので、「伝記」として扱い、割合詳しいあらすじを紹介する。

この本の面白さは、それぞれのストーリーの痛快さにあり、「あらすじ」ではそれを伝えることができない。

以下のあらすじを参考にして、ぜひ本を読んでみてほしい。


第1章は、戦争直後の話。

戦前、朝鮮や満州、中国で幅広く事業展開していた国岡商店は、日本の敗戦で海外の資産をすべて失い、ゼロから再スタートした。

海外からの帰国社員を一名もクビにせずに、ラジオ修理や海軍の巨大な石油タンクの底さらいなど、なんでもやったという話が、国岡鐵造の「馘首(かくしゅ)はならん!」という言葉とともに紹介されている。

海軍のタンクの底に残っている廃油さらいは、専門家の廃油取扱い業者でも嫌がる危険な作業だったが、国岡商店の社員は、幹部社員でもホワイトカラーでも嫌がらずに真っ黒になりながらやりとげた。

そのことが、GHQも注目するところとなった。国岡鐵造は、一旦、公職追放されたが、GHQが見直して、すぐに取り消されることとなった。


第2章は、国岡鐵造の生い立ちから、戦前、戦争中まで。

国岡鐵造は明治18年(1885年)に福岡県宗像市赤間に生まれた。両親は染物業をいとなんでいたが、家は貧乏だった。

鐵造は、父親に反対されながらも、何とか福岡商業(福岡市立福翔高校)、神戸高商(神戸大学)を卒業する。

神戸高商の校長にもらった色紙に書いてもらった言葉が「士魂商才」で、これが鐵造の座右の銘となった。

神戸高商を卒業後、多くの友人が三井物産や鈴木商店などの大会社に就職する中で、鐵造は社員数名で小麦と機械油を取り扱う神戸の個人商店に入社した。独立を考えていた鐵造は小さな会社で、すべての技能を身につけることを選んだのだ。

台湾向けに三井物産の向こうを張って小麦粉の販路をつくるなど、数年で大きな成果を上げ、出身地の福岡の門司で、親族・家族を社員として国岡商店として独立する。明治44年(1911年)、25歳のときだ。

日邦石油の機械油の取り扱いが主な事業で、起業するときに神戸時代に知り合った支援者の日田重太郎から独立資金を出してもらう。

日田重太郎には、その後も国岡商店が潰れそうになった時に追加出資をしてもらい、鐵造の生涯の恩人となった。

ちなみに、鐵造は日田の恩義に感謝して、1970年には日田の出身地の兵庫県姫路市に製油所を建設し、番地名を日田町と命名している。


石油の公示価格

石油は1859年に米国のドレイク大佐が、ペンシルベニア州で油田を発見し、当初は1バレル20ドル近くまで上がったが、その1年半後には供給過剰で10セントまで下がった。石油相場は乱高下してリスクの高いビジネスとなり、石油を掘り当てても、なかなか大金を投じて石油を開発することが難しく、供給は減少していた。

そこで1800年代末に当時のアメリカの石油精製と販売の80%を押さえていたスタンダード石油のロックフェラーが、この値段で買うという「公示価格」を決めた。

公示価格が決まったことで石油の供給は増え、石油業界は拡大した。その後。1911年にアメリカの独占禁止法であるシャーマン法によりスタンダードオイルは34の会社に分割された。


アイデア商人だった鐵造

すでに既存顧客は機械油の仕入れ先が決まっていたので、鐵造は紡績工場のスピンドル(糸車)の軸受油に注目する。独自の調合で最適の軸受油を作り出し、大手紡績工場から大量受注した。

次は焼き玉エンジンをつかっていた漁船の燃料を、当時使われていた灯油から、税金がかからず安価な軽油に転換させて大成功した。

国岡商店は、門司の販売店で、対岸の山口県には売れなかった。そのため、門司側から伝馬船に軽油を積んで、海上で漁船に売るという方法で販売を拡大させた。

これが「海賊とよばれた男」という、この本のタイトルの由来だ。

鐵造はアイデア勝負で、日邦石油の販売店として販売を伸ばしたが、国内では自由な事業展開が難しいかった。そのためセブン・シスターズと呼ばれるメジャーが牛耳っていた朝鮮や満州、中国で事業展開した。

満州でも独自の配合で極寒の満州でも凍らない車軸油をつくって、メジャーに勝利した。

何事にも筋を通す鐵造は、国がつくった石油統制会社などにも反対していたため、石油業界の異端児と見られていた。

米国が日本向け石油の禁輸に踏み切ったことから、日本の石油流通は石油配給統制会社に一本化されてしまった。


初代「日章丸」

鐵造のユニークな点は、単に石油販売のみにあきたらず、自前のタンクを上海などで建設するとともに、自前のタンカーを持ったことだ。

1939年には自社タンカー「日章丸」が完成している。「日章丸」は戦時中徴用され、1944年にアメリカの艦載機の爆撃で沈没した。国岡は全部で3隻のタンカーを持っていたが、すべて戦争で沈没した。

以前、関榮次さんの「Mrs. Ferguson's Tea-set"のあらすじで紹介したとおり、戦時中の日本船舶の損失は大きく、船員の死亡率は43%と、陸軍軍人の20%、海軍軍人の16%をはるかに超えていた。「日章丸」も例外ではなかったのだ。

Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940Mrs Ferguson's Tea-Set, Japan, and The Second World War: The Global Consequences Following Germany's Sinking of The SS Automedon in 1940
著者:Eiji Seki
Global Oriental(2007-02-28)
販売元:Amazon.co.jp


2代め「日章丸」

戦後まもなく、サンフランシスコ講和条約が締結された直後に、2代めの「日章丸」が播磨造船所で完成している。当時としては世界最大級の1万8千トンという大型タンカーだった。

2代めの「日章丸」は、当初、アメリカからの石油製品の輸入に使われ、アメリカ製のガソリンは「アポロ」の商標で人気を博した。

メジャーは日本の石油会社の多くを直接・間接に支配しており、政府からも言うことを聞かない会社として目をつけられていた国岡は、13対1のような戦いを強いられていた。その国岡の武器がタンカーだった。

1951年にイランがイギリスの国策会社アングロ・イラニアン石油の全施設を接収したところ、イギリスはイラン産の石油は自国のものだと主張し、イラン石油を輸送するタンカーを拿捕した。

そんな中で、「日章丸」は1953年4月にイギリスの警戒網を潜り抜けて、無事にイラン産ガソリンと軽油を日本に輸入した。これがイランが石油施設を国有化してから、最初の輸出となった。

その後、イギリスはアメリカと組んで、両国でイランの石油を抑えにかかり、1953年8月にCIAがわずか70万ドルのコストで、政権転覆させ、シャーを復帰させて親米国に転換させ、国岡の優先権は半年で終結した。

この本では、イランとの交渉では、イラン側がタンカーを購入するために、イランにある約3万トンのスクラップで代金を支払うと提案してきたことが紹介されている。

筆者自身は、イランから2,000トンのステンレススクラップを買い付けた経験がある。

1983年ころだと思うが、ちょうどイラン・イラク戦争の真っ最中だったので、国岡が石油を輸入したイラク国境に近いアバダン港は使えず、戦争の影響のないホルムズ海峡に近いバンダル・アッバス港から輸出したものだ。

コンテナーに積み込むフォークリフトがなく、人手で積み込んだので、船積みは3か月ほど遅れたが、品質の良いものだった。


3代め「日章丸」

1957年には中国の黒竜江省の大慶油田の石油生産が開始された。戦前、満州で大慶油田が発見されていれば、日本の運命は違ったものになっただろうと鐵造はやりきれない思いがしたという。

これを機に鐵造は、中東の原油をいかに安く仕入れるかが日本の将来を左右すると考え、世界最大級である13万トンの3代めの「日章丸」を発注する。

3代目の「日章丸」はあまり目立った活躍はなかった。

筆者の会社では、この「日章丸」が廃船となった時に解体船請負契約を結んで函館ドックで解体した。

当時は造船不況の時代で、新造船がなかったので、やむなく雇用調整金を使って石油ショック以来余剰気味だったタンカーを中心に解体したのだ。「日章丸」も1962年に竣工したが、わずか16年でスクラップになった。

