2009年05月25日

悩む力 姜尚中(カン・サンジュン)さんの自伝的読書感想文

東大情報学環教授の姜尚中(カン・サンジュン)さんの自伝的読書感想文。2008年のベストセラーだ。

悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
著者:姜 尚中
販売元:集英社
発売日:2008-05-16
おすすめ度:3.5
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在日韓国人二世として生まれた姜尚中さんだが、熊本の両親が子どもに不自由な思いをさせまいと骨身を惜しまず働き、惜しみなく愛情を注いでくれたという。

この本では在日だからといった特別な体験は語らず、青春そして人生の悩みについて主に夏目漱石の小説とドイツの社会学者マックス・ウェーバーの著作を題材にして語っている。

従って漱石の小説を読んでいないと話が理解できず中途半端に終わってしまう。

漱石は筆者も好きな小説家で、学生時代も読んだが、最近、オーディオブックであらためて聞いている。

朗読 夏目漱石作品集
アーティスト:加藤剛/橋爪功
販売元:インディペンデントレーベル
発売日:2003-05-01
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このブログでも「坊っちゃん」、「こころ」、「それから」のオーディオブックは紹介しているが、他にも「三四郎」、「門」、「吾輩は猫である」、「草枕」をオーディオブックで聞いた。

図書館で朗読のCDを借りたり、カセットしかないものは、アナログーデジタル変換ソフトで変換してiPodで聞いている。

漱石の小説は既に著作権が失効しているので、青空文庫でも公開されている。

青空文庫では漱石の101点の作品を読むことができるが、漱石の作品は文庫で出版されており、簡単に読めるし、オーディオブックにもなっているので、文庫本を買うか、もよりの図書館の朗読CDをチェックすることをおすすめする。


この本の目次

この本の目次は次の通りだ。

序章 「いまを生きる」悩み

第1章 「私」とは何者か

第2章 世の中すべて「金」なのか

第3章 「知っているつもり」じゃないか

第4章 「青春」は美しいか

第5章 「信じる者」は救われるか

第6章 何のために「働く」のか

第7章 「変わらぬ愛」はあるか

第8章 なぜ死んではいけないか

終章  老いて「最強」たれ


悩む人

最初にこのブログでも紹介しているヴィクトール・フランクルの「苦悩する人間は、役に立つ人間よりも高いところにいる」という言葉を紹介して、「悩む力」に、生きる意味(を追求すること)への意志が宿っている姜さんは語る。

漱石の作品にはたしかに悩む人が多く描かれている。この本では「こころ」の”先生”を詳しく取り上げているが、筆者は「門」の宗助が鎌倉の禅宗のお寺で修行するところが好きだ。

あの禅宗の坊さんの「父母未生以前本来の眼目」を考えてみろというのが、どうしても頭から離れない。

青空文庫からその部分を引用すると:

「さあどうぞ」と案内をして、老師のいる所へ伴(つ)れて行った。

 老師というのは五十格好(がっこう)に見えた。赭黒(あかぐろ)い光沢(つや)のある顔をしていた。その皮膚も筋肉もことごとく緊(しま)って、どこにも怠(おこたり)のないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。ただ唇(くちびる)があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛(ゆる)みが見えた。その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩(せいさい)が閃(ひら)めいた。宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。

「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。「父母未生(ふぼみしょう)以前(いぜん)本来(ほんらい)の面目(めんもく)は何(なん)だか、それを一つ考えて見たら善(よ)かろう」

 宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟(ひっきょう)何物だか、その本体を捕(つら)まえて見ろと云う意味だろうと判断した。それより以上口を利(き)くには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。


漱石の精神衰弱

漱石がロンドン留学中に神経衰弱に罹った話は有名だが、この本の漱石とウェーバーの関連年譜を見ると、漱石は東大英文科を卒業して大学院に進み、東京高等師範学校(現つくば大学)の英語教師となった28歳の頃に精神衰弱となり、鎌倉円覚寺で参禅している。

たぶんこの「門」の老師の問答はそのときの経験をもとに書いているのだろう。

その後漱石は文部省派遣留学生として34歳でロンドンに留学するが、精神衰弱に悩まされる。

留学当時の漱石の様子は、今度紹介する多賀敏行さんの「『エコノミック・アニマル』は褒め言葉だった」に紹介されている。多賀さんはケンブリッジ大学に留学し、法学修士号を取得している。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
著者:多賀 敏行
販売元:新潮社
発売日:2004-09
おすすめ度:4.5
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多賀さんによると、漱石の留学は、大学など正規の高等教育機関に通って勉強したわけではなく、ひたすら生活費を切りつめ、余った金のすべてを書籍購入に振り向け、きたない下宿に籠城して朝から晩まで書物を読むふけるというネクラ生活だったという。

