2009年09月23日

へこたれない ワンガリ・マータイ自伝 モッタイナイ運動支援者

UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝
著者:ワンガリ・マータイ
販売元:小学館
発売日:2007-04-11
おすすめ度:5.0
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ケニア出身でアフリカ各地で植林を進めるグリーンベルト運動の創始者、ワンガリ・マータイさんの自伝。

30年間で3,000万本もの植林を実現した功績と、ケニアの独裁政権と対決し、何度も投獄されながらもアフリカの女性解放運動を推し進めた功績で、2004年のノーベル平和賞を受賞している。

2005年に毎日新聞社の招きで来日した時に、日本語の「もったいない」を知り、"MOTTAINAI"運動として世界に広める努力をしている。


世界の森林比率

アフリカというとジャングルやサバンナが思い浮かぶが、ケニアでは森林伐採が続き毎年0.3%ずつ森林比率は減少し、現在は6%だ。日本の森林比率は70%弱で、実は世界で最も森林比率の高い国の一つだ。

FAO(国連食料農業機関)でGlobal Forest Resources Assessment 2005という世界の森林の状態についてのレポートを公開しているので紹介しておく。

Kenya forrestJapan forrest






出典:FAO Global Forest Resources Assessment 2005

次の表は上記の表を加工したものだ。

森林面積2






出典:FAO Global Forest Resources Assessment 2005のデータを加工

先進国では1990年以来、森林の面積はほとんど減っていないが、世界全体では毎年0.2%ずつ減少しており、森林面積トップ10ヶ国の中では、2位ブラジル(−0.6%)、8位インドネシア(−2%)、9位スーダン(−0.8%)の減少が大きい。

アフリカでは全体として毎年0.6%ずつ減少しており、アフリカ諸国の平均減少率よりは少ないが、マータイさんの母国のケニアでは毎年0.3%づつ森林が減少している。

ヨーロッパ、北米、東アジアでは、ほぼ横ばいか増加だが、アフリカ、南米、南・東南アジアでは減少している。森林問題は貧富の差の問題でもあることがわかると思う。


ちなみに世界最大の森林国はロシアである。次の地図からもそれがわかるだろう。

Russland




ケニアではトウモロコシやコーヒー、茶などの換金作物の生産のために森林がどんどん伐採され、地盤がゆるみ大雨が降ると洪水が頻繁に起こるようになっている。

この本を読むと森林伐採問題以外にも、ケニアでは部族問題、女性差別問題、独裁政権と、アフリカ諸国共通の問題を抱えていることがよくわかる。


マータイさんの生い立ち

ワンガリ・マータイさんは1940年生まれ。ケニア最大の部族、キクユ族の出身だ。生まれてすぐイギリス人の経営する農場に一家で移り住み、一夫多妻制で母親の違う兄弟が居たという。

ケニアでは20世紀初頭には統治者のイギリスに対して各部族が抵抗を試みたが、イギリス政府が武力により鎮圧した。1950年前後には抵抗運動が再び活発となり、初代大統領のジョモ・ケニヤッタも1952年に逮捕され、強制収容所に収容されている。

女子に教育を受けさせない家族も多かったが、マータイさんは8歳から片道5キロの道を歩いて小学校に通い始めた。授業はキクユ語で行われ、英語、スワヒリ語、数学、地理を学んだ。

全寮制のカトリック系の女子中学校、次にナイロビの女子高校に進学、高校をトップの成績で卒業した。会話は英語だったという。


アメリカに留学

1960年前後はアフリカ諸国が軒並み独立した時期で、アメリカはアフリカの留学生を積極的に受け入れ、マータイさんはJFKの父のジョセフ・P・ケネディ財団の支援で、カンザス州のアッチソンにあるベネディクト会の修道女が運営するマウント・セント・スコラスティカ大学に留学する。

オバマ大統領の父もやはりケニア出身のアメリカ留学生だった。

ニューヨークからカンザス州に行くグレイハウンドバスの旅の途中のインディアナ州で、黒人は喫茶店内には入れないという黒人差別を目にして衝撃を受ける。しかし大学のあったアッチソンでは大歓迎してくれたという。

