2006年01月21日

史上最短で、東証二部に上場する方法 元気が出るサクセスストーリー

史上最短で、東証二部に上場する方法。


2006年1月21日追記:

『野尻佳孝』あるいは、『明大中野』で検索されて、当ブログを訪問される方が急増しているので、テイクアンドギブニーズの野尻佳孝社長の本のあらすじを再掲する。

非常に面白い本なので、是非一読をおすすめする。



サイバーエージェントの藤田晋氏とか堀江貴文氏とかを何回か紹介してきたが、彼らの本の中でも紹介されているハウスウェディング業のテイクアンドギブ・ニーズ社社長の野尻佳孝氏の元気の出るサクセスストーリーである。

本の帯には野尻流『成功の方程式』と書いてあるが、野尻氏の成功の秘訣が自身の言葉で書いてあり面白い。

成功の秘訣を筆者なりに要約すると、次の3点である:
(1)『日本1の負けず嫌い』
(2)パラノイド(偏執狂)的行動力
(3)ビジネスモデル

インテル元社長のAndy Grobeの今や廃本となった"Only Paranoid Can Survive"を思い出す。ベンチャー企業が成功する確率は千三つかもしれないが、野尻氏と同じようなパラノイド的起業マインドと驚異的行動力を持てば、日本でもアメリカでも成功する確率はぐっと上がるだろう。

凄い行動力だ。


チーマー時代から明治大学ラグビー部まで

野尻氏は電気工事会社社長の次男として生まれた。芸能人がよく行く明大中野中学・高校に進学。同級生は貴乃花だ。

信じられない様な金持ちの友人の家に行き、成功=社長=起業を決意する。

中学時代はチーマー(繁華街の遊びグループ)のリーダーとして渋谷を夜な夜な闊歩して、パーティ券を売って月収100万円越えたこともある。

友人の喧嘩死を機に、チーマーをやめラグビーに集中し、明大中野高校で花園(全国高校ラグビー大会)に行く。

明治大学に進学して、『ラグビー部に入れば行きたい企業に行ける!』と考え、ラグビーを続けた。

明大ラグビー部の話が面白い。

4月1日の始業式に来た入部希望者は入部させないという掟があると。入部を許されるのは3月半ばに内々に声がかけられた人間のみが参加する新人合宿に参加した者のみ。

当時は部員が150名を越えており、10軍まであった。上級生には『はい』『いいえ』『あのちょっと』しか使ってはならない。『シボリ』というお仕置きがあり、『腕立てエンドレス』とか『グラウンド走エンドレス』とか要するに『しごき』である。

合宿所の話はなにか帝国陸軍の話の様だ。上級生が『おーい』と叫ぶと『はーい』と返事して全員10秒以内に駆けつけなければならない。全員そろっていないと即シボリだ。

渋谷でチーマーをやっていたので、先輩に合コンをアレンジしろと言われ、なおかつ夏の真っ盛りにランニング、短パンにスキーブーツ、スキーをかついだ格好で渋谷に来ることを命じられる。おまけに先輩に命じられ、その場で四つん這いとなる。

度重なる屈辱的かつ理不尽な仕打ちに耐えた結果、プライドは失せ、芸をやれと言われれば、物まねでもなんでも体を張って笑いを取ることができるようになった。良い意味でも悪い意味でも人間性が変わり、驚異的な忍耐力がついたのだと。

明治大学ラグビー部出身者はどこへいっても有数の稼ぎ頭になるという。さもあらんと。

こんな話、明治大学ラグビー部出身のスター松尾雄治氏の本にはなんにも書いてなかったが…。

勝つために何をすべきか―新日鉄釜石の「やる気」ラグビー


野尻氏は体は小さいが、誰よりも長く練習し、負けず嫌いの根性のタックルが武器だ。食事がまずい合宿所の食事も2人分食べ、無理矢理スタミナを維持し4年の時には1軍の試合にも出場した。


就職と独立

まずはラグビーのオフに広告代理店や新聞社のインターンシップに参加し、大企業の雰囲気を知る。

経営者を目指す者としては組織の一員として経験を積むことは必要であると考え、起業が目標だが3年間はサラリーマンとして働くとして、ベンチャー企業支援部(とラグビー部)のある住友海上に就職。

サラリーマン時代はおそらく『社内で一番不遜な社員』だったろうと言っているが、ベンチャー企業支援部という部署を最大限に活用し、3年間で200人以上のベンチャー企業経営者と知り合いになり、営業成績もトップクラスだった。

予定通り3年で退職準備を始め、自分の得意分野である『イベント企画』のビジネスモデルを考え、ブライダルビジネス業界を調査したところ、年間10兆円もの巨大市場ながら、大手企業は一社もないことがわかる。

