2012年06月25日

がんばらない 諏訪中央病院鎌田實名誉院長のベストセラー

がんばらない (集英社文庫)がんばらない (集英社文庫)
著者:鎌田 實
集英社(2003-06-20)
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諏訪中央病院の名物院長・鎌田實名誉院長が2000年に出版した末期がん患者やチェルノブイリ原発事故の被害者の話を集めたエッセー集。

YouTubeに東北復興支援のための、さだまさしさんとのトークショウが掲載されている。顔を見れば、あの白ひげの院長かと、わかると思う。



鎌田さんは「がんばらない」シリーズと「あきらめない」シリーズで何冊も本を出しており、最近の本はチェルノブイリと福島原発事故を取り上げた「なさけないけど あきらめない」と、鎌田さん自身の自伝の「がんばらないを生きる」だ。

チェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめないチェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめない
著者:鎌田 實
朝日新聞出版(2011-07-07)
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「がんばらない」を生きる「がんばらない」を生きる
著者:鎌田 實
中央公論新社(2011-11-09)
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いずれあらすじを紹介する。「なさけないけど あきらめない」は福島原発事故以降の鎌田さんの日記(ブログ?)をまとめたもので、福島支援関係の話は、鎌田さんのブログ・「八ヶ岳山麓日記」に収録されている。


筆者の一番苦手とするタイプの本

「がんばらない」は筆者の一番苦手とするタイプの本だ。感動の実話集なので、読んでいてウルウルしてしまう。筆者の読書時間はもっぱら通勤時間なので、電車の中で読んでいると、どうも具合がわるい。

続編の「それでもやっぱりがんばらない」も最近読み終えたが、これも同様に電車の中で読むには具合が悪い本である。鎌田さんの本は、それでもつい読んでしまい、5冊ほど読んだ。不思議な魅力のある本である。

それでもやっぱりがんばらない (集英社文庫 か 39-4)それでもやっぱりがんばらない (集英社文庫 か 39-4)
著者:鎌田 實
集英社(2008-02-20)
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「あなたは何度泣くでしょう」

単行本の帯に鎌田院長の友達で、サポーターのさだまさしさん、原田泰治(画家)さんの推薦文があり、キャッチコピーが「あなたは何度泣くでしょう」となっている。まさにそのキャッチコピー通りの本である。

「がんばらない」というタイトルがついているが、決して病気になったらあきらめるという意味ではない。治療は「あきらめない」が、回復の見込みがなくなったら、それ以上は「がんばらないで天命に任せる」という意味である。

鎌田さんのお父さんの岩次郎さん(実は鎌田さんは実子ではなく、養子だったことが37歳のときにわかった)は、戦前からプロの運転手で、鎌田さんの母親の心臓病の入院費(当時は今のような健康保険制度や最高医療費負担制度はなかった)や鎌田さんの学費(東京医科歯科大だったので、当時の学費は月1,000円)を文句も言わず稼いでいたという。

筆者の亡くなった父親も、昔は珍しかった運転免許を取り、戦前は三田にあった「青柳」という和菓子屋で配達をし、戦争中はインドネシアで輸送部隊に従軍し、復員後は進駐軍のキャンプで働いていたと言っていた。

「大型二種」という大型バスやトラックを運転できる免許を持っていることを自慢していた。「いざとなったらバスの運転手をやればいい」と言っていたものだ。ちょうど進駐軍のバス運転手をしていたという岩次郎さんのキャリアと重なっている。

鎌田さんはいわゆる「全共闘時代」の学生運動の闘士だったが、筆者は大学に入った時に、学校が学費値上げ反対の無期限ストをやっていて、6月から授業が再開された。いわば全共闘の影響を被った世代である。また鎌田さんは杉並区和田の出身だが、筆者も大学2年生の後半から杉並区和田(最寄り駅は東高円寺)に下宿していた。

そんな共通点があるので、鎌田さんの本には親しみを感じている。


感動の実話が満載

1年以上ぶりにお風呂に入れてあげたら、風邪をひいて亡くなってしまったおばあちゃんの家族から逆に感謝された話や、診察の時に鎌田さんのオチンチンをさわるよしばあちゃん、末期がんと知っていれば、じいちゃんの布団のなかに入ってあげたかったと残念がるたぬきばあちゃんなどの話が印象に残る。

他の本でもしばしば登場する鎌田さんの親友の神宮寺の高橋卓志和尚の話も面白い。自分は「住職」ではなく、飛び回っているから「とび職」だと言ったり、NPOを多く手がけているので「十職」だと言ったり、寺のイベントは「明朗会計」で、自分はサラリー制なのだと。

