2010年02月02日

大君の通貨 米国領事ハリスの為替投機と幕府の隠し財源喪失

大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 (文春文庫)大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 (文春文庫)
著者:佐藤 雅美
販売元:文藝春秋
発売日:2003-03
おすすめ度:4.5
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幕末の開国当時、幕府が人為的にコントロールしていた国内の金・銀交換率に目を付けたタウンゼント・ハリスは私服を肥やす一方、それが外圧でくずれた時、幕府の弱体化につながったという歴史の皮肉を描く小説。

前回紹介した講談社アメリカが米国で英語出版した日本の小説の一つなので読んでみた。


イギリスのオールコック

この小説の中心人物は、幕末に日本に駐在して「大君の都」という日本事情を書いたイギリスの初代中日外交代表ラザフォード・オールコックとアメリカの初代駐日公使タウンゼント・ハリスだ。
大君の都 上―幕末日本滞在記
著者:オールコック
販売元:岩波書店
発売日:1962-04
おすすめ度:4.0
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オールコックは元々外科医で、中国の廈門で開業していたが、リューマチ性の熱病に罹って手が使えなくなり、外交官に転じ、1859年に日本に来る前に中国に10年間駐在していた。オールコックが中国に駐在していた10年は激動の時代だった。

当時イギリスは中国から1万トンを越える茶を輸入しており、輸入超過が続いていたが、貿易不均衡を是正するために中国にアヘンを売り始め、中国の反発を武力で押さえつけ、これが第1次アヘン戦争第2次アヘン戦争につながり、南京条約天津条約が結ばれ、香港の割譲などイギリスの中国に於ける権益は確立された。

オールコックは結婚していたが、中国に来てすぐに妻を亡くし、日本駐在当時は独身だった。ハリスは生涯独身を通した。


アメリカのハリス

ハリスは元々陶器を扱うニューヨークの商人上がりのにわか外交官だった。日本へは老後の蓄えを貯めるためにやってきたという。

ハリス来日前の1853年と1854年の二度のペリー黒船来訪でアメリカは日米和親条約を締結し、ペリーは「日本遠征記」を書き残している。
ペリー艦隊日本遠征記 上ペリー艦隊日本遠征記 上
販売元:万来舎
発売日:2009-04
おすすめ度:5.0
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ハリスは1856年に下田の駐日外交代表兼総領事として赴任した。ハリスは精力的に幕府と交渉し、諸外国に先駆けて日米修好通商条約を締結して一躍名を上げた。

開国前から日本は物価の世界一安い国としてアジアにいた欧米人には有名だったという。その当時から日本に進出していた最大の商社は、今も活動しているジャーディン・マセソンだ。


人為的な幕府の金銀交換率

外交交渉ではドルと日本の通貨の交換率でもめた。当時の日本の通貨では金貨の1両=4 x 一分銀、1分銀=4 x 安政二朱銀となっており、開国後は幕府は1ドル=1一分銀を要求したという。

これは当初の三倍の交換率で、日本はこれにより世界で一番物価の高い国となるので、どの船も日本寄港は見合わせることとなり、ペリーが考えていた捕鯨船の補給港確保という目的が達成できなくなる恐れがあった。

一方日本国内の金と銀の交換率は重量比だと1対5だった。世界の相場は金:銀は1:16だったので、日本の一分銀貨を含有量ベースで等価に近い料率で獲得して、それを日本で小判に換えれば、国際相場の1/3で金を入手できるのだ。当時の横浜では外国人による小判の買い漁りが起き、日本の金が大量に流出していたという。


ハリスの利殖

ハリスは敬虔なプロテスタントということになっていたが、この小判投資に目を付け、私服を肥やしていたことを、1859年に駐日総代表として着任したイギリスのオールコックに見透かされたという。

幕府に国内の金:銀交換率の変更を申し入れるべきだと一緒に主張しようと呼びかけるオールコックの前に、ハリスは言い訳を並べたが結局同意した。

にわかに起こったゴールドラッシュはアメリカの一般人も巻き込み、ついには戦艦ポーハタン号で香港から銀を運び込み、小判に換えるという小判漁りが起こり、アメリカ本国の新聞にも報道され、後に大きな問題となった。

