2008年07月23日

松下ウェイ 松下復活のブレイン マキナニー氏の内部からの報告

松下ウェイ―内側から見た改革の真実


現松下電器会長の中村邦夫さんの松下再建計画を支えた経営コンサルティング会社ノースリバー・ベンチャーズ社長のフランシス・マキナニーさんのレポート。

筆者自身が松下電器とは仕事でもつきあいがあり、2000年11月に「創生21」計画が発表された直後には、エアコン工場や冷蔵庫工場などでコスト削減の協力をしていただけに、興味深く読めた。

当時は昼休みになると工場の事務所のすべての照明が消されて、会議室の壁にはたしか”C30”だったか、コスト30%ダウンを目標とするポスターが貼られていた。

企業再生の例としては、GE,IBMなどがよく取り上げられるが、GEは20年、IBMは10年掛かったところを、松下は6年で達成したとマキナニー氏は語る。また従業員が35万人という規模からも、松下の再生は世界最大の企業再生だと語る。

この本を読んで松下電器の再建に、マキナニーさんというブレインが居たことを初めて知った。

マキナニーさんと松下電器中村会長とのつきあいは1993年にまでさかのぼるという。

マキナニーさんの著作日本の弱点―アメリカはそれを見逃さないでニューヨークの松下のショールームを批判したところ、出版されてすぐにショールームは閉鎖され、マキナニーさん達は米国松下の社長だった中村さんに招かれ、どうすれば米国事業を改善できるのかアドバイスを求められた。

中村さんとマキナニー氏はいくつかの共通点もあるという。数年の差でともに外国人として米国で働くこととなったこと、中村さんが英国駐在の時に住んでいたサニングデールはマキナニー氏の出身地で、ゴルフが趣味で、読書傾向も似通っているという様な点だ。


松下改革のリーダー中村邦夫会長

中村さんは名古屋での営業課長時代に、松下幸之助が考案した松下と販売店主が50:50で設立する販社システムの再編の必要性を痛感し、みずから名古屋地区の販社の再編に取り組むが、社内外からの批判にさらされる。

その後、1987年から米国松下で家電営業を担当し、1992年から93年までは英国松下、そして1993年に再度米国に戻り1997年まで米国松下のトップとして経営を担当する。

マキナニー氏が「日本の弱点」で提案した分権化、脱・自前主義、組織のフラット化、製品でなくサービスを売るの4つの戦略を読んで、中村さんは次の5つのSを取り入れた経営システムを導入していた。

Small
Simple
Speed
Strategies
Smile

そして前述のように1996年に中村さんはマキナニー氏の協力を求めてきた。マキナニーさんは、「平均的な米国企業は5年ごとに顧客の半分を失っており、離反顧客の60−80%は直前まで満足と回答している。顧客の離反は突然やってくる」と説明したという。

当時の松下は、事業領域もテレビ・ビデオなど成長が鈍化した分野が中心で、高成長の分野が弱かった。

グループ企業間で重複があり、たとえば携帯電話分野では欧米市場で販売能力を持たない松下通信工業が拒否権を持っており、手が打てなかった。

ブランドもパナソニック、ナショナル、安価家電のパルサー、オーディオのテクニクスと分かれていて、同じ松下でも松下電器と松下電工はそれぞれ本家を名乗っているが別会社で間違いやすいといった具合だ。

こんな状態の松下を再生させたのが、マキナニー氏の「サッカーボール理論」だという。


「サッカーボール理論」

「サッカーボール理論」と言われても、イメージがわかないが、以前は会社や事業部が分かれて、それぞれ独立採算、個別最適で動いていて、全体最適が達成できていなかった巨艦松下を、フラットな組織に作り変えたということだ。

ムーアの法則で情報コストが低下すると、市場での力関係が変化し、顧客が力を持ってくる。これに対応するために、企業はいわばサッカーボールのように顧客に接する薄い皮に経営資源を集中し、中空構造になってくるというものだ。

