
牛角、am/pm、成城石井を傘下に持つレックス・ホールディング社長の西山和義氏の自伝。
サイバーエージェントの出版部門アメーバブックスが出しているサイバーエージェントの藤田晋社長、テイクアンドギブニーズの野尻佳孝社長、フルキャストの平野岳史社長に次ぐ成功したベンチャー企業社長の自伝シリーズだ。
「『泣けた!』自信を持ってお薦めします」 とのサイバーエージェント藤田晋社長のすすめの言葉が表紙を飾る。
最初に奥さんが脳腫瘍の手術を受けた時の話から始まる。「必ず生きて帰ってきてくれ」。
「きれいに直してあげる」と言っていた横浜国立医療センターの脳外科の名医藤津和彦医師を選び、12時間にもおよんだ手術は見事成功した。
実は筆者は5歳の時に骨髄炎で左腕を手術した。今でも手術跡が残っているのだが、その手術はまさに横浜国立医療センター、昔の横浜国立病院でやってもらったものだ。
50年近く前の、まるで学校の校舎の様な板張りの廊下が思い出される。筆者の一番古い記憶の一つがこれである。なにか因縁を感じさせるような出だしだ。
西山氏は1966年生まれ、お父さんは不動産会社を経営していたが、宅建売買の仲介業はアップダウンが激しく、羽振りの良い時もあったが、結局倒産してしまう。
西山氏は東京生まれだが、高校は土浦日大高校で寄宿舎生活をし、バスケットボール部でしごかれる。
日本大学に進学し、在学中にイベント会社を起業する。
若くして独立でき、成功する為に起業するなら不動産業がいいだろうと考え、不動産業界で勉強するために大学を中退し、小さな不動産賃貸管理会社に入社した。
徹底的にマークした先輩は、圧倒的にクライアント数が多く、業者と一緒に食事したり飲みに行ったりして電話をもらえるような状態をつくり、まめに働いていた。「出来る人はやっている」。
セオリーを真似て仕事を覚え、トップセールスマンとなり、1年で独立し賃貸物件の管理会社を設立した。1987年のことだ。
ところがうまくいかない。
21歳で独立した西山さんにはチームワークの強みがわかっていなかったと。一人雇えば一人辞めてしまう状態が続き、しかたなく賃貸物件の仲介業に乗り出す。
集まった営業マンは完全歩合制の一匹狼ばかりで、傍若無人に振る舞う営業マンを見て見ぬ振りをしているしかなかった時に、600万円の会社資金が盗まれる事件が起こる。
結局職人の様な営業マンを使って仕事をしているから伸びないのだと考え、社長でありながら、マクドナルドのシステムを学ぶためマクドナルドでのアルバイトを始める。
アルバイト中心ながら、みんな楽しく仕事をしている秘訣はマクドナルドは顧客の満足を追求しており、それが従業員満足にもつながるということだとわかる。
マクドナルドにはアルバイトの評価制度があり、結果は公表されている。休憩室ではノウハウを習得するためのビデオが常に流れていた。誰もが自分のステップアップのために学び続けていた。
西山さんは自分の会社にはビジョンや夢がなく、社員が勉強したくなるようなシステムをつくっていなかったことに気が付いた。
マクドナルドのノウハウを不動産業に活かしたい。仲介業から撤退し、賃貸物件管理を強化し、小中学校の同級生と内装工事の新事業を立ち上げた。
綱渡りの資金繰りを乗り切り、年商3億円、利益2千万円程度の会社になったとき、ベンチャー企業の経営者が集まる座談会に出席し、司会者の差別化という質問に他の出席者が的確に答えているのに、自らは答えられないことにショックを受ける。
差別化を図りたい。不動産業では差別化は難しいので、飲食業で安くておいしい料理を提供して差別化をすることを思いつく。焼肉屋に進出したきっかけは、なにげなく出かけた近所の焼肉屋だった。
安くて繁盛しているが、サービスは最低。
もっと安くて、おいしくて、サービスが良くて、雰囲気の良い焼肉屋をやれば成功するんじゃないか。閃光のようなひらめきだったと西山さんは語る。
職人不在でアルバイト主体の店をつくり、単価3,000円で提供する。安い労働力で良いサービスを提供すれば、その分を原価にまわして良い肉を提供できる。カルビで一皿490円で提供する。
マクドナルドで学んだことを利用して、こんなビジネスモデルでスタートした。
