2008年01月28日

再掲:夜と霧(原題:心理学者収容所を体験する) ヴィクトール・フランクルの不朽の名作 

2008年1月28日追記:

ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読んだ。

それでも人生にイエスと言うそれでも人生にイエスと言う
著者:V.E. フランクル
販売元:春秋社
発売日:1993-12
おすすめ度:4.5
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たしか本田直之さんのレバレッジリーディングに、推薦されて居たのではないかと思うが、別の本かもしれない。記憶が不確かだ。

この本は、以下にあらすじを紹介する名作「夜と霧」の著者、心理学者のヴィクトール・フランクルが、強制収容所から解放された翌年の1946年にウィーンの市民大学で行った講演を集めたものだ。

内容は「夜と霧」と重複する部分が多いので、詳しいあらすじは記さないが、フランクルが強制収容所生活を生き延びることができた理由として、「人生の問いのコペルニクス的転換」を挙げているので、これを紹介しておこう。

生きることに疲れた人に対して、フランクルは、ものごとの考え方を180度、コペルニクス的転換をして、「私は人生にまだなにを期待できるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているのか」を問うべきだという。

「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから間違っているという。

私たちは人生に問われている存在なのであると。

日本では自殺者が年間3万人以上いる。警察庁の統計を見て頂きたいが、2万強で推移していた自殺者数が、平成10年から一挙に1万人増え、3万強となっている。

首都圏では、人身事故で電車が遅れない日は、ほとんどないという現状だ。

このあらすじを読む人は、自殺など考えたこともない人が、ほとんどだろう。

しかし、万が一魔が差して、自殺を考えるような時が来たら、是非このフランクルの「夜と霧」を読んで、24歳の美しい妻をはじめ、家族すべてをナチスに殺され、自らも強制収容所に収容されてもなんとか生き抜いた心理学者の話を読んで欲しい。

そして「生きる意味があるか」を問うのではなく、「人生は私になにを期待しているのか」を考えて欲しいと思う。


2006年11月27日初掲:

夜と霧 新版夜と霧 新版
著者:ヴィクトール・E・フランクル
販売元:みすず書房
発売日:2002-11-06
おすすめ度:5.0
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ナチスにより強制収容所に入れられ、九死に一生を得て生還した心理学者ヴィクトール・フランクルの不朽の名作。

原題は「心理学者収容所を体験する」という簡単なもの。副題が「夜と霧」だった。

夜と霧とは夜と霧に紛れて、人々が連れ去られた歴史的事実を表現するものだ。

筆者は1978年から1980年まで軍事政権下のアルゼンチンに2年間駐在した経験があるが、当時の軍事政権は反政府的な行動・言動をした人を、まさに夜と霧に紛れて連れ去り、密殺していた。

この蒸発者は2万人ともいわれ、『汚い戦争』と呼ばれていたものだ。

フォークランド紛争の敗戦で、軍事政権が倒れ民主政権となってからは、大々的に『五月広場(大統領府の前にある広場)の母たち』として、蒸発者の親たちが集団で抗議行動をしていた。

軍事政権下で多くの人を殺した実行犯が告白を始め、次第に事実が明らかになってきたが、戦争中のナチス政権下でなくても、普通の国のアルゼンチンでさえ、『夜と霧』があったのだ。

スティーブン・コビーの大ベストセラー『7つの習慣』にも、強制収容所という極限的な環境の中でも、いかにふるまうかという人間としての最後の自由を奪うことはできないとヴィクトール・フランクルの言葉が紹介されている。

7つの習慣―個人、家庭、社会、人生のすべて 成功には原則があった!7つの習慣―個人、家庭、社会、人生のすべて 成功には原則があった!
著者:スティーブン・R. コヴィー
販売元:キングベアー出版
発売日:2008-08
おすすめ度:4.5
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フランクルはドストエフスキーの言葉を紹介している。「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」。

