2007年07月16日

奪還 拉致被害者家族連絡会副代表 蓮池透さんの手記

奪還―引き裂かれた二十四年 (新潮文庫)
奪還―引き裂かれた二十四年 (新潮文庫)


北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんの兄、蓮池透さんの手記。

蓮池透さんは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の副代表だ。感情を込めながらも、読みやすい手記になっている。

冒頭の2002年の拉致被害者帰国の際の羽田空港でのシーンが印象的だ。

「薫。よく帰ってきたな。お帰り」

「おう、兄貴。帰ってきたよ」

「元気だったか」

「兄貴も元気だったか」

なにげない挨拶を交わしながら、蓮池透さんは5人が洗脳されているかもしれないので、冷静に観察しなければならないと感じた。

拉致被害者5人は全員金日成バッチを付け、「俺たちは祖国統一のため、朝鮮公民として尽くす」と言っていた。

「薫は朝鮮人そのものになっているのかな。これは大変だ」。

5人は帰国した時からいつ帰るかを話していた。そして他の拉致被害者のことは語りたくないが、横田さん夫妻には会いたいと言っていたと。

それが変わったのは薫さんの親友の丸田さんの必死の説得によるものだった。

「俺、腹を決めたよ。もう戻らないから。俺らは日本で子供の帰りを待つから。」

帰国して10日めのことだった。


薫さんと祐木子さんの拉致

薫さんと祐木子さんは1978年中大生だった薫さんの帰省中に、新潟県柏崎の海岸で忽然と失踪する。駆け落ちではないかと言われ、警察はまともに取り合ってくれないので、両親は自分達で捜索を始めるが何の証拠も得られなかった。

1980年にはサンケイ新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」というタイトルで報道し、外国情報機関が関与?とまで書いているが、あだ花の観測記事だった。

それから何年も何の進展もなく、家族の間にも徒労感が芽生え、薫さんの持ち物は見るたびにつらくなるので、処分した。

横田めぐみさんのご両親は、年に一度警察が公開する身元不明死体の写真を見に行った。お母さんはもう死体の顔は見たくないと言っておられたそうだ。

家族が行方不明になり、生きてるのか死んでいるのかわからない状態ほど苦しいものはないと。


北朝鮮による拉致と判明

そして10年が過ぎ、1987年にビルマで大韓航空機爆破事件が起きた。犯人の金賢姫は、自分の教育係は日本人の李恩恵という日本人だったと語ったのだ。

大韓航空機爆破事件の4ヶ月後の1988年には、国会で梶山静六国家公安委員長(当時)が「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事件は、おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と発言している。

しかしこの発言はマスコミではほとんど報道されなかった。わずかに日経の夕刊にベタ記事として載った他は、朝日、読売、毎日の3大紙は一行も掲載されなかった。

また政府からも警察からも一切家族には情報提供はなかった。

蓮池透さんは、日本のマスコミや警察や政府は、被害者家族の心情を考えたりすることはないのではないかと語る。

その後の北朝鮮との弱腰の政府間交渉が事実を物語っている。

日朝国交正常化交渉は1991年に始まるが、日本が李恩恵の消息について調査して欲しいと言うと、北朝鮮は「会議の秩序を乱す破壊行為だ、撤回を求める」と言いだし、交渉の議題からはずしてしまう。結局日朝交渉は1992年に決裂した。

弱腰外交の筆頭、1995年の村山首相の時は、米50万トンの支援も行いながら、拉致被害者の救済は何の進展もない。

事態が大きく動き始めたのは元北朝鮮工作員のもたらした情報で、横田めぐみさんと思われる13歳の少女が北朝鮮に拉致され、帰国が適わず精神に異常を来してしまうという話だ。

これを1997年1月サンケイ新聞とアエラが実名で報道する。

そして元工作員安明進が、横田めぐみさん以外にも拉致されてきた日本人を何人も見たと語る。


口ばかりの議員達、動かない政府、警察

全国の拉致被害者の家族は1997年3月に集まり、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成して一緒に行動を始める。蓮池さん、有本さん、市川秀一さん、地村さん、浜本さん、増元さん、横田さん、原さんの8家族だ。

代表は横田滋さん、事務局は蓮池透さんと増元照明さんが引き受け、結成翌日に外務省や警察庁に家族会として申し入れを行った。

家族会結成後、様々な支援組織もできあがり、100万人を超える署名も集まる。小渕外相と2度面会するが、「頑張る」というだけで何の進展もない。

超党派の拉致議連も結成され、中山正暉(まさあき)議員を会長とする衆議院78名、参議院45名の大所帯となったが、「頑張る」というだけで具体的な進展はない。

先日弁護士法違反で有罪となった元民主党の西村真悟議員、自民党の平沢勝栄議員は熱心に動いてくれたが、他は名ばかりだったと。特に当初の会長の中山正暉議員はむしろ障害であったと。