マータイさんは近くにある男子大学との交流でダンスパーティなどで男女が一緒に踊ることを見て驚く。ケニアで受けたカトリック教育がビクトリア朝そのままの厳格な教育だったからだという。

第2バチカン公会議(1962〜1965年)を控え、カトリック教会の改革を進める風潮があったという。

マウント・セント・スコラスティカ大学のみんなは親切で、祝日には地元の人が留学生を自宅に招いてくれ、アメリカ人の友人もでき、後に40年ぶりに再開する日本からの留学生とも友達になったという。

大学には黒人はほとんどいなかったが、2人いる補助職員の黒人の生活を通して、アッチソンでも黒人居住区があることを知ったという。


ピッツバーグ大学で修士号取得

マータイさんはマウント・セント・スコラスティカ大学卒業後、1964年からピッツバーグ大学の生物学大学院で、動物の脳の松果体を研究する。

当時のピッツバーグでは老朽した製鉄所の大気汚染を改善する取り組みが進んでおり、マータイさんにとって最初の環境改善運動を経験することになる。

筆者はピッツバーグに合計9年間駐在したので、マータイさんがピッツバーグ大学出身と聞いてなつかしく思った。1960年代初め頃は、これらの製鉄所は生産を続けて公害をはき出していた。

ところが1968年頃の鉄鋼不況で、軒並み製鉄所は閉鎖され、約1千万トン以上の鉄鋼生産能力がスクラップ化された。

ピッツバーグ市内や郊外に老朽した製鉄所がアレゲニー川沿いに10キロ以上も連なっており、最初の駐在の時には日本からのお客の希望があれば、川沿いの廃墟に沿ってドライブしたものだ。

郊外にU.S.スチールのE.T.(エドガー・トムソン、カーネギーが大口顧客で当時のペンシルバニア鉄道の社長の名前を付けた製鉄所)が有る他は、今はピッツバーグ市内には製鉄所は一ヶ所もない。だから筆者が駐在した時にはピッツバーグはシティルネッサンスの代表として、全米で最も住みやすい町に選ばれたほどだ。

ちょうど明日からピッツバーグでG20の会議が開催されるが、マータイさんも今のピッツバーグを知ったら、その変貌にさぞかし驚くことだろう。


ナイロビ大学に就職

ピッツバーグ大学での研究後、ナイロビ大学の動物学科から採用通知を受け取り、マータイさんは1966年にケニアに戻る。しかし、大学に行ったら動物学の教授から他の人を採用したと言われる。教授と同じ出身部族の者を優先したのだ。

就職活動の後、ギーセン大学から派遣されているドイツ人教授のいるナイロビ大学獣医解剖学科に採用され、ギーセン大学に2年弱留学する。

1969年にナイロビ大学の助講師として復帰し、政治活動を志すムワンギ氏と結婚、長男をはじめ3人の子供が生まれる。ムワンギ氏は1974年の選挙で当選し、マータイさんも1977年に助教授に就任する。

公私ともに順調のように見えるが、次第に夫婦の仲は悪化し、1979年には離婚訴訟となる。さらに訴訟中にマータイさんは女性の進出を好ましく思わない裁判官に法定侮辱罪で有罪とされ、刑務所に入れられてしまう。


植林運動を開始

1970年代前半からマータイさんは婦人運動や赤十字、環境運動にも加わり、森林伐採による洪水被害や、環境悪化対策として植林を推進するグリーンベルト運動を始め、エンバイロケア社を設立する。

1976年には国連人間居住計画(ハビッタットI)に参加し、マーガレット・ミードマザー・テレサバーバラ・ウォードなどの演説を聴き、感銘を受ける。


ケニヤ独裁政権との闘い

1978年にケニヤッタ初代大統領が亡くなり、モイ副大統領が次いだ。

マータイさんはケニア全国女性評議会(NCWK)の議長に立候補するが、政府から圧力を受ける。出身部族のこと、女性であること、離婚歴があることなどがモイ大統領が嫌った理由だ。