初めは『焼肉店』という本で勉強した。

しろうとの熱心さで肉屋をまわり、なんとか安くておいしい肉を出してくれるところが見つかり、1996年1月に三軒茶屋の駅からあるいて12分のところに焼肉市場七輪をオープン。
ところが客が来すぎて対応できず失敗、客は怒って帰る。
しかしオープンの失敗をお客の意見を聞くことでサービスを改善。悪口を言って300円割引ということを始めた。同じ悪口が5回続いたら即改善だ。
「喜んで!」牛角でおなじみのかけ声を始めたのもこの頃だ。
某総合商社の生い立ちの頃、熱心なしろうとは怠情なくろうとにまさるという気概で、戦後すぐスタートしたことを思い出させるストーリーだ。
同年に2号店を出店、フランチャイズ化を目的に日本エル・シー・エーというベンチャーリンクの関連会社にコンサルを受ける。
29兆円の外食産業のうち5,700億円が焼肉市場。店は17,200店。という風に分析的に考え、統計上最も頻繁に飲食店を利用するのは20代から30代前半の若年層というのがわかり、単価3,000円でその年代をターゲットとして、ベンチャーリンクとの業務提携でフランチャイズ展開を始めた。
社名をレインズ・インターナショナルにしたのは1998年だ。REINSとはRetail, Entertainment, Inspire, New, Surpiseの頭文字を取ったものだ。
アルバイトの呼び名もパートナーと変えた。
パートナーには『理益』という理念を説明している。つまり感動創造という会社の理念に基づいた利益を得る、お客様に喜んで頂いた結果として利益を得る。そして働く喜びを味わい、社員は給料を受け取るという具合だ。
1号店開店から4年弱で50店舗を有するチェーンとなったが、マネージメントのレベルが悪いとベンチャーリンクより指摘される。
社内組織風土診断を受けると、西山社長のワンマン会社という結果が出た。
自らも反省し、いっそう双方向のコミュニケーションに努めることを決意する。
現場にも理念を徹底指導した。
「安くて、おいしくて、サービスがよくて、雰囲気がいい店をつくるのが、牛角の商売の大前提で、お客様に喜んでもらって、リピートしていただき、売上が上がって、利益が出るという順番以外なにもないのだ」
成長の踊り場を越え、2000年5月には100店を越え、2000年12月にはJASDAQに店頭売買銘柄として株式公開した。西山社長は不動産屋時代からの社員の大内社長など、同志にも恵まれている。
株式公開後、日本ベンチャー協議会に参加し、会長のフルキャストの平野社長や、宇野社長、三木谷社長、光通信の重田社長、藤田晋社長、野尻佳孝社長、GMOの熊谷社長などと公私にわたってのつきあいが深まった。
人と出会うことで成長につながり、自身が成長することによってまた新たに多くの方々と出あることができ、その喜びははかりしれないと西山氏は語る。
大切なのは情熱と科学
パッションとサイエンス。西山社長がパートナーたちによく言う言葉だ。想いと仕組みとも呼ぶ。
レックスホールディングではパートナーズ甲子園ならぬパートナーズフォーラムを毎年開催して、パートナーたちの経営参画プロジェクトを支援し、研鑽の場所を提供している。
なるほどと思う。
マクドナルドもよくできた仕組みがあるのだろうが、牛角もパートナーの意識アップという意味では負けていないと思う。
レックスホールディングは米国に上陸し、ハワイやロスアンジェルス、ニューヨークに店舗を展開。
買収ではレッドロブスター・ジャパン、am/pm、成城石井を買収。
変化する時代背景をつかみ、新しい便利を、付加価値を、感動をお客様に提供していきたいと西山社長は語る。それが10年後の小売業を支えているはずであると。
「お客様に喜んでいただきたい」という想いは必ず届くのだと。
先週末たまたま家族で牛角で食事をしたが、この本を読んでさらに牛角、成城石井を応援したくなった。
是非感動を与えてくれる小売業、外食産業となって欲しいものだ。
読みやすく良い本だった。西山社長にがんばれとエールを送りたい気持ちになった。
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