2011年05月14日

こころを動かすマーケティング 日本コカコーラ会長の魚谷さんの本

こころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられるこころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられる
著者:魚谷 雅彦
ダイヤモンド社(2009-08-07)
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日本コカコーラ会長の魚谷さんのコカコーラのマーケティング解説。


魚谷さんの経歴

魚谷さんは留学制度がある会社ということでライオンに入社し、コロンビア大学でマーケティングを学び、MBAを取得。

ニューヨークでコミュニケーションとプレゼンテーションの能力を磨くためにデール・カーネギー・スクールで毎週2回、夜7時から10時まで学んだという。ここにもカーネギーに学んだ人がいた。

帰国後30歳でライオン最年少のプロダクトマネージャーとなる。プロダクトマネージャーの仕事は、机に向かってするものだけではなく、朝から晩まですべての時間が仕事の時間だとライオンの先輩にたたき込まれた。

常に問題意識を持つ、何故だろうと考え、電車に乗る人を観察、テレビコマーシャルを見て、世の中の変化を敏感に感じ取るのだと。最初に入社したライオンには今でも感謝していると。

その後シティ・バンク、欧州食品メーカーからフィリップモリスグループのクラフト・ジャパンの代表取締役副社長、そして1994年に39歳で日本コカコーラにマーケティング担当のシニア・ヴァイスプレジデントとして入社する。

以下に述べるようにマーケティングで鮮烈にデビューし、一度営業を担当した後、マーケティングに戻り、2001年に日本人としては26年ぶりに社長に就任する。

2006年に社長を退き、会長となり、自分の会社のブランドヴィジョンを設立し、現在はNTTドコモの特別顧問も兼務している。


コカコーラのマーケティング

最初に「よく驚かれる事実」として、コカコーラは日本で毎日5,000万人に製品を売っていることを紹介している。

自動販売機で2,000万人(全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機)。スーパーやコンビニで1,600万人。マクドナルドなどのファーストフードやレストランで900万人。これで合計5,000万人となる。

コカコーラは1886年アトランタの薬局で薬剤師をしていたジョン・ペンバートン博士が発明し、シロップを水に混ぜて「コカ・コーラ」というブランドで売り出した。ある時、間違えて炭酸水を混ぜたら、よりおいしいということで現在のコカ・コーラが誕生した。

120年前から同じ物が、世界200国以上で売られ、世界ナンバーワンのブランド価値を誇っている。

ブランドをintrisic value(基本的な価値)とextrinsic value(付帯的な価値)に分けると、味やボトルなど基本的な価値は100年以上変わっていないが、付帯的情緒的な価値は時代に合わせて大きく変化したという。

現在のコカコーラの企業ビジョンは"Live positively"だ。

コカコーラは世界各地で「ボトラー」と呼ぶディストリビューター/ボトル詰め会社ネットワークを持っており、日本にも有力企業との合弁会社を中心に最大18社のボトラーネットワークを持っていた。

コカコーラ全体では全世界で90万人が働いており、日本でも2万3千人が働いているが、日本コカコーラはマーケティング(広告宣伝)専門の会社なので、社員は550人しかいない。

この本では魚谷さんが担当したコカコーラの様々な製品の広告宣伝が紹介されていて興味深い。


まずはジョージアの立て直し

魚谷さんが入社した当日から課題として出されたのは、コーヒーのジョージアだ。1975年に発売されたジョージアは味の良さに強力な流通網が加わり、一時は40%を超えるトップシェアを持っていたが、次第にシェアを失いつつあった。

認知度調査をしてみると、シェアが10%のサントリーのBOSSが一番で、トップシェアのジョージアは2位という結果が出た。

入社して1週間で(社長のOKを取り付けて)、既に大手広告代理店に決まっていた巨額の撮影費用が掛るアメリカの飛行場でのCM撮影をキャンセル。バックに「ジョージア・オン・マイ・マインド」が流れるマンネリのブルーカラーをターゲットとした広告案だったという。広告代理店社内で、とんでもないヤツがきたと、大変な騒ぎになった。

急遽CMを作り直すことになり、広告代理店をすっとばしてJRエクスプレスのCMを作っていた製作会社TYOの早川和良さんに直接1週間で考えて欲しいと依頼に行く。前職での広告の評判が良く、尾崎豊の"I love you"を使った早川さんのCM作品が心に残っていたからだという。



