2016年04月29日

マネーボール ビッグデータを野球に適用するとこうなる



データ分析をビジネスに活用した例として、このブログであらすじを紹介しているデータ分析の教科書の「分析力を武器とする企業」で紹介されていたので読んでみた。

分析力を武器とする企業
トーマス・H・ダベンポート
日経BP社
2008-07-24


ブラッド・ピット主演で映画化されている。



ボストン・レッドソックスが採用したことで有名なセイバー・メトリクスを使ったデータ野球の本だと思って読んでみたが、抜群に面白い。

松井秀喜中島裕之が一時在籍していたオークランド・アスレティックスは30年ほど前は、ホセ・カンセコマーク・マグワイアを擁する大リーグ屈指の金満強豪球団だったが、オーナーが代わり、資金の余裕がなくなって、大リーグでも最低予算球団に仲間入りした。

アステレィックスはワールドシリーズ優勝は1989年以来ないものの、それでも毎年のようにプレーオフには出場する。金満球団との競争のなかで、いかにオークランド・アスレティックスがタレントの宝庫ともいえるような戦力をつけていったのかを明かしている。

主人公のアスレティックスの前GMであるビリー・ビーンは、スポーツ万能で体格にも恵まれ、将来を嘱望されて高卒でニューヨークメッツに入団したが、生来の短気さが災いし、メンタル面での弱さが足を引っ張り、メジャーでは目立った成績を残せなかった。

筆者はたまにやるゴルフでミスショットをすると、それが後を引いてスコアを崩すことがよくある。コンバット・フライト・シミュレーターなどのコンピューターゲーム(ちょっと古いか。今はゲームをやらないので)をやる時も、カーッとなって、機械に八つ当たりする傾向がある。

ビリーのように頭に血が上らないように気をつけなければならない。

Microsoft Combat Flight Simulator
マイクロソフト
1998-11-13


ビリーはメッツがワールドシリーズで優勝した時の中心選手、ダリル・ストロベリーと同期の1980年のドラフト入団組で、翌年入団のレニー・ダイクストラとは2年間同じ部屋に住んだ仲だ。

レニー・ダイクストラからは「おい、読書なんてしてどうする。目が悪くなるぞ」と言われたという。

ビリーはむらが多く、三振するとバットを折ったり、壁に穴をあけて八つ当たりする。ビリーの打順が回ってくると、控え投手がブルペンから出てきて、ビリーが三振して暴れまくるところを見物していたという。

メッツからツインズにトレードされ、ツインズで1987年のワールドシリーズ制覇、それからタイガースを経てアスレティックスにトレードされ1989年のワールドシリーズ制覇のベンチにいた。

メジャーリーガーだったら誰でも欲しいワールドシリーズの優勝記念指輪を2個持つビリーは、野球界の「フォレスト・ガンプ」だと自嘲的にいう。

アスレティックスのワールドシリーズ制覇にベンチウォーマーとして参加した翌年、現役をやめてアドバンス・スカウトになる。「とくに野球をやりたいってわけじゃないんだ」というのがビリーの本心だった。

出塁率に注目した野球理論を発掘した当時のアスレティックスのサンディ・アルダーソンGMの右腕として頭角を現し、1999年にアスレティックスのGMに就任する。

GMに就任してからはハーバード大学出身のポール・デポデスタにデータ分析を担当させ、旧来の新人発掘スカウトを全員クビにする。

競争相手が気が付かない、データに基づいた野球を目指して低コストで強いチームを作り上げた。ただし、GMのできることはチームをプレイオフに進出させることまでで、後は運だという。たしかに、アスレティックスは1989年のワールドシリーズ優勝以来、ワールドシリーズ制覇から遠ざかっている。

この本では、抜群の選球眼で、高い出塁率を誇るスコット・ハッテバーグや、大リーグでは珍しい長身の下手投げ投手チャド・ブラッドフォードなどを取り上げている。長年ボストン・レッドソックスで活躍し、最後は楽天に短期間来たケビン・ユーキリスは、ビリーが欲しがった選手として紹介されている。

独自の基準で目を付けた新人を育て上げ、安い年俸の時に活躍させ、高い年俸を払わざるを得なくなるFAの直前に他のチームにトレードして対価を稼ぐのがビリーのやりかただ。

アスレティックスはティム・ハドソンバリー・ジートマーク・マルダーの”ビッグ3”はじめ、後に大成する投手を何人も新人として発掘しているが、意外だったのは、アスレティックスは投手より打者を優先的に獲得するという方針だという。

たしかに、アスレティックスは前記のマーク・マグワイア、ホセ・カンセコ、ジェイソン・ジアンビなど打者としてその後大リーグを代表する存在になる選手も数多く育てている。

そして他のチームから受け入れるのは力の割には評価されていない年俸が低い選手がもっぱらだ。松井秀喜が良い例である。アスレティックスにいた時の松井の年俸はヤンキース時代よりも大幅に下がっているが、打点ではチーム2位と貢献している。

クローザーは買うより育てた方が安いという方針も、たしかにその通りかもしれない。

驚かされるのは、著者のマイケル・ルイスの取材の緻密さだ。どのページを開いても、メジャーリーガーか、ドラフトにかけられるルーキーの名前が誰かしら載っており、それぞれの特徴を簡潔に紹介している。大リーグに親しみのない人でも抵抗感なく読める本に仕上がっている。

ビジネスにも役立つ。選手起用や対戦相手研究にデータ分析を使うことは、いわば当たり前であるが、GMとしてチーム戦力アップのためにデータ分析を使い、低予算で強いチームを作り上げることは、誰でもできることではない。

怒るとイスや壁に当たり散らし、試合観戦はしない主義だというビリーや、電話会議で行われるドラフト会議など、もともと「絵になるシーン」の連続のような本なだけに、ブラッド・ピット主演の映画も大変面白い。

ビリー・ビーンは、スタンフォード大学への進学が決まっていたのに、大リーグの契約金に目がくらみ、高卒でプロ野球選手となったことを、ずっと悔やんでいたという。

GMとして成功してボストン・レッドソックスから250万ドルX5年という巨額の年棒で契約オファーがあったときも、「私は、金のためだけに決断を下したことが一度だけある。スタンフォード進学をやめて、メッツと契約したときだ。そして私は、二度と金によって人生を左右されまい、と心に決めたんだ。」といって断った。

データの信奉者らしからぬ発言ではあるが、信念を曲げないビリーらしい行動だ。

マネー・ボールで取り上げられている選手は成功者ばかりではない。この本でデータ分析による新人選考の結果、有望新人として大きく取り上げられているジェレミー・ブラウンは、結局目が出ず、大リーグ出場はわずか5試合にとどまった。

高卒をドラフトで採用しても、多くはジェレミー・ブラウンの様に目が出ないケースが多い。

日本ハムの大谷翔平も、高卒でメジャーに行くよりも、まずは日本のプロ野球で成功して、それから大リーグに挑戦するほうが正解なのだろう。

あまり野球に興味のない人でも、面白く読める。映画もお勧めだ。


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2012年08月21日

エースの資格 江夏の何気ない一言が落合を三冠王にした

エースの資格 (PHP新書)エースの資格 (PHP新書)
著者:江夏 豊
PHP研究所(2012-02-15)
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江夏のピッチャー論。

以前このブログで紹介した「江夏の超野球学」でも、いいピッチャーの条件はバッターの観察力だと語っていたが、この本でも江夏は持論を展開している。

江夏豊の超野球学―エースになるための条件江夏豊の超野球学―エースになるための条件
著者:江夏 豊
ベースボールマガジン社(2004-04)
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江夏の21球の背景

江夏は自分の投げる瞬間に「しまった」というケースがしばしばあったという。バッターを見た途端、タイミングがどんぴしゃり合ってしまって、「あっ」となる。これはコントロールミスとは違うものだ。

数多く打たれて、「もう打たれたくない」という強い思いから、「タイミングが合ってしまった」と思ったら、球を放す前にパーンと抜いたり、スライダーをかけたりできるようになった。キャッチャーはおろおろして、「何ですか、今のボールは?」と聞いてくるので、「ほっとけ。魔球じゃ」と言ったのだ。

これが伝説の「江夏の21球」が生まれた背景だろう。

「相手バッターを見る」技術を若いピッチャーにも知ってほしいという。


エース談義

澤村や斎藤祐樹、ダルビッシュ、杉内など最近の投手についての評価が面白い。

元巨人軍フロントの清武さんが、澤村と斎藤佑樹を巨人軍のBOS(Baseball Operating System)で比較して、差は歴然としていたと、このブログで紹介した「巨魁」という本で語っていた

巨魁巨魁
著者:清武 英利
ワック(2012-03-16)
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江夏も澤村を巨人のエース候補に挙げ、斎藤佑樹は「エース候補」とは言い難いとしている。エースはだれでもなれるわけではないのだと。

澤村はストレートは150キロ超と速いが、勝負球はスライダー、フォークだ。

斎藤はバックスイングの小さいフォームで、器用ではあるが、器用という武器が裏目に出ているのではないかと。

日本ハムの投手コーチの吉井理人コーチも、斎藤を育てようとするあまり、口を出しすぎているのではないかと。本当に「いいコーチ」は「みずから教えない」のだと。まさに落合が「コーチング」の中で語っているのと同じことだ。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
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最近の投手の中では、杉内とダルビッシュを高く評価している。

ダルビッシュはベースカバーをサボらずにやっているという。ダルビッシュの無失点イニングの記録が続いていた時は、ランナー2,3塁でも日本ハムの野手は前進守備をして、一点もやらない姿勢をみせていた。江夏は、ダルビッシュがチームのみんなに愛されていると感じたという。

ダルビッシュと対談した時も、「この男はほんとうに野球が好きなんだな。投げることが好きなんだな」と感じたという。


エースの特権

江夏が阪神に入団した時に、当時の阪神のエースの村山は、わざわざボールの縫い目を高くつくらせていた。それが「エースの特権」なのだと。縫い目が高い方が、指にひっかりやすく、フォークボールも落ちやすいからだ。当時は各球団が自分で自分仕様のボールを買っていたのだ。

それに対して江夏は縫い目が高いボールはマメができて痛くなるから嫌いなので、入団2年目にメーカーに頼んで10ダースほど試合球の縫い目をたたいて低くしてもらった。

村山は激怒したが、江夏は「自分の意志でやってもらっているんです」と答えたという。既に阪神の投手ローテーションは江夏を軸にまわりつつあり、強いことが言えたのだと。


考えて投げるタイプ 考えないタイプ

江夏は考えて投げるタイプだったので、考えないバッターはやりにくいという。その筆頭は長嶋さんだ。また、長嶋さんはずっと江夏のカーブをフォークと勘違いしていた。「いいフォークだねぇ」と言っていたという。江夏もキャッチャーの田淵も長嶋さんがフォークと思い込むのをそのままにしていたという。

ロッテの有藤にも2試合連続でホームランを打たれた後で聞いたら、やはり考えずに来たボールを打つタイプだったという。

ピッチャーで考えないタイプは少ないが、その筆頭が江川だという。

江川は天性だけで投げており、プロに入って最初の5年間は「怪物」だったが、最後の4年間は並のピッチャーとなり、9年で現役を引退した。文字通り持って生まれた素質だけでやっていたピッチャーだという。

清武さんの「巨魁」ではナベツネが江川を巨人の助監督にいれるべく画策して、それが清武以下の事務レベルの反発を招き、「清武の乱」が起きたことが描かれている。

江夏の言葉が本当なら、「考えない江川」をたとえ副監督でも指導者としてチームに入れるのは考えものかもしれない。


ピッチャーの筋力は投げてつける

ピッチャーの筋力は投げてつけるもので、トレーニングはあくまで補助的なものだという。これは以前筆者がトレーニングの権威、石井東大教授から聞いたことと一致する。

だから、外国人監督の100球制限をキャンプに持ち込むのは日本の事情に合わないと指摘する。キャンプでは投げて体をつくるのだと。


自分で自分をだます

松阪の故障以来、明暗が分かれている大リーグの松坂大輔と黒田博樹について江夏は語っている。

松阪は高校時代から非常に器用なピッチャーで、「変化球は遊びのなかで覚えた」というほどだった。江夏は器用なピッチャーは案外好不調の波があり、松坂は器用さがマイナスになっている典型だという。

松阪は30歳を過ぎて体力の限界を感じているところだろうから、右ヒジの手術から復帰したあとの転身を見守りたいと。

黒田は松坂より5歳年上だが、ボールに衰えは感じられない。35歳を過ぎて、本人は衰えを感じているだろうが、練習方法や工夫により、衰えが進む時間を遅らせているのだろうと。

江夏は「自分で自分をだますこともしているでしょう」という言い方をしている。「自分で自分をだます」というのは、たぶん江夏が長年活躍できた秘訣なのだろう。


抑え投手は自分をだませなくてはならない

抑え投手は、たとえブルペンで調子が悪くても、「調子がいいんだ」と自分をだますことが大事なのだ。登板が続くので「自分はマウンドに上がったら常にベストなのだ」と言い聞かせ、少々のことでは動揺しない精神状態をつくっていくものだ。

現役投手には手厳しい。藤川球児は投球術が一切ないのに成功できた珍しい例だと。一方、西武の牧田和久はつねに低めにほうれるので、注目しているという。

通算300セーブの岩瀬は、落合前監督の「作品」だ。全盛期を過ぎていて、スライダーは曲がりが大きすぎて、左バッターは振らない。それでも抑えで使われることのつらさを岩瀬は感じているのだろう。

