2014年06月22日

税務署は見ている。 元国税調査官が語る税務調査の実態

税務署は見ている。 (日経プレミアシリーズ)
飯田 真弓
日本経済新聞出版社
2013-09-10


元大阪国税局管内の税務署で26年間税務調査官として勤務した飯田真弓さんの本。気になるタイトルなので、読んでみた。

プロローグで、「節税対策本ではありません。」と断っている。

節税対策本は、元国税調査官の大村大次郎さんの得意分野だ。筆者も大村さんの本を何冊か読んだことがある。



この本は節税本ではないが、税務調査の時はどこを見ているかとか、都市伝説の「税務調査が入ったら、おみやげを持たさないといけない」とか、「国税OB税理士は税務署に顔がきく」などは本当かなどの点を説明しており、参考になる。

税務調査は自分で事業でもやっていないかぎり、一般のサラリーマンには縁のない分野だ。なので、このあらすじも簡単に紹介しておく。

税務調査の時に見るべきポイントは、帳面ではなく、人柄だと。

飯田さんが最初に税務調査に行ったときに、統括官(課長)は「帳面は逃げへんのや。どんな納税者を調べに行くのが調査や!」と言っていたという。

「マルサの女」のモデルになった斎藤和子さんという国税OBの税理士も、その経営者が不正を働いているかどうかは、目を見ればわかると語っていたという。



「マルサの女」はYouTubeで全編公開されている。



たとえ税理士が同席していても、税理士にすべてを任せてはいけない。

調査官は経営者の人柄を見ているので、経営者より税理士が答える場面が多いと、「税理士に余計なことは話さない様に口止めされているかもしれない」という印象を与えて、かえって良くないという。


試験組税理士と国税OB税理士

以前は一定期間国税の組織に在籍し、在職中に簿記論と財務諸表の比較的簡単な研修を受ければ、「税法免除」となって、定年退職後は税理士として開業できる仕組みになっていた。

しかし平成13年に税理士試験制度がかわり、必須科目の簿記論と財務諸表については、かなりレベルの高い研修を受け、その後試験に合格しないと税理士資格を取得できなくなった。

だから今は、税務著に努めれば、退職後は全員税理士となれるわけではなくなった。

税理士資格は永久ライセンスなので、登録人数的には試験組税理士と国税OB税理士は半々だが、高齢の国税OB税理士もいるので、実際には試験組弁理士が多い。

最も気になるのが「国税OBは税務署に顔がきくのか」という点だが、昔はともかく、今はコネによってどうこうなる時代ではない。


「税務調査が入ったら、おみやげを持たさないといけない」のか

もう一つ気になるのが、いわゆる「おみやげ」だ。税務署員は手ぶらで帰るわけにはいかないので、何か見つかるまで調査する。調査を切り上げてもらうために、適当なところで妥協する必要はないと飯田さんは語る。

むしろ申告に絶対自信があれば、「修正申告に応じない」と主張するのが理にかなった行動なのだと。

申告是認(「申是」と呼ぶ)を勝ち取ると、次からは税務署は訪問しにくくなるのだ。

ところがおみやげを用意して、毎回修正申告に応じている会社は、税務署にとっては、「訪問しやすい会社」ということになる。

税務調査の対象となるのは、法人で5%、個人で0.8%だという。

飯田さんは、グレーな部分をおみやげとして残すのではなく、すべてガラス張りの経営をすれば、95%の会社になり、税務調査で煩わされることはなくなると語る。


税務調査ではどこまで調べるのか

この本では、飯田さんが実際に税務調査で調べたやり方が紹介されている。たとえば、現金商売の事業者では、車のダッシュボードの中にあった領収書の控えを見つけ出して、売り上げを過少計上していることがわかった。

飲食店などでは、テーブルごとの伝票、レジペーパーのロール、売上帳、現金を入金している金融機関の通帳をチェックする、さらにレジペーパーは、打ち直ししていないかどうか、レジペーパーの切れ目をつないでみるという。

