2017年05月29日

日英同盟 日本外交の栄光と凋落 日米安保条約を考える上での歴史の教訓

2017年5月29日追記:

安倍首相がイタリアでのタオルミナ・サミットの後でマルタを公式訪問した。新聞にも安倍首相のマルタ訪問の目的が、第1次世界大戦の時に地中海に派遣された日本海軍の戦没者の慰霊であることが報じられている。

第1次世界大戦で日本は日英同盟による英国の要請に従って、地中海に艦隊を派遣して、英国などの輸送船団の護衛にあたった。その際、駆逐艦「榊」が魚雷攻撃を受け、約60名が亡くなった。

そのことを記した関榮次さんの「日英同盟」のあらすじを再掲する。

2006年10月22日追記:

『日英同盟』の著者の関榮次さんからご招待を受け、昼食をご一緒させて頂いた。

著書にサインも頂いた。


関榮次さんサイン







関さんのストーリー構成力のすばらしさは、以前ご紹介したところだが、今度は日本が第2次世界大戦に参戦する要因の一つとなったと言われている事件を取り上げた本を英語で出版されるそうだ。

第2次世界大戦初期、ドイツの潜水艦が沈めた英国商船から回収された連合国の暗号文書が日本にも提供されたが、その情報を信じた日本は開戦に踏み切り、結果的にミスリードされたという事件だ。

タイトルは英国の出版社が決めたそうだが、Mrs. Ferguson's Tea Setというもので、いかにもしゃれている。沈没船にはMrs. Fergusonのtea setが積まれており、それの回収をMrs. Fergusonが求めたというエピソードを元にしている。

非常に面白そうで楽しみな本だ。

英語版が出版されたら一部頂くことになっているので、読んであらすじをご紹介する。

このあらすじブログが縁で、ご紹介した本の著者の方とのおつきあいが出来るようになり、筆者も大変刺激を受けた。

もう一つのブログも運営しているので、最近やや更新の頻度が落ちているが、引き続きお役に立つ様な情報を発信すべく努めるので、今後も興味ある記事があれば参考にして頂きたい。

日英同盟―日本外交の栄光と凋落


筆者は年間200冊以上の本を読んでいるが、たとえプロの作家でも本当に文才がある人は案外少ないと感じている。

今まで頭をガーンとやられる様なカリスマ性があると感じたのは安部譲二と角川春樹であることは以前書いたが、この本の著者の関榮次さんの文才というか、ストーリー構成力には感心した。

日英同盟に基づき日本が第1次世界大戦中に地中海に艦隊を派遣したという、知る人ぞ知る部類の歴史的史実をセンターピースにしていながら、徳川家康に仕えた三浦按針に始まる日本と英国の歴史からはじまり、現在の日米安保体制に対する提言まで、一連の流れでスッとあたまに入る様に構成されている。

また史実についても、この本の帯に「元外交官による10年にも及ぶ資料発掘の成果!」と書いてあるが、それぞれの事件の描写が関係者の回想録や外交文書などの綿密な調査に基づいていることがはっきりわかる深みがあり、興味深く読めた。


著者の関栄次さんは元外交官

以前紹介した日米永久同盟で日英同盟のことが言及されていたので、この本を読んでみたのがきっかけだが、『日米永久同盟』と提言も異なり、出来も全く異なる。

著者の関栄次さんは駐英公使、ハンガリー大使等を歴任した元外交官でノンフィクション作家だ。

日本のシンドラー6,000人のユダヤ難民を救った杉原千畝を取り上げたNHKのその時歴史が動いたでも、ゲスト出演した。

一般的に日英同盟は『日本外交の精髄』と呼ばれて、特に日露戦争の時の英国の協力(戦費調達、ロシアバルチック艦隊補給への嫌がらせや、アルゼンチンがイタリアに注文していた戦艦の日本への転売斡旋等)が、日本の勝因の一つになったとして、高く評価されている。

しかし、それは来るべき日露対決の事を考えて1902年に締結された日英同盟が、2年後の1904年に実際に日露戦争が起こったときに機能したもので、いわば当初の目的通りである。

日英同盟のおかげで日本はロシアに勝利して列強と肩を並べる『一等国』になったとの満足感に浸ったが、それは1923年に米国の圧力で終了するまでの日英同盟の21年の歴史のほんの一部でしかない。

関さんは日英同盟を礼賛する様な動きを諫め、余り知られていない地中海遠征という史実を通して、当時の日英両国の関係を描き、末期の日英同盟を救おうとする一連の動きを取り上げる。


