
ントはこうして生まれた
著者:和田浩子
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2008-08-22
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1977年(昭和52年)に当時のP&Gサンホームに総合職として入社し、1998年に日本人としてはじめて米国P&G本社のコーポレートヴェンチャー アジア担当ヴァイスプレジデントとなり、2000年にリタイアするまで、P&Gで数々のヒット商品のマーケティングを担当した和田浩子さんの本。
前回紹介した「超凡思考」の中でも和田さんのことが紹介されていた。
和田さんはP&G退社後、ダイソンの日本支社社長、トイザらスの社長を歴任した。現在はOffice WaDaを設立し、マーケティングコンサルタントとして活躍しており、ホームページとブログも開設している。
筆者は2000年に米国オハイオ州シンシナティにあるP&Gの本社を調達ソリューションの関係で訪問したことがある。
調達のプロのマーケティングマネージャーがリーダーとなり、インターネットのツールを使いこなしているのが印象的だった。ツールを提供している会社の担当者よりも詳しく、自分で社内のツール導入研修も行っていると言っていた。
その後その人は独立して自前のツールをつくってP&Gの調達を支援していたが、現在はどうなっているのかよくわからない。
P&Gの最大の顧客はウォルマートだが、ウォルマートとは戦略的提携関係にあり、CPFR(Collaborative Planning Forecasting, and Replenishment)と呼ぶ売上情報の共有による自動在庫供給システムを稼働させている。ウォルマートは在庫を最小限に抑え、P&Gは自分で米国全土の売れ行きが直接わかり、双方にメリットがある。
ちなみにウォルマートの創業者サム・ウォルトンの「ロープライスエブリデイ(現在は「私のウォルマート商法」という題で別の出版社から発売されている)」を以前読んだが、ウォルマートの戦略的提携関係第1号はP&Gだが、対立している小売りと製造業という関係から、1987年まではP&Gの役員は一度もウォルマートを訪問したことがなかったという。
1987年にP&Gの副社長が共通の友人を介してサム・ウォルトンと一緒にカヌーでの川下りに行き、そこから共通の顧客を持つ2社での話し合いが始まった。すぐに両社の首脳が10名ウォルマートの本社のあるベントンビルに集まり2日間一緒に分析を行い、P&G/ウォルマートの共同チームをつくって情報の共有を始めたのだという。

著者:サム ウォルトン
販売元:講談社
発売日:2002-11
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P&Gは日本では花王、ライオンの後塵を拝しているが、世界では英国ユニリーバと並ぶ日用品のトップだ。
社外エクゼクティブに頼らず社内から首脳陣を育成するという不文律、社員を長期的に育てる人材育成、世界トップクラスの研究開発と一体となった強力なマーケティング、ITをフルに活用した販売や調達の合理化など、世界でもトップクラスの優良企業だ。
和田さんの経歴
和田さんは大分県に生まれて育った。裕福ではなかったが、教員の両親が教育熱心だったので小学校3年生から英語教育を受けていたという。大阪外国語大学で英語を勉強し、在学中に1年間英国に私費留学している。
たまたまバイリンガルセクレタリー募集という当時のP&Gサンホームの広告を見て、応募するが、セクレタリー歴何年という経験者ばかりで、セクレタリーにはなれなかった。しかし、ちょうどマーケティング部で女性のマーケッターが必要ということで、当時では珍しい総合職として入社する。
「和田さん、お茶当番よ」
ブランド・スペシャリストという肩書きで入社するが、一緒のフロアで働く秘書からは「和田さん、お茶当番よ」と言われた。
当時は珍しい女性総合職だったので、上司も和田さんがどうするか見ていたという。
和田さんは、「まあ、いいか」どうせ週1回程度のことだし、仕事で認められれば、そのうち変わるだろうということで、お茶当番を引き受けた。半年くらいで「和田さんはもういいよ」と言われたという。
