2011年10月20日

わが師、松下幸之助 民主党樽床議員の松下政経塾での研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
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松下政経塾第三期生・民主党幹事長代行の樽床伸二議員が松下政経塾で接した松下幸之助の教えをまとめた本。2003年の出版だが、現在は絶版となっており、筆者もアマゾンマーケットプレースで購入した。

この本には次のような帯が付いている。

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松下政経塾の入塾試験

樽床さんは松下政経塾の第三期生として五年間の研修を受けた。最初に松下幸之助と会ったのは、昭和56年の最終面接だった。試験官は松下幸之助、副塾長の丹羽正治松下電工会長、塾頭の久門泰氏という顔ぶれだったという。

最初に丹羽副塾長から「きみ、悪いことできるか?」と聞かれたという。その後も副塾長がもっぱら質問し、松下幸之助はじっと聞いているだけだったという。

樽床さんが受験した時の松下政経塾の試験は、願書と同時に「現在の日本で、問題と思うことを述べよ」という原稿用紙10枚の小論文。一次試験は全国の主要都市での政経塾職員による面接、二次試験は茅ヶ崎の政経塾での論述式試験、英会話ヒアリング、政経塾の役員面接だった。

役員は牛尾治朗ウシオ電機社長、香山健一学習院大学教授、緒方彰氏で、樽床さんは香山教授から政治に対する考え方、政策論議でかなり突っ込まれたという。そのあと身体検査と体力測定。

当時は松下グループからの出向社員が塾の運営をしており、各学年に一人指導員がいた。松下幸之助塾長は月に一回円卓室というラウンドテーブルで講話した。


松下幸之助の謦咳(けいがい)に接する

最初の講話で松下幸之助は「私が四〇年ほど若返ることができたら、こういう塾をしなくても私が政治家になればいいことだ。でも、こう年をとってきてからはダメです。だから結論は、諸君に代わってやってもらいたい」という話をした。

その後の塾生抱負で、樽床さんは当時87歳の松下幸之助の鋭い視線に、すべてを見透かされているような感覚になった。相手に言葉が届かない。衝撃的な体験だった。

同じような体験は樽床さんが卒塾後、衆議院選挙に立候補準備中に松下記念病院に入院している松下幸之助を訪ねた時に起こったという。周りの光景が消え、塾長の目だけが迫ってきた。

松下幸之助は肉親全部に先立たれ、小学校四年で中退し、丁稚奉公に出たことは有名だが、樽床さんも貧しい一家に生まれ、幼い妹を交通事故で亡くすという辛い経験をしている。傲慢な言い方だが、「松下幸之助にできて、私にできないことはない」と松下幸之助を目標に頑張っているのだと。


松下政経塾でのエピソード

当時88歳で通常は車いすで移動していた松下幸之助が、自分の思いを託そうとしている若い塾生の前では車いすに乗っている姿を見せられないと塾では車いすを拒否していた。

樽床さんは「塾長が、それだけの強い思いを政経塾に投入されているのに、君たちは何をボンヤリしているんだ」と側近の人に叱責されたという。

政経塾が成功するかどうかは否定的な意見が多かったが、大阪の中小企業のオヤジが絶対に成功すると言っていた。「幸之助さんは、売れ筋を見る目はものすごく確かだ。よい政治家、政治をきちんとしてくれる人は必ず求められている。それは市場でいえば”売れ筋”商品になるということだ」。


松下政経塾での研修

松下政経塾では教室で教える講義は最小限で、最初の二年は塾内で自分で選んだテーマの研究、後半の三年は自分の将来構想に基づき、自らが課題を見つけて実戦的に学んでいくという形で、活動場所は限定されない。毎月全員が集まって進捗を報告するというシステムだった。

樽床さんの場合、最初の一ヶ月は松下幸之助の思想・哲学についての講義、次の二ヶ月は松下電器販売店での住み込み営業研修。戸別訪問でご用聞きを繰り返した。辛い仕事だったという。次の二ヶ月は松下の乾電池工場での工場研修。これで半年が過ぎた。

次の一年間は座学中心で、憲法、政治哲学、マクロ経済学など。夕方は茶道、剣道、体育、書道、古典の学習が必須で、毎週鎌倉から裏千家の先生が茶道を指導しに来た。

二年めの後半、次の三年間の準備。樽床さんは政治家を目指していたので、地元に帰って三ヶ月間選挙区の研究・調査をした。このときの人脈、ネットワークが現在でも生きているという。そして次の八ヶ月間は逢沢一郎氏の秘書として岡山県で衆議院選挙の準備を手伝った。

後半の三年の上級政治専科では、一年間大阪府議実力者の事務所で秘書・カバン持ちをやった。その時、地盤を引き継いで府議とならないかと誘われて心は動いたが、出身地ではないことから松下幸之助の「目指すのは一番高い山だ。高い志があるなら安寧の道を歩むべきでない」という言葉を思い出して断る。

次は英国病を克服したサッチャー政治を研究しようと海外研修を考えていたが、またしても逢沢氏に呼ばれ、こんどは衆議院選挙本番を経験する。そして大阪に戻り、異業種交流会の事務局長となり、大阪の中小企業を中心に組織作りをする。


卒塾して立候補

卒塾して定職にも就かずに、最初に寝屋川市を中心とする大阪七区に立候補し、松下労組の推す候補と戦い破れる。捲土重来を誓うと、天の助けで小選挙区制となって松下労組代表とは戦わなくなった。

落選の翌日から寝屋川市駅の駅頭に立って投票御礼の街頭演説を始める。「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という政経塾の5誓の一つを実践する。


樽床さんの政治信条

樽床さんの政治信条は松下幸之助の「成功の要因」分析から始まる

樽床さんの政治信条の基本は、松下幸之助の教えの「人間観の確立」が不可欠であるというものだ。それができていないから、争いが起こる。「人間を考える」にある「新しい人間観の提唱」をこの本でも紹介している。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
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そして「他人の立場になって考える」などをこの本の第二章を使って説明している。

この本のなかで、紹介されている西武グループの総帥の堤義明さんの政経塾での講演が面白い。まず堤氏はこの類の講演はすべて断っている。松下政経塾で政治家を養成するということも非常に難しい。それでも政経塾に足を運んだ理由は、堤さんが唯一尊敬する経済人の松下幸之助に頼まれたからだと。

松下幸之助は一代で大企業をつくったことは、それ自体は尊敬する理由ではない。尊敬する理由は、企業の発展段階で経営手法を変え、それがことごとく成功していることだと語った。

松下幸之助は、塾生に信長、秀吉、家康のどれを選ぶかと質問されて、「鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス」と語ったという。松下幸之助の度量の大きさ、優しさも感じられたが、逆に怖さも感じたという。それは「有縁の人、無縁の衆生」」ということで、縁がないものは見捨てるということだからだ。

この本の第三章は松下幸之助の七つの提言の検証に充てている。

1,憲法改正
2.政治改革
3.税制改革
4.無税国家
5.教育改革
6.国土創成
7.地方分権

政経塾出身の政治家が増えた今では、もっと組織だった研修をしているのだろうが、樽床さんの経験がビビッドに語られていて面白い。絶版なのが残念だが、そのうち樽床さんが政府の要職につけば、復刊されることだろう。

次に紹介する野田首相の「民主の敵」よりもよっぽど良い。

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
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創立当時の松下政経塾の研修内容が具体的にわかって参考になるおすすめの本である。


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Posted by yaori at 12:53│Comments(0)TrackBack(0) 松下幸之助 | 政治・外交

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