2008年09月22日

ドナウの東 1989年の東欧革命まっただ中からのレポート

ドナウの東ドナウの東―内側から見た東欧革命


9月始めに欧州に出張に行ったときに、ロンドンで法政大学ヨーロッパ研究センターによる関榮次さん「チャーチルが愛した日本」についての講演を聞く機会があった。

法政大学ヨーロッパ研究センターでは、各界の専門家を招いてほぼ毎月ロンドンでセミナーを開催しており、セミナーの内容は大変興味深いので、筆者もメーリングリストに加えていただいた。

法政大学ヨーロッパ研究センター






その時に山下啓一日経ヨーロッパ社長とご一緒した。山下さんは関さんがハンガリー大使だった時代にお世話になったと言っておられた。

山下さんの前任の小池洋次さんも法政大学ヨーロッパ研究センターで講演されているので、山下さんもいずれ講演されるのではないかと思う。

山下さんはウィーン特派員時代に、各国で連鎖反応的に起こった東欧革命をレポートした本を書かれているので読んでみた。


仕事と執筆活動を両立

山下さんは当時はウィーン・ワルシャワ特派員として、仕事を深夜までしてから、朝まで執筆したそうで、睡眠時間を切りつめてこの本を書いたと。さすがに体がもたず、その後は執筆活動は抑えているとのことだった。

やはり現役のビジネスマンが本を出すのは大変なことだと思う。

現在は絶版だが、アマゾンのマーケットプレースやオークションなどで手に入れることができるのは幸いだ。


1989年の東欧革命

時代は1989年から1990年。今から20年近く前のことである。

筆者は当時米国に駐在していたが、1989年6月の中国の天安門事件や、1989年11月9日(2001年のワールドトレードセンター攻撃の9.11に対してベルリンの壁崩壊は11.9と呼ばれる)のベルリンの壁崩壊前後に、東欧で共産党政権が倒れていった一連の政権交代をCNNで毎日見ていた記憶がある。

筆者は以前は鉄鋼原料を担当しており、1980年にウィーンと当時のユーゴスラビア、1992年からはアルバニア、スロバキアを毎年のように訪問していたので、この本を読んでなつかしく感じられた。


同時多発革命の謎 「ソ連の法則」

1989年の後半に集中してポーランド、チェコ、ハンガリー、東ドイツ、ブルガリア、ルーマニア(独裁者チャウシェスク大統領夫妻は処刑された)の6ヶ国で連鎖的に政権交代が起きた理由は謎だ。

一説にはソ連のゴルバチョフ改革が東欧市民を目覚めさせ、近隣国の政変が波及したためだといわれているが、そうだとすれば、各国の政変にもう少し間が空いてもおかしくない。

山下さんはソ連、ユーゴスラビア、アルバニアでは革命が起こらず、ソ連の影響下にあった東欧6ヶ国だけに革命がおこった理由は「ソ連の法則」があったのではないかと推論する。

ソ連が経済力、軍事力、秘密警察の力で、改革派もコントロールしていたのではないかという議論だ。東欧の民主化はゴルバチョフ改革の方向に沿う活動だったので、ソ連も容認していたのが背景だ。

デモが厳しく規制されている体制下では、3万人を超える反政府主義者が立ち上がると、後は弾みがついて反政府運動が広がるという「3万人の法則」があると山下さんは語る。

しかし中国で革命が起こらず、東欧で革命が起こったことは、大衆の大規模デモだけではだめであり、なにか他の要因が必要である。

それゆえ各国の共産党政権とソ連が危機管理のために政変(書記長など指導者の交代)シナリオをあからじめ用意していたのではないかと山下さんは推論する。これが「危機管理の法則」だ。

ポーランドのヤルゼルスキー大統領などは、たしかに用意された政変シナリオと見えなくもないと筆者も思う。

最初の政変は共産党により用意されたものだったが、勢いがつきすぎて結果的に反政府運動を鎮めるどころか火に油を注ぐ結果となって、結局共産党は政権を失ったのではないかと山下さんは語る。

たしかにこう考えると6ヶ国で同時多発政権交代が起きた理由も納得できるところである。

今後紹介する関榮次さんの「ハンガリーの夜明けー1989年の民主革命」でも、この辺の事情が語られている。

共産党員も「愛国者」だったので、一党独裁を崩すと自分たちは政権を失うと分かっていながらも民主化を進めたのだと。


ドナウ川沿いの東欧各国

この本で山下さんはドナウ川の川下りの豪華客船モーツアルト号の黒海への旅に沿って各地の風景・風物と、政治体制の変化を国別に紹介しており、読み物としても面白い。

ちなみにモーツアルト号クルーズの旅行記をブログに書いておられる方がおられるので、紹介しておく。

1990年前後の東欧は景色はきれいで、物価も安かった。

筆者も1992年にスロバキアを訪問したときに、ホテルでは外貨はドイツマルクしか通用しなかったことと、レストランで3人でワインを飲んで食事したが、全部で35ドルだったことに驚かされた記憶がある。

