2006年04月23日

もう一度読みたかった本 柳田邦男の再読のすすめ 

もう一度読みたかった本


今回紹介する柳田邦男の『もう一度読みたかった本』は柳田邦男氏の個人的なセレクションの解説とあらすじ集なので、そのまたあらすじを紹介することはしないが、筆者には意外な感じのセレクションだった。

平凡社の『月刊百科』という雑誌に、柳田邦男氏が毎月『もう一度読みたかった本』という題で紹介した24冊の名作にまつわる柳田邦男氏自身の思い出、エピソードと、あらすじを集めた本だ。

柳田邦男氏は古希(70歳)になったということだが、この本も団塊世代前後の人が、かつて青春時代に読んだ本を『もう一度読みたい本』として挙げると思われる、いわゆる『青春時代の必読書』を予想していたのだ。

しかし筆者が必読書と思っていた本はあまり含まれておらず、同じ作家の違う本がセレクションに加えられているケースばかりだった。

青春時代の必読書』とか漠然と言っても、人ごとにセレクションは異なるだろうし、また年代毎に異なるとは思うが、それにしても柳田さんの年代なら、この作家のこれははずせないだろうという本が含まれていない。

なぜだかよくわからないが、柳田さんはあえて、その作家の有名になりすぎた不朽の名作はあえて避けたのか、あるいは本当に個人的に思いこみがある作品を集めたのか、どちらかなのだろう。

その人ごとに『もう一度読みたかった本』が、これほど異なるとは新しい発見だった。

たとえば最初の井上靖の『あすなろ物語』だ。


あすなろ物語


『蒼き狼』とか、『天平の甍』とか、『敦煌』『楼蘭』の西域もの、あるいは繰り返しドラマ化されている『氷壁』などが、筆者なら必ず挙げる井上靖セレクションだが、柳田さんのセレクションは異なる。


蒼き狼



天平の甍



敦煌


もともと柳田さんが個人的に思い入れが強い本の選集なので、一般的ではないのが当たり前なのだろうが、やや違和感を感じた。

同様にヘルマン・ヘッセは『車輪の下』ではなく、その前身・姉妹編とも言える『ペーター・カーメンチント』。


車輪の下


トーマス・マンは代表作の『魔の山』ではなく初期の作品の『トニオ・クレエゲル』。


魔の山〈上〉


太宰治は超有名な代表作『人間失格』ではなく初期の『ダス・ゲマイネ』という風だ。


人間失格


今回柳田さんが挙げている24冊のうち、筆者が読んだことがあるのは4冊しかなかった。

筆者は井上靖なら『蒼き狼』か『天平の甍』をもう一度読みたい。

この本に紹介されているからといって『あすなろ物語』を初めて読む気にはあまりならない。

筆者は中学・高校時代はあまり本を読まなかったものだから、大学時代は1日1冊をいわばノルマとして、4年間で1,000冊以上の本を読み、社会人となってからも読書を続けているので、幅広いジャンルの本をかなり読んだつもりになっていた。

しかし、この本を読んで4勝20敗という結果を突きつけられると、いかに自分の読書が偏った分野で、まだまだ読んでいない名作がたくさんあることを思い知らされた。

いずれリタイアした後は図書館にでも通って、いままで読んだことがなかった名作の読書三昧で過ごそうと漠然と考えている人も多いと思うが、そんな時にはたぶん柳田さんのセレクションが役立つだろう。

筆者の様にこのセレクションが心に響かなかった人もいれば、柳田さんのセレクションがピーンとくる人もいるだろう。

いずれにせよ、それぞれが『もう一度読みたかった本』を読んではどうか、というのが柳田さんの提案なのだと思う。

ある意味刺激を受けた本だった。ご興味のある方、特に団塊前後の世代の方は一度手にとって、セレクションに目を通されることをおすすめする。


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Posted by yaori at 22:27Comments(0)TrackBack(0)

2005年09月03日

犠牲 脳死をもっと知るために読んでみた

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日


8月14日に同期同窓の徳野博之君が肝臓ガンでなくなった。

亡くなる直前の8月始めに2週間のリフレッシュ休暇を取って、以前駐在していたアメリカのデトロイトとニューヨークを家族で旅行し、デトロイトでヤンキーズとタイガースの試合を観戦して、松井も見たそうだ。