タンカーは次第に大型化して、1978年には50万トンクラスのスーパータンカーまで誕生し、13万トンという「日章丸」が矮小化してしまったためだ。


ガルフとの提携

この本では筆者が合計9年間駐在していたピッツバーグにあったオイルメジャーの一社のガルフと国岡が提携したことが紹介されている。

1955年鐵造は70歳にして初めてアメリカを訪問した。サンフランシスコでバンクオブアメリカを訪問して、当時の国岡の資本金の18倍にあたる1千万ドルの巨額融資を取り付け、ニューヨークのあと、ピッツバーグを訪問した。

ピッツバーグには米国のモルガン、ロックフェラーに次ぐ第3位の財閥のメロン財閥系で、オイルメジャーの一社のガルフ・オイルの本社があったのだ。

ガルフは戦前からクウェートの石油開発に力を入れていたが、アジアには進出していなかったため、クウェート産原油の販売先に困っていたのだ。

この本では、鐵造がガルフの本社の広大な敷地と噴水付きの池や豪華な本社に驚いた様子が描かれているが、筆者にはピンとこない。ガルフの本社はピッツバーグの市内にあり、筆者の務めていたUSスチールのビルの斜め向かいが、ガルフ本社だったからだ。

この本で本社といっているのは、今やピッツバーグ大学の応用研究センターとなった、ピッツバーグ郊外にある旧ガルフの研究所のことかもしれない。


人間尊重の経営

鐵造はガルフに招待されたパーティで、「アメリカの民主主義はニセモノで、人間を信頼していない。国岡は『人間尊重』を第一に考え、社員を家族と考えて経営しているので、タイムレコーダーもなければ出勤簿もなく、定年も馘首のない」と演説すると、会場から盛大な拍手が起こったという。

出光興産のホームページでも「人間尊重の百年」という特設ページが設けられており、出光佐三の言葉や出光興産の歴史、出光史料館(門司)などが紹介されている。


石油精製業界に進出

この時に鐵造は石油精製業に進出するため、徳山での国岡最初の製油所の建設を米国のエンジニアリング会社と契約した。この本では通常3年かかる工期を10か月で完成させた話や、大型タンカーを受け入れるために徳山港の沖合2キロに海上バースを建設した話を紹介している。


民族系石油会社の雄として活躍

その後も、1960年には国岡はソ連原油をカスピ海の第2バクー油田から国際市況の半値で輸入した。

これは当時の池田勇人通産大臣から持ちかけられたものだという。当時の日本のほとんどの石油会社はメジャーと提携しており、民族系は国岡だけだったので、持ちかけられたものだ。

1963年には千葉県の姉ヶ崎に東洋最大級の製油所を建設した。

その年の冬は「三八寒波」と呼ばれる豪雪が降り、日本全国で灯油が足りなくなり、火力発電所の重油も不足する事態となった。

通産省は石油業法を通じて、生産調整させていたため、国岡は有り余る原油がありながら、製品をつくることができなかった。

石油連盟と通産省は石油製品の市況を支えるため生産調整を申し入れたが、国岡は行政指導に反発して石油連盟を脱退した。需要に応えるために石油製品を増産し、当時の通産大臣による勧告を出すとの脅しにも屈しなかった。


石油ショックとその後

鐵造の晩年には1973年に第4次中東戦争を機に石油ショックが起こり、原油の値段はそれまで1バレル4ドルを超えることがなかったのが、一気に12ドルにまで上昇し、狂乱物価を引き起こした。

鐵造は1981年(昭和56年)に95歳で亡くなっている。

出光興産は、長らく非公開会社だったが、2006年に東証一部に上場して公開会社となった。

この本では出光佐三が、最初は日田重太郎、次にいくつかの銀行の融資によって助けられ、事業を拡大していく様子がわかったが、たとえばウォルマートの創業者のサム・ウォルトンは、上場することによってウォルマートの成長が加速したことを自伝で書いている。

私のウォルマート商法 すべて小さく考えよ (講談社プラスアルファ文庫)私のウォルマート商法 すべて小さく考えよ (講談社プラスアルファ文庫)
著者:サム・ウォルトン
講談社(2002-11-20)
販売元:Amazon.co.jp


出光が公開会社だったら、民族系として存続できず、とっくの昔に外資系石油メジャーが株を買い占めたかもしれない。

株を公開しなくても、すぐれた経営者だから資金を調達できたのだろう。

それにしても、戦後ほとんどゼロで再出発して、わずか15年くらいで2か所の新鋭製油所を持つ一大石油会社となったことは、日本の高度成長の一例として驚嘆に値する。

出版社の講談社の人が勧める通り、大変面白く痛快なストーリーを満載した本である。ぜひ一読をお勧めする。


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2013年04月22日

次男の大学入学式に出席した

次男の東大入学式に出席した。

H25年度東大入学式1











平成20年度の長男の入学式のときと、演奏する曲も同じ、式次第も同じ、応援歌なども同じで、ほとんどデジャヴュの式だった。

東大入学式














総長や来賓、各学部・研究所長のメンツは変わっている。もちろん浜田純一総長と、小宮山宏前総長の挨拶は、それぞれの打ち出した方針が異なるので、全然違うものだ。

5年前と比べると、留学生の数は99→40名程度、女性比率は18%→17%と低下している。

浜田総長が、学生の多様化のために、9月入学制度導入や、推薦入学制度導入に力をいれている理由がわかる。

今回の式辞でも総長、教養学部長、来賓(黒川明東大名誉教授・医学博士・原発事故調査委員会委員長)の3人が全員、多様化や海外留学など異文化体験の勧めを強調していた。

次男は幼稚園から小学校1年生まで、ピッツバーグで3年間住んだ経験があるが、それでも是非、機会をつくって、異文化体験を深めて欲しいものだ。

教養学部長からは「飲酒」についての注意と、「飲酒」に関しての家庭でのサポートを要請する発言もあり、飲酒事故をなくそうという大学側の姿勢が伺える。

はからずも定点観測になった入学式だった。


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2013年04月18日

日本経済の真相 アベノミクスの中心的論者 高橋洋一さんの本

日本経済の真相日本経済の真相
著者:高橋 洋一
中経出版(2012-02-15)
販売元:Amazon.co.jp

いまや浜田宏一イェール大学名誉教授と並んで、アベノミクスの中心的な論者となった高橋洋一嘉悦大学教授(元・大蔵省)の本。

高橋さんの「さらば財務省!」のあらすじは以前紹介した。

さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別 (講談社プラスアルファ文庫)さらば財務省! 政権交代を嗤う官僚たちとの訣別 (講談社プラスアルファ文庫)
著者:高橋 洋一
講談社(2010-06-21)
販売元:Amazon.co.jp
高橋さんは、アベノミクス論者としてマスコミにも頻繁に取り上げられるようになってきている。



アベノミクス人脈









出典:日経新聞電子版(2013年4月14日付け)の山本幸三議員に関する記事

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てもらいたい。、なんちゃってなか見!検索でも紹介しておく。高橋さんは、俗論と真相を対比して説明している。


第1章 円高、デフレ、不況、電力、企業不正 これが日本経済の真相だ!

1. 俗論 : 異常なまでの円高、打つ手なし
   真相 : 解決は簡単。円を刷れば円安になる

2. 俗論 : 日本のデフレ、原因は人口減少
   真相 : 人口は無関係。デフレはお金不足で起こる

3. 俗論 : 景気が悪い以上、株価低迷はやむなし
   真相 : 円安にすれば日経平均1万3千円も可

4. 俗論 : オリンパス、大王製紙、2社の不正は深刻
   真相 : 不正経理は2社に限らない。まだ隠れている

5. 俗論 : 原発再稼働がないと日本の電力は不足する 
   真相 : 需給データに疑いあり。電力会社の利潤独占

第2章 TPP,ユーロ危機、QE3,中国バブル これが世界経済の真相だ!

