働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~
著者:大山 泰弘
販売元:WAVE出版
発売日:2009-07-23
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上司から大変面白かったという話を聞き読んでみた。
知的障害者が従業員の7割を占め、一躍有名になったホタテ貝殻でつくった粉のでないチョーク工場の会長の本。
この会社、日本理化学工業は、「日本で一番大切にしたい会社」で取り上げられて一躍有名になった。川崎市高津区にある従業員74名の会社で、北海道の美唄市にも工場がある。
日本でいちばん大切にしたい会社
著者:坂本 光司
販売元:あさ出版
発売日:2008-03-21
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筆者は通勤で電車に乗っている毎日往復2時間を読書に充てているが、この本を読んでいたら感動でウルウルしてしまった。電車の中で人に気づかれるとみっともないので、家に帰って読み終えた。
鳩山首相が所信表明演説で絶賛したという宣伝文句が本の帯に書いてある。
出典:西日本新聞
大山さんの経歴
この本の著者大山泰弘さんは、日本理化学工業の会長で、中央大学を卒業後、お父さんが戦前に始めたダストレスチョーク工場の経営を引き受ける。
このダストレスチョークは、大山さんのお父さんがアメリカの製品を参考にして、ドイツのパステル(絵画用具)製造機械を改造して製造を始めたものだ。チョークの粉が出ないということで、戦前は軍の作戦用チョークとしても売れていた。
知的障害者を受け入れる
大山さんが工場を引き受けてすぐに、品川区の養護学校から知的障害児を働かせてもらえないかという依頼がくる。
大山さんは悩み、入院中のお父さんに相談したところ、お父さんの「知的障害者が働く会社が1つくらい日本にあってもいいだろう。やってみたらいい。」という言葉で決心する。
そのときに15歳の女性工員を2名、まずは2週間の研修ということで受け入れた。研修が終わった後、工場の従業員たちが「私たちがめんどうを見ますから、あの子たちを雇ってあげてください」と申し出てくる。これは工場のみんなの総意だと。
1960年に養護学校を卒業した2名を雇ったことがきっかけで、どんどん知的障害者の従業員が増えていった。最初に入社した社員は定年後も嘱託として65歳まで、実に50年間も日本理化学工業の社員として働いたのだ。
知的障害者と働くということ
知的障害者と平常者が一緒に働くのは簡単なことではない。
大山さんは工場の生産プロセスでも、2種類の原料の重さを量るおもりと原料の入った入れ物を青と赤で色で区別したり、チョークの冶具の消耗度合いをノギス(計測器)を使わず、箱に入れて測ったり、時間を砂時計で計ったりして知的障害者でも効率よく働ける工夫を凝らした。
このような生産工程上の配慮とともに、社員旅行に行ったときの話(健常者、障害者両方が気を遣って楽しめなかったという)などの苦労談を披露している。
特に印象に残った話
この本で特に印象に残った話は次の3つの話だ。
まず大山さんは、釈迦の16人の羅漢(弟子)の一人、周利槃特(しゅりはんどく)という高僧の話を紹介している。周利槃特は今で言う知的障害者で自分の名前も言えないほどだったが、ある時お釈迦様が「塵を払わん、垢を除かん」という言葉と箒を与えると、周利槃特は一心不乱に掃除を始め、周囲の人は手を合わせたという。
お釈迦様は無言で説法が出来るということで、周利槃特を16羅漢に加えたのだと。大山さんは、工場で働く知的障害者たちにも、周利槃特と同じ気高さを感じるという。
2つめは元上野動物園の飼育係で、東武動物公園の”カバ園長”の西山登志雄さんの話だ。西山さんは「ぼくの動物園日記」というマンガの主人公にもなったので、筆者もよく覚えている。
動物園で育った動物は、自分の生んだ子どもでも育てようとしない。子育ての本能を忘れてしまうのだと。この話を聞き、大山さんは施設で保護されて生きることが、必ずしも本人にとって良いとは限らないのではないかと思ったという。
もう一つはたまたま法事で訪問した禅寺の住職の話だ。
大山さんが知的障害者が施設より工場に来たがることを話すと、住職は次のように言ったという。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の4つです。その一つは、人に愛されること。2つは、人にほめられること。3つは、人の役に立つこと。そして最後に、人から必要とされること。
障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです。」
これを聞いて大山さんは、いつも障害者に「がんばってくれてありがとう」と、なにげなく言葉をかけていたことを思い出し、それが彼らに幸せを与えていたことに気が付いたという。
