2007年10月15日

リクルートのDNA リクルートの強さの秘訣がよくわかる

+++今回のあらすじは長いです+++

リクルートのDNA―起業家精神とは何か (角川oneテーマ21 A 61)


リクルート創業者江副浩正さんの自伝的ビジネス書。

リクルート出身の知人もおり、リクルートは人材輩出企業として有名なので、タイトルに惹かれて読んでみた。

江副さん自身は凡庸な人間だと語る。凡庸な人間でも精一杯頑張れば、ある程度のことができる一つの例として、これから事業を始める若い人の参考になればと、この本を書いたと言う。

江副さんは甲南中学・高校出身。東大の教育学部卒だが、大学にはほとんど行かず、東大新聞の企業向け広告営業で成功し、就職するのがばからしいくらいの収入を得る。

東大新聞社理事の天野勝文さんに「広告もニュースだ」と言われたことがきっかけで大学新聞の就職広告からスタートして、数々の情報広告メディアつくりに進出し、現在のリクルートグループをつくりあげた。

江副さんの功績は、大学生の就職情報、転職、不動産、中古車などの情報を広告と結びつけた新しい広告分野を作り上げたことと、人材輩出企業と呼ばれるリクルートというビジネスシステムを作り上げたことだ。


江副さんの考える成功する企業風土

江副さんの考える成功する企業風土で、一番に来るのが考え方を同じにするということだ。

藤田晋さんの本で紹介されていた話だが、リクルートコスモス出身の現USEN社長宇野さんが現在のインテリジェンスを創業したときに、藤田さんを勧誘したのも『大事なのは金じゃない。本当に大事なのは志を共有できるかどうかなんだ』という言葉だった。

起業するときは仲間全員が同じ方向に向いているが、数年経つと考え方が違ってきて、一度ベクトルがずれるとなかなか元の起動には戻らない。

経営者にカリスマ性があれば、社員はその人についていくが、江副さん自身カリスマ性はないので、自分のメッセージを出せず、弱点を克服するために苦労したという。

次のようなことまで語っている。

「私は子どもの時からケンカが弱く、他人と競うことを避けてきた。人を統率する力はとても弱い。いつも会社のトップでいることがつらかった。そのため社員の誰よりも懸命に働こうと、一番に出社、夜は最後に電気を消して鍵をかけ帰っていた。」

ちょっと信じられない言葉だが、江副さんの本心からの言葉かもしれない。

人前で話す代わりに、江副さんの思いや経営に対するスタンスをリクルートの社訓、心得などにまとめて社員教育の教材とした。結果的に共同体意識が醸成でき、独特の企業風土や企業文化が生まれたのだと。


江副さんは”エゾリン” 社長もニックネームで呼ぶ会社

自由闊達な雰囲気は、社員同志が社長も含めてニックネームで呼んで親愛の情を示していることでもわかる。経営者も社員一人一人をよく知って、現場第一主義に徹していたという。

現役社長時代、江副さんは”エゾリン”と呼ばれており、社員で江副社長と呼ぶ者はなかったという。

現在の社長の柏木斉氏はカッシーだという。ちなみに柏木斉氏は筆者の寮の後輩だが、若い頃から社長候補と目されており、45歳で社長に就任したとのことだ。


大学新聞の広告代理で起業

江副さんは在学中から東大新聞の広告営業で年に50万円の収入があった。サラリーマンになると収入が1/3になるので、昭和35年(1960年)に卒業して、そのまま大学新聞広告代理業でスタートした。

リクルートというと江副さん一人が創業者だと思えるが、実際には鶴岡公(ひろし)さんが創業時からのパートナーだと江副さんは語る。

鶴岡さんは高卒後、東大新聞で原稿制作、校正、印刷の仕事をしていた。江副さんが営業、鶴岡さんが制作という役割分担だ。

早稲田、慶應、一橋、京大などの大学新聞の広告にも扱いを広げ、アルバイトも採用し、教育学部の先輩の森稔さんが学生時代に立てた西新橋の四階建て森ビル屋上の物置小屋を最初の事務所とした。

