2009年06月26日

皇族たちの真実 竹田宮末裔の語る皇族の話

語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」語られなかった皇族たちの真実-若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」
著者:竹田 恒泰
販売元:小学館
発売日:2005-12
おすすめ度:4.0
クチコミを見る


終戦後11宮家の皇籍離脱で一般人となった竹田宮の末裔、竹田恒泰さんの本。竹田さんは昭和50年生まれで、環境学や孝明天皇を研究し、現在は慶應大学法学部の講師として「天皇と憲法」を担当している。中田現市長が勝利した平成14年の横浜市長選挙に出馬も考えたが、まわりからとめられたという。

竹田さんの祖父の竹田恒徳氏は「スポーツの宮様」として、昭和28年からJOC委員となり、後にJOC委員長として昭和39年の東京オリンピックと昭和47年の札幌冬季オリンピックの誘致に成功している。

竹田さんの父君の竹田恒和さんは恒徳氏の三男で、馬術でミュンヘン、モントリオールオリンピックの代表となり、現在はJOCの会長を務めている。

竹田宮は伏見宮の傍系で、明治になって伏見宮から北白川宮が分家し、さらに竹田宮が分かれた。明治39年に生まれた比較的新しい宮家である。

皇族の役割

この本では、皇族の役割として1.皇統の担保(血のスペア)と、2.天皇の藩屏(はんぺい)を挙げており、それぞれについて説明している。

第1章は万世一系の危機ということで、女帝を認めるかどうかの議論を旧皇族の立場から論じている。これが皇統の担保だ。

第2章以下は、天皇の藩屏として、つまり天皇の近親者として天皇を守る役割で、戦争に加わった皇族、皇族達の終戦工作や、終戦の際の東久邇宮内閣や11宮家の皇籍離脱を取り上げている。


男系継承の意義

皇族の第一の存在理由は、皇統が途絶えそうになったときに、皇族が皇位を継承することによって万世一系を維持することだ。

2006年に秋篠宮文仁親王に悠仁(ひさひと)親王が生まれる前までは、皇太子ご夫妻の唯一の皇子は愛子内親王だったので、女性天皇を認めるように皇室典範を改正しようという動きがあった。

小泉首相の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」が吉川弘之元東大総長を会長とする10名の委員で設置され、2004年に男女を問わない長子優先の制度が適当であり、女性天皇も認めるべき、女王の配偶者も皇族とすべきという答申を発表している。

竹田さんは、日本の皇室は男系継承されてきた世界で最も古い王家である。歴史上何度かあった皇統断絶の危機も皇位は常に男系で継承されてきたように、今後も男系継承の伝統は守られるべきだと語る。

男系継承は皇室にとって絶対に変えてはならない伝統であると。ただし竹田さんの主張は、竹田家や旧皇族の統一見解でなく、個人的意見であると断っている。

英国など他の国の王室との違いについては、竹田さんの「旧皇族が語る天皇の日本史」に詳しいが、他国の王室は、ロイヤルファミリーを殺して、別の権力者のファミリーが王座を乗っ取ったという歴史がある。

これに対して、日本の皇室は単一ロイヤルファミリーが2,000年も続いているというのが大きな差だ。

旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)
著者:竹田 恒泰
販売元:PHP研究所
発売日:2008-02-14
おすすめ度:3.5
クチコミを見る



過去の皇統断絶の危機

今上天皇は第125代天皇にあたるが、過去109回は天皇の皇子、9回は天皇の皇孫、3回は皇曾孫が即位している。

このうち女性天皇は8方10代だが、すべて男系の天皇であり、女系の天皇はかつてない。

ここでは女系天皇と女性天皇を区別する必要がある。

女性天皇は既婚者の場合はすべて皇后または皇太子妃であり、夫が亡くなった後に践祚(せんそ)した。女帝が独身の場合は、生涯独身を貫くことが不文律としてあったという。

残り3例が皇統断絶の危機である。6世紀の第26代継体天皇と第25代武烈天皇は祖父同士がはとこ、10親等の隔たりがあるが、それでも男系継承が続けられた。

15世紀、室町時代の第102代後花園天皇は、皇統断絶の危機から伏見宮家よりの天皇が即位した。大宅壮一氏は、宮家とは血のリレーの伴走者であると評したそうだが、まさに”血のスペア”が現実となった事例だ。