そのほかにも税務署員が使う業界用語などが参考になる。税務調査が入りそうな会社は、一度読んでおくとよいと思う。


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2014年06月17日

面接の達人 2015 バイブル編 中谷彰宏さんの就活定番本



会社で中谷さんの講演を聞いたので、著書を読んでみた。

中谷さんは中谷塾ということで、いろいろな対象のオーディエンスに講義している。



最近モバイルでも中谷塾を始めたそうだ。



YouTubeで中谷さんの1時間20分の講演が全編公開されている。中谷さんの講演がどんな感じがわかるので、時間があれば、見て欲しい。筆者が聞いた講演も、大変面白く、わかりやすくて説得力のある良い講演だった。



最初の登場から中谷さんは違う。帽子を斜めにかぶって、体にぴったりしたスリムなスーツで、颯爽と登場した。いかにもフィットという感じで、相当体を鍛えているのだと思う。

講演は「仕事は最高に楽しい!!〜楽しさは面倒臭さの中にある」というタイトルで、1時間15分の持ち時間をオーバーして、1時間半ほど熱弁をふるっていた。

仕事には意味が無くて単調な仕事と、難しい仕事がある。

単調な仕事は、「面白がる」ことが重要だ。工夫するのだ。空港の駐車場に案内するシャトルバスの運転手の話をしていた。

難しい仕事は、できないことを楽しむのだ。できるかどうか50:50の時が、一番成功する確率が高いという。受験でも、80%の合格確率の時はかえって危ない。

仕事にはJobとCareerとMissionがあるという。お金のためにするのがJob、自分の成長のためにするのがCareer、人のためにするのがMissionで、Missionが天職だ。

というような内容だった。

中谷さんは多作の人で、全部でもの860点の著作がある。著作リストはこんな感じだ。

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出典:「なぜあの人の話は楽しいのか」

まずは「メンタツ」と呼ばれ、就活の定本となっているこの本を読んでみた。

いまさら就活について学んでも、筆者が生かす機会はたぶんないと思うが、興味深く読めた。

中谷さんの本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次と、この本のエッセンスが詰まっている最初の数ページを見てほしい。

特に疑問2.の「面接で言うべきことはたったの2つ。自己紹介と志望動機のみ。自己紹介が言えればトップ合格。」は、まさにその通りだと思う。面接官はその点が知りたいのだ。

自己紹介と志望動機については、150字くらいで書いてみることを勧めている。150文字で、だいたい30秒程度の話になる。面接では、相手からの質問も出る。2分版を用意して、質問があって、言い足りないということも起こる。

30秒で用意しておけば、尻切れトンボにならなくてすむ。時間が余りそうなら、30秒を1分にも5分にも引き延ばすのだ。逆に2分の話を、30秒で終わらすのはプロのアナウンサーでも難しい。

参考になる話が満載だ。たとえば、

★「社交性」、「協調性」、「好奇心」、「指導力」、「企画力」は自分からは使っていけない言葉だ。

★「同好会の幹事をやっていた」というのは有利か。

★「アルバイトをいっぱいやりました」というのは有利か。

★「勉強ばっかりしてました」というのは不利か。

★志望理由は会社のオベンチャラを言っていいのか。

★企画や商品開発の仕事をしたいと言ってもいいのか。

★「僕」が学生らしいのか、「私」と言うべきなのか。マナーでしくじると、中身を見てもらえない。

★プレエントリーシートは本番だ。書きにくい欄から逃げない。そこが一番差のつくところだ。”プレ”をつけているのは、油断させて素の姿を見るためだ。

★グループディスカッションでは、自分だけは抜け出そうと思わない。「この5人で通っていくんだ」というつもりで進めていく。困った意見をフォローしていくのがリーダーシップだ。お笑い番組でも、ちゃんとフォローのツッコミを入れるのは一番腕のある芸人だ。


いまさらではあるが、なんで落とされたのかわかった

もう40年近く前の話だが、筆者は就職活動では、あまり積極的ではなかったので、会社説明会も含めて訪問したのは7〜8社で、本格的な就職活動をしたのは3社だけだった。

そのうちの1社は面接で落とされた。

メーカーなのにリクルーターが法律の専門知識について質問してくるので、「ちょっと違うな」と感じていた。

だから自分から辞退しようと思っていた会社なのに、リクルーターが課長面接をどうしても受けてくれというので、課長面接を受けてしまったのが間違いだった。

その時に、出てきたのが、この本の84番目に出てくる疑問だ。

★「ほかに何か質問はありませんか」と聞かれたら。

筆者は、実は課長面接のときに、こう質問されたので、「次は健康診断か?」と聞いてしまったのだ。

この質問は面接で一番大事な質問なのだと肝に銘じろと中谷さんは言う。

そして、その真意は「あなたがわが社に対して一番関心のあることは何ですか」ということなのだと。

面接でもアウトだったと思うが、この本を読んで、さらになぜ落ちたのかわかった。

最後に中谷さんは、企業の人事部長様へということで、採用した学生より、採用しなかった学生の方が大切なのだと説く。落とされる学生の方が、何百倍も多く、その口コミ効果はTV CMどころではない。