第1次世界大戦まで

1914年に第1次世界大戦が勃発し、日本も参戦しドイツが領有していた青島を攻略、1915年には中国に対して21箇条の要求を出すに至って、日本は日英同盟を悪用しているとの批判が英国内に高まる。

しかし国運を賭してドイツと戦っている英国は、背に腹は替えられず、手を焼いていたドイツ・オーストリア連合軍のUボートの輸送船攻撃に対抗するため、日本に地中海への艦隊派遣を要請。

この時の英国首相はロイド・ジョージ、軍縮相はウィンストン・チャーチルだ。

日本海軍ではちょうど欧州視察から帰国したばかりの秋山真之(さねゆき)少将(司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物)が、地中海派遣という機会を生かせば、戦後の我が国の地歩が有利になるとともに、実戦経験は技術向上や兵器の改良にも役立つとして、優秀な若手士官を派遣することを熱心に進言していた。


地中海への艦隊派遣

英国の要請を受け1917年に旗艦を巡洋艦『明石』とする最新鋭の樺型駆逐艦8隻の第2特務艦隊が地中海遠征に派遣され、以後1919年の凱旋帰国まで2年間地中海で連合国の輸送船防衛の任務につくことになった。

日本の特務艦隊はマルタ島に本拠を構え、連合国のなかでも抜群の稼働率で出動し、各国からの信頼を得て、地中海の連合国輸送船護衛に大きな成果を上げた。

唯一の損害らしい損害は、駆逐艦榊がオーストリア・ハンガリー帝国の小型潜水艦の雷撃で、船首に大きな損害を受け、59名が殉職した事件である。

本書はこの事件を中心に、最後はマルタ島にある榊殉職者の慰霊碑を著者が訪れた時の記録で終わっている。

この事件に関しては非常に詳しいウェブサイトを見つけたので、ご興味のある方は参照頂きたい。

オーストリアもハンガリーも現在はいずれも内陸国なので、潜水艦と言われてもピンとこないが、旧ユーゴスラビア、現在のクロアチアは当時オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったので、アドリア海を母港として地中海に出没していた。

日本から派遣された特務艦隊には後に巡洋艦出雲と駆逐艦4隻が増派され、終戦とともに戦利品のUボート数隻を伴って、凱旋帰国した。

戦後ロンドンで大戦勝パレードがあり、各国の軍隊が参加したが、日本は艦隊は既に帰国の途についており、わずかに4名の駐在武官がパレードに参加したにとどまった。

本書の裏表紙にあるこのときの貧相なパレードの写真は、日本の外交センスのなさを示す写真として紹介されている。


近代海戦では対潜水艦対策がカギ

筆者は駆逐艦が英語でDestroyerと呼ばれるのを長らく不思議に思っていたが、今回第1次世界大戦で既にドイツのUボートが活躍していた事を知り、なぜ駆逐艦をDestroyerと呼ぶのか、はじめてわかった。

駆逐艦よりずっと大きい巡洋艦はヨットの様なCruiser、戦艦はもっと簡単にBattle Shipと、どうということがない呼び名がついているが、駆逐艦だけがデストロイヤーというおどろおどろしい名前がついている。

第1次世界大戦の時から潜水艦が海上輸送の大きな脅威で、潜水艦に対抗して商船隊を護衛するには高速でかつ小回りの利く小型艦船が必要だったのだ。

そのため排水量1,000トン前後で最高速度30ノット前後の小型の駆逐艦が大量に建造され、対潜作戦に当たったのだ。

日本から派遣された樺級の駆逐艦も排水量665トンの小型船舶だ。

地中海遠征を通して、日本は神出鬼没の潜水艦に対抗するには多数の駆逐艦など小型船舶と、航空機による護送船団方式しかないことを経験したわけだが、この教訓は生かされず、相変わらず大艦巨砲主義に固執し、それが結局第2次世界大戦の敗北につながった。

現代では駆逐艦の代わりに、航空機と哨戒艇が対潜水艦戦略の中心であることは『そのとき自衛隊は戦えるか』で紹介したが、日本は第2次世界大戦の反省もあってか、哨戒機99機、哨戒ヘリ97機と突出した対潜水艦戦闘能力を持っている。


