2009年08月28日

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 戦中派ジャーナリストの献花外交のすすめ

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)
著者:松尾 文夫
販売元:小学館
発売日:2009-08-03
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元共同通信ワシントン支局長の松尾文夫さんの相互献花外交のすすめ。共同通信退社後、2002年にジャーナリストとして復帰、「銃を持つアメリカ」を日米両国で出版、この本は8月に発売されたばかりの最新作だ。

銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)銃を持つ民主主義―「アメリカという国」のなりたち (小学館文庫)
著者:松尾 文夫
販売元:小学館
発売日:2008-03-06
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Democracy With a Gun: America and the Policy of ForceDemocracy With a Gun: America and the Policy of Force
著者:Fumio Matsuo
販売元:Stone Bridge Pr
発売日:2007-10
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松尾さんは1933年生まれ。小学生の時に新宿区の戸山小学校(当時は国民学校)でドーリットル隊のBー25が地上スレスレの超低空で東京を空襲したのを目撃する。

小学校の校庭から大きな鼻の操縦士をはっきり見たという。その大きな鼻の操縦士と再会し、2005年のドーリットル爆撃隊の年次総会に出席した話も紹介されている。

YouTubeにドーリットル爆撃の実写フィルムがミッドウェー海戦とともに掲載されているので紹介しておく。レーダーに捕捉されないため(当時日本ではレーダーは実用化されていなかったが)超低空で飛行していることがよくわかる。

これならパイロットの顔もわかるはずだ。



ちなみに松尾さんもドーリットル爆撃を、ミッドウェイでの敗北の遠因となった太平洋戦争の一大転機と位置づけている。

たしかに空母に爆撃機を積んで発進させ、レーダーに発見されないように超低空飛行を続け、日本を通って中国に着陸するまで合計13時間、3,500キロも飛ぶ。

そして日本初爆撃で日本の指導者と国民を震撼させる上に、生還した爆撃機は中国に渡そうという構想は、敵の裏をかいた一石何鳥もねらった優れたアイデアだと思う。(ちなみにパイロットたちは皇居は狙わないように注意されていたという)

日本戦府は9機撃墜と発表したが、実際は1機も打ち落とせなかった。

しかし16機すべて途中で燃料がなくなって不時着したり、着陸時に壊れたりして、結局中国に引き渡せた機体はなかったというが、それでもアメリカ国民の士気を鼓舞し、日本を震撼せしめる大きな効果はあった。

松尾さんは疎開先の福井で敗戦直前の1945年7月にB−29の夜間無差別焼夷弾爆撃を受け、たまたま近くに落ちた焼夷弾が不発弾だったので九死に一生を得る。

このような戦争体験を持つ松尾さんは、戦争を知る最後の年代として「何故アメリカという国と戦争したのか」、「アメリカとはどういう国なのか」にジャーナリストとしてこだわりたいと語る。


オバマ大統領に広島で献花を

自分の生きている間は無理かもしれないとしながらも、2009年4月のプラハ訪問の時に核廃絶を目標として発表したオバマ大統領に広島で献花してもらい、返礼として日本の首相が真珠湾のアリゾナ記念館で献花する献花外交を松尾さんは提唱する。

すでに2008年に米国ナンシー・ペロシ下院議長の広島献花と、河野衆議院議長のアリゾナ記念館での相互献花が実現している。

松尾さんは献花外交というアイデアを2005年8月のウォールストリートジャーナルの意見欄でも明らかにした。

オバマ大統領は2009年6月にドレスデンを訪問しており、広島訪問も決して実現性のない話ではないと思う。


ドレスデンの和解

1995年にドイツ大統領、エリザベス女王名代のケント公、イギリス、アメリカの軍人トップが集まった「ドレスデンでの和解」がまず取り上げられている。

この日のドイツヘルツォーク大統領の「命を命で相殺できない」という演説は松尾さんのサイトでも紹介されている。

和解の印として相互に献花を行い、不戦の誓いと結束を新たに相互に確認しているのだ。

様々な戦争記念日は特別のイベントとしてメディアにも注目され、自国民のみならず、近隣や関係諸国の国民にも与える影響が大きい。まさに象徴的な献花外交と言えるだろう。

松尾さんはドレスデンの他に、スペイン ゲルニカや英国コベントリーの他、南京、重慶なども訪れている。


独仏共通歴史教科書

日韓で共通歴史教科書をつくることが検討されているが、献花外交の成果の一つは独仏共通歴史教科書だ。

共通教科書構想自体は1920年代からあったが、2003年の両国青年会議での提案をシラク大統領とシュレーダー首相が受け入れ、2006年に第1部「1945年以降」が初めて出版された。

