2013年03月26日

新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 戦後を代表する名記者の記事

新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 (朝日選書 833)新聞記者 疋田桂一郎とその仕事 (朝日選書 833)
朝日新聞社(2007-11-09)
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以前紹介した「作文の技術」で何度も登場した朝日新聞の名記者・疋田桂一郎さんの記事を集めた本。

「伝わる文章」が書ける作文の技術 名文記者が教える65のコツ「伝わる文章」が書ける作文の技術 名文記者が教える65のコツ
著者:外岡秀俊
朝日新聞出版(2012-10-19)
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「作文の技術」の著者の外岡秀俊さんと、朝日新聞出身で、科学報道や南極報道などの本を出している柴田鉄治さんがまとめたものだ。

新聞記者という仕事 (集英社新書)新聞記者という仕事 (集英社新書)
著者:柴田 鉄治
集英社(2003-08-21)
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疋田さんは、戦後を代表する名記者だったが、新聞記事だけに専念して後に何も残さないという強い信念から、「生涯一職人」を貫いた。著作も残していない。この本は、その伝説の名記者・疋田桂一郎の代表的な記事を集めたものだ。

疋田さんは、1924年、大正13年生まれ。戦争末期に徴兵され、初年兵として終戦を迎える。「シラミだらけの兵隊服を焼く」という表現が、記事の中に出てくるが、これは疋田さん自身の経験だろう。

1948年から時事新報社で記者として働き、1951年から1987年まで朝日新聞社に在籍した。1970年から3年間は、「天声人語」を担当して、1,000回書いたところで、自ら交代を申し出た。


疋田さんの「天声人語」は筆者もリアルタイムで読んだ

「天声人語」は朝日新聞の看板コラムで、これを書くのは新聞記者として最高の栄誉だとされている。「もっと続けてほしい」という社内の声もあったが、疋田さんは辞意を翻さなかったという。

今から40年ほど前、筆者が受験勉強をしていた当時、朝日新聞の「天声人語」は受験によく出題されるということで、現代文の問題集に載っていた。

1972年に大学受験した筆者は、毎日必ず朝日新聞の「天声人語」には目を通していた。疋田さんの「天声人語」をリアルタイムで読んでいたのだ。この本に収録された「天声人語」(1970〜1973)には、読んだ記憶があるものがある。

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、なんちゃってなか見!検索で、目次を紹介しておく。

序にかえて 外岡秀俊

第1章 1950年代〜1960年代
・空から見た遭難現場 − 洞爺丸台風
・つのる”越冬断念”の不安 − 南極観測
・”黒い津波”の跡を歩いて − 伊勢湾台風
・何を語るか?東大生らの遭難
・不幸な流血 − 三井三池争議
・三池を追いつめたもの −三井三池争議
・大レース400決勝を前に − ローマ・オリンピック

・新・人国記 静岡県
・新・人国記 青森県
・長寿の国 アブハージア
・革命までの七百三十歩 − 世界名作の旅・ロシア(「罪と罰」の舞台)
・韓国 − こころと土と(1)
・南ベトナム − こころと土と(1)
・パリー東京ー世界の首都・第1信
・ニューヨークー東京ー世界の首都・第2信
・ニューヨークー東京ーOLの一日ー世界の首都・第3信

・自衛隊(1)
・続・自衛隊 ー 兵器と産業・F104Jの記録(1)
・自衛隊員(1) ある中尉
・NHK(1) 番組制作工場
・NASA 米航空宇宙局(1)

北アルプス遭難記事の衝撃 本多勝一

第2章 1970年代 「天声人語」筆者として
・1970年
・1971年
・1972年
・1973年

都心の地下道をよく歩いた人だった 辰濃和男

第3章 1970年代後半〜80年代 新聞のあり方を問う
・ある事件記事の間違い
 はじめに 
 事件
 公判記録
 供述調書
 調書のウソ
 法廷供述
 問題点
 手がかり
 窓

