2011年06月23日

大気を変える錬金術 書評競作 その1 読書家の友人の書評紹介

大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀
著者:トーマス・ヘイガー
みすず書房(2010-05-21)
販売元:Amazon.co.jp
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会社の読書家の友人にこの本を紹介したら、書評を送ってもらった。この書評が非常に出来が良いので、別途紹介した筆者の「あらすじ」と競作の書評として紹介する。

それは今を去ること100年以上前の1898年、英国のブリストルでの英国アカデミー会長サー・ウイリアム・クルックスによる予言的な演説から始まった。

曰く「英国をはじめとするすべての文明国家は、いま生きるか死ぬかの危機に直面している。人口が幾何級数的に増え続けている中で、食料の増産は遅々としてすすまず、このままでは人類は遅くとも1930年代には飢餓に直面し、多くの人間が命を落とすことになるだろう。それを克服する方法はただひとつ。それは化学を発展させ、食料の増産に必要な肥料、窒素を豊富に含んだ肥料を化学的に合成し、それを農地に大量に投与するしか人類が飢餓の恐怖から逃れる方法はない」と。

あらゆる生命体にとってもっとも重要な元素。それは窒素である。空気の80%は窒素から出来ているが、窒素は気体のままでは生命の維持には役に立たず、これを液体(アンモニア)もしくは固体とし、植物がこれをとりこんで養分として吸収できるようにしなければならない。これがなかなかの難物で、気体の窒素N2を分解し、水素と化合させてアンモニアNH3を作るのは容易ではなく、古来、人類は固体窒素を豊富に含む別の物体(人糞、獣糞、尿など)を採集し、地面にばらまくことで、痩せる一方の地味の維持管理を行ってきた。

農地は毎年毎年同じ作物を植え続けると痩せてしまい農作物の収穫量が減るのは、地中に含まれる窒素を植物が消費しつくしてしまうからで、これを回避するために人類が編み出したのが何年に一度か農地を休耕し、そこにマメ科の植物を植えることであった。マメ科の植物は根に寄生するバクテリアが窒素を形成し地中に放出する性質を持っており、これが地味を回復させる働きをもっていることを人類は経験から発見したのである。

しかし、こういう悠長な方法ではとても対処しきれないスピードと規模で人口は急増。1900年には19億人だった人類が、今や60億人を突破して、尚増え続けている。それでも人類がクルックスの予言通り飢餓に直面せず、当時の3倍超の規模まで増殖し、かつ、肥満の問題で悩むまでに至った最大の理由は何か。それが本書の主人公、フリッツ・ハーバーが発見しカール・ボッシュが企業化した「大気からアンモニアという窒素を合成する錬金術」=ハーバー・ボッシュ法の成果なのである。

アンモニアは肥料としてのみ有用なのではない。ダイナマイトの原料となる硝石の化学式はKNO3で、アンモニアを更に加工することでドイツはダイナマイトの原料となる硝石をも大量生産することに成功する。

本書を読むと19世紀末から1920年代にかけて、ドイツの化学産業というのは、英国やフランス、米国を遥かに上回る世界のトップランナーであったことが分かる。

ドイツといえば1871年に他に遅れて国家統一を成し遂げた後進国であり、いわばキャッチアップ型の経済成長を遂げた国とばかり思っていたが、こと化学産業に関する限り、ドイツのレベルは当時の先進国だった英国やフランス、そして米国よりも数段進んだレベルに既にあったのだ。

その中核にあった企業が人工染料で財を成したBASF、バイエル、ヘキストというドイツの化学企業群で、なかでも中核を占めたのが今日も世界最大の化学企業であるBASFだ。この3社は後に合同し、IG(イーゲー)ファルベンという文字通り世界最大の化学企業体を形成する。IGファルベンの名前は知っていたが、その意味がドイツ語で「染料事業利益共同体」だとは本書を読むまで知らなかった。

世界のトップランナーとしてのドイツを支えたのが当時のドイツに住まうユダヤ系の人々だった。当時のドイツでも、もちろんユダヤ人は差別の対象だった。しかし、その度合いが英国やフランスに比べて緩やかで、とりわけアカデミーの世界ではユダヤ人はのびのびと才能を発揮する自由がドイツでは認められていた。