抑えの岩瀬、荒木・井端の1・2番コンビは、落合の「作品」だから、最後まで落合は面倒をみてきた。その意味で、落合は選手思いの指揮官だったのだ。リードだけでメシが食える谷繁もその意味では落合の「作品」なのだろう。


カーブ談義

カーブ談義も面白い。江夏は高校時代カーブもほうれないでプロに入った。高校の野球部の監督に「カーブを教えてください」とお願いにいったら、「真っすぐでストライクもほうれんのに、なにがカーブじゃ!」と、ぶっ飛ばされたという。

高校2年の時に対戦して驚かされた鈴木啓示でも持ち球はカーブと直球だけだった。今の高校生ピッチャーがスライダーやフォーク、チェンジアップなど、各種の変化球を投げるのとは隔世の感がある。

プロに入っても江夏のカーブはあまり曲がらなかったが、王さんには効果的だったという。王さんは曲がるイメージで打ちに行くのだけど、曲がらないのでタイミングがあわなかったのだ。

江夏は堀内みたいなドロップに近いカーブをほうりたいと、練習したが、どうしても投げられない。そこで恥を忍んで試合前に堀内に聞きに行ったことがある。

そうしたら堀内は、笑いながら手を見せてくれた。堀内は子供のころ機械でケガをして、右手の人差し指が1センチほど短い。だからあの抜けるカーブを投げられるのだとわかって、江夏はあきらめたという。


カモのバッター カモれないバッター

バッターではじっと一球を待つバッターがやりにくいという。

一球一球追いかけてきたバッターを江夏はカモにしていた。1981年に江夏が日本ハムに移った時、落合はその年首位打者にはなったが、何でも追いかけるバッターだったので、江夏はカモにしていた。

ところが、翌1982年に落合は、じっと待つというタイプに変身していた。江夏はこいつ変わったなと思ったそうだが、案の定その年は打ち込まれ、落合ははじめて三冠王になった。

まともなヒットは少ないのだが、落合は思いっきり振ってきたので、当たりそこないでもヒットになった。

じーっと待って狙い球をフルスイング。ピッチャーにとっての絶対的な鉄則である「フルスイングさせてはいけない」を完全に破られたのだ。

これにはオチがある。

1981年のプレーオフの後、江夏は落合と偶然会って、落合が「麻雀がしたい」というので、連れて行った。

落合がリーチをかけてきて、江夏が待ちを指摘すると、「なんで江夏さん、待ちがわかるの?」と聞いてきたので、「そんなもん、野球とおんなじで、おまえの読みなんてすぐわかるわい」、「野球でもじっと待たれるほうがピッチャーは怖いんだぞ」と言ってしまった。

するとそれまでは一球一球追いかけてき落合が、翌年は図々しく待つバッターに変身して三冠王を取ったのだ。

たぶん落合は江夏の何気ない一言を参考にしたのだろう。その意味では、落合にとって「運命の麻雀」だったのではないかと。


江夏の気分転換はマージャン

面白い話を江夏は書いている。

気分転換には酒を飲むのが一番だろうが、江夏はアルコールがダメだという。女性と会って気分転換という人もいるかもしれないが、「女性は一瞬ですからね。そのあと疲れるだけですから、私はそれよりか麻雀」だと。

なるほどと思う。山本モナとスキャンダルを起こして巨人から出された日本ハムの二岡とか、やけどをする選手が多い中で、江夏の達観には感心する。


「バッターの裏をかく」時代は終わった

現代野球はバッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっているという。

以前の野球では、真っすぐを待っているときはカーブ、外角を待っているときは、インコースと「バッターの裏をかく」戦術だったが、現代野球は外を待っていると思ったら、外にほうってバットを振らせて凡打に打ち取る、カーブを待っていれば、鋭いカーブを投げて打ち取るという戦術だ。

だからバットの芯をすこしはずすために多くの球種が必要なのだ。


野村監督の「野球に革命を起こさんか?」発言

阪神から南海に移籍してきた江夏に対して、野村監督がリリーフ専門への転向をもちかけ「野球に革命を起こさんか?」と説得した話は有名だが、江夏は「革命」と言われても、どういう意味なのかわからなかったという。

リリーフ専門を受け入れても、調整方法はわからず、監督は、「好きなようにしろ、自分でつくれ」と言うだけで、江夏は苦しんだという。

野村監督からは「江夏、おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、自分たちがリードしているときには、いつでも出られるように。その代わり、ゲームの前半はすきにしてていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでいてもいいから」と言われていたが、このことを他の選手には野村監督は伝えていなかった。

だから事情を知らない選手たちは、「江夏はなにを勝手なことをしているんだ」と反発し、ベテランの広瀬叔功さんからはチームメートの前で、「ナニしとんのや!1回からベンチに入った方がいいぞ」と怒鳴られた。

江夏は悔しい思いをしたが、その場は「わかりました」と引き下がり、あとで広瀬さんには事情を説明したという。

ノムさんはこのブログで紹介した「野村ノート」の中で江夏を三大悪人の一人としているが、江夏は野村監督兼捕手との付き合い方が難しかったことを書いている。

野村ノート (小学館文庫)野村ノート (小学館文庫)
著者:野村 克也
小学館(2009-11-19)
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野村監督は他の選手に説明するなど配慮が利かない人だったと。

この辺がノムさんの限界なのだろう。ノムさんが長嶋さんや、亡くなった仰木さんのような人望がないのは、こういったところなのだと思う。


江夏が育てた選手

東京6大学リーグホームラン記録を持って田淵が阪神に入団してきたとき、キャッチングは落第だった。それでも兼任コーチだった村山さんは、鳴り物入りで入団してきた田淵を試合で使っていくと明言した。

田淵は、江夏の力のあるストレートを捕球する時にミットがわずかに動くので、ストライクのボールもボールと判定されることがあった。江夏は「しっかり捕れよ。球の力に負けるなよ」と、年上の田淵に文句を言った。

田淵は恥ずかしい思いをしながらも、鍛えなおし、後年「ユタカに言われて再度、手首を鍛えなおしたことが、その後のバッティングにプラスになった」と言っていたという。

江夏は日本ハム時代は大宮龍男というキャッチャー、広島時代は大野豊を育てた。江夏の場合は、プライベートのときも行動をともにして、暇があれば野球の話をして鍛え上げたという。


落合もそうだが、江夏も本当に野球が好きなのだと思う。そんな思いが伝わってくる本である。


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2012年07月25日

プロ野球重大事件 ノムさんの暴露本

プロ野球重大事件    誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)プロ野球重大事件 誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川書店(角川グループパブリッシング)(2012-02-10)
販売元:Amazon.co.jp
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野村克也楽天名誉監督のぶちまけ話。

巨人軍の元GM清武さんが、ナベツネとケンカして辞めて以来、清武さんがメディアに各種情報をリークしていると巨人軍関係者から非難されている。今日も清武さんが巨人軍などに名誉棄損で1千万円の損害賠償訴訟を起こしたと発表したばかりだ。

清武の乱は、巨人軍のお家騒動ととらえられているが、本質にはプロ野球のあり方についての大きな問題をはらんでいるとノムさんは語る。


オーナーとは何者なのか?

清武の乱、落合の解任、ナベツネが難色を示し、楽天が反対して難産だった横浜DeNAの誕生。これらはすべて「オーナーとは何者なのか?」という問題を提起したのだと。

落合は、就任一年目でリーグ優勝し、8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、一度もAクラスから転落したことがないという実績を上げた。しかし、推定3億7千万円という高い年俸と、好成績ゆえに選手の年俸上昇により球団は黒字になったことがないというお家の事情から、シーズン中に落合の解任は発表された。

優勝でもされたらクビを切りにくくなるからという理由だろう。

後任監督が立浪でなく、70歳の高木守道というのも財政事情のためだということを物語っている。

DeNAベイスターズ誕生の際にも、巨人のナベツネが「モバゲー」を球団名につけることに反対し、楽天の三木谷会長は、DeNAの経営の健全性がないことを理由にTBSによる球団売却に執拗に反対した。

ノムさんは、三木谷さんが反対したのは、2005年にTBS株の買収に失敗したことと、DeNAの創業者との間に個人的にいざこざがあったことが原因になっているらしいと語る。

ちなみにDeNAの中畑監督についてノムさんは、現代野球に不可欠の理論性、緻密さ、データの活用といった要素からは(あくまでイメージだが)最も遠いところにいると評している。

たしかにそうかもしれないが、DeNAは知名度を上げ、マスコミから注目されるために、中畑監督を欲しがっていたのであり、別に成績を上げようなどとは思っていないと思う。

筆者は今年、横浜ファンを引退したから冷静に言えるのだが、その意味では中畑監督は正解だと思う。


野球は文化的公共財

どのオーナーも加藤良三コミッショナーの「野球は文化的公共財である」という重みを全く理解していない。オーナーは監督の最大の敵なのだと。

楽天の三木谷会長や、島田オーナーは、「成績が悪ければ解雇される。成績が向上すれば続投する」という球界の不文律を無視して、楽天監督4年目に2位にまで引き上げたノムさんを解雇した。ノムさんはよっぽど頭にきたようだ。三木谷さんも島田さんも球場に足を運ぶことはほとんどなかったという。

ちなみに三木谷さんもこの本を読んだのかもしれないが、急に楽天のオーナー復帰を発表している

そんなノムさんが絶賛するのが、ソフトバンクの孫さんだ。楽天がクライマックスシリーズに進出したときに、面識もないソフトバンクの孫さんから激励のメッセージをもらったという。

「真の人格者とは、こういうものなのか」と孫オーナーのもとで監督を務めることができた王貞治をうらやましく思ったという。

昨年ソフトバンクが日本一になった時には、ホークスの選手は孫オーナーを胴上げし、孫さんはビールかけにも嬉々として参加した。

ノムさんはヤクルト監督就任の際にも、オーナーのサポートがあったことを語っている。


暴露話あれこれ

杉内が巨人に移籍した原因は、ソフトバンクの編成を取り仕切っている小林至取締役の心無いひと言が原因だったという。「きみがFAになっても、必要とする球団はない」。

小林取締役は東大野球部出身のプロ選手だが、プロでは一軍登板を果たせず、引退後は渡米としてMBAを取り、スポーツビジネスに携わった。その後、ソフトバンクの取締役に就任し、杉内事件の責任を取り、編成部からはずれた。

暴露の第一弾は、長嶋と杉浦に当時の南海球団は、月額2万円の小遣いを卒業まで支給していたことだ。南海には立大の先輩の大沢啓二さんがいて、長嶋と杉浦に「おまえらも南海に来い」、「わかりました」という具合だったという。

大卒の初任給が1万5千円の時代の2万円なので、ちょっとした金だったが、南海は長嶋の契約金からいままで払っていた小遣いを減額すると申し渡して、当時1,800万円という巨額の契約金を提示した巨人に長嶋をさらわれた。

契約金の前渡しとは思っていなかった長嶋はいっぺんで南海に幻滅したらしい。長嶋は大沢さんに土下座して謝ったという。


巨人と試合する時は、敵は10人

「巨人と試合する時は、敵は10人だと思え」といろいろな人に言われたが、1961年の日本シリーズで、セリーグ出身の円城寺審判が、スタンカのストライクをボールと判定、「ふつうならストライクだが、風があったので沈んだ。それでボールだ」と。

これでスタンカは気落ちして、結局南海は日本シリーズで敗退した。ノムさんは「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳をつくったという。

スタンカは、さよならヒットを浴びたとき、本塁のバックアップに入るとみせかけて、円城寺主審に体当たり、ほかの選手やコーチも暴行を加えたという。

日本初のスコアラーは、鶴岡監督時代の南海の尾張スコアラーだという。元新聞記者の人で、7色の鉛筆をつかって、敵と味方の特徴をメモにしていったという。後に西武の根本さんに乞われて広岡監督のもとでデータ野球に貢献したという。


サッチーの武勇伝

ノムさんが1977年に南海の監督を解任されたのは、女性問題、つまりサッチーのためだという。前妻との離婚調停中に、サッチーと同棲していたことが問題視され、南海のオーナーと後援会長のトップ会談が行われて決まった。

後援会長の比叡山の僧侶からは、トップ会談の前に「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい」と言われて、「女を取ります」と即答して席を立ったという。

車で待っていたサッチーが話を聞いて、寺に乗り込み、「野村を守るのが後援会長たるあんたの立場でしょ!野球ができなくなるとはどういうことよ!」と坊さんに向かって啖呵をきったら、剣幕におののいた坊さんは受話器を取り上げて「警察を呼ぶぞ」と言ったという。

ノムさんは坊さんに幻滅するとともに、サッチーに「この女はただものではないな」とあらためて思ったのだと。

今はTBSの関口博のサンデーモーニングに出ている張本さんは、今はご意見番みたいにいわれているが、「張本くらいチームを私物化した選手もいないだろう」とこき下ろしている。

ツーアウト・ランナー一塁で、ランナーに「走るな。じっとしとれ」と言って、ランナーを走らさずにヒットが出やすくさせたという。バッティングにしか興味がなく、肩も弱く、フライは追いかけるふりをするけど、本気で球を追うことはしないというありさまだったと。

そのほか、球界のケチの話。長嶋一茂、息子カツノリの話なども面白い。この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして、目次を見て、どんな内容なのかチェックしてほしい。

