ザ・サーチ グーグルが世界を変えた
ベストセラーになっている梅田望夫さんの『ウェブ進化論』にもしばしば引用されているグーグルの歴史を詳しく説明した本。
グーグルのビジョンは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」だと梅田さんは紹介しており、世界で最も注目されている企業の一つだ。
著者のジョン・バッテル氏はアメリカのインターネット業界紙Wiredの共同創刊者であり、グーグルと検索業界の歴史を400ページにもわたって詳述している。
バッテル氏は、エピローグで「検索ボックスに自分の名前を打ち込み、不安げにその結果を待ったことがあるあなたへ」と呼びかけ、古代アッシリア文明のギルガメシュ叙事詩に関連して次のように書いている。
「粘土に刻まれて不滅となることは、ビットとなりウェブに移されて不滅になることは、果たしてなにを意味するのだろうか…。検索も、同じ不滅の痕跡…。かつて先人たちが石に物語を刻んだように、現代のわたしたちは、グーグルなどのインデックスに、永遠に生き続けるのではないか」
このブログでも亡き友の名前で検索して、訪問される人が時々おられる。サーチワードで亡き友の名前を見るたびに、筆者も『不滅の痕跡』を感じている。
グーグル前
インターネットの検索はクローラー、インデックス、クレリープロセッサの3つから成り立っている。クローラーが取得したウェブ上の情報を、インデックスをつけて蓄積し、クエリープロセッサでユーザーが入力した検索ワードを順番をつけてアウトプットするという基本構造だ。
インターネット検索は1990年のカナダの学生が開発したアーチーが最初で、ネバダ大学の学生が開発したベロニカ、MITのワンダラーと続き、後にコンパックに買収されるDECのアルタビスタと続く。
アルタビスタ検索はDECが自社製高性能64ビットコンピューターアルファサーバーの使い道として開発した用途だった。実は筆者の会社の初代のシステムはこのアルファサーバーを使って構築されており、その意味でも感慨を感じる。
Yahoo!の検索エンジンは、1990年代後半はアルタビスタ、次にインクトゥミ、グーグルと変わっていく。
Yahoo!はジェリー・ヤンとデビッド・ファイロの二人が1994年に"Akebono"という相撲の曙から名前を取ったホームページをスタートさせ、これが1995年に名前を変えてYahoo!となる。
グーグル誕生
スタンフォード大学院博士課程のコンピューターサイエンスに在籍していたラリー・ペイジとセルゲイ・プリンが逆リンクに基づいた検索技術とページのランキングシステムを開発し、1996年8月にGoogle Version 1.0がスタンフォードのウェブサイトでスタートした。
GoogleはGoogol(10の100乗、天文学的数字)にちなんで名付けられた。
検索エンジンには多大なコンピューターのリソースが必要だが、彼らは新しいコンピューターを買う金がなかったので、余った部品と機材で作り上げたコンピューターを使ってサービスをスタートした。
このDIY精神でつちかった独自OSと、しくみが、数万台の巨大システムを使った分散型コンピューティングを可能としたのだ。
1998年9月にペイジがCEO、ブリンが社長となってグーグル株式会社がスタートした。
1999年には2大ベンチャーキャピタルのクライナーとセコイアからの投資を含め1億ドルの資金を得て、クライナーのパートナーでシリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストジョン・ドアー(John Doerr)とセコイアのパートナーマイケル・モリッツが役員として加わった。
検索で儲けるにはバナー広告が一番簡単だが、それをやると恐ろしくページの負荷と画像処理時間が増えるという理由で、グーグルのホームページには広告が一切ない。モリッツの表現を借りればこの『広告アレルギー』に立ってグーグルはビジネスモデルを捜すことになった。
オーバーチュアの誕生とグーグルの台頭
検索連動型広告でグーグルと競合するオーバーチュアは、アイデアラボというネットベンチャー育成会社を持つビル・グロスが1998年に設立したGOTO.COMが母体だ。