6. 俗論 : TPPで日本の産業はダメージを受ける
   真相 : プラスの経済効果あり。参加しないと損

7. 俗論 : ユーロ崩壊を防ぐにはギリシャを救済すべし
   真相 : 破綻は当然。ユーロ離脱が立て直しの条件

8. 俗論 : 米国QE3が日本に打撃を与える
   真相 : 量的緩和で債券価格が下落。影響は小さい

9. 俗論 : 中国はバブル経済。崩壊まで秒読み段階
   真相 : 中国では日本のバブルが研究されている

第3章 財政赤字、国債暴落、復興増税、格付け これが国家財政の真相だ!

10.俗論 : 日本は財政赤字で破綻寸前
   真相 : 資産は世界一。実質の借金は350兆円

11.俗論 : 日本国債がデフォルト、暴落する
   真相 : CDSを見よ。10%の下落は十分あり得る

12.俗論 : 復興財源の確保には増税もやむなし
   真相 : 増税は愚策。100年国債を発行せよ

13.俗論 : 日銀による復興債の引き受けは「禁じ手」
   真相 : その禁じ手、実は毎年行われている

14.俗論 : 国による産業振興で日本経済は復活する
   真相 : 成功した「産業政策」など存在しない

15.俗論 : 格付けの見直しは経済に影響を与える
   真相 : 格下げは増税の道具。分析は不十分

第4章 年金、税制、雇用、空洞化、格差 これが社会保障の真相だ!

16.俗論 : 年金は破たん確実。増税で積立金を補え
   真相 : 国民の不安が利用されている。膨大な未収あり

17.俗論 : 雇用不安・空洞化、原因は海外の安い労働力
   真相 : 空洞化と円高を黙認している政府の無策が根源

18.俗論 : 格差の拡大は深刻。不正受給も増加中
   真相 : 格差是正にまさる良策あり。まず所得底上げを

第5章 公務員改革、大阪府構想、地方分権、失言報道 これが日本政治と報道の真相だ!

19.俗論 : 公務員改革、大阪都構想には高い壁
   真相 : 改革は大阪から始まる

20.俗論 : 決めるのは中央官庁。地方分権は絵に描いた餅
   真相 : 地方分権なら不公平を減らせる

21.俗論 : 新聞は有用な情報源。読めば真実がわかる
   真相 : 新聞にも既得権益。信じ過ぎると目がくもる

22.俗論 : 失言した大臣は即刻辞任すべきだ
   真相 : 問われるのは政策。無知な記者ほど揚げ足をとる

総論 2012年以降をどう生きるべきか?

★ メディアにダマされず真実を見抜く
★ 組織に縛られずすっきりと考える
★ 別の方法で豊かになる


マスコミの脳は「小鳥の脳」

この本のはじめで高橋さんは非常に刺激的な言葉を紹介している。官僚は「マスコミの脳は『小鳥の脳』だから、これくらいの情報をくわせておけばいい」と言っているという。

たとえば日本政府の予算はもともと2,000ページくらいあるものを、50ページの「役所の側でつくった要約資料」をマスコミに配っている。官僚に都合の悪い情報はすべてそぎ落とされ、ごく一部のわかりやすい部分だけが記者たちに手渡される。記者はこのわずか3%程度の「情報」をもとに記事を書いている。

高橋さんはいまでも2,000ページに目を通し、何よりもかつては財務官僚として残り97%の情報を隠す側にいた。だから高橋さんはもう15年以上まともに新聞を読んでいないという。


特記事項

上記の目次で大体の感じはつかめると思うので、印象に残った点をいくつか紹介しておく。

★日銀に60兆円刷らせれば、株価は1万3千円を超える
日銀はまだ60兆円もマネタリーバランスを拡大していないと思うが、株価はまさにぴったり、現状では1万3千円を超えている。

この本ではソロスチャートを紹介していないが、ソロスと同じ考え方で米国のマネタリーベースは2兆ドルなので、円を200兆円まで増やせば、為替は1ドル=100円程度になると語っている。「簡単すぎると思うかもしれないが、計算すればわかることである」。

★オリンパスの損失隠しが「氷山の一角」と言える理由は、バブル後の「飛ばし」をやっていた証券会社の担当者が、別の証券会社に転職し、客の弱みを握って、それをネタに商売しているのだと。

「損失を持ち続けて転々としている人たちが証券業界からいなくならない限り、損失隠しはこれからも続く」。

★CDSを見れば、日本国債の信用の高さがわかる
金融派生商品のCDS(Credit Default Swap)の保険料を見ると、破綻可能性の客観的な指標がわかる。

この本の出版時点で日本国債の保険料は1.4%、フランス国債が2.2%、ドイツや英国が1%。日本国債の破綻保険料は世界でも低い方に属する。

高橋さんがテレビ出演した時に、日本国債は3年から5年で破綻すると言っていた人に向かって「どうしてCDS取引をしないのですか?3年で4.2%払って100%返ってくるということは25倍の高収入です。取引したらどうですか?」と持ちかけると、黙ってしまったという。

★成功者の体験を一般論として取り上げ、簡単に儲けられるかのように書かれた本や雑誌記事はまずウソだと思った方が良い。書籍の印税を10%とすれば、1,000円の本が1万部売れても、印税は100万円。本当に何百万円も儲けられるのなら、本を書かずに、自分でも儲けるだろう。それが経済原則である。

★デフレが人口減少と関係がないことを、世界100カ国以上の数字を使って、次の相関図を導いている。さすが東大数学科出身だ。

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出典:本書

★日本国のバランスシート。次が高橋さんがつくった日本国のバランスシートだ。これにより、実質の借金(債務超過額)は350兆円だと割り出している。

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出典:本書


非常にわかりやすい「真相」の解説である。もちろん「真相」が必ずしも真実かどうかわからないが、少なくとも2012年1月の時点で、株価13,000円代を予想していたことなど、現在起こっている事象を言い当てている。

次に紹介する2008年の「この金融政策が日本経済を救う」も、浜田宏一教授の推薦書のひとつで大変参考になった。

この金融政策が日本経済を救う (光文社新書)この金融政策が日本経済を救う (光文社新書)
著者:高橋洋一
光文社(2008-12-16)
販売元:Amazon.co.jp

やや得体が知れない感じはあるが、高橋さんは、アベノミクスを考える上で、欠くことのできない経済論者だと思う。


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2013年04月16日

信念をつらぬく 経済産業省出身の古賀茂明さんの自伝

信念をつらぬく (幻冬舎新書)信念をつらぬく (幻冬舎新書)
著者:古賀 茂明
幻冬舎(2013-01-30)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介した「日本中枢の崩壊」の著者、経済産業省出身の古賀茂明さんの自伝。

日本中枢の崩壊日本中枢の崩壊
著者:古賀 茂明
講談社(2011-05-20)
販売元:Amazon.co.jp

現在は「無職」

古賀さんが「日本中枢の崩壊」を出版した時は、まだ経済産業省の官僚だったが、過激な公務員制度改革を推進しようとした関係で反感を買い、ポスト待ちポジションの大臣官房付として2年弱も留め置かれ、ついに2011年9月に経産省を辞職した。

その後は、大阪府市東郷本部特別顧問となった。このポストは月に数回呼ばれて日当は2〜3万円。交通費は新幹線の普通車分で、グリーン車に乗って仕事をするとか、会議に間に合わせるために前日に大阪入りしたりすると、ほとんどお金は残らないという。

他にはテレビのレギュラーコメンテーター、「エコノミスト」、「週刊現代」、「週刊プレイボーイ」連載、そして有料メルマガの発行をしている。職業は「無職」であると。

「日本中枢の崩壊」でも簡単に触れていた、古賀さんの官僚としての仕事ぶりを紹介していて興味深い。


古賀さんの経歴

古賀さんは1955年生まれ。父親は石炭会社に勤めるサラリーマン、母は専業主婦という家庭に生まれた。九州生まれではあるが、3歳の時に東京に引っ越してからは、東京と神奈川に住んだ。

麻布中学に入り、麻布の開放的な雰囲気を楽しむ。1974年に東大文気貌り、法学部に進学してテニスサークルを立ち上げる。法学部の司法試験や公務員試験を目指して勉強にいそしむ雰囲気に慣れず、2年留年する。


官庁訪問での印象

2留だと民間企業に行けないと脅され、公務員試験を受けた。勉強していなかった行政法は一夜漬けでなんとかこなす。10月の合格発表まで待っていると、「官庁訪問は合格発表前にしなければならない」と知らされ、ほとんど内定が終わった9月初めからあわてて官庁訪問を始める。

