2010年09月20日

小倉昌男経営学 ヤマト宅急便の発明者小倉さんの最初の著書

小倉昌男 経営学小倉昌男 経営学
著者:小倉 昌男
販売元:日経BP社
発売日:1999-10
おすすめ度:4.5
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宅急便の発明者、ヤマト運輸の故小倉(おぐら)昌男さんの書いた最初の経営書。昨年末出版された沼上一橋大学教授の「経営戦略の思考法」でも「優れた経営者が深く思考して書いた本」のトップで取り上げられている。

経営戦略の思考法経営戦略の思考法
著者:沼上 幹
販売元:日本経済新聞出版社
発売日:2009-09-26
おすすめ度:4.0
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沼上一橋大学教授の「経営戦略の思考法」で、高く評価されているのは、「サービスが先、利益が後」、「安全第一、営業第二」というスローガンだ。○○第一、××第二と言えるのが戦略的レベルのリーダーで、「○○第一」だけで、第二がないのは戦術的レベルのリーダーだと小倉さんも語っている。

経営者みずからが書いたケーススタディとも言える本で、需要予測と目論見の立て方は、新規ビジネスを考える上で参考になる。

最後に「私の経営哲学」として、「時代の風を読む」などを挙げている「経営リーダー10の条件」も参考になる。

ヤマト運輸の宅急便の成功を見て、一挙に35社が宅配便に参入してきて、さながら動物戦争が起こったが、1社を除いてすべて撤退した。小倉さんは自分の頭で考えないで、他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのだと、この例を取り上げて語っている。

先日日通のペリカン便が撤退し、日本郵便のゆうパックに統合されたが、大量の配達遅れを発生させるとか、問題が起こった。やはり宅配便はシステムが鍵だと思う。


小倉さんの経歴

小倉さんは東京大学卒業後、父親の経営する大和運輸に入社するが、すぐに肺結核を患う。戦後すぐの時代で、空気感染の肺結核は死の病だった。京セラの稲盛さんもやはり、中学生の時に結核を患ったことを書いている。

4年半の療養生活の後、大和運輸に復帰し、子会社の静岡運輸を振り出しに、百貨店部長、営業部長と要職を経て、1971年に社長に就任する。ヤマト運輸は、戦前は関東圏のローカル運送で成功し、日本一のトラック会社となっていたが、戦後は、この成功体験が足かせとなり、長距離運送への参入が遅れた。

長距離輸送と百貨店の配送業務で、売上の半分以上を稼ぐようになったが、長距離運輸では本社が東京の大和運輸は、地方本社のライバル企業に比べて賃金コストが高かった。

また長距離運送参入が他社より5年以上送れたので、帰りの貨物の確保不十分で、帰りは空トラックで帰ることが続発し、他社が儲かっていても、ヤマト運輸だけが儲からないという状態が続き、商業貨物の輸送市場で負け犬となっていた。

このため小倉さんは、大和運輸は営業努力を重ねても業績が好転する見込みは薄いのではないかと考えるようになったという。

一方1923年から請け負ってきた三越の配送契約も、1972年に三越の社長が後に三越事件を起こす岡田茂氏に代わった頃から、押し込みセールス、設備使用料徴収、配送費用引き下げ等が繰り返されるようになってきた。いわゆる下請けいじめだ。

百貨店の配送業務は、かつてヤマト運輸のドル箱だったが、中元歳暮時期の出荷が異常に伸び、平常月との差が大きく、繁忙期にあわせて設備を増強すると、閑散期のコスト負担に耐えられないという状態が生じていた。

それに加えて三越の社長となった岡田氏の下請けいじめもあり、小倉さんは1979年2月末で三越との配送契約を解除すると三越に通告し、1978年の歳暮を最後の請負とした。

売上の約2割を占めていた三越向け配送契約を解除できたのは、その3年前にスタートさせた宅急便事業が順調に伸びていたからだ。

同じく1979年には松下電器産業との大口輸送契約も解除し、宅急便事業に背水の陣で臨むことを社内に説明し、社員から協力を得た。1979年度の利益は前年度比9割減となったが、宅急便に背水の陣で臨んだことから、1980年の決算は大幅黒字、経常利益率5.6%という好決算を記録した。

長距離輸送でトップシェアを取れず、三越との配送契約は赤字となり、ジリ貧となっていた経営環境の中で、他の役員すべてが反対する宅急便事業を、労働組合を味方につけて参入したのだ。