ノムさんは、もう監督はやらないつもりのようだ。他人の迷惑も考えず、言いたい放題だ。読者としては楽しめる本である。


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2012年02月10日

采配 監督・落合博満が初めて明かした采配の秘密 再掲

+++今回のあらすじは長いです+++

2012年2月10日追記:

以下に紹介する落合の本と並んで本屋に置いてあったので張本勲さんの「原辰徳と落合博満の監督力」を読んだ。2011年1月発行の本なので、内容は中日がリーグ優勝した2011年の結果を踏まえていないが、原・巨人と落合・中日を比較して両方に苦言を呈している。

原辰徳と落合博満の監督力原辰徳と落合博満の監督力
著者:張本 勲
青志社(2011-01)
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張本さんはこの本の中で、落合の山井交代采配を厳しく批判している。また「勝利の方程式」という言葉を多発している。

落合が名球会に入らなかった理由は、同じ中日・ロッテの先輩で名球会メンバーの江藤慎一さんが怖かったからだという。

以下に紹介する落合の「采配」で、落合が「勝利の方程式」ではなく「勝負の方程式」だとこだわっているのは、張本さんの本を読んでいるからかもしれない。

名球会に入らない理由は、落合は群れることを嫌うからで、故・江藤慎一さんが怖かったなどという理由ではないだろう。

張本さんはTBSのサンデーモーニングに出てくる名物野球解説者だが、張本さん自身は野球指導者としてのキャリアはない。マスコミ側の人なのだと感じた。


2012年1月8日初掲:

采配采配
著者:落合博満
ダイヤモンド社(2011-11-17)
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落合博満前中日監督が2011年の日本シリーズ中に出版した本。この本は監督・落合博満が書いた最初の本で、現在アマゾンで売り上げランキング20位前後と、ベストセラーになっている。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。

落合は参考になる本を何冊も出しているので、このブログでも紹介しているが、中日の監督に就任してからは本は一切出していない。レポーターが書いた「落合戦記」という本はあるが、これは落合が書いた本ではない。

落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」落合戦記―日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」
著者:横尾 弘一
ダイヤモンド社(2004-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「落合戦記」は絶版になっており、中古本がプレミアム付きで売られている。このブログで紹介した「超野球学1・2」も、いずれも中古本がプレミアムがついている。
落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2003-05)
販売元:Amazon.co.jp
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落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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落合は監督退任表明後、いくつものテレビ番組の取材に応じているので、YouTubeに次の対談など、いくつかアップされている。それぞれ面白いので、時間があればチェックしてみてほしい。




勝つための66の言葉

この本では落合が勝つための66の言葉として、次の6章にわけて述べている。

1章 「自分で育つ人」になる
2章 勝つということ
3章 どうやって才能を育て、伸ばすのか
4章 本物のリーダーとは
5章 常勝チームの作り方
6章 次世代リーダーの見つけ方、育て方

アマゾンの「なか見!”検索」に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。それぞれの章に10前後の言葉があり、大体の感じがわかると思う。


「オレ流」はない

落合の采配はマスコミに「オレ流」とレッテルを貼られているが、この本で「オレ流はない。すべては堂々たる模倣である。」と語っている。

自分がいいと思うものを模倣し、反復練習で自分の形にしていくのが技術であり、模倣は一流選手になるための第一歩だ。ピアニストも画家も同じ。大事なのは誰が最初に行ったかではなく、誰がその方法で成功を収めたかだ。

「オレ流」として、いままで議論を読んできた落合采配の「謎」をこの本で自ら解説していて、大変面白い。そのいくつかを紹介しておこう。


補強なしに現有戦力で優勝する

落合采配の最初の謎は中日の監督に就任した時に、「誰一人クビにしない。目立つ補強もせず、現有戦力を10〜15%アップさせて優勝する」と宣言したことだ。巨人などのカネにまかせて他球団のエースや4番打者ばかり集めてくるチームには、イヤミに聞こえる発言だろう。

これを落合が実行した理由は、最初に部下に方法論を示し、「やればできるんだ」という自信をつけさせるためだという。

「あの人の言う通りにやれば、できる確率は高くなる」と、上司の方法論を受け入れるようになれば、組織の歯車は目指す方向にしっかりと回っていく。そして有言実行で就任一年目でリーグ優勝した。

しかし、2004年のシーズンが終わった後、18人の選手がドラゴンズのユニフォームを脱いだ。積極的な補強をしなければ、2005年は戦えないと判断したからだ。

ドラゴンズのユニフォームを脱ぐ選手には、ドラゴンズでは競争に負けたが、ほかの球団では通用する実力をつけさせたいと落合は語る。事実、2005年戦力外通告を受けた鉄平は楽天に行って、パリーグの首位打者になった。ドラゴンズの厳しい練習が間違っていなかった証拠だと落合は語る。


2月1日紅白戦の謎

「2月1日に紅白戦をやる。春のキャンプでは初めから1軍も2軍もない。キャンプの間に見させてもらう」、「全員一からポジションを争ってもらいます」というのは、敵を欺くにはまず味方を欺けという戦法だ。

2001年に発刊した「コーチング」の中で、落合はコーチングの基本を「教えない。ただ見ているだけでいい」と定義した。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
ダイヤモンド社(2001-09)
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実際に監督になって、「見ているだけのコーチング」が基本となることは確認できたが、それと同時に「最低限、教えておかなければならないこと」があることに気づいたという。それは、「自分を大成させてくれるのは自分しかいない」ということであり、選手の自覚を促す方法が2月1日の紅白戦だった。

プロ野球選手の契約では12月1日から1月31日までの2か月はポスト・シーズンと呼ばれ、球団に拘束されない期間だ。監督やコーチが練習させたくとも、できない。

「2月1日の紅白戦」という監督のメッセージを受け止め、選手は考える。「自分自身で自分の野球を考える」習慣を植え付け、それができる選手がレギュラーの座を手にするのだ。

落合が2月1日紅白戦と宣言したことで、メディアや評論家がキャンプを訪れ、高齢でめったに現場に足を運ぶことはないと言われていた川上哲治さんをはじめ、広岡達郎さん、関根潤三さんなどの監督経験者も2時間以上続くノック練習を楽しそうに見ていたという。落合も1999年から5年間の評論家時代は12球団のキャンプ地すべてに足を運んだ。「プロだからこそ見なければわからない」のだと。

なかにはキャンプを見もしないで「初日から紅白戦なんて意味がない」と批判する評論家もいた。2004年、中日がリーグ優勝したことで、足を運んだ評論家の多くは「厳しい練習が実を結んだ」と評価し、足を運ばなかった評論家はだまっているしかなかったという


6勤・1休の厳しい練習

他の球団は4勤・1休が多いだろうが、中日のキャンプは6勤・1休だ。それだけで中日のキャンプの厳しさがわかる。しかし、6勤・1休は昔はどの球団でも同じだったという。「オレ流」ではないのだと。

落合は「休みたければユニフォームを脱げばいい。誰にも文句を言われずにゆっくり休めるぞ」と言う。「一年でも長くユニフォームを着ていたいのなら、休むということは考えちゃいけないよ。」というのが本音のメッセージだ。

不安だから練習する。練習するから成長する。「心技体」ではなく、体をつくる練習が先に来る「体技心」だと。これが成長のサイクルだ。

春季キャンプでは、全体練習を終えた後、落合自身がサブ・グラウンドでノックして守備練習する。守備練習は強制ではなく、ノックを受けたいと思った選手がコーチに申告し、落合がノッカーに指名される。1,2時間は当たり前、どちらがギブアップするかまで続けられる。

「これ以上続けたら体が壊れてしまうと感じたら、グラブを外してグラウンドに置く」ということだけがルールだ。

落合の中日監督時代に生え抜きからレギュラーになったのは森野将彦ただ一人だ。その森野は「終わる時間は自分で決めなさい」と言うと、いつも最後までグラウンドにいたという。

ノックでも、落合がもう限界なのではないかと思ったが、グラブを外さないので、続けたら、突然バタッと倒れて救急車を呼びそうになったことがあるという。グラブを外したくとも手が腫れ上がって外れなかったのだと。

そうまでにして自分の限界まで追い込んでポジションを奪い取った。だから「自分から練習に打ち込んでいる間は、オーバーワークだと感じても絶対にストップをかけるな」というのが落合のルールだ。

コーチにも「どんなに遅くなっても、選手より先に帰るなよ。最後まで選手を見てやれよ」と言っていたという。選手の指導については次の2点を徹底してきた。

1.絶対に押し付けてはならない
2.鉄拳制裁の禁止

厳しい競争は自然にチームを活性化させる。だから選手たちが自己成長できるような環境を整え、そのプロセスをしっかり見ていることが指導者の役割なのだ。


3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手に

落合が監督に就任した2004年のシーズンでは、沢村賞投手ながら、ヤクルトから移籍して肩を痛め、3年間一軍登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手として登板させた。落合は投手起用については森繁和コーチに全面的に任せており、これが落合が先発投手を決めた唯一のケースだという。

川崎ほどの実績のある投手が故障で宝の持ち腐れとなっていたので、本人の復帰を後押しするつもりで、開幕投手に指名し、具体的目標を与えたのだ。

川崎は2回で5失点してマウンドを降りたが、ドラゴンズ打線はコツコツ反撃して、最後は8対6で広島に勝った。

復帰を目指して川崎が必死で努力する姿をチーム全員が見て、川崎に勝たせようと全員が動くことでチームとはどういうものなのかを実感させた。大きなリスクを覚悟した落合の監督として最初の采配は成功だったのではないかと。

川崎はこの年もう一試合先発登板したが、ワンアウトも取れず4失点で降板し、その年に現役を引退した。しかし新監督がチームとしてのまとまりをつくる方法としては、落合のいうように成功だったと言えると思う。


2007年日本シリーズ第5戦の「山井の幻の完全試合」

落合の采配で最も議論を読んだのが、2007年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、8回まで完全試合を続けていた山井を9回に岩瀬に交代させた采配だ。



落合は自分の采配を正しかったか、間違っていたかという物差しで考えたことはないという。「あの時点で最善といえる判断をしたか」が唯一の尺度だ。

落合・中日の日本シリーズの成績は2004年対西武3勝4敗、2006年対日本ハム1勝4敗だった、2007年はリーグ優勝できなかったが、クライマックスシリーズで勝ち上がり、またもや日本ハムとの日本シリーズとなった。

なんとしても勝ちたい中日は3勝1敗で名古屋で第5戦を迎えた。山井は完全試合を続けていたが、4回から右手のマメが破れ血が噴き出していた。8回で1:0でリードしていて、9回の守りをどうするか考えているときに、森繁和コーチが「山井がもう投げられないと言っています」と言いに来た。

落合は即座に「岩瀬で行こう」と決断した。岩瀬はプレッシャーのかかるなかで、3者凡退に打ち取り、ドラゴンズは53年ぶりに日本一になった。

落合も山井の完全試合を見たかったが、その時点でのリードは1点しかなく、監督としてはどうしても53年ぶりにドラゴンズを優勝させたかった。この采配は53年ぶりの優勝という重い扉を開くための最善の策だったという。

ドラゴンズが日本一になったという事実だけが残る。その瞬間に最善と思える決断をするしかない。それがブレてはいけないのだと。


「勝利の方程式」よりも「勝負の方程式」

この本で落合は、「負けない努力が勝ちにつながる」と語っている。これが落合野球の真髄だと思う。落合は投手力を中心とした守りの安定感で勝利を目指す戦いを続けてきた。監督が投手出身か打者出身かは関係ない。これが勝つための選択なのだと。

試合は「1点を守り抜くか、相手をゼロにすれば負けない」。そしてチームスポーツでは「仕事をした」と言えるのは、チームが勝った時だけである。たとえ10点失っても勝った投手は仕事をしている。0対1で完投負けした投手は、厳しいようだが、仕事をしていないのだ。

勝利をひきよせるための手順=「勝負の方程式」はあるが、こうすれば絶対に勝てるという「勝利の方程式」はない。

落合は現役時代に「勝負の方程式」という本を書いている。

勝負の方程式勝負の方程式
著者:落合 博満
小学館(1994-06)
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「こうすれば相手は嫌がる」、「こんな取り組みをして失敗した」という様に勝負を少しでも優位に戦うための原則論をまとめたものだという。

ドラゴンズでは勝ち試合は8回に浅尾、9回に岩瀬を送って白星をつかむケースが多いので「勝利の方程式」と呼ばれている。

岩瀬の代わりに浅尾をストッパーに起用すると、「岩瀬に何かあったのか」とか「ストッパーを岩瀬から浅尾に代えるのか」と騒ぎ立てられるが、落合はあくまで勝利に近づくための最善策としかとらえておらず、岩瀬や浅尾に対する信頼感とは別次元の問題だという。

この本で落合は「岩瀬を出せば勝てる」と思ったことは一度もないと語る。勝負には何があるかわからない。だから岩瀬が打たれて負けた試合の落合のコメントは、「岩瀬で負けたら仕方がない。岩瀬だって打たれることはある」というものだ。

これに対して「勝利の方程式」を信じている監督は「まさか、あの場面で岩瀬が打たれるとは…」と言うだろう。

落合は日本一を目指して戦うなら「まさか」で黒星を喫したくない。勝負に絶対はないが、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見えるのだと。


