
著者:浅川 港
販売元:エヌティティ出版
発売日:2007-05-16
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先日紹介した堺屋太一さんの「日本米国中国 団塊の世代」の日本編の著者、元講談社アメリカ副社長の浅川港さんの米国出版事情。
今まで米国の出版界に関する本は読んだことがなかったので、大変参考になった。
日本文化の世界への発信の遅れ
冒頭の堺屋太一さんの推薦文にもあるとおり、次の表をみると日本の文化・芸術・文学がいかに孤立しているかがよくわかる。
出典:本書巻頭 iiiページ
ユネスコによる1979年から2002年までの英語で翻訳出版された原著の言語別点数調査によると、ドイツ語、フランス語の2万点に対して、日本語は2千点強と1/10である。
しかも日本語の英訳出版は、1990年代前半の5年間で600点あったのに対して、21世紀に入っての5年間では300点と半減している。
たとえば米国でドイツ語、フランス語を習っている生徒の数と、日本語を習っている生徒の数なら、10倍とかあるいはそれ以上の差がついてもやむを得ないと思うが、こと英訳された本の数であれば、その語学がポピュラーかどうかは関係ないはずである。
浅川さんの経歴
著者の浅川さんは1947年生まれ。一橋大学卒業後、講談社に入社し、編集者として働く。1978年にはスタンフォード大学のコミュニケーション学部でマスターを取得。1989年から2000年までニューヨークの講談社アメリカで英語出版に従事した。
講談社は1963年から当時の社長だった野間省一さんの理念である「世界にひらく講談社」のもとに、英語の出版部門を講談社インターナショナルという別会社にして、茶道、生け花、禅や柔道・空手などの文化、川端康成をはじめとする日本文学の英語本を海外に紹介してきた。
しかし円高で日本国内でやっていては採算が取れなくなったので、1989年に当時講談社をやめてコンサルタントをやっていた浅川さんに声が掛かり、講談社アメリカの立ち上げを担当することになったという。
浅川さんが手がけた日本の作品は、村上春樹の作品や堺屋太一さんの「知価革命」、アメリカでの移民生活を描いた「ストロベリー・ロード」、江戸時代末期の米国領事タウンゼント・ハリスが為替操作で儲けていたと告発する「大君の通貨」などだ。

著者:堺屋 太一
販売元:PHP研究所
発売日:1990-06
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著者:石川 好
販売元:講談社インターナショナル
発売日:1991-01
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大君の通貨―The shogun’s gold
著者:佐藤 雅美
販売元:講談社インターナショナル
発売日:1991-01
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講談社アメリカの仕事は、日本の作品を英訳して出版することがメインだったが、浅川さんは日本文学の紹介では限界があると考え、世界的に有名な出版社に伍して英語出版を開始する。
チェコのドプチェク自伝
ちょうど1989年はベルリンの壁が崩れた年でもあり、ソ連に制圧されたチェコの1968年の自由化運動の指導者ドプチェク氏の自伝を英語で出版する。

著者:Alexander Dubcek
販売元:Kodansha Amer Inc
発売日:1993-05
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ドプチェク氏は、1968年のプラハの春がソ連に抑圧された後、ほぼ幽閉状態にあったが、1989年に名誉回復し、連邦議会議長となっていた。
浅川さんは1989年にニューヨークに赴任する時から、ドプチェクの回想記というアイデアを抱いていたが、ニューヨークでドプチェク氏につながるルートを持つエージェントを発見し、アイデアの実現のために話を進めた。
ドイツやフランスの有力出版社もコンタクトしていたが、ドイツのベルテルスマンは、ナチス時代へのヒトラーへの協力、フランスのアシェットはドイツ傀儡のビシー政権に近かったことがあり、ドプチェク氏はOKしなかった経緯がある。
浅川さんは1991年の春、プラハでドプチェク氏と会い、またドプチェク氏の故郷のスロバキアのブラチスラバも訪問する。
筆者もスロバキアから原料を輸入していたので、ブラチスラバは何度も訪問した。もう15年以上も前のことだが、ウィーンから入ったせいもあって、ブラチスラバは落ち着いたというよりは、くすんだ印象があった。
007の"Living Daylights"のはじめで、美人チェリストが出てくるが、市内電車の走っている町がブラチスラバだ。
ドプチェク氏が日本を復興のモデルケースと考えていたこともあり、ドプチェク氏は浅川氏や講談社アメリカに好意的だったという。
講談社アメリカが独自に話を進めたにもかかわらず、ドプチェク氏の回想録の出版権は入札に掛けられた。講談社アメリカは入札の最高値の5%アップで引き受ける優先権を持つフロアビッドという特権を得て、英語での出版権を得る。
ドプチェク氏の回想録は1992年秋に原稿が完成していたが、ドプチェク氏は出版前の1992年11月に交通事故の後遺症で死去、回想録は翌1993年の5月に出版された。クリントン米大統領、ソ連のミハイル・コルバチェフ元書記長、チェコのバベル大統領などが推薦文を寄稿してくれたという。
アメリカ社会の特性
浅川さんが発見したアメリカ社会の特性は次のようなものだ。
外国人が書いたアメリカに批判的な内容の本にはアメリカの読者の反応は悪い。外国人の書いた日本論、特に日本に批判的なものは、ほぼ例外なく売れる日本に比べて大きな差だ。自国に対する批判に対しては、アメリカ社会は閉鎖的なのだ。
浅川さんは司馬遼太郎の「坂の上の雲」の一節を引用している。
「アメリカ合衆国というのは、それをつくりあげた連中にとっては理想社会というのにちかく、そういう満足は自負心になり、その自負心がこの世紀でもっともモダンな市民国家であるこの国のひとびとの背骨のようになっている。
その自負心は、
『他の地域のひとびととも、アメリカのような自由な社会をもつほうがいい。いやわれわれアメリカ人はそれを他の地域におよぼす親切心を持つべきである』
という、意識にひろがってゆく」
浅川さんは、まったくその通りだと語っている。
浅川さんは、いくつか出版してみた結果から、アメリカ社会の特徴について仮説を抱く。
外国からの批判には大いに反発するアメリカも、アメリカ人による自国論なら率直に受け入れる。特に先住民と黒人という二つのグループのアメリカ論については、大いに聞く耳を持っているようなのだ。
映画などのストーリーでも、黒人の刑事が白人犯罪者を追いつめるとか、主役は白人でも重要な脇役は必ず黒人とか、黒人の凶悪犯はいないこととかを考えると、この仮説が納得できる。
メディアの中の世界と現実のギャップ。これがアメリカ社会の原罪意識の一つの現れなのではないか。
独自企画の黒人姉妹の回想録がベストセラーに
この仮説に従って、浅川さんは100歳を越える黒人姉妹の回想記を自ら企画して売り出し、累計300万部というベストセラーを生み出した。
"Having Our Say"というのがその本だ。