1982年の国会議員補欠選挙に立候補を決めるが、裁判所からは資格がないという判決を出され失職する。

ナイロビ大学は復職を拒否し、社宅は即時退去、健康保険なし、おまけに年金受け取り資格がないと通知してきた。大統領が大学総長を兼任しており、大統領の意をくんだ副学長の仕業だ。

大学教授の地位も収入も失ったマータイさんを支援したのは、国連女性開発基金、UNIFEMとノルウェー森林協会だった。

グリーンベルト運動を進める一方、政府によるナイロビ市内のウフル公園への”公園の怪物、タイムズスクウェアビル”建設に反対したり、ナイロビ郊外のカルラの森の環境破壊に反対したので、モイ大統領からは反政府勢力と見なされ、投獄されたり、弾圧を受けることになった。


国会議員に当選

2002年の選挙でモイ政権が交代するとともに、マータイさんも国会議員に当選した。「立ち上がり、歩こう」という聖書からの言葉がモットーだったという。


この本の原題は"Unbowed"

この本の原題は"Unbowed"、つまり「屈しない」という意味で、男女差別、離婚した女性への差別、部族差別、政府の弾圧に対抗し、投獄されても屈しない生き方が描かれている。

この本を読むとグリーンベルト運動や世界女性会議等を通じたマータイさんの人脈の広さがよくわかる。

アメリカ留学資金を提供してもらったケネディ家に始まり、UNIFEMの初代事務局長ペギー・スナイダー、ロックフェラー家、U2のボノ、ボブ・ゲルドルフ、アル・ゴア、ミハイル・ゴルバチョフ、ノルウェーやオーストリアなど欧州の支援団体などだ。

ノーベル平和賞の候補になったときにも推薦する人が多くいたのだと思う。やはり国際政治がらみの案件は国際的な人脈が鍵となる。

その意味で東京のオリンピック立候補には残念ながら不安を感じざるをえない。鳩山首相に出馬願うとともに、皇室か国際機関などでの勤務経験のある国際的に著名な人材を得て、最後までベストを尽くして欲しいものだ。

マータイさんは日本語の「もったいない」に賛同し、"MOTTAINAI"精神と、風呂敷をエコラッピングとして世界的に広める運動を支援している。マータイさんをを支援者に持つことは、日本独自の3Rを中心とするMOTTAINAI運動にも国際的な広がりを与えることだろう。

3RとはReduce, Reuse, Recycleの3つのRだ。マータイさんはこれにRespectを加えて4つのRとしてはどうかと言っているそうだ。

アフリカに生まれ、女性差別、部族差別、離婚経験者差別、政府の弾圧など、様々な差別と圧力と闘って、ついにノーベル平和賞を受賞したマータイさんの努力には頭が下がる思いだ。

アル・ゴアのノーベル賞受賞理由と金大中の受賞理由の両方を兼ね備えているが、どちらかというと金大中の受賞理由に近い独裁政権との闘いが評価されているのだと思う。

この本はマータイさんの自伝で、森林保全のグリーンベルト運動に関しては、マータイさんのもう一冊の「モッタイナイで地球は緑になる」の方が詳しい。

モッタイナイで地球は緑になるモッタイナイで地球は緑になる
著者:ワンガリ マータイ
販売元:木楽舎
発売日:2005-06
おすすめ度:5.0
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但し、こちらの本も「モッタイナイ」という題名は付いているが、MOTTAINAI運動を広めようという趣旨の本ではないので、念のため。

アフリカでも森林伐採が進んでおり、ケニアではわずか国土の6%しか森林が残っていないという話に衝撃を受けた。アフリカのことを何も知らないのだということを、思い知らされた。

是非一読してアフリカに関する知識を拡充して欲しい。


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Posted by yaori at 22:26│Comments(0) 自叙伝・人物伝 | 環境問題