2005年08月14日

一勝九敗 社長に復帰したユニクロ柳井正さんの自伝的ビジネス論


一勝九敗

ユニクロの柳井さんが慶応ラガーマン玉塚氏を排して、二年半ぶりに社長に復帰すると発表したので、ひさしぶりに柳井正さんの著書を読み直してみた。

今回のあらすじは長いので、まずポイントだけまとめます。

1.タイトルの一勝九敗が示すとおり、柳井さんでも失敗の方が多かったが、失敗を糧にさらに成長した。

2.ユニクロの成功の要因は、カジュアルウェアのセルフサービスストア、SPA(製造小売業)というビジネスコンセプトと会社としての実行力。

3.ユニクロがこれだけ大きくなったのは上場して得た資金をてこにうまく使ったから。上場して飛躍的に拡大したという点はウォルマートも全く同じ。

4.ユニクロの成功にはすぐれた広告の貢献も大きい。


この本は2003年11月に出版された。柳井さんが玉塚さんに社長職をゆずったのが2002年11月なので、ちょうど社長交代してから1年後にこの本を出したことになる。

柳井正さんは山口県出身で早稲田大学卒業後、イオンに就職するが10ヶ月で退職、父親の経営する衣料品店や建設業の小郡商事で働いた。

父親が脳溢血で倒れ、35歳で社長となる。父親は柳井さんが50歳の時に亡くなるが、葬儀で「ぼくの人生最大のライバルでした」と語り、人前であれだけ涙を流したのは初めてだったと。

上下が女兄弟の唯一の男子で、子供の頃は『山川』というあだ名がついたほどで、他人が『山』といえば『川』というあまのじゃくだったそうだ。

小郡商事は紳士服店とVANショップのカジュアル店を持っていたが、柳井さんが入ってジャスコの経験を元にいろいろ口を出し始めると従業員がどんどんやめてしまった。

最後は柳井さんと番頭の浦さんの2人となり、2人でなにからなにまでやった。このときに小売りのすべての仕事を経験する。

自分でなんでもできるというのが、柳井さんのいい点でもあり悪い点でもあるのだろう。今回の社長交代も玉塚氏に任せておけないということになったのではないかと推測する。

紳士服は20歳以上の男性しか買わないが、カジュアルウェアは世代、性別を選ばないので将来性のあるカジュアルウェア中心のビジネスとしていく。

海外からも仕入れ、ギャップ、ベネトンなどに刺激を受ける。

アメリカの大学生協を訪問したときに、セルフサービスのカジュアルウェア店というユニクロのコンセプトを思い立ち、1984年に広島でユニーク・クロージング・ストア、後のユニクロとなる第1号店を出店し、大成功を収める。

当初は"UNICLO"だったが、香港のバイイング子会社登記の時に間違って"UNIQLO"としたため、こちらの方が格好が良いとしてUNIQLOになった。

直営店とフランチャイズで店舗展開を拡大していたが、規模の利益があまり上がらないので、株式公開を目指す。

熱闘「株式公開」―いまだから店頭登録入門


このとき「熱闘『株式公開』」という本の著者の公認会計士の安本さんに会って、コンサルをお願いするとともに、後にユニクロの監査役になって貰う。

安本さんに言われたことで次の2つが印象に残っていると。
1.株式公開がすべてではなく、社会的に認められる様な会社にしないと、競争社会で生き残っていけない。
2.社長がいなくとも、組織で動く会社にしなければいけない。

経営ってそういうことだったのかと新鮮な気持ちで聞き、改革を始めた。

会社の成長のためには資金調達、出店地域確保、人材獲得が必要で、そのために株式公開を目指す。

1991年に社名を小郡商事からファーストリテーリングFAST RETAILING(早い小売り)に変更。顧客の要望を素早くキャッチして、製造委託して商品化し販売することを目標とする。

自ら「商売人から経営者へ」と語っているプロセスだった。

1991年当時の総店舗数は29店だったが、三年間の中期計画を発表し、年に30店舗ずつ出店し、3年後には100店を越えるので、その時点で株式公開を目指すと宣言。

さらに10年後には売上3,000億円という計画をつくる。これはリミテッド、ホームデポ、ウォルマートの成長の軌跡と一致している。

ロープライスエブリデイ


サム・ウォルトンの自伝を読んだことがあるが、株式公開をてこに、親族経営から大会社へ変身したウォルマートの急激な成長と同じプロセス、同じ様な軌道を描いていると感じた。

やはり株式公開は会社の成長の最高のブースターロケットである。

直営店100を越え、売上も300億円となり1994年7月に広島証券取引所に上場、初日は買い気配、翌日公募株価の7,400円を大きく上回る14,900円で初値がついた。