エイズ患者救済のためにタイに出張した帰りの卓志和尚が、末期がん患者の友人に、タイの空港から蘭の花束を持ってきた話も印象に残る。友人女性は、子供に蘭の花を一人一人渡して数日後亡くなったという。


チェルノブイリ原発事故被災者支援

福島原発事故の後だけに、チェルノブイリの話も今日的な意味がある。チェルノブイリの原発事故はちょうど旧・ソ連最大のイベント:メーデー(5月1日)直前の1986年4月26日に起こった。

秘密主義のソ連では事故のことは一切公表されず、ベラルーシの子供たちは、連日黒い雨が降る中で雨に濡れながらメーデーの練習をしていたという。それが大量の白血病や6,000人を超える甲状腺がん患者の発生につながった。

放射性ヨードの半減期はわずか8日だ。その時ベラルーシの子供たちが雨にあたらなければ、多くの後遺症患者は避けられたはずなのに、取り返しのつかない1週間になってしまったという。

これに加えて、放射能汚染された牧草を食べた牛のミルクに放射能が蓄積し、そのミルクを飲んだ子供が放射能で内部被ばくしたことも、上記のような大量の子供の患者が発生した原因だ。

鎌田さんは1991年にNGOを組織して、チェルノブイリの現地調査と医療に取り組んでいる。現場を見てきた人のレポートは心に迫るものがある。

チェルノブイリ原発付近の村や原発を入れた石棺などの様子が、YouTubeにスライドショウとして掲載されている。



チェルノブイリに一緒に行った写真家で映画監督の本橋成一さんは、「ナージャの村」という映画をつくり、ベルリン映画祭などでも好評を博した。今度この映画も見てみる。

ナージャの村 [DVD]ナージャの村 [DVD]
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本橋成一監督は、やはりチェルノブイリを取り上げた「アレクセイと泉」という映画も作っており、これはYouTubeで予告編が紹介されている。



チェルノブイリに関しては、鎌田さんは最後に、ベルナンスキーの「人間は原子力をつかうまでにその人間性を深めただろうか」という言葉で締めくくっている。


「醫」は三位一体

鎌田さんは医の旧字「醫」の由来を説明している。医は矢を引くということで、人間の技術を示す。「エキ(役のつくりの部分)」は役=奉仕、酉は神に酒を奉る(まつる)ことで、祈りや癒しを示しているという。

「醫」から「医」に変わったときに、本来持っていた「技術」、「奉仕」、「祈り」の三位一体を忘れて、「技術」に走って行ったのではないかと鎌田さんは語る。

現代の医療が「醫」のように、かつての三位一体のバランスを取り戻した時に、末期がん患者や、痴呆性老人などをやさしく看ることができるのではないかと鎌田さんは言う。

鎌田さんのお父さんの岩次郎さんは、鎌田さんが医者になると言いだした時に、「弱い人の気持ちを理解できる医者になれよ。自分たちのような貧乏な者がどんな思いで医者にかかっているか、忘れるなよ。」と言っていたという。

この本では末期がん患者が他の病院で冷たく扱われ、(保険点数の高い医療を拒否すると、病院は冷淡になるようだ)諏訪中央病院の心のこもった看護に感動したという話がたくさん出てくる。


大腸カメラ検査用の穴あきパンツは諏訪中央病院看護婦の発明

患者のことを考えた諏訪中央病院の看護の一例が大腸カメラ検査の時の穴あきパンツだ。

筆者は2−3年に一度大腸カメラ検査を受けている。検査の時使う穴あきパンツは、諏訪中央病院の看護婦が、すっぱだかでは患者が恥ずかしかろうと紙パンツのお尻の部分を切り取って使い始めたのが最初だという。

その後カネボウサイエンスが商品化したが、看護婦は「ご自由に」と、特許もとらなかったという。


末期がんになったら

筆者が大学に入った年に最後の授業を受けた刑法の権威・団藤重光・前学士会会長・元最高裁判事が、98歳で亡くなった。

筆者は団藤さんと同じ理髪店に行っているので、団藤さんの話は時々聞いていた。頭はしゃっきりしていたが、最後は歩けなくなって車いすで移動していたという。

筆者はとうてい98歳までは生きられないと思う。80歳で十分のような気もするが、その時になったらまた違う考えになるのかもしれない。

筆者も末期がんになったら、鎌田さんの諏訪中央病院のような病院に入りたいと思う。

しかしどうせなら山より、生まれ育った湘南の海辺の病院がいい。けれども海の近くだと、金属は塩ですぐ錆びるし、台風が来たら大変だ。波の音も慣れないとうるさいかな…。

そんなことを考えてしまう本だった。


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Posted by yaori at 22:07│Comments(0) 趣味・生活に役立つ情報 | 医療