2009年06月03日

幕末史 半藤一利さんの”賊軍的幕末史”

幕末史幕末史
著者:半藤 一利
販売元:新潮社
発売日:2008-12
おすすめ度:5.0
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歴史小説で数々の名作を書いている半藤一利さんの”賊軍的幕末史”。

このブログでは半藤さんの「ノモンハンの夏」を紹介したが、「日本のいちばん長い日」も読んだので、これも近々紹介する。

ノモンハンの夏ノモンハンの夏
著者:半藤 一利
販売元:文藝春秋
発売日:1998-04
おすすめ度:4.5
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「日本の一番長い日」というと、大宅壮一さんの作品だと思っていたが、実は当時文藝春秋の編集部次長だった半藤さんが書いたものを、事情があって大宅壮一編として発表したものだという。

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)
著者:半藤 一利
販売元:文藝春秋
発売日:2006-07
おすすめ度:5.0
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賊軍史観の幕末史

半藤さんは東京の生まれだが、お父さんの出身地の新潟県、旧長岡藩に毎年夏、からだを鍛えるために送り込まれて、おばあさんから”賊軍”史観を教わったという。

学校で教えている日本近代史は”薩長史観”に基づくもので、長岡藩のような”賊軍”から見れば、薩長はそもそも泥棒で、長岡藩に無理矢理けんかをしかけて、7万4千石のうち5万石を奪い取ったのだと。

だから東京生まれの夏目漱石、芥川龍之介、永井荷風などが”維新”と呼ばず、徳川家の”瓦解”と呼ぶのに、快哉(かいさい)を叫んでいたという。

そもそも明治初期は一般的に”維新”とは呼ばれず、”御一新”で通していたという。

革命で徳川家を倒したものの、当時の民衆は薩長で収まるとは思っていなかったようで、次のような狂歌もあるという。

「上からは明治だなどといふけれど、治まるめい(明)と下からは読む」

司馬遼太郎さんも「幕末にぎりぎりの段階で薩長というのはほとんど暴力であった」と書いているそうだが、半藤さんもその見方に同感で、「西郷は毛沢東と同じ」、「坂本龍馬には独創的なものはない」という見方をしているという。


慶應大学の特別講座

この本は慶應大学丸の内キャンパスの特別講座として2008年3月から7月まで、12回にわたって開催された講義をまとめたもので、漫談調で語っている。

慶應大学で講義していながら、福沢諭吉の著書を紹介するのに”あまり好きではない福沢諭吉”と付け加えていることからも分かるとおり、言いたい放題の講義で面白い。

半藤さんは1930年(昭和5年生まれ)なので、78歳だったはずだが、記憶力も含めて全く衰えるところが見られないのはさすがだ。

この本は1853年のペリー来訪から始まって、安政の大獄、和宮降嫁と公武合体、攘夷論、蛤御門の変、龍馬がフィクサーとなった薩長連合、大政奉還、江戸城の無血開城、五ヶ条のご誓文、版籍奉還・廃藩置県、国民皆兵、征韓論と西南戦争、そして1878年の大久保利通暗殺と参謀本部の設立でまで描いている。

「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」で著者の北康利さんも言っていたが、筆者の高校時代の日本史の授業では、昭和史は受験に出ないということで、自習にまわされていた。

一方幕末、明治の近代史は高校の日本史の授業でしっかり勉強したので、大きな流れはわかっているため、登場人物の細かい動きがわかって面白い。


なぜ幕末史が明治十一年の参謀本部設立で終わっているのか?

なぜ幕末史が山県有朋と桂太郎(当時は中佐)による明治十一年の参謀本部の設立で終わっているかは、半藤さんの考えがあってのことだろうが、半藤さんが最後に次のように述べて強調しているところから推測できると思う。

「芯から政略家である山県と桂のコンビのまことに巧妙な計画によって、軍隊指揮権ははやくも一人歩きをはじめたのです。

ですから明治二十二年に憲法ができたとき、すでに統帥権は独立していましたから、軍隊にかんする憲法の条項はたったの二条しかありません。

よろしいですか、国の基本骨格ができる前に、日本は軍事優先国家の道を選択していたのですよ。」

これと呼応するのが、半藤さんの「日本のいちばん長い日」に書かれている阿南惟幾陸相の自刃の時の遺言である。日本陸軍最後の大臣となった阿南陸相は「一死を以て大罪を謝し奉る」と書き残している。

その「大罪」について半藤さんは、阿南陸相の義理の息子の竹下中佐に次のように語らせている。

「大罪について私は特に大臣に質問はいたしませんでしたが、おそらくは、満州事変以後、国家を領導し、大東亜戦争に入り、ついに今日の事態におとしいれた過去および現在の陸軍の行為にかんし、全陸軍を代表してお詫び申し上げたのだろうと思います。」

半藤さんはつづけて:

「敗戦の罪はすべて陸軍が背負うべきであろう。統帥権の独立を呼号し、政治を無視し、自分の意のままに事後承諾の形であらゆることを遂行してきた陸軍こそ、罰せられてしかるべきなのであろう」