ユニクロは次の3つの約束をしているが、1995年には「ユニクロの悪口を言って100万円」という広告も出した。

1.購入後3ヶ月以内であれば理由を問わずに返品・交換します。
2.広告商品の品切れの場合は、即取り寄せるか、代替商品を手配します。
3.クリンリネスの徹底した売場をつくります。

当初は岐阜県などの衣料品メーカーから購入していたが、生産の中心は中国に移った。中国各地に品質管理事務所をつくり、『匠(たくみ)プロジェクト』として、日本の繊維産業を退職した熟練技術者を採用して技術指導にあたらせ、品質を高める努力をしている。

なかなか関東圏で成功できなかったが、1998年11月の原宿店で大ブレークした。このとき1900円のフリースを売り出し、そのヒットが原宿店の開店と重なり、ユニクロのイメージが『安いけど、結構いいじゃん』に変わった。

ユニクロの広告宣伝は定評がある。

「ユニクロのフリース 51色」の回転機のCMなど、いろいろな広告作品が記憶に残っているが、これらはアメリカのワイデン&ケネディのクリエイターで日本支社長ジョン・ジェイ氏の力が大きい。

山崎まさよし他の出演する「ミュージシャン、27才」のテレビCMシリーズ。山崎まさよしが自分で語り、最後に「ユニクロのフリース 15色 1900円」というコピーが流れる。

実はカメラに写らないところで、テリー伊藤が質問してそれに山崎まさよしが答えているのだと。CF制作現場で本音を引き出せるのはテリー伊藤しかいなという結論になったそうだ。

すごい発想である。

ユニクロはチェーン店展開しているが、マニュアル人間ではダメである。たとえばこんなことがあった:

雨の降った日に子連れのお母さんが来て、子供が病気なので電話を貸してくれと言って来た。店長はマニュアル通り、私用電話には貸せないと断ったが、後でご主人から猛烈なおしかりがあったと。

マニュアル人間を排し、『独立自尊の商売人』を目指せということでSS(スーパースター)店長制度を導入。なかには年収3,000万円という店長もいる。店長は会社の主役であり、本部はあくまでサポート役で、店長が店舗の経営者なのだ。

ユニクロは実力主義を徹底しており、3ヶ月毎に人事考課をしている。人事考課のためだけの役員会を開いている。賞与は年3回あり、3回目が会社業績による決算賞与である。

出店失敗、ファミクロ、スポクロ、ロンドン進出、上海進出、永田(ながた)農法でつくった野菜を売るFRフーズなど失敗も相次いだ。しかし失敗から学び成功したのだと。

社長を退任した理由は、自分の言っていることが実行されずに、かけ声だけに終わってしまうおそれがあると感じたからだと。

じつはこの部分が最初に読んだとき一番印象に残ったところだ。20〜40代の社員と一体となった経営。会社全体の中で、自分自身が浮いてはいけない。

筆者も常に自分の身を見直さなければならない。

続きを読むには、柳井さんの起業家十戒、経営者十戒を記載したので、ご興味のある方は見てください。そのほかに経営理念23条というものを柳井さんはつくっているが、こちらは割愛した。

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起業家十戒
1.ハードワーク、1日24時間仕事に集中する。
2.唯一絶対の評価者は市場と顧客である。
3.長期ビジョン、計画、夢、理想を失わない。
4.現実を知る。その上で理想と目標を失わない。
5.自分の未来は、自分で切り開く。他人ではなく、自分で自分の運命をコントロールする。
6.時代や社会の変化に積極的に対応する。
7.日常業務を最重視する。
8.自分の商売に、誰よりも高い目標と基準を持つ。
9.社員とのパートナーシップとチームワーク精神を持つ。
10.つぶれない会社にする。一勝九敗でよいが、再起不能の失敗をしない。キャッシュが尽きればすべてが終わり。

経営者十戒
1.経営者は、何が何でも結果を出せ。
2.経営者は明確な方針を示し、首尾一貫せよ。
3.経営者は高い理想を持ち、現実を直視せよ。
4.経営者は常識に囚われず、柔軟に対処せよ。
5.経営者は誰よりも熱心に、自分の仕事をせよ。
6.経営者は鬼にも仏にもなり、部下を徹底的に鍛え勇気づけよ。
7.経営者はハエタタキにならず、本質的な問題解決をせよ。
8.経営者はリスクを読み切り、果敢に挑戦をせよ。
9.経営者はビジョンを示し、将来をつかみ取れ。
10.経営者は素直な気持ちで、即実行せよ。
Posted by yaori at 01:02│Comments(0) ビジネス | 柳井正