大蔵省は感じが悪かった。しかし、成績の良さが気に入られ、次回面接を言い渡され、内々定をもらえた。

東大法学部の成績で、「優」は勝ち、「良上(りょうじょう)」は引き分け、「良」と「可」は負けとしてカウントするのだと。古賀さんは成績には全く関心を持っていなかったが、「良上」が3つで、残りはすべて「優」だった。

筆者は公務員試験を受験するつもりはなかったので、「成績ドレッシング」に関心を持っていなかったが、当時の学生票(通信簿)を引っ張り出してきてみると、5勝、8引き分け、12敗だった。これではいいところの公務員は無理だろう。

公務員志望の学生は、教室の最前列に陣取り、熱心に授業をうけて、「優」を増やすべくよく勉強する。もしテストが「良」程度になりそうだと、そのテストを受けるのをやめてしまう。まさに「優」コレクターの「成績ドレッシング」である。

古賀さんが通産省を訪問してみると、「大蔵省とかけもちの学生が抜ける可能性があるから、追加で取っておこう」という段階だったようだが、そんなことはおくびにも出さず、言葉も態度も驚くほど丁寧だった。

仕事も趣味もバリバリこなす若手の課長補佐を紹介され、古賀さんは通産省に行きたいという気持ちが強くなった。しかし入省してみたら、こういったエネルギッシュな人は、ほとんどいなかった。なんのことはない、官庁訪問用の特殊な人材を配置した、巧妙な採用戦略だったことがわかったという。

建設会社に転職していた父親の関係で、建設省も一度だけ行った。最初は「もう大方内定は出しているので、面倒だな」という感じがありありだったが、成績が良いと知ると、前に待っている学生をすっとばして古賀さんを面接し、最初から「うちに来ませんか」と態度が豹変したという。

公務員試験の結果に自信がなかった古賀さんは、会社回りもして、日本興業銀行、日本長期信用銀行、東京海上から公務員志望者枠で内定をもらったという。いまはありえない景気の良かった時代の話だ。


入省後の仕事は人間ソーター

1980年に入省すると、工業技術院総務課に配属された。「1年生が先輩より早く帰るなんてとんでもない」という雰囲気や、「人間コピー・ソーター」、地獄の国会答弁資料作りの様子などが紹介されている。

こういった非生産的な官僚の仕事は、話には聞いていたが、「体験者語る」という形で聞くと、あらためて驚かされる。

先端技術開発をめぐって、通産省と科学技術庁の間で、なわばり争いが起こった。これは通産省から一人理事を出すということで決着した。「天下り先を確保できれば万事OK」という霞が関の考え方に初めて触れたという。

法律を作る場合でも、必ずと言っていいほど推進団体をつくる。たとえば原子力の安全性を担保する法律を作ると、原子力安全基盤機構をつくる。理事長、理事といったポストをつくり、天下り先を確保するのだ。天下りポストをたくさんつくると、官僚は上司から評価されるからだ。

古賀さんは2年目の後半に係長に昇進し、3年目には経済企画庁財政金融課に係長として出向した。国の経済見通しは、実は経済企画庁、大蔵省、通産省の交渉で、「経済成長率の見通しは何パーセントで行きましょう」という風に決めていたという。

もともと役人の大半は法学部出身者なので、経済に関する知識レベルは低い。2年間の経企庁出向で通産省に戻ってくると、「経済のプロ」とみなされるようになったという。

次に古賀さんは大臣秘書官となり、村田敬次郎渡辺美智雄田村元大臣に仕える。

1987年から南アの総領事館に駐在する。釈放されたばかりのネルソン・マンデラを日本領事館のパーティに呼んだら来てくれ、大変な混雑だったという。


課長補佐時代

1990年に帰国して産業政策局産業構造課の課長補佐となり、日米構造協議の取りまとめをする。アメリカの要求が正しいと思えば、それを受け入れるべく省内を説得して回っていたので、「改革派」のレッテルを貼られる。この時に実現したのが、行政手続法、審議会の公開化だ。

労働時間の短縮、少子化問題も手掛けたが、いまだに大きな進展がないのは残念だと。

古賀さんはそもそも官僚にはなりたくなかったし、出世してトップになっても天下り先のあっせんばかり考えているのは性に合わなかった。

その「出世したくない」古賀さんがエリートコースの基礎産業局総務課の筆頭課長補佐になった。

筆頭課長補佐は法令審査委員(その後廃止)も兼任している。法令審査委員会は予算と人事の強い権限があり、課長補佐以下の人事には局長でも課長でも口出しできなかった。

その中でも大臣官房の秘書課、総務課、会計課の筆頭課長補佐は別格で、次官候補とみなされる。

古賀さんは次に大臣官房の会計課の筆頭課長補佐となった。そして「官房長から予算削減の指示が出ている」とウソをついて数百億円の無駄を削減できた。「古賀流事業仕分け」だ。

予算折衝では、各省庁の総務課長、局長、事務次官、大臣の4段階に族議員も絡んでいた。古賀さんは、大蔵省の主査と話して、総務課長と局長折衝を廃止した。


課長に就任

古賀さんは産業政策局に戻り、産業組織政策室長に就任した。誰もが不可能だと思っていた独禁法を改正し、持ち株会社の解禁を実現する。

当時の橋本龍太郎大臣が支持してくれた。公取委の人数を増やし、事務局長を次官クラスに、部長を局長クラス、その下に部長クラスのポストをつくるという公取委の地位を上げる提案をしたところ、公取委は持ち株会社解禁賛成に回った。

1996年に古賀さんはOECDのプリンシパルアドミニストレーターとしてパリに赴任して3年いた。

この時にOECDから発送電分離、電力市場自由化を日本に勧告した。プレスに情報提供して、日本国内でニュースとして流れるように仕組んだという。

1999年にフランスから帰国すると商務情報政策局の取引信用課長、産業技術環境局の技術振興課長を経て、2002年に内閣府の産業再生機構設立準備室の参事官となった。5年間の期間限定で産業再生機構を立ち上げる。

銀行は当初、産業再生機構を行員の出向先として考えていたが、銀行からの出向は断った。

企業再生のプロを雇って、自前の人材で運営し、4年間でカネボウやダイエーなど40社の再生を手がけ、利益を上げて300億円の税金を払い、解散後は400億円を国庫に納めることができた。


経産省でKYとみなされる

2004年に経産省に戻り、経済産業政策局経済産業政策課長となる。各局の筆頭課長が集まる「政策調整官会議」で、経産省で当時発覚した「裏金問題はもっとしっかり調査すべきだ」などと発言して、KYとみなされる。

産業構造審議会に「基本政策部会」を作ろうとして当時の局長と対立し、「勝手にやれ」と言われて、部会を立ち上げると、半年で中小企業庁の経営支援部長に左遷された。


大腸ガンに罹り九死に一生を得る

1年後に中小企業基盤整備機構に理事として出向、その時に下血して大腸ガンが見つかり、大手術の上復帰を果たす。

1年後に産業技術総合研究所へ理事として出向中に、福田内閣で公務員制度改革基本法の制定を推し進める渡辺喜美さんに呼ばれ、内閣府の「国家公務員制度改革推進本部」の幹部として2008年7月に就任する。

1か月後渡辺喜美大臣が退任させられた。しかし、堺屋太一氏や屋山太郎氏などをまねいた顧問会議の支援を得て、2009年3月に「国家公務員法改正案」が麻生内閣から国会に提出されたが、不成立に終わる。

2009年9月に民主党政権が誕生し、当初は仙谷大臣より補佐官就任を要請されたが、霞が関の反対で実現しなかった。公務員制度改革推進本部幹部は全員更迭、古賀さんは経産省に大臣官房付として戻った。

民主党内閣は、公務員の「退職管理基本方針」を打ち出し、仕事はないが給料は高い「専門スタッフ職」をつくったり、「現役出向」で民間企業へ天下りの抜け道をつくる方針をだしてきた。これは民主党の「脱官僚、天下り根絶」の方針とは全く逆のものだった。

