2011年03月26日

自ら育つ力 祝箱根駅伝総合優勝!早大 渡辺康幸駅伝監督の本

自ら育つ力 早稲田駅伝チーム復活への道自ら育つ力 早稲田駅伝チーム復活への道
著者:渡辺 康幸
日本能率協会マネジメントセンター(2008-11-28)
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2011年の箱根駅伝で総合優勝した早稲田大学駅伝監督の渡辺康幸さんの本。2008年12月の出版だ。



先日会社で渡辺さんの講演を聞く機会があったので、この本を読んでみた。


脱炭水化物ダイエットで10キロ超減量

この本の写真もそうだが、テレビでも結構ふっくらしている様に見えたが、講演に現れた渡辺さんはいかにも元マラソンランナーらしくスマートな体型だった。

テレビはそうとう太って見えるものだと思いこんでいたら、脱炭水化物ダイエットで最大15キロ減量したのだと。

渡辺さんは1973年生まれ。監督になって7年になるが、まだ38歳だ。


市立船橋の超ハードトレーニングでメキメキ上達

渡辺さんは千葉県生まれ。中学時代は格別目立った選手ではなかったが、高橋尚子を育てた小出義雄監督が監督をしたことがある市立船橋高校の誘いを受けて一般受験して入学。

渡辺さんが市立船橋高校の選手だったころは、授業前の朝練で、船橋市内を流れる海老川沿いの一周2キロのジョッギングロードを4周。3周め,4周めは全力疾走だったという。

午後練は5キロほど離れた夏見総合運動公園までジョッギングし、ここで一周5キロのアップダウンのきついジョッギングコースを4周。

時々は東大検見川総合運動場に行き、クロスカントリーコースを20キロ以上走って、最後は1,000メートルの全力走だったという。日曜日だけが休みだ。

たまにはサボりたくなるようなハードな練習だったという。渡辺さんはハードトレーニングでメキメキ力を付け、千葉県の中学チャンピオンだった選手をすぐに追い抜き、高校2年で世界ジュニア選手権にも出場し、高校の長距離記録を次々塗り替えた。

余談になるが、筆者は実は新婚の頃は船橋に住んでいて、夏見総合運動場の近くの社宅に住んでいた。きれいな運動場だった。

大学の時には検見川で時々合宿していたので、渡辺さんの本を読んで懐かしく感じた。

今回の東北関東大震災で船橋の夏見地区は断水になっていたようだ。市立船橋の生徒にはあまり影響が出ていなければ良いのだが。


学生長距離界のスーパースター

早稲田大学でも1年生から箱根駅伝を走り、10,000メートルで1992年世界ジュニア3位、1993年ユニバーシアード2位、1995年ユニバーシアード優勝、1995年の世界選手権では当時の学生記録を樹立した。

箱根駅伝では、2年先輩に早稲田の三羽烏と呼ばれた逸材を擁し、1年生の時に総合優勝、2年生から4年生まで連続総合2位という成績だった。

学生長距離界のスーパースターとして君臨し、1996年に早稲田の先輩・瀬古さんがいるS&B食品に入社した。


社会人になってからは故障続き

社会人になってからは、アキレス腱の故障に悩まされ、アトランタオリンピックの10,000メートルの代表に選ばれたが、レースには出場できなかった。

銀メダルの谷亮子さんと一緒の飛行機で帰国し、谷さんの出迎えに多くのマスコミが集まっている横を、下を向いてすり抜けたのだと。

結局29歳で競技から引退を余儀なくされるという寂しい現役生活の終わりだった。


2004年に早稲田駅伝監督に就任

渡辺さんが卒業してからの早稲田の長距離チームは箱根駅伝で順位がだんだん落ち、2004年にはワーストタイの16位にまで落ちた。

最悪の状態だったので、あと2−3年待った方が良いというアドバイスもあったが、部員達の「見捨てないでくれ」という強い希望を受け入れ、ワーストタイになった2004年に渡辺さんは駅伝監督に就任した。