日英同盟の末路

第1次世界大戦後のパリ講和条約交渉では、エール大学卒の俊英を代表にたてる中国に対し、日本は21箇条の要求の理不尽さを突かれ守勢にまわる。

同盟を結んでいた英国も日本を援護すべく努力はするが、日本を支援することが英国内の世論の賛成を受けられず、限界があった。

日本は地中海派兵を行い、榊の乗組員の犠牲を払ったが、自らの行動に世界から支持を得られず、もはや日英同盟を継続することは不可能であった。

英国は日英同盟を終結する時に、ロイド・ジョージ首相、バルフォア枢密院議長などが、英国の名誉のためにも第1次世界大戦で貢献した日本に対する信義を守らなければならないと呼びかけ、アメリカを説得し、さらにフランスも入れて、1923年の4カ国条約締結に至る。

1923年のワシントン条約で軍備制限が合意され、大正デモクラシーのもと、束の間の平和が訪れるが、日本は軍制度改革や軍備縮小に失敗し、5.15事件、2.26事件等を経て軍部の介入がひどくなり、太平洋戦争に向かっていく経路をたどる。


日米安保体制への教訓

著者の関栄次さんは日英同盟の教訓をもとに日米安保体制について考察している。たぶんこれが最も関さんが伝えたかった点であろう。

日英同盟が双務的な盟約であったのに対して、日米安保条約は対日講和後も米軍基地を維持しようという米国の意図から生まれた片務・従属的な条約である。

たしかに日本の復興・発展に日米安保条約が果たした役割は大きく、それがため日米関係は『最も重要な二国関係』と言われる様になってはいるが、安保条約のために日本の国民の防衛意識が希薄になってしまったと関さんは指摘する。

筆者が昔読んだ小沢一郎の『日本改造計画』(絶版となっていたが復刻される)で、小沢氏は『普通の国』という表現を使っていたが、戦後60年が過ぎ、共産圏対自由主義圏という冷戦構造もなくなり、アジアでは中国、インドのBRICS諸国の台頭が著しい現状では、日米安保条約が現在のままで良いのかどうかを日本国民の間で真剣に議論する時ではないかと筆者も思う。

日本改造計画


関さんは現在の日米安保体制が国家の自主性を損ない、国民の外交感覚を鈍らせる結果となっていることが気がかりだと指摘している。

また沖縄に集中する米軍基地の縮小についても、真剣な対策をおろそかにしてきた歴代政権の責任は重大であると指摘する。

さらに現状のままでは、80年前に日英同盟がワシントンに葬られたように、いつの日か日米安保体制が北京に、あるいはモスクワなどに葬られないという保障はないと警告する。

同盟は、盟邦以外の諸国を疎外し、外交上の選択の幅を狭めることになるので、いわば劇薬のようなものであり、国益を守るため他に十分な手段がない場合の補足的措置であるべきであり、慢性的に常用してよいものでもないと。

共産主義に代わり、国際テロが国際社会への脅威となり、世界情勢が変わり、ピンポイントで攻撃できる巡航ミサイルなど軍事技術も進歩した。

米国自身も国内外の基地展開を縮小している現状で、日米安保がそのまま継続されるべきなのかどうか。

そもそも日本国憲法を改正し、自衛権を明文化すべきではないか。様々な観点での議論が必要だ。

関さんは日本国民が必ずしも納得しない米国の世界戦略に奉仕することを求められることもある現在の安保条約を、国民的論議も十分に尽くさないまま惰性的に継続することは、日米の真の友好を増進し、世界の平和と繁栄に資する道ではないと語る。

米軍基地をグアムに移転するから移転費用の1兆円を日本国民が負担しろというアメリカ政府の提案が明らかになり、日本政府がそれを受け入れようとしている現在、国民の税金を使う前に、普通の国となる議論が再度なされるべきではないかと筆者も感じる。

その意味で筆者は、小沢一郎の民主党代表就任は一つの転機になるかもしれないと期待している。

元外交官のからを破った関さんの提言は斬新で拝聴すべき意見だと思う。読後感さわやかなノンフィクション作品である。



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2017年05月27日

カエルの楽園 改憲への呼び水となるか?