長妻大臣はこの動きに抵抗した。厚生労働省だけはこれを認めないとしたことで、官僚のクーデターに会い、更迭の憂き目を見た。官僚にとってはそれほど重要な骨抜き工作だったのだ。

古賀さんはなんとかこの動きを阻止すべく、実名で民主党の政策を批判する論文を書き、2010年6月29日、「週刊エコノミスト」に「現役経産官僚が斬る『公務員改革』消費税大増税の前にリストラを」という題で論文が掲載された。

「退職管理基本方針」は記事が載った翌日に閣議決定されたが、「専門スタッフ職」創設にはストップがかかった。


このようにもっぱら古賀さんの経歴を語っている。

はっきりいって、打たれるべくして打たれたクイである。本を出す目的がよくわからない本というのが、率直なところだ。

ともあれ、経産省での仕事のやりかたなどは参考になる本だった。


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2013年04月13日

円高の正体 浜田宏一教授推薦書 第2弾 マネー不足が円高の原因

円高の正体 (光文社新書)円高の正体 (光文社新書)
著者:安達誠司
光文社(2012-01-17)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介したイェール大学浜田宏一名誉教授が、「アメリカは日本経済の復活を知っている」で推薦していた本。

アメリカは日本経済の復活を知っているアメリカは日本経済の復活を知っている
著者:浜田 宏一
講談社(2012-12-19)
販売元:Amazon.co.jp

前回の「日本銀行デフレの番人」のあらすじに続く、浜田教授推薦書の第2弾だ。

著者の安達誠司さんは、大和総研、富士投信投資顧問、クレディスイスファーストボストン証券などの調査部でキャリアを積み、現在はドイツ証券経済調査部シニア・アナリストとして活躍している。

日銀副総裁に就任した岩田紀久男教授の「昭和恐慌の研究」では、安達さんも共著者の一員として加わっている。

バーナンキFRB議長は大恐慌の研究で有名だ。期せずして、大恐慌の研究家と、昭和恐慌の研究家が日米の中央銀行の首脳となったわけだ。

昭和恐慌の研究昭和恐慌の研究
著者:岩田 規久男
東洋経済新報社(2004-03-19)
販売元:Amazon.co.jp

Essays on the Great DepressionEssays on the Great Depression
著者:Ben Bernanke
Princeton Univ Pr(2004-01-05)
販売元:Amazon.co.jp

この本の最初に、謎の言葉が掲げられている。

「あと28.8兆円」

本の最後で、米国カーネギー・メロン大学のベネット・マッカラム教授による「目標とする名目経済成長率を達成するために、中央銀行はどの程度マネタリーベースを供給する必要があるかを割り出す方程式」を紹介している。

マクロ金融経済分析―期待とその影響
著者:ベネット・T. マッカラム
成文堂(1997-06)
販売元:Amazon.co.jp

それが「マッカラム・ルール」と呼ばれるもので、それによると2%の経済成長を達成するには、日銀が現在の121兆円から28.8兆円追加すればよい。それが冒頭の「あと28.8兆円」の意味だ。

この場合、2%の名目成長率を達成して、ドル=円レートは95円、インフレ率は1.5%程度になるという。

さらに4%の成長を達成するには、78.8兆円の追加のマネタリーベースが必要となる。この場合、ドル=円レートは115円、インフレ率は3%程度と計算されるという。次がこの28.2兆円と78.8兆円を割り出したグラフだ。

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出典:本書187ページ

そうすることで日本は成長を取り戻して、円高とデフレから脱却することになる。

ところで、2013年4月の黒田・日銀の「異次元の金融緩和」で打ち出したのは、現在のマネタリーベースを倍にする、つまり138兆円から270兆円に増加させるものだ。安達さんの言うように、マッカラム・ルールを適用すると6%程度の成長になると思われる。

6%の成長が実現するかどうかわからないが、それだけアグレッシブな金融政策なのだ。


円高になると名目GDPは減少する

安達さんは、次の2003年以降のグラフを使って、円高になると名目GDPが減少すると説明している。

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出典:本書53ページ

なぜこうなるかというと、「輸出産業(と輸入品競合産業)の利益が減っていく負の効果」のほうが、「輸入産業の利益が増える正の効果」より大きいためだ。

円高で日本の賃金は対外的に割高となるので、企業の海外移転も増え、日本の雇用が失われる。


円高だと税収も減少

円高になると税収も減る。安達さんは次のグラフを使って示している。

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出典:本書 109ページ


「良い円高」論のウソ

安達さんは「良い円高」論者は、”何にとって”良いと言っているのか見極める必要があると語り、「良い円高論者」を次の3パターンに分類している。

1.「強い円」志向説 
たとえば2009年に亡くなった日本銀行元総裁の速水優さんの「強い円 強い経済」や「円が尊敬される日」などが代表的だ。

強い円 強い経済強い円 強い経済
著者:速水 優
東洋経済新報社(2005-02)
販売元:Amazon.co.jp

円が尊敬される日
著者:速水 優
東洋経済新報社(1995-12)
販売元:Amazon.co.jp

その一節を安達さんは引用している。

「各業界においても、円の価値が強いことが対外的な信認を得ることになる。(中略)日本の軍事力、外交力を補填する存在感、発言力は、通貨の強さから出てくるという事実を、過去の半世紀の動きで私は十分理解しているつもりである」。

出典:「強い円 強い経済」154ページ

以前紹介した榊原英資さんの「強い円は日本の国益」も同様の論旨だ。

強い円は日本の国益強い円は日本の国益
著者:榊原 英資
東洋経済新報社(2008-09-04)
販売元:Amazon.co.jp

2.通貨暴落のトラウマ説
変動相場の国では通貨危機は起こらない。だから通貨暴落は円には起こらない。

銀行法違反で有罪となった木村剛・元日本振興銀行会長が喧伝していた「キャピタルフライト」は起こらない、と安達さんは説く。

キャピタル・フライト 円が日本を見棄てるキャピタル・フライト 円が日本を見棄てる
著者:木村 剛
実業之日本社(2001-11)
販売元:Amazon.co.jp

ちなみに、このブログで木村剛さんに関する「日銀エリート 挫折と転落」のあらすじを紹介しているので、参照して欲しい。

日銀エリートの「挫折と転落」--木村剛「天、我に味方せず」日銀エリートの「挫折と転落」--木村剛「天、我に味方せず」
著者:有森 隆
講談社(2010-11-30)
販売元:Amazon.co.jp

3.「円高不況は乗り越えられる」という精神論
プラザ合意の後、日本は1985年の1ドル=235円から、1987年末の122円まで円高が続いても耐えられた。だから今回の円高も耐えられるという精神論。

しかし、安達さんは円相場は、1987年12月に122円になったのち反転し、1990年4月まで160円程度まで戻していたこと、原油価格が1980年の1バレル=40ドルから、1986年には8ドル以下まで急落していたことを指摘する。

日本人の努力もあったが、2012年末のような78円というような円相場が続いたわけではなく、原油値下がりによる恩恵もあったので、「たゆまぬ努力とコスト削減で円高不況を乗り越えた」という説は怪しい。


為替相場はマネタリーベースに連動

さらに安達さんは、ソロス・チャートを使って、2008年からの日米のマネタリーベースと、円の対ドル相場は、きれいに連動することを示している。

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出典:本書 124ページ

ソロス・チャートは1987年から2007年の20年で見ると、マネタリーベースと為替相場が連動しなかった時期が5年ほどある。2002年から2007年の時期だ。

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本書:128ページ

しかし、この時はマネタリーベースを増やすために日銀が銀行に無利子で預けても、銀行が産業界に貸し出しを増やさなかった。「インフレ予想」が起こらなかったため、産業界でも積極的な資金需要がなかったためだ。これを「超過準備」と呼ぶ。

ソロスチャートで、マネタリーバランス増加分から、「超過準備」の分を引くと、きれいに連動する。次が「修正ソロスチャート」だ。

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出典:本書 132ページ

修正ソロス・チャートが示すところは、「為替レートは、2国における将来の物価の予想の格差の変動によって動かされている」ということで、基本的にマネタリーベースの差であることがわかる。