と書いている。

つまりこの幕末史の終わりで紹介されている参謀本部の設立から始まった軍事優先国家の終末が、「日本のいちばん長い日」なのだ。


孝明天皇と幕府

近々紹介する「皇族たちの真実」の著者の竹田恒泰さんは、孝明天皇の研究家だそうだが、明治天皇の父で和宮の兄、孝明天皇はこの本では超攘夷論者として描かれている。

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
著者:竹田 恒泰
販売元:小学館
発売日:2005-12
おすすめ度:4.0
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幕府が諸外国との間で結んだ修好通商条約などに従って兵庫の開港が必要となり、徳川慶喜が上洛し、孝明天皇の裁可を求める。孝明天皇は外国人嫌いだが、皇統と国民のためということで、条約を裁可する。太平洋戦争終結時の昭和天皇も、皇統と国民のためと言われていたのと同じなところが皇室の同一性を物語っている。

先日終了したNHKの大河ドラマで一躍有名になった篤姫は孝明天皇の妹の和宮が嫁した徳川家茂の養母で、大奥を支配し、勝海舟の勧める江戸城の無血開城を支援した。


勝海舟や坂本龍馬が活躍した時代

この時代は桜田門外の変や坂本龍馬の暗殺などで代表されるように、テロが頻繁に起こっており、多くの人がテロに倒れている。

鎖国とはいえ、オランダと通商は続けていたので、幕府も案外世界の情報を入手していて、ペリーが来訪したがっているという情報もオランダ経由入手していたという。

勝海舟は神戸操練場をつくり、坂本龍馬を塾頭に採用する。西郷は勝の噂を聞き、神戸まで出向いて面談している。

その後龍馬は西郷に会いに行き、「西郷という奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば、少しく響き、大きく叩けば大きく響く」と勝に報告したことは有名だ。

1866年、龍馬の仲介で、桂小五郎と西郷隆盛の間で薩長同盟が成立する。長州は、長崎のグラバー商会を通じて元込め銃やアームストロング砲など最新兵器を購入し、幕府軍より優秀な武器を揃える。

ちなみにグラバーはジャーディンマセソン商会の長崎代理店を長くつとめた。吉田茂の父の吉田健三は、同じくジャーディンマセソン商会の横浜支配人で、若くして亡くなったので、吉田茂に莫大な財産を残したことは、北康利さんの「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」のあらすじで紹介した通りだ、

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて吉田茂 ポピュリズムに背を向けて
著者:北 康利
販売元:講談社
発売日:2009-04-21
おすすめ度:4.5
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勝海舟は、西軍が江戸に進撃してきたら、ナポレオンのモスクワ進軍の時のように、江戸に火をつけて西軍を焼き殺し、慶喜は英国に亡命するという計画を英国パークス公使と話していたという。


薩長支配という現実

賊軍出身者は陸軍、海軍でも差別され、終戦の時の首相の鈴木貫太郎も賊軍出身ということで、差別を受けて3度も海軍をやめようと思ったという。

例として明治30年の陸軍中将の出身を挙げている。長州12人、薩摩13人、土佐2人、福岡4人、東京1名で、陸軍大将は全員長州出身だという。

「歴代首相 知れば知るほど」のあらすじで紹介した通り、歴代首相も薩長出身者のオンパレードだ。

歴代首相 (知れば知るほど)歴代首相 (知れば知るほど)
著者:小林 弘忠
販売元:実業之日本社
発売日:2008-02-01
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参考になるエピソードが満載

明治政府が成立してすぐの1871年に、岩倉具視を団長として、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文を含めた総勢46人の欧米視察団を派遣し、これに留学生42名も同行する。こうのうち5名が女子留学生で、津田塾大学創設者の津田梅子さんも入っている。

海外の進んだ技術を取り入れるために、政府のトップみずから進んで外国を視察し、どん欲に吸収していったことがわかる。

西郷は征韓論に負けたこともあって、権力闘争に嫌気がさして、鹿児島に帰る。そして不平士族に祭り上げられ、西南戦争を起こし、敗北して自ら命を絶つ。

山県有朋は陸軍の参謀本部を創設し、陸軍卿を西郷従道にゆずり、みずから参謀本部長に就任している。これで統帥権の独立が達成された。

半藤さんは明治政府はビジョンもなにもなく始まったと評しているが、筆者には5ヶ条のご誓文といい、国民皆兵で富国強兵をスローガンに欧米諸国に肩を並べる国際的地位を目指したことといい、廃藩置県、学制公布、徴兵制、地租改正、廃刀令など、時宜にあった政策を打ち出していることは高く評価できると思う。

その意味では筆者は司馬遼太郎さんの様な明治礼賛とまではいかないが、幕末・明治時代の人物には興味を惹かれる。

半藤さんは、靖国神社は戊辰戦争の死者をまつることから始まったが、逆軍の東軍の死者は一人として祀られておらず不条理だと訴えている。靖国神社には戊辰戦争以来の戦死者が祀られているという話を聞いていたが、幕府軍の戦死者は祀られていないとは初めて知った。

全体を通して半藤さんが言うほど”賊軍史観”だとは思わない。

面白い事実が満載の楽しい読み物である。

是非一読をおすすめする。


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Posted by yaori at 22:40│Comments(0)TrackBack(0) 歴史 | 半藤一利

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