2009年03月19日

レジェンド 白洲次郎 ファンにはこたえられない本

レジェンド 伝説の男 白洲次郎レジェンド 伝説の男 白洲次郎
著者:北 康利
販売元:朝日新聞出版
発売日:2009-01-09
おすすめ度:4.0
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このブログで紹介した北康利さんの「白洲次郎 占領を背負った男」の続編だ。

「もっと白洲次郎を知りたい」という読者の声に応えたものだという。

NHKドラマ「白洲次郎」の元本となった「白洲次郎 占領を背負った男」で描かれていなかった数々の逸話が紹介されていて、白洲次郎像がより鮮明になってくる。

NHKドラマ「白洲次郎」のホームページには様々な白洲次郎関連の情報が載せられており、掲示板まである。既に600件以上書き込みが寄せられている。NHKドラマのホームページに掲示板があるのを初めて見たが、NHKにしては珍しいと思う。

ドラマの第3回の放映が今年8月になるのは、役者の一人の病気が原因と書かれている。吉田茂役の原田芳雄が昨年末に病気になったことを指している。原田芳雄さんの吉田茂は本当に雰囲気がぴったりで、ドラマに欠かすことのできない俳優なので、致し方ないところだろう。

白洲次郎





NHKのドラマ「白洲次郎」で登場したいくつかの場面も描かれている。たとえば大阪弁の賛美歌だ。

”イエスさんわて好いてはる わてのイエスさん”という感じだ。

この話は白洲夫妻の長女で結婚後も近くに住み、晩年は夫妻の世話をした牧山桂子さんの「次郎と正子」に記されているという。

次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家
著者:牧山 桂子
販売元:新潮社
発売日:2007-04
おすすめ度:4.0
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次郎のケンブリッジ留学時代の話のなかで、英国の貴族階級の話が出てくる。

上級の貴族の下にジェントリがあり、ジェントリはバロネットとナイト(この2つはサーがつく)、エスクワイアとジェントルマン(この2つはミスター)に分かれているのだと。

次郎はジャーディン・マセソン商会のオーナーのことを「あんなのは本物の貴族じゃねえからな」と言っていたそうだが、それは貿易を通じて国家への貢献大の人に送られるサーの称号を指しているのだ。(ビートルズなども同じだ)

英国の貴族制については全然知識がなかったので、勉強になった。

この本で取り上げられている逸話のいくつかを紹介しておく。


●戦争中の次郎

開戦前後に、次郎が日本水産の取締役だったころの話だ。次郎はスキー部の部長をつとめていたが、社内報に「白洲さんは君が代のほかには何も歌えない」と書かれていたという。

社内報に書かれるほどの音痴だったという。

次郎は戦時中帝国水産の理事になるが、不満を社長の有馬頼寧(よりやす)にぶつけており、有馬の日記にこれが記されているのでおもしろい。有馬頼寧はその後日本中央競馬会の理事長になり、有馬記念で名を残す。

昭和19年9月26日「相変らず白洲君に話し込まれる。どうして比人は日本の敗ける事を前提としてのみ話をするのであらう」

19年12月に次郎は有馬の「いやならやめろ」という忠告に従って帝国水産を退社したという。


●GHQの親切の押し売り

次郎は1954年の文藝春秋にGHQの担当者を評して:

「無経験で若気の至りとでも言う様な、幼稚な理想論を丸呑みにして実行に移していった。

憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能な様なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。

一寸夢遊病者の様なもので正気かどうかも見当もつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはなかろう」。

と語っていることが紹介されている。

GHQ民政局のケーディスは十字軍の様な使命感で日本の民主化を主導しようとしていたという。


●バー・モウ事件

バー・モウは日本軍政下におけるビルマの首相で、終戦後日本に亡命し、新潟県の六日町で隠れていたが、GHQに出頭し、口から出任せで”日本には反連合国活動をしている巨大な地下組織が存在している”と告げる。

Greater_East_Asia_Conference




昭和18年11月の大東亜会議に出席した各国首脳の写真。一番左がバー・モウ、一番右がチャンドラ・ボース。

出展:Wikipedia


GHQ側も、”あれほど勇猛だった日本軍がまったく抵抗しないのはおかしい”と思っていたので、やはりレジスタンス組織があったのかと大騒ぎになったが、これを次郎が”現地に人を派遣して調べさせれば良い”ととりなし、騒ぎは収まる。