第1部は日本語にも翻訳されているので、今度読んでみる。

ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)
著者:ペーター ガイス
販売元:明石書店
発売日:2008-12-15
おすすめ度:5.0
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2008年に第2部「ウィーン会議から1945年まで」が出版され、第3部の「ウィーン会議までの時代」が2010年までに出版される予定だ。

共通歴史教科書は、歴史評価がシンクロできて、相互の理解が深まる良い手法だと思う。日韓や、時間が掛かるかもしれないが、日中でも共通歴史教科書は検討すべきではないかと思う。


日本とドイツの戦後処理の際だった違い

この本では戦後処理に関するドイツと日本の大きな違いを明らかにしており、興味深い。

ナチスドイツが一党独裁で戦争を推し進め、ユダヤ人やポーランド人を虐殺したドイツと、国民のほとんど全体が戦争を望み、圧倒的コンセンサスで「鬼畜米英」を相手に戦争に突入した日本では事情が大きく異なり、単純な比較はできないが、参考になる事例ではある。

日本とドイツの差は次のような点だ。


戦争犯罪追求

ドイツではいまだに「ナチス犯罪究明各州合同法務センター」がナチス犯罪を追求しており、2007年末までに訴追件数11万3千件、有罪7千4百件、死刑12件、終身刑167件、懲役6千2百件が確定している。

これは連合国によるニュルンベルグ裁判とは全然異なり、ドイツ人自身がナチスの犯罪を許さないという確固たる国会意思によって支えられている。

日本では東京裁判で連合国によりA級戦犯などが裁かれた。東京裁判とA級戦犯についてはこのブログでも紹介しているので、参照して欲しい。

日本人自身が「満州事変、シナ事変、大東亜戦争を不可避ならしめた者」を反逆罪で裁く緊急勅令案が、戦争終結直後の東久邇宮内閣や幣原内閣では考えられていたが、GHQの指示で東京裁判が開催されることになり、日本人自身が裁く話はその後も持ち上がらなかった。

筆者はナチスドイツとは異なり、日本の場合には国民大多数のコンセンサスで戦争に突入したことから考えて、日本人自身が日本の戦争犯罪人を裁くというのは当てはまらないと考えている。

一方、松尾さんは「日本はこの幻の自主裁判案の挫折で、私が本書でドイツとの対比で言い続けている敗戦のケジメ、つまりその戦後の再スタート時につけるべき大きなケジメのチャンスを失ったということである」と書いている。

これは「進駐軍と呼ぶのはまやかしだ、占領軍とはっきり呼ぼう」との松本重治の記事を検閲で削除した事とつながるGHQの占領政策であり、日本人が自らケジメをつけることを望まない「日本占領」の素顔がのぞいていると松尾さんは語る。


戦争責任を認めた謝罪外交

ドイツでは政府指導者が、ゲルニカ爆撃謝罪や、ワルシャワでのポーランド人虐殺、ホロコースト謝罪など目に見える形で戦争責任の謝罪を行っている。

その一方でドレスデン爆撃を強く主張したアーサー・ハリスイギリス空軍司令官の銅像建立に際してはコール首相が抗議している。

人道に対する罪をドイツは国内外の区別無く糾弾し、ドイツ自身の場合は謝罪し、そして連合国の犯罪は糾弾しているのだ。

これに対し日本は1995年の村山談話を公式見解として、新たな指導者は戦争責任は公式には口にしていない。

また東京大空襲はじめ日本の都市に対する夜間無差別焼夷弾爆撃による焦土作戦を立案・実行したカーチス・ルメイ将軍に対して、日本は航空自衛隊を育成したという功績で「勲一等旭日大授章」を贈っているのだ。

昭和天皇はカーチス・ルメイへの勲一等授与ははっきり拒否している。

松尾さんがアメリカでドーリットル隊の元軍人にこの話をすると、みんな沈黙したという。アメリカではルメイが無差別殺人を命じた張本人と見られているのに、その人物に対して日本が勲章を贈ったことが信じられないという。

ちなみに東京を焼き尽くし民間人を攻撃するという出撃命令を受けた爆撃機パイロットは皆ふさぎ込んでしまったという話は「B−29 日本爆撃30回の実録」のあらすじで紹介した通りだ。