1999年原さん拉致の実行犯辛光沫(シンガンス)という工作員が韓国の刑務所から釈放されたが、警察も外務省も動かない。

蓮池さんは怒りを込めて「無法国家と無能国家」と呼んで、2つの国と戦わなければならなかったと語る。


無法国家と無能国家

家族会は2000年に外務省の前や自民党本部前で座り込みを実施。河野外務大臣は「お年寄りが多いのだから、無謀なことはお止めなさい」とノー天気に他人事の様にいうので、家族会は激怒する。

自民党前では、拉致議連の代議士すら顔を出さなかった。

なにより傑作だったのは、田中眞紀子が来て、「コメ十万トンなんか出しちゃだめよ」と言う。蓮池さん達が「そうだ、そうだ」と意気込むと、「百万トンださなきゃ」と。

これには唖然としたと。家族会がもっと出せと抗議しているとでも思ったのではないかと、蓮池さんは語る。

家族会ではアメリカを訪問して、ライス大統領補佐官に資料を渡したりして協力を依頼するなど積極的に活動する。1998年にはニューヨークタイムズに、横田めぐみさんの写真を載せた全面意見広告を載せた。

ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸国の一員と呼んだこともあり、アメリカから北朝鮮へのプレッシャーは強くなる。

アメリカの助力がないかぎり、拉致問題の全面的な解決はないと蓮池さんは語る。


朝日新聞の障害

1999年8月の朝日新聞の社説では、「テポドン1年の教訓」と題し、次のように書いた。

「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」

「日本側も北朝鮮の姿勢の変化を的確にとらえ、人道的な食傷支援の再開など、機敏で大胆な決断をためらうべきでない」

「植民地支配の清算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的な責務といってもいい」

拉致を「疑惑」と呼び、「障害」と呼ぶことに、家族会は怒り、朝日新聞に説明を求めるが、その後も朝日新聞は国交正常化至上主義の様な論調を繰り返す。

当時の安倍晋三官房副長官が、「朝日新聞の論調が拉致問題をめぐる交渉の妨げとなっている」と語ったほどだ。


2002年9月17日の小泉訪朝

2002年になってから、安倍晋三氏を中心とした拉致問題プロジェクトチームが発足、小泉首相が家族会と面談し、「拉致問題の解決なくして、日朝の国交正常化なし」と明言する。

8月30日に、9月17日の首相訪朝が発表されたが、家族会には一切連絡なしだった。

9月17日の当日午後は家族会は外務省の飯倉公館に呼ばれるが、そこではNHKのニュースを見せられただけだった。そして1家族ごとに別室に呼ばれた。

別室では福田官房長官と植竹外務副大臣が、被害者の生死の宣告を行い、最初に呼ばれた横田滋さんは、戻ってきて泣き崩れて声も掛けられない様な状態だった。

そのうち生存者4人、死亡8人と伝えられ、生存者の家族は最後に呼ばれる。

福田長官は生死を断定的に告げるが、日本政府では全くウラを取るなど確認をしておらず、北朝鮮の情報をそのまま伝えていただけだった。

翌日、平壌で生存者と面会した梅本公使と面談するが、横田さんには、めぐみさん死亡の証拠として、ラケットと写真が示されただけで、死亡の原因もわからないと告げられ、横田滋さんは激怒する。

小泉首相は9月27日に家族会は面談するが、その席で小泉首相は「死亡情報は先方の発表だけで、確認はできていない」ことを明らかにする。

小泉訪朝は、外務省への不信感をより強めることになった。

日朝平壌宣言でも拉致という言葉は一言も使っていない。ただ「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という曖昧表現のみで、北朝鮮はもちろん謝罪もしていない。

金正日の「特殊機関の一部が盲動主義、英雄主義に走って、…。この場で遺憾なことだったとお詫びしたい」という言葉だけで、なんの正式書類も残っていない。

そんな日朝平壌宣言は小泉首相はサインすべきでなかったと蓮池さんは語る。


5人帰国は「瓢箪から駒」

蓮池薫さん達は確かに帰ってきたが、それは日本政府の力によるものでも、外務省の交渉の成果でもないと。

田中局長を中心とする外務官僚たちの国交正常化への思惑と、北朝鮮側が手持ちのカードを一枚切るタイミングが、たまたま合致した。

それが正しい評価だと思うと蓮池さんは語る。

「瓢箪から駒」。あえて表現するとしたら、その言葉がぴったりだろうと。

政府と外務省は拉致問題を解決しようとしているのではなく、5人生還で終結させようとしている。それが率直な感想だと。

たしかに5人帰還後、全くなんの進展も、新しい情報もない現状では、そんな感じがする。


全編を通して、政府・外務省への深い不信感があふれ、日本政府の国民の生命・安全に対する保護の弱さが痛感される。北朝鮮がもし米国民を拉致していたら、こんなことでは済まされず、たぶん軍が救出に向かっていただろう。

30年近く肉親を救う地道な活動を続けてきた家族会の率直な思いがわかる、おすすめの一冊である。


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Posted by yaori at 23:53│Comments(0)TrackBack(0) ノンフィクション | 拉致問題

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