雨漏りがするので、森さんに話すと、「仕方がないよ。モリビルだもの」と言われたと。

鶴岡さんが就職特集記事をつくり、下に求人広告を入れて各大学新聞に出した広告がよく売れて、初任給が1万2千円の時代に、初年度100万円の利益を出した。

八幡製鉄(現新日鐵)の人事課長に個人との多額の取引は良くないので、株式会社にしてもらえないかと言われ、「株式会社の作り方」という本を買って、自分で設立手続した。リクルートの前身の株式会社大学広告の誕生である。江副さんが23歳の時の起業だ。


リクルートブックの誕生

翌昭和36年にアメリカ留学中の先輩からアメリカの就職情報ガイドブック「キャリア」を入手して、「これだ!」と思い、「企業への招待」という日本版の就職ガイドをつくる。有名なリクルートブックの誕生だ。

今もあるのかどうかわからないが、筆者が大学4年の5月頃に(当時は大学4年の9月1日が会社まわり解禁日だった)電話帳みたいなグリーンのリクルートブックがたしか四冊自宅に届いたので、母がびっくりしていたことを思い出す。

雑誌は表紙のデザインが重要だと考え、当時博報堂のコピー課にいた大学時代の友人の森村稔氏(のちにリクルートに入社してバリバリ広告コピーを書く)の紹介で、東京オリンピックのポスターデザインも担当した亀倉雄策氏にリクルートブックの表紙デザインを依頼する。

編集記事で会社を紹介するというコンセプトで、初年度100社の広告クライアントは軽く集まると思っていたが、いざ営業を始めると同業他社がやらないという理由で、なかなかクライアントが集まらない。

やむなく四十社ほどは無料で広告掲載してもらった。思い切ったギリギリの決断だが、これで最初のリクルートブックが世に出ることになる。

印刷の前金が足りず、頼み込んで芝信用金庫にビルの保証金を担保に融資してもらう。このときの恩義から江副さんの社長時代のリクルートの営業報告書では、常に芝信用金庫を金融機関リストのトップに載せていたという。

初年度は苦労したが、翌年度からは無料掲載はなくなり、売上も四倍となり、それからは倍々ゲームで高収益事業となった。

リクルートブック事業は新卒採用繁忙期の数ヶ月は極端に忙しいが、ほぼ半年はひまで、新卒採用の閑散期に始めた事業が、高校生のリクルートブックだった。

新卒採用情報のリクルートブックで成功したので、就職情報、住宅情報、エイビーロード、カーセンサーなどの様々な分野の情報誌を創刊していった。


フリーマガジン(?)のさきがけ

広告だけの本を書店で販売するのは出版界では初めてのことで、広告だけの本はトーハン、日販といった大手取り次ぎ会社では取り扱って貰えなかった。

そこで直接書店に持ち込み、無償で提供して売って貰うことにした。広告で利益があがるので、本の販売収益はゼロでよかったからだ。

通常の雑誌を売れば、書店の利益は売上の20%、それがリクルートの就職情報などの雑誌を売れば、利益は100%、しかも現金が入るとあって多くの書店で一番目立つ売り場に就職情報を置いてもらえたという。

書店に続きキオスクや駅の売店、ついにはコンビニにもねばり強く交渉し、進出したのだ。

こう書くと何か簡単なことの様に思えるが、取り次ぎ会社を通さずに書店に直販するには何らかの配送網を持たなければならず、今の様に宅配便がない当時ではありえないことだ。

江副さんがこの配送問題をどう解決したのか書いていないが、単に雑誌編集と広告営業だけでなく、配送のロジスティックスまで考えたリクルートのフットワークには頭が下がる思いだ。