最後の3例めは、江戸時代後期の18世紀末、第118代後桃園天皇が22歳で崩御した時だ。

御桃園天皇の子どもは2歳の欣子内親王で、近親に皇族男子がいなかったため、一時空位が生じたが、閑院宮家の8歳の祐宮を後桃園天皇の養子とした上で、第119代光格天皇として即位させた。

そして血縁を濃密にするために、欣子内親王は光格天皇の皇后となった。

光格天皇は在位38年と、昭和天皇の64年、明治天皇の46年に次ぐ歴代2位の在位期間で、院政の23年を入れると通算62年君臨し、明治維新につながる歴史の礎をつくった。


側室制度の意義

このように万世一系の皇統を維持するためには、世襲親王家と天皇の皇子を増やす側室制度が不可欠であったと竹田さんは語る。

昭和天皇の直系の先祖、大正天皇、明治天皇、孝明天皇、仁孝天皇は生母がすべて側室だが、だからといって皇位継承に何の問題もない。しかし昭和22年制定の現在の皇室典範は嫡子のみに皇位継承権があると明記され、庶子は皇族の身分が与えられなくなった。


天皇はなぜ尊いのか?

「旧皇族が語る天皇の日本史」では、竹田さんは学生から「天皇はなぜ尊いのか?」と聞かれて、その場では答えられなかったという話を紹介している。

竹田さんが男系継承にこだわるのは天皇家が2000年の伝統があるからに尽きると語る。天皇は初代天皇の血を受け継いできているから尊いのだと。

筆者も同感である。まさにそれ以外の説明はできないだろう。世界で唯一2000年続いてきたことに絶対の価値があるのだと思う。

このあたりは文化人類学者の竹内久美子さんの「万世一系のひみつ」のあらすじで紹介しているので、参照してほしい。

遺伝子が解く!万世一系のひみつ (文春文庫)遺伝子が解く!万世一系のひみつ (文春文庫)
著者:竹内 久美子
文藝春秋(2009-05-08)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

また女性天皇を認める場合には、神道では生理は”穢れ”ということになるので、過去の女帝の時代には、生理の期間中は神事は行えないという支障も出ていたことを考慮に入れなければならない。


天皇の分身としての皇族

この本では戦争と皇族、終戦と皇族、占領下の皇族の3つの切り口から皇族が天皇のいわば分身として機能した例を取り上げている。

昭和16年日米戦争が避けられない雰囲気となってきた時、9月6日の御前会議で昭和天皇は明治天皇の御製を2度朗誦された。

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」

はっきりと開戦回避を命じられたのだ。

それにもかかわらず10月に海軍元帥の伏見宮博恭親王が開戦を強く進言したことにいたく失望されていたという。


戦争反対の高松宮他の皇族

これに対し避戦を主張されたのが、海軍中佐で大本営参謀だった弟宮の高松宮宣仁親王だ。

高松宮殿下は開戦決定の御前会議の1日前の11月30日に昭和天皇と話し、開戦をやめるべきだと主張したが、昭和天皇は「そうか」とだけ言われたという。

天皇はこのときの心境を「昭和天皇独白録」に、次のように書いている。

「私は立憲国の君主としては、政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ、もし認めなければ、東條は辞職し、大きな「クーデタ」が起こり、却って滅茶苦茶な戦争論が支配的になるであらうと思ひ、戦争を止める事に付いては、返事をしなかった」

昭和天皇独白録 (文春文庫)昭和天皇独白録 (文春文庫)
著者:寺崎 英成
販売元:文芸春秋
発売日:1995-07
おすすめ度:4.0
クチコミを見る


当時御殿場で、肺結核静養中だった秩父宮殿下は英国留学経験もあり、英米との開戦は絶対反対だった。

開戦後も、リスクを冒して外務省北米課長の加瀬俊一を米国・英国大使館に派遣して駐日米国大使のグルーと駐日英国大使のクレーギーに遺憾の意を伝えたという。

グルーが米国に外交官交換船で帰国後、格下の極東課長、つぎには国務次官に就任し、日本のために天皇制は残した方が良いと主張して回り、米国の占領政策に影響を与えた。


皇族の停戦工作

その後も高松宮はミッドウェーでの惨敗後、昭和天皇に手紙を送ったり、近衛文麿と細川護貞(もりさだ)と一緒に早期講和を訴え、昭和19年6月には昭和天皇と激論になったという。