大変参考になる本だが、詳しく紹介しているとあらすじが長くなりすぎるので、要点を、1.落合流強いチームの作り方、2.落合の企業秘密、3.落合の指導法に整理して簡単に紹介しておく。


1.落合流強いチームの作り方

★任せるところは1ミリも残さず任せきる/人脈や派閥のような感覚でコーチを起用しない
落合が先発投手を自分で決めたのは、上記の川崎憲次郎の開幕投手だけだった。それ以外はすべて森繁和コーチが決めた。森コーチの采配にすべての責任を負うのが監督の仕事だという。

現役時代に仕えた監督を見てきて「なんでも自分でやらなければならない監督ほど失敗する」と感じていたという。だから投手に関することは森コーチに任せられると思うと、全面的に任せ、落合自身は先発投手が誰になるのかも直前まで知らなかったという。

森コーチは駒澤大学のエースとして活躍し、社会人の住友金属経由、西武に入団。黄金時代の西武でプレーして、現役引退後もすぐにコーチとなり、西武、日本ハム、横浜で投手コーチを務め、一年たりともユニフォームを脱いだ年がなかった。現場が必要としている人材なのだ。

そうはいっても落合と森コーチの接点は、アマチュア時代の世界選手権でチームメートになったくらいで、決して親しい仲間だったわけではない。

野球の世界に限らず、一般社会でも気心しれたヤツだけを自分の周りに置きたがる人がいる。落合は名前は出していないが、典型的な例が北京オリンピックの星野ジャパンの星野・山本浩二・田淵幸一トリオだろう。

落合は仕事は一枚の絵を描くようなものだと言う。自分の持っている色だけではなく、自分とは違う色を持っている人を使う勇気が絵の完成度を高めてくれると語る。


★できる・できない両方がわかるリーダーになれ
落合の真骨頂がこれだ。「毎シーズンAクラスのチームを作ることができた要因は何ですか」と問われたら、落合は「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから」とはっきり答えるという。

監督には「名選手、名監督ならず」で、できない選手の気持ちがわからない人がいる。その一方で、現役時代は実績を残せなかったが、早くして指導者になり、コツコツと経験を重ねて、2軍監督やコーチを経験して「できない選手」の気持ちがよく理解できるので、若い選手を育て上げる手腕にたけている人もいる。しかしこのタイプの監督は「できる人の思い」が理解できず、スター選手と無用な衝突を起こしたり、ベテランから若手に切り替えるタイミングを間違うことがある。

落合自身プロに入ったのは「もうけもの」と考え、プロになればすぐクビになっても「元プロ野球選手」になれるので、残った契約金で飲食店でもやろうと考えていたという。「できない人の気持ち」は若いころの自分の気持ちそのものだと。

落合のようにプロに入った時はあまり期待されていなかったが、あとで超一流選手になったという経歴のある監督は、川上哲治さん、野村克也さんがいる。

しかし二人とも野球から一歩も離れず、ずっと真剣に取り組んできたという点で落合とは大きな差があると思う。鉄拳制裁になじめず、秋田工業高校では野球部の入部退部を繰り返し、東洋大学野球部ではケガもあって退部し、大学も中退して、故郷に帰ってプロボウラーを目指していたというキャリアの監督は落合くらいだろう。

川上さん、野村さんの二人とも名監督だが、落合くらい選手の気持ちがわかる監督もいないだろうと思う。


★連戦連勝を目指すより、どこにチャンスを残して負けるか
長嶋監督はファンを愛する人で、試合を見てくれるファンがいるかぎり毎試合勝とうとした。落合は今日は負けても、翌日に戦う力、勝てるチャンスを残すべきではないかという考えだ。

「1敗は1敗でしかない」と割り切ることも大切だ。

いい結果が続いている時でもその理由を分析し、結果が出なくなってきた時の準備をする。負けが続いた時でも、その理由を分析し、次の勝ちにつなげられるような負け方を模索する。

組織を預かる者の真価は、0対10の大敗を喫した次の戦いに問われるのだと。


「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」
この本、いや落合野球で一番の問題はここだと思う。

「最大のファンサービスは、あくまで試合に勝つことなのだという信念が揺らいでしまったら、チームを指揮する資格はない。」と落合は語る。

そこで、「ファンが喜ぶ野球ーそれは勝ち続けることなのだと信じて。」という言葉が来る。

たしかに球場に来るファンはひいきチームが勝つことが最大の喜びだ。しかし球場まで行くことはめったにないが、ひいきチームはあるという人が圧倒的多数だろう。

野村さんはこのブログで紹介した「あぁ、監督」という本で、落合のサービス精神の欠如について、次のように語っている。

「どうも落合は勘違いしているのではないか。彼はグラウンドで結果を出せばいいと考えているようだが、それだけではプロ野球の監督として失格なのだ。いくら強くても、実際にファンが球場に足を運んでくれなければ、商売は成り立たないのである。

誰のおかげで自分が存在できるのか。ファンあってのプロ野球ということをいま一度考えてもらいたいのである。」

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)あぁ、監督 ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川グループパブリッシング(2009-02-10)
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球場に行ったこともないが、ひいきチームはあるという、いわばサイレントマジョリティのファン、そしてひいきではないが興味はあるので、一度はプレーを見てみたいというファン、そういった人を球場に来てもらえるだけの魅力と話題性を提供するのが本当の一流監督ではないのか?

別に落合がコメディアンになる必要はない。ただ玄人好みでなく、素人好みの路線がプロ野球には必要とされていると思う。その典型が今度横浜の監督に就任する中畑清監督だと思う。

中畑監督はこの本で落合が排しているお友達内閣を組織しつつある様に思える。たぶん横浜は今季もダメだろう。

しかしスポンサーのDNAは別に強い横浜が欲しいわけではない。社名のDNAが広く知れ渡るような話題性のある広告塔が欲しいのだ。最下位でも注目度が上がればそれでよいのだ。

だから今のところ力の衰えが目立つラミちゃん以外は目立った補強をしていない。筆者は、もう付き合えないので、今年限り郷土の球団の横浜ファンから「引退」するが、DNAのやり方はこれはこれでアリだと思う。

筆者は正直、落合が日本で再度監督をやるかどうかはわからないと思っている。野球がオリンピック・スポーツとして復活したら、中国が落合を監督にリクルートする可能性は高いのではないかと思う。

幅広いファンとの折り合い、そしてマスコミの使い方、これが次に落合が日本で監督をやる際には落合が飛躍するための課題となるだろう。


2.落合の企業秘密

落合が45歳まで現役でプレーできた理由で最も大きかったのは、対戦相手が落合という選手の考え方を分析できなかったからだ。野球はメンタルなスポーツという典型例である。

落合の打撃の特徴は、「外角のボールをライトスタンドに放り込んでしまう」ことだと言われてきたが、実は落合自身はその記憶はない。

実際には内角寄りのボールを力負けせずに、押し込むようにライトスタンドに運ぶ技術を持っていたのだが、元プロのスコアラーには内角のボールをライトスタンドまで運べるはずがないとして、コースを真ん中よりに記録してしまう。そんなプロの盲点の積み重ねが「外角球をライトスタンドに放り込む男」という評価なのである。

実際外角のボールに3三振することもあったのに、ライトへのホームランが多いということだけで、「落合は外角に強い」と誤解されてきたから45歳までプレーできたのだと。

これは落合の「企業秘密」だったから、引退するまで決して口外しなかった。これがプロの戦術なのだ。監督となれば、対外的なことだけではなく、自軍のコーチや選手にも読まれてはいけない部分もある。

監督は何をやろうとしているのかをコーチに読まれると、監督にすり寄って、選手を見ないコーチが生まれる。コーチの見るべき方向は監督の顔色ではなく、選手なのだ。


落合は今季中日のユニフォームを脱いだが、プロ野球の監督は引き継ぎは一切しない。しかし、引き継ぎはしないが、次の監督が困らないチームにしておく、それが監督としてやらなければならない仕事なのだと。

最後に落合は「仕事で目立つ成果を上げようとすることと、人生を幸せにいきていこうとすることは、全く別物と考えているのだと語る。一度きりの人生に悔いのない采配を振るべきではないかと。

一杯の白飯と穏やかな時間。その中で生きていこうとしているのが、落合博満の「人生の采配」なのだと結んでいる。

大変参考になる本だったので、あらすじも長くなりすぎた。「若手諸君、成長したけりゃ結婚しよう」などの落合の指導法については、つづきを読むに載せたので、興味があれば見ていただきたい。

冒頭で紹介したとおり、筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。一読の価値はあると思う。


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Posted by yaori at 12:45Comments(0)TrackBack(0)

2010年10月18日

松井秀喜の「信念を貫く」と「不動心」

2010年10月18日追記:

信念を貫く (新潮新書)信念を貫く (新潮新書)
著者:松井 秀喜
販売元:新潮社
発売日:2010-03
おすすめ度:4.5
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2007年の「不動心」のあらすじに続き、2010年はエンゼルスの一員となった松井秀喜の近著「信念を貫く」のあらすじを追記しておく。

野球選手はオフのときにプロのライターを頼んで本を出す人が多い。

超多忙な松井が自分で机に向かって原稿を書いたとは思えないので、たぶんこの本も松井の口述筆記をライターがまとめたものだと思うが、松井の人間性や考え方がよくわかる。

内容さえよければ、ライターを使おうが使うまいが関係ないという典型のような本だ。

2006年シーズンに左手首を骨折する大怪我を負った松井は、その後復帰したものの、今度は両膝の故障に悩まされ、その後はヤンキースではDHで試合に出ることが多くなった。

特に2008年のシーズンや、ヤンキースがワールドシリーズに優勝した2009年のシーズンは、守備はやらせないというヤンキースGMの方針で、松井はDH専門となった。

2009年のワールドシリーズは、ナショナルリーグの球場での試合のときは代打でしか出場できないというハンディキャップがあるDHではあるが、シリーズMVPという快挙を成し遂げ、ヤンキースに不可欠の選手という印象を強く残した。



松井もこの本の中で書いているが、ワールドシリーズ第2戦でペドロ・マルチネスの外角低めの球をうまくすくい上げてホームランにしたあの場面が記憶に残っている。

あれは、ペドロの失投だったが、失投を一振りでしとめるのがプロだと。

シリーズMVPになったにもかかわらず、ヤンキースのGMはじめ経営陣は、膝の状態が悪いので松井には守備はさせないという方針を変更せず、守備機会を望む松井との交渉は後回しにされた。

松井は、やはり野球選手は守備につかないとリズムがつかめないと語り、膝の状態がよければ毎試合守備に出てもらってもかまわないというエンゼルスに入団した。

松井との契約交渉に自ら出馬したソーシア監督の熱意にもほだされたという。

この本では今まで順風満帆だった松井が、2006年のケガ以降、守備ができないため、毎試合DHまたは代打という不安定なポジションになったにもかかわらず、監督の起用法に一切文句を言わず、ヤンキースの勝利をひたすら願って、出場したときには常にベストをつくすというチームプレーヤーに徹する姿が描かれている。

不遇の時代でも松井は信念を持って生きているというメッセージが力強く伝わってくる。

不遇がないというのは選手時代の長嶋に限られると思う。他の選手は王でさえ入団当初の数年は苦労している。

不遇の時代があったほうが、いずれ監督なり、コーチになったときに大成するのではないかと思う。その意味では、この本のように謙虚に自分のチーム内のポジションを受け入れ、与えられた役割でチームのためにベストをつくす松井の姿勢は必ず松井自身のためになるだろう。

「不動心」も面白い本だったが、「信念を貫く」も違った面での松井を知ることができ面白い。簡単に読める新書なので、一読をおすすめする。


2007年11月28日初掲:

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
販売元:新潮社
発売日:2007-02-16
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


左手首を骨折した2006年のシーズンオフに書かれたヤンキース松井秀喜の本。

骨折で125日間をリハビリに費やした経験から、さらに人間としてのスケールが大きくなったような気がする。

タイトルの不動心とは、故郷の石川県の実家にオープンした松井秀喜ベースボールミュージアムに掲げている次の言葉から取っている。

日本海のような広く深い心と
白山のような強く動じない心
僕の原点はここにあります


広く深い心、強く動じない心、すなわち「不動心」を持った人間でありたいと、いつも思っているのだ。

この本を読んで松井選手が野球の上でも、また私生活でも、スタンスのぶれない不動心を持っていることがよくわかる。

野球選手はオフになるとヒマがあるせいか、有名選手・監督は多くの著作があるが、やはり一芸に秀でている人の言葉は人を動かす力があるものだ。

本の構成もよく、頭にスッと入る本だ。


目次を読むと、この本で言いたいことの大体の感じがわかると思うので、紹介しておく:

第1章 5.11を乗り越えて
第2章 コントロールできること、できないこと
第3章 努力できることが才能である
第4章 思考で素質をおぎなう
第5章 師から学んだ柔軟な精神
第6章 すべては野球のために


恩師 長嶋監督

ちょうどドラフト会議が終わったばかりだが、1992年のドラフト会議の光景が思い出される。

松井秀喜にドラフト1位指名が集中して抽選となり、当時の長嶋巨人軍監督が当たりくじを引き、満面の笑みを浮かべた場面だ。

この本でも節目節目に長嶋監督が出てくる。

松井が左手首を骨折したときに、脳梗塞でリハビリ中の長嶋監督から電話が掛かってきた。

「松井、これから大変だけどな。リハビリは嘘をつかないぞ。頑張るんだぞ。いいな、松井」

巨人時代に松井の連続試合出場記録がとぎれそうになった時も、励ましたのは長嶋監督だったという。「やれるとこまでやってみろ」

FAになり大リーグに行くことを決めたときも長嶋監督に会い、決断を告げたという。「もう決めたことなのか。考え直す気はないのか」「よしわかった。行くなら頑張ってこい」と肩を叩いてくれたという。