著者:Sarah Delany
販売元:Kodansha Amer Inc
発売日:1993-09-15
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きっかけは、ニューヨークタイムズのウェストチェスター版に載っていた黒人のインテリ一家の長い記事を読んだことだ。記事を書いた契約ライター(ストリンガーと呼ばれる)にコンタクトして、彼女に仲介を頼み、二人とも100歳を越える姉妹とライターの3者協力しての作品となった。
もくろみが当たり、この本は累計300万部という大ベストセラーとなり、テレビなどのマスコミにも取り上げられ、2年間にわたりニューヨークタイムズのベストセラーリストに入った。
この2冊のヒットにより、講談社アメリカはアメリカの出版業界のLMPアワードに「最もめざましい活躍をした出版社」として選ばれるという快挙を達成した。もちろん日本の出版社としては初の受賞だ。
エージェントが幅をきかす米国出版業界
米国の出版業界では、メジャーリーグやスポーツの代理人のように、エージェントが幅をきかせている。エージェントを通さない出版はほとんどない。エージェントが収益の15%を取るかわりに、作品を読んでアドバイスを与え、書き直しをさせる、必要があれば融資もする。印税もエージェントが受け取り、15%を差し引いて著者に払うのだ。
エージェントは著者の代理人なので、できるだけ良い条件で版権を売ろうとする。前記のドプチェク回想録でも入札となったことが書かれていたが、一番高く売るために、有望な作品は入札で版権金額が決定されるのだ。
以前は封をした封筒で入札していたが、たぶん今ではインターネットのオークションで版権を売っているのではないかと思う。
日本の印税は10%だが、米国の印税は15%だ。しかし本の実売額の15%なので、5割が返本となれば、実質8%となる。日本の場合印刷部数の10%なので、日本の方が良い場合もあるという。
編集も日本では一人の編集者がすべて担当するが、アメリカではライン・エディティングと呼ばれる全体の話の流れをより効果的に構成する編集者と、コピー・エディティングと呼ばれる用語のチェックを担当する編集者の分業だ。コピー・エティターがファクト・チェッキングや、更正(プルーフ・リーディング)も兼ねる場合もある。
副次的権利の金額も大きい。アメリカではペーパーバックにする権利、オーディオブックにする権利、雑誌に掲載する権利(ファースト・シリアル)、大型活字本にする権利、海外版権、映画化権、舞台化権といった権利もあり、"Having Our Say"の場合、エージェントに支払った手付け金の25倍ほどの副次的権利金収入があったという。
いずれはこのブログの英語版をつくろう
筆者も前々から考えていたのだが、この本を読んで英語でブログを書く必要性を感じた。
このブログは既に500件以上投稿しており、参考図書として紹介した本も含めると1,000冊以上は紹介している。しかも、このブログは「書評ブログ」ではない。
書評の場合は、英訳しても評者の主観が主であり、たぶんあまり意味がないと思う。しかし、このブログで紹介しているのは本のあらすじであり、英訳すれば「頭にスッと入る英語のあらすじ」ができるはずである。
このブログのあらすじを見て、紹介している本の英訳を考えるエージェントの人が出てくるかもしれない。うまくすれば日本語文化の世界に対する情報発信への協力ができるかもしれない。
ことはそううまく運ぶかどうかわからないが、脳科学者の茂木健一郎さんが、「ノーベル賞に一番近い脳科学者」というふれこみでマスコミに登場したのは、たぶん茂木さんが英語でも多くの論文を書く一方、英語ブログを書き、ほとんど毎日情報発信しているからではないかと思う。
そんなことを考えさせられた。
米国での出版業界の事情がわかり、興味深かった。発見の多い本だった。
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