採用されなかった人は、得意先か消費者になる。中谷さんも、博報堂にいたときに、「私もおたくの会社を受けまして」という人に何人も会ったという。

「ダウンからボクシングは始まる」、「就職界のゾンビ」になれと、中谷さんはエールを送っている。

巻末の付録には、お礼などの各種手紙の文例や、エントリーシートや履歴書の書き方サンプル、「面達ノート」(会社訪問の時に聞かれたこと、自分の答え、次回はこう答えようという比較メモ)などを載せている。

中谷さんは、学生相手に面接相談をやることもある。しかし、中谷さんの面接相談を受けるためには、まずどこかの会社の内定を取らなければならないという。就活を実際に経験した学生でないと、中谷さんの言うことの意味がわからないからだと。

たしかに就活生には大変役立つ実用的な本だと思う。

中谷さんも最初に言っている通り、就活のハウツー本の受け答え例などを暗記せず、採用面接のための準備の基本を学ぶことで、応用が利くように作られている。

就活の渦中にある人は不安ばかりで大変だろうが、多くの会社を見るチャンスということで、ポジティブに考えてほしい。中谷さんは、その会社の社風を知るためのテクニックを次の様に挙げている。

1.会社の中に入る。
2.トイレに入る。
3.社員食堂に入る。
4.会社の前の食堂に入る。
5.出社・退社風景を見る。
6.店舗を見る。
7.就活イベント以外のイベントに参加する。
8.会社の中にできるだけ長くいる。

その会社に入らなくても、社会人となって、その会社を知っていることが役立つ日もくるだろう。


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2014年06月15日

「原因」と「結果」の法則 成功哲学のバイブル

「原因」と「結果」の法則
ジェームズ アレン
サンマーク出版
2003-04


原著は1902年に書かれ、デール・カーネギー、ナポレオン・ヒル、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の大家たちが最も影響を受けた本。

人を動かす 新装版
デール カーネギー
創元社
1999-10-31


地上最強の商人
オグ・マンディーノ
日本経営合理化協会出版局
1996-09


「聖書に次いで一世紀以上も多くの人に読まれ続けている」とこの本の帯に紹介されている。

原著は1902年に発行され、ジェームズ・アレンは英国以外での著作権料を無料にしたので、世界中で読まれている。

As a Man Thinketh
James Allen
Shadow Mountain
2002-11


この本の訳者まえがきには、「近年の自己啓発書のほとんどは、アレンのシンプルな哲学に具体的な事例をあれこれとくっつけて、複雑化したものにすぎない」と指摘する人さえいることを紹介している。

たしかにナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」は、この本に大きく影響されていることは間違いない。「思考は現実化する」は最近、文庫化されている。