松井と長嶋監督の練習法

長嶋監督の自宅地下には練習場があり、松井はそこをしばしば訪れ長嶋監督に素振りを見てもらっていた。

長嶋監督は、松井が素振りをしている間、目を閉じてスイングの音を聞いているのだと。「今の球は内角だな。」「うん?外角低めだったか」という長嶋さんにしかわからない感覚を持っていた。

その日ホームランを打ったとか、凡退しているとかは関係ない。鈍い音がすると叱責され、休む間もなくスイングを繰り返した。

元阪神の掛布が調子が悪いときに、長嶋監督に電話したら、その場で素振りをしろといわれ、長嶋監督はその音を電話で聞いてアドバイスしたという。それくらいスイングの音を大切にしていた。

さすが天才かつ感覚派の長嶋監督だと思わせるエピソードだ。

長嶋監督とは何度も素振りを繰り返した。長嶋監督から電話が来て「おい松井、バット持ってこいよ」と長嶋さんの自宅、あるいはホテルで二人だけの特訓を繰り返した。

しかしマンツーマンの練習も二人だけの時しかやらなかったので、他の選手から嫉妬されるようなことはなかった。長嶋監督も配慮してくれたのだ。

松井が大リーグのルーキーイヤーにツーシームボールで悩まされていたとき、ニューヨークに到着したばかりの長嶋監督から「松井、スイングやるぞ」と声が掛かったという。

ちなみに長嶋監督の家の地下の練習場には数多くのトロフィーや賞状が整然と並べられていたが、すべて長嶋一茂のもので、長嶋監督自身のものは隅に追いやられていた。

いくら名選手とはいえども、普段は子供がかわいい普通の父親だとわかり、松井は思わずくすくすと笑ってしまったのだと。


伝説の5打席連続敬遠

松井といえば、高校時代の対明徳義塾戦の5打席連続敬遠が有名だが、松井は高校生当時は打ちたい、勝負してくれと考えたが、今は違うと。

あの5打席連続敬遠があったからこそ、日本中から注目され、長嶋監督もあの試合をテレビ観戦していたのだと。もし敬遠されていなかったら、ホームランを打ったとしても長嶋さんの目にとまらず、どうなっていたかわからない。

人間万事塞翁が馬で、思い通りにならなくとも、前に進むしかないのだと松井は結論づける。

松井は打てなくても悔しさは胸にしまっておく。そうしないと、次も失敗する可能性が高くなってしまうからだ。コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけるのだ。

だから打てなかった日の松井のコメントが物足りないのは勘弁してくれと。チャンスで打てなかったら、きっと心の中では悔しさで荒れ狂っているのだろうな、と思ってくれと松井はいう。

星野監督の「星野流」のあらすじを紹介しているが、星野監督は松井と正反対に、感情を外に出すタイプの典型なので、対比すると面白い。

星野流星野流
著者:星野 仙一
世界文化社(2007-11-08)
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メディアとの関係

メディアはコントロールできないので、気にしないのが一番だが、なかなか難しい。松井は自分のことを書いた記事も読む。

不思議と調子が悪いと書かれた時ほど調子があがってくるのだと。スランプと書かれる頃には、そろそろホームランを打てる確率も上がっているのだ。

メジャーにはジアンビの様な力任せにバットをボールと衝突させるような打ち方の選手もいるが、松井はしなやかさを生かしたバッティングが、目指すべきバッティングだと語る。


人の心を動かしたい

絶対にコントロールできないが、動かしたいものは人の心だと松井は語る。

巨人の入団会見で、「自分はファンや小さい子供たちに夢を与えられるプレーヤーになるよう、一生懸命頑張っていきたい」と語った。

毎日ホームランは打てないし、毎日ヒットも無理だろう。しかし毎日試合に出て、全力でプレーすることならできるので、松井はそれをやるのだと。

星陵高校のベンチでは次の言葉が掲げられていた。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

今も心の中に響く言葉だという。

自分も弱い人間なので、つい手を抜きそうになるが、たとえセカンドゴロでも全力で走り、全力プレーを続けることで、最もコントロール不能な人の心を動かしたいと。

今シーズン末に、ひざが悪くても常に全力疾走する松井を見ていて、この言葉通りのことを松井は実行しているのだと感じた。

なかなかできることではない。

自分の身を振り返る機会を与えてくれる松井の言葉である。


努力できることが才能である

これが松井の座右の銘だ。いい言葉だと思う。

松井のお父さんが、小学3年生の時に半紙に書いて部屋に貼り付けてくれたという。加賀市で晩年を過ごした硲(はざま)伊之介という洋画家、陶芸家の言葉だそうだ。

松井は天才型ではない。だから努力しなければならない。大リーグでも才能にあふれた選手は多いが、努力せずに成功した人はいないのではないかと。

たとえば今年ア・リーグのMVPになったアレックス・ロドリゲスは2月のタンパでのキャンプから誰よりも早く、グラウンドに毎朝七時に来て練習をしているので、コーチが根を上げた。

大リーグ最高の選手が、人一倍練習しているのだ。

ヤンキースのキャプテン ジーターの自宅はフロリダのタンパにある。ヤンキースの常設キャンプがあり、練習設備も完備しているので、常に練習できるようにタンパに住んでいるのだ。


不動心 素振りが松井の原点

松井は基本中の基本、素振りを重視する。未来に向けた一つの決意として、素振りを欠かさない。

これは努力すればできることだからだ。ホームランを打った日も、ヒットが打てなかった日も必ず素振りをしてきた。

打てた日は慢心し、打てなかった時は落ち込む。これでは未来にプラスにならないので、松井は毎日素振りをしながらリセットするのだ。

バットが風を切る音が、「ピッピッ」と鋭い音が聞こえると安心し、調子の悪い時は「ボワッ」という鈍い音がすると。自分の感覚はごまかせないので、自分が一番厳しい評論家であるべきだと思っている。

失敗しての悔しさは未来にぶつける。それが素振りなのだ。

松井は岐阜県にあるミズノのバット工場を、毎年オフに訪問する。

頭の中でイメージした形を口にすると、久保田五十一名人がバットにしてくれる。それを振ってみて、イメージと違うとまた削って貰い、一日がかりで、松井のバットをつくるのだ。

そしてできたバットを松井は1シーズン使い続ける。途中でバットは変えない。松井にとって「メガネは顔の一部です〜」(たしか東京メガネのCMソング)ならぬ「バットは体の一部です〜」なのだ。


思考で素質をおぎなう

松井は自分は器用ではないし、素質がある方だとも思っていない。

松井の大リーグ一年目はツーシームというシュート回転しながら、打者の手元で沈む変化球にてこずり、メディアにゴロキングというあだ名を付けられた。

手元で変化するボールを正確にとらえるためには、ボールをできるだけ長く見る必要がある。そのために、一年目のオフにはウェイトトレーニングで筋力をつけ体重を10数キロアップし、特に体の左半身を鍛えた。

左手でキャッチボールをしたり、箸を持ったりして左手を器用に使えるように努力したのだ。

左手をうまくつかうことによって、外角に沈むツーシームを手元まで呼び込んで、左方向に強くはじき返す。そのためのトレーニングだ。

日本で50本ホームランを打っていたので、一年目は結果がでなかっただけ、そのうち打てるようになるさ、と思っているうちはずっと悪い結果が続いたろうと松井は語る。

自分は不器用で、素質もないのだと認識すること。己を知ること。ソクラテスの「無知の知」である。

大リーグに来て自分は素質がないと痛感したので、二度とあんな思いはしたくない。だからあえて力不足の自分を受け入れ、現状を打破したいと必死になったのだと。


不動心 打撃に対するアプローチは不変

不調の時でも、打撃に対する自分のアプローチは変えない。悪い部分は修正していくが、根本的な考え方や取り組み方は決して変えない。結果が出ないからといって、根本的な部分まで変えると収拾がつかなくなってしまうからだ。

調子が良くなると、0.00何秒か長く見えているような感覚になる。長く見られる余裕が出た分だけしっかり振れるのだ。

勝負強さは、打席にはいるまでに頭の整理ができているかどうかだと松井は語る。

たとえばツーストライクまでは、カウントを取りに来るストレートに的を絞るとか、必ず投げて来るであろう決め球以外は振らないとか。

できる限りの知恵を振り絞って対策を決め、打席に入ったら、もう迷わない。結果として三振してもかまわない。それくらいの信念を持って打席に入れるかどうかが、勝負強さを決定するのだと。

有り体に言うとヤマをはるということなのだろうかと。3球のうち1球くらいは自分のツボに来る可能性があり、相手投手もミスをする。そのミスをいかにして確実に攻略するかが勝負だ。そのために自分を鍛え、トレーニングを積むのだ。

打席で150キロのボールに対しては、下半身とか左手とか考えている余裕はないので、自分のスタンスを決め、打席でのアプローチを明確にする必要がある。

自分の足場を固める。根幹をしっかりする。相手に対処しなければならないスポーツだからこそ、素振りやティーバッティングは大切にしたいと松井は語る。

チャンスに強いバッターは、ここぞという時でも平常心を保てる打者ではないだろうか。だから162試合同じように準備をして、すべて同じ心境で打席に入りたい。ここぞという場面で打つためだ。


対戦相手の研究

松井は遠征に宮本武蔵の五輪書を持参したという。日本では相手ピッチャーは限られていたので、記憶していたが、大リーグでは先発だけでも13球団で65名いるわけで、今はメモをつけている。

五輪書 (岩波文庫)


この本のなかでも書かれているが、以前松井がテレビ番組に出た時に300何本目のホームランを打ったときの投手と球場はどこかと聞かれ、スラスラと答えていたのに筆者はびっくりした。

日本でのホームラン(そしてたぶん大リーグでも)は、すべて記憶しているのだ。

相手によって自分のスタンスは変えないが、相手を知らなければ十分な準備はできない。だから相手をしっかりと把握しておく必要があるのだ。


松井は放任主義で親から育てられたというが、この本のあちこちに、父や母に対する感謝の気持ちがあふれている。読んでいて心が洗われる気持ちになる。

本当に好青年、そして求道者という感じだ。

いっそう松井を応援したくなる。おすすめの本である。


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2010年04月21日

桑田真澄 野球を学問する 元巨人軍桑田さんと早稲田大学大学院担当教授の対談

野球を学問する野球を学問する
著者:桑田 真澄
販売元:新潮社
発売日:2010-03
おすすめ度:5.0
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元巨人軍の桑田真澄さんが2009年4月から1年間早稲田大学の社会人向けマスターコースで学び、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」という論文を書き、最優秀論文賞を受賞し、成績トップで卒業生総代にもなった話を担当教官との対話で振り返る。


担当教官の平田教授も異色のキャリア

桑田さんのがんばりや熱意もさることながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の担当教官平田竹男教授の異色のキャリアにも驚く。

平田さんは横浜国大を卒業して、1982年に通産省に入省、1988年にハーバード大学のケネディスクール(行政学)の修士号を取る一方、ケネディスクールのサッカー部の立ち上げにも尽力した。

その後1989年からは産業政策局サービス産業室室長補佐となり、Jリーグ設立、サッカーくじTOTOの創設、日韓ワールドカップ招致成功という成果を上げた。

1991年からは3年間一等書記官としてブラジルに駐在し、日本とブラジルのサッカー外交を促進。帰国後はエネルギー政策を担当し、アラブやカスピ海諸国との石油利権確保交渉で、サッカー談義を駆使した独特のスタイルで成果を上げたという。

2002年に資源エネルギー庁石油天然ガス課長を最後に経産省を退官し、日本サッカー協会専務理事となり、2006年に早稲田大学の教授に就任した。官僚という枠には収まらない人物だったようだ。

「サッカーという名の戦争」とか「トップスポーツビジネスの最前線」などの著書があるそうなので、今度読んでみる。

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台
著者:平田 竹男
販売元:新潮社
発売日:2009-03
おすすめ度:4.5
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トップスポーツビジネスの最前線〈2〉―早稲田大学講義録2004 (早稲田大学講義録 (2004))トップスポーツビジネスの最前線〈2〉―早稲田大学講義録2004 (早稲田大学講義録 (2004))
著者:平田 竹男
販売元:現代図書
発売日:2005-10
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この本では桑田さん自身の論文本体は紹介していないが、桑田さんの論文の背景、骨子や大学院での学習についての対話という形で紹介している。

そして日本の野球界で、今でも影響力を持っている飛田穂洲(とびたすいしゅう)の精神主義的野球を見直すことを主張している。

「一球入魂」に代表される飛田穂洲の精神主義は、戦前の軍国主義の風潮の中で、精神鍛錬に役立つとして(アメリカ発のスポーツである)野球を守ったという時代的意義があるが、それをそのまま現代まで持ってくるのは不適当であると。

そこで飛田穂洲の「野球道」を3つに集約して、それぞれ現代的な意義を与えて再定義した。

「野球道」 → スポーツマンシップ

1.練習量の重視 → 練習の質の重視(サイエンス)