・1980年度日本記者クラブ賞 「わたしの言い分」受賞の言葉
・取材ということ
・新聞文章の(まるかっこ)、”ちょんちょんかっこ”考
・取材の原点にかえれ − 10年記者研修講義から
・「ほめる」ということ − 新聞労連大賞選考委員のコメント

疋田さんの歩幅 鎌田慧

結びにかえて 柴田鉄治


今も新鮮さを失わないビビッドな記事

1954年生まれの筆者ですら知らない洞爺丸台風や伊勢湾台風、ローマ・オリンピックなど、時代を感じさせる記事もある。

古い記事ではあるが、読んでみると、疋田さんの視点のするどさ、現場で見聞きした状況をできるだけビビッドに読者に伝えようという熱意が伝わってくる文章ばかりだ。

伊勢湾台風の被災地を歩くと、海抜ゼロメートル地帯にある工場労働者の住居は浸水して多くの死者を出し、巨大な流木が依然として残っていた。しかし、工場敷地や管理職などの高級住宅地はほとんど被害がなかった。格差社会の現実に鋭く切り込んいる。
 
この記事には当時の朝日新聞社名古屋支社の記者も、その鋭い着目点に驚かされたという。

東大生らの遭難という記事も、チュザック(TUSAC)と呼ばれる90年の伝統ある東大スキー山岳部の人たちが起こした「山を甘く見た」大遭難事故なので、複雑な気持ちで記事を読んだ。

事件報道から、文化報道担当となり、自衛隊、NHK,NASAなどの巨大組織のシリーズものの社会部報道担当となって、それぞれ今読んでも興味深い記事が多い。


文化報道の特色ある記事

アブハジアは黒海に面したグルジアの一部だったが、2008年に独立を宣言した。ロシアなどが承認して、現在は事実上の独立国となっている。このあたりは世界でも長寿の人が多い地域として知られている。

聞いたままを自らのコメント抜きで、レポートしている。たとえば、中学校長は、「私の父親は、147歳で死にました。私は今37歳です。ですから、私が生まれたのは父が120歳のときなのです」と語っている。

そして、最後に付け加えている。

「これらの学術調査にあたって、長寿者の年齢確認は、1.古い教会の出生証明ないしは結婚の記録、2.こども、孫、ひまごなどがあるときは年齢の逆算による推定などの方法が使われたという」

誰だって120歳で子供ができるとは思わないだろう。


罪と罰の舞台で歩数を数える

ドストエフスキーの「罪と罰」の舞台となったサンクトペテルブルグの町を、ラスコールニコフが犯罪を犯した場所までたどった、再現の旅も興味深い。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
光文社(2008-10-09)
販売元:Amazon.co.jp

小説ではラスコールニコフの自宅から犯罪現場まで730歩となっているが、どうやって歩いても800歩を超えてしまうという。


「自衛隊方式」記事の生みの親

自衛隊の記事では、様々なデータを示して、データでわからせるという手法をとった。これは「自衛隊方式」として、その後朝日新聞でもたびたぶ使われたという。

たとえば、陸上自衛隊の中隊に密着して次のような数字を挙げたルポを描いている。人員172名(定員213名に対して41名不足)、幹部7名、陸曹58名、陸士107名、平均年齢25.4歳。

当時の主要装備は64式小銃 142、自動銃 24、62式機関銃 15、64式81ミリ迫撃砲 4、対戦車ロケット発射筒 12、60式106ミリ対戦車無反動砲 12、車両 12両など。

64式小銃(現在は89式小銃に置き換わっている)

800px-Type_64_Rifle




出典:Wikipedia

このように数字を挙げると、自衛隊の実像が浮かび上がってくる。

自衛隊のルポでは、航空自衛隊と米軍の緊密な日米一体感を描いている。1960年代当時は自衛隊の航空総隊司令官は、府中の米軍施設で在日米空軍司令官と肩を並べて日米共同の防空作戦の指揮を執っていた。