和田さんはその後ブランドマネージャーになったときに、会社の給料をお茶くみなどに使うべきでないということで、マイカップの代わりにペーパーカップを導入し、次にベンディングマシンをいれさせたという。
たしかにそういう時代だった。筆者が会社に入った頃は、女性社員数名が毎朝、全員にお茶を配っていた。えらく昔のことに思える。課長や部長は午前中はもっぱら新聞を読んでゆったり過ごしていた。まさに隔世の感がある。
「ウィスパー」の成功
和田さんがブランドマネージャー、マーケティングマネージャー、ゼネラルマネージャーとして昇進した理由の一つが、生理用ナプキン「ウィスパー」の成功だ。
P&Gは米国では「オールウェイズ」というブランドを持っていたが、日本では商標の面から使用できないため、「ウィスパー」というブランドで立ち上げた。
「超凡思考」で岩瀬大輔さんが感心していたが、ドライメッシュシートによる「洗いたての肌着のような感覚」が消費者へのメッセージとして考え出された。それまでの「漏れない」という機能重視の生理用品から全く違ったキャッチフレーズだ。
これはP&Gの研究開発とマーケティングの総力を結集した商品で、「ドライメッシュシート」、羽根付きタイプ、超薄型、簡単にあけられる包装と次々に消費者に驚きと納得を与える新商品を送り出した。
どれも今や生理用品では当たり前になっているものだが、P&Gが始めて広めたものだ。
P&Gは後発だったので、他社が追随できないマーケティング手法をとった。顧客予備軍の小学校6年生女子60万人の性教育の時に無償で配布するというものだ。全部で数千万個の無料サンプルは前代未聞だったという。
P&Gでは「正しくて難しいことをやれ」というモットーがあるという。新入社員たちとブランドマネージャーの和田さんは、小学生や先生にインタビューしたり、マンガでパンフレットをつくったりして、他社が簡単にはマネできない初潮教育で商品を配るというしくみを作り上げた。
「ウィスパー」は発売後3年でトップブランドに成長したという。
ちなみに和田さんがP&Gをリタイアするときに、元部下と広告代理店が歴代の担当者の写真とコメント入りで1984年から2000年までの年表をプレゼントしてくれたという。
「ウィスパー」はP&Gの人材育成工場となり、さらにはアジア地区のP&Gからスタッフの研修を受け入れて「ウィスパーカレッジ」となった。
ハーバードビジネスクールでも、P&Gのパンパースとウィスパーは日本での成功事例として、「ウィニング・イン・ジャパン」というケーススタディにもなったという。
パンパースのV字回復
パンパースは高分子吸収体、ウェストモレギャザー、男の子用、女の子用、ディズニーキャラクターなどで、一時はトップブランドだった。
筆者の長男は1989年にアメリカで生まれたので、おむつはパンパースを使っていた。この辺の機能やミッキーマウス(女の子用はミニー)のキャラクターなどはすべて記憶がある。
一度長男を幼児用プールに連れて行って、おむつを付けたままでプールに入らせたことがある。おむつが水を吸ってかなり重くなっていたが、水は滴らなかった。高分子吸収体の吸収力に驚いた記憶がある。
しかし日本ではパンパースはパンツ型おむつの導入に遅れ、日本製品に推されてマーケットシェアは1桁台に落ち込んでいた。
そこで和田さんはアメリカから定性分析のコンサルタントを招聘し、数ヶ月間赤ちゃんと母親のインタビューなどを繰り返し、いままでの「モレない」という切り口から、まったく異なる赤ちゃんのスキンケアという切り口で、「パンパースさらさらケア」という商品を売り出す。
これで一挙にV字回復し、マーケットシェアを2桁台に戻したという。
この広告では、P&Gグループの戦略的パートナーである国際的広告代理店を切って、別の広告代理店にしたので、その広告代理店のトップがP&G本社にねじ込むという一幕があった。
なかなか本社のOKがでなかったが、乗り切って上記のような全く新しいコンセプトで売り出して成功した。
シャンプー
和田さんがブランドマネージャーとして担当したシャンプーは、リンス・イン・シャンプーの「リジョイ」、「ヘッド・アンド・ショルダー」(日本導入断念)、「パンテーン」そして、「ヴィダルサスーン」だ。
最後の「サロンの洗い上がり」が楽しめるという「ヴィダルサスーン」が起死回生のヒットとなった。
分析力
