2012年01月01日

野球人 落合博満が現役引退後すぐに書いた本

野球人野球人
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(1998-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

近々あらすじを紹介する落合の最新刊「采配」を読むにあたり、落合の書いた他の本も読んでみた。この本は1998年12月の発刊。落合が現役を引退したのが1998年10月だから、現役を引退してすぐに書いた本だ。

落合が長嶋巨人軍終身名誉監督に憧れて野球を始めたことは有名だ。この本では長嶋さんに対する敬意と感謝の念、王貞治さんへの尊敬が感じられる。


落合の現役時代

落合は昭和28年12月・秋田県生まれ。筆者と同学年で、同じ学年には梨田がいる。秋田工業高校を卒業後、東洋大学に入学したが、下級生を鉄拳制裁する野球部の体質に嫌気がさして野球部を退部。大学も中退して、秋田に帰ってボウリングのプロボーラーを目指していたが、社会人野球の東芝府中にさそわれて入社する。

東芝府中はあまり強いチームではなかったが、それでも都市対抗野球3回出場、アマ全日本代表で活躍し、1979年ロッテにドラフト第3位で指名される。

プロに入って1年目、2年目はたいした活躍ができなかったが、3年目にパリーグの首位打者となり、それ以降首位打者争いの常連となり、1982年、1985−6年と3度、三冠王を獲得する。

1987年にロッテが稲尾監督を解任し、嫌気がさしていたところ、星野監督が落合をどうしても欲しいと言いだし、1対4のトレードで中日に移籍。中日で7年間プレーした後、長嶋監督が周囲の反対を押し切って落合を獲得、3年間巨人の4番としてプレーする。巨人の最初の年こそ3割を割ったが、そのあとの2年間は打率は3割を超えていた。

長嶋監督からは、「数字的な成績はいいに越したことはないが、あまり気にしていない。それよりも、巨人の選手たちに戦う姿勢を植え付けてくれ」と言われたという。

この言葉ではじめて「自分の成績はどうでもよい。チームの勝利が第一です」という言葉がはじめて本心から言えるようになったのだと。

落合が巨人に移籍してきた1994年は落合自身はケガに悩まされたシーズンだったが、優勝を決める試合でホームランを打って、渡辺恒雄オーナーは「あのホームランは一本で何億円という価値があった。やはり落合君を獲得したことは正解だった」とコメントしていたという。

西武から清原が移籍してきて、落合か清原かで長嶋監督が悩む顔を見たくないとして、自ら日本ハムに移籍した。2年間プレーして1998年のシーズン限りで引退した。

この本の末尾に落合の現役時代の記録が載っている。

落合記録






出典:本書260ページ

日本ハムを引退したのは、落合の起用法について首脳陣と野球観の違いに苦しんだためだと語る。そして選手としてユニフォームを脱ぐことになるが、いずれまたユニフォームを着ることがあると思うので、「野球人 落合」は引退しないと宣言している。


落合十番勝負

この本では「落合十番勝負」ということで、転機となった勝負を紹介している。そのいくつかを紹介しておく。

十番勝負その1.一流の道は、小さなチャンスから始まる

落合がロッテに入団して1年目に、アッパースイングを酷評され、ロッテの山内監督から指導を受けた。ところが落合は「自分の思い通りにやって打てなかったらクビで結構ですから、俺のことは放っておいてください」とタンカを切って、山内監督の指導を断ってしまった。

そもそもプロ野球に入った時の目標は3年間はユニフォームを着ることだったので、フォームを変えてゼロからやり直す時間はないという切迫感からの言葉だったのだろう。

2軍でくすぶっている落合の転機となったのは、2年目のキャンプで先輩の手首の使い方を真似たことと、イースタンリーグの試合で、2軍で調整していた佐藤道郎投手のキレのある球をホームランにしたことだったという。

筆者も記憶にあるが、落合は「神主打法」といわれた体の前にバットを構える独特のフォームで、右にでも左にでも打ち分けられる、やわらかい手首の使いかたが印象的だった。

落合の現役時代のことを知っている人も少なくなってきているので、YouTubeの落合の現役時代のホームラン映像を紹介しておく。



一流投手と対戦したいという気持ちがモチベーションとなり、それ以来5試合連続ホームラン、一軍に昇格してすぐに鈴木啓示から代打ホームランを打って一軍に定着した。

落合の原点はこの佐藤道郎さんからのホームランなのだと。


10番勝負その2.タイトルや格は選手を育てる。

落合は1981年の3年目のシーズンは一軍スタートで、セカンドのポジションを狙って必死に練習し、試合でも4打席で1フォアボール、3打数1安打を目安に、安打を積み重ね、石毛、島田との競争に勝って首位打者のタイトルを獲得した。

阪急の山田久志からは一本もヒットを打てていなかったが、ロッテが前半戦に優勝し、オールスターに選ばれ、パリーグの4番として起用された勢いもあって、後半戦は山田久志から連続してヒットを打ち、首位打者に躍り出た。

山田久志のシンカーを下からすくうように打つのをやめて、上からたたくよう打ったら打てるようになったという。

ちなみにこの年の落合の年俸は540万円。ラーメンライスばかり食べていたので、心身ともに疲れがピークとなり、一時は打率を落としたが、ライバルも打率を落とし、最初の首位打者のタイトルを獲得した。

タイトルや格は選手を育てるのだと。


10番勝負その3.三冠王とトレードが、プロでの生き方を決めた

1986年はプロ野球選手としての評価は年俸で示してもらうことを決意した重要なシーズンだったという。

落合の年俸は次の通りだ。(カッコ内は前年の成績)