2.精神の鍛錬 → 心の調和(バランス)

3.絶対服従 → 尊重(リスペクト)


本の帯に「担当教授との超刺激的会話」と書いてあるが、たしかに驚くことが多い。内容を詳しく紹介すると本を読んだときに興ざめなので、一部だけ紹介しておく。


★桑田さんは小学校のときからグラウンドに行って殴られない日はなかったという。

ちょっと信じられない話である。筆者は小学校では一時野球クラブに属し、高校時代はサッカーをやっていたが、コーチや監督あるいは上級生から体罰を受けたことは一度もない。たしかに誰かが失敗して、連帯責任ということで、同じ学年の選手が全員でグラウンド10周とかいう話は聞いたことがあるが、自分では経験ない。

後述のアンケートでは指導者から体罰を受けたことがあるかという質問には、中学で45%、高校で46%が体罰を受けており、先輩から体罰を受けたことがあるかという質問では中学で36%、高校で51%という回答だ。

体罰、しごきや意味のない長時間練習をなくすことがが桑田さんの論文の主旨である。

★桑田さんの早稲田の大学院入試面接では、研究のテーマを「野球界のさらなる発展策」だと説明したら、面接した教官に「1年では無理だね」といわれ、普通10分程度の面接が30分かかった。受かるとは思っていなかったので、巨人入団の時のいきさつもあり、「やはり早稲田はぼくのことが嫌いなんだ。絶対に入れたくないんだ。」と思っていたという。

★桑田さんのおばあさんは子守唄に早稲田の校歌を歌って、「真澄さんは早稲田に行くんですよ」と言っていたという。それで中学生のときにPL学園→早稲田大学→ジャイアンツという目標を立てたという。

★水を飲んだらバテるとか言われていた時代だったので、便器の水を3回流してすくって飲んだり、アンダーシャツを濡らしてアンダーシャツをチューチュー吸ったという。

★現役選手6球団270人、へのアンケート。11月末のシーズンオフの時を狙って1軍と2軍の選手にアンケートをとった。選手会長が協力してくれ、横浜の三浦大輔選手は自宅まで届けてくれたという。

このアンケート結果によると、中学での平日の平均練習時間は2.9時間、休日は5.8時間。高校だと平日は4.5時間、休日は7.3時間で、休日は9時間以上練習していたという人が70人もいたという。

★桑田さんは高校一年で全国優勝し、全日本チームに参加して帰ってきたときに中村順司監督に練習時間を3時間にしましょうと訴え、練習時間を変えたという。全体練習は3時間だけ。あとは自分で考えて必要なトレーニングをする形に変えたら、PLは練習時間は少ないのに、連続5回甲子園に出場し、2回優勝、2回準優勝、ベスト四1回と抜群の強さを発揮した。

★桑田さんは高校のときは変化球はカーブしか投げなかったという。高校野球でいろいろな球を使わないと抑えられないのではプロでは通用しないと思っていたからだという。

そのかわりバッターのくせや、傾向を観察して、逆算してバッターの狙いを推測していたという。高校時代は7−8割はバッターの狙いがわかったという。

筆者の別ブログで紹介しているが、桑田さんは現役最後のピッツバーグパイレーツ時代に筆者も関係していたピッツバーグ日本語補習校を訪問してくれている。補習校の児童が桑田選手がケガをしたときに、千羽鶴を送ったからだ。

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一流の野球選手は人格的にも優れた人が多いが、桑田さんは何事も真摯に取り組み、伝統とか慣習に流されることなく、不合理なものには対決して、考える野球を追及している。

平田教授は桑田さんに将来プロ野球のコミッショナーになれとハッパをかけているが、コミッショナーになるかどうか別にして、ちょうど相撲界の貴乃花親方のように桑田さんにはプロ野球の運営者になって改革をしてほしいものだ。

中学生ですでに190センチ近い身長で、PLに入学するやいなや高校1年生の4月にPLの4番になったという清原氏の昔の話も面白い。

野球選手が書いた本は多いが、この本はちょっと違う。桑田さんの今後の活動を応援したくなる本である。


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2007年12月04日

星野流 祝!北京オリンピック出場決定 カミナリ親父星野仙一監督の本

星野流


本日(12月3日)来年の北京オリンピック出場を決めた日本代表、星野仙一監督の考えがよくわかるショートストーリーを77集めた本。

今日台湾に勝った試合での采配も、星野監督の指導者、監督としての非凡さが表れていた。7回表、台湾に1:2とリードされたノーアウト満塁の場面でのスクイズ。

同点とした日本チームの各バッターは、心理的な重圧からも解放されたこともあり、連続ヒットでこの回6点をあげた。あそこでまず同点になっていなければ、プレッシャーで連続ヒットも生まれなかったのではないかと思う。

これこそ星野采配の真骨頂だと思う。星野さんは試合後のインタビューで、うれし涙を浮かべていたが、北京への重圧から解放されホッとしたのと、会心の試合ができたせいではないかと思う。

星野さんは、1947年生まれの今年60歳。田淵幸一コーチや、山本浩二コーチも同年代だ。

星野さん自身の記録は通算146勝、121敗。長嶋監督、王監督と病魔に襲われ、上も下も人材がいないとして、自分に代表監督のおはちが回ってきたのだと謙遜する。有事に燃えるのが男だろうと。

名選手、名監督ならずのことわざ通り、星野さんより記録は上でも、監督として使い物にならなかった名選手は多い。

特に毎年最下位で野村監督の手腕を持ってしても低迷していた阪神を、就任わずか2年で優勝させ、その後も優勝を争えるチームにつくり上げた手腕を持つ星野さんは、やはり監督としては日本を代表する名監督だと思う。


健康に不安

この本では健康状態も自分自身で明らかにしており、最近のオシム監督の例もあり、気に掛かるところだ。

星野さんは高血圧と不整脈という持病があり、オシムさんと同じく脳梗塞が一番怖いという。不整脈は監督時代からのもので、血圧は普段からも上が170前後、下が130前後と高い。試合になると30〜40も上がり、上が210を超えてしまうこともあると。

もともと感情が激しく、喜怒哀楽が激しい上に、タイガースの1勝は他のチームの3勝分くらいで大変なプレッシャーだったという。星野さんが監督を退任して、阪神のSD(シニアディレクター)になった時は、今ひとつ理由がはっきりわからなかったが、健康の話を聞いて理解できた。

代表監督はメンタル面でのプレッシャーもあり大変な仕事だと思うが、体に不安はあっても、有事に燃える星野さんは日本代表監督を引き受けたのだ。


明治大学野球学部島岡学科出身

星野さんが生まれる前に、エンジニアだった星野さんのお父さんは脳腫瘍でなくなり、お父さんの勤務先だった三菱重工の水島工場の寮母としてお母さんが働き、星野さんと2人の姉を支えた。

母子家庭で育った星野さんは、水島の中学から、倉敷商業高校に進むが、甲子園には出場できなかった。倉敷商業の監督が明治大学出身だったので、その後明治大学に進む。

明治大学は毎年100人程度野球部に新入生が入るが、野球部はとんでもないところで、大体1年で8割はやめる。夏なら4時半、冬なら5時半から練習開始(!)で、当時の監督の島岡吉郎さんは、練習開始前の1時間前に起床し、合宿所の玄関で目を光らす。

まずは裸足でグラウンドを20周。そのあとグラウンドの草取り、小石取りに1時間。それから練習だ。

星野さんが、1年生の時、毎日球拾いをしていると、突然バッティングピッチャーをやれと指名されたという。当時の明治大学のコーチがサブグラウンドで球拾いをしている星野さんに目をつけて、星野はいつも一生懸命やっているからと推薦してくれたのだと。

野球人生を振り返ると、これが星野さんのその後の幸運の始まりだったような気がすると。

田舎出の無名選手だったので、ともかく目立とうと思って必死に投げ、バッティングピッチャーで、上級生、レギュラーを押さえ込んでいるのが島岡さんの目にとまり、面白い奴と、1年生でレギュラーとなった。

この年の六大学の新入生で1年からレギュラーになったのは、星野さんと法政の田淵だけだったと。

「命がけでいけ!」、「魂を込めろ!」、「誠を持て!」が島岡さんの口ぐせで、これを常に復誦させる。

「なんとかせい!」と。

星野さんは一晩に1,000球の投げ込みを命じられた時もあったと。

星野さんが主将の時、早稲田に負けたときは、グラウンドの神様に謝れといわれ、星野さんは島岡さんと一緒に、真夜中の雨のグラウンドで2時間にもわたり土下座して謝った。

島岡さんは、「グラウンドで毎日、こうして技術、体力、根性ー人間を磨くことができるのは、グラウンドの神様のお陰なんだ」と本気で言っていたという。島岡さんは、何十年も自宅に帰らず、野球部の合宿所に住んでいたという。

星野さんはお父さんはいないが、オヤジはいたという。それが島岡さんだ。星野さんは、よく明治大学野球学部島岡学科卒だと公言していたという。


厳しい練習は人間教育

島岡さんは合宿所のトイレ掃除は、キャプテンの仕事としていた。

「人の嫌がること、つらいことこそ、先頭に立って上の者がやれ。人間社会は常にそうでなければならん。最上級生のキャプテンが毎日掃除をしているトイレを使う下級生は、常にそういう先輩の態度や気持ちを忘れたらいかんのだ」ということで、星野さんも毎日トイレ掃除をした。

掃除に手抜きをすると、合宿から出されるのが掟で、便器の掃除にしても、いい加減にやっていると、星野さんも便器をなめさせられたという。

キャプテンの他の仕事は、運転手役と、毎日の意見具申役だ。運転手役は社会にでるための準備、意見具申は人間教育で、いずれも島岡流の指導者育成方法だった。

星野さんはプロに入っても島岡流で貫いたと、同級生からは言われるのだと。

星野さんの原点はこの島岡さんの教育で、厳しさと激しさのなかでこそ人は伸びるものだと。島岡さんの指導を受けられたことは、天にも感謝したいと語る。

1975年秋の神宮の六大学野球で、東大が明治大学に2連勝して勝ち点を取ったことがあった。明治は東大に破れたが、たしか優勝した。

それ以来東大は明治から勝ち点は取っていないと思うが、あのとき島岡さんは選手に対して激怒したと聞く。選手もそれこそ死んだ気になってがんばり、優勝したのだと思う。


星野さんのポリシー

星野さんは理想の上司投票でNo.1を続けている。主張がはっきりしており、コミュニケーションを重視するからだろう。

星野さんは減点主義を排すという。これも人気の出る理由の一つだろう。

減点主義では失敗を恐れて、人は小さくなる。野球は得点主義なので、たとえ失敗しても明日は頑張って負けた分を取り返す。

「チャンスはやるぞ。失敗は自分の力で取り返せ」というのが星野さんの主義だ。

野球は所詮首位打者でも7割は失敗で、成功はわずか3割。首位チームでも勝率は6割程度だ。日本は減点主義が多すぎるので、野球から得点主義を学んで欲しいという。


星野さんの選手育成

星野さんは毎年選手にはレポートを提出させていたという。意識付けはまずは自問自答で始めるのだと。

ピッチャーには自己採点をさせ、チーム内でのランキングを付けさせ、自問自答を繰り返させて目標意識をはっきり確認させるのだ。

今の選手は「右向け右」では動かない。納得しないと動かないので、タイガースの監督2年目から始めたのだという。

選手自身の目標と目標達成の具体的方法をレポートで提出させ、自分自身で実践させるのだ。

タイガースの今岡は、星野さんがタイガースの監督時代に最も伸びた優等生だ。

星野さんがタイガースに行く前までは、やる気がないなど、さんざん不評を聞いていたが、実際は全く異なり真剣そのもので、ガッツプレーも見せるし、ピンチにはピッチャーの激励に行く。

今岡は絶対に叱ってはいけない選手だという。叱るよりもほめる方が生き生きとプレーする。

野村さんは、「あいつは一体なんだったんだ。おれとは相性があわなかったんか。わしゃあ、まったくわからんよ」と苦笑しているそうだ。野村さんは、何を考えているか分からない今岡に、2軍行きを命じたりしていたのだ。

星野さんは選手を代える時、「代われ!」というだけだが、その後に「また明日な」と必ず付け加えている。ダメだから代えるのではない、今日は体を休めろという意味なことを、その一言で分からせるのだと。

人生の1%をボランティアに割けと星野さんはいう。

自身でも岡山の障害児施設との交流を30年以上も続けているそうだが、今のタイガースの選手では赤星憲広が、盗塁をひとつ成功させる毎に、障害者施設に車いすを1台づつ送っている。

赤星は、新人王で39盗塁を記録し、才能があると慢心していたので、広島から金本が入り、濱中、桧山を使ってプレッシャーを掛けると、目の色を変え、努力の人に生まれ変わったのだという。


星野さんは伊良部の用心棒

星野さんは伊良部の用心棒と公言していたという。伊良部はどこへ行っても無愛想で、マスコミにもつっけんどんで誤解されやすかった。

本当の伊良部は繊細で、実に頭の良い男だったという。自分が苦しみながら勝った試合では、伊良部はロッカーの入り口で引き上げてくる選手一人一人とていねいに感謝の握手を交わしていた。

これは伊良部が6年間のメジャー生活で学んできた日常的なマナーだろうと。

なかでもヤンキースは、一騎当千の選手軍団でも「チームで戦う」ことで選手に厳しく、うるさくしつけることで有名だという。伊良部もだてに6年間メジャーでもまれてきた訳ではないと。