戦闘機などの兵器を国産する場合でも、ネジの規格までも航空自衛隊はメートル法でなく、米軍のインチで統一することを望んだ。インターオペラビリティからの配慮だ。


ある事件記事の間違い「このような事件報道が、人を何人殺してきたか」

この本のなかで、最も疋田さんらしい記事は「ある事件記事の間違い」だと思う。

これは朝日新聞の社内報告書「調研室報」に掲載されたものが、「えんぴつ」という編集局報に再集録されたもので、関係資料を改めて考察した事件報道の再分析だ。

この事件は、最初に昭和50年5月の朝日新聞で報道された。

三井銀行支店長が妻が出産で入院中に、知恵おくれの2歳の幼女をベビーベッドに10日間も閉じ込め、餓死させたということで、殺人の疑いで逮捕されたものだ。

東大法学部卒のエリート支店長に対する警察関係者の反感、警察関係者の思い込み、新聞記者の調査不足など、複合的な原因で、一審の裁判で執行猶予付きの有罪との判決が出され、元支店長は判決の日に小田急線に飛び込み、自殺した。

その後、疋田さんが公判記録、供述調書、報道されなかった自殺後の奥さんの談話、法廷供述などを克明に調べて、幼女が拒食症であったことなどの事実を見過ごした過誤があることを発見した。

供述調書では、「空腹の訴えを聞いたが早く死なせるために心を鬼にして食べものをやらなかった」など被告人は思ってもいないことが、本人の言葉になっており、疋田さんは松川事件のような冤罪事件のことを想起したという。

「警察に捕まるのは悪人に決まっている。悪人については何を書いても構わない、とでもいうのだろうか。」

「このような事件報道が、人を何人殺してきたか、と思う」

事件記者たる者は、警察の発表は疑ってかかれというのが疋田さんの教えである。

疋田さんによるこの事件の徹底的な調査を題材にして「支店長はなせ死んだか」という上前淳一郎さんの本が出版されている。

支店長はなぜ死んだか (文春文庫 248-2)支店長はなぜ死んだか (文春文庫 248-2)
著者:上前 淳一郎
文藝春秋(1982-01)
販売元:Amazon.co.jp

「生涯一記者」

取材について書いた文の結語がいかにも疋田さんらしい。

「30年あまり取材を続けてきた経験が教えるところでは、どれほど努力してもそれだけで結果が良いとは限らない。しかし、努力しないで結果が良かったためしはない。記事は楽にはかけないものだ、というのが私の実感である」。

準備が重要なことは、すべての仕事に共通する。


最も印象に残った言葉

300ページ余りの本で、最も印象に残った部分は次のところだ。

「いわずもがなのことかもしれませんけれども、いまいっている異常、異常という言葉もよくはないのかな、名前のついている精神病の人たちのほうが普通の健常者よりもあの種の犯罪を犯すことはずっと少ないそうですね、統計的に。」

「精神病者の犯罪について書くときに、あなたのいまいわれたような興味本位でさがせば、そういうふうな異常さは、いくらでも出てくる。そういう記事によって世間の大勢の精神病患者、あるいはその家族が大変強いショックを受けるわけです。」

「実は私の身近にも病人がいる。私は、どっちかというと、あなたがいわれたように世間の偏見を誘うような興味本位の記事は読みたくないですね。あれば非常につらい記事です」。

まさに頭をガーンとやられた。筆者も含めて、精神病患者に対して、偏見があるのではないか?

統計的には平常者の犯罪の方が、精神病患者の犯罪よりよっぽど高い確率で起こっているという。

たとえば秋葉原のトラックで通行人を引き殺し、サバイバルナイフでさらに数人を殺した事件も平常者の犯行だ。神戸市の連続児童惨殺事件の「酒鬼薔薇聖斗」も平常者である。

予断を排し、偏見も排す。それが新聞報道のあるべき姿である。

疋田さんのファンだった記者は多い。新聞記事がどうあるべきか考えさせられる本である。


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Posted by yaori at 23:25│Comments(0)TrackBack(0) 趣味・生活に役立つ情報 | ビジネス

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