2007年04月29日

編集者という病 幻冬舎社長見城徹さんの魂のデスマッチ

編集者という病い
編集者という病い


今、出版業界で最も勢いがある幻冬舎社長の見城徹さんのエッセーを集めたもの。

見城さんといえば、石原慎太郎のポン友で知られるが、この本を読むと多くの作家やミュージシャンと、ただならぬつきあいをしていることがわかる。

筆者も一度だけ見城さんと会ったことがある。4年ほど前に関東では最大手の本屋チェーン文教堂の新年会に行ったら、上場直前で投資者説明会(ロードショー)の最中だった見城さんが来賓挨拶をしたのだ。

幻冬舎が6人でスタートしたばかりの頃、近くの文教堂に行って、いずれは自分たちが出した本が文教堂の売り場で平置きにされることを夢見て仕事していたと。厳しいスタートアップの時代を思い出して、見城さんが言葉に詰まっていたことが印象的だった。

その見城さんが現役編集者としての総決算として、親友の高瀬さんの太田出版から出した本がこれだ。


伝説の編集者

見城さんの仕事の実績はすごい。

まずは新卒として入社した廣済堂出版で、たまたま公文式と出会い、「公文式算数の秘密」でいきなり30万部のベストセラーを出し、公文式を全世界に広めるきっかけとなった。

次に太田出版高瀬社長の紹介で、角川にアルバイトで入り、頭角を現す。

角川春樹社長が「この人は爆発的に売れる作家になるから」と、森村誠一氏を担当させてくれ、400万部のベストセラーとなった「人間の証明」やその映画化など、角川春樹社長の部下として角川書店を飛躍的に拡大させた。

見城さんが入社したときは角川はブランドではなかった。角川とは仕事しないという作家だけと仕事をしようと考え、五木寛之、石原慎太郎、水上勉、有吉佐和子など、多くの作家から見城さんが初めて仕事を取ってきた。


見城さんの交友録

次が見城さんの交友リストだ。見城さん自身がそれぞれの人とのエピソードを紹介してる。

それぞれ面白いエピソードばかりだが、一部だけ紹介しておこう。

1.尾崎豊
  尾崎豊は「誰かのクラクション」、「普通の愛」、「白紙の散乱」、「黄昏ゆく街」で、「堕天使達のレクイエム」という5冊の単行本を出している。すべて見城さんの角川時代のものだ。

堕天使達のレクイエム (角川文庫)
堕天使達のレクイエム (角川文庫)


尾崎豊とは一瞬も気をつけないつきあいだったと。

誰も信じられない、常に「あなたは尾崎豊ひとりだけを愛してくれますか?」と踏み絵を他人に求める。生きていく限り救いはなかったのではないか。

見城さん、音楽プロデューサー、アートディレクターの恩有る3人の最後の砦と決別した尾崎豊は、破滅に向かい、泥酔して死んだ。小心者なのに、ヒリついていた。

音楽プロデューサーが尾崎が死んだという知らせを見城さんによこしたとき、「見城さん、悲しいけどなんかホッとしましたね」と言ったという。それは非難されることではなく、全身全霊を尾崎豊に捧げてきた見城さんと彼にとっては実感なのだと。

2.石原慎太郎

ポン友の石原慎太郎には、「弟」、「老いてこそ人生」という本を幻冬舎で書いて貰ったが、本当は「老残」という小説を書いて貰いたいと。「太陽の季節」でデビューした作家が、老残を書くのだと。

3.安井かずみ
4.山際淳司

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))
スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))