思考は現実化する〈上〉
ナポレオン・ヒル
きこ書房
2014-04-10


思考は現実化する〈下〉
ナポレオン・ヒル
きこ書房
2014-04-10


この本のエッセンスはシンプルだ。

要は「Positive Mental Attitude」、PMA、に尽きる。

成功する人は、常に前向きに物事を考え、常に積極的に自分から行動する人だ。

そういう人は、必ず「自分はそれを達成できる」という信念を持って取り組む。だから成功する。というより成功するまで止めないと言った方が良いかもしれない。

アレンの言葉だと、「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者である」ということになる。

外側の世界である環境は、心という内側の世界に合わせて形づくられる。

それが「原因と結果の法則」だ

ナポレオン・ヒルの訳本のタイトルそのものだ。「思考は現実化する」。

コミック版もあるので、読んでみた。コミック版は200ページあり、ややピントがぼける感じだ。




本文はわずか80ページ程度の本で、一日で簡単に読める。現代の成功哲学の元となったアレンの本を一度読んでみることをおすすめする。


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2014年06月08日

イッシューからはじめよ 問題解決のハンドブック



元マッキンゼーで、脳神経学の博士号を持つ安宅和人さんの本。

安宅さんは現在はYahoo!のCOO室長、CSO(Chief Security Officer)として活躍している。安宅さんのツイッターのアカウントもある。

問題解決では、以前元BCGの内田さんの「仮説思考」を紹介した

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法
内田 和成
東洋経済新報社
2006-03-31


「仮説思考」は筆者が読んでから買った数少ない本の一つで、大変参考になった。

「仮説思考」と同様に、この本も大変参考になる。

ほぼ日で糸井重里さんと安宅和人さんの対談が紹介されている。糸井さんはこの本を読んで、「一人ひとりが読み、チームで共有したい本」だと感じたという。

新刊.jpというサイトに、この本に関する安宅さんへのインタビューが載っており、この本のエッセンスが簡潔に紹介されているので、参考にしてほしい。

最初に、この本の主張が次のように整理されている。

★「問題を解く」より「問題を見極める」

★「解の質を上げる」より「イシューの質を上げる」

★「知れば知るほど知識が湧く」より「知り過ぎるとバカになる」

★「一つひとつを速くやる」より「やることを削る」

★「数字のケタ数にこだわる」より「答えがだせるかにこだわる」


「犬の道」には踏み込むな

バリューのある仕事とは、安宅さんの定義だと、イシュー度が高く、解の質も高い仕事だという。

バリューのある仕事をやるためには、「根性」で一心不乱に大量の仕事をしてはいけない。それを安宅さんは「犬の道」と呼んでいる。

問題かもしれないという問題が100あるとしたら、そのうち2つか3つが本当に白黒つけるべき問題なのだと。理系の研究者の研究テーマは、このような考えで絞り込むのではないかと思う。

直観でこれが解決につながりそうだとか目星をつけてはいけない。じっくり考えて、なにが問題解決につながるイシューなのかを見極める。

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出典:本書32ページ

このようなアプローチをとれる人と取れない人では、一週間の仕事の進め方に次のような差がでる。

犬の道の人

月曜 やり方がわからずに途方にくれる
火曜 まだ途方にくれている
水曜 ひとまず役立ちそうな情報・資料をかき集める
木曜 引き続きかき集める
金曜 山のような資料に埋もれ、再び途方にくれる

イシューからはじめる人

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出典:本書34ページ


もっと前にこの本を知っていれば…

この本には上記の全体図のように図が多く使われ、コンサルなどの専門家でなくとも、わかりやすくイシュードリブンの問題解決法が理解できるようになっている。

またイシュードリブン、仮説ドリブンなどのステップではさらにいろいろな図が使われている。

たとえば、イシューを見極めるコツとして、1.一次情報に触れる、2.基本情報をスキャンする、3.集め過ぎない・知り過ぎないの3つが紹介されているが、次が2.の基本情報をスキャンする場合の図だ。

真ん中の四角で囲んだ部分がマイケル・ポーターの「ファイブ・フォース」であり、それに6.技術・イノベーション、7.法制・規則を加えたFAW(Forces at Work)である。

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出典:本書82ページ

惜しむらくは、事例があまり少なく、具体的でないことだが、現在会社に勤めていたり、研究に携わっている人は、経営者でなくても、自分の業務に当てはめて応用してみるとよいだろう。

たとえば、次の図は、イシューを分解するうえで、意味のある分解と意味のない分解を図示したものだ。これがMECEだと言われれば、納得できるだろう。

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出典:本書109ページ

筆者も2002年から2007年まで、子会社のネット企業を代表取締役副社長として経営していたことがある。今思えば、業界の全体図、伸びる分野、自社の占めるポジション、SWOTなどのビッグピクチャーをよく理解せずに、ただ日々の問題を解決するのに手いっぱいという感じで経営していた。全く汗顔の至りだ。

もっと前にこの本を知っていれば…と思う。

筆者の読んだものは、第10版で、本の帯には8万部突破と書いてある。

アマゾンの売り上げランキングでも全体の1,210位で、このブログで紹介した内田さんの「仮説思考」が1,718位、必読書「ロジカル・シンキング」が668位、バーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」は1,464位だ。