民間人の戦争被害補償

ドイツでは民間人に対しても空襲や地雷、艦砲射撃の被害を戦争の直接被害として国家補償がなされている。ドイツではすでに1870年の普仏戦争から一般市民の戦争損害を補償しており、この伝統が守られているのだ。

日本では2008年に国会図書館社会労働調査室の宍戸伴久氏が「戦後処理の残された課題ー日本と欧米における一般市民の戦争被害の補償」という論文を発表している。

旧軍人には恩給法、軍属にはいわゆる「遺族援護法」が沖縄戦犠牲者、原爆犠牲者、戦後引き揚げ者・シベリア抑留者に適用されてきたが、空襲で焼け出されたり、死亡した被害者は補償の対象となっていない。

2007年3月から東京大空襲訴訟が始まっており、近々東京地裁で判決が下される事になっているが、最高裁判所は1987年の名古屋空襲の被害者に対して、戦争は国民として受忍すべきで、補償するには国会の立法が必要として請求を退けており、これが現在の判例だ。

余談になるが、筆者の亡くなった父はたしか昭和18年に徴兵され、上海からベトナムを経て最後はインドネシアで終戦を迎えた。後に続く輸送船はことごとく米国の潜水艦に沈められ、父達のあとの新兵の補充はなかったので、ずっと二等兵のままだったという話をしていたことを思い出す。

父とは軍人恩給の話をしたことはないが、恩給をもらうには期間が足りないと、父と同居していた弟から聞いたことがある。軍人恩給がどういう基準でもらえるのか総務省のQ&Aがあるので、興味のある人は参照して欲しい。

戦地加算一覧表というのもある。普通は12年以上の軍務だが、戦地の1年は4年に換算される。

いずれにせよ本人が亡くなると相続はしないので、父が亡くなった以上今は関係ないが、どうやらもうすこしのところで父は期間が満たなかった様だ。


占領地での強制労働の補償

さらにドイツは2000年仲介役のアメリカの協力も得て、ナチス時代のドイツ支配地域での強制労働の被害者にも道義的補償と位置づけて「ナチス強制労働補償財団」をつくって補償に応じている。

2007年には166万人に対して44億ユーロ(5,700億円)が支払われたという。


日本の戦争被害の補償

日本の場合にはサンフランシスコ講和条約第14条B項で、「連合国及びその国民」の日本に対する賠償請求権放棄を明記しているが、これを見直すべきだとの意見もスタンフォード大学アジア・大洋州研究センター所長の申基旭(Gi-Wook Shin)教授などから出されているという。

申教授の考えでは、「アメリカは戦後ドイツに周辺国との和解を勧めた欧州での政策と対照的に、戦後日本に対しては、近隣アジア諸国に対する和解を勧めなかったのみならず、逆に冷戦の敵としての中国、北朝鮮との敵対関係を放置し、あおるような行動に出た。このアメリカの政策が現在の東北アジアで和解ができていないことの根源にある。」

「1951年のサンフランシスコ平和条約の締結国にも韓国や中国は入っていない。東京裁判でも欧米人捕虜虐待問題は裁かれたが、中国や朝鮮半島での日本の残虐行為は裁かれなかった。アメリカの強い意向で天皇が訴追から守られ、天皇制の維持が図られた。」

「こうした北東アジアの緊張を解き、和解を達成するために、アメリカはドイツの戦時補償問題解決で仲介役を果たしたのと同じように、サンフランシスコ平和条約の第14条B項にある賠償権の放棄を再解釈する努力に日本の協力も得て取り組むべきである」

というものだ。

申教授が編者となった"Colonial Modernity in Korea"(「韓国の植民地近代性」)という本で、韓国での日本の植民地政策の賛否両論をまとめているようなので、この九月に家族でソウルに旅行することでもあり、読んでみようと思う。

Colonial Modernity in Korea (Harvard East Asian Monographs)Colonial Modernity in Korea (Harvard East Asian Monographs)
販売元:Harvard University Asia Center
発売日:2001-09-01
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相互献花外交という点以外、ドイツを戦後処理の範とする松尾さんの理由付けが今ひとつ弱いような気がするが、いずれにせよ日本の近隣諸国との関係を考える上で参考になる本である。

オバマ大統領が出てくる部分はほんの一部なので、タイトルに惹かれて読むとがっかりするかもしれないが、ドイツの戦後処理を知るだけでも参考になると思う。

出たばかりの本なので、書店で手にとってパラパラめくってみることをおすすめする。


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Posted by yaori at 01:26│Comments(0)TrackBack(0) ノンフィクション | 歴史

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