タレントのダンカンがサラリーマンに扮したCMは好評だった。次にたけし軍団を使ったCMを企画するが、たけしのバイクの交通事故でCMはキャンセル。そこで思い立ったのが、飯島直子を使ったサラリーマンをターゲットとする「男のやすらぎキャンペーン」だった。



ブルゾンをプレゼントするキャンペーンには4,400万通の応募があり、ジョージアのシェアは一挙に53%にアップした。成功できたのは、徹底的にターゲットとなる生活者をイメージしたからだと魚谷さんは語る。


お茶飲料

次にお茶を立て直す。魚谷さんの入社した当時はコカコーラはウーロン茶で「茶流彩彩」というブランドを持っていたが、トップのサントリーに全く勝負にならなかった。

「何をやらないかを決めるのも戦略である」とビジネススクールで教わったことを思い出して、ウーロン茶でなく、健康イメージのある「爽健美茶」で勝負した。市場調査は福岡の3日間だけだったという。2人の若いマーケターが確信を持って進めたマーケティングが成功したのだ。

アカペラのコマーシャルはモデル選びが難航したが、最後の体育大生が全員のイメージと一致したという。



次は紅茶だ。マーケティングで「平均点のマーケティングは失敗する」と学んだので、女性をターゲットにリッチなミルクティーというコンセプトで「紅茶花伝」をつくりだした。

生の牛乳を使うことは技術的に難しかったが、これを克服して、一回り小さい缶にして本格派のミルクティーを売り出した。

ほとんどプロモーションをしなかったにもかかわらず一位となり、紅茶飲料のトップブランドだった「午後の紅茶」がミルクティーを売り出してきても一位は全く揺るがなかったという。

この成功でマーケティングに於ける細分化とセグメンテーションの重要性、そして一旦一位になると簡単には変わらない「一番手の法則」を学んだという。

アメリカの広告代理店の経営者が書いた「ポジショニング戦略」という本が参考になったという。

ポジショニング戦略[新版]ポジショニング戦略[新版]
著者:アル・ライズ
海と月社(2008-04-14)
販売元:Amazon.co.jp
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この本のなかで、「大西洋を2番目に単独飛行した人は誰でしょう?」という質問がある。誰もが一番めのリンドバーグは知っているが、2番目のバート・ヒンクラーの名前は誰も知らない。

どこか一点訴求できる独自の価値を見つけ、自ら新しいカテゴリーを作って差別化できるポジショニングを作り出す。これがマーケターの腕の見せ所だと。


営業起点のマーケティング

魚谷さんはマーケティングの専門家だが、一時社長の指示でコカコーラの営業を担当した。「リレーションベースの営業」と呼ばれていた営業を、「戦略的な営業」に変えるためだ。

社長には「リレーションベースの営業」と呼ばれて居るぞと営業マンに檄を飛ばし、ドラッカーの「マネジメント」の教えに従い、ビジネスプロセスの起点を「お客様」として、当時17社あったボトラー社と営業が「協働マーケティング」に乗り出し、「お客様は誰か」ということからスタートした。17社全部からそれぞれの地域のマーケティングプランを出し、1週間掛けて日本コカコーラへのプレゼンテーションを行ったという。

その結果、圧倒的なシェアを誇る九州地区でジュースが弱いことがわかり、「お客様」である子どもが楽しく飲めるように、キャラクターをつくり、上手い物を飲んだときに出る「クーッ」という声をブランド名にした「QOO」をつくった。



QOOはあっという間に全国に広まり、今やアジアでも販売されている。

かつて日本コカコーラの社長を務めたことのあるオーストラリア人が2000年にCEOに就任すると、一時は日本のCMでさえアトランタの本社のOKを取る必要があるくらい中央集権的だったコカコーラが日本に学べということで、世界各国のトップが日本を訪問してくることになる。

日本法人の社長もオーストラリアのトップを務めていたアメリカ人女性に代わり、魚谷さんは社長と二人三脚で日本コカコーラの経営を担う。


広告メディアバイイングと広告クリエイティブの分離

魚谷さんが入社してすぐにジョージアを担当した時に、メディア購入とクリエイティブを別々に切り離し、仕事の質・量に応じてフィーを払うというやり方に変えた。日本の広告業界に激震をもたらしたという。