宅急便事業というケーススタディ

この本では、商業貨物での輸送市場では負け犬となっていたヤマトが、郵便局の牙城だった個人宅配市場にどのような仮説を立てて、商品化を決意したか、いかに試行錯誤して「宅急便」を発明したかをわかりやすく説明している。

小倉さんが「宅急便」仮説を確信に高めたのは、マンハッタンの十字路に4台のUPSの集配車が止まっているのを見たからだという。1台の集配車が1ブロックを担当するほどの貨物需要があったのだ。

この本では、運送という単純に見える業務でも、トラックのトレーラー化、貨物のパレット化、コンテナー化、運転手の乗り継ぎ制など様々な工夫を凝らし、新しい機材を投入して、多数の運送業者が競合する過当競争の長距離運輸に勝ち残ってきたことがわかる。

乗り継ぎ制とは、東京大阪間の運送だと、途中の浜松で下り・上りのトラック運転手が交代するものだ。つまりいずれの運転手も東京―浜松か、大阪―浜松の区間のみを担当し、東京―大阪を通して運転することはないので、運転手の拘束時間が大幅に減るのだ。


宅急便事業の苦心点

宅急便に参入する際に、どのように市場規模を推定したのか、酒屋や米屋を取次店に起用したこと、米国に学んだハブ・アンド・スポークの輸送ネットワーク構築、新サービスのゴルフ宅急便などで苦労した点はどんなところかなど、興味深い。

宅急便のサービスは、メニューを牛丼一本に絞った吉野家に学んだのだと。

百貨店の配送業務と宅配便とは、個人宅に届けるという意味では同じだが、実際は全く異なる。宅急便の商品化でヒントになったのは、JALのジャルパックだったという。

旅行は本来個人的なサービスなのに、ジャルパックはサービスを商品化して売り出している。宅急便も主婦が買いやすいようにサイズ(SとMだけ)、翌日配達、地域別料金など、徹底的に商品化したのだと。

たとえばゴルフ宅急便だけでも、同じような名前のゴルフ場がいくつもあり、プレーヤー本人がゴルフ場の名前をはっきり覚えていないとか、ゴルフバッグはプレーの前日に届くように、一旦保管が必要とかいう問題がある。

またバッグの引き取りは、どこか一社がゴルフ場にまとめて取りに行き、業者間でバッグを転送することで、どこか一社の宅配会社と契約していれば、すべての宅配便業者往復サービスができるように、宅配便各社で協力しているという。


宅急便ドライバーは「寿司職人」

経営感覚も鋭く、またわかりやすい言葉で語っている。宅急便は3万人のセールスドライバーが集配、営業、集金など様々な役割をこなす必要があり、マルチタスクのいわば「寿司職人」になる必要がある。

だから、現場が自発的に動く体制をつくる必要があり、そのためセールスドライバーには30万円までの荷物事故処理権限を与えているという。リッツ・カールトンの社員のクレイム処理権限2千ドルというのと同様の制度をヤマト運輸も持っているのだ。

小倉さんはヤマト運輸会長を辞任した後、自らの持つヤマト運輸の株をヤマト福祉財団に寄付して、自ら理事長となり、障がい者雇用促進のため、各地でスワンベーカリーを運営している。

経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男 (日経ビジネス人文庫)経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男 (日経ビジネス人文庫)
著者:小倉 昌男
販売元:日本経済新聞社
発売日:2003-01-07
おすすめ度:4.5
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道路運送法では、道路ごとに路線免許を取らなければならないという、まさに旧時代の規制行政の残滓を見る思いである。このため時には運輸省などの政府権力と行政訴訟まで起こして戦うなど、まさに気骨ある民間経営者の代表格である。

最後にマスコミに”自宅での取材は断りたい”と言ったら、日本経済新聞のY記者から、”経営者なかんずく上場企業の経営者は、マスコミの取材に応ずるのは義務だと思わなければいけない。積極的に対応するのが当然で、拒否するなどとはもっての他だ”と言われたという話を紹介している。Y記者(日経新聞顧問の山下啓一さん)とロンドンの会合で一緒になった時に、小倉さんの思い出を楽しく話されていたことを思いだす。

宅急便という世の中にない新サービスを広めるために、的確な分析と見通しに基づき、どういった工夫をしたのかが語られていて、経営者みずからが語るケーススタディは我々にヒントを与えてくれる。大変参考になる本である。


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Posted by yaori at 01:45│Comments(0) ビジネス | 自叙伝・人物伝