初めは自分の考えを押しつけ、「自分ができたんだから」という考えからの「他人の理想」の厳しい練習は、4年生くらいしかついてこれる部員がなく、チームは壊滅状態になった。

これではいけないと思い直して、おんぼろの合宿所で選手と寝泊まりしはじめ、スキンシップを大切にして指導を始めた。

2005年の箱根駅伝はあと一歩のところでシード権を逃す11位。アンカーの高岡選手が区間二位の激走だったにもかかわらず、大手町で両手をあわせてゴメンとゴールインしたシーンは筆者も覚えている。

2006年の箱根は13位と成績は低下し、風当たりも強くなってきたときに励ましてくれたのは今回都知事選挙に立候補した東国原さんだった。

当時の東国原さんは毎月400キロ走り、40歳を過ぎても年々記録が向上するランナーだったという。

人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!
著者:東国原 英夫
晋遊舎(2010-02-20)
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「自ら育つ力」をつけさせる指導

渡辺さんは野村克也監督、ラグビーの平尾誠二さんなどのスポーツリーダーシップに関する本を読みまくり、当時の早稲田のラグビー部清宮監督や他大学の監督にも話を聞いた。

野村ノート野村ノート
著者:野村 克也
小学館(2005-09)
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勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)
著者:平尾 誠二
講談社(1998-11)
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結論として「自分にえらそうな管理はできない」という考えに至り、選手自身に「自ら育つ力」をつけさせるという指導法に変えた。

このブログでも紹介した松井秀喜の「不動心」に載っていた「努力できることが才能だ」という言葉を思いおこさせる。

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
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渡辺さん自身、天才ランナーと言われて、結局最後まで自分を客観的に見るという「自己管理」ができていなかった。だから選手には自分の成長には自分で責任を持つものなのだということを教えたかったのだと。

監督になった時の目標である「4年で総合優勝」にはならなかったが、2008年には往路優勝、総合2位にまで盛り返した。そして2011年には念願の総合優勝を果たした。


「自ら育つ力」をつける渡辺さんの指導法

渡辺さんの講演では、11+5=合計16のポイントを挙げて箱根駅伝で勝つための指導法を説明していた。次は筆者なりに講演内容もふまえて整理した渡辺さんの強いチームの作り方だ。


1.渡辺さんの強いチーム作り

(1)リクルーティング強化
渡辺さんはリクルーティングが駅伝の成功の8割だと語っていた。

早稲田は幸いにして大学のネーム・バリューがあるが、箱根駅伝で実績を残せない間は、高校にリクルーティングに行っても、その高校のナンバーワンの選手を獲得できなかったという。

例えば後に大学陸上競技界のエースとして活躍し、オリンピックにも出場した竹澤も高校時代はナンバーワンではなかった。竹澤から早稲田に来たいという逆指名があって獲得したという。

高校の長距離界では、長野の佐久長聖高校が有名だが、佐久長聖の監督が東海大学出身だったこともあり、なかなか有力選手を獲得できなかった。

ようやく最近は佐久長聖高校からもナンバーワンを取れるようになり、2010年は大迫というトップ選手を獲得できた。その大迫が2011年箱根駅伝の1区トップで早稲田の総合優勝の出だしを飾った。

スカウティングに加えて、早稲田実業などの附属高校も強化、一般受験でも選手を集めて、選手層を厚くした。

これはオフレコの話なのかもしれないが、大学生の就職が厳しくなってくると山梨学院大学、神奈川大学などは良い選手獲得が難しくなることが予想され、これからはネームバリューのある青山学院大学、明治大学などが強くなってくると渡辺さんは予想していた。


(2)達成可能な目標管理 夢と目標とは違う
チーム作りの基本は5,000メートルで13分台、10,000メートルで28分台で走る選手を育成する。区間賞を取る選手をそろえるのではなく、区間2−3位の選手を10人揃えるのだ。