カエルの楽園
百田尚樹
新潮社
2016-02-26


ベストセラー作家の百田尚樹さんの風刺小説。このあらすじを書くためにネットで検索してみたら、櫻井よしこさんが、オフィシャルサイトで「現行憲法擁護派への痛烈な批判である百田氏の著書を読み現実を見る力を」という題で、紹介していた。

小説のあらすじはいつも通り詳しく紹介しない。

平和だった祖国を体の大きなダルマガエルに奪われたアマガエルのソクラテスは、友人のロベルトと安住の地を求めて旅にでた。

長い旅の末、たどりついたのが、アマガエルとはほぼ同じ大きさのツチガエルの国ナパージュだった(JAPANの逆さ読み)。

この国には「三戒」があった。「カエルを信じろ」、「カエルと争うな」、「争うための力を持つな」の3つだ。

ナパージュの崖の下には体の大きいウシガエルが大量に住んでいたが、ナパージュはこの三戒のために守られているのだという。

ナパージュの人々は集まって「謝りソング」を歌っていた。

「我々は、生まれながらに罪深きカエル
すべての罪は、我らにあり
さあ、今こそみんなで謝ろう」

昔多くのツチガエルが殺されたというナポレオン岩場には、次のような石碑があった。

カエルの楽園
















出典:インターネット検索、本書44ページに百田さん画の原画あり

ソクラテスたちは、ナパージュのカエルが昔、隣国エンエンのカエルにひどいことをしたらしいと思い込んでいることを知る。ウシガエルたちも、ナパージュのカエルにひどい目にあわされたと言っているらしい。

また、ナパージュは「三戒」によって守られているのではなく、実際には、年老いてはいるが、力の強いワシのスチームボートによって守られてきたことを知る。

やがてスチームボート排斥運動がおこり、スチームボートが去ると、……。

といったストーリーだ。

読む前から予想していた筋書き通りの本だ。

百田さんのお友達の安倍首相が2020年改憲を公式に発表した。





賛否両論があると思うが、一度は正式にこの問題を国民として討議して決を採るべきだと思う。

改憲への呼び水となるか?「カエルの楽園」


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2017年05月21日

武士の家計簿 こんな地味な話題が面白いなんて



江戸時代、1842年(天保13年)から明治12年(1879年)まで37年間、加賀藩に御算用
者として仕えた猪山家の家計簿を中心として武士の生活の実態を明らかにした本。

無名の武士の家計簿なので、非常に地味な素材だが、磯田さんの軽妙な語り口から、ビビッドな武士の生活風景が浮かびあがってくる。

この本を原作として堺雅人主演の映画「武士の家計簿」が2010年に封切られている。半沢直樹で大ブレークする前の堺雅人が、堅実なそろばん侍を好演していて面白い映画に仕上がっている。





磯田さんの「歴史の愉しみ方」に「武士の家計簿」の映画化の話が紹介されている。



ある日突然、映画会社から映画化させてほしいとの電話があったのだと。

松竹の太秦(うずまさ)の時代考証技術は高く、映画の小道具には江戸時代の本物がかなり使われていたという。高津(こうづ)商会という道具会社の巨大倉庫から出してくるそうで、「高津は美術館も持っている」との説明だったと。

製作費4億円をかけてチャンバラのない時代劇を撮った。興行的には大成功で、Wikipediaによると15億円の興行収入があったようだ。

撮影所に招待されて、磯田さんは、ちょんまげ姿の堺雅人さんと話したとのこと。堺さんは、映画会社が勧めても高級ホテルに入らず、ウィークリーマンションにこもり、役作りに関係したメモや文章をこつこつ書いているとのこと。堺雅人さんの人柄がわかるエピソードだ。

この映画は2010年の作品なので、2012年に亡くなった森田芳光監督の最後の作品の一つだ。

この本の目次を紹介しておく。

第1章 加賀百万石の算盤係

第2章 猪山家の経済状態

第3章 武士の子ども時代

第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ

第5章 文明開化のなかの「士族」

第6章 猪山家の経済的選択

猪山家は代々加賀藩の御算用者、つまり会計係で、地道な仕事が評価され、そこそこの収入を得ていた。父と夫の二人が御算用者として勤め、ダブルインカムで現在の貨幣価値で1,742万円の年収があった。

しかし、武士の身分では祝儀交際費や儀礼行事用をケチるわけにはいかず、下女、草履取りの家来もいたので、家計は火の車で、方々から年収の倍の借金をしていた。

そこで、猪山家では、一大決心をして家財道具の主なものはすべて売り払い、債権者と交渉して、分割払いかつ金利減免の条件を取り付けて、リストラが成功したのだ。家計簿が残されたのも、この大リストラのおかげだ。

リストラで衣装を売り払ったので、猪山家の夫婦はまさに着たきりスズメの生活に耐えた。衣装代は祖母と母のみで、妻のお駒には衣装代はない。夫の直之は悲惨で、こずかいは月々約6,000円しかなかった。