伊良部はコーチともよく話しあい、よく研究していた。くせを見破られていないかとか、あの審判はこういう傾向だということまで研究していた。それを若い選手にも是非見習ってもらいたいと思っていたと。

タイガース時代でいつも一番辛い点をつけるのが井川慶だと。ピッチングに関してはすべてがアバウトだから、球筋、コントロールが中途半端で、高めのボールは日本では見逃されても、メジャーではみんなもっていかれるのだと。

星野さんは毎年、このチームに居たくない人は手を挙げてというが、阪神の優勝が決定した場面でも不在で、身勝手な異端児だったのが井川だったという。


星野さんのマネジメント術

星野さんは監督賞などは、若いときの監督経験から一切出さないことにしている。しかし、その代わりに選手や家族、裏方の人たちや家族に感謝の意を表すため、必ずバースデーカードを送り、プレゼントを贈るようにしていると。

チームには裏方として、バッティングピッチャー、ブルペンキャッチャー、用具係、トレーナー、スコアラー、マネージャーなど現場のスタッフが30人近くいる。星野さんは、こういった裏方にも気をつかう。

また罰金はその年の納会で、選手や裏方の家族も含めた全員の家族用の景品やおみやげに使って、還元しているという。


星野さんの闘魂野球の背景

星野さんは、母子家庭の選手だと聞くと、どうしても目を掛けてしまうと。タイガースの江夏や、大洋の平松。中日の立浪などだ。

母子家庭の子には、「お父さんのいる子には絶対負けない」という強い気持ちがこもっているのだと。

星野さんがルーキーの年、2回でKOされると、コーチを通じて当時の水原監督に明日の試合にもう一度先発させて下さいと申し出たという。水原さんは、翌日も星野さんを先発させた。

星野さんは完投したが、1:2で負けた。試合後誰にも会わせる顔がなくて、ロッカーで沈み込んでいると、三原さんが「よう頑張ったな」と握手してれたという。

きかん坊で暴れん坊で、いつも逆らってばかりいた星野さんも、このときは三原監督の手を握って子供のように泣いたのだという。

人の情けが人を救い、人の情けが人を作るというが、叱るのも怒るのも、チャンスをあたえるのも、つらい練習を強いるのも、監督としての星野さんの心のバックボーンであると。


人使いの名手 星野監督

星野さんは、選手を生かしていくコミュニケーションは二つあると語る。

一つはほめる場面と、叱る場面の見極め。もう一つは選手に「おれはいつも監督に見られている」という意識を植え付ける接し方、言葉の掛け方であると。これは日常会話でも良い。

星野さんは、いつも選手に「おれはお前を見ているよ」「おれはお前に期待しているよ、信頼しているよ」というサインを送ることは大切だと語る。

どんな人でも、人から「見られている」という意識、その緊張感がプラスに働くことがある。

星野さんは選手を能力と特色だけでは使わない。常に「仕事への心の準備」ができているかで選手の起用を決めていると。

星野さんが大事にするのは、試合の流れにも気を配りながら準備をして、自分の出番に集中している選手の姿であり、ベンチを見回して目があって、気持ちが通じ合うのがこうした選手なのだと。

星野さんが評論家時代にマスターズの取材に行って、ジャック・ニクラウスにインタビューしたときに、ニクラウスが「わたしはいつも『今日しかない』わたしの人生には、今日しかないと思っていつもプレーしている」と語っていたという。

そういう心の準備ができている選手が、力を発揮するのだ。


星野さんの仕事術

リーダーは普段の顔と、監督でいる顔と少なくとも2つの顔を持てと星野さんは語る。

西武の管理部長だった根本さんに言われたことがあると。

「君は星野仙一か。しかし、今は星野仙一ではないだろう。今は中日ドラゴンズの監督なんだ。他のチームに伍して戦っていけるチームを作るのが仕事だろう。人間だからつらいことはいろいろ出てくるさ。でも、トレードだって、君の監督としての重要な仕事なんだ」

いつでもどこでも重要なのは、やるべきことの発見と手順だと星野さんは語る。チーム改革と一口にいっても、すべきことを発見し、どういう手順でやるのかが大切だ。

星野さんは、若いときは選手を殴るなど、熱血指導で知られるが、いい人は好かれても尊敬されないという。

摩擦をいやがる人は管理職になれないというが、プロ野球でも似たようなものであると。選手に好かれる兄貴になれても、嫌われるオニになれないコーチは辞めさせるしかなかったという。

星野さんの野球は「弱者を強者にする野球」だと、そして心技体ではなく、体心技の順番なのであると。

体力がないと、ピッチャーでもバッターでも良いプレーができない。見本は金本だと。

広島に入ったときは、きゃしゃな体でどこまで持つかと見られていたが、オフも体つくりのトレーニングを欠かさず、いまや鉄人とよばれるほどの選手となった。

39歳になって、連続1000試合以上の連続フルイニング出場の世界記録を更新中だ。


「若者」と「グローバル」がキーワード

星野さんは今までトップ選手のメジャー流出を食い止める施策を取らない球界首脳を批判してきたが、代表監督となった今は、「行きたい選手は行けば良い。日本にはまだこれだけの選手がいるんだ、というところも見せてやる」と思うようになったと。

プロ野球もどんどん若者を育てて、次々を育て上げれば良いという考えが強くなったという。

日本のプロ野球とメジャーの差を考えると、有力選手の流出は今後も続くだろう。そしてメジャー帰りの日本人選手も増えて、輸出入というか、人材の相互の交流は益々活発になるのではないか。

その意味で、星野さんの考え方は、この選手の輸出入を拡大し、球界の活性化に役立つのではないかと思う。

松井秀喜の求道者の様な「不動心」と、明大島岡御大仕込みの熱血指導の星野さん。タイプは違うが、厳しい練習をして、マウンドや打席に入る前に準備ができていることの重要性など、基本は同じだと感じた。

この本を読むと、星野さんが理想の上司トップにランクされている理由がよくわかる。

おすすめの本である。


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2007年10月18日

子育てキャッチボール 古田政界入り説の火ダネとなった本

子育てキャッチボール―ボールひとつから始まる教育再生


古田敦也






最近このブログを「野村スコープ」というキーワード検索で訪問する人が増えている。

Googleの「野村スコープ」検索で20位台に、このブログで紹介した野村さんの「無形の力」がでてくるからだ。

この本はその野村監督の愛弟子、監督退任と選手引退が決まったばかりのヤクルト古田敦也氏と、民主党で7月の参議院選挙の東京都選挙区で2選を果たした鈴木寛氏の対談だ。

古田氏が政界に転身するのではないかという噂の火ダネともされている本だ。

古田氏、鈴木氏が自らの子育ての経験について語るのかと思ったが、予想していたのとは違う内容で、子育て・教育一般についての雑談集だ。

子供とキャッチボールすることで、相手のことを考える子供を育てようと語る。

ただ公園は大体ボール遊び禁止だし、学校の校庭には部外者は入れないとなると、実際問題どこでキャッチボールやるんだ?という気もしてしまう。

鈴木氏と古田氏は共通の友人のラグビーの平尾誠二氏を通じて知り合ったそうで、二人とも子供好きで、野球教室などのスポーツやコミュニティ・スクールなどの活動を通して一緒に活動してきたという。

この対談は2007年4月19日、古田氏が2,000本安打達成した後で監督として初めて退場になった試合後に行われた。

6月に発刊されたことといい、ところどころに「すずかん式」なるコラムがあり、鈴木寛氏の7月末の参議院選挙を意識した選挙対策本という感じがある。


古田氏の生い立ち

古田氏は、以前筋肉番付のスポーツマンNo. 1決定戦などに出演して、頭脳バトルのランダム数字暗記などに抜群の強さを発揮していた。

地頭の良さを感じさせるクレバーなキャッチャーで、筆者が好きな野球選手の一人だ。下で働きたい上司のトップに毎年あげられ、国民的人気もある。

そつがない受け答えに好印象を持っていたが、この本を読んで古田氏の生い立ちがわかり、非常な苦労人だと初めて知った。

古田氏の父親は格闘家で、柔道で国体も出ているが、「格闘技は銭にならん」というのが口癖だった。

宇和島出身で、山口県の宇部に稼ぎに出たが仕事がなくなり、やむなく大阪に出てきた。苦労の連続で、共働きで家はずっと貧乏だったと。

お父さんから、「野球選手が一番儲かるので、野球をやれ」と言われ、野球で両親を楽にさせたいと思ったことが、古田氏が野球を始めた理由だ。

古田氏は中学時代に、ひどいいじめにあう。(鈴木氏も小学校5,6年生で先生の遅刻や勤務態度を壁新聞で批判したら、先生にいじめられた経験を持つ)

貧乏ななかで、お母さんに無理して買って貰った真新しいスパイクを先輩に上納し、毎日先輩の汚れたスパイクを磨かせられていた。

お母さんはてっきり古田氏がスパイクを大事にしていると思っていたそうだ。古田氏がこの話をすると、いまだにお母さんは泣くという。


高校は進学校で甲子園予選は1回戦負けばかり

古田氏の出身校は新設の進学校なので、5時半には一斉下校しなければならなかった。授業が4時までだったので、野球部は1時間しか練習できなかった。

しかもグラウンドは共用なので、バッティング練習は週に2回、30分ずつしかできない。

PL学園は朝から夜10時まで練習しているのに、甲子園なんか目指せる訳がない。
ちょうど同地区で市立尼崎高校の池山隆寛というスーパースターが居たという。

古田氏は大学は自力で受験勉強して、15校くらい受験して、立命館と関大に受かった。

家が貧乏なので、自宅通学できる関大に行こうと思っていたところ、立命館の監督から是非にと勧誘され、立命館大学に進学した。

古田氏の高校は弱かったが、たまたま監督が試合を見ていて、古田氏の印象が残っていたという。


大学では指名を逃すが、社会人2年目でヤクルトが指名

大学では2年生からレギュラーとなり、4年の時は数球団から2−3位でドラフト指名すると言われ、記者会見場まで準備していたが、結局どこの球団も指名せず、恥をかいた。メガネをかけたキャッチャーは大成しないという判断だった様だ。

古田氏は乱視でコンタクトが合わないので、メガネをかけて野球をやらざるを得なかったのだ。

「絶対に見返したる」と気持ちを切り替えて、トヨタに就職し、ソウルオリンピックでは銀メダルを獲得、2年後にヤクルトに2位指名される。

しかし古田氏のお母さんは「トヨタのほうが良いと思うよ」と言っていた。一流企業だし、大卒で入ったので、普通に出世すれば生涯賃金がこのくらいで、プロになるより良いという話だ。

プロになってもそんなに稼げないぞ、よく考えろとみんなに反対された。


プロの球を全く打てず、投手のクセから球を予測する観察力をつける

プロに入ってから、実際プロの球を全く打てなかったので、いつも人のフリーバッティングを見て研究した。

投手のクセを必死に見つけ、投げてくるボールを予想し、なんとか打てるようになった。

打撃開眼して、ボールが飛び出したのは、中西太コーチからの又聞きで「ボールの外側を打て」と言われたことだという。ボールにストレートスピンが掛かって、よく飛ぶ様になったと。

それからの活躍はウィキペディアに詳しい。

2,000本安打を達成した初めての大卒、ノンプロ出身選手である。


古田氏が国民的英雄になった2004年のプロ野球ストライキ

古田氏が一躍男を上げたのは、2004年のプロ野球始まって以来の選手ストライキの時だ。選手会長として選手会をまとめあげ、巨人の渡邊恒雄オーナーから「たかが選手がなにをいうか」と言われながらも、ねばり強く交渉し、ついにオーナー側の1チーム減の11チーム、1リーグ制案を葬り去る。

さらに新規参入も決まり、近鉄がなくなった代わりに楽天が新規参入し、2リーグ制は存続し、長年の懸案だった交流戦も決まった。

オーナー側にファンのことを本当に考えて、プロ野球を興行として成功させるマインドを持たせ、現在行われているクライマックスシリーズなど、多くのプロ野球改革の誘因となったとも言えると思う。

ピンチがチャンスになり、ストライキがベストの結果を生んだのだ。


恩師野村監督の教え

このブログでも野村監督の著書は2冊紹介しているが、野村監督から、観察眼を磨き、投手のクセを見抜くことを習った。

例えばフォークボールを投げるときは、どうしてもセットに時間が掛かるので、不自然に見せまいとしてボールを持つ位置があがる。

こういうクセを見逃さず、球種を予想してその通りの球が来れば、ヒットになる確率は高くなる。それがプロの打ち方だ。

「幸いにして、野球選手で頭を使っている奴は少ない。おまえらだけ頭を使えば勝てるじゃないか」と野村さんは言っていたという。


トヨタと野村監督は真逆

社会人として働いたトヨタではイエスマンになるなと教えられたのに、野村監督からは、反論すると「おまえ、トヨタに行って何してたんや。社会人の2年間を無駄に過ごしやがって、このやろう」と怒られたという。

