2013年04月03日

ユダヤ人を救った動物園 ワルシャワ動物園長夫妻の奮闘

ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語 (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語 (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)
著者:ダイアン アッカーマン
亜紀書房(2009-07-04)
販売元:Amazon.co.jp

第2次世界大戦中にドイツの占領下のポーランドのワルシャワで、ドイツ軍に見つかれば強制収容所送りとなったユダヤ人を動物園の敷地内にかくまった動物園長夫妻の実話。たしか成毛眞さんがブログ(?)で紹介していたので、読んでみた。

1930年代のワルシャワの人口は130万人。3人に一人がユダヤ人で、東欧系ユダヤ人(アシュケナージ)が多数住んでいた町だった。

動物園もヨーロッパ最大級の規模で、1940年には国際動物園管理者協会の年次総会を主催する予定となっていた。

ところが1939年8月23日に独ソ不可侵条約を結んだナチス・ドイツは、1939年9月1日に突如ポーランド領内に攻め込み、9月17日にはソ連が攻め込んで、わずか1か月のうちにポーランドは独ソに占領された。

ナチス・ドイツは、ポーランド侵攻は自衛戦争だと正当化するため、ポーランド軍の軍服を着た親衛隊員が、ドイツのグライヴィッツを8月31日に偽装攻撃して、ラジオ局を占拠し、ポーランド語で決起を呼びかける放送を流した。そのあと、外国人記者たちを招いてポーランド軍の軍服を着た死体(関係のない囚人の死体)を見せたという。

ワルシャワ動物園も戦火に巻き込まれ、動物のオリは爆弾や砲弾で破壊され、多くの動物が死んだ。ホッキョクグマ、ライオン、トラなどの猛獣は、逃げ出して人間を襲う恐れがあるとして、ポーランド軍の兵士が撃ち殺した。

占領下でも、動物園は、時にはドイツ軍兵士用の豚の飼育、時にはやはり兵士用の毛皮用狸などの飼育をしながら、閉園を免れていた。

動物園長のヤン・ジャビンスキは、ロンドンを拠点とするポーランド亡命政府の国内軍のレジスタンス活動に加わり、表向きは動物園長、裏では国内軍の軍曹として活躍した。

ポーランド国内軍は一番多いときで38万人が参加していたという。

ナチスドイツ占領下のワルシャワ動物園がすぐに閉鎖にならなかったのは、ベルリン動物園長で、熱烈なナチ党員だったルーツ・ヘックが顔見知りのヤンを支援してくれたからだった。

もっとも、ヘックがヤンを支援したのは、単に同業者の顔見知りだったからではない。

ルーツ・ヘックは、絶滅したといわれるターパン(新石器時代のウマ)、オーロックス(ヨーロッパの家畜牛の原種)、ヨーロッパバイソンの純粋な系統を復元させるという計画に取り組んでいた。その計画に惜しみなく資金を提供したのが、ヒトラーに次ぐナチスNo.2のゲーリングだった。

この本の表紙の馬、バイソン、牛の絵はこれらの絶滅種の想像画だ。

ポーランドからベラルーシとの国境をまたぐ美しい森林保護区ビアロウィーザは、数少ないヨーロッパバイソンの亜種の生息地だった。ヘックの純粋種復元計画の実験場として最適で、大型獣ハンターのゲーリングとヘックに最良の狩猟場でもあった。

ヘックは、ヤンに自分の純粋種復元計画を手伝わせるつもりだったのだ。

ナチスの人間は、総じて熱烈な動物愛好家で、環境保護論者だったという。彼らは健康的な生活を送り、自然と動物を愛した。ところが、人間に関しては、ジプシー、ユダヤ人などは世界から抹殺すべき対象だった。

ある高名な生物学者は、ミミズに十分な麻酔をかけなかったことで罰せられた。一方、メンゲレが行ったユダヤ人等に対する人体実験では、麻酔・鎮痛薬を一切使わなかった。ナチスは人間愛は持っていなかったが、その動物愛は異常なものだった。

ヤンは家畜飼育などで営業を続ける傍ら、ドイツ人の昆虫学者を利用してワルシャワのユダヤ人ゲットーへの通行許可を得た。毎回ゲットーを訪れるたびに、ユダヤ人を救出して動物園にかくまい、彼らの脱出を支援した。

戦時中にヤンの動物園にかくまわれたユダヤ人は300人を超すという。

この本では、ヤンとアントニーナのジャビンスキ夫妻が、ユダヤ人「ゲスト」たちを動物の名前で呼んで、他人に聞かれてもわからないように配慮したり、ピアノでオッフェンバックの音楽を演奏して、ユダヤ人たちに警戒のサインとした話などが紹介されている。

ワルシャワのゲットーに押し込められていたユダヤ人は、1942年7月に強制収容所に大量移送され、多くが収容所で処刑された。

「シンドラーのリスト」の画面を思い出す。ユダヤ人ゲットーにドイツ兵が攻め入って、白黒映画の中で唯一赤い服を着たユダヤ人の女の子が逃げまどい、最後には荷車で死体が運び出されるシーンだ(次のYouTubeでは結末は収録されていない)。この映画で最も印象的なシーンだと思う。



映画全体のストーリーはYouTubeの予告編を参照して欲しい。



コルチャック先生もこの頃のポーランドの話だ。強制収容所送りとなる200人余りのユダヤ人の子供につきそって、ポーランド人のコルチャック先生も強制収容所に送られて死んだ、

コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))
著者:近藤 康子
岩波書店(1995-06-20)
販売元:Amazon.co.jp

ドイツ軍が1943年1月にスターリングラードで大敗し、ドイツの敗色が濃くなったタイミングで、1943年8月にポーランド国内軍がワルシャワ蜂起をおこしたが、2か月でドイツ軍に鎮圧され、多くが死亡した。

ヤンは、この時の戦闘で首を撃ち抜かれたが、奇跡的に生き延びた。

戦後、ヤンはヨーロッパバイソン保存プログラムに取り組み、アントニーナは子供向けの本を何冊か書いて、元「ゲスト」たちと交流を続けた。

まさに「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーが戦後イスラエルにあたたかく迎えられたのと同様に、ジャビンスキ夫妻も戦後イスラエルを訪問して、元「ゲスト」たちの歓迎を受けた。

一方、日本のシンドラー:杉原千畝は、戦後、外務省を追われた。

杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか杉原千畝と日本の外務省―杉原千畝はなぜ外務省を追われたか
著者:杉原 誠四郎
大正出版(1999-11)
販売元:Amazon.co.jp

杉原千畝物語―命のビザをありがとう (フォア文庫)杉原千畝物語―命のビザをありがとう (フォア文庫)
著者:杉原 幸子
金の星社(2003-06)
販売元:Amazon.co.jp

杉原千畝が諜報の天才だったという本も出ていて、よくわからないところだ。

諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)
著者:白石 仁章
新潮社(2011-02)
販売元:Amazon.co.jp


ともあれ、あまりよく知らなかった戦時中のポーランドと、ポーランド系ユダヤ人の状況がわかる参考になる本だった。


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Posted by yaori at 12:59│Comments(0) ノンフィクション | 歴史