このポーハタン号の不始末が原因でハリス自身も小判漁りで巨額の利益を得ていたことがアメリカ政府に知れることになる。しかし1861年から南北戦争が起こったために、ハリスの処分はなされず、ハリスは1862年に後任と交代した。

オールコックとハリスが幕府に小判の価値を4 x 一分から、12〜13 x 一分に引き上げるべきだと勧告したが、幕府はすぐには金価格を引き上げなかった。オールコックの動きは、小判で儲けていた外国人の反感を買うことになり、オールコック自身も1862年の一時帰国の際に、イギリス大蔵省から個人的な利殖をしていたということで糾弾されることになった。


幕府の不正蓄財が明るみに

これがこの小説の肝になるところだ。

実は幕府は改鋳で銀貨の純度を既に1/3に落としていたのだが、オールコックはそれを知らずに幕府に小判と一分銀の交換レートをハリスと共同して外圧で変更させたため、銀の純度に気が付いた商人が一挙に3倍以上に値段を上げ、物価が跳ね上がってしまったのだ。

これで武士階級の生活は困窮し、武士階級のエネルギーが一挙に倒幕に向かったという。

オールコックが1862年に出版した「大君の都」では、急遽最後の39章に「日本の貨幣制度と通貨の問題」を新たに書き加え、小判で自身が儲けていたという攻撃をかわし、自分は日本駐在で貧しくなって帰国したと自らの潔白を主張している。

幕府は天保一分銀などの代用貨幣を発行することにより、文政元年(1818年)から、安政四年(1857年)までの40年間に1,800万両余り、年平均で四五万両の益金を得ていた。これは物納の米を除く全歳入の4割弱を占めていた。

これが一挙になくなり、長州征伐もかけ声だけで何も出来ないくらい財政は逼迫してしまったという。

オールコックは「大君の都」を発行した後、再婚した妻を連れて1864年に日本に再赴任し、その後駐清公使として栄転し、1871年に外交官を引退した後も王立地理学協会会長になり、活躍した。


為替での利殖は現代でもある

この本では江戸時代末期の駐日外交官達が、私利私欲を肥やしていた話が中心となっているが、為替で大きなもうけを上げるということは現代でも起きている。

たとえば昔のイランリヤルの闇相場だ。イラン・イラク戦争の時代にイランに出張した時に、乗り継ぎのドバイで、ドルをイランリヤルに自由相場で交換して持ち込んだことがある。試しにやってみただけで、大した金額ではなかったが、それでも6倍程度の自由相場で交換できた。

1978年から1980年までアルゼンチンに駐在していた時は、超ハイバーインフレはやや収まっていた時代なので、闇レートも公定レートもあまり差はなかったが、この時代の南米でも闇レートと公定レートが大きく乖離するということがあった。

もっとも闇レートといっても、両替店の裏に行ってコソコソと替えるのではなく、おおっぴらに両替店がレートを公表して、それで交換するので、闇というよりは自由相場といった方が良いと思う。

1990年代のアルバニアでは、首都ティラナの中央広場に両替商が集まっており、旅行者に声をかけて直取引で外貨を現地通貨に替えていた。まさにオープンスペースのフリーマーケットである。

このように今でも途上国通貨は闇レートが存在する。

オーストラリアドルとか、ニュージーランドドルなど、外貨預金や外貨FXなどはポピュラーな投資になってきた。

今のお金で数億円稼いだというハリスの利殖も、外交官という特権を利用していたことは大きな問題だが、為替投機自体は大きな問題ではないと思う。相場の変動リスクを背負うだけである。


開国が思わぬ形で幕府の財政困窮を招き、幕府が倒れる引き金となったという面白いテーマの小説である。


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Posted by yaori at 00:44│Comments(0)TrackBack(0) 小説 | 歴史

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