つまり、これらの名著と同じくらい売れているということだ。

ハンドブックとしても役に立つ。この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応しているので、ここをクリックして目次に続く、コンテンツをパラパラめくってほしい。

仕事の役に立ちそうなことがわかると思う。


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2014年06月03日

竹島密約 安倍首相が面談した韓国人歴史家 ロー・ダニエル氏の研究

+++今回のあらすじは長いです+++

文庫 竹島密約 (草思社文庫)
ロー ダニエル
草思社
2013-02-02


この本を知ったのは、たぶん鳥居民さんが著書でこの本を紹介していたからだと思うが、何気なく見ていた安倍首相の日々の行動の2014年4月16日11:05〜12:15に、韓国の日本研究者・ロー・ダニエル氏のインタビューと書かれていることに気が付いた。

なぜ安倍首相がロー・ダニエルさんと会ったのか。その理由はこの本のあとがきを読むとわかる。

あとがきの重要部分だけ紹介しておく。

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出典:本書(文庫版)297ページ

なんと、密約締結関係者の一人の中曽根康弘元総理が、ロー・ダニエルさんに真相を究明して欲しいと依頼し、秘書を通じて多くのサポートを与えたというのだ。

中曽根元総理は先日9回目の年男パーティを迎え、5回目の年男の安倍総理他の多くの政治家が集まった。

杖をつきながらも、自分で動けて、発言もしっかりしているのは立派だが、さすがに年齢による衰えは隠せない。

中曽根元総理も、自分が元気なうちに、自分も関係した竹島密約の真実を伝えたかったので、ロー・ダニエルさんに執筆を依頼したのだろう。

関係者の多くは亡くなっているが、それでもロー・ダニエルさんは直接の関係者数名にインタビューしており、この本の信ぴょう性を高めている。

「なか見!検索」は必見

この本は文庫版となってアマゾンの「なか見!検索」に対応するようになった。立ち読み感覚で、重要な部分が読めるので、ぜひここをクリックして、ネット立ち読みしてほしい。特に最初の目次、主な関係者とプロローグ、あとがきをぜひ見てほしい。

あらすじを紹介する前に、竹島がどのあたりにあるのかを紹介しておく。

次が文庫版14ページにある地図だ。「なか見!検索」でも、見られるので、ここをクリックして、目次と登場人物紹介に続く竹島付近の地図を参照して欲しい。

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出典:本書14〜15ページ

まさに日本と韓国のちょうど中間地点にあることがわかると思う。

竹島は尖閣列島と違って、地下資源があるという話もなく、日比谷公園程度の大きさで、本来何の役にも立たない無人島である。いままで何度も「爆破したら」という選択肢が、外交の場では半分本気・半分冗談として出されてきた。

しかし、竹島の存在は漁業資源に関係する排他的経済水域の設定には大きな意味を持つ。

昭和20〜30年代生まれまでの人は、「李承晩ライン」という言葉を覚えているだろう。李承晩は、初めての韓国大統領で、反日・反共を貫き、日本との間に勝手に「李承晩ライン」という排他的漁業水域を設け、日本の漁船を多数拿捕した。

日本が韓国との日韓漁業協定締結を急務としたのは、こういった漁船拿捕による漁民からの要望も強かったからだ。

尖閣列島については、1978年の日中平和友好条約交渉の際に、小平が先送りを提案したが、公式には日本側はそれには応じなかったとされている(外務省のホームページによると”福田総理より応答はなし。”とされている)。

しかし、その後、日本企業が尖閣列島付近の資源開発を検討しても、日本政府として許可を出さずに、事実上小平提案の解決の棚上げを尊重してきたという経緯がある。

この本では、日中間の尖閣列島問題の先送り合意の13年以上も前の1965年に、日韓間で竹島問題の先送りを秘密裏に合意していた密約が存在することを明かしている。

竹島密約は次のような簡単なものだ。

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出典:本書227ページ

この本では、講和条約交渉の際に、当初は韓国領とされていた竹島が、日本側の外交努力で、1949年12月29日の第6次草案から日本領に変わり、ディーン・ラスク国務次官補は竹島は日本領とみなすと韓国側にレターで回答していることを明かしている。ところが、サンフランシスコ講和条約では竹島に関する記述は抜け落ちて1951年9月8日に調印された。