「おまえなぁ。俺はおまえの何や?」「監督です」「監督と言えば上司やろ。部下は上司の言うことにハイと言っていればいいんや」と。

トヨタの教えとノムさんの教えは真逆だったと。

野村監督はお歳暮を贈らないと怒るという。入団してすぐ「この中にお歳暮を贈ってない奴がおる」と、ミーティングで説教された。

監督を観察して、何が好きかリサーチして、お歳暮を贈った選手がほめられたという。

古田氏は、最初の年ははやっていた入浴剤を送って、門前払い同然だったが、3年目に監督の好みをリサーチして、パパイアを送り、まあ、うちに入れと合格を貰ったという。

古田氏に実績がついてきたら、話をきいてくれる態度をみせてくれる様になったというが、トヨタの教えと「野村の考へ」が真逆だったことが、二人の名キャッチャー出身の監督の間に溝がある理由の様だ。


野村監督の古田評

ちなみに野村監督の方は、古田氏のことを次のように評している。(野村ノートより)

古田は野村さんに年賀状もよこさない。だから正直、古田が野村さんのことをどう思っているのかわからない…。

古田は過信家といってもいいほど自己中心的な性格をしているが、ことリードという点では探求心、向上心があった。なにより野球に対するセンスが良く、頭脳明晰である…。


王監督は、日本でも台湾でも野球教室を開き、リトルリーグ支援でも有名だった。古田氏も、野球の古田塾をつくり、専門的に野球をやりたい子供達に直接教えたいと語る。

当分古田氏の動向から目を離せない。これだけの人材と人気なので、いずれは政界入りという選択肢もあるのだろう。是非明晰な頭脳を日本の為に役立てて欲しいものだ。


参考になれば次をクリックお願いします。


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Posted by yaori at 23:36Comments(0)TrackBack(0)

2006年01月03日

97敗、黒字。 楽天イーグルスの1年 野球本にあらず ビジネス書です

97敗、黒字。―楽天イーグルスの一年


楽天イーグルスの2005年の球団経営レポート。

著者の神田憲行氏はノンフィクションライターで、野球関係の著作はない様だが、高校野球の取材を10年以上続けているとのこと。

この本は楽天イーグルスの2005年の戦績を載せているが、野球の本ではない。


登場する楽天イーグルスの選手

この本で紹介されている選手は次の通りである:

平石洋介外野手
藤崎紘範投手
金田政彦投手
根市寛貴投手
坂克彦内野手
岩隈久志投手
一場靖弘投手

このうち、どのくらい名前をご存じだろうか?Who?と言いたいところだろう。

実は根市投手と坂野手は1軍登録はなかった選手だ。

これを見てもわかるとおり、楽天イーグルスのプレイヤーの中から、スターを選んで紹介しているわけではなく、球団ビジネスのレポートとのサイドストーリーとして選手を紹介している。

それにしてもこの本の巻末の全選手の成績を見てうなってしまう。

なんと投手では岩隈のみが規定投球回数(136回)を越えており、野手では磯部、山崎、吉岡の3人だけが規定打席(421打席)を越えているのだ。

いくら寄せ集めのベテランと、近鉄の2軍で結成したチームとはいえ、こんなとっかえひっかえで使われていては、やっているプレイヤーもやる気にならないだろう。どんな戦略を持って球団誕生1年めを戦おうとしていたのか、さっぱりわからない。

ちなみに日本プロ野球機構のホームページに、2005年のプロ野球選手の記録が載っているので興味のある人はチェックして頂きたい。

他球団はもっと打線のオーダーが固定されて、当然レギュラークラスは規定数を超えている。

楽天球団のキーパーソン

楽天球団のキーパーソンで紹介されているのは次の通りだ。彼らがこの本の主役である。

島田亨(とおる)球団社長(40歳)

人材派遣業のインテリジェンスをUSENの宇野さんとともに創業した後、投資家としてセミリタイアの生活をしていたところ、起業家仲間としてのつきあいだった三木谷社長より請われて楽天球団の社長となった。

就任のいきさつや、楽天球団経営については日経BPのレポートに紹介されているので、詳しくはそちらを参照して頂きたいが、「消去法で、短期間に組織と事業を立ち上げた経験があって、フリーで引っ張りやすい三木谷氏の友人を考えたら自分しかいなかった」ということだと就任の理由を語る。

楽天の経営が初年度黒字を達成したことは、島田社長の経営手腕によるところが大きい。

楽天球団では島田社長の方針で、社長以下職員全員が球場に行くときは、軍手持参を義務づけられている。球場のゴミをいつでも拾うためであると。まずは心がけが違うのである。

米田純球団代表(41歳)

西武百貨店出身で、営業企画や販売促進などのマーケティングを担当。40歳前に楽天に転職して、顧客管理を担当する部長だった。

楽天球団では社長の下で、GMのマーティ・キーナート(開幕1ヶ月で解任)と球団代表の米田氏が並列である。

米田氏は、他のチームではルーズに管理されているタクシー券の全廃とか、食べない選手もいるのに全員にバイキング形式で食事を用意する試合後の夕食の食事券化など、当たり前のビジネス感覚で球団のコスト削減にも成果を上げた。


小澤隆生楽天球団取締役事業本部長(33歳)

自分でネットオークションの会社を起業したが、楽天と合併したので、楽天のオークションを担当する執行役員となる。

楽天球団設立後は球団の金儲け全般を担当する事業本部長に就任し、グッズ販売、チケット販売、放映権販売を担当する。

いわば楽天ブランドの総責任者だ。

南壮一郎ファン・エンターテイメント部長(29歳)

カナダとアメリカで学び、アメリカの大学を卒業後、帰国して外資系証券会社でM&Aなどを担当。その後独立してスポーツマネージメント会社を起業。

楽天球団設立のニュースを聞いて、三木谷社長に直接談判して楽天球団社員第1号となった熱血漢。

海外経験が長いので、プロスポーツにおけるエンターテイメント性を重要視し、様々なイベントを催す。

「サッカーの試合を見ればわかるとおり、応援は観客がスタジアムに足を運んでくれる一番のキラーコンテンツである」と。

堀江隆治球場長(37歳)

ファーストフード出身者で、ここだけのオリジナルな弁当などを考案した。

石井哲也楽天球団営業本部法人営業部員(33歳)

フルキャスト宮城スタジアムの看板を中心に、ドブ板営業で広告営業を担当。初年度で計画の18億円を上回る22億円以上を売上、楽天球団の黒字化に貢献した。

平野岳史フルキャスト社長

ネーミングライトを年2億円X3年間で購入した東証1部上場の人材派遣業フルキャストの社長。

三木谷社長のゴルフ仲間だが、楽天がプロ野球参入を表明したときから、ネーミングライトの購入を申し入れていたと。

「人材派遣業で知名度をあげることは絶対必要で、ネーミングライト購入のモトは既にとれた」と。


楽天黒字化の理由

この本の主題である楽天球団黒字化の理由については三木谷オーナーが語っている。一つはスタジアムの経営権を持っていることで、スタジアムを中心に、広告、飲食、グッズなどで収益をあげている。

しかしたとえスタジアムの経営権がなくとも、スタジアムオーナーとのタフネゴシエーションで、黒字化はできる自信があると。

「すべてのビジネスにおいて、経営者の手腕は非常に大事で、結局はリーダーなのだと思う」と三木谷さんは語っている。

たぶん三木谷さんの発言が結論だと思うが、数字を見てみよう。

2005年度楽天イーグルスの戦績 : 38勝97敗1引き分け
主催試合での観客動員数      : 97万人
総売上                  : 64億4千万円

売上の内訳(内はシーズン前の計画)
入場料収入               : 22億円(21億円)
スポンサー広告収入         : 22億円(18億円)
テレビ放映権              :  8億円(12億円)
スタジアム収入(飲食、貸し料)   :  6億円
グッズその他の収入         :  6億円(4億円)

収支                   :  5千万円の黒字
 
注:1億円以下は四捨五入

上記収入を見ると10億円の赤字を見込んだ初年度計画とあまり違いがないので、選手補強にカネをケチってコストを削減して黒字を達成した様にも見えるかもしれないが、実際には放映権を除くすべての収入を計画以上に上げたことが大きい。

たとえば入場料収入は観客一人あたりに直すと2,338円/人となり、実はパリーグの他の人気球団の倍近いと。

スタジアムが狭く、収容人数が2万人と限られているだけに、無料チケットなどをチャリティなどに限り、計画を達成したのだ。

地方球場のスタジアムという限られたスペースの広告を、計画以上に販売できた営業力や、グッズ直販で収益を最大化していることも黒字化の要因だ。

球団全体の人件費の低さも初年度黒字化の理由の大きな要因である。

ちなみに楽天球団で最も年俸が高い岩隈が1億8千万円、磯部が1億3千万円で、この2人のみが1億円プレーヤーである。1億円プレーヤーがごろごろいる他球団とは大違いだ。


田尾監督解任と楽天球団の2006年

フレッシュな球団にフレッシュな監督というイメージを狙った人選だったが、コーチ経験のない田尾監督に、設備も揃わず、寄せ集めの選手ばかりの新球団の采配を任せる事自体がマネージメントの誤りだったと。

開幕戦こそ楽天はロッテに勝利したが、開幕2試合めでは渡辺俊介にやられ0−26で負けた。

この時に監督の采配にフロントが疑問を感じ、その後のホークスとの3連戦3連敗で疑問が確信に変わっていったと

8月末には田尾監督が現状の分析と来季の展望を田尾レポートとして提出するが、球団フロントの考えを変えるに至らず、結局シーズン終了前に解任となった。

2005年は田尾監督の他にベイスターズの牛島監督がコーチ経験のない監督として就任した。

2004年の中日の落合監督もコーチ経験がなかったが、落合監督の成功で指導者経験のない監督でもイメージ先行で起用する傾向があり、田尾監督や牛島監督が実現した。

しかし本ブログでも紹介した落合監督の書いた『超野球学』や『コーチング』を読めば、理論と指導力は抜群なことがよくわかる。

落合監督は2,000本安打以上打っているが(2,371本)名球会の会員ではない。プロ野球のなかよしサークル入りを拒否しているだけなのだ。


近々『野村ノート』のあらすじを紹介するが、今シーズンから楽天の指揮を執る野村監督は、全然目の付け所が違うことがよくわかる。

さすがプロは違うなと感心する。

野村監督になっても、「補強は青天井」(三木谷オーナー談)と言っている割には、大した補強をしない楽天が、勝率5割以上達成できるのかどうかわからないが、少なくとも規定打席に達した野手が3人しかいないという様な結果にはならないだろう。

収容人数2万人の宮城スタジアムでは、スタジアムを大幅拡張しないと入場料収入アップも見込めないので、オリックスみたいに清原、中村、ローズを獲得という様な芸当はできないのかもしれないが、昨年のような戦力ではいかに野村監督とはいっても、どうしようもないだろう。

楽天の知名度を飛躍的に上げ、球団経営も黒字化し、楽天球団の島田社長の経営手腕はわかった。

しかしこのまま行っても、負け続けても応援し続けるタイガースファンの様なファンが仙台に生まれるのか、そんなに物事は簡単ではないだろう。

縮小策でコストを削減して黒字は達成できたので、今年は補強で多少コストアップしても、それを上回る入場料収入アップを達成して黒字を達成する拡大方策を考えるべきだろう。

それが本当の球団経営のプロの手腕だろう。

2006年の野村楽天を期待して見守りたい。


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Posted by yaori at 22:09Comments(0)TrackBack(1)

2005年02月20日

江夏豊の超野球学 頭が良くないと大選手にはなれない


江夏豊の超野球学―エースになるための条件
落合博満と同じ時期にベースボールマガジンで投手編の超野球学を連載していた江夏のコラムの単行本。

投げる筋肉は筋力トレーニングだけでは作れず、投げ込んで初めて投げる筋肉が鍛えられるとは筋力トレーニングの権威、東大石井直方教授の言葉だが、江夏も同じ事を語っている。

その例として現在最高のエース松坂大輔や広島の黒田を挙げ、春期キャンプの200〜300球の投げ込みを取り上げ、投手は投げ込むことを恐れてはいけないと説く。

また試合が始まったらその打者の態度、視線、ウェイティングサークルで何回素振りをしたとか、いつもと違うことはないかなどじっくり観察し、攻め方を考え、観察しながら慎重に攻めるのだと言う。

特に永遠のライバルの王貞治選手とは試合前の挨拶から観察を開始し、王が軽口を叩くと調子が良いとして警戒していたのだと。

優秀な投手なら一人一人の球筋まですべて記憶しているはずだと。

そういえば昔、金田正一がテレビの『ズバリ当てましょう』で、何度もぴったり金額を当てていたことを思い出す。感性と頭が良くなければ大ピッチャーにはなれないのだ。

また視線や表情も分析することが重要で、有名な『江夏の21球』の時は、満塁策を取って歩かせた平野光泰がニヤッと不適な笑みを浮かべたことから、スクイズに対する警戒心をとぎすませ、ピンチを切り抜けることができたと。

V9時代の巨人は試合が始まると全員が江夏をにらんでいたが、長嶋茂雄だけは視線があちこちに動いていたという話も面白い。

また土井、黒江を追い込んだ後ウィニングピッチのアウトローのストレートをうまくはじき返されていたのに、真ん中のストレートは見送り三振していたことが良くあったので、引退後彼らに聞いたところ、『江夏はコントロールが良いのでアウトローに的を絞って待っていたんだ。真ん中にきた時はピックリして手が出なかったよ。』と言われハッとした由。

なるほどこんな見方もあるのかと野球がさらに面白くなる。  
Posted by yaori at 00:17Comments(0)TrackBack(1)