クレイグ先生に教導を得たと言われているが、クレイグ先生とは月に数回通って、英文学について質問するという程度の関係だったようで、江藤淳が「漱石とその時代 第二部」に次のように記していることを挙げている。

「Craigニ至ル。文章ヲ添削センコトヲ依頼ス。extra chargeヲ望ム。卑シキ奴ナリ。」(2月12日付け「日記」)

つまり師弟というよりもビジネスの関係だったようだ。

漱石とその時代 第1部 (新潮選書)漱石とその時代 第1部 (新潮選書)
著者:江藤 淳
販売元:新潮社
発売日:1970-08
おすすめ度:5.0
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漱石はこのような生活を続けて、今で言う「海外生活不適応症候群」のようになり、精神衰弱を再発させたようだ。

漱石は後に「倫敦に住み暮らしたる二年間は尤も(もっとも)不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。」と「文学論」で記しているという。

多賀さんはイギリス留学中に江藤淳の「漱石とその時代」を読み、その後「ロンドンの夏目漱石ー漱石研究の一つの盲点」という元日経新聞ロンドン特派員の韮澤嘉雄さんが書いた論文を入手し、漱石がいかに爪に火をともすような生活を送っていたか知ったという。

漱石は倹約のために、一缶80銭のビスケットを水も飲まずに無理やりかみ砕いては生つばのみで飲み下して昼食としていたという。

文部省から支給されていたのは毎月150円で、当時の為替レートで約15ポンドだったという。ウェスト・ハムステッドの下宿は朝食・夕食込みで週2ポンドで、下宿代だけで留学費の半分以上かかっていた。

留学のみやげも持って帰らなければならないので、漱石は相当の倹約を強いられたようだ。

多賀さんは漱石の下宿だったウェスト・ハムステッドの素人下宿も訪問したが、中の下の階級の人が住むような古いレンガ作りの家だったという。(現在は文化財に指定されている)

漱石は50歳で亡くなっているが、その死因は胃潰瘍だった。精神衰弱になるほど悩みが深い漱石なので、胃潰瘍も併発したのだろう。

最近ではWBCに出場したイチローが打撃不振で胃潰瘍になっていたことが記憶に新しい。

イチローもメディアには哲学者のような独特の対応をしているが、いわゆる胃がきりきり痛むまで思い詰めるタイプの人なのだろう。


ウェーバーも精神病で入院

ウェーバーは政治家で資産家の家に生まれ、何不自由ない生活をしていたようだが、政治家であった父に反目する。

順調にキャリアを伸ばし30歳でフライブルク大学教授、33歳でハイデルベルク大学教授となった後、34歳で漱石と同じように精神疾患を発病し、34歳の時に精神病院に入院し、病気のため39歳で正教授の職を辞し、名誉教授となる。

40歳でセントルイスの国際会議に参加するため、アメリカを訪れ、そのときの経験もふまえて、41歳で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表し、一躍有名になる。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
著者:マックス ヴェーバー
販売元:岩波書店
発売日:1989-01
おすすめ度:4.5
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今の学生がウェーバーの作品をどれほど読んでいるのか分からないが、筆者の学生時代は、ウェーバーが必読書とされていた。

そのウェーバーも精神病で入院していたとは知らなかった。


姜さんの主張

この本では姜さんは、特にああしろ、こうしろとは書いていない。

自分の体験と読書の感想を通して、次のような具合に例を提示し、読者に考えるきっかけを与えている。

「人は何を知るべきなのか、という問題は、どんな社会が望ましいかという事ともつながっています。

いずれしても、われわれの知性は何のためにあって、われわれはどんな社会を目指しているのかということを、考え直す必要があるのではないでしょうか」


老いて最強たれ

最後に姜さんは、「老いて最強たれ」ということで、老人力を発揮し、福沢諭吉の言葉のように「一身にして二生を経る」、つまり一人の人間で二つの人生を生きることを呼びかけている。

悩み続けて、悩みの果てに突き抜けたら、映画「イージーライダー」の主題歌"Born to be wild"のように"wild"=「横着者」で行こうと語る。



まだ見ていない人には、結末を教える様で申し訳ないが、筆者にはイージーライダーの最後の印象的なシーンが忘れられない。



漱石やウェーバーの本を読んでいない人は、是非この機会に本を手にとってみてほしい。100年前の作品とは思えない。必ずや得るものがあるはずだ。


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Posted by yaori at 22:41│Comments(1) 趣味・生活に役立つ情報 | エッセー
この記事へのコメント
姜尚中さんの著書『悩む力』の書評を探していて、このブログにたどり着きました。ぜひ書評リンクをさせていただきたいのですが。

「人生最強の名言集」とういうサイトの中に「座右の書」として『悩む力』を紹介しているページになります。
http://jsm.livedoor.biz/
Posted by 武田幸一(人生最強の名言集) at 2009年07月22日 01:24