2011年01月27日

それでも日本人は戦争を選んだ わかりやすいFAW解説

それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
著者:加藤 陽子
朝日出版社(2009-07-29)
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日本近代史を研究する加藤陽子東大教授が、神奈川県の名門私立校栄光学園の歴史研究部の生徒相手に行った講義録。20万部以上売れてベストセラーになっている。

歴史の全体の流れはむしろ以前紹介した半藤一利さんの「昭和史」のほうが流れをとらえているが、日本が第2次世界大戦に突入するときに、どのような歴史のFAW(Forces at work:そこに働いている力)があったのかよくわかる。

昭和史 1926-1945昭和史 1926-1945
著者:半藤 一利
平凡社(2004-02-11)
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筆者は神奈川県の湘南高校サッカー部だったので、栄光学園に練習試合で行ったことがある。整ったスポーツ施設に驚いたものだ。

県立高校である湘南高校ではグラウンドをサッカー部、野球部、ラグビー部が合同で使っていたので、放課後の同じ時間帯に1/3ずつ使うという感じだったが、たしか栄光学園では野球場、サッカー場、総合グラウンドと分かれていた。

練習はたしか週3日という話だったと思う。湘南高校サッカー部は当時関東大会の県予選で決勝まで行き、奥寺康彦のいた相模工大付属高校に負け準優勝に終わったほどの強豪だったが、この時は栄光学園に練習試合で負けたので、顧問の鈴木中先生が「週3日しか練習していないところに負けるのか!」と怒っていたことを思い出す。

閑話休題。

小学区制の「神奈川方式」のため、湘南高校は筆者のいた当時のレベルとは比較にならないほど学力が落ちてしまったが、栄光学園は昔も今も神奈川県というより全国の私立校トップの座を守っている。

この本は栄光学園の歴史研究部の中学1年生から高校2年生までのメンバーを相手に、5日間にわたって加藤教授が行った歴史授業の筆記録だ。

戦争と憲法

加藤教授はまずジャン・ジャック・ルソーの戦争の定義を説明する。端的にいうと「戦争とは相手国の憲法を書き換える」ものだと。たしかに終戦後のマッカーサー憲法が良い例である。

二人の歴史学者

歴史研究部の生徒に対して、先人として二人の歴史学者を紹介する。

一人はE.H.カー ケンブリッジ大学教授だ。外交官、新聞の論説委員から63歳でケンブリッジ大学教授に就任した変わり種で、今だに読まれているロングセラーで、学生の必読書ともいえる清水幾太郎訳の「歴史とは何か」の著者だ。

歴史とは何か (岩波新書)歴史とは何か (岩波新書)
著者:E.H. カー
岩波書店(1962-03-20)
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筆者もこの本は学生時代に読んだ(ほとんど内容を覚えていないが)。

カーは「危機の20年」という本の中で、戦死者が1千万人を超えた第1次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないように組織された国際連盟が、わずか20年しか持たずに再び戦争が起きた理由を、国際連盟という原理そのものが間違っていたと主張する。

危機の二十年―1919-1939 (岩波文庫)危機の二十年―1919-1939 (岩波文庫)
著者:E.H.カー
岩波書店(1996-01-16)
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英国は国際連盟をバックに言葉でドイツを押さえ込もうとするのでなく、海軍力を増強して、ドイツを押さえ込むべきだったとカーは主張する。当時の世界恐慌でそれができなければ、国際連盟を通してでなく、ドイツと真剣に交渉するべきだったと。

カーはまた「歴史は科学だ」と主張した。歴史は教訓を与えるからだ。

加藤教授が取り上げるもう一人の歴史家は、「歴史の教訓」を書いたハーバード大学教授のアーネスト・メイだ。

歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)
著者:アーネスト・R. メイ
岩波書店(2004-04-16)
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メイ教授は、ベストアンドブライテストと呼ばれ当時の世界最高の頭脳を結集したアメリカ政府が、ベトナム戦争にのめり込んでいった理由を「中国の喪失」であると説く。

「ベストアンドブライテスト」はディビッド・ハルバースタムの同名の本もある。マクナマラなどを中心に描くこのノンフィクションも面白い。

ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (朝日文庫)
著者:デイヴィッド ハルバースタム
朝日新聞社(1999-06)
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アメリカは蒋介石の国民党政府に巨額の資金と武器援助をして日本との戦争に勝利したが、終戦からわずか4年で国民党は中国本土から追い払われた。この辺の事情を詳しく書いたのが、バーバララ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」だ。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
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子の本も面白い。