この辺の事情は「高松宮日記」に詳しい。

高松宮日記〈第1巻〉高松宮日記〈第1巻〉
著者:高松宮 宣仁
販売元:中央公論社
発売日:1996-03
おすすめ度:5.0
クチコミを見る


高松宮と秩父宮は東條英機とも対立した。

終戦直後の総理大臣に就任した東久邇宮稔彦王は、大正末期に7年間フランスに留学し、自由な生活を楽しんだが、当時親交のあった元首相のクレマンソーに次のように言われたという。

「アメリカが太平洋へ発展するためには、日本はじゃまなんだ。(中略)アメリカはまず外交で、日本を苦しめてゆくだろう。日本は外交がへただから、アメリカにギュウギュウいわされるのにちがいない。その上、日本人は短気だから、きっとけんかを買うだろう。

つまり、日本の方から戦争をしかけるように外交を持ってゆく。そこで日本が短気を起こして戦争に訴えたら、日本は必ず負ける。アメリカの兵隊は強い。軍需品の生産は日本と比較にならないほど大きいのだから、戦争をしたら日本が負けるのは当たり前だ。それだからどんなことがあっても、日本はがまんをして戦争してはならない」

やんちゃ孤独 (1955年) (読売文庫)
著者:東久邇 稔彦
販売元:読売新聞社
発売日:1955
クチコミを見る


まさにクレマンソーがこう言って15年も前に予測していた通りの展開となったのだ。

東久邇宮は昭和16年9月の天皇が明治天皇の御製を詠んだ御前会議のあとに、陸軍大学同窓の東條英機陸相と激論を交えた。

クレマンソーの話も聞かせ、「アメリカの手にのって戦争をしないように我慢しなければならない」と説得したが、東條は「勝利の公算は2分の1である。危険ではあるが、このままで滅亡するよりは良いと思う」と答え、最後に「見解の相違である」と話を切り上げた。

東久邇宮は日中戦争を終わらせるために、右翼の巨頭で蒋介石が日本に亡命したときにかくまった頭山満を、蒋介石との交渉に派遣しようと昭和16年9月と改選後の12月にも画策するが、二度とも東條英機に「見解の相違」とかたづけられてしまう。


天皇の名代として日本軍の武装解除を説く

終戦の時も、昭和天皇は昭和20年8月12日に高松宮、三笠宮、賀陽宮、(かやのみや)、東久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮、閑院宮、、朝鮮王室の李王垠、李鍵公の各皇族、王公族をよび、ポツダム宣言受託の旨を説明し、日本再建への努力を依頼した。

このあたりは、以前紹介した半藤一利さんの「日本のいちばん長い日」にも描かれている。

そして8月16日朝香宮はシナ派遣軍に、竹田宮は関東軍に、閑職院宮は南方総軍に天皇の名代として終戦と武装解除を伝達した。

竹田宮は満州国皇帝溥儀を亡命させる密命を受けていたが、ソ連軍が奉天飛行場まで迫ってきており、溥儀はソ連軍に身柄を拘束されシベリアに抑留されてしまう。竹田宮もあやうく難を逃れるが、護衛の戦闘機はソ連軍めがけて自爆した。

陸海軍あわせて789万人の武装解除を完遂するために、それからも各宮は厚木飛行場などに行って、天皇の指令で各地を訪問した。

その後10月10日に昭和天皇は伊勢神宮などにお参りし、自分がお参りできない120の天皇御陵にお参りすることを宮家の代表に指示した。

ちなみに半藤一利さんの対談集の「日本史はこんなに面白い」によると、天皇は10代の頃、すべての天皇御陵を訪問している。これは天皇が歴史の授業を受けた東京帝国大学教授白鳥庫吉の影響だという。

日本史はこんなに面白い日本史はこんなに面白い
著者:半藤 一利
販売元:文藝春秋
発売日:2008-07
クチコミを見る


恐るべき米軍の諜報力

竹田宮はフィリピン侵攻の時に、参謀として飛行機でバターン半島を視察するが、後にGHQのウィロビー少将に会ったときに、「はじめてではない。1942年のはじめに、あなたは赤い吹き流しのついた飛行機でコレヒドール上空を飛んだでしょう。そのときにあなたに会いましたよ」と言っていたという。