それまではメディア購入のつけたしのような広告クリエイティブの存在を広告クリエイティブとして正当に評価することにしたのだ。

一つ一つの広告をしっかり評価してベンチマーキングする。年に一度代理店やクリエイターとレビューを行い、それぞれの担当者にも評価させる、という透明性を高めたシステムとした。

日本コカコーラでは広告を費用とは考えず、投資と考えているから、投資リターンを正確に把握する必要があるのだ。

このようなメディア購入とクリエイティブ分離、評価システム導入の結果、大幅に取引が減る広告代理店があった。魚谷さんが出向いて先方の社長に伝えた。社長のショックを受けた顔を今でも忘れられないという。

最後に新たにメディ購入を一手に引き受けて貰う広告代理店を訪問した。この代理店がジョージアの「明日があるさキャンペーン」を提案した会社だった。


ジョージアの再・立て直し



実はジョージアのコンペでは、当初この代理店は入っていなかったという。無理矢理追加して入れても、第一回目のコンペでは最低評価だった。魚谷さんが断りを入れると、先方の営業次長は「1週間待ってくれ、プレゼンの時間は他社の半分でいい」ということで食い下がる。「営業は断られたときから始まる」だ。

期待しないでプレゼンを受けてみると、前回とは全く違ったものだった。「明日があるさ」キャンペーンの原形で、出演は吉本興業のオールキャスト、CMに近いビデオ映像まで作ってきたという。

魚谷さんはこのとき人の心は動かせるのだと思ったという。あの代理店の次長は、最初の第1回目の審査で負けて、社内にあきらめムードが出たところを、1週間という短い時間で立て直した。

社内の人の心を変えたからこそ、クライアントの心も変えることができた。これこそマーケティングだと思ったという。

このCMは日本コカコーラの歴史でも初めてACC賞グランプリを獲得し、CMからドラマや映画が生まれ、CD発売、吉本興業のオールキャストがNHKの紅白歌合戦に出場するという企業広告を遙かに超えた幅広い展開ができたという。

缶コーヒーのCMがみんなに元気を与えたと評価されたのだ。


最後はコカコーラ

魚谷さんのマーケター最後の仕事はコカコーラのマーケティングだ。それまでの「スカッとさわやか」から「No Reason」というサザンを使ったコマーシャルを導入した。



"No Reason"という標語はアトランタ本社からクレイムがついたが、女性社長が本社に説明してくれてキャンペーンはスタートした。

担当した広告代理店では社内でもコンペを行い、トップクリエイター達が考えたのもサザンだったという。コカコーラはそれまでサザンを起用したことはなかったが、桑田さんの書き下ろしの曲「波乗りジョニー」も、桑田さん自身のCM出演も大変な盛り上がりとなった。

多くの人、関係者を巻き込んだマーケティングの成功例だ。


日本コカコーラの社長に就任

2001年に"No Reason"キャンペーンが成功すると、10月に魚谷さんは47歳で社長に就任した。同じ外資系の日本IBM会長の椎名武雄さんに乾杯の音頭をお願いしたという。椎名さんの"Sell IBM in Japan. Sell Japan in IBM"という標語は、魚谷さんもまさに同感だからという。

社員には本人の名前入りメッセージ集の「こころざし読本」を配布し、共通の価値観である"Fun & Excitement"を共有した。

新商品の提案はA4の紙一枚。説明は3分を流儀にしたという。

日本全国で250万台ある自動販売機のうち100万台がコカコーラの自動販売機で、ジョージアの販売のために世界に先駆けてホット・コールド切り替え自動販売機を導入した。元々自動販売機網を拡大したのは、1980年代に社長だったオーストラリア人のトップが、ボトラーの意見を聞いて決断したという。

自動販売機をおサイフケータイ対応として会員登録とあわせてマーケティングデータを取得できるようになった。

日本コカコーラの会長となり、ドコモの顧問に就任してからは、One docomoという各組織を代表する300名ほどのブランド推進リーダー組織をつくった。日産のクロスファンクショナルチームと同様の考えだ。

日本企業はもっとマーケティング経営力を高めていくべきだと魚谷さんは語る。最後にマーケティングに絶対の原理はなく、先回りして新しいニーズをつくることも重要だと語っている。

このブログのように実際の広告を振り返りながら読むと大変楽しめる本である。


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Posted by yaori at 19:55│Comments(0)TrackBack(0) 自叙伝・人物伝 | カーネギー

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