武士に跡継ぎの男子が生まれると、毎年のようにいろいろな行事があり、親戚を呼んで宴を催す。

映画では絵に描いた鯛の場面が出てくるが、実際には猪山家では跡取り息子の宴は本物の鯛で祝い、娘の祝い事では絵に描いた鯛で済ませていたようだ。

武士の儀礼で最も出費があるのが葬儀だ。猪山家では、年間収入のほぼ1/4を葬儀費用に費やしている。

猪山直之の跡取り息子、猪山成之は、幕末に大村益次郎に見込まれ、維新後は海軍に勤め、海軍主計大監まで出世している。

この本では、猪山家の親族の維新後の身の振りようを”文明開化のなかの「士族」”として紹介している。やはり士族の一番の出世は、新政府の役人や軍人になることで、猪山家では成之の息子二人が海軍に勤め、海軍一家となっている。

しかし、猪山家はその後の日露戦争で三男をなくしたり、甥がシーメンス事件に巻き込まれるなど、晩年は不運が続いた。

猪山家の東京の住居は、現在の東京タワーの近くの聖アンデレ教会がある場所だったという。筆者もこの教会の前を時々通るので、感慨深い。

最後に磯田さんは、猪山家の人々から、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が、人の死活をわけることを教えてもらったように思うと書いている。筆者も同感である。芸は身を助ける。

士族から海軍は、たぶんベストの「転職」ではないかと思うが、それは算盤に長けていたからだ。ナポレオンも砲兵士官だったが、軍隊では大砲の弾着を計算するのに、数学は必須だ。まさに、「算盤侍」が海軍士官には適していたのだ。

あまりに地味なタイトルなので、長らく読もうという気にならなかったが、読んでみたら大変面白い。2010年の時点で20万部を超えていたので、いまではさらに売れているだろう。

映画も大変面白い。映画もおすすめである。


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Posted by yaori at 23:18Comments(0)

2017年05月07日

火花 ピース又吉さんの大ヒット作

火花 (文春文庫)
又吉 直樹
文藝春秋
2017-02-10


漫才コンビピースの又吉さんの大ヒット小説。やっと図書館の順番が来て借りて読んだ。

又吉さんは「火花」を読む前から気になっていたので、自伝の「夜を乗り越える」をまず読んだ。




「夜を乗り越える」で、文藝春秋社で後に「火花」の編集者となる人が、又吉さんの文章を評した言葉がある。

「又吉さんの文章は読んですぐに頭の中で映像化できる。実はそれはみんながみんなできるものではない。」

まさに、これが又吉さんの小説の最大の特徴だと思う。

小説のあらすじは、いつも通り詳しく紹介しない。

「火花」は、売れない30代前後の芸人の先輩神谷と後輩の徳永の話で、二人は別々の芸能事務所に所属し、別々の相方と漫才コンビを組んでいる。

神谷が「あほんだら」、徳永が「スパークス」という漫才コンビを組んでいるという設定だ。

又吉を思わせる徳永は、中学生時代からの相方の山下と漫才コンビを組んで、大阪から東京に出てきた。「あほんだら」の神谷も同じだ。

徳永は神谷を師匠として尊敬し、神谷から神谷の伝記を書けと命ぜられて、ノートに神谷の言動を書き始める。

ちょっとした仕事の後で、吉祥寺のハモニカ横丁の美舟などで飲み、酔っぱらって上石神井の神谷の彼女のアパートまで歩いて行って、転がり込むといった生活を続ける。

芸人の世界では、先輩が必ず後輩をおごるものなので、そのうち神谷は消費者金融からの借金で首が回らなくなる。

仕事は増えず、生活は安定しない。そんな徳永に、神谷が贈った言葉が面白い。

「徳永は、面白いことを十年間考え続けたわけやん。ほんで、ずっと劇場で人を笑わせてきたわけやろ。」

「それは、とてつもない特殊能力を身に着けたということやで。ボクサーのパンチと一緒やな。無名でもあいつら簡単に人を殺せるやろ。芸人も一緒や。ただし、芸人のパンチは殴れば殴るほど人を幸せに出来るねん。だから、事務所やめて、他の仕事で飯食うようになっても、笑いで、ど突きまくったれ。お前みたいなパンチ持っている奴どっこにもいてへんねんから。」…。

そんな神谷に最後に驚く展開がある。

タイトルの「火花」に関しては、「火花」を想起させるようなエピソードは出てこない。最初と終わりに熱海の「花火」の話が出てくるので、「花火」をもじったものだろう。

ちなみに、又吉さんが、中学生の時の友人と始めた漫才コンビの名前は「線香花火」だったという。

又吉さんの次の作品も読みたいという気にさせる小説である。


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Posted by yaori at 00:34Comments(0)