2016年05月01日

ビーグル号航海記 若きダーウィンの書いた博物誌 新訳で読みやすい

新訳 ビーグル号航海記 上
チャールズ・R.ダーウィン
平凡社
2013-06-25


新訳 ビーグル号航海記 下
チャールズ・R. ダーウィン
平凡社
2013-08-14


新訳が2013年6月に出ているので読んでみた。

種の起源」で有名なチャールズ・ダーウィンが22歳から27歳までの5年間、乗り込んだ英国の測量船「ビーグル号」の航海記兼博物誌。

種の起源〈上〉 (光文社古典新訳文庫)
チャールズ ダーウィン
光文社
2009-09-08


ビーグル号は約5年かけて、南アメリカを中心に陸地や水路を測量した。測量船といっても、大砲を6門備えた立派な軍艦だ。

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出典:Wikipedia英語版

ビーグル号の5年間の軌跡は次の図の通りだ。

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出典:ウィキペディア「ビーグル号」

1831年12月に英国のプリマス港を出港してからは、ほぼ4年間かけて南アメリカのブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーなどを測量し、ガラパゴス島に1か月ほど滞在してから、ニュージーランド、オーストラリア、モーリシャス、喜望峰などを経て、世界を一周した。

帰路、ナポレオンの島流しで有名なセント・ヘレナ島、アセンション島、そしてブラジルのバイアを再訪してから帰国している。

この本では全部で21章にわけて各地の動物、昆虫、地質、住民、移住者、生活風景などを紹介している。「ビーグル号航海記」を有名にしたガラパゴスの動物に関する章は、そのうちの一つにすぎない。

筆者が2年間駐在していたアルゼンチンの部分では、1830年代のインディオとスペイン人入植者の戦いも取り上げられている。


辺境の征服

アルゼンチンでは「辺境(砂漠)の征服」(la Conquista del Desierto)と呼んで、米国の西部開拓史と同様のインディオとの闘いが展開された。

しかし、それは米国の西部劇のように銃を持ったインディアン対白人の闘いではなく、スペイン人の銃対インディオのナイフ、槍、矢の戦争だったので、インディオは大量に殺戮されていった。

Wikipedia(スペイン語版)には、当時のインディオ対白人の戦いの絵が紹介されている。

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ダーウィンは、110人ほどのインディオの部族が、大人は男女を問わず虐殺され、子供は奴隷にされたという話をスペイン人から聞いたことを記している。男は全員サーベルで突き殺され、20歳くらいの若い女も全員殺された。命だけ助けられた子供たちは、売られるか奴隷にされたという。

インディオ討伐にあたったスペイン人に、「なんてひどいことをするんだ」と声を上げたら、「だがな、他に方法があるかね?あの女たちは、どんどん子を産むんだから」と答えたことをダーウィンは書いている。

その後1870年代にさらに大規模な「辺境の征服」作戦が展開され、インディオの部族はほとんど根絶やしにされた。

筆者が駐在していた当時はアルゼンチンの人口の98%が白人だった。その背景にはこういったインディオ根絶やし作戦が繰り返し実施されたことがあるのだ。

この本では、アルゼンチンでリンゴほどもある雹(ひょう)が降って、たくさんの野生動物を打ち殺したことや、ピューマの肉は色が白くて仔牛肉のようで、美味だったこと、ガウチョ(アルゼンチンのカウボーイ)の生活など、博物誌の他の話題として書き記している。


フォークランド諸島(アルゼンチンではマルビーナス諸島と呼ぶ)

フォークランド諸島では、1993年にイギリスとアルゼンチンが領土問題で戦争している

もともとはフランス、スペイン、イギリスが次々に占領した後、無人状態で放り出されていた島をアルゼンチン政府が個人に売り、流刑者開拓地に使用した。その後イギリスが領有権を主張して、力ずくで島を奪い取ったと書いている。

1830年当時は、イギリス領のフォークランド諸島、ニュージーランド、オーストラリアなど多くの領土で、追放された犯罪者が生活していた。


フエゴ島

筆者はアルゼンチン駐在時代に南米大陸最南端のフエゴ島を旅行したことがある。フエゴ島にはビーグル号のフィッツロイ船長にちなんで、アウトドア用品メーカーのパタゴニアのロゴのもとになったフィッツロイ山がある。

「ビーグル号航海記」では、フィッツロイ船長が、最初の航海の時にフエゴ島の住民を3人自費でイギリスに連れ帰って、キリスト教に改宗させ、2番目の航海の時に、フエゴ島に戻したことが紹介されている。西洋の船乗りたちが難破した時には、フエゴ島の住民が救ってくれるようにというフィッツロイ船長の思いからだ。

フェギア・バスケット、ジェミー・ボタン、ヨーク・ミンスターと名付けられた住民たちの似顔絵が載っていて、興味深い。

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出典:本書387ページ

ダーウィンは1年半後フエゴ島を再訪した時に、毛皮一枚を腰に巻いた裸のジェミー・ボタンと再会している。ジェミーがカヌーでビーグル号に近づいてきたのだ。ジェミーは結婚し、仲間に英語を教えていたという。


チリ

チリでは、銅鉱山の様子や、人手を使った採掘風景を紹介している。チリで採掘した銅鉱石はイギリスに運び、精錬するのだという。

ダーウィンは航海中にチリで大地震と津波に遭遇している。大地震の後、陸地が2〜3フィート隆起していたことを紹介している。

チリのワイン地帯で有名なマイプ川流域には、ダーウィンが訪問した1830年代にすでにブドウ畑やリンゴ、ネクタリン、モモの果樹園があり、無数の小屋があったという。


ガラパゴス諸島

ビーグル号航海記で最も有名な部分はガラパゴス島の生物に関する部分である。特に、ガラパゴス諸島に住んでいるフィンチのくちばしが、島ごとに異なるという発見が有名だ。

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出典:本書

そのほかにガラパゴス島のリクイグアナやゾウガメなどの爬虫類や、ホウボウ、カサゴなどの魚などを紹介している。ダーウィンが持ち帰ったゾウガメは、2006年まで生きていたという。

ガラパゴス島の後は、タヒチに寄って、ニュージーランド、オーストラリアを測量し、モーリシャスに寄ってから、喜望峰をまわって大西洋に戻っている。

ダーウィンはタヒチの住民は優美だと評しているが、ニュージーランドのマオリ族は体が大きく、戦闘的で、ずるくて乱暴なイメージしか与えないと評している。居留するイギリス人も社会のくずで、ニュージーランドから離れることができて、みんな喜んだだろうとまで言っている。

ニュージーランドのラグビー代表チームのオールブラックスは、マオリ人の戦いの踊り・ハカを試合前に披露して士気を高めることは有名だ。気性の激しいマオリ族には、ラグビーは最適のスポーツなのかもしれない。



筆者の行ったことがある南米各地の場所が多く紹介されていて、大変興味深い。アルゼンチンに駐在する前に読んでいたら、もっと良かったと思う。

いまから200年近く前の本だが、博物誌なだけに、内容は陳腐化していない。紹介されている動植物や各地の様子を描いた挿絵も入っていて楽しめる。

新訳は大変読みやすい。本屋で手に取って見ることをおすすめする。


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Posted by yaori at 16:35│Comments(0) 趣味・生活に役立つ情報 | 自然科学