2021年09月06日

ハイジャック犯をたずねて 元商社マンの珍しい交友



知人が本を出版したので読んでみた。

著者の和田さんは、大学のクラブの後輩で、同じ会社の後輩でもある。入社前に先輩訪問で就職相談に来た彼に「司法試験の短答式まで合格しているのであれば、そちらの方を頑張ったほうが良いのではないか」とアドバイスしたが、結局同じ会社に入社した。

もう40年近く前、和田さんは、初めての海外出張の帰りに、インドからバンコックに行くアリタリア航空のフライトでハイジャックにあった。1982年のことだ。

同じバンコック空港では、前年にインドネシアのガルーダ航空のフライトがハイジャックされ、機内に軍隊が強硬突入して、犯人全員射殺などという事件が続発していた中で、穏便に解決したケースだった。

犯人は複数を装っていたが、実際は単独犯で、体につけたダイナマイトも偽物だった。犯人の要求は、現金30万ドルとイタリアにいる実の息子を連れてこいというものだった。到着地のバンコックで、犯人と駐タイ・スリランカ大使、駐タイ・イタリア大使との交渉が始まった。

犯人はスリランカ人の30代の男で、ヨーロッパで働いていた時にイタリア人の妻と結婚していたが、仲たがいし、当時はスリランカとイタリアで別居しており、息子はイタリア人の妻と一緒に住んでいた。

そんな要求でハイジャックするかあ?というような動機だが、イタリア人の妻が協力的で、在タイ・イタリア大使の要請に応じて、すぐさまバンコック行きのフライトでバンコック入りして、犯人の説得を試み、犯人との交渉が成立して、無事に人質全員が解放された。

著者の和田さんは、まさにそのハイジャックを経験した。

当時の飛行機は、後部の座席が喫煙席だったので、スモーカーの和田さんは、後部の座席に座っていて、最後部に陣取っていた犯人の顔がわかる位置にいた。

交渉が成立し、人質は全員解放され、犯人はスリランカに息子とイタリア人の妻と一緒に帰国した。

当時のスリランカでは、まだハイジャックに対する法律ができておらず、到着時は英雄として歓迎されたが、政府が過去にさかのぼって適用される法律をつくったので、すぐに逮捕され、終身刑を言い渡された(その後5年間の懲役刑に減刑)。

スリランカに戻ってすぐ、イタリア人の妻は息子を連れて、イタリアに帰り、結局ハイジャック犯は目的を達成せずに収監されることになった。

それから30年あまり経ち、和田さんはふと、ハイジャック犯が健在なことを知る。刑期が終わった後は、再婚して人生をやり直しているようだ。そんなことを知るうちに、和田さんはハイジャック犯と連絡を取ろうと試みる。

つてをたどって、すぐに本人の連絡先が入手でき、本人に連絡して何度かスリランカに会いに行って、直接本人から話を聞いている。

この本は和田さん自身のハイジャックにあった経験、犯人の生い立ちから、ハイジャックで収監された後再婚して、娘と息子はヨーロッパの大学を出て働いていること、そして日本にはあまり知られていないスリランカという国の政治・社会について詳しく紹介している。



スリランカは、仏教徒のシンハラ人が約75%、ヒンドゥー教徒のタミル人が約15%、イスラム教徒のムスリムが10%という人口構成だ。

シンハラ語で、スリは「美しい」、ランカは「島」という意味だ。

しかし、スリランカは、その「美しい島」という国名にはそぐわない、民族、宗教間の対立が根深く残っており、自爆テロや爆弾テロ、要人の暗殺、それに対する政府軍の報復の空爆や攻撃など、血で血を洗う抗争が続いていた。さらに、社会にはカースト制の残滓が色濃く残っている。

隣国のインドでも、ネルー首相の子孫のガンジー一族は爆弾テロで暗殺されており、テロはスリランカのみの問題ではないが、それにしてもテロなどの脅威からほぼ無縁と思っている日本人には、強烈な印象を与える。

インドでの出来事も含め「第3章 スリランカのたどった道」で、和田さんはスリランカの複雑な政治・社会情勢をわかりやすく紹介している。

著者自らが人質となったハイジャック犯と再会するという珍しいノンフィクション作品であり、なおかつ、あまり知られていないスリランカやインドの民族問題がわかる。

巻末の「関連年表」も、すごい。スリランカでは、ほとんど毎年、政変やテロ・暴動・報復などが起きている。

現在の日本は、政府の新型コロナウイルス対策の失敗で、医療崩壊に陥っているが、それをのぞけば日本は平和そのもので、ほとんどの人がテロなどの脅威を感じないで過ごせる「安全安心」な国だ。そんなことをあらためて考えさせられる本である。


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Posted by yaori at 21:36Comments(0)