マッカーサーは天皇のお使いがここまで飛んできたということは、日本軍がはっきり自信を持ってきた証拠だとみて、フィリピンを捨てて、豪州に退く決心をしたのだという。


東久邇宮内閣

戦後すぐの内閣として東久邇宮が総理大臣となる。近衛文麿と緒方竹虎をアドバイザーとして組閣するが、マッカーサーと天皇が並んで撮った有名な写真を掲載した新聞を、内務省が発行停止としたので、内務省解体をGHQは決意する。これが東久邇内閣が54日で総辞職するきっかけだった。

Macarthur_hirohito






出典: Wikipedia


皇室ねらいの高率財産税

昭和21年9月にGHQの指令により財産税が導入され、昭和21年3月3日現在の1,500万円を超える財産に、最高90%の財産税を課せられることとなったので、天皇家と皇族は大きなダメージを受けた。

日本全体の財産税税収が43億円だったのに対して、天皇家は資産評価額37億円で、33億円を納税した。まさにGHQの皇室をねらい打っての財産税導入だ。

ちなみに三井、岩崎、住友などの財閥家は3〜5億円程度の資産だったので、天皇家の財産がいかに大きかったのかがわかる。皇族では高松宮の納税額1千万円がトップだったという。


11宮家の臣籍降下

昭和21年11月に昭和天皇の兄弟の秩父宮、高松宮、三笠宮をのぞいて11宮家、51人に臣籍降下が命じられる。この本の表紙の写真は昭和22年に行われたお別れ会の時の写真だ。

昭和22年5月3日の新憲法施行時に華族制度も廃止され、490華族が爵位と財産上の特権を失い、皇族に準ずる待遇を受けていた朝鮮の李王家も廃止となった。

赤坂にあった李王家の本邸は現在の赤坂プリンスホテルとなり、高輪にあった竹田宮本邸は高輪プリンスホテルとなり、竹田宮洋館は現在でも貴賓館として残っている。

昭和22年の廃止後も、菊栄親睦会という皇室と旧皇族の親睦会が続けられている。


11宮家のその後

この本では11宮家のその後を紹介しており、巻末資料として11宮家の起源から簡単に解説している。

竹田さんのおじいさんの竹田恒徳さんが、秩父宮とともに”スポーツの宮様”として、スポーツ振興に取り組み、後楽園アイスパレス建設とか、JOC委員、後に会長として東京・札幌オリンピック招致にあたっている。

竹田さんのお父さんもミュンヘン、モントリオール両オリンピックに出場した馬術選手で、現JOC会長だ。

11宮家のうち、すでに断絶したのが、東伏見宮家、山階宮家、閑院宮家で、継嗣がなく当主で断絶が見込まれるのが、梨本宮家、伏見宮家、北白川宮家である。

ちなみに今上天皇の第1皇女,黒田清子さんが勤めていたのが、山階宮家ゆかりの山階鳥類研究所だ。

今後も継続が見込まれるのは、賀陽宮家、久邇宮家、朝香宮家、東久邇宮家、竹田宮家の5家だ。

旧皇族は大企業に勤めたり、必ずしも成功ばかりではないが、事業を開始したりしている。


皇族の使命

最後に竹田さんは、すでに皇族制度は廃止されており、皇籍を離脱しているが、11宮家は”血のスペア”として”ノーブレス・オブリージュ”の責任を感じ、皇統の危機にあたっては、ともに悩む責任があると語る。

男系継承の可能性がある現在、女系天皇を議論するというのは、あまりに時期尚早であり、万世一系を冒涜する考えであると。

皇族制度が廃止されてすでに60年以上も経っており、普段あまり意識することがないが、竹田さんは旧宮家の一員として、きっちり言うべき事は言っている。

文末に100冊以上の主要参考文献を紹介しており、きちんとした調査の上に書かれた本であることがよくわかる。

時代を代表する出来事も簡潔に織り込み、この本全体を通して歴史の流れも理解できる優れた構成となっている。

読みやすく、わかりやすい。

是非一読をおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。









Posted by yaori at 00:25│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 | 歴史

この記事へのトラックバックURL