1981年          540万円
1982年(首位打者)  1,500万円
1983年(三冠王)   5,400万円
1984年        5,900万円
1985年(タイトルなし)5,900万円
1986年(三冠王)   9,700万円、
1987年(三冠王、中日移籍)1億3千万円(日本人初の1億円プレーヤー)

落合が三冠王を獲得できるという自信をつけたのは、ホームランを量産するコツをつかんだからだという。

落合がポール際に大きなフライを打つ場面をみたことがあるかと落合は問う。最近、横浜のGMに就任した元巨人の高田はポール際の大ファールで有名だったが、たしかに落合のポール際の大ファールはあまり記憶がない。実はレフトへはスライスボール、ライトへはフックボールを打つ打法を身につけたからホームランが増えたのだと。

いろいろな角度でバットを出す練習を繰り返し、このような打球になる角度を体に覚えさせた。野球には感性を磨くことも必要なのだと。

ホームランが量産できるようになったもう一つの理由は奥さんの何気ない言葉だったという。ブーマー、ソレイタ、門田などのホームランバッターはみんな太っている。「だからあなた太りなさいよ」と、毎回食べきれないほどの料理が出で、体重はすぐに75キロから80キロを超えたという。


10番勝負その4.たったひとつの結果が打撃を狂わせた

この告白が一番面白い。

3度目の三冠王となった1986年のポストシーズンではメジャー・リーグ選抜が来日し、落合が4番を打つ全日本と対戦した。

その第3戦で、21勝を挙げたデトロイト・タイガースのジャック・モリスと対戦し、ストレートをバットの真芯でとらえた打球は手ごたえも十分で、スタンド入りすると思ったが、フェンスの前で急に失速し、センターフライになってしまった。

メジャーは力対力の勝負なので、全力で打ち返すが、日本野球は10のうち5の力で打ち返す。力いっぱいスイングするより、無理のないスイングでボールをとらえた方がいい打球を飛ばせる可能性は高いからだ。

落合はメジャーとの試合で、完全にペースを崩され、それ以降10の力で打つようになってしまい、日米野球は2割6分、長打は2塁打1本だけという結果に終わった。

翌期から中日に移籍したが、これ以降の12年間は落合本来のバッティングを取り戻す戦いで、結局引退するまで取り戻すことはできなかったという。長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間で崩れてしまう。技術の奥深さと人間のもろさを感じたという。

やはり力みすぎるとプロでも結果は良くないのかもしれない。


10番勝負その6.試合の流れを読んで奇跡を起こす

評論家が「落合は打席の中での読みが鋭い」と解説しているのをよく聞いたが、落合は「ヨミ」は一度もしたことがない。そんな努力をする時間があれば、すべてバットを振ることのために割いてきたという。

こんなコースにこんな種類のボールが来たら、こう打てばよいということを体に覚えさせたのだ。9,000打席以上投手と向かい合ってきたなかで、次は間違いなくこのボールが来ると思ったことは一度もない。もしそんなことをしようとしていたら、幾度となく頭部を襲ってきたボールに当たって、野球人生はとっくに終わっていたはずだと。


10番勝負その10.節目の記録を本塁打で決める理由

落合が節目になる記録をホームランで決めたのは偶然ではなく、落合のバッティングはすべてホームランを狙っているからだと。

落合がすべての打席でホームランを狙っているというのは、スラッガーの使命のようなものだという。投手との戦いを熟知して、どんなボールでも確実に打ち返せるように精度を高め、少しでも捉えやすいボールを投げされるための構え、呼吸、間の取り方を研究してきた。

その結果ホームランにできるスイングのバリエーションを多く持つことができた。ホームランの打ち損ねがヒットになるというバッティングをするのだと。

プロ野球でスラッガーと呼ばれた人はほぼこの考え方で打席に入っていたと確信しているという。王貞治さんは「ヒットの延長がホームラン」と言っていたが、それは表現の違いだと思っているという。


落合の理想のチーム

最後に落合は「理想のチーム」ということで書いている。その項目だけ紹介しておくと。

・ファンにストレスを与えない野球をやる
 ちなみに長嶋さんの野球は試合を見に来るファンを大切にして、135試合すべて勝つという采配だったという。しかしこれでは選手、とくに投手のスタミナが持たないという。

・相手の嫌がる野球ができるチームにしたい

・1点を大事にする野球

・セオリーを大事にする野球ー外人以外は外角低めに投げる

・野手はできるだけ固定して戦う

・勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか

・ヘッドコーチはいらない

・1軍と2軍のコーチの役割はまったく異なるから2軍には優秀なコーチを置きたい

・4番には日本人の頼れる打者を据えて打線を組む

・捕手は固定する


今季リーグ優勝した中日が理想のチームにかなり近いと思う。しかし、リーグ優勝していながら中日と契約更新できなかったのは、上記の「勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか」の問題にうまく対処できなかったことが原因だと思う。

もっと言うと、落合監督の中日では人気が出ず、観客動員数も2008年をピークに年々落ちていたことから、球団側がもっと観客の呼べる監督に変えたがったのだと思う。

ネットで調べたら12球団の観客動員数のグラフを載せているブログがあったので、紹介しておく。

de5b377a4bf440a295e9f37000281104






出典:新プロ野球観客動員ランキング速報

いずれ落合はまたユニフォームを着ることになると思うが、(筆者が懸念しているのは、落合が中国のナショナルチームの監督にスカウトされることだ)。次も理想のチームをつくれるのか、今から楽しみである。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。




Posted by yaori at 23:08│Comments(0)TrackBack(0) スポーツ | 落合博満

この記事へのトラックバックURL