講和条約が1952年4月28日に発効する前に、李承晩大統領は、竹島は韓国領として「李承晩」ラインを設定、1952年9月から日本漁船の拿捕を始めた。

日韓国交正常化交渉は、1953年10月に外務省参与・久保田貫一郎が、「日本が講和条約を締結する前に韓国が独立したのは不法である。日本の36年間にわたる統治は韓国にとって有益だった」と発言したことから紛糾し、その後4年以上再開されなかった。

その間、1957年2月に首相に就任した岸信介は、地元の山口県の漁民が韓国に抑留され、漁業にダメージを受けているので、自らの「策士」の矢次一夫を使って、韓国に様々なアプローチをしていた。

岸信介は自ら「親韓派」と称していた。

矢次は、岸首相の就任日に、韓国外務部の政治局長と駐日韓国大使館の参事官を秘密裏に、岸首相の南平台にある私邸に案内した。

そのころ岸信介の娘と結婚した安倍晋太郎は、岸信介の秘書として、岸の私邸に同居していた。矢次一行は裏口から入り、オムツの干してある中を通って、就任したばかりの岸信介首相と面談したという。

このオムツをしていたのが、当時2歳だった安倍晋三総理だ。

岸信介は、矢次を使って蒋介石とも連絡を取り、蒋介石・李承晩・岸信介というアジアの反共産主義ラインをつくるろうとしていた。

しかし、1960年に岸信介は新日米安保条約問題で、李承晩は不正選挙問題で退陣する。

李承晩の後は、短期間、民主党の張勉が政権を取り、翌1961年5月16日の朴正煕少将が率いる軍事クーデター後、親日派の朴正煕大統領が誕生する。

朴正煕大統領は、1979年に暗殺されるまで、18年の間、韓国の大統領として、アジアの最貧国の一つだった韓国が先進国クラブのOECDに加盟できるまでに成長させた。

朴正煕大統領と一緒に親日政策を展開したのが、朴正煕の義理の甥の金鍾泌だ。

この本では、第2章”叔父と甥の対日外交”として、、旧陸軍や一橋大学出身者など韓国の親日派が中心となって池田隼人首相の日本と請求権交渉をまとめ上げたことを紹介している。

朴正煕大統領は、就任後アメリカ訪問の前に日本に立ち寄り、政財界の代表の前で、「われわれが、過去のよろしくない歴史を暴きたてるのは賢明なことではありません。両国は共同の理念と目標のために親善を図らなければなりません」と述べて好印象を与えた。

また、岸信介前首相、佐藤栄作、大野伴睦、石井光次郎、船田中、矢次一夫らの政界の「韓国ロビイストの集まり」ともいえるメンバーとの会食では、「未熟な小生をよろしくご指導ください」と日本語であいさつしたという。

韓国の親日派を相手とする請求権交渉では、当初韓国案8億ドル、日本案1億ドルと大きな隔たりがあった。しかし、最終的には1962年10月に金鍾泌中央情報部長が訪日して大平外務大臣と交渉し、有償3億、無償2億、民間借款1億ドルの6億ドルで決着した。これがその後の韓国の発展につながる経済開発5か年計画の資金となった。

請求権交渉が妥結したことで、李承晩ラインも消え、漁船の拿捕もなくなった。次の問題は日韓基本条約の締結だ。

この交渉の過程で、ロッキード事件で一躍有名になったフィクサーの児玉誉士夫の名前も出てくる。

外務省や大平外相は、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を条件としたが、韓国側は「未解決の状態で維持する」という作戦にでた。これが後の「未解決の解決」という竹島密約につながる。

金鍾泌は訪日後、下野して外遊、その後1963年12月の朴正煕の第5代大統領就任とともに、与党共和党議長として復帰した。

しかし、「対日屈辱外交反対」を唱える野党勢力や学生デモの前に、朴正煕大統領を守るためのスケープゴートとして辞任した。そのあとを継いで、対日交渉を担当したのが、満州軍官学校出身で、1964年5月に就任した丁一権国務総理と金鍾泌の兄の銀行家金鍾珞だった。

日本川の交渉役は、1964年5月に大野伴睦が亡くなった後、河野一郎が継いだ。

主流派の佐藤派は日韓条約締結に積極的だったが、河野派は佐藤派より5人少ないだけで、党内の第2の勢力だった。もし河野派が反対するとなにもできない。だからキャスティングボードは、党人派を代表する河野一郎が握っていた。