それによって顧客の要望に迅速に対応して商品開発が行える体制をつくるのだ。

指標は次の2つだ。

1.キャッシュ化速度(在庫日数+売掛金日数)が5日以下であること。
2.資本収益性速度(総資本対営業利益率)が20%を上回る。

マキナリー氏が松下のコンサルを始めた時、デルと比較すると現金化期間はデルのマイナス10日に対し、松下は70日だった。また粗利益では松下がデルを上回っているにもかかわらず、純利益ではデルが上だった。松下は販管費がふくれあがり、その他の優位性を相殺していたのだ。

2000年に就任した中村社長は、松下再生のために次の対策を打ち出した。

1.「V商品」の打ち出し。V商品とは、タフブック(現場用パソコン)、プラズマディスプレイ、デジタルカメラ、ななめドラム式選択乾燥機、カーエレクトロニクスなどだ。

2.海外で実績を上げた幹部「外人部隊」の日本への呼び戻し

3.2001年度から3年間「創生21」で破壊と創造を実施。

4.ブラックボックス技術を持つ。(半導体など)

5.在庫を劇的に減らす

連結利益率5%以上、資本コスト管理0%以上(在庫削減。キャッシュ化速度向上)、連結売上高9兆円が数値目標だった。

全国19,000のナショナルショップも、業績トップクラスを「スーパープロショップ」と名付けて、大規模小売店と同様の契約条件と、サポートも強化して、選別を進めた。

デルとの大きな差であるSCM(サプライチェーンマネージメント)強化にも力を注いだ。中村社長がモデルにしたのは、ノキアだったという。

筆者も覚えているが、松下でSCMを導入する前段階として、事業部で別々だったパーツの品番を全社で統一する作業を1年半掛けて地道に行っていた。30もの中核システム、1000以上のデータベースの再編を行ったという。

この結果薄型テレビでは調達時間が70%短縮され、発売までの時間も42%短縮、加工時間が75%短縮された。

セル生産方式も導入され、2001年10月には、国内では82%、世界全体では半分がセル生産方式となった。

プラズマディスプレイパネル(PDP)工場では、従業員一人当たりの生産台数は1.4倍から1.8倍となり、需要の変化にも機敏に対応できるようになった。

パナソニックとナショナルが混在していたブランドも、ブランドイメージ・タスクフォースを結成し、米国のブランドコンサルティング会社ランドーをマキナニーさんの推薦のもとに起用し、"Panasonic ideas for life"に統一した。この一環で、ユニバーサルデザインも導入された。

2005年にFF石油ファンヒーターの欠陥による死亡事故が起こると、松下が年末商戦の広告をすべてやめ、石油ファンヒーターの回収広告に入れ替えたことは記憶に新しい。

マキナニーさんは米国のタイレノールの例を松下の幹部に説明したという。タイレノールの親会社のJ&Jは毒物が薬瓶に混入されて数人が死亡するという事件が起きてすぐ、3100万本のタイレノールすべてを回収した。この措置のお陰で、2年後は以前より大きな規模の商品となったという。これに倣った思い切った対応だった。

筆者が一緒に仕事をしていた松下電器の工場の購買の人は、なんと6ヶ月間営業支援のために、量販店の店頭などに派遣されていた。

それもこれも松下は変わったという印象を強く焼き付ける事件だった。


マキナニーさんの言う「サッカーボール理論」があまりに世に知られていないので、「サッカーボール理論」が松下改革のバックボーンだったのかどうかは半信半疑である。

しかしなんと呼ぶかは別にして、松下はDellやNokiaの方向に近づいていることは間違いない。それはマキナニーさんのコンサルティングによるものなのだろう。

もう数冊松下改革についての本を読んで、別の角度からも検証してみる必要がありそうだ。


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Posted by yaori at 01:17│Comments(0)TrackBack(0) ビジネス | 企業経営

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