これは主にOJTを通じて学んだという。商品の売れ行きを手計算で分析していたら、アメリカ人の上司からは「これは仕事ではありません。仕事の始まりです」と言われたという。
それと繰り返し言われたのが、「目的は何ですか?」という質問だ。たとえばプレゼントキャンペーンのポスターなら、製品の認知度を上げたいのか、魅力的なプレゼントに注目して欲しいのか、締め切り間近という情報を伝えたいのかというような切り口だ。
まさにドラッカーのMBO(Management by Objective)の考え方だ。目標を設定して、目標を達成したかどうかで結果が決まり、評価も決まる。
実行力
実行力とは"Make IT Happen"の力で、自分で実行する力というよりも「みんなに納得して実行してもらう力」のことだ。プラニングとは別の力が必要となる。
そのためには「人を巻き込むためにヴィジョンを共有する」ことが重要だ。
人材育成
P&Gでは「自分の仕事を取られるような部下を育てろ」ということで、マネージャー全員がトレーナーでありコーチである。「魚の釣り方を教える」のだと。そして教えることで自分も成長するのだ。
人材評価も「ワーク・アンド・ディベロプメント」と呼ばれ、自分の成果と、部下をいかに育成したかで評価が決まる。
能力が上がるというのは、スティーブン・コヴィーが言うところの"Circle of Influence"が広がることで、全員の能力が上がると影響力が増すという好循環となる。
ワン・ページメモ
P&Gのスキルの一つにワンページメモがある。報告書や企画書は極力A4一枚にまとめ、さらにその冒頭1/3にエッセンスを簡潔に書くのだ。
マネジメントに効率よく情報を提供して決断に追い込むという視点でメモを書くのだと。
新入社員の頃は何度も書き直し、元の文章が残っていないこともよくあったという。今はメモを書くスキルの研修もあるのだと。
このブログで紹介したロジカル・ライティングの様な研修なのだろう。

著者:照屋 華子
販売元:東洋経済新報社
発売日:2006-03-24
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ちなみにこの本は非常に役に立つので、大学生の息子にも読ませた。是非おすすめする。
P&GのWCF(What Counts Factors)
P&GにはWCFといって、"What Counts Factors"というのがある。新入社員からCEOまで誰でも身につけることが求められているスキルだ。
・リーダーシップ
・実行力(イニシアティブを取る)
・優先順位をつけて仕事をする
・クリエイティブ力
・他人との効果的な協働
・戦略的思考と問題解決力
・コミュニケーション力
これに専門分野の熟練が加わる。
阪神・淡路島地震で試されたP&Gの組織力
1995年1月17日の阪神・淡路島地震で、P&G本社の入っていた神戸のビルは使用不能となった。そして国内で2ヶ所しかない工場の一つの明石工場も生産不能となった。
P&G本社スタッフがCNNを見て、アメリカから大阪のホテルを予約してくれ、家に帰れない人はホテルに泊まり、地震後4−5日でP&Gのトップマネジメントが大阪ヒルトンホテルで機能をはじめ、10日後、大阪のスカイビルの仮事務所で社員の半分の600人が勤務を再開した。
和田さんのメンターで、現在P&G本社の社長や会長は当時はP&Gファーイーストの社長などで、週末はバイクに乗っておむつや洗剤などP&G製品を持ってボランティアで被災地を支援していたという。
明石工場も世界のP&Gの技術者が終結し、30本ある生産ラインを1ヶ月で全部普及させた。
最後に和田さんはP&Gのゼネラルマネージャー研修で教わった3Eリーダーシップについて説明している。3EとはEnvision, Energize, Enableの3つだ。
「リーダーシップはポジションではなく、リーダーとしてみんなから受け入れられるビヘイビアだ」ということだ。
和田さんはP&Gの3Eを悪い3Eと対比して説明しているので、これは続きに掲載した。興味があれば見て欲しい。これらを一つ一つ練習していくことで会得できるのだと。筆者も反省すべきところが多い。自らのチェックリストとしても使えると思う。
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