アメリカは中国の内戦では何もできなかった、この「中国の喪失」経験が、腐敗した南ベトナム政府に肩入れして、北ベトナムに勝つまで介入するという形で、泥沼の軍事介入、そして敗走という結果を招いたのだ。

またローズヴェルトは(加藤教授はルーズベルトとは呼ばない。最近の歴史の授業でも、この様に教えているのかもしれない)、ウィルソンの失敗を繰り返さないということで、「交戦相手とは交渉せず、無条件降伏以外認めない」という態度を貫いた。

これにより途中で何度もあった講和のチャンスを無にし、結果的にアメリカ国民の損害を増大させ、なによりも共産国も勝利国の一員となったことで、戦後の東西冷戦構造を生み、結果的に世界を不安定にした。

ウィルソンの休戦提案に応じてドイツは第1次世界大戦の停戦に合意したのに、パリ講和会議で英仏はウィルソンの条件を無視したので、ドイツは損をしたという意識が根底にあった。それゆえ第2次世界大戦に突入したのだとローズヴェルトは考えていたという。

「とにかく妥協をしてはいかん。妥協して失敗したのは1918年だった」とローズヴェルトは言っていたという。

これらの事例を「歴史の誤用」の例としてメイ教授は挙げている。


第1章以下の目次

以上がこの本の序章で、第1章以下は次の構成となっている。

1章 日清戦争

2章 日露戦争

3章 第1次世界大戦

4章 満州事変と日中戦争

5章 太平洋戦争

歴史家らしく、余り知られていないFAWを取り上げ、歴史が面白く学べるように講義しているところがすばらしい。アマゾンの売り上げランキングで1,000位前後とよく売れている理由だろう。

詳しく紹介しているとあらすじが長くなりすぎるので、参考になったFAW(Forces At Work)を箇条書きで紹介しておく。

★日本は安全保障上の理由から植民地を獲得し続けた特異な国だった。
これが加藤教授が日本が戦争を選んだ第一の理由に挙げているFAWだ。

★日露戦争の時に「非常特別税法」ができ、市街地の地租は20%まで引き上げられ、所得税はほぼ倍となった。戦時中のみのはずが、ロシアから賠償金が取れないので、戦後も継続され、納税額10円以上という選挙権基準に合う人が激増した。結果的に有権者が地主中心から、商工業者や実業家まで広がり、政治家も産業界出身者が増えた。

★第1次世界大戦で日本が地中海に艦隊を派遣した際には、戦後の講和会議での植民地分割について、イギリス・フランス・イタリア・ロシアとの間でお互いに認め合うという密約を交わしていた。中国は猛反発したが、フランスのクレマンソーとイギリスのロイド・ジョージが、苦しいときに助けてくれたとして日本を支持して山東半島の日本の権益が認められた。

日本艦隊の地中海派遣については、関榮次さんの「日英同盟」のあらすじを参照してほしい。

満州事変を計画した石原莞爾の最終戦争像は、日米の航空機決戦で、中国を本拠地にして戦えばソ連とは20年でも30年でも戦争を継続できるというものだった。

★1931年7月に当時の東京帝国大学生に「満蒙のための武力行使は正当か?」というアンケートをとったら、9割が賛成していた。その2ヶ月後に満州事変が起こった。この本のタイトル通り、日本人は戦争を選んだのだ。

★満州事変が起こり、民政党の若槻内閣の必死の沈静化努力にもかかわらず、朝鮮軍司令官だった林銑十郎が閣議の否決に憤り、当時日本軍の最精鋭といわれた朝鮮軍を独断越境させてしまう。関東軍1万人に対し、満州を支配する張学良軍は20万人ともいわれ、関東軍だけでは劣勢が目に見えていたからだ。

★満州事変が起こり、蒋介石は「公理に訴える」ということで、国際連盟による仲裁を求める選択をした。後に予想される日中交渉の際に、国際世論の支持を得ていた方が有利となるという判断と、国民の関心を国際連盟に向けさせるという意図だったと、スタンフォード大学フーバー研究所が公開している蒋介石日記に書いてあるという。

満州は張学良が支配していたので、張学良が日本軍と合意に達してしまえば、国民党政府は手出しが出来ないという恐れもあり、国際連盟に持ち込んだという背景もある。

これを受けてイギリス人リットン伯爵を団長とする調査団が1932年2月から調査にあたり、1932年10月に報告書を提出する。

★1932年連盟脱退の時の外相は内田康哉で、「焦土外交」という強い言葉で、日本の強硬路線を強調し、中国が宥和策を出してくるのを待つという作戦だったようだ。

蒋介石も日本と事を構える前に、共産党を撃とうとして、1932年7月には駐日公使を呼んで、日本に対しては提携主義を取り、宥和策をすすめていくことを指示した。

★内田の強硬策は成果を上げているように思え、1933年1月に内田は天皇に連盟脱退は避けられるという上奏をしている。しかし、これには天皇はじめ、牧野伸顕内大臣も不安を感じていたという。松岡洋右全権代表は強硬策をやめ、連盟に留まるよう電報で忠告している。