今でこそホットペッパーやR25などのフリーマガジンが花盛りだが、リクルートは30年近く前から、消費者には有料でも書店には無料のいわばBtoB(対企業)フリーマガジン戦略で、書店やキオスク、コンビニに食い込んでライバルを部数で圧倒し、ナンバーワンの地位を確保したのだ。

部数がナンバーワンなら広告料も最も高くできる。損して得取れとはよく言ったものだ。まさに江副さんの戦略はその典型だ。

この無料戦略には普通の会社では、なかなか対抗できない。江副さんの「ナンバーツーは死だ」という言葉の意味が分かる。

一時は読売住宅情報がリクルートの住宅情報に挑んだそうだが、リクルートの無料戦略の前に破れさった。リクルートと競合する会社は大変だろう。


リクルートの行動指針

江副さんが考案したリクルートの社訓は、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」というものだ。有名なIBMの"Think"のプレートに似せて、プレートもつくった。社訓には進取の精神が表れていて、いかにもリクルートらしい。

この社訓をもとに江副さんが行動指針をつくった。それが次のような経営理念のモットーだ。

1.誰もしていないことをする主義
2.分からないことはお客様に聞く主義
3.ナンバーワン主義(ナンバーツーは死だ)
4.社員皆経営者主義
5.社員皆株主(社員持株会が筆頭株主)
6.健全な赤字事業を持つ
7.少数精鋭主義
8.自己管理を大切に
9.自分のために学び働く
10.マナーとモラルを大切にする

この行動指針はリクルートの精神的バックボーンとなっている。


リクルートの高収益の秘密 PC制

稲盛和夫さんが生み出したアメーバー経営は以前紹介したが、リクルートにおける同様の制度がPC(プロフィットセンター)制だ。

江副さんが書中の師と呼ぶドラッカーが「現代の経営」で提唱していたアイデアに習って、PC制を導入して会社の中に小さな会社をたくさんつくった。

新訳 現代の経営〈上〉 (ドラッカー選書)


このPC制=社員皆経営者主義ゆえに、リクルートは多くの経営者を輩出できたのではないかと江副さんは語る、

ほとんどのPC長は三十歳未満で、十名程度の部下を率いる。

PC長で高い成績を上げれば、事業部長となる。事業部長で実績を上げれば、事業部門長となる。会社組織はピラミッドでなくグリッド型となる。

江副さんの退任時にはPC数は600を超えていた。

リクルート前社長の河野栄子さんは、この経営者育成プログラムの良い例だという。

河野さんは学生時代にリクルートと競合するアルバイトニュースの広告営業をやり、卒業後はニッサン車のセールスをやっていた。リクルート入社後もPC長から事業部長になるまで九年間連続して最優秀経営者賞を受賞し、43歳で専務、51歳で社長に昇格した。


リクルート成功の秘訣

この本にはリクルート成功の秘訣がサラッと書かれている。印象に残った点を簡単に紹介しておく。


最先端のOA

江副さんが昭和38年にアメリカに出張した時の経験から、IBM1100という大型コンピューターを使った自動採点機を導入し、当時急速に拡大していた適性検査の採点業務に使うとともに、大学などから入試採点業務を受注する。

まさに進取の精神だ。

リクルートの広告制作システムも大変自動化されたものだと、リクルート出身の知人から聞いたことがある。

リクルートのファックス一斉配信サービスは一頃市場を席巻していた。OA化も最先端で積極的に進めたのが、リクルートの成功要因の一つだ。


初任給は一流企業の三割増し

創業四年目から新卒採用を開始し、最初の新入社員の給与は一流企業の初任給の3割増しに設定した。高い給与で優れた人を採用するのがリクルート流だ。


リクルートは女性と高卒でもつ会社

2、000名の応募者から大卒四名、高卒四名を採用する。大卒は全員女性、高卒は男女半々だった。つまり採用八名のうち女性が六名だ。

リクルートは高卒と女性でもつ会社、と言われた時期が長く続くようになったそうだ。

今でこそ女性の総合職を採用するのが当たり前になっているが、30年以上前は女性総合職を採用している会社はほとんどなかった。女性の戦力を生かすという面でもリクルートは先進企業だ。