1989年当時はヤミ為替レートがあって広場で売人が旅行者に声を掛けていたこと、あちこちでバナナを露天で売っていたこと、外貨持ち出し制限が厳しく空港で身体検査をしていたこと、東欧圏から西欧に数万人単位で大量逃亡が起きていたことなどの話が紹介されており、なつかしく思い出される。


東欧の最貧国アルバニア

筆者が毎年のように訪問していたアルバニアでは、ちょっと遅れて共産主義が崩壊し民主主義になったが、国としてはボロボロで、国民の約半分が巻き込まれたというネズミ講騒動で政府が崩壊してしまった。

最初にアルバニアに行った時は、首都ティラナに2軒しかない外国人用のホテルのレストランが夜9時頃で閉まってしまい、夕飯を食べ損ねて、持っていった機内食のパンを食べた経験がある。

同行した駐在員に言われて非常食として機内食の食べ残しのパンを持ち込んでいたのだ。

スイス航空でもらったアッペンツェラーというチーズも持ち込んだ。夏の間だったので、部屋の冷蔵庫に置いておいたが、部屋に帰ってみるとチーズは見事に溶けていた。

長い伝統のあるスイスチーズアッペンツェール長い伝統のあるスイスチーズアッペンツェール


部屋にコンセントが一つしかないので、ルームメーキング係が冷蔵庫のコンセントを抜いて、テレビを見ながら掃除して、中にチーズが入っているにもかからわず冷蔵庫のコンセントを抜いたままにしていたのだ。だいたい共産圏のサービスの質はこんなものだった。

どうでも良いことだが、食い物の恨みはおそろしいというか、筆者もこのことはいまだに覚えている。


東欧や旧ソ連のユダヤ人

この本ではユダヤ人の存在が「東欧社会の極めて微妙な要素となっている」とだけ記され、深く触れられていないが、東欧の反ユダヤ主義とか旧ソ連のユダヤ人(この本ではソ連のユダヤ人人口は約180万人と記されている)の動向に興味を抱いたので、今度図書館で調べてみようと思う。

ちなみに佐藤優氏「国家の罠」などの著書でイスラエルからロシアの情報を得ていたと語っている。旧共産圏のユダヤ人はかなりの力を持っていたはずだが、他の国民や体制側とどう折り合いをつけていて、現在どうなっているのか興味あるところだ。


旧ユーゴスラビア

筆者が訪問したことがある旧ユーゴスラビアやアルバニアもいずれ民主化は避けられないと山下さんは予想している。

ところで先日欧州に出張した時の取引先とのディナーの席で、何ヶ国に行ったことがあるかという話になった。

筆者は38ヶ国に行ったことがあると言うとみんな驚いていたが、ユーゴは1ヶ国じゃなくて分けてカウントしなければならないという話になり、それならクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(サラエボが首都)、セルビア・モンテネグロ(ベオグラードが首都)、マケドニアの4ヶ国で、合計41ヶ国だというジョークとなった。

昔はユーゴスラビアは、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と言われたものだが、本当に6つの国と一つの自治州となってしまった。


1990年12月発刊の本なので、ゴルバチョフのノーベル賞受賞までで終わっており、1991年8月の政変後、ソ連が崩壊することなど、その後のソ連の動きは勿論書かれていない。

しかし、「保守化のパラドックス」という話で、ゴルバチョフ退任を予想していたり、ソ連の経済改革は多難で、コメコン解体、独ソ接近、東欧がマルク圏となると予想していたり、予想がぴったりあたっている。

(注:「保守化のパラドックス」=改革派として最年少のメンバーがトップとなって改革を進めるが、保守派を排斥して改革派を入れすぎて、そのうち改革派の中ではトップが最も保守的になってしまう傾向のこと)。

さすが日経新聞の特派員として各国の首脳とのインタビューなどを通じて一級の情報を得ていただけある。山下さんの慧眼には敬服する。

「ソ連の法則」、「3万人の法則」、「危機管理の法則」、「保守化のパラドックス」などの分析も大変参考になる。

やや古い本ではあるが、東欧の簡単な歴史から、風物、1989年の東欧革命の舞台裏などがよくわかり興味深い。ドナウ川の川下りもいつかは行ってみたいものだ。一つの川下りで、これだけ多くの国を訪問できるのも世界でドナウ川だけだろう。

是非近くの図書館などで探して、手にとって欲しい本である。


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Posted by yaori at 00:22│Comments(0)TrackBack(0) 政治・外交 

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