初期の検索エンジンはスパムに弱く、何を検索してもアダルトが出てくるという状態だったので、スパムを消す必要コストを広告主に負担して貰おうという発想で検索連動型広告は始まった。
当初、キーワードを1セントから上限2ドルと設定したところ、広告主は急増した。
自社サイトのみならず、他社に検索連動型広告をシンジケーションする手法を進め、2000年にAOLのトラフィックを独り占めできる契約を結んでからは一挙に黒字化した。
しかしGOTO.COMとシンジケーションサイトとの競合問題が起こり、2001年9月にGOTO.COMは自社サイトを閉鎖し、オーバーチュアと社名を変え裏方のシンジケーションビジネスに特化する。
一方グーグルはアドワーズ広告を始め、オーバーチュアとは逆に検索専用サイトとして急速にトラフィックを集める様になる。
オーバーチュアはグーグルを特許侵害で訴えるが、勢いは完全にグーグルに移る。オーバーチュアはその後Yahoo!に買収された。
グーグルの成長
2000年6月にYahoo!が検索エンジンをインクトゥミからグーグルに変えたことで、グーグルは急成長した。
2001年のグーグルの収入は8,500万ドルに対し、オーバーチュアは2億9千万ドルと大きな差があったが、グーグルはアドワーズ広告に人気という概念を導入し、単にコストだけで決まるオーバーチュアと差別化に成功する。
検索連動型広告アドワーズは2000年10月にスタートした。クレジットカードさえあれば5分で広告をスタートできるというのが売り物で、一挙に爆発的に伸びる。
パテントを取得した独自のOS、部品、空調、組み立ての分散型コンピューティングが急成長を支えたのだ。
2001年7月にはノベルCEOのエリック・シュミットをCEOに迎え、ページ、ブリンの三頭体制となり、従業員も200名となった。
2002年5月にAOLとの契約でオーバーチュアに勝利してからは、急成長し2002年末には従業員1,000人以上、コンピューターインフラは10,000台以上となり、収入も4億4千万ドルと前年の5倍となった。
人間は検索エンジンを使ってものを探すようになったのだ。
少人数のエンジニアがプロジェクトチームを組織して、ブリンとペイジ他が優れたプロジェクトを選び、開発費と人材を投入するというコンペ方式開発の経営手法を導入したのもこのころだ。
2003年3月にはアドセンスを導入、個人ブログがチャリンチャリンとトラフィックを現金化できる広告ビジネスを新しいビジネスモデルとして開始した。
グーグル上場
グーグルは2004年8月に二重構造をもつ特異な株式会社としてナスダックに上場した。
株の売り出しについてはオークション方式。ページとブリンが30%の株式を保有するが、公開する株の10倍の発言権を持ち、会社の決定には全面的な支配権をふるえる。これはダウジョーンズとかワシントンポストなどメディア企業でも例があるやり方であると。
株価は85ドルで上場したが、その後急上昇し、現在は400ドル弱となっている。
検索とプライバシー 完全な検索をめざして
グーグルは"Don't be evil"を社是としているが、グーグルのGメールはメールの内容を判断して適切な広告を載せる、またグーグルのGDS(デスクトップサーチ)はパソコンのハードディスクのコンテンツをインデックス化できる。
グーグルは個人のプライベートなデータを収集できるしくみを持っているのだ。
米国には愛国者法があり、政府が容疑者と判断すれば、プライベートなデータ通信を傍受できる権限が与えられている。
政府の圧力で、グーグルがため込んだ個人プライバシー情報が政府にわたないとも限らないのだ。
グーグルは中国に進出するにあたって、禁止されたサイトが表示されないようにした。中国で権力に屈したグーグルが、アメリカでも権力に屈する可能性もあるのだ。
そうなるとまさにターミネーターのスカイネットの世界である。
豊富な資金を使って、新しいサービスを導入し、『完全な検索』をめざしているグーグル。プライバシー侵害や、クリック詐欺などの懸念はあるが、人間生活を変えるだけのパワーがある最も生きのいい会社であることは間違いない。
400ページもの対策で、根を詰めて読む必要があるが、グーグルについて相当くわしくなれる良い本だった。
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