ファブレスのセル生産企業

リクルートは雑誌点数では日本一、印刷ページでも日本一、しかし平均発行部数は少ない。

自前の印刷工場を持たず、製造業で言うと「ファブレス」で、かつ少数多品種の「セル生産」がリクルートの強みだと江副さんは語る。


不動産は成長の原動力で、かつ鬼門

最初は森ビルの屋上の掘っ立て小屋から初めて、西新橋の本社ビル、新橋の本社ビル、大阪、名古屋の地方の支社ビル、銀座本社ビル、銀座日軽金ビルなど不動産で成功を収めた。

その後の不動産バブルもあり、不動産の含み利益がリクルート発展の原動力になったと言っても良い。

そして不動産分譲販売のリクルートコスモスの新規上場株を政治家や財界人などに配ったリクルート事件もまさにバブルの最中の事件だ。

結局撤退した岩手県の安比高原スキーリゾートの開発といい、不動産はリクルートにプラスとマイナスの両方の効果を与えた。


外飯・外酒

江副さんは「外飯・外酒」といって、得意先や社外の人との会食、勉強会や研究会への参加を奨励していた。外の人たちと交流を持ち、視野を広げることもリクルートの特色だった。講師になれば講演の準備が本人のためにもなる。

学会の役員になった人も多く、i-modeで有名な松永真理さんは、大学の非常勤講師を務めていた。前社長の河野さんは政府の総合規制改革会議のメンバーとなったり、経済同友会の幹事にもなっていた。

しかし江副さんの場合は、政治家を囲む会への出席が後にリクルート事件として大きな災いとなってしまった。


江副さんが学んだ名経営者の言葉

江副さんは交遊が広いので、多くの名経営者とのつきあいから、印象に残ったことを書いている。ソニーの井深、盛田、大賀さん、三洋の井植さんなどそれぞれに面白いが、松下幸之助とソフトバンクの孫さんのエピソードだけ紹介しておく。

松下幸之助は経営の要諦について、次のように語っていたという。

「人は誰でも得手なことと不得手なことがありまんがな。誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなぁ」。経営の神様の味わい深い言葉だったという。

筆者も毎日1−2ページづつ愛読している松下幸之助の「道をひらく」は、松下幸之助が書いたPHPの連載コラムを編集したものだが、江副さんが聞いた様な話が満載で、大変参考になるのでこれもお勧めしておく。

道をひらく


ソフトバンクの孫さんの話も面白い。孫さんはゴルフが趣味で、自宅にゴルフレンジをつくり、暇があれば練習しているという。なんでも積極的だ。

孫さんは時間とお金、人を精一杯使う。ベンチャーの成功者になる条件だと。

まさに余談ながら、江副さんはソフトバンクモバイルはいずれKDDIが買収し、ドコモを超えるナンバーワンになるのではないかと予想していると言う。

むしろ孫さんは資金さえあれば、KDDIを買収したいと思っているのではないかと思うが、ともあれ江副さんの予想する合併も将来はありうるかもしれない。

この本でも紹介されているファーストリテーリングの柳井正さんの「一勝九敗」も面白かったが、この「リクルートのDNA」も参考になる。

一勝九敗


「リクルートのDNA」というと、リクルート出身者が持つ共通の性質のように思えるが、この本は江副さんの自伝的ビジネス書であり、リクルート出身者を一般化したものではない。

江副さんは既に現役をだいぶ前にリタイアされているだけに、気負いが全くなく自然体でスッと頭に入る。是非一読をおすすめする。


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Posted by yaori at 12:54│Comments(0)TrackBack(2) 自叙伝・人物伝 | 江副浩正

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