旅行から帰国したのが8月11日、亡くなったのが8月14日ということで、本当に最後の力を振り絞って米国に旅行したのだろう。信じられない精神力である。

徳野君の死因は肝臓ガンだった。

筆者の正直な印象はなぜこんな早く(52歳)亡くなってしまうのか!という悲しみと、日本では肝臓移植という手は取れないのか?という疑問だ。

筆者は米国のピッツバーグにトータル9年駐在していたが、ピッツバーグ大学は肝臓移植の世界のメッカである。

日本からも多くの移植医が留学に来ており、彼らはピッツバーグ大学で技術を学んで、日本でも肝臓等の臓器移植をやれるだけの技量はあるはずだ。

また筆者の米国駐在時のアメリカ人の同僚でも2人が臓器移植を受けている。一人は腎臓移植。もう一人は肝臓移植だ。

肝臓は沈黙の臓器と呼ばれている。障害があってもなかなかわからない。また一旦肝臓病になると、完治しないと言われている。だから最後の手段が肝臓移植なのだ。

徳野君の場合、医療技術面から肝臓移植が可能だったのかどうか、またそれが適切な処置だったかもわからないので、不遜なことは申し上げるつもりはないが、一般論として日本では生体肝移植を除き、肝臓移植は可能性ほぼゼロであることは非常に残念である。

今まで身近に例がなかったので、日本での脳死と臓器移植について漠然としか理解していなかったが、1997年成立の臓器移植法にて脳死も人の死として認められたので、一応は決着はついたと理解していた。

しかしながら実際には医療現場では脳死判定の条件をクリアーすることが難しく、脳死者から肝臓を移植することはほとんど行われていないので、河野太郎議員の様に生体肝移植が現実的な解決方法として行われているのだ。

臓器移植法改正を考える などのホームページがいくつかあり、議論はされているようだが、河野太郎議員によると日本では脳死=臓器移植という例は年に数例ほどということであり、日常茶飯事に行われている米国と比べると大変な違いである。


前置きが長くなったが、脳死を考える上で1995年発刊の柳田邦男氏のこの本を読んでみた。

この本は発刊当時から知っていたのだが、副題が『わが息子・脳死の11日』となっているので、2人の息子を持つ父親として、今までとても読む気になれなかったというのが実際のところだ。

友の死に際して、脳死について知るために意を決して読んでみた。

柳田氏の作品は『零戦燃ゆ』や先に紹介したキャッシュカードがあぶない壊れる日本人など、いくつか読んでいるが、この本は柳田氏自身の実体験に基づいた実録脳死判定で、これ以上の現場レポートはないだろう。

柳田氏の次男柳田洋二郎氏は感受性の強い性格と、中学時代にクラスメートに目を傷つけられた体験から、対人恐怖症となり社会に順応できないでいて、結局25歳で自死を選ぶ。

生前骨髄バンクに登録していたことから、次男の意志を慮って柳田氏は骨髄移植はできないかわりに、腎臓提供をすることを決心する。

脳死に至る数日の体の動きが刻々と記録されており、体温が上がると脳が溶け、CTスキャンでも脳の中に空間ができて脳死となったことが克明に記されている。

しかし一方で、同じ様に頭の中に空間ができた脳死状態から帰還した交通事故被害者の主婦の例があったことなども考えると、脳死判定の難しさがわかる。

日本は臓器移植で遅れているという人の論拠は:

1.移植医療の技術水準は十分に高いのだが、実践できないという点で遅れている。
2.脳死を人の死と認めない人が多いという点で遅れている。
3.臓器提供という奉仕の精神が定着していないという点で遅れている。

という3点らしいが、自分では脳死と判定された息子の前で「心臓でも肝臓でもどうぞ」と言える心境にはとてもなれなかったと。

臓器提供の承諾書のフォームは「死後臓器移植の為に腎臓を提供することを承諾します」というだけで、誰の判断なのか、臓器をどのように生かすのかという目的もなく、摘出後遺体をきれいにして返すといった但し書きもない。

いかにも事務的で契約書としての体裁もなしていないと。

海軍主計大尉小泉信吉

昔読んだ小泉信三氏の『海軍主計大尉小泉信吉』を思い出した。置かれたケースは違うが父親の哀惜の念としては同じで、感動した。

百年の孤独


『洪水はわが魂に及び』


この本は脳死現場のレポートであるとともに、亡くなった柳田洋二郎氏の追悼文である。柳田洋二郎氏はガルシア・マルケスの百年の孤独や大江健三郎の洪水はわが魂におよびなどに影響を受けた由。

尚、臓器移植などの緊急の場合自衛隊の輸送機を出して貰うことが可能で、この場合には燃料代実費のみで自衛隊機を利用できることを初めて知った。

『逆縁』はあってはならないことで、その葬儀は本当に悲しい。

そんな悲しみを乗り越えて次男の死を無駄にしないための追悼力作で、家族の目から見た脳死臓器移植の現場レポートである。

亡き友を偲びながら、この本を読んでひとしきり日本の臓器移植の現状を考えた。


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2005年08月15日

壊れる日本人 柳田邦男のコラム集 題ほどのインパクトはない 

壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別


このブログでも取り上げた前作の『キャッシュカードがあぶない』が日本全体を動かすパワーがあったので、タイトルに惹かれ、図書館で予約して読んでみた。

残念ながら前作の様なパワーはない。

月刊誌『新潮45』のコラムをまとめた本なので、いくつものテーマが一つの本となっている。

あまりにもシリアスな佐世保の小学6年生の同級生殺人事件、西鉄バス乗っ取り事件、神戸市の少年A事件、長崎市の五歳児を駐車場より投げ殺した事件等、子を持つ親として、つい涙が浮かぶ被害者家族の手記と、ケセン語(気仙沼地域の方言)の聖書の話が一緒の本になっていると、アンバランスは否めない。