河野一郎を日韓交渉に引っ張りだすには、ちょうど韓国を訪問中だった中川一郎や中曽根康弘が協力した。

そして日韓交渉全体を密にフォローし、時には間を取り持ったのが、大野伴睦の盟友の渡邉恒雄(ナベツネ)の読売新聞社だった。渡辺の指示で、日韓関係をとりもったのが当時の読売新聞のソウル特派員で、幼少期を韓国で過ごした嶋元謙郎さんだ。嶋元さんはこの本の取材に全面協力したので、この本は嶋元謙郎、恵美子夫妻にささげられている。

河野一郎はこのままでは総理になれないというあせりから、日韓交渉を引き受けた。

河野の腹心の宇野宗佑と金鍾泌の兄の金鍾珞が交渉代理人、斡旋役が嶋元謙郎、交渉の責任者が河野一郎、丁一権という交渉チームが出来上がった。

東京オリンピックが1964年10月10日から開催され、池田首相は病気のため、オリンピックを花道に退陣した。そのあとを継いだ佐藤栄作首相の1965年1月の訪米前に、日韓交渉を合意させるというギリギリのタイムテーブル下で、日韓交渉は進められ、1964年末にすべてが決着した。

竹島については、上記に紹介した竹島密約が河野一郎と丁一権の間で成立した。1965年1月11日のことだった。2日後に朴正煕大統領も承認し、1月13日にジョンソン大統領との会談直前の佐藤栄作首相に電話で日韓合意が伝えられた。

日韓基本条約は1965年2月20日に仮調印され、1965年6月22日に正式締結した。河野一郎が病で亡くなったのはその2週間後の7月8日だ。

全斗煥盧泰愚らを中心とする軍部内の「ハナ会」は、朴正煕大統領が暗殺されると、12・12事件を起こして、権力を掌握し、全斗煥が大統領に就任した。

ハナ会」はいわば朴正煕ファンクラブで、メンバーは慶尚道出身の軍人で、滅私奉公に徹した朴正煕を崇拝し、日本流の軍人精神を慕った。

彼らの愛読書は、山崎豊子の「不毛地帯」で、主人公のモデルの伊藤忠の瀬島龍三さんを尊敬していたという。

瀬島龍三さんも、1980年に東急の五島会長と訪韓して、全斗煥、盧泰愚両将軍と面談していることを著書の「幾山河」に書いている。



幾山河―瀬島龍三回想録
瀬島 龍三
産経新聞ニュースサービス
1996-07


竹島密約は、軍人親日主義の朴正煕、全斗煥、盧泰愚の「軍人親日主義」体制では守られた。しかし、盧泰愚大統領を継いだ非軍人の金泳三大統領には伝わらなかった。

野党政治家として半生を送った金泳三大統領は、「歴史の清算」として、光州事件の再調査、全斗煥、盧泰愚両前大統領の逮捕、朝鮮総督府の建物の解体などを実施した。

金泳三大統領自身は、日本語が流暢で、大統領退任後は早稲田大学の特命教授を務めるなど、日本との友好にも貢献した。

金泳三大統領以後は、日韓関係は、金大中大統領や李明博大統領の就任当初や、盧武鉉大統領・小泉純一郎総理のシャトル外交など、一時的な改善の時期はあったが、ほぼ一貫して悪化してきた。

中曽根康弘首相は、首相に就任すると、すぐに「竹島密約」の存在を調査させている。日本の外務省は承知していたが、全斗煥政権の韓国では、発覚を恐れ、密約の紙は処分されていた。

密約の紙自体も、密約の精神自体も消失したのだ。

竹島は、それ自体は何の意味もないが、韓国大統領の対日強硬姿勢を示す格好の話題として、政権の支持率アップのためのプロパガンダとして使われている。韓国の天気予報では、必ず竹島の天気も紹介されるという。

李明博大統領は、竹島に上陸してテレビ中継させている。朴槿恵大統領もいずれ竹島を訪問することだろう。

たかだ日比谷公園程度の島に、そんなに意味があるのか?

引き継がれなかった「竹島密約」の先人の知恵に、あらためて思いを致す本である。


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Posted by yaori at 22:09Comments(0)TrackBack(0)