最期の瞬間までだれも奪うことができない人間の精神的自由。

それは、どのような覚悟で生きるかだ。生きることが意味があるなら、苦しむことにも意味があるはずだという考えだ。

こう書くときれい事のように聞こえるが、この本を読んでみると強制収容所という環境での様々な人間模様と、生き方が実体験として冷静に描写されており、深い感動を覚える。

フランクルの家族は全員収容所で亡くなったそうだが、家族がどうなったかなど、個人的なことは一言も書いていない。

ただ単に当時24歳だった奥さんへの愛が、フランクルが生き続けることができた理由だと書いてあるだけで、感情を押し殺した冷静な描写には驚くばかりである。

ヴィクトール・フランクルは家族と一緒に、アウシュヴィッツにまず送られた。

到着してすぐにカポーという収容所への協力者に気づく。魂を売り渡した被収容者だ。最初に選別され、左と言われた人(ほぼ90%)は、到着してすぐガス室直行だ。

フランクルはシャワーノズルから(殺人ガスでなく)水が出たので、みんな冗談を言い合ったことを最初の反応と言っている。

死と隣り合わせの生活で、感情はなくなり、常に飢えている、そんな状態でも(生きているのか死んでいるのかわからないが)、奥さんの姿を心の中で見ることで、至福の境地になれるのだと語る。

収容所の様々な風景、人間模様が描かれているが、時として衝撃の話が出てくる。

フランクルはアウシュヴィッツからガス室のないドイツのダッハウ収容所に移送され、そこで解放された。

アウシュヴィッツに残った仲間の一人と再会したが、アウシュヴィッツは最後は人肉食が始まり、地獄となっていたのだと。

収容所の1日は1週間より長いと言うと、収容所仲間は一様にうなずいたという話も驚くべき話だ。

全編を通じて、精神力/気力がゆえに、人は極限状態でも生存できるということを強く感じる。

たとえば1944年のクリスマスと1945年の新年の間にかつてないほどの死亡者がでたのも、クリスマスまでには解放されるという素朴な希望にすがって生きていた人たちが、落胆と失望にうちひしがれたからだ。

生きていることに何も期待が持てない人たちはあっという間に崩れていったと。

収容所の監視側でも人間らしい人はいた。

ダッハウ収容所の所長は親衛隊員だったが、被収容者のために自費で薬を買ってこさせていた。解放後はユダヤ人被収容者がアメリカ軍から所長をかばい、アメリカ軍占領後もアメリカ軍からあらためて収容所長として任命されたのだ。

旧版訳者の霜山徳爾さんの言葉や、訳者の池田香代子さんのあとがきも良い。霜山さんはフランクルと個人的にも親しく、自らも戦争に行った経験を持ち、特攻を黙認した天皇に対して、血が逆流する想いが断ち切れないと。フランクルの書は大いなる慰めであると。

訳者の池田さんは、この本の旧版と新版で違う点を指摘している。旧版ではユダヤという言葉が一言も出てこないのだと。

新版でもユダヤ人が出てくるのは上に紹介したダッハウ収容所長の話のところだけだ。

改訂版が出た1977年はイスラエルが第4次中東戦争で勝利して、ユダヤ人移住を奨励し始めた年だ。

被迫害者が迫害者となって、パレスチナ人民を追い出している。そんな情勢を憂えて、立場が異なる人たちが尊厳を認め合うストーリーとしてこの話を入れたのではないかと語っている。

原題の「心理学者収容所を体験する」が示すとおり、冷静すぎるほど冷静な収容所体験談である。

冷静な描写ゆえに深い感動を呼ぶ。

是非おすすめできる一冊である。


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Posted by yaori at 19:42│Comments(2)TrackBack(1) ノンフィクション 

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経営者の家族【堀田信弘のリーダー養成塾 HottaWorld::「活・喝・勝」】at 2007年01月08日 10:29
この記事へのコメント
5
半分迄,読んだのですが,読む事自体が怖くなり,罪に感じ,民主党応援仲間に貸して読んで貰ってます。冒頭の収容所実態の説明で,驚愕的だったのは,処刑方法が生きた侭,女性を焼却炉に入れる。或は,母親が処刑の為,脱がされた囚人服を子供に被せ,助かって欲しい一縷の望みを託す。処刑を執行する者と母親の愛情満ちた場面が余りにも対照的で,それなりにでも満たされた日本での生活が如何に幸せか,物,金に振回される生活が如何に哀れか,猛省させられる最高の人類必読の書と言えましょう。
Posted by RTYH at 2009年09月10日 08:59
5
絶望の淵から這い上がろうと,西洋の節日のクリスマスに開放されるのではないか,との,期待感が,共通心理で湧いて来る。が,それを通り超え,絶望感が監獄に蔓延し,ばたばたと倒れて行く。フランクルは,その光景が目に焼き付いた。日頃,それ程,重要に思えない惰性的に通過する節日が異常事態になると,此処迄,待ち遠しくなるのか?二度と,この様な悲劇は繰返さないで欲しく。
Posted by RTYH at 2009年10月26日 16:45