加藤教授は学生にも「松岡洋右に甘い」と言われるそうだが、松岡の連盟に留まるように説得する態度は立派だと評価している。

★内田外相の強硬策を葬ったのは、1933年2月の関東軍の熱河侵攻作戦だった。これは天皇の裁可を得た正式の作戦だったが、連盟規約第16条の連盟が解決に努めている時に、新たな戦争に訴えた国はすべての連盟国の敵と見なされるという条項に抵触することとなった。

海軍出身の斉藤首相は、事態の重大性に気づき、閣議決定を取り消し、天皇の裁可取り消しを天皇に頼む。天皇は取り消そうと考えるが、侍従武官や西園寺元老の反対にあって止められる。天皇も苦しむが、結局熱河侵攻作戦は実施され、その2日後日本は連盟から制裁を受ける前に、自ら脱退する。

★当時の国民の半分は農民だったが、小作農の権利を保障する政策は政友会や民政党などの既存政党からは出てこず、「農山漁村の疲弊の救済は最も重要な政策」と断言するのは陸軍のみだった。

学生や工場労働者などには徴兵免除が適用されたので、農村が兵士の最大の供給源だったからだ。

★蒋介石を支えていたのは浙江財閥で、宋美齢などの宋姉妹や宋子文などのファミリーが有名だ。

★中国の駐米大使胡適の「日本切腹、中国介錯論」とは、世界の2大強国、米国とソ連を味方に引き込むには、最初2-3年は日本に負け続け、沿岸部をすべて抑えられ困難な状況に追い込まれる。しかし、そのうち世界の同情が集まり、日本軍の内陸部移動にソ連がつけ込み、英米は権益保護のため軍隊を派遣し、海戦が起こるというものだ。まさに身を切らせて骨を切る戦略である。

★蒋介石に次ぐ国民党No.2の汪兆銘は胡適の「日本切腹、中国介錯」論に反対して、3-4年待てば中国はソビエト化してしまうと主張し、日本と妥協する。

★日米開戦準備を決定した1941年9月の御前会議で、永野軍令部総長は、このまま行くと石油不足で「大阪冬の陣」のように戦闘能力をそがれ、翌年には戦う事さえ出来なくなる恐れがあると説明する。天皇は「大阪冬の陣」という説明にグラリときたという。

★蒋介石は義理の弟の宋子文をアメリカに送り、軍事援助を引き出そうとするが、アメリカは日本との関係悪化を懸念して、資金は援助するが、1940年末まで武器は援助しない。

そんなアメリカの態度を変えさせて、パイロット付き戦闘機(フライングタイガース)を中国に派遣させたのは、蒋介石のこのままいくと中国は共産化するという脅しだった。アメリカはこれに応じ1941年7月にフライングタイガース100機を中国に供与した。

★戦争は実質的に1944年6月のマリアナ沖海戦で決着がついている。加藤さんは吉田裕さんの「アジア・太平洋戦争」を引用して、岩手県の戦死者数の推移を紹介している。最後の1年半に戦死者の9割が集中しており、負け戦続きで多くの人が戦死したり、病死、餓死した。

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)
著者:吉田 裕
岩波書店(2007-08-21)
販売元:Amazon.co.jp
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★満州移民は戦後ソ連の参戦でひどい目にあうが、普段から中国人との友好関係を築いていた開拓団は、敗戦となるとすぐに中国人に農場や建物を渡し、安全な地点までの護衛を頼んで、低い死亡率で日本に引き上げたという例もある。

★国や県は「分村移民」という村ぐるみで満州移民すれば、助成金を支給するという制度で開拓団を奨励していたという。開拓団の悲劇は国や県の政策の結果でもあったのだ。


教科書的な事実の時系列的説明という内容ではなく、節目節目のFAWを掘り下げるという講義だ。「試験に出ない」という理由で、高校時代に日本の近代史をきっちり学ばなかった筆者には、参考になる点が多かった。

池上解説の歴史版のような本だ。ぜひ手に取って欲しい本である。


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Posted by yaori at 12:58│Comments(0)TrackBack(0) 戦史 | 歴史

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