このことで次郎を軽く見ていた日本政府の官僚たちの評価が一変したという。

実は次郎は民政局の掲示板のメモで気がついていたのだが、GHQもそれに気づき、以後次郎は立ち入り禁止になったという。


●日本国憲法制定

NHKのドラマでも終戦後、マッカーサーが近衛文麿に新憲法作成を依頼する場面が出てきたが、米国のジャーナリズムに批判されるとマッカーサーは手のひらを返すように近衛を切り捨てる。

憲法についても元々幣原内閣の時に、日本側の案を松本蒸治に作らせていたが、これをマッカーサーが受け入れなかった。

マッカーサーはソ連も入った連合国各国代表による極東委員会が乗り出してくる前にかたをつけようとして、昭和21年2月に9日間でGHQ民政局の25名のスタッフに草案をつくらせ、ハーグ協定に違反しないようにGHQ案としてではなく、日本政府に3月6日に「憲法改正草案要綱」として発表させた。

外務省に「白洲手記」という文書があり、そこに”「今に見てゐろ」ト云フ気持抑ヘ切レズ。ヒソカニ涙ス”と書かれているという。


●安倍晋太郎は次郎番の記者だった

次郎と特に親しかった新聞記者は毎日新聞の安倍晋太郎と、読売新聞の三品鼎だったという。安倍晋太郎はもちろん安倍晋三元総理の父君だ。三品さんは”あの頃の白洲さん”という文を小説新潮の2008年2月号に書いている。

安倍晋太郎は山口弁で「やれんのう」(やっとれんなあ)とよく言っていたそうだが、次郎がそれを聞いてスキー小屋に「ヤレン荘」と命名したという。

次郎は読売グループの中興の祖の正力松太郎に日参され、日本のテレビ放送に正力の押すアメリカ方式を採用させようと動く。

NHKは日本独自技術の高柳方式でテレビ放送を開始すべく、吉田学校の優等生の佐藤栄作郵政・電気通信大臣の支援を得ていたが、最終的に吉田茂は次郎の推すアメリカ方式採用を決断する。

これは筆者の意見だが、もし日本が独自方式を採用していたら、携帯電話で起こったようなドコモ方式によるガラパゴス化が起こったかもしれない。そうなると日本の電機メーカーがその後テレビの輸出で儲けて大きくなれたかどうかわからないところだ。

ハイビジョン方式・デジタルハイビジョン方式も同じだ。NHKは世界規格化を目指したが、結局欧米は独自規格を採用した。

その意味ではアメリカ方式の採用はその後の日本の電機業界にはプラスだったのではないかと思う。

次郎の交友関係では帝国ホテルの社長だった犬丸一郎氏、デザイナーの三宅一生氏、大洋漁業(現マルハ)の中部謙吉氏(次郎は大洋漁業の相談役を務めたことがあり、これが縁で大洋ホエールズの応援にもよく行ったという)、西武の堤清二氏の話などが紹介されている。

銀座にあった寿司屋「きよ田」(平成12年閉店。現在の「きよ田」とは別)、「室町砂場」のそば、帝国ホテルのローストビーフ、軽井沢ゴルフ倶楽部の話などが紹介されている。

「白洲次郎 占領を背負った男」の帯に推薦文を書いた城山三郎さんは、軽井沢ゴルフ倶楽部では次郎に何度かひどいめに会わされて、いい感情を持っていなかったようだが、推薦文を書いてもらって申し訳ないと北さんは語る。

次郎の愛用品は洋服はHenry Poole、ネクタイはTurnbull & Asser、カバンはルイ・ヴィトンだったという。

この本の最後に載っている三宅一生デザインの服を着て、モデルの北村みどりさんと写真に収まっている次郎はデレデレしてしまりがないが、いかにも人間くさい写真で好感が持てる。

最期は「相撲も千秋楽、パパも千秋楽」と言って、看護婦にも「右利きです。でも夜は左(左利きは飲んべえの意味)」とかジョークを飛ばしていたという。

遺言状も「一.葬式無用 一.戒名不用」とだけ書き残している。かっこいいじいさんがいたものである。


白洲次郎ファンには、こたえられない本だろう。是非一度手に取ってみることをおすすめする。


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Posted by yaori at 00:15│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 | 北康利

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