なんとか2級市民の地位を脱したいユダヤ人は学業に専念し、学問的業績を通じてドイツに貢献し、晴れてドイツ人社会に受け入れてもらえることを夢見、願った。その典型が、本書の主人公フリッツ・ハーバーだ。彼はユダヤ人でありながらキリスト教に改宗し、ドイツ人よりもドイツ人らしく振る舞おうとした。

独自にデザインしたプロイセン風の軍服を身にまとい、片メガネをかけ、ドイツ至上主義を誰彼となく鼓吹したという。このドイツ人になりたい、ドイツ人として認められたいというハーバーの強い願望が、やがて彼をして塩素系毒ガスの開発へと駆り立てていく。

毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)
著者:宮田 親平
朝日新聞社(2007-11-09)
販売元:Amazon.co.jp
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しかし、ドイツは第一次大戦に敗北し、やがて復讐に燃えたフランスと英国によって苛斂誅求なるヴェルサイユ条約を押しつけられ、ドイツ経済は文字通り崩壊する。全ドイツ国民が塗炭の苦しみを味わう中で、やがて「こうなったのは、すべてユダヤ人のせいだ」と叫ぶヒットラーが国民から圧倒的な支持を集めるようになる。

なぜフランスはドイツにあそこまで過酷な賠償を押し付けたのか。最大の理由はフランスの国土は戦場となって荒廃し、フランス国民の多くがドイツ人によって虐殺されたが、ドイツの国土はほぼ無傷で残ったことだ。自分たちに災いをもたらした悪の総本山たるドイツの国土が、ほぼ無傷で残り、フランスはヴェルダンを筆頭にほぼ原形をとどめない形で徹底的に破壊された。「ドイツ、ゆるすまじ」の声がフランス、ベルギー、オランダで強くなったのは理解できる。

ハーバーが作った塩素ガスの惨禍がこのドイツ憎しの感情を倍加させた。第一次大戦後、フランス、英国には手足を無くなった廃兵、毒ガスで大きな被害にあった廃兵が山のようにいて、それが文字通りの生き証人としてドイツへの報復の世論を後押ししたという。

ヒットラーのたちの悪いところはユダヤ人を宗教的概念でとらえず「人種」として捉えたところだ。本来、ユダヤ民族という民族は存在しない。あれは確かに中東に起源をもつものだが、基本は宗教である。だから黒髪のユダヤ人もいれば金髪のユダヤ人もいる。エチオピアには大量の黒人のユダヤ人さえいる。それを無理やり単一民族として定義したところにナチズムの無理があったのだが、これがキリスト教に改宗しドイツ人になったつもりになっていたハーバーをはじめとするドイツユダヤ人に悲劇をもたらす。

大量のユダヤ人、それも優秀なユダヤ系がこぞってドイツを出国し、アメリカへと亡命する。その筆頭が、アインシュタインだ。発見だったのは、当時のドイツ社会ではアインシュタインよりもハーバーのほうが社会的評価が高かったということだ。アインシュタインは「愛国者ではなく、変わり者の社会主義者の平和主義者で、ドイツを捨ててアメリカへ渡った大ほら吹き」とドイツでは思われていたという。

私は20世紀初頭に世界の頂点に君臨したドイツのアカデミーが戦後、見るも無残に零落した原因のひとつが、この優秀なユダヤ人学者のアメリカへの亡命があると見ている。当時のドイツの大学は科学の最先端を走っており、米国からも留学生が大挙して押しかけていたとある。ノーベル賞も大量の受賞者を当時のドイツは出していた。それが戦後になると急ブレーキがかかったように見える。

余禄として、ドイツがアンモニアの合成に成功する前、南米が肥料や硝石の産地として一時の繁栄を謳歌したこと。BASFが生産に成功した合成ガソリンでドイツのメッサーシュミット戦闘機やタイガー戦車が動いていたことには正直驚いた。


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Posted by yaori at 12:39│Comments(0)TrackBack(0) ビジネス | ノンフィクション

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