2009年12月15日

大遺言書 森繁久彌の放談と回顧録

大遺言書大遺言書
著者:久世 光彦
販売元:新潮社
発売日:2003-05
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先日無くなった俳優の森繁久彌の問わず語りを脚本家の久世光彦(くぜてるひこ)さんがまとめた本。

大学の先輩に勧められて読んでみた。元々は週刊新潮の2002年5月から2003年3月までの連載ものだ。

このとき森繁さんは89歳。数えで卆寿(そつじゅ)だった。

この遺言書シリーズは「今さらながら、大遺言書」、「さらば、大遺言書」と続き、2006年に森繁さんより22歳年下の久世さんが心不全のために71歳で亡くなって打ち止めとなった。

今さらながら 大遺言書今さらながら 大遺言書
著者:森繁 久彌
販売元:新潮社
発売日:2004-05-14
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さらば 大遺言書さらば 大遺言書
著者:森繁 久弥
販売元:新潮社
発売日:2006-04-27
おすすめ度:5.0
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森繁さんは大阪生まれ。大阪の実業家だった菅沼達吉と、馬詰愛江との間で出来た三人兄弟の末っ子で、森繁さんが二歳の時に実父は亡くなる。それから母方の実家森繁家の養子となり、北野中学(現高校)を経て、早稲田に入るが、軍事教練を拒否して中退。奥さんの萬壽子夫人と学生結婚し、劇団活動を続けた後、NHKの新京中央放送局のアナウンサーとして満州に赴任する。

終戦後のソ連軍の侵入で隣人が殺されたり、つらい目に遭うが、なんとか一家で1946年に帰国、親戚をたよった後、俳優としてちょい役から頭角を現し、社長シリーズで主役となる。

映画に歌に、詩人としても活躍し、先日亡くなった後、国民栄誉賞が贈られた、まさに日本演劇界の巨星だ。

YouTubeに森繁さん作詞・作曲の「知床旅情」が収録されている。



もっと詳しい経歴はウィキペディアの記事を参照して欲しい。

元々が週刊誌の連載として始まったので、下ネタも多い。89歳の森繁さんの枯れ木に花をさかせようと久世さんが下ネタで突っ込んでいる感じだが、ご愛敬というところだろう。

ちなみに森繁さん自身は「女は七十九の秋が最後だったかな。なんだか怖くなりましてね、やっているうちに。」と言っているが、真偽のほどはわからない。

森繁さんは身長171センチ、体重78キロと大正二年生まれとしてはデカい。健啖家であり、艶福家であり、甘い物に目がなく、ヨットマンで、タバコと酒をこよなく愛し、歌と詩を愛し、早稲田ファンだ。アドリブも含めた演技としゃべりはまさに天才で、芸能界ではひところ「森繁天皇」と呼ばれていたという。

「天皇」といっても、監督ではないので、別に現場であれこれ指示していた訳ではない。ロケ現場の圧倒的存在感と、天才的なアドリブからそう呼ばれていたようだ。

大変面白いエッセー集である。詳しくあらすじを書くと読んだときに興ざめなので、簡単に紹介しておくが、気の置けない久世さんだからこそ捉えられた昭和の大俳優の素顔がよくわかる。

森繁さんは子ども達にとっては、まるで「不在父親」のような存在で、たまにしか家に帰らず、家に帰った時は必ず他の人を連れ来ていたという。

森繁さんが学生結婚した奥さんの萬壽子夫人は、森繁さんより早く1989年に亡くなっているが、奥さんの苦労がわかる。

演技には真剣勝負で取り組み、ところどころで語る森繁さんの好きな芸能人の話が面白い。

森繁さんは向田邦子の脚本が好きだったという。向田邦子が台湾で飛行機事故で亡くなった時に、森繁さんは向田邦子の墓碑銘を書いている。

「花ひらき、花香る 花こぼれ なお薫る」

向田さんが脚本を書いたテレビ朝日の連続ドラマ「だいこんの花」に森繁さんが出演していたとき、向田さんはTBSで「寺内貫太郎一家」を掛け持ちで書いていたという。週に二本の連続ドラマの脚本を書くなんて今では考えられないという。

「あの子は、この頃どうしてドラマに出ないのですか。もったいない。あんなに芝居のいい子は、めったにいません。」と言っている「あの子」とは樹木希林のことだ。

「寺内貫太郎一家」では、樹木さんはまだ30代なのにもかかわらず、70代の老婆を演じる。何日も老婆ウォッチングして、芸を磨き、そこで仕入れてきたのが指先をちょん切った手袋だったという。

松本人志ともコーヒーのジョージアのコマーシャルで共演したが、「いい青年です」と語る。

「勝って男は怖い奴でした。いつも半分酔っているような、半分眠っているような顔をして、いきなり居合い抜きに切ってくる。」勝新太郎のことだ。



勝新太郎監督の「座頭市」に森繁さんが、一度だけ出演したときのことだ。撮影がほぼ終了した後で、カメラを回しながら勝が森繁さんに声を掛けた。

「おい、父っつあん」、「あれやってくれ、あれ」。「あれって何だい」。「あれだよ、父っつあんのあれ」

すべて台本にない、付け足しのアドリブだ。そして森繁さんは、都々逸をつぶやいた。

「ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み飲み浮き沈みー」

このやり取りはすべて収録された。名シーンはこうして生まれたのだと。

森繁さんが最初の映画に出て、「ベルさん」と呼ぶ山田五十鈴と共演したときの話が極め付きだ。

森繁さんが「このたびはお世話になります。森繁久彌と申します」と言うと。

「これはこれはご丁寧に。私が、熱い○○○コです。」とヒロイン松井須磨子をもじって言ったという。大スターのくせにそんなことを平気で言える人だったという。(○○○コは、筆者のブログでは載せられない言葉です)

「ベルさんはあんなに華があるのに、寂しい人です。薄幸の気配が漂っています。女優の華と人生とは、反比例の関係にあるんでしょうかねえ。因果なことです」

この森繁さんの言葉は、先日孤独死した大原麗子にもぴったり当てはまる。ちなみに大原麗子は「だいこんの花」にも出演していた。

森繁さんは、酒も飲むが甘党でもあったという。大好きなのはとらやの羊羹、エクレアは六本木のクローバー、北海道から取り寄せた柳月の三方六などだったという。

[とらや]中形羊羹3本入(714453/286)
[とらや]中形羊羹3本入(714453/286)


柳月 三方六
柳月 三方六

筆者は森繁さんの舞台も映画もあまり見たことがない。歌は「知床旅情」を聞いたことがあるくらいで、森繁さんのことをよく知らなかったが、この本を読んで一段と親しみがわいた。

この本では「森繁さんの目がキラッと光った」という表現をしているが、演劇の頂点に立つ人は、芸術感覚がとてつもなく鋭敏だ。素人にはわからない繊細なところまで気を配った演技はさすがだ。

このエッセー集は「大遺言書」と題してはいるが、森繁さんの人間像に迫る作品で、「遺言」の様なシリアスなものではなく楽しく読める。森繁さんのことを思い出すにはおすすめの作品である。


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Posted by yaori at 00:41│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 | エッセー

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