国家と外交
表紙に田原総一朗とのっぺりした田中均(ひとし)さんのツーショット写真が載っていて目立つので、読んでみた。
このブログでは、いままで拉致被害者家族連絡会事務局長の蓮池透さんの手記
「奪還」など数点の拉致問題に関する本のあらすじを紹介している。
特に蓮池透さんの手記で、めちゃくちゃにこき下ろされているのが、この
田中均元外務審議官だ。
Wikipediaでも田中氏については割合詳しく書いてある。
京都大学卒(運動部はゴルフ部)で1969年に外務省に入省し、すぐにオックスフォード大学に留学、卒業後日本に帰らずにジャカルタに赴任した。
ジャカルタではインドネシアを訪問した田中角栄首相が反日デモで三日間一緒に迎賓館に閉じこめられ、田中首相と同行していた田中眞紀子さんと懇意になる。
帰国して南東アジア課、経済局でODAを担当、ワシントン大使館、北米二課長、北東アジア課長、在サンフランシスコ総領事、経済局長、アジア大洋州局長を歴任し、2002年外務省NO.2の外務審議官になり、2005年に退官した。
北朝鮮拉致問題解決のキーパーソンとして、北朝鮮の「ミスターX」と秘密交渉を重ね、小泉総理の訪朝を実現したが、8人死亡、5人生存というショッキングな情報が明らかとなり、しかもその情報を確認もしないで受け入れたとして、後からボコボコに非難された。
特に2003年に田中氏の自宅に爆発物が仕掛けられた時は、石原都知事が、「爆弾を仕掛けられて当ったり前の話だと思う」と暴言を吐いたことでも有名になった。
いわば近年の対北朝鮮日本外交の悪役である。
「田中氏ほど毀誉褒貶の激しい外交官はいない」と評する田原総一朗との30時間にも及ぶ対談は、田中氏の外交官としての信念と大局観がわかり、日本の国益を計ろうとする外交官の現場の考えがわかって面白い。
対談だからこそなのかもしれないが、こういう言い方をすると誤解されるなというところも見受けられる。
田中氏が考える日本外交の原点
田中氏は「外交官という職を選んだときから、日本にとって一番脅威があって、かつ日本の歴史的な背景から見て外交の原点はどこかと考えたときに、それは朝鮮半島だろうということを一貫して思っていた」と語る。
「まず日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史的事実はぬぐえない…北朝鮮との正常化は進んでいない、という現実がある。…たから朝鮮半島に平和をつくるという作業は、日本という国の外交として、最も能動的にやるべき重要課題だというのが、私の認識だったんです。」と語る。
植民地支配に対する謝罪と補償を求めてくる北朝鮮に対して、「ちょっと待て。植民地支配の問題(過去の問題)についてはきちんとした清算はする。だけれども、いまある問題(=拉致問題)について解決しない限り、そこまで行き着かないよ」という交渉をするのだと。
田中氏の「大きな地図」
田中氏は北朝鮮に「大きな地図」を呼びかけたと。
大きな地図とは「われわれの目的は朝鮮半島に大きな平和をつくることだ。そのためのロードマップをつくりましょう。このロードマップは北朝鮮の利益にもかなうことです。あなた方もこれが自分たちの利益になると思うなら、拉致問題を解決しなさい」というものだった。
小泉前首相も、「俺はそういう大きな平和をつくるために北朝鮮に行く。事前に拉致の情報がとれなくても、俺は行く」と言ってバックアップしたと。
ミスターXとは2001年秋から30回以上、週末の秘密交渉をしたという。もちろん外務大臣も事務次官も了承の上での交渉で、毎週金曜日と月曜日に官邸に報告に行ったという。
ミスターXが誰かという点については、北朝鮮にはいろいろな反対勢力がいるので、彼の立場と日本の国益を考えて、今は明かせないが、金正日を動かすことができる人物だという。いずれ何十年かして外交文書が公開されたらわかるだろうと。
本当の意味での交渉はまだ終わっていないのだと。
朝鮮半島で戦争が起こらないようにソフト・ランディングすることは、関係各国の共通の思いで、その路線の中で6ヶ国協議を通して拉致問題を解決しようとしていることを、一般の人たちにもよく理解して欲しいと田中さんは語る。
拉致被害者を軽視、政治家をバカにしているとの批判
上記の日本外交の原点といい、大きな地図といい、国家を動かす外務官僚という信念があっての発言だろうが、裏を返せば国益優先で、拉致被害者(国民)を軽視しているという批判にもつながりかねないと思う。
田中さんは政治家をバカにしていると批判されているそうだ。
わかる様な気がする。上記の様な信念で行動している外交官なので、政治家を見下していると思われるのかもしれない。
湾岸戦争のトラウマが日米防衛協力の新ガイドラインにつながった
湾岸戦争の時は、日本は130億ドルも資金を出していながら、自衛隊を派遣しなかったことで、クウェートに全く評価・感謝されなかった。
当時は海部内閣で、小沢幹事長は日本も法律を作って多国籍軍に参加しようとしたが、廃案となった。小沢氏は武力行使までやると言っていたので、これが反発を呼んだのだと。
この反省と1993年/94年の朝鮮半島危機の時に、日本はなんの準備もできていないことがきっかけとなって、1997年に日米防衛協力の新ガイドラインができた。それに続き
周辺事態法が1998年に成立した。
様々な事態を想定したシナリオで、田中さんはこの新ガイドラインをつくるときの責任者だったのだと。
この一連の動きが
有事法制整備だ。
外交は一定の曖昧さを残すことに意味がある
中国の王毅駐日大使に説明に言ったときに、有事とは台湾海峡を含むのかと質問され、「そんなことは言えない」と答えたという。
「それは中国の行動次第だ。中国がしかけ、戦争になったときに、日本が行動を取らないことはありえない。しかし台湾問題が平和的に解決されるかぎり、ガイドラインが発動されることはない。すべて中国の行動次第なのだ」と。
しかし政治家が台湾海峡は入る入らないの議論を始めてしまったのだと。
外交というものは、一定の曖昧さを残すことに意味がある場合があり、旗幟鮮明にしてしまうと、かえって事態を悪くする一例であると。
中国問題は今考える必要がある
田中氏は、日本は少子高齢化で国力が落ちていくわけだから、10〜15年後には中国と日本の国力が交わるタイミングが来る。そのときにどういう日中関係かは、国力が交わってから考えるのでは遅いと語る。
いまから考えるのだという。
佐藤優氏とは接点ほとんどなし
同じ時期に外務省で働いていながら、田中氏は、
佐藤優氏はほとんど知らないそうだ。能力のあった人だと思うが、彼の集めた情報を政府の中で生かすシステムがなかったという。
佐藤優氏の著書でも、アルマジロになった外務省高官の話はあったが、田中氏の名前は出てきたかどうか、記憶がない。
佐藤氏からも田中氏の評価が聞きたいものだ。
小泉首相の独断専行のやり方など、日本外交の様々な出来事の舞台裏などもわかって面白い。元外交官の守秘義務もあってか、衝撃の告白的な話はないが、信念を持った外交官という印象がある。
蓮池透さんの本と一緒に読むべき本かもしれない。拉致問題を複眼的に考える上で、参考になる本だった。
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