弱いチームは過信して甘い目標を立てがちだ。

選手には毎年合宿所の壁に今年の目標を貼り出させ、「有言実行」を実践させた。達成可能な小さい目標を積み重ね、自己成長サイクルに乗せた。

この話は筆者も全く同感である。筆者は大学4年間パワーリフティングをやっていた。パワーリフティングも長距離走同様に、小さな目標達成の積み重ねだ。

筆者も最初はベンチプレス60Kg,スクワット140Kgくらいだったのが、卒業時にはベンチ140Kg,スクワット220Kgまで伸びた。

一ヶ月で2.5−5Kgくらい伸ばすことを目標にしていたので、四年間続けたら、記録が倍増した。渡辺さんが語っているのと同じ、小さい目標を積み重ねた結果だ。


(3)自己管理
選手には自己管理を徹底させ、身体のケアをさせた。合宿所も改修して、プロの栄養士、トレーナー、睡眠指導を導入した。

選手は試合前のカゼなどを隠す傾向があるので、これを見抜くのも強いチームを作るための監督の力量だ。

(4)モデル・ライバル・手本をつくる
上級生などでモデルとする選手をみつけ、ライバルをつくり、陽のオーラを出す人を見つける。これで成長を加速させるのだ。

さらにAチームとBチームをわけて、メンバーの入れ替えも頻繁に行った。

2011年のチームは竹澤が卒業し、エース不在のチームだったが、ハングリー精神のある選手がいたので、一区の大迫を覗き、区間賞なしで総合優勝した。

チームのまとまりを生む4年生、そしてハングリーな選手が箱根に強いのだ。「エースと新人には頼らない」というのが渡辺さんの基本的なチーム作りの考え方だ。

ちなみに渡辺さんのライバルは山梨学院大学のスタファン・マヤカ(現創造学園大学コーチ)だったという。

陽のオーラを発する人は毎月400キロは走るという東国原前知事、小出マジックで有名な小出監督が良い例だ。「すっごい足しているね」、「君は絶対に速くなるよ」、「絶対に君は大物になるから」というぐあいだ。


2.勝つための環境整備

渡辺さんは監督に就任して、早稲田のラグビー部の清宮監督に話を聞きにいったところ、まずはまわりを整備しろとアドバイス受けたという。これに従って、次のように環境を整備した。

(1)グラウンドと合宿所を7億円かけて改修
グラウンドは2億円、合宿所を5億円かけて改修した。そのうち1億円はOBの寄付でまかない、残りは大学に出して貰った。ちなみにラグビー部は施設の改修等に70億円掛けたという。

(2)大学のバックアップ
「スポーツの弱い早稲田は早稲田ではない」という奥島前総長の言葉を受けて、早稲田のスポーツ推薦枠は85人しかなかったのを拡大してもらった。

選手強化費も1,200万円だったのを1億5千万円にして貰い、専属のトレーナー、栄養士をやとった。

「光る奴には旅をさせよ」ということで、有望なランナーには海外遠征を経験させた。

例えば学生長距離界のチャンピオン竹澤謙介にはヨーロッパ遠征や世界選手権に出場させ、北京オリンピック出場も果たした。

ちなみに東洋大学は10億円、明治大学は7億円の年間強化費予算を持っているという。

(3)フロント整備
早稲田大学の陸上部のOB会は元日本陸連会長の92歳の青木半次さんや、衆議院議長宇の河野洋平さんなどの大物がいて、小回りがきかなかった。

そこで渡辺さんは70歳定年制を提案して導入し、若返りをはかり、口は出さずに金を出すというOB会に変えたという。


3.箱根駅伝にあわせたチーム作り
 
(1)コーチに山上りのスペシャリストを起用
箱根の山を制するものは、箱根駅伝を制する。渡辺さん自身は山上りの経験はなかったので、山上りのスペシャリストで早稲田の後輩の相楽豊さんをコーチとして上武大学からひっぱった。

(2)担当別に練習内容を変える
相楽さんの意見を入れて、山上り、山下り、平地区間等の担当別に練習スケジュールを変えた。

相楽さんは「相楽ノート」という選手の状態を克明に記録するノートを付けており、渡辺さんが「ガーッと行け」とか感覚的に言うと、「何分何秒で行け」という風に具体的に言い直してくれるという。