「働く」という字は漢字ではなく日本で作った「国字」だ。人のために動くから「働く」なのだと、大山さんは語る。
障害者多数雇用工場として発展
大山さんの工場は順調に生産を延ばし、1973年に出来た「障害者多数雇用モデル工場」融資制度を使って、大きな敷地に移ることを検討した。
しかし当時工場のあった大田区からは民間の工場を支援するつもりはないと冷たく断られる。
それでも気を取り直して隣の川崎市に行くと、川崎市では市長みずからが公的機関が障害者を雇うよりも民間企業に雇って貰った方が良いと語り、4,000M2の土地を安く貸して貰えることになった。
チョークの技術開発でも日本トップ
第2工場として北海道の美唄市に建設した工場では、北海道ならではのエコ商品の開発に成功する。北海道ではホタテの漁獲量は45万トンと日本最大だが、それに伴ってホタテ貝殻が毎年大量に発生して、産業廃棄物となっていた。
このホタテ貝殻を原料としてチョークの生産を研究し、ついに2005年、ホタテ貝殻を10%混ぜたチョークの開発に成功した。
同時に開発に成功した全く粉の出ないチョーク技術とあわせて、2005年にエコ商品で”グリーン購買対応商品”として売り出し、国内トップシェアの年間5千万本を売り、売り上げ拡大に貢献した。
大山さんのこだわり
大山さんのこだわりは、たとえ知的障害者を雇っていても、賃金は最低賃金以上を払うことだ。知的障害者は月間1万円とか1万5千円とかの給料で使われることが多いが、大山さんは健常者並の賃金を払うことを会社方針として堅持している。
以前ヤマト運輸の創業者の小倉昌男さんの本を読んだが、小倉さんも障害者雇用拡大に努力し、全国にチェーン店展開しているスワン・ベーカリーを始めて、障害者を雇って健常者並の賃金を払うようにしている。
経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男 (日経ビジネス人文庫)
著者:小倉 昌男
販売元:日本経済新聞社
発売日:2003-01-07
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大山さんの日本理化学工業は、川崎市の推薦を受けて、2008年経産省から「明日の日本を支える元気なモノ作り中小企業300社」に選ばれたという。障害者雇用とは関係のない経産省から表彰されたことが、大山さんは嬉しかったという。
障害者雇用のメリット
最後に大山さんは障害者雇用のメリットを次の4つに整理している。
1.労働力を確保できること。
2.会社に「助け合う風土」が生まれる
3.消費者が味方してくれる
4.地域に支えてもらえる
ユニクロはやはり障害者雇用に熱心な企業の一つだ。現在障害者雇用率は8%で、従業員5,000人以上の大企業ではずば抜けた雇用率だ。ユニクロの柳井さんは、次のように語っているという。
「障害者と一緒に働くことで、彼らが苦手とする作業をフォローしたり、できる仕事をもっと上達させてあげようと、他のスタッフが協力しあうようになった。
その気持ちが従業員同士、さらにお客様に対しても向けられるようになり、結局は売り上げアップにもつながった。」
大山さんの見果てぬ夢
大山さんはベルギーの知的障害者雇用制度を日本にも導入しようとしたが、みんなから反対されて果たせなかったと語る。
ベルギーの制度とは、企業が知的障害者を雇用して最低賃金を支払うと、国が最低賃金分を補助するというしくみだ。実際賃金ゼロで障害者を雇えるのだ。
国は障害者施設の運営費用負担を減らし、企業は障害者を雇用しやすくなり、障害者は多くの働く場を得られる3方1両得の制度だ。
行政がお金をかけて施設でケアするよりも、企業に最低賃金分を支払って雇用して貰うほうが合理的なのだと、ベルギー政府の担当者は語っていたという。
日本で厚生省が所管していた「障害福祉基礎年金」と労働省が所管していた「最低賃金」を合計すれば、解釈を変更するだけで日本でも同様の制度ができると大山さんは考えたが、思わぬ反対にあった。
大山さんは全国重度障害者雇用事業所協会の会長を務めていたが、元労働省の事務次官の相談役に相談すると「年金は年金。賃金は賃金です。君は労働省を敵にまわす気か?」と言われたという。
省益を優先する官僚の本能的な拒絶にあったのだ。他の理事も相談役の顔色を見て、賛成しなかった。
結局大山さんは会長職を2003年に退任。この案は見果てぬ夢に終わった。日本の障害者雇用のこれからの問題である。
今度紹介する「日本でいちばん大切にしたい会社」は30万部、この「働く幸せ」は6万部のベストセラーになったという。
障害者雇用はきれい事だけではすまされない。日本理化学工業では、本当はこの本に書いてない大変な苦労があったのだろうが、それを乗り越えて知的障害者雇用率7割というのは大変立派な数字だ。
感動の実話である。大山さんの淡々とした文章にも好感を覚える。是非一読をおすすめする。
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