それならば自分のイベント力を生かして、膠着したブライダル業界にブームをおこしてやろうと決意して、住友海上を退職する。狙ったビジネスモデルは外国映画で出てくるようなハウスウェディングだ。退職の日に好きだったたばこもやめ、サービス業に生きることを決意。

3ヶ月の期限付きでウェディングプロデュースの会社『プラン・ドウ・シー』でブライダル業界のノウハウを学ぶ。

明大中野の後輩中川氏を誘い、ブライダル会社でのアルバイトだった堀田氏も入れて起業メンバーとする。資金は住友海上時代に知り合った企業経営者数名に頼み込んで、一人最大500万円の出資金を集め、資本金2000万円の株式会社としてスタートする。

最初は渋谷の家賃2万円のウィークリーマンションの一坪ほどの一室をオフィスにして1998年10月に会社を立ち上げる。

家賃2万円、3人分の給料15万円(一人5万円)という極限のコスト削減の中から、『ゼクシイ』への広告料80万円を払い、広尾の『イル・ブッテロ』を使ってのハウスウェディング広告を出す。

その年のクリスマスまでに20件を成約、事務所も南青山の10畳ほどのワンルームに移る。

最初のウェディングは大成功、新郎新婦のご両親からも感謝される。『お客様にサプライズを』をモットーに料理の達人風のアレンジや、様々な趣向でお客に喜ばれるが、その反面直営店の必要性も浮上する。


非IT業界ゆえの苦闘

創業1年半の2000年3月に売上高4億3千万円、利益3、200万円を達成するが、『IT業界』でないとして、ベンチャーキャピタルから相手にされず悔しい思いをする

それならとベンチャー経営者から出資を募ろうと、名簿を使ってダイレクトメールを送るが不発。

日本ベンチャー協議会がサロン21というバーを運営していることを知り、なんとか知己を得ようと入り浸りシートゥーネットワークの稲井田社長、日商インターライフの天井社長の目にとまり、事業説明の機会を得る。

稲井田氏より必要資金全額出資の約束を取り付けるとともに、天井氏から『君は面白いヤツだなあ。よし他の社長さんたちに紹介してやろう』ということで、他の社長にも紹介して貰い5億円の増資に成功した。

この資金を活用して第1号の直営店の『アーカンジェル代官山』が2001年8月に完成、1,000人を招待しての大パーティを行う。

同時期に会社上場準備も進め、野尻氏は他の社員の誰よりも長時間働く様になったが、経営者としての業務に集中するうちに、社員との距離が生じるようになっていった。

利益目標をつくり、社員を叱咤激励し、『スパルタ経営』を押し進めて社員のストレスも最大限となっていた。

当時社員数80名で、幹部は明大中野出身者で固めていたが、他の社員にはわからない社長の孤独感を味わう。上場後すぐ創業時のパートナー2人も独立し退社する。

この時に親交ができたのがサイバーエージェントの藤田晋氏とライブドアの堀江貴文氏、タリーズジャパンの松田公太氏だ。


ナスダックジャパン上場から発展期へ

2001年12月にナスダックジャパン(現ヘラクレス)に上場する。創業してから3年2ヶ月のナスダックジャパンの上場最短記録だったが、調達できた資金はわずかに3億円で、IT業界との差を痛感する。

ブライダル業界が株式市場はもとより世間に認知されていないという反省の元に、積極的にIR活動を展開し、ブライダル業界全体の底上げと顧客満足度向上を目指す。

最近の不動産業界でははやりのようだが、SPC(特別目的会社)を利用してリスクを軽減する斬新な方法で、直営店を地方にも展開し2003年3月の決算では売上高53億円、経常利益5億円弱を達成。

様々な趣向と、冷凍物を一切使わない等、仕込みに約1週間かける妥協のない料理で、顧客満足度を上げる努力を行い、差別化を図る。

おちまさと氏の協力で、『映像革命を起こす』という合い言葉で映像をつかった『結婚前夜』、『エンドロールムービー』、『なりきり記者会見』、『ボイス招待状』、『ウェイトベア』など、作詞家の秋元康氏の協力で芸能人からのビデオメッセージ、アントニオ猪木からのメッセージ、会場での花火など様々な企画がテイクアンドギブ・ニーズの強みである。

2004年2月に東証第二部に上場。東証第一部上場を目標とする。

サプライズとカインドネスの精神がテイクアンドギブ・ニーズ社のキーワードである。

興味をそそられるブライダル事業モデル、会社である。

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Posted by yaori at 10:37│Comments(0) ビジネス | 起業