柳田氏自身がワープロもパソコンも使っておらず、手書き派であると本の中で言っており、その人が『ケータイ・ネット依存症』の事をレポートするというのは、なんとなく場違いな印象だ。

カーナビ付きのレンタカーを借りて、「うるさい。だまれカーナビ」とつぶやいたと言っている。

筆者もカーナビを使ったことがなかったが、つい先日義父の葬儀の関係で、山梨県の山奥のキャンプ場に行っていた長男を車でピックアップして、そのまま伊勢の葬儀場に直行した。

片道約600KMのドライブだったが、どちらも初めて行く場所で、片方は山の中で電話もない場所、片方は名古屋市内を初めて通って夜になって到着することになった。

地図をいちいち見ていては、到底一日で両方行くことは不可能で、カーナビなくしては不可能な旅だった。

バカとはさみならぬ、道具は結局使いよう。食わず嫌いではないのか?

それはさておき印象に残るストーリーも多い。

『医師としてできること できなかったことー川の見える病院から』

四国遍路の話。

徳島鳴門市にある大塚製薬の創業者がつくった大塚国際美術館(世界中の美術品・史跡等を一箇所に集め再現している)

インドボパールのUCCの有毒ガス漏れ事故は、従業員がガス漏れを目撃して所長に通報したが、計器パネルがOFFで警報も鳴っていなかったため、所長が計器を信用して、「ティータイムが済んだら行く」と人間の通報にすぐに取り合わなかったので大事故となった話。

井上ひさし氏の自宅がぼやになったとき、かけつけた消防士は「もうすこし日が大きくならないと、放水するわけにいかない」として傍観していた話。

栃木県鹿沼市図書館の、本の寄贈、特に文庫の寄贈はたとえ郷里出身の柳田邦男氏のサイン入り全集であったとしても受け取れないとの回答。

神戸の少年A事件の少年審判担当判事だった井垣氏が、当初の遺族の傍聴を拒否した対応を反省し、むしろ少年審判手続きのなかでも遺族が語れる時間と場所をもうけるべきと考えを変えた話。

ぐっと惹きつける話もあり、シリアス編は印象に残った。

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2005年04月17日

キャッシュカードがあぶない 自己防衛のための必読書

ノンフィクション作家柳田邦男の最新作。

この人の『零戦燃ゆ』を昔読んだが、最近の『犠牲』や『犠牲への手紙』は自らの息子の自死を題材にするもので、とても読む気にならなかった。

この本は誰が書いてもベストセラーになるだけの影響力あるタイトルではあるが、きっかけとなったスキミング被害者となった知人への取材や、被害者10名ほどの取材、銀行、銀行協会等の様々な取材も加え問題の本質がよくわかる。

通帳もカードもあるんだよ。なぜなの?』

2004年2月に定年退職した知人が退職金を預けていた銀行で2004年3月に3,200万円(!)を盗まれたというショッキングな出来事から始まる。

これを読むとゴルフ場でも、サウナでもどこでも貴重品を預けたくなくなる。
(4月27日追記:4月26日にこの被害者鈴木氏と2銀行が和解し、銀行は全額の補償に応じた。この本のおかげでこれが社会問題化したから銀行が態度を軟化させたのだろう)

キャッシュカードと暗証番号の管理は自己責任と主張して、一切補償に応じない銀行の対応に憤りを感じる。

警察も、金を取られたのは銀行であるとの変な理屈で、『あなたはお金を盗られていない』と被害届も銀行に出させろという指導をしている由。

また女性などが警察に行くと、配偶者や親族など身内をまず疑えという態度でまともに相手をしてもらえなかったという事実に驚く。

1988年に諸外国にあわせて消費者保護の法律案が検討されたが、銀行の反対でつぶされたあとは、日本の消費者は全く保護されていない状態だった。

アメリカでは50ドル・ルールというのがあり、消費者は重大な過失や故意がない限り最大50ドルの自己負担で、損失は全額補償される。

またクレジッドカードでは保険があり、保険に入っている限り補償を受けられる。

ところが、銀行のキャッシュカードはどんな場合でも口座番号と暗証番号さえ合致すれば、銀行は免責であるという理由で、たとえ深夜に何十回も100〜200万円ずつ引き出すという不審な出金があってもすべて顧客の責任として一切補償には応じない。


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Posted by yaori at 23:47Comments(0)TrackBack(2)