スポーツノンフィクションなどで有名な故山際淳司さんとも、深いつきあいだった。

5.鈴木いずみ
6.中上健次
7.坂本龍一
8.松任谷由実
松任谷由実に「ルージュの伝言」を書いて貰ったら、直前に出版をとりやめたいと言ってきた。

「自らの人生や、自らがつくった歌の背景、自らのスピリットを語り尽くせば、私の音楽事態が死ぬ」と。

なんとか説得し、最後はOKをもらって出版にこぎ着けたのだと。

9.村上龍
10.浜田省吾
11.五木寛之
12.夏樹静子
13.内田康夫
14.重松清
15.大江千里
16.銀色夏生
17.林真理子
18.さだまさし


編集者という病 魂のデスマッチ

これらの人と、魂と魂のぶつかりあいの様な関係を持って、とことんつきあうという信条のもと、朝まで飲んでは2−3時間休んで会社に行くという生活を過ごしたという。

結婚はしたが、36歳で離婚し、子供もいないので、自宅では愛犬エド(昔のテレビドラマのしゃべる馬エドにちなんでつけた名前)と過ごしているという。

ここまでのめり込んで、編集者魂で全力投球していると24時間、365日仕事で、休まることがない。到底家族を保つことができなかったのだろう。

尾崎豊だけでなく、100人ほどの作家と365日精神のデスマッチを続け、筋金入りの不眠症で発狂寸前だったという。


編集者の仕事

この本は月刊誌Free & Easyなどに見城さんが書いているエッセーを集めたもので、序章のみ書き下ろしだ。

Free & Easy (フリーアンドイージー) 2007年 06月号 [雑誌]
Free & Easy (フリーアンドイージー) 2007年 06月号 [雑誌]



編集者は作者とギリギリの勝負を挑むが、創作しているのは作者である。

見城さんは日本一の偽物になろうと決めたという。

何百人という本物の表現者を相手に、偽物としての栄光を手にしようと誓ったのだと。編集者は自分が感動できて、それを世にしらしめたいと思うからやっていけると。

見城さんが編集した作品は朱がやたらと入っていたという。

「こういうせりふを言う人は、こういうセックスはしません」とか、「赤く染めたカーリーヘアーの女が一服するときに吸うたばこはセブンスターじゃなくて、ハイライトじゃないでしょうか」とかいった具合だ。

なんだか違いがよくわからないが、これを村松友視さんはデスマッチと呼んだという。


ボディビルとラグビー

見城さんは会社に入って27歳から37歳までボディビルに凝って、1週間に1回休むだけで毎日ウェイトトレーニングをしていた。

ベンチプレスでは120KGを目標にしていたそうだ。

ヘミングウェイにあこがれて肉体をつくったのだと。

体がきちっとしていなければ、意志もきちっとしないと常に思っていたという。「勝者にはなにもやるな」とつぶやきながらトレーニングを続けたという。

見城さんは結局自殺すると思うと語る。

ヘミングウェイはライフル自殺した。彼が自殺した時の気持ちが知りたいと。

死ぬのは怖いが、死の瞬間に必ず笑いたい。自殺しない限りその瞬間に笑うことはできないのではないかと思っていると。

見城さんは清水南高校で、ラグビーをやっていた。

幻冬舎を立ち上げたとき、後輩の重松清がラグビーボールを送ってくれたという。6人が車座になってラグビーボールをパスしたのだという。

この本を出して、見城さんは20年近く休止していたウェイトトレーニングを再開する決心がついたという。


幻冬舎スタート

角川春樹社長がコカインで逮捕され、角川書店を解任されたとき、見城さんも解任決議に賛成し、そして見城さん自身も角川をやめた。

角川春樹社長と見城さんで角川を作ってきたという自負があったので、「角川の見城」ではあったが、角川を辞めたときも自分が努力をすれば、大丈夫だという自信はあったという。

幻冬舎がスタートしたとき、朝日新聞に6,000万円だして全面広告をだした。そしてはじめに出した6冊はすべてベストセラーとなった。

広告代理店の副社長が見城に賭けたということで、もし幻冬舎が払えなければ自分が払うから広告を打たせてくれと支援してくれたという。

幻冬舎という社名は五木寛之氏がつけた。

創立3年目には62冊の文庫を出した。

郷ひろみの「ダディ」ははじめから初版で50万部と賭に出た。

「本が売れない。活字離れが理由だ」と出版業界の人が言っているが、見城さんは違うと言う。

売れない原因は出版社側の責任であり、書き手に対してきっちり体重をかけていないから、読者をつかめる本をつくれないのだと。

営業と編集は矛盾はしないと。幻冬舎がまさにその典型である。

薄氷は自分で薄くして踏む。

顰蹙(ひんしゅく)は金を出してでも買え。

新しく出て行く者が無謀をやらなくて一体何が変わるのだろう。

幻冬舎のコピーだ。これからも目の離せない出版社である。


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Posted by yaori at 03:37│Comments(0) 見城徹 | ビジネス