渡辺さんに欠けている点を相楽さんは持っているのだと。

ちなみに渡辺さんが雑談で語っていたが、東洋大学の柏原竜二選手はストライド走法で山上りができる100年に一度の選手だと。30〜40秒の差があっても、あっという間に抜かれるという。



しかし柏原選手も万能ではなく、箱根駅伝の山上りでは圧倒的な強さを示すが、山下りと接戦に弱いという弱点があり、最近は自分の記録を上回ることができないでいる。

渡辺さんは柏原君が最終学年の4年になる来年の箱根駅伝には、ひとあわふかせる作戦を考えているという。


渡辺さんのチーム作りの注意点
次は渡辺さんが講演で語っていたチーム作りで気を付けた点だ。

1.成功者の話を聞くこと
なかばジョークで、「監督になったら酒、女、金には気を付けろ」と言われたと渡辺さんは言っていた。そういえば監督の辞める原因は、たしかにこの3つだと。

2.危機感を持ち続ける
チームが上向きの時があぶないという。選手は故障を隠そうとするので、選手に密着して状態を常に把握しておくことが大事だ。

過去の箱根駅伝で何度も「涙の途中リタイア」という劇があったが、これがまさに選手の故障を監督が見抜けなかった例だ。

3.名選手名監督ならず
名選手はどうしても、「なんでできないの?」という態度になる。「俺ができた」のにはダメだという。

練習量も腹八分目の指導、60〜70点を目指し、アベレージ的に良い状態にもっていくのだ、

4.古い伝統の廃止
早稲田では後輩が給水したり、風呂掃除というノルマがあった。「礼に始まり礼に終わる」というOB会の反対もあったが、押し切った。

5.実力にあわせたチーム編成
A,B,C,Dチームをつくり、Dは故障者、1,2,3軍の入れ替えを頻繁に行い、チーム内でも競争させた。

6.適性の見極め
山上り、山下りのエクスパートを養成するため、高校時代から大学1年まで適性を見極め、山上り・下りのエクスパートを育てた。
  
7.補欠のケア
補欠には理由を告げ、納得させる。たとえチームでトップクラスの実力を持っていても、勝手な行動をする選手は補欠にした。

8.就職先のケア
OB会、陸上のネットワークなどで就職のケアをきっちり行うことで、高校生を早稲田に進学したいという気持ちにさせることができる。

9.マスコミ活用
渡辺さんは一切取材拒否はしないので、箱根駅伝の直前の12月20日あたりになると、取材陣が100人を超える。敵をつくらないのがポリシーだという。


最近の若い選手の扱い方

ビジネスマン向けの講演だったので、最近の若い選手の扱い方について渡辺さんがコメントしていた。筆者のメモからポイントを紹介しておく。

1.2/6/2の法則で監督自らが歩み寄って育てる
選手育成は子育てと同じだという。渡辺さんは女子アナと結婚しており、共稼ぎで、2歳の息子がいる。講演で「ワーク・ライフ・バランス」についての質問が出たときに、子育ては人間を強くすると語っていた。
  
高校ナンバーワンの大迫も天才肌で練習嫌いだが、監督から歩み寄って育てるのだと。

2.納得すると力を出す
接触する時間をふやして、わかりやすく説明すると納得すれば力を出す。

3.ミーティングを短くする
一回5〜10分として、毎日やっている。

4.昔の話、苦労話をしない 
信頼関係ができると聞きたがるが、それまでは自分からは苦労話はしない。

選手とコミュニケーションを取るために、渡辺さんは一時間ほど選手と一緒にジョッギングするという。

5.マザコンが多い 好き嫌いが多い
週一回の休みには家に帰る選手が多い。牛乳が飲めない奴もいる。


以上講演の内容も加えて、渡辺さんの指導法を整理して紹介した。

上記でも紹介した東洋大学の柏原君の対策を必死になって渡辺さんは考えているようだ。下り坂、平地に的を絞ったものだと思うが、2012年の箱根駅伝では柏原対策の秘策を見たいものである。来年の箱根駅伝が楽しみだ。


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Posted by yaori at 23:21│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 | スポーツ

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