「神の見えざる手」

この本の中で安達さんは、為替相場の成立する仕組みや、経済活動を動かす「予想インフレ率」のことを「神の見えざる手」と呼んでいる。

つまりみんながインフレを予想すれば、インフレとなり、通貨が安くなる。それが「見えざる手」のファンクションである。

これはアダム・スミスが「国富論」で「見えざる手」と評した「個人がバラバラの思惑で動いても、経済は不思議と一定の方向に動く仕組み」のことを指している。

筆者は、この「神の見えざる手」という言葉には抵抗がある。アダム・スミスの表現は「見えざる手」であり、”神の”という言葉はついていない。

安達さん以外にも「見えざる手」に”神の”という言葉をつける人は多い。筆者はそういう人には、「ちゃんと勉強しているのか?」という疑問を持たざるを得ない。

「国富論」は岩波文庫では4巻、日経出版のものは2巻の大作で、筆者の読んだ日経出版のものだと、上が430ページ、下が解説も入れて570ページで、合計でちょうど1,000ページある。

国富論〈1〉 (岩波文庫)国富論〈1〉 (岩波文庫)
著者:アダム スミス
岩波書店(2000-05-16)
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国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)
著者:アダム・スミス
日本経済新聞社出版局(2007-03-24)
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実は、「見えざる手」は、日経出版だと下巻31ページに一度だけ出てくるだけだ。

このことは、このブログで紹介した「池上彰のやさしい経済学1」や、浜矩子さんの「新・国富論」などの本でも紹介されている通りだ。

池上彰のやさしい経済学―1 しくみがわかる池上彰のやさしい経済学―1 しくみがわかる
著者:池上 彰
日本経済新聞出版社(2012-03-24)
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新・国富論 グローバル経済の教科書 (文春新書)新・国富論 グローバル経済の教科書 (文春新書)
著者:浜 矩子
文藝春秋(2012-12-17)
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「国富論」のあらすじはまだ紹介していないが、当時の「重商主義」を批判した本ゆえ、古臭い部分もある。

筆者も長年手を付けていなかったが、日経出版のものが2007年に出たので、いいきっかけと思って、読んでみただけなので、偉そうなことはいえない。

けれども、”神の”をつけている人がいると、経済アナリストといえども、アダム・スミスを、ちゃんと読んでいない人もいるのではないかと疑ってしまう。

ともあれ、全体の論旨としては明快で、浜田宏一教授が推薦書として取り上げていることでもわかるとおり、現在の「アベノミクス」に沿った見解で、参考になった。


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2013年04月09日

日本銀行デフレの番人 日銀副総裁に就任した岩田規久男さんの脱デフレ策

日本銀行 デフレの番人 (日経プレミアシリーズ)日本銀行 デフレの番人 (日経プレミアシリーズ)
著者:岩田 規久男
日本経済新聞出版社(2012-06-09)
販売元:Amazon.co.jp

2013年3月末に日銀副総裁に就任した岩田規久男・学習院大学教授の脱デフレ策。

先日紹介した浜田宏一・イェール大学名誉教授の「アメリカは日本経済の復活を知っている」でも、岩田規久男教授は、日銀総裁候補の一人に挙げられていた。

この本では白川・日銀を「デフレの番人」や「物価安定化不合格率67%」などと批判し、リフレ具体策を提案している。


黒田・岩田チームが早速始動

2013年4月4日、黒田東彦日銀総裁と岩田規久男副総裁が就任して初めての金融政策決定会合で、「ツー・バイ・フォー」と言われる、2年間でインフレ率2%をめざし、マネタリーベースは2倍、国債買い入れも2倍にするという「異次元の金融緩和」を発表した。

4月4日と5日で、日経平均は1,000円近く上昇。円相場は4円ほど円安になった。これで2012年11月の「アベノミクス」発表後、日経平均はほぼ5,000円上昇し、ドル・円相場はほぼ20円下落した。(リンクをクリックすると、株価と円相場の相関グラフが表示される)

大胆な金融緩和策が、「インフレ予想」を抱かせ、デフレ脱却に効果があることがはっきり示された。

筆者は大学を卒業して40年近く経済界にいるが、今回ほど経済理論が機能した実例は記憶にない。

大胆な金融緩和→「インフレ予想」形成→円安→企業の収益回復を期待した株価上昇→景気回復の「良いサイクル」が始まったのだ。


2012年バレンタインデーのインフレターゲット実験

この本で岩田教授は、2012年2月14日バレンタインデーの日銀による「インフレ1%目途」発表後、円安が進み、株価も上昇した事実から、対ドル円相場が1円下落すると、株価を225円押し上げる影響があると分析している。

浜田宏一教授が、「アメリカは日本経済の復活を知っている」で、「義理チョコ緩和」と呼んでいる日銀のインフレターゲット実験だ。

アメリカは日本経済の復活を知っているアメリカは日本経済の復活を知っている
著者:浜田 宏一
講談社(2012-12-19)
販売元:Amazon.co.jp

岩田教授は、この「インフレ目途1%」実験が、日銀理論の誤りを実証したと語っている。

ちなみに、「アベノミクス」による昨年11月頃からの円安、株高も、ほぼこれと同じような1円の円安=200〜250円の株価上昇という関係になる。(リンクをクリックすると、株価と円相場の相関グラフが表示される)


「デフレの番人」・日銀のみじめな成績

岩田教授は、総合消費者物価の前年同月比の上昇率が0〜2%の月を「合格」、0%以下の月を「不合格」、2%を超えた月を「引き分け」とする評価基準を持ち込んでいる。

これによると、新日銀法施行以後の14年間の成績は41勝、124敗、3引き分けで、勝率は2割4分だと評価している。

白川総裁の在任中では、13勝、32敗、3引き分けで、勝率は2割7分1厘だ。

筆者自身は、物価の安定という意味では、0%以下を「不合格」とする評価方法には疑問を感じる。

しかし、物価上昇率0%以下が、あまりに長期間続いたからこそ、日本経済が低成長を続けていると考えれば、岩田教授の通信簿は一つの評価かもしれない。その意味では、日銀はインフレ率を0%以下に守ってきた「デフレの番人」であると言えるだろう。


日銀理論ーデフレの責任は日銀にはない?

藻谷浩介氏のベストセラー、「デフレの正体」では、デフレの正体は生産年齢人口の減少、つまり「人口オーナス」だと主張していることは、以前このブログで紹介した通りだ。

デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)
著者:藻谷 浩介
角川書店(角川グループパブリッシング)(2010-06-10)
販売元:Amazon.co.jp

日銀の白川総裁も同じ見方を採っており、「日本の経験している緩やかなデフレという現象は、趨勢的な成長力低下という根源的な問題の表れ」と講演で語っている。

これに対して岩田教授は、藻谷氏を門外漢と切り捨て、白川総裁を次のように批判している。

「経済学の本は読んだことがないと宣言している藻谷氏が、実質値(相対価格)と名目値(物価)の区別がつかないのは、いたし方ない」。

「しかし、貨幣を扱い、「物価の安定」を仕事とする日銀の総裁ともあろう人が、実質値と名目値の区別がつかないことは、看過できない問題である」。

日本以外で人口が減少している国は中欧諸国(ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、クロアチアなど)や、旧ソ連諸国(ウクライナ、グルジア、ラトビア、リトアニア、エストニアなど)がある。

岩田教授はこれらをリストアップして、日本以外ではすべてインフレになっていることを表で示している。

さらに、生産年齢人口が減少している先進4カ国との比較表を示し、国際比較のない「デフレ原因説」を信じてはいけない、と岩田教授は警告する。

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出典:本書86ページ

日銀は金融政策は「インフレ予想」の形成に働きかけることができることを理解していないのだと。


岩田教授の提案

岩田教授は、この本で日銀にインフレ目標の達成を義務付けるために、日銀法を改正して、政府が物価安定目標を決定し、日銀にその目標を中期的に(1.5〜2年程度)達成することを義務づけることを提案している(達成手段の選択は日銀に任せる)。

日銀法改正までは、まだ道筋がついていないが、このまま「アベノミクス」で景気が順調に回復し、2013年夏の参議院選挙で自民党が過半数を抑えることになれば、日銀法改正も視野に入ってくるだろう。


リフレ政策はなぜ景気回復に寄与するのか?

岩田教授は、リフレ政策は次のような展開で日本の景気回復に貢献すると説明している。

日本の予想インフレ率が上昇する

円安・ドル高になる

輸出が増え・輸入が減る

輸出企業中心に株価が上がる

株式含み益が増大し、バランスシートが改善する

企業の設備投資が拡大する

株高で個人の資産価値が増え、積極的に消費を拡大させる

景気が拡大する

2013年4月5日に、財務省関連の(一財)金融財政事情研究会が主催した「月間『消費者信用』創刊30周年記念シンポジウム」で、パネリストの一人が言っていたことを思い出す。

最近、若い年代を対象に行ったアンケートでは、「給料が上がる」と答えた人の数が、「給料が下がる」と答えた人の倍だったという。これは、長い期間なかったことだ。

「アベノミクス」、そして2014年度から実施される消費税アップが、人びとの心理に影響しているのだ。

筆者の友人から聞いた話では、株価が上がったので、個人の保有資産の評価額が上がり、ゴルフ会員権の買い希望が増え、売り物が払底しているという。また、REIT=不動産証券相場は急上昇している(リンクをクリックすると、REIT相場グラフが表示される)。

リフレ政策で、日本経済がデフレから脱却し、再びそこそこの経済成長を続けることができれば、自民党の支持基盤は盤石のものとなるだろう。

民主党に政権運営を任せて、大変な失望を味わった4年間は、自民党の臥薪嘗胆につながった。その結果、日銀の刷新と日本経済の活性化が生まれつつある。

4年間はいかにも長すぎたかもしれないが、民主党への政権交代は、日本国民にとっても、自民党にとっても無駄ではなかった(?)と言える日が来るかもしれない。

最後に、なぜリフレ政策が、インフレとなるのかを明確に示しているデータを紹介しておく。

次が浜田宏一教授や岩田教授などが、よく使っている、米国や英国の中央銀行がリーマンショックから立ち直るために、マネタリー・ベースを大幅に拡大したのに対し、日銀が「金融政策の問題ではない」、と何もしなかったことを示しているグラフだ。

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期間は異なるが、次の表は歴代の大統領の在任期間中の米国の財政赤字額と、財政赤字がGDPに占める割合の推移表だ。

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出典:住商総研「Business EYE」2013年春号 7ページ

FRBの大胆な金融緩和とは、大規模かつ急激な米国政府の歳入赤字の増大に他ならない。

今度の黒田日銀の大胆な金融緩和で、マネタリー・ベースを倍増させるということは、単純に言うと日銀が追加で140兆円のお金を発行するということだ。この140兆円のほとんどは、政府の「通貨発行益」=シニョレッジ(Seigniorage)となる。

政府がどんどんお金を発行すれば、通貨の価値が下がり、当然インフレとなる。インフレと消費税アップ、そして給料アップで、モノみな上がるとなれば、国民は当然早めにマンションなどの不動産を購入したり、高額商品の購入に走るだろう。

それが結果として日本の景気回復と、成長率アップをもたらす。日本経済の規模が大きくなれば、膨れ上がった国債発行残高も返済可能なレンジになっていく。

このブログで紹介した2008年の榊原英資さんの本の様に、「強い円は日本の国益」とか言っている場合ではないのだ。

強い円は日本の国益強い円は日本の国益
著者:榊原 英資
東洋経済新報社(2008-09-04)
販売元:Amazon.co.jp


米国のようになりふり構わず、強い経済を取り戻す。それが日本が再び活性化する唯一の道だと思う。その意味で、筆者は今回のリフレ政策に賛成だ。

アメリカのニューヨーク・ダウ平均株価は、過去最高を更新している。日本の株価も、何年かかってもよいので、1989年大納会(12月29日)の日経平均38、915円を更新して欲しいものである。


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2013年04月06日

東日本大震災 被災市町村のすがた  統計と地図は雄弁だ

統計と地図でみる東日本大震災被災市町村のすがた統計と地図でみる東日本大震災被災市町村のすがた
著者:衞藤 英達
日本統計協会(2012-03)
販売元:Amazon.co.jp

大学のクラブの先輩が、東日本大震災被災地に関する本を出版したので読んでみた。

著者の衛藤さんは、元・総務省統計局長で、現在は(財)日本統計協会の専務理事。杏林大学の客員教授、青山学院大学の非常勤講師などを務めている。


数字は雄弁

タイトルに「統計と地図で見る」という枕詞がついている。

太平洋沿岸の岩手県12市町村、宮城県15市町村、福島県15市町村の、統計と被災地図に若干のコメントを加えたコンテンツだが、まさに「数字は雄弁」だ。

市町村名がわかりやすいように、スキャンした表紙の写真を紹介しておく。

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単に統計と地図なのだが、これらを見ていると被災した人たち、亡くなった人たち、今も行方不明の人たちのことに、自然と思いを馳せる。

統計と地図で、感情移入してしまうというのも変な話なのだが、それだけ重大な真実が、ここにはある。

いくつか参考になった例を紹介しておく。


全体の犠牲者の状況

次が市町村別の犠牲者(死者と行方不明者)だ。

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出典:本書2ページ(以下出典はすべて本書)

東北の太平洋側でも、宮古市から東松島市に至るリアス式港湾と、遮蔽物のなかった平坦な仙台平野などが大きなダメージを受けていることがわかる。

次が年齢別・男女別の死者数だ。

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死者の大半が60歳以上の高齢者で、男女とも死者の年齢のピークは75歳前後だ。高齢のために逃げ遅れたのか、それとも身体に障害があり、逃げられなかったのか…。


人口ピラミッド

東北の太平洋岸の市町村は、元から高齢者人口が多かった。たとえば、陸前高田市の2010年の人口ピラミッドは次の通りだ。

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圧倒的に高齢者が多い。男性より女性の人口の方が多いことがわかる。だから、津波の犠牲者も高齢者が多く、女性の方が多い。

東京電力の火力発電所がある福島県の広野町の人口ピラミッドと比べると、好対照だ。広野町では40〜50代の働き盛りや、子どもも多い。

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産業別就業者レーダーチャートでわかる大きな差

岩手県太平洋沿岸の市町村の産業別就業者レーダーチャートは、ほとんどが次の陸前高田市の様な農林漁業突出のグラフだ。

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これに対して、東電の火力発電所のある広野町はエネルギー業が突出している。

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福島第一原発がある大熊町と双葉町も、広野町と同様にエネルギー業が突出したレーダーチャートとなっている。

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一人当たり市町村所得

一人当たり市町村所得(住民の所得+企業の所得を人口で割ったもの)は、岩手県の陸前高田市は177万円/年。岩手県の漁業を主な産業とする市町村は、大体このレベルだ。

これに対して、東電の発電所がある福島県の町は、一人当たり市町村所得で、400万円を超えている。広野町は564万円と福島県でも突出している。

企業の所得が、そのまま町の税収となるわけではないが、やはり地元に発電所のような巨大な産業施設があると、市町村所得は潤う。


犠牲者データは語る

岩手県で犠牲者の人口比が大槌町に次いで高かった陸前高田市の犠牲者データは、次のようになっている。

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これに対して、同じ岩手県でも、過去の数度の津波の経験から15.5メートルの防波堤や水門を建設していた普代町では、行方不明1名のみと犠牲者は少なかった。

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普代町では、1896年の明治三陸沖地震では、1,000人以上が死亡、昭和三陸地震では600人が死亡した。

この過去の経験から、40年間村長をつとめた人物の強い指導力で、15.5メートルの防波堤と水門を長期間かけて建設していた。これが上記のような奇跡的に少ない犠牲者ですんだ要因だ。


浸水地図

次が東日本大震災で人口の8.56%を失い、犠牲者の人口比が最も高かった大槌町の浸水地図だ。大槌町では、町庁舎で町長以下の幹部も犠牲となり、行政機能がマヒした。

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次が「万里の長城」と呼ばれた高さ10.5メートル、全長2.4キロの、エックス字型の大防波堤があった宮古市田老地区の浸水地図だ。

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津波の高さは最大19.5メートルで、巨大な防波堤を超え、内部の住宅街は壊滅した。なかには、堤防があるからと、逃げなかった人もいたという。この地区では200人以上の住民が犠牲となっている。

東北の市町村の中で、最大の犠牲者を出した石巻市では、避難中の大川小学校の児童74人と教員10人が犠牲になった。避難誘導の失敗が追求されている。


原発事故の避難地域

福島県だけ、沿岸の津波被災地に加えて、福島第一原発の放射能被害により非難を余儀なくされた周辺市町村が含まれている。

たとえば飯舘村の産業別就業者レーダーチャートは次の通りだ。

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発電所がある広野町や大熊町のレーダーチャートとは大きな差があることがわかる。

ちなみに飯館村の一人当たり市町村所得は170万円で、福島県平均を100とする指数で62となっている。


写真集と統計

東日本大震災では、もちろん写真集も多く出版されている。

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災
著者:朝日新聞社
朝日新聞出版(2011-04-28)
販売元:Amazon.co.jp

河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録
竹書房(2011-06-20)
販売元:Amazon.co.jp

写真集を見ているだけでは、解消できない「なぜ?」という疑問の答えが、統計にはある。

統計は写真と同じく雄弁であることがわかる貴重な資料である。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。

  
Posted by yaori at 10:23Comments(0)TrackBack(0)

2013年04月03日

ユダヤ人を救った動物園 ワルシャワ動物園長夫妻の奮闘

ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語 (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語 (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)
著者:ダイアン アッカーマン
亜紀書房(2009-07-04)
販売元:Amazon.co.jp

第2次世界大戦中にドイツの占領下のポーランドのワルシャワで、ドイツ軍に見つかれば強制収容所送りとなったユダヤ人を動物園の敷地内にかくまった動物園長夫妻の実話。たしか成毛眞さんがブログ(?)で紹介していたので、読んでみた。

1930年代のワルシャワの人口は130万人。3人に一人がユダヤ人で、東欧系ユダヤ人(アシュケナージ)が多数住んでいた町だった。

動物園もヨーロッパ最大級の規模で、1940年には国際動物園管理者協会の年次総会を主催する予定となっていた。

ところが1939年8月23日に独ソ不可侵条約を結んだナチス・ドイツは、1939年9月1日に突如ポーランド領内に攻め込み、9月17日にはソ連が攻め込んで、わずか1か月のうちにポーランドは独ソに占領された。

ナチス・ドイツは、ポーランド侵攻は自衛戦争だと正当化するため、ポーランド軍の軍服を着た親衛隊員が、ドイツのグライヴィッツを8月31日に偽装攻撃して、ラジオ局を占拠し、ポーランド語で決起を呼びかける放送を流した。そのあと、外国人記者たちを招いてポーランド軍の軍服を着た死体(関係のない囚人の死体)を見せたという。

ワルシャワ動物園も戦火に巻き込まれ、動物のオリは爆弾や砲弾で破壊され、多くの動物が死んだ。ホッキョクグマ、ライオン、トラなどの猛獣は、逃げ出して人間を襲う恐れがあるとして、ポーランド軍の兵士が撃ち殺した。

占領下でも、動物園は、時にはドイツ軍兵士用の豚の飼育、時にはやはり兵士用の毛皮用狸などの飼育をしながら、閉園を免れていた。

動物園長のヤン・ジャビンスキは、ロンドンを拠点とするポーランド亡命政府の国内軍のレジスタンス活動に加わり、表向きは動物園長、裏では国内軍の軍曹として活躍した。

ポーランド国内軍は一番多いときで38万人が参加していたという。

ナチスドイツ占領下のワルシャワ動物園がすぐに閉鎖にならなかったのは、ベルリン動物園長で、熱烈なナチ党員だったルーツ・ヘックが顔見知りのヤンを支援してくれたからだった。

もっとも、ヘックがヤンを支援したのは、単に同業者の顔見知りだったからではない。

ルーツ・ヘックは、絶滅したといわれるターパン(新石器時代のウマ)、オーロックス(ヨーロッパの家畜牛の原種)、ヨーロッパバイソンの純粋な系統を復元させるという計画に取り組んでいた。その計画に惜しみなく資金を提供したのが、ヒトラーに次ぐナチスNo.2のゲーリングだった。

この本の表紙の馬、バイソン、牛の絵はこれらの絶滅種の想像画だ。

ポーランドからベラルーシとの国境をまたぐ美しい森林保護区ビアロウィーザは、数少ないヨーロッパバイソンの亜種の生息地だった。ヘックの純粋種復元計画の実験場として最適で、大型獣ハンターのゲーリングとヘックに最良の狩猟場でもあった。

ヘックは、ヤンに自分の純粋種復元計画を手伝わせるつもりだったのだ。

ナチスの人間は、総じて熱烈な動物愛好家で、環境保護論者だったという。彼らは健康的な生活を送り、自然と動物を愛した。ところが、人間に関しては、ジプシー、ユダヤ人などは世界から抹殺すべき対象だった。

ある高名な生物学者は、ミミズに十分な麻酔をかけなかったことで罰せられた。一方、メンゲレが行ったユダヤ人等に対する人体実験では、麻酔・鎮痛薬を一切使わなかった。ナチスは人間愛は持っていなかったが、その動物愛は異常なものだった。

ヤンは家畜飼育などで営業を続ける傍ら、ドイツ人の昆虫学者を利用してワルシャワのユダヤ人ゲットーへの通行許可を得た。毎回ゲットーを訪れるたびに、ユダヤ人を救出して動物園にかくまい、彼らの脱出を支援した。

戦時中にヤンの動物園にかくまわれたユダヤ人は300人を超すという。

この本では、ヤンとアントニーナのジャビンスキ夫妻が、ユダヤ人「ゲスト」たちを動物の名前で呼んで、他人に聞かれてもわからないように配慮したり、ピアノでオッフェンバックの音楽を演奏して、ユダヤ人たちに警戒のサインとした話などが紹介されている。

ワルシャワのゲットーに押し込められていたユダヤ人は、1942年7月に強制収容所に大量移送され、多くが収容所で処刑された。

「シンドラーのリスト」の画面を思い出す。ユダヤ人ゲットーにドイツ兵が攻め入って、白黒映画の中で唯一赤い服を着たユダヤ人の女の子が逃げまどい、最後には荷車で死体が運び出されるシーンだ(次のYouTubeでは結末は収録されていない)。この映画で最も印象的なシーンだと思う。



映画全体のストーリーはYouTubeの予告編を参照して欲しい。



コルチャック先生もこの頃のポーランドの話だ。強制収容所送りとなる200人余りのユダヤ人の子供につきそって、ポーランド人のコルチャック先生も強制収容所に送られて死んだ、

コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))
著者:近藤 康子
岩波書店(1995-06-20)
販売元:Amazon.co.jp

ドイツ軍が1943年1月にスターリングラードで大敗し、ドイツの敗色が濃くなったタイミングで、1943年8月にポーランド国内軍がワルシャワ蜂起をおこしたが、2か月でドイツ軍に鎮圧され、多くが死亡した。

ヤンは、この時の戦闘で首を撃ち抜かれたが、奇跡的に生き延びた。

戦後、ヤンはヨーロッパバイソン保存プログラムに取り組み、アントニーナは子供向けの本を何冊か書いて、元「ゲスト」たちと交流を続けた。

まさに「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーが戦後イスラエルにあたたかく迎えられたのと同様に、ジャビンスキ夫妻も戦後イスラエルを訪問して、元「ゲスト」たちの歓迎を受けた。

一方、日本のシンドラー:杉原千畝は、戦後、外務省を追われた。

杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか
著者:杉原 誠四郎
大正出版(1999-11)
販売元:Amazon.co.jp

杉原千畝物語―命のビザをありがとう (フォア文庫)杉原千畝物語―命のビザをありがとう (フォア文庫)
著者:杉原 幸子
金の星社(2003-06)
販売元:Amazon.co.jp

杉原千畝が諜報の天才だったという本も出ていて、よくわからないところだ。

諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)
著者:白石 仁章
新潮社(2011-02)
販売元:Amazon.co.jp


ともあれ、あまりよく知らなかった戦時中のポーランドと、ポーランド系ユダヤ人の状況がわかる参考になる本だった。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。





  